『一日目のおまけ』
一日目から紆余曲折あった帝都の夜。
各地で思い思いの時間を満喫し、日が落ちたことで宿屋へと戻ってくるハグレ王国の仲間たち。女所帯、それも成人しているかも怪しい少女の多いハグレ王国ではこっそり
そうして皆が集まった夕食時。
さあ食事だ――という前に、一同の視線は見慣れぬ人物に注がれていた。
本来ならルークが座ったであろう椅子に、そこには和国人の青年が着席している。
「という訳で、こちらルークの昔仲間の薙彦くんです」
「皆さんお初にお目にかかります。不肖、始末ヶ原と申す者でございます。短い間ですが、なにとぞよろしくお願いします」
協会でルーク達三人を置いて宿屋へとやってきたエステル達は、しれっとアルカナ達も交えて夕食を取ることになり、そのまま皆と薙彦の顔合わせも兼ねることにした。
「薙彦くんでちか……うんうん。中々強そうな面構えでちね」
「貴方がハグレ王国の王様ですね? 流れ者の身である私が貴方のようなお方とお目通り叶うとは望外の喜びです」
「うむうむ!」
うやうやしくお辞儀をする礼儀正しい様子は、まさに上下関係の礼節を重んじる和国の人間のそれである。
王国の仲間たちは事前にある程度ルークから評判を聞いている。だがそこから出てくるエピソードは卓越した武を持つ和国人であることと、常に文無しであるロクデナシという二面性に極振りしたものばかり。
そんなわけで多少は身構えていた面々も、彼の予想外のまともっぷりに驚く……筈だった。
「しかし噂には聞いていましたが、目麗しい方々ばかりだ。どうでしょう、親睦を深めるためにも後でお嬢さんたちとは一人ずつじっくりとお話をしてみるというのは」
「とまあ、こいつはこのようにナンパ野郎だ。皆、騙されるなよ」
築けたであろう好印象を自ら秒で粉砕する薙彦。その様子を見て皆は「ああやっぱりそういうやつか」という顔をする。
そんな薙彦の肩をジュリアの右手が押さえつけている。そして左側にはエステルが座り、彼の両脇をがっちりと固める。無論彼が逃げ出したり何らかの抵抗を行わないようにするためだ。
ではこれから何が行われるか? それは彼を仲間に迎え入れるに当たっての禊である。
「ひ、久しぶりだね……」
少々気まずそうにアルフレッドが話しかける。
ゴーストハンターとフリーランサーと専門分野は違うものの、どちらも魔物を主に相手とする職業柄顔を会わせることが多く、ハグレと和国人という帝都にとってはどちらも余所者であることからいくらかの交流があった。最も、それに付け込んで借金をしたのがこの爽やか系ダメ人間なのだが。
「はは。あの時以来ですねアルフレッドさん。見違えるように精悍になって、随分と腕を上げたようですね。そしてそちらのお嬢さんはもしや……」
「ふーん、あんたが薙彦ねえ。どうやらうちの弟が色々と世話になったようじゃないか」
「ね、姉さん。流石に手荒な真似はやめて……!」
どこか剣呑な雰囲気で知人へと絡みに向かった姉に弟が制止の声をかける。ほとんど窮地だというのに当の薙彦はいたって平静であった。
「安心しなさい。流石にここでドンパチやるつもりはないから」
「よかった……」
そうしてジーナは愛用の鍛冶ハンマーを取り出した。
「ただ一発ガツンといってやるだけよ」
「ハンマー持ち出して言っても何も安心できないよ!?」
「でもあんたコイツに二千五百Gも貸したっきりなんでしょ」
「確かにそうだけど……でも、彼には何度か助けてもらっているんだよ」
「そう言って何でも許すのはあんたの良いところだけどね。金の問題となると流石に見逃せないね」
「だとしてもこれは僕個人の問題だろう!? なんでそこで姉さんの方が怒るのさ……!」
「アルがそういう問題を放っておくからだよ。やられた時はちゃんとやり返さないと痛い目を見るのはあんたもよく知ってるだろ」
「おやおや、姉弟で喧嘩は良くないですよ」
「「誰のせいだと思ってる」んだ!」
「ひゃー、やっぱり碌なことにならなかったわ」
「なんちゅう問題抱えた人を連れてきたんでちか……」
「仕方ないでしょ。どの道アレと協力する以上はいずれ付きまとう問題だし」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出したあたりでエステルはデーリッチ達の方へと逃げてきた。古来より他人の金銭問題と色恋沙汰に首を突っ込むとろくなことにはならない。
「ところでルーク君は大丈夫なんでちか?」
「呪いを受けたんだろう? 回復魔法を使える人を誰か連れて行った方が良いんじゃないか?」
「……あー、うん。気遣い嬉しいけど、ちょっとドジっちまっただけでさ。多分すぐに治るよ」
「でも心配です。ポーションの差し入れぐらいなら……」
ここにいない彼の身を案じているのだろう。ローズマリーやベルが看病を申し出るが、向こうでは二人の仲睦まじい展開が繰り広げられている。そこに誰か一人でも入れてしまえば、今後の人間関係がギクシャクする可能性がある。というかこういうのに耐性が無さそうなマリーと純粋無垢なベルは絶対に向かわせてはならないとエステルは堅く決意する。
「大丈夫大丈夫! 先生がちゃんとした処置をしてくれたから! 朝になったらピンピンして顔出してくるって!」
「まあ足腰は立たなくなってるかもしれませんがねえ」
「お前は黙ってろ!」
内緒にすると決めた矢先に口走ろうとする阿保を黙らせる。
何やら必死な様子のエステルを怪訝に思いながらも、ローズマリーは当のアルカナに尋ねた。
「……それで、実際彼は大丈夫なんですか?」
「――んー? 別に問題ないさ。ラージュ姉妹にそのあたりの対処は任せたからね。呪術という括りなら私なんかよりもよっぽど詳しいさ」
「そうですか……」
「人払いもしたから邪魔が入る心配もない。彼女たちはじっくり専念できるってわけ」
アルカナが自信を持って言えば、ローズマリーもそれ以上の追求は取り下げる。
(((あれ? でもそれって
少々よからぬ状況が頭をよぎったが、流石に口には出さなかった。
二人の仲を耳聡く気にしていた者達はある程度察していてもおかしくはないだろうが、この辺りは余談だろう。
「それで、今日一日どうだった?」
相も変わらぬ賑やかな時間が過ぎ行く中、アルカナはデーリッチへと感想を尋ねる。
「楽しかったでちよ! お店を回るのも、美味しいものを食べるのも、もぐらたたきも、帝都の人たちとお話するのも全部楽しかった! 多分皆もおんなじ気持ちでちよ」
「……そうだな。それなら君たちを招待した甲斐がある。仕事じゃなくて、お祭りとして楽しんでくれるならこっちとしても嬉しいよ」
笑顔の即答にアルカナも思わず破顔する。
「帝都は楽しい事がいっぱいでち。三日間だけじゃ全部回り切ることなんて全然できないくらい。ここだけでそうなんだから、きっとこの世界にはもっとたくさんの楽しいことが溢れているんでち。
――でも、そう思わない人も多くいる。
こんな楽しい祭りの日に、よくないことを企んでいる人たちがいる。この違いは一体、何なんでちかね……」
「……その理由は、君もよく知っているんじゃないか?」
「それはそう」
ハグレ王国も最初は結構うさん臭い目で見られたものでちからねー、と重くなりかけた雰囲気を持ち前のお気楽さで中和するデーリッチ。
その姿を見ながらアルカナはしばし黙考する。
解放戦線が台頭して一か月弱。
未確認のハグレが増える一方で、ハグレ住民の失踪情報も相次いでいる。
それらの多くは解放戦線に加わっているのだろう。だが、それと同時にこの世界とは別の世界へ渡ったというのは少なくないだろう。マクスウェルから召喚術の知識を仕入れ、あの水晶洞窟で次元接続の術に干渉できるだけの腕を持つジェスターであれば相互ゲートを実現できてもおかしくはないし、それだけの条件が無ければアプリコやハグルマが加わっていたとは言え、この世界の悪意に晒されて猜疑心を深くしたハグレ達を味方にすることは難しかっただろう。
彼らが一体どのような思いでこの世界を離れたのか、想像に難くはない。一刻も早くこの世界の窮屈な暮らしから抜け出して、心機一転の新天地生活を夢見ていたことも容易に思い浮かぶ。
だが、それは果たして本当に彼らの幸福に繋がっているのだろうか。元の世界に帰れたのならいい。だがただこの世界に対しての反感のみでどことも知れぬ別の世界に旅立ったというのなら、それはただ同じことの繰り返しではないのだろうか? そしてそれを自己責任の一言で片づけられるほど、この問題は単純じゃない。ハグレ達にこの世界からの脱出を選ばせるに至ったすべての要因は、この世界の歪さにあるのだから。すべての責任は、その歪みを止められなかった自分にあるのだから。
「……一つ、聞いてなかったことがある」
「なんでちか?」
「デーリッチ。君はどうして、この世界を受け入れられたんだい?」
試しとばかりに、アルカナは目の前の王様に問いを投げかけた。
軽く答えるには深刻な、さりとて重要な意味を持たない問い。
かつて聞いた答えを再び訊き返すだけの行為。
だがアルカナは、ふとこの小さな王様がハグレたちの国を作り上げようと決意するにまで至った思いを改めて知っておきたくなったのだ。
「……それは、ちょっと分からないでちね」
「分からないか」
答えにたいする簡素な問い返しに、デーリッチはうん、と首肯する。それから、自分の短かなこれまでの道のりを語った。
「デーリッチはこの世界に召喚されてからの記憶しかないんでち。ひとりで一日を生きていくのでいっぱいいっぱい。ひもじい時は苦しかったり寂しかったりしたけど、『憎い』って思ったことは無かったんでち」
その答えを聞いて、アルカナの脳裏にある事象が思い起こされる。
元の世界の記憶の消失。
多くのハグレにみられるこの症状は、ハグレ達を苛む一方で、かつての世界への執着を断つという側面もある。かつて大陸の人間に近い姿のハグレがこの世界に馴染めない一因には、その記憶の有無があるという説まで立てられたことがある。
デーリッチもまた、その例に当てはまるハグレの一人。少なくとも、王国の仲間たちに元の世界の記憶を語ったことは無い。
では、記憶があればハグレ王国はできなかったのだろうか。
元の世界へ帰ることを求めて、この世界を憎んだのだろうか。
……それでも、答えは変わらなかっただろう。
アルカナは何となくだが、そう確信していた。
「でもすぐにデーリッチはローズマリーと出会って、そこからは二人で旅をしてきたんでち。だから、この世界での思い出はローズマリーとの思い出。ローズマリーと一緒に暮らしてきたこの世界は、デーリッチにとっては楽しいものだったんでち。そんな世界をもっと楽しく生きられるように。楽しくないと思ってる人たちも楽しめるように、デーリッチはハグレ王国を作ろうと思ったんでち。だから、アルカナちゃんが期待したような答えじゃないかもしれないけど……」
「いや……ありがとう。とても立派な答えだ。千点あげちゃう」
「それ何点満点でち?」
「百点満点中の大満足点だよ」
守りたいものができた。この世界での居場所ができた。この世界に、居たいといえるだけの理由ができた。
ただそれだけで、人は自分のいる世界を好きになれるのだ。
だから、デーリッチがこの世界で生きようとする理由も、そう大したものでは無く。
どこにでもいる子供が考えるような、ささやかな願いなのだろう。
「人は、人との間に居場所を見つける。……そうできなかったのが、アプリコ達か。彼らはこの世界を憎んでいるが、元の世界にも別の世界にも戻る選択肢はない。それをしたところで、同じことの繰り返しになるだけだと彼らは心のどこかで分かっている。だから、彼らはこの世界に牙を剥いたんだ。自分たちの居場所がないのなら、せめて生きた痕跡だけでも残そうとあがいている」
「うん。でもそれは、きっと駄目なことなんでち。召喚術で成り立ったこの世界が、間違っている……ローズマリーやみんなと出会えたこの世界が、間違っているなんてデーリッチは思わない。だから、間違いを犯そうとしているハグレの皆を、デーリッチはハグレ王国の国王として止めなきゃならん」
ただ、出会いに恵まれなかっただけの違いなのかもしれない。
この世界に来て間もなく善き理解者と出会えた幸運もあるだろう。だがそれ以上に、デーリッチはきっと、自分の為に誰かを憎むことはできない生粋のお人よしなのだ。
「そう言ってくれてありがとう、国王殿。それじゃあ改めて頼むとしよう。
――どうか。この街を、この国の人々を守ってほしい。
帝国はこれ以上勢いを伸ばすことは無い。召喚術に頼り、よそから持ってきた技術が無ければ発展の見込みがないこの国は既に全盛期を通り越し、今や衰退の一途をたどるのみ。最早、私がその行く末を見守る理由は無くなった。
……それでも、この国には懸命に生きる人たちがいる。
白翼の一族が抱える命題を考えれば、自ら衰退の道に足を踏み入れた帝国を見守る理由は無かった。
それでもこの国に居続けたのは、いずれ来たる戦火と、そこから伝播する破滅の光景を防ぐため。
人を超越した視座で垣間見た、
それは人間を自分を迎え入れたこの国とその価値を認めた皇帝への義理であり、この世界に拉致され虐げられる異世界人たちへの憐憫でもあった。
要するに、アルカナはこの世界をどうあがいても見限れなかったのだ。
宮廷を引きずりおろされた時は「もう駄目だなこの国」と思いながらも、最後に何かできないかとなんだかんだと召喚士たちの監視を務め、「マジ死ねばいいのにクソ貴族ども」と保身で腐敗する協会の幹部たちに悪態をつきながらも自らはハグレ達の地位を守ろうと努めた。
全ては、人の輝きを証明するために。
未来を救う術を探し続けた星詠みの賢者は、深く頭を下げて新たに見出した星に願う。
ハグレの王はその相変わらず深刻な振る舞いに呆れながらも頷いた。
「別にそんなにかしこまらなくてもいいんでちがねえ」
「はは。大人になると背負いたくないものも背負う羽目になるし、。それで、どうかな?」
「う~ん、いつもアルカナちゃんの頼みを聞いてばっかりだから……それじゃあ、デーリッチからも一つ提案するでち」
「なに? 他ならぬ君だ、できることなら何でもしよう」
「ハグレ王国でもお祭りをやるんでち! この世界に来て辛い事や悲しい事は沢山あるけれど……それでも、この世界に来たことを嫌なことだとは思ってほしくない。例えこの世界からいなくなることを選んでも、『この世界に来てよかった』と思えるような、そんな楽しいお祭りがやりたいでち!」
いつもと変わらぬ眩いばかりの笑顔で告げられたその言葉は、とても偉大な宣言のように聞こえた。
「……うん。それはいい提案だ。本当に、いい提案だ。この騒動にケリがついたときには、私たちでハグレのための祭りを開催しよう」
アルカナはデーリッチに歩み寄り、その小さな体を抱きしめた。
◇
『二日目 ~黒天礼賛~』
帝都某所。
密かに築かれた地下礼拝堂にて、黒ずくめの男たちが怪しげな儀式を執り行っていた。
地面に描かれた魔法陣と、その周囲に置かれた蝋燭。
そして魔法陣の中心には、ズブーブヤドクカエルの干物にサンサーラニシキオオヘビのスープなど、食用ではない素材によるす気味悪い見た目をした供え物が用意され、さらには見麗しき少女が一糸まとわぬ姿で縛られ、転がされている。
絵に描いたような怪しい儀式の正体は、まさに悪魔を召喚する怪しい儀式である。
彼女の役割は贄。
これから彼らが降臨させる悪魔と契約を交わすための生贄である。
――悪魔崇拝。
この世界には多くの神がいる。三つの世界樹にそれぞれ座す神、魔法使いからその力を求められるセドナを始めとした四季を司る神、戦の主神オーディンなど数多の神霊が存在している。挙句には下界に降りて実際に姿を現すことも珍しくないこの世界において宗教も多様性を認められている。帝国の国教は聖十字教ではあるが、冒険者たちが様々な神々を信仰し、世界樹が認められていることがその証だ。
しかし、何事にも例外は存在するもの。
「悪魔」とカテゴライズされた存在を信仰する者達は、常に異端として世の陰に隠れ潜んでいる。
彼らもまさにその
サバト・クラブがはぐれ魔術師の集まりであるならば、彼らは邪教徒の集団。
《丑三つ時処刑互助会》
貴族や聖人など世界に影響を与える権力者を暗殺し、その血を贄として悪魔や邪神を崇めるカルト教団。
魔界、冥界、あるいはこの世界のどこかに存在する悪魔邪神。
彼らから恩恵を受け取るために彼らは他者の血を捧げる。
貴き血であればなおよい。純潔なる血であればなおよい。
今回生贄として選んだ少女もそれなりの商家の娘。あらかじめ目をつけておいた候補の一人で、この式典前の喧騒に乗じて攫ってきた。
「"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"――」
黒い布で全身を覆った男が錆びた血で紅く染まったナイフと青く燃える蝋燭を掲げ、真言を朗々と諳んじる。
彼を取り囲む十数人の人物がそれを復唱する。彼らの服装もまた、黒いローブを被りその素性を覆い隠している。
「"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"…………諸君、時は満ちた」
邪教徒たちが僅かにざわめき立つ。
彼らは元々、この世界の競争に負けた者達である。
貧困にあえいだ農民が。倒産した商人が。パーティを追放された冒険者が。あるいは政争に敗北した元貴族が。
今も尚平穏を享受する帝都への憎しみを晴らし、現状を苛む苦しみから解放されるために、彼らは自分たちに都合が良い神を崇める。
「"月に翳る金星、姉妹星を呼び起こし、その彼方より破壊の黒天が来たる。空に混沌が満ち、地上を覆う破壊の後に使徒たちはまことの秩序を敷く"
――即ち、今夜だ」
リーダー格の男はその喧騒を手で制止し、声を張り上げた。
彼の背には3つの顔と6つの腕を持った禍々しくも荘厳な像が聳え立ち、彼らを睥睨していた。
「さあ、さあ! 準備は整った。祈りを捧げよ、真言を唱えよ。そして忌まわしき資本主義に生まれし生娘の血を贄として、偉大にして荒ぶる我らが神をここに招くときである!」
"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"――
不気味な、だが神聖なる真言を唱える声が何重にもなって石削りの空間に響き渡る。
深く眠り薬を盛られた生贄の少女は目覚める様子を見せない。このまま罪なき娘は哀れにも自らの置かれた悲劇に気が付くことなくその命を絶たれてしまうのか!?
「"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"、"オンリ・マカラキャリヤ・ソワカ"――」
「ホーウ。それで、一体誰を呼び出そうとしたのカナ?」
ナイフを振り上げた男の背後から声がする。
それでいて冷ややかな、この場には到底似つかわしくない声。
慌てて振り向いた男は、自らの後ろに顕れたその姿に目を剥く。
透き通るような銀色の髪と、翡翠の如き瞳を怪しく輝かせる美貌。
煽情的かつ原色を使った道化めいた衣装に包まれた、見る者を誘惑するしなやかな肢体。
そしてそれらよりも目を惹くのは、宙に浮かぶ巨大な白い両手。
「何やら面白そうなことをしているな。手繰る魂のイリス、此処にまかり越してやったゾ」
悪魔の主は心底嘲るような声で、自らの正体を口にした。
「冥界姫イリス……!」
「まさか御身のような存在が降臨するとは……!!」
「あれ、でも呼び出すのコレだったか?」
ビッグネーム中のビッグネーム。その強大さに名すらも抹消されかかるほどの大悪魔を召喚した事実が、邪教徒たちの間に多大な興奮と少なからぬ困惑を齎した。
――その時、魔法陣が光り輝く。
「何ッ!?」
「
「おお、我らが望む破壊と災禍を齎す神が来たると言うのか……!」
「あれ、でもそれじゃあ
地下室は瞬く間に眩い光で満ち、そして――
ぼふん。
もうもうと巻き上がる煙。
その中に薄らと見える、不可思議な人影。
「おお、我らが黒天よ――」
その中心からゆっくりと姿を現したのは――――、
「はーい、皆さんに福を与えに来ましたよー」
純白のレオタード。
掲げた小槌。
背負っているのは「福」と書かれた大福袋。
ハグレ王国の
「……え、福?」
「はい。福の神です」
思わず漏れた言葉に肯定される。
おかしい。自分たちは邪神を呼んだはずだ。なのに現れたのは福の神。どう考えても真逆の存在に、彼らは本気で困惑した。
「な、何故!? 我々が呼ぶ予定だったのは禍ツ黒天――」
後ろからコツコツと足音が聞こえてくる。微かな冷気と共に礼拝堂の入口から現れたのは――
「どうもー。皆さんの取り立てに参りましたー」
「……え、妖精? 妖精なんで?」
冷たき妖精、プリシラである。
さらに入ってきた別の種族の姿に、最早このカオスな状況を整理できる人間はこの場にいなかった。
「――まあ、あれだ」
冷え冷えとした声。
そこで彼らはようやく気が付いた。
ここは元々地下ゆえに温度の低い。そのために気づくのが遅れたが、自分たちの手がかじかんでいることで周囲の変化に理解が追い付く。
この洞穴は、いつの間にか真冬の如き冷気で満たされていた。
「運が悪かったナ。お前たちの神サマは忙しいんだとよ」
悪魔の姫君が心底おかしそうに嗤い、その手から冥界の冷気を放出した。
……数分後。
ギイ。と古ぼけた扉を開け、ハグレ王国の三人は通りに姿を現す。
福の神の腕には拘束を解かれた少女が抱かれ、安らかな寝息を立てている。
彼女たちは誰かの目に留まる前に、そそくさと大通りまで向かう。
その建物の近くを通りがかった者は、皆どこからか漂う冷気に不振を覚え、足早にその前を通り過ぎる。しかし興味本位で中を覗く者がいれば、彼らは人智を越えた力で冷凍庫と化した地下礼拝堂を目の当たりにするだろう。
「しかし最初は邪教の集団に攫われたと聞いてヒヤヒヤしましたが……無事でよかったですね」
「時間ギリギリでしたが、ちょうど一同に集まる時間を特定できたのは幸運でしたね」
「そりゃこっちには福の神そのものがいるからナ。最初から連中はバッドラックだ」
帝都で勢いのある商会の一人娘である彼女が誘拐されたのはつい先日。祭りの中、御付きの人間が暴漢に絡まれた隙に攫われた。父親である会長は一心不乱に捜索の手を出し、どこからか話を聞きつけたプリシラ商会を通じてハグレ王国にも捜索を依頼した。
プリシラが持つ強固な情報網を活用したハグレ王国民の情報収集によって居場所が突き止められ、こうして儀式を執り行う際のレイラインを福ちゃんがジャックする形で乗り込んだのだ。ちなみにイリスは特に儀式とは関係なく、ただ揶揄うために勝手に現れただけだ。
「しかし、アイツらそれなりにいい趣味してたな。うん。どうみても破壊神な奴を自分たちに都合よく曲解できるのは人間特有のイマジナリーだ」
「ところで、なんで彼らの呪文で福の神様が呼びこめたのでしょうか。曰く、彼らが呼び出ろうとしたのはどこかの世界から伝わったと言う
「……さあ。呪文か儀式を間違えて呼び出す存在の性質が反転したのではありませんか? 見た限りだと元々のやり方から随分と都合よく捻じ曲げられていましたからね」
「随分と詳しいですね。同じ神様として分かったりするんです?」
「ええ。流石にあれはちょっと――」
「ちょっと?」
「いえなんでもありません。どちらにせよ、あのような生贄を使って神性を呼び出したところで、自分たちがその力にあやかれるというのは思い上がりです。神への生贄とはすなわち献身。合意の上で身を捧げるならともかく、関係のない命を与えるなどバチ当たりです」
「ふぅん。そういうものですか」
割と強引なはぐらかしであったが、プリシラもそれ以上追及するつもりはない。
人に言いたくないことなど一つ二つは抱えているもの。商売敵ならともかく、この一件の後で帰属する先の仲間にそんな無礼な振る舞いはしない。それが福の神となればなおさら。商人として御利益にあやかるために拝む対象であると同時に、自分たちの頼れる大明神の対等な友人(神?)として礼儀を尽くす相手である。
むしろ彼女としては、その横で何やら笑みを浮かべてはいる冥界の姫君のほうに興味がある。同じ冷気を司る存在としてシンパシーを感じることもあるし、『悪魔』と揶揄されることもある自分が本物の悪魔から見てどう映るのかは非常に気になるところだ。
冥界姫に氷妖精が絡んでいく様子を横目に、福の神は夜空を見上げる。
星々がきらめく夜のとばり。
その中でひときわ輝く満月と、今まさにその陰に隠れようとする小さな輝き。
金星食、と呼ばれる現象が今まさに起きようとしていた。
――この世界に来たばかりの事を思い出す。
自分の知るものとは異なる天界。
突如として現れた播神を見て、地上の人間たちと全く同じような対応をとった神々たち。
背中を預け、袂を分かったかつての姉妹神。
多くの出会いがあった。
敵も、味方も、従者も、信者も、友も。
そのどれか一つでも違えば、今の自分はここにはいない。
故にこそ、思う。
もし、自分が最初から受け入れられていたら。
もし、自分が独りしていたら。
……もし、自分が彼女の手を取っていたら。
神の眼ですら見通せぬ
まるで人間のように想像する"もしも"。
(((貴方はどうしたのでしょうね。御影星――)))
在り得た可能性を想起して、
福の神は、すぐにその顔を脳の片隅に追いやった。
「……あの、アルカナさん?」
「何かなマリーちゃん?」
「なんでデーリッチのお腹に顔を埋めているんですか?」
「いつものことよ。先生は突発的にセクハラ働くのよ」
「人聞きの悪いこというな、エステル。私はただ、この子のお腹に導かれただけで……」
「ああくそ、さっきまですごくいい事言ってたのに台無しだ……」
「くすぐったいでちー」
○丑三つ時処刑互助会
悪魔崇拝カルト教団。
要人を暗殺して、その死体を贄に悪魔を召喚し、その力でさらに暗殺を……という悪魔的サイクルを繰り返し続ける。最早悪魔を召喚したいだけに暗殺を請け負い続けている本末転倒な集団。
非合法魔術ギルド「サバト・クラブ」とは協力関係である一方で、「装甲十字軍」とは敵対関係にある。
10000UA越えたら特別編投稿します。