死霊術師アドベラ。
彼女は文字通り
倫理を逸した忌まわしき術の数々を余人に振るうことに躊躇いが無かったアドベラは、両親から自分の家系の魔術を全て教わると同時、その所業を大陸中に轟かせた。彼女の生家が存在した村。何の変哲もない辺境の村が、たったの三日で死体のみが蠢く死の領域へと変貌したのである。無論これはアドベラの仕業だ。彼女は最終課題として両親を屍人に作り替え、その後は村の住人を手当たり次第に己の
周囲の村が異常に気が付いたときにはほぼ手遅れだった。村にはアンデッドしかおらず、彼女は既に辻馬車に紛れて国境を越えていたからだ。故に、これが魔物による痛ましい事故ではなく、人の手によって行われたおぞましい事件であることが発覚しなかった。
それゆえに次の事件を阻止する者はいなかった。しばらくの間冒険者として活動を続けたアドベラは、ある日気まぐれの様に棲みかとしていた街の住人を拉致し、アンデッドへ変えた後市街地の真ん中に放ち混乱を引き起こした。その時は様々な状況証拠によってアドベラの仕業であることが発覚したものの、彼女は有力者に取り入り匿われることで捜査の手を逃れることに成功していた。
そしてアドベラは、記す事すら憚られる貴族社会の政争や裏社会の抗争でその呪われた力を振るい、死霊術師としての名を広めていった。
そんな彼女の悪名を決定的なものにした出来事は、商業都市カルメンで起こった事件だ。多くの商会が集い鎬を削る中、ある悪徳業者がアドベラを始めとして多くの黒魔術師を雇い、競争関係にある商会への妨害を目論んだ。誤算だったのは、彼女達の力が凄惨極まるものであったことと、他にも黒魔術師を雇った商会がいたことだ。
瞬く間に呪術の飛び交う戦場と化したカルメンの街は、一夜にして千人以上の命が失われ、アンデッドが闊歩し互いに喰らい合う悍ましき様相を呈することとなった。この異常事態は一週間続き、最終的に帝国議会からの要請を受けたアルカナ率いる精鋭部隊によって鎮圧された。多くの黒魔術師が討伐される中、アドベラはアルカナと相対しながらもまんまと逃げおおせた。この事変は後に『カルメンの悪夢』として語られることとなり、今も魔導界隈の戒めとして伝えられている。
そうしてアドベラはついに(今更でもあるのだが)帝都の冒険者ギルドから指名手配を受け、さらにはゴーストハンターからも狙われるようになった。それから五年……彼女が捕縛あるいは討伐されたと言う報告はあがらず、現在に至るまでその凶手は振るわれていた。
そんな、考えうる限り最悪の人物がルーク達の前に姿を現していた。
「
その美貌を歪ませて、嗜虐的、いや凌辱的な笑みを浮かべた。
「こんなに大量に来てくれたなら我慢は必要ないわよねえ?」
アドベラが指を鳴らす。それを合図として、彼女のさらに背後からぞろりぞろりと十を越える数の屍人が歩いて来た。それらは皆、一様に顔の皮を剥がされたり、身体の一部分が食いちぎられたかのように欠損していた。
「ルーク君……」
「おうよ。ここでやるしかねえ」
おそらくそれらの正体はここに足を踏み入れ、帰らぬものとなった犠牲者だろう。キメラの餌食となるか、あるいはそこの殺人鬼の手にかかったか。いずれにせよ数が多い。人食いワニの噂はここ最近で現れたと言う話だ。仮に表沙汰になっていない殺人事件の犠牲者が加わっていたとして、それでもこの数は……!
「まずは遊んであげる。ほら、仲間が欲しけりゃきりきり働きな!」
屍人の群れが襲い来る。
考えている暇はない。まずはこの雑兵どもを片付けねば。
ルークは短剣を振るい、手近な屍人の首を落とす。その隣を見れば、ヘルラージュが巻き起こした風が屍者が高く打ち上げ、地面に叩きつけた衝撃で破壊する。
薙彦にも同様に屍人が迫っていく。それも三方向から同時である。アドベラが使役する屍者はその辺のアンデッドとは異なり、コンビネーション攻撃すらも可能とする。
「はっ」
だが、それも彼の前には無意味。
鎧袖一触、薙ぎ払うは始末ヶ原。
横薙ぎの一振りが、3つの胴体を纏めて切断し、もう一振りが頭部を破壊。完全に沈黙させた。
「この程度ですか?」
「中々やるねぇ。それにこの魔力……ラージュ家のものだね」
アドベラが感心したように笑い、空気を舐めるとヘルラージュの方を見た。
「となれば……あんたがヘルラージュか。なるほど、あんたの死体を晒してやればあの小娘も釣れるだろうね」
「あなたの狙い、あの秘術を求めてどうする気です」
「その質問に答える意味はあるのかい? あの術の価値はあたしたちなら言わずもがな、それを誰よりも知ってるのはあんただろう?」
「あんな術に何の意味もないでしょう……。とにかく、あなたの思い通りにさせるつもりはありません。ラージュ家を継いだものとして、死霊術を濫用する貴女をここで討伐します」
「はっ、どうだか」
指を鳴らせば、さらなる屍人が動き出した。
ルークは先ほどと同じく屍人を斬り捨てる。
崩れ落ちる骸。
……その陰に、ぎらつく視線を感じた。
「!!」
「ヒャァ!」
咄嗟に背を逸らし、下から首を狙う致命的な斬撃を回避する。さらにその勢いで蹴りを放ち、追撃を拒絶する。奇襲者はこの蹴りを防ぎ、後ろに跳び下がった。
「あーぁ。バレてやがったか。今のはイケたと思ったんだがナァ」
骸骨面の男……グエンは露骨に残念がながら、姿勢を低くする。顎が地面に着くほどに屈みこむその姿は、とぐろをまく蛇のようだ。
「シャァ!!」
グエンは溜めた力を解き放ち突進、と見せかけて跳躍し、そのままルークの肩目掛けてナイフを振り下ろす!
「はあっ!」
ルークはこの攻撃の軌道を見切り、短剣を逆手に構えてこれを受け流す。そして返しの斬撃を放つ!
「カァ!!」
グエンはかろうじてこれをナイフで防ぐ。だが武器の性能の差か、殺人鬼のナイフは短剣に負け、根元から折れて地面を転がった。
「アッ!!」
「おらぁ!」
そのまま短剣の一撃がグエンの腹を裂くように思えた。しかし帷子でも着ていたのか、その大ぶりの一撃はグエンを強く弾き飛ばすに留まった。
仕留め損なったか。だがグエンの実力は同じリーチで打ち合って理解できた。奴は殺しのプロではあるが戦いのプロではない。自分より弱い者を一方的に殺すか、油断しきった相手を奇襲で仕留めたことしかないのだろう。先ほどの奇襲攻撃でこちらを仕留められなかった時点で奴に勝ち目は消えている。ルークは短剣を構え直した。次の一撃で決める。
グエンは猫のような動作で着地し、近くにいた屍人に手を伸ばし、その肋骨を引き抜いた。
「ふぅ……アブねえアブねえ。アドベラぁ、武器をくれえ!」
「しょうがないねえ、わかったよ!」
瞬間。引き抜かれたばかりの肋骨が怪しく光りだした。不穏な光景だが、その間にルークが距離を詰める。
「しっ!」
短剣が振るわれる。何をするつもりかは知らないが、黙ってみているつもりはない。
ルークの短剣はジーナによって戦いの度に鍛え直されてきた業物。骨程度は軽々と砕いて――
「ヒャッハァ!」
短剣が弾かれる。心臓を貫く一撃は横薙ぎによって防がれた。
グエンの手にはいつの間にか鋭利なナイフが握られている。それは先ほど弾いたものとは別物であり、その材質は白く軽い骨であった。
「何だそりゃあ!?」
「ヒヒヒ。羨ましいか?」
グエンはそのまま骨ナイフで屍者の首を刈り、脊髄を引きずり出した。すると信じられないことに、その脊髄は瞬く間に形状を変えて、忌まわしい
グエンはその奇妙な二刀流でルークに襲い掛かる。先ほどとは異なる武器と、常軌を逸した光景にルークは後手に回ることを強いられる。迫る斬撃を短剣で防御する。伝わる感触から、この死体から作られた武器が先ほどのナイフとは比べ物にならない性能であることを理解する。
「死体から呪物を作成した……? いいえ、それにしては早すぎる」
「これがあたしの術だよラージュの嬢ちゃん! あんたには到底真似できまい!!」
屍者を片付け、先ほどの魔法を分析するヘルラージュにアドベラが勝ち誇るように言った。
元々、死体から武器を作ると言うのは珍しい話ではない。強い恨みを持って死んだ人間の遺体は強力な呪物となるし、魔物から剥ぎ取った素材で武器を作成するのも広義の意味では同じだ。アドベラの術が異常なのはそのスピードとプロセス。事前に手を加えていたにしても即座に死体を武器に変換するというのは無理のある試みだ。
だがアドベラはこれを実現した。死霊魔術に錬金術を組み合わせた、死体から武器を錬成する術。
彼女は配下だけでなく、無数の武器を持つに等しい力を手にしていた。
「くそ、厄介な……!」
「ヒャア! やっぱりアドベラの作った武器は最高だなァ!」
ルークは毒づきながらも蛇矛をいなし、ナイフを躱す。やはり動きにキレが増している。その変化は逆に自分の体が重くなったかのようにも感じた。
防戦一方のルークにグエンは抜けの多い乱杭歯をむき出しにして笑った。
「俺とアドベラはいわばビジネスパートナー! あるいは趣味友! 色んなやつの皮を剥がして集めるのにマンネリを感じていた俺はアドベラと出会った! 俺は顔を剥がした後の死体に興味はないがそれではあまりものが勿体ない。そこでアイツは新鮮な死体が欲しかった。だからお互いに組んで有効活用することにした! お互いに損をしないいい関係だ!」
短剣と冒涜武器がぶつかり合う。
動脈を的確に狙う剣筋を、ルークは足を払うことで軌道を逸らして逆に短剣の一撃を叩き込む。だが呪骨のヘルムにひびが入っただけで、構わずにグエンはしゃべり続ける。
「それだけじゃねエ! 見ろよこの武器、このヘルメット! あいつは綺麗に殺す度に俺に素敵な贈り物をくれた! 頭蓋骨で造ったこのヘルムを見た時の衝撃は忘れられないねェ! 正直言ってイった!!」
「べらべらとおしゃべりな奴だな……! しかも気持ち悪い」
「そうだとも! 俺とあいつの素晴らしい関係は語りつくせないからなァ!!」
喋りながらも狂騒が如き攻撃は止まず、ルークはついに汚水の川を背に追い詰められていた。
「だから死ねよ。俺が綺麗に殺す度にアドベラは褒めてくれるんだ。俺の作った死体で素敵なナイフを作って笑顔で渡してくれるんだよォ。今日は三人だ。あいつの喜びは三倍、俺の喜びは三百倍だァ!」
「うるせえよ。惚気話なら余所でやれや」
「ヒヒヒ……嫉妬かァ? お前の女はアドベラがヤる。そして俺が皮を剥がすんだ」
「そうかい。じゃあその前に俺がてめえを殺す」
「ヒュゥ。涼しいな《おたから使い》。でもそれもここまでだァ!」
蛇矛が襲い掛かる。後ろは汚水。受けても下がっても体勢を崩して終わり。横に逃げてもナイフでそこを刺す。完全に詰んでいると言っていいだろう。
当然、ルークに仲間が駆けつけなければの話だが。
「グギャッ!?」
グエンの脳天に鉄が落ちる。遠心力の乗ったその一撃は、呪われた頭蓋ヘルムを粉々に破壊した。脳を揺さぶる衝撃にグエンは感覚を乱されるが、続く薙刀の一撃をかろうじて蛇矛で防ぐことには成功した。
「おっと、仕留め損ねましたか。存外固いんですねその骨」
「て、てめぇ……!? アドベラがくれたヘルムをよくも!!」
グエンは奇襲を仕掛けた相手である薙彦を睨みつける。
どうやら屍者は全て片付けられたようだ。流石だ。ルークはヘルラージュの方を見る。ヘルはアドベラと魔法を撃ち合っており、その実力は完全に拮抗している。いや、片手間に死体から武器を生成していることを考えるとアドベラが若干優勢か? ルークは状況を鑑みて、この相手を薙彦に任せることにした。
「俺はアドベラをやる。そっちは任せた!」
「わかりました」
ルークは地を蹴り、ヘルの援護に向かう。その背中にグエンがナイフを投げつけようとするのを薙彦は遮った。
「おっと。私の獲物はあなたですよ賞金首」
「ちっ。ならテメエから先に剥いでやるぜェ!」
蛇矛とナイフと薙刀がぶつかり合う。繰り出される大ぶりな斬撃と小刻みな刺突のコンボを、薙彦は最低限の動作で打ち払っていく。
「お前、和国人か? いいね滾ってきた。和国の人間の顔の皮はどんな感触だろうな。その頭蓋は兜ってやつになるかもな? その肋骨はカタナか? わくわくするぜ!!」
高揚感と共に激しさを増す連撃。
自分は大小二つの武器を巧みに使い、対して相手は薙刀という長物を利用するが故に手数で自分に劣っている。だから自分の方が優勢だ。グエンはそう思っていた。
「やれやれ。確かにこれでは差し込むのも難しそうだ。ですがまあ――」
だが、それで技量の差は埋まらない。
見せつけるような隙。そこに誘われた大振りの一撃。その陰にはナイフの刺突が隠れている。
その攻撃を、強い踏み込みからの横薙ぎで始末した。
長い打ち合いで劣化した蛇矛が砕け散る。
弾かれたナイフが宙に舞う。
グエンは己の手から無くなったそれを目で追った。鮮血の舞う中、薙彦はすまし顔を一度も崩さなかった。
「……ア?」
「――はい。これでおしまいです」
薙刀が振るわれる。
弧月閃。
暗闇に綺麗な円弧が描かれ、殺人鬼の胴体を上下に分け隔てた。
「……ッ!」
下半身が倒れ、上半身が落ちていく。
傾く視界。軽い音を立てて落ちた得物。殺人鬼の目に写るは軽快な表情のまま薙刀を構え直した和国人。その後ろにいる死人めいた女を中心に収め、殺人鬼の上半身は汚水へと沈んだ。
「あっ。首を獲るのを忘れてました……。まあ、後で拾えばいいですか」
それを見て自分のうっかりを嘆く薙彦。彼は気持ちを切り替え、ルークの方を見て――
「……あらら。相変わらず世話を焼かせますね」
薙彦はそう呟き、歩き出した。
◇
風の刃が屍人を裂く。
崩れ落ちる骸から、骨の矢が射出される。
「っ……!」
骨の矢はヘルラージュに命中する寸前、彼女の纏う風の守りによって吹き散らされ明後日の方向に飛んでいく。その後ろから屍人が襲い掛かる。先ほどと違う点は、骨の大剣を振りかぶっていることだ。
「
風の刃を放つ。
それだけで腐った人体は容易く破壊される。今度は念入りに切り刻むことで、再利用も許さない。
「いいねえ。あたしの兵隊相手に粘れるやつはそうそういない」
ルークの見立て通り、状況はアドベラが優位に立っていた。
アドベラは何度も屍人を寄越し、ヘルラージュがそれを倒す度に、その死体から凶器が発生して襲い掛かってくる。そのため攻撃と防御を同時に行わざるを得ず、どうしても攻勢に出ることができない。だからといって範囲攻撃で薙ぎ払えばそれが即座に包囲射撃となって襲い掛かるだろう。
だが屍人の数も大分減った。このまま対処していけばいずれアドベラは前に出ざるを得なくなる。その時が勝負……!
「――でもまあ、そろそろ飽きてきたし変化を加えてみようじゃないか」
そんな考えを見透かしたようにアドベラが手を広げる。
倒れ散った死体の残骸。それらが寄せ集まり、一つの形を成していく。
「
「ここまで死体を弄ぶなんて……!」
「それがあたしの本懐さ! くだらない自重を強いる相互監視も、面倒な規制を強いる魔導局も目障りなんだよ」
3メートル超の巨体が腐肉をまき散らしながら起き上がる。その瞳には、アドベラと同じ邪悪な光が宿っていた。
ヘルラージュは風の刃を放つ。それは屍巨人の肉を抉るが破壊には至らない。やはり耐久力が格段に上がっている。
一体どうするべきか。
冷や汗を流すヘルラージュの耳に、駆け寄る足音が届いてきた。
「……リーダー!」
「ルーク君!」
「おっと、一直線にあたしを狙いに来たか」
ルークの狙いは術者たるアドベラだ。彼女を倒せば動く死体は全て停止する。
流石にまずいと思ったのか、アドベラは屍巨人に指示を出す。
ルークをわしづかみにしようと巨屍人が迫る。
その手に掴まれれば、人間の頭程度ならトマトのように潰されることは容易に想像できる。
当然、それは捉えられればの話だが。
彼は冷静に状況を見据え――飛んだ。
右肩。左肩。そして首。
滑るように繰り出された一閃は、腐肉を容赦なく切り裂く。
「……!」
だが切断には至らない。痛覚を捨て去った巨屍人はよろめきながらもルークに腕を伸ばす。ルークは飛び下がってこれを回避する。ルークは内心で己の未熟に舌打ちした。これが仮にアルフレッドならば一撃で核を抉り、屠っているはずだ。ヘルの隣に立つ以上、妥協は許されないというのに。
「
そんな彼の焦りを吹き飛ばすように、荒れ狂う風が巨屍人の切断面へと吸い込まれる。既に裂傷を負っていた箇所がさらに切り刻まれていき、腐肉の巨体が大きく削げた。
「サンキューッ!」
フォローをしてくれたリーダーに感謝を述べつつ、ルークが巨屍人の首を落とす。
途端、縫合の解けた腐肉はばらばらに崩れ落ち、その多くは汚水に大きなしぶきを立てて沈んだ。
これで障害は消えた。
ルークはアドベラ目掛けて突撃する。
アドベラはキメラの死骸の前に屈みこみ、手を突っ込んでいた。
「あら? もうやっちまったのかい? 随分と早いねえ」
アドベラは足止めがほとんど機能しなかったというのに、愉快そうに笑っている。彼女の手には不吉に脈打つ肉塊が握られている。キメラの死骸から抜き取った心臓だ。それは呪力によって光り輝いていた。
……足止めには、十分な時間だった。
「だめ! ルーク君!!」
「頑張ったご褒美だ。受け取りな!」
アドベラは躊躇なく手に持った肉塊を投げ放つ。
ルークはそれの危険性を察知し、回避行動を取ろうとして、
――がくん。
「……!?」
その動きが止まり、爆発に巻き込まれた。
呪いの風。煉獄の炎。肌を焼く血。
魔獣という最高級の触媒を以って作られた爆弾は、容赦なくルークの身体を蹂躙した。
「ぐあああああっ!!」
「ルーク君!」
焼けた身体が地面に転げ落ちる。
ヘルラージュ謹製のスーツのおかげで、かろうじて命は繋がっていたが、戦闘不能と呼ぶには十分すぎる有様だ。
「あっははは!」
アドベラの哄笑が響く。この上なく耳障りな声に歯を食いしばりつつ、先ほど感じた不可解な遅延とも呼べる感覚の正体を探る。
だが何故あの爆発をもろに受けた? あれは躱せるだけの反射があった。爆発のダメージを受けることは覚悟していたが、それでも戦闘の続行に支障はなかった筈だ。
「ごほ……ッ! がは……ッ!!」
「ル-ク君、しっかり!」
ヘルラージュがルークの下に駆け寄って回復魔法をかける。
だが、アドベラは無駄な足掻きをみるようにせせら笑った。
「健気だねえラージュの嬢ちゃん。だが無駄だよ。愛しの彼氏はもう助からない」
「……なに、これ」
傷は癒えた。だがルークの身体は未だ重く、起き上がることができない。
ヘルラージュはルークの身体を蝕むものを目視できてしまった。不明瞭な力の流れ。それがルークの身体を縛るようにして蠢いていた。普通の人間の目には見えないが、古神交霊術に精通したヘルラージュにはそれが見えていた。
「何ッて、呪いだよ。カースィムのやつが張り付けた応報の呪い。それをあたしが起動してやったのさ」
「あいつか……!」
聞き覚えのない名前だったが、それが誰かはすぐにわかった。
《サバト・クラブ》に属していた呪術師が、倒れ際にルークを指さした。何のことかはわからなかったが……それが呪いであったとは。それと同時に、先ほどからの体にのしかかる重さの正体も判明した。グエンとの切り結びの際も、妙にグエンの速度が増したと思っていたが、実際は戦闘を始めた直後にアドベラがルークに対して屍人の相手をしている最中に呪いを起動させており、それがじわじわと効いていたのだ。
「傷は癒えても一度起動した呪いは加速度的に生命力を奪っていく。せいぜいあと三日が限度ってところさ。あとは、ラージュの嬢ちゃんあんただけだよ」
舌なめずりをするアドベラ。それを、ヘルラージュは真っ向から睨みつけた。
「今すぐに呪いを解きなさい。さもないと殺します」
「あらあら威勢がいいこと。そんなにその坊やが大事なんだねえ」
「とぼけないで。呪いを解かせるなら、
「おやおやよく知ってるね。でも無駄。それを起動したのはあたしだけど実際に術式を仕掛けたのはカースィムだ。奴に解かせない限り意味はないさ。でもアイツは恨みが強いから絶対に解かないし、そもそもそれは殺しても解ける類のやつじゃないよ。そしてそんなことをあたしがベラベラ喋っているのは、もうアンタたちはここで死ぬからだよ」
アドベラは脊髄を芯に血で編まれた呪鞭を構える。これまでに多くの人間を傷つけてきたであろうそれは、ヘルラージュの魔法防護を易々と突破して、その身体に傷を刻むだろう。そうなれば後は純粋な殴り合いだ。ヘルの魔力が途切れた瞬間、命運は尽きる。
そんな事は許さない。ルークの心が憤怒で満たされる。彼は己の心を蹴りつけ、気合で立ち上がった。
「ルーク君!? 駄目、今は大人しくしてないと……」
「へえ」
意外そうに、だが嬉しそうにアドベラは息を漏らした。
「お互い健気で妬けちゃうねえ。ま、二人仲良くいたぶってやろうじゃ――ッ!?」
アドベラは悪寒に襲われ、咄嗟にその場を飛び退いた。数多の死線を潜り抜けた勘。それが左腕を代償に彼女の命を救った。
「何、あたしの、て、が……ッ!?」
アドベラの左の肘から先が消失した。
「あら、もう少しでしたのに。運がいいのですね」
「小娘ェ……!」
ルークは朦朧とする意識の中で、ヘルラージュが勝ち誇った顔をするのを見た。どうやら今の一撃は彼女が行ったらしい。
ヘルラージュは先の会話を始めた時から魔法を行使していた。ヘルズラカニト。対象の周囲の空気を破裂させ、窒息に追い込む風魔法の奥義。それを、彼女はアドベラの足の先から頭上まで余さずに適用させた。広範囲に発生した真空は周囲の空気を高速で引き込み、無数の風の刃を生じさせる。そして中に存在した物質はまるで包丁で輪切りにされる大根、あるいはミキサーにかけられた果物のように跡形も無く切り刻まれる。結果だけを見れば白翼の王が振るう空間破壊と同様の御業。古き風の神による断罪。それが、三十秒という長い準備時間と範囲の固定化によって実現する、ヘルラージュの持つ正真正銘の
ヘルラージュが普段この魔法を使用することは無い。その厳しい条件もあるが、なにより手加減ができない。命中すればどのような相手であろうと破壊する処刑奥義を彼女は好まなかった。
だが、彼女はその禁を解いた。
命を冒涜しつづけるから。
姉を狙っているから。
そして、彼を傷つけたから。
最早、彼女がアドベラに容赦する道理は一つとて存在しない。同じ死霊術の使い手として、彼女の蛮行をこれ以上許すつもりはなかった。
手ひどい反撃を受けたアドベラの顔に余裕はない。ヘルラージュを格下と侮っていた。神童と謳われた姉よりも見劣るからと、油断した代償だ。だが幸運にも命を繋いだ。ならば殺せる。失った左腕も、奪えばいいだけの話。
「嘗めた真似してくれたねェ……!」
一度受けた以上同じ手は喰らわない。そもそも長い準備と莫大な魔力を必要とする先の魔法を二度は使えないだろう。そんなアドベラの見立ては正しい。先の奥義でヘルラージュは大きく魔力を消費し、それ以上に術式の制御によって体力と精神力が尽きかけている。
「私のルークに手を出そうとしたのです。その報いとしては軽すぎるわ」
だがヘルラージュは挑発を続ける。次の一撃を躱す力すら残っているかどうかかだが、それでも余裕の口ぶりを崩さないのは最後に残った意地である。それが己と、彼を奮い立たせているからだ。
そんな二人を蹂躙しようとアドベラは鞭を振り上げ――、その動きが硬直した。
「……え?」
アドベラは自分と繋がる何かが途切れたような錯覚を感じ、その方向を見た。
そこには薙刀を構えてこちらにやってくる和国の男が一人。
先ほどまで切り結んでいたであろう殺人鬼の姿は……ない。
「薙彦……」
「おっと、不覚をとってしまいましたか。相変わらずこういうところで運がないんですからあなたは」
「うるせえよ……」
「で、後はあれだけですね?」
「そうだよ。さっさと頼む」
「かしこまり」
薙彦は薙刀を構えた。それでアドベラは我に返る。
「……ああ、死んだか。都合のいい犬だったけど、死んでしまったものはしょうがないねえ」
心底惜しそうにアドベラは息を吐いた。
相手が二人だけなら問題は無かった。片や瀕死の男と、片や消耗したラージュの女。所詮自分の呪いの敵ではない。だが、そこの薙刀の男は別だ。手傷がないのを見るに、グエンを無傷で仕留めたのだろう。噂に聞くナギナタボーイ。その実力は計り知れず。
となれば、彼女のとるべき行動は決まっていた。
「さて、ルークも病院に放り込んでやる必要がありそうなので、さっさと殺しましょうか」
「はっ、嫌なこった」
その言葉と共に骨鞭が振るわれ、薙刀が迎え撃つ。
一撃。
二撃。
呪いによって形作られた冒涜の武器は、その神技の前に砕け散った。
――三撃。
薙彦はアドベラの身体を袈裟懸けに斬り捨てる。
二つに割れ、崩れ落ちるアドベラの身体。
人皮のローブもまた地面に落ち――、
「……これは」
「いけない! 身代わりよ!!」
人の皮を用いた身代わり。
かつてあのアルカナをも欺いた、アドベラの切り札。これまでに貯めた触媒を消費せざるを得ないが、命には代えられない。薙彦の卓越した技前を知る彼女は即座に逃げの手を打った。
「――何を寝てやがるグエン! 最期の仕事だ! 働きな!!」
少し離れた地点に立ったアドベラが叫ぶ。
その言葉に応じて、残った殺人鬼の下半身が跳びあがった。生前、彼も知らぬ間に結ばれた契りが脳を失ってなおその肉体を動かした。
「な……っ!?」
グエンの下半身はそのままルーク達目掛けて走り寄る。
薙彦は後ろを向かずに薙刀を振るった。
薙刀によって縦に分かれるも、それは迫る破壊を速めただけだった。
肉の残骸が膨れ上がる。
内包された呪力が破壊をまき散らす。
誰かが止める間もなく、血と肉の榴弾は最後の役目を果たした。
「またですか……っ!」
「じゃあね、お嬢ちゃん達。そいつがいつまで持つか見ものだよ……!」
瞬く間に笑い声が遠ざかる。
ヘルラージュの風の護りは、今回の呪いを完璧に防いでいた。
だが、ルークにかけられた呪いは未だ健在。
「ちく、しょう……」
「ルーク君、しっかりして……!」
勝利を収めたが、決して喜べるものでは無かった。
〇アドベラ
ぶっちゃけ中ボス。
なんか筆が乗って背景がめっちゃ増えた。実はルーク達との遭遇はアドベラ側にとっても想定外だったため、その戦力は本来の半分である。
〇グエン
こいつはそこまで背景考えてない。殺人鬼カップルっていいよねって理由でアドベラと組むことになった。