もしおうさまたちとであえなかったら、
もしまじょのやかたをしってしまったら、
もし……ふくしゅうをやめられなかったら。
そんなふたりのおはなしです。
特別編ゆえ、過去最長です。
クックコッコ村。
とりわけ何の変哲もない牧歌的なこの村では現在、家畜の血が抜かれるという事件が、立て続けに起こっていた。
家畜そのものではなく、肉でもなく、ただ血のみを抜きとって殺す。
どうみても普通の家畜泥棒ではないこの事件に、村人たちは多くの予想を打ち立てた。
曰く、魔物の仕業だと。
特に血を好んで接種する魔物が、この辺りに出現したのだと。
だが、魔物が出たならば目撃情報が上がる。
木こり。狩人。森に出る職業の人間たちからそのような魔物の気配や姿に心当たりはなかった。
次に曰く、吸血鬼の仕業だと。
これは最もわかりやすい。
だがそれなら、彼らが最も好むのは人の生き血であり、村人には誰も被害が出ていないのが不思議であった。
最後に曰く、魔女の仕業だと。
近くの森にある廃墟には魔女が住み着き、生贄として生き血を求めているのだと、住民たちの間ではそう噂されていた。
家畜の死体が見つかったのもこの近辺であり、村人たちの間では魔女が家畜の血を抜いているという噂話はすっかりと広まっていた。
だが事実を確かめようにも、中に入れば今度は自分が血を抜かれてしまうと非力な村人たちは近寄ろうともせず、冒険者もこのような辺境の村のただの怪談を調査しようとは思わなかった。
――この二人を除いては、だが。
この日。
礼服と仮面を身に着けた男と、同じくドレスに身を包んだ女の二人組が、魔女の館へと入っていった。
◇
遡ること半日前。
宿屋の一部屋。
二人の男女がテーブルを挟んで話し合っている。
彼らの身なりは上等だが、しかして逢引などではない。
二人は互いにパーティを組んだ冒険者。一見してそうとは見えないその恰好も、対魔物用の素材を余すことなく用いた一級品である。
「情報を整理するぞ。まず、この村では最近家畜の被害が相次いでいる。それも盗むのではなく、血だけが抜かれている」
礼服に身を包んだ男、ルークはこれまでに集めた情報を整理する。
かつては義賊として活動した過去を持つ彼は、盗賊として接近戦と斥候を担当している。
「そうね。そしてその数は日に日に増えていってるわ」
煽情的なドレスに身を包んだ女性、ヘルラージュは補足を加える。
彼女は強力な黒魔術を操り、遠距離攻撃、回復、補助と一人で多彩な役割を果たすことができる。
それぞれ長所と短所を補い合ったこの二人は、多少粗はあるもののそれなりに長くやってきた熟練の冒険者であった。
「で、それらの家畜が見つかる方角は大体こっちのほう――森だな」
ルークはテーブルの上に広げた地図を指で差す。
この村から牧場を挟んで、離れたところにある森。その奥地にある×印こそが今回の目的地だ。
「ここにあるのが魔女の館。村人たちからはホラーハウスとも呼ばれてる廃墟だ。ここに住んでいる魔女が血を抜いているっていう噂が広まっている。お前から見ても、だいたいその噂は合っているんだな?」
「ええ。血を用いて生命力を得る。あるいは魔術に用いる。魔女の目的はそれです」
「そうか。まあお前の言うことだ、今さら間違っているとか言わないけどよ」
高度な魔術に精通するヘルラージュのことを、ルークは疑いはしない。
黒魔術に傾倒する連中がこのような真似をすることも、彼の経験上あり得ることだ。
だから、彼が懸念するとすればただ一つ。
「だから聞くぜ、ヘル。本当に、いいのか?」
それは彼女ではなく、自分の決意のための問い。
彼女が「是」と言えば刃を振るい、「否」と言えば矛を収めるつもりだった。
その答えは、暗い微笑みと共に返ってきた。
「――ええ。そこにいるのが姉であるならば、私は彼女を殺します」
◇
それまで多く自分のことを語らなかったヘルラージュが自らの過去について語ったのは、ほんの一週間前のことだった。
多くの冒険者が訪れる次元の塔の一角を占拠し、"戦闘員募集"などという触れ込みで自分たちの仲間を探したはよいものの、1か月以上経過しても誰も来なかったことで彼らはその活動を打ち切った。
備蓄が尽きかけた。というのもある。
だが一番の要因は、そこを通りがかった山賊たちからある情報を手に入れたからだ。
――ある森の奥に魔女の館と呼ばれる場所が存在する。
そこは一見廃墟のログハウスでしかないが、中には魔女が住んでおり、夜な夜な周辺の村から生贄を攫っている。その館の周囲には、動く死者が徘徊している。
闇魔術ギルド《サバト・クラブ》とのコネクションを持っていた魔法使いの男か得た情報は大いに怪しかったが、そこからさらに続く情報にヘルラージュが目の色を変えた。
何人かの黒魔術師が調査に向かったが全員帰ってこなかった。
そしてあの《死霊術師》もがその近辺で消息を絶った。
《死霊術師》……アドベラという名の各地で悪名を轟かせる黒魔術師。
聞くもおぞましき闇の魔術を己の欲望のために行使する危険人物。帝都から直々に派遣された精鋭の追跡すらも振り切るほどの実力者として裏社会では知れ渡った存在だ。
そんな人物がなぜ魔女の館などに用がある?
じつはその魔女の館がアドベラのアジトである。可能性としてはなくもないが、それなら消息を絶ったという表現はおかしい。
では一体どうしてか?
アドベラはその魔女の館に求めるものがあり、その場所に赴いた。そしてそこに棲む魔女に返り討ちにあった。
それは『そうなっていたらどれほどいいか』という希望的観測を含んだ予想ではあったものの、前者と比べればまだ納得は行く。
問題は、そんな悪名高き彼女を上回る魔術の使い手がその館にはいるということになるわけだが。
そんな曰く付き度が急上昇した場所にわざわざ行きたがる冒険者はいない。結局は真偽不明の噂に留まっていた。
「だからよ、お前たち腕が立つなら少し偵察に行って来てみたらどうだ? 連中に情報を売るだけでも高くつくだろうからさ」
ふざけんな。
と、普段のルークなら拒否していただろう。
だってどう見ても厄ネタだ。
一文の稼ぎにもならない、ギャンブルですらない自殺行為。
彼は確かに命知らずではあるものの、それは十分生存戦略を張った上での命知らずだ。
外れしかないと公言されているくじを引かないのと同じで、見るからに骨折り損になることが分かっている場所に赴くつもりは毛頭なかった。
だがほとんど冗談に近いそれを真に受けたものがいた。ヘルラージュだ。
最初は耳を疑ったルークは当然引き留めた。
しかしヘルラージュは頑なに発言を撤回しようとはしなかった。普段の小心者の彼女ならば想像だにつかない、確固たる意志がそこにあった。
どうにか説得しようとしていたルークは、その時のヘルの目に宿っていた決意の炎を見て、言いかけていた言葉を飲み込んだ。
そして代わりに、一言だけ問いかけた。
「それは、お前の復讐のためか?」
……彼女は黙って頷き、ぽつりぽつりと口に出した。
魔術の実験事故によって死亡した姉の代わりに自分が家督を受け継ぎ、その裏で両親が姉の復活を試みていたこと。その結果として姉は人の生き血を求める不死者として蘇ったこと。やがて手が付けられなくなった姉を両親は諫めに向かい、殺し合いになったこと。事の成り行きを隠れて見ていた自分は、両親の首を持って笑う姉に怯えを成して逃げたこと。
逃げて、逃げて。すべてを失って、そして両親の仇を取るために復讐することを誓った。
旅を続け、技を磨き、姉の足跡を追う。
そして彼と出会い、共に旅をするようになった。
秘密結社という名を掲げようとしたのも、姉を討つための"悪"になるためだったこと。
でも、それも時間切れだということ。
……魔女の噂は姉の痕跡を示していた。
あまりにも、かつての状況と酷似していた。
それに、自分が尻込みする悪名高い死霊術師を討伐できる術者など、姉以外には考えられなかった。
見つけた以上は、真偽を確かめなければいけない。こんな場所で油を売るような時間はもうない。どれだけこの日々を続けたいと思っていても、そんなことは復讐を誓った自分には許されていないのだから。
長い独白はやがて嗚咽が混じり、最後には言葉の形を成していなかった。
ルークはそれを聞き、長い溜息をつき。
頭を掻いてからこう返した。
「いいぜ、付き合ってやる。まずは情報収集だ、その村に行こう」
そうして彼らはこれまでのアジトを引き払い、件の魔女の館の近くに存在するクックコッコ村へと赴いたのである。
◇
「対アンデッド用の火属性武器。ゴーストハンター公認の聖別済み武器。毒、呪い、あと諸々の状態異常への対策。一通りかき集めてみたが、どうだ。いけそうか?」
ずらりと並べられた数多のアイテム。
それらは一般的な装備から、魔物由来の素材やミスリルなどを用いた上級装備。果ては秘宝と称されるようなマジックアイテムまで、ルークのコネクションを利用して集められたより取り見取りのラインナップ。少なくとも、通常の依頼なら十分すぎる備えである。
「ええ。これなら姉が使役しているアンデッドは敵ではありません。でも、対策をそろえただけじゃ多分倒せない。姉は交霊術以外にも基礎四種の属性を操ることができる。多少の不利程度じゃ、きっと物ともしませんわ」
「っ、そうか……」
ヘルの無慈悲な言葉にルークは悔しげに唸る。
ルークにはハグレのように秀でた身体能力や特殊能力はないし、名うての冒険者たちのように武芸や魔法の才能があるわけでもない。
あるのは冒険者としては長い経験を活かした策略と、ほんの少しだけ他者より優れた素早さと身軽さ。あとはその場その場のアドリブと運で立ち回ってきた。
正面きっての戦いもできるが、それでも一般の戦士役には少し劣る。
だから少しでも有利に進められるようにと準備は怠らなかったが、それでも苦しいと言われてしまうと、自分の力不足に歯噛みする。
「そう悔しがらないで。実は、あなたに贈るものがあります」
ヘルラージュは一本の短剣を取り出し、ルークに手渡した。
「これは」
見たところ、何の変哲もないただの短剣。
柄の先端に嵌められた宝石は中々のものだが、それ以外は平凡と言える。
名工が作った業物でもなければ、遺跡からの発掘品でもない。
精々が魔法で属性を付与しやすいというだけの武器屋で買える装備品だ。
武器性能で言えば、ルークが愛用する短剣のほうが上回っている。*1
「見ての通り、ただの短剣です。ですが、私がある術式を込めました。ある魔術で蘇った存在に対しては絶対に殺すことができる術式を」
「おい、それは……」
それがどういう意味なのか。わからないルークではない。
自分はあくまで手伝い。復讐のお膳立てをするだけだ。
そう思っていたし、そう振舞おうと務めていた。
彼女の手を汚したくはないと思いながらも、それでもこれは彼女が汚さなくてはいけないのだと自分に言い聞かせていた。
けれど、こんなあからさまなものを渡されてしまっては、口実を与えられたも同然だ。
「はい。ルーク君にはこれを託します。姉を討つ手段は、一つでも多いほうがいいから」
「いいのか? ヘル、お前の仇なんだろ」
「それでもです。重荷を背負わせることになって、ごめんなさい」
「いや、いい。大体、こういう汚れ役はいつも俺の役目だろ? なんたって悪党だからな、俺」
「ふふ、そうでしたわね」
ルークが少しおどけて言ってみせると、つられてヘルも笑った。
「……それで、あの。もう一つ、やっておきたいことがあるの。多分、これが一番大事だと思うわ」
「おう。なんでも言ってくれ」
それから何度か逡巡するそぶりを見せてから、意を決したようにヘルは話し始めた。
「姉を、ミアラージュを倒すには彼女をこの世に繋ぎとめているものを断つのが一番です。古神交霊術は信仰を失った神霊を呼び出し、その力にあやかる魔術。禍神を呼び出すために、術者はあるものを利用します。それは"未練"。術者の魂をほんのわずかに贄として、信仰や生贄を失った神をおびき寄せ、その対価として強大な力を操るのです。そして、もちろんそれは死霊にも当てはまります。術者の執着心と相手の未練。それらが合致すれば、より強大な術が行使できるのです」
ミアラージュは、両親が持つ姉への執着によって蘇った。
そしてそれは、ミアラージュもまた現世への未練を持っていたことに他ならない。
それが何についてのものなのか、誰へ対してのものなのか。
ヘルラージュは理解していた。しなくてはいけなかった。
「父の、母の……そして、私の。家族という唯一の未練が、彼女をこの世に繋ぎとめている。だから、姉を倒すためにはまず、この私が、姉への未練を断ち切らなければいけない。私が愛した姉を守るために、思い出は、ここに置いていく」
だから――
その言葉の続きはこない。
その代わりに、ルークの口にはやわらかい感触が伝わった。
少しの沈黙。ぷあ、と触れ合っていた唇が離される。
「え?」
ルークは突然のことに目を白黒させ、すぐに何が起こったのかを理解してヘルラージュを見た。
「おい。今の、お前なにを……」
「――ルーク。私の大事な人。こんなところまでついてきてくれた、掛け替えのない相棒。
私はあなたを愛しています。だからどうか。あなたを私の一番にしてください」
唇の温もりを愛しく思いながら、思いを告げる。
正直、こんなのは対策でもなんでもなくて。
ただの願掛けに便乗しただけの告白で、復讐とか、憎悪とか、お姉ちゃんへの思いを利用するようで申し訳ないと思うけども。こうでもしないと、きっと伝えることなんてできなかったから。
私のために命をかけてくれたあなたに、少しでも恩を返したいの。
泣きそうな顔で告げる彼女。
そのか細い体を、彼は優しく抱きしめる。
「告白ぐらい、普通にやれよな」
数年も燻っていた自分が言えた義理ではないが、と内心自嘲しながらルークはついつい笑みが零れ、おもむろに押し倒すように、ヘルラージュをベッドへと寝かせた。
思いを遂げるのは、彼女の目的を果たしてから。
そう自分に言い聞かせていたというのに。先を越されてしまっては意味がない。押さえつけていた感情が溢れ出す。それが彼女の望み通りなのだから仕方ないと内心言い訳をして、ルークは我慢をやめることにした。
「きゃん」
「ああもう、俺もお前が最初から好きなんだよ。そうじゃなきゃ、こんなところまでついてこねえよ」
「あら、それじゃお似合いなのね、私たち」
二つの影が重なり、夜は更けていく。
◇
そして翌日。
二人は魔女の館の前に立っていた。
「よく燃えそうだな」
顔の上半分を隠す仮面の奥で、ルークは魔女の館を注意深く観察してからそんな身もふたもないことを言い放った。
「火を放つのはお勧めしませんわ。最悪建物内に潜む悪霊が解放されて、一斉に襲い掛かってくる危険があるんですのよ?」
「冗談だよ。んじゃ、突入するぞ」
老朽化した扉は簡単に開いた。蹴破る必要すらない。
朽ちているのは外観だけではない。
天井には蜘蛛の巣が張られ、床板は腐敗が進んでいる。
注意して進まなくては床を踏み抜いてしまうだろう。
もっとも、忍び足など彼らにとっては当たり前の技能だが。
「っと、早速お出ましか」
物陰のそこらかしらから現れるのは、ゾンビの姿をした人形や呪物系の魔物たち。
侵入者を見て襲い掛かってくるそれらは、想定してきた彼らからすれば敵ではない。
剣で斬り、風で刻み、火を着け、吹き飛ばす。
たった二人でありながら、その勢いはまさに快進撃だった。
鎧袖一触。
斃れたゾンビ人形の残骸をヘルラージュは調べる。
「……やっぱり、これは死霊が憑りついていましたわ。それにこの人形の作り方、姉が昔作ってくれたものによく似ています」
「そうか」
調査をすればするほど、情報は確信を近づけるばかり。身内のことだから、いやでもわかってしまう。
ぎしぎしと床を軋ませながら、先に進む。
気づけば、相当奥にまで足を踏み入れており、外部からの構造上、そろそろ魔女のいる場所にたどり着くだろうという予想から、ついつい身に緊張が走る。
「……おかしいな。罠の一個二個あってもいいだろうに、ここに来るまで何一つとしてねえ」
「必要ないんですわ。侵入者を阻むなら、従えた人形と自分が手を下せばそれで済むのですから」
「それなら、むしろ天井や床が崩れないかのほうが心配になってくるな」
気休めに軽口をたたいてみながら、たどり着いた先は大量の人形が収められた部屋だった。
「おいおい。こいつら一斉に襲ってこねえよな?」
「見たところ霊は入っていないようですが……。ああ、そこの後ろ。包帯を巻いている人形です」
ヘルラージュが指差すと同時に、ルークはナイフを投げ放っていた。
「――チッ、気づかれたかよ」
テーブルに突き刺さるナイフ。
そこにあったはずの人形は、斜め上の空中に。
ほぼノータイム・ノ―モーションで放たれた投擲攻撃を跳躍して回避した人形は、返しとばかりにナイフを四つ投げ放つ。
ルークとヘルラージュ、それぞれに二つずつ。ルークに投げられた一つは投擲と同時に構えられていた短剣に阻まれ、もう一つは半歩横をかすめて床に突き立った。そしてヘルラージュに投げられた二つは、彼女の周囲を渦巻く風の障壁に阻まれてカランカランと空しい音を立てて落ちる。
「中々やるじゃねえかあんたら。この魔女様の館を調べ回ってるんだろ? そこのスーツ着た
ヘルラージュの顔に視線が吸い込まれ、人形は瞠目した。
硝子の眼球と、紫の瞳が交わる。
「その顔……クソ、そういうことかよ」
僅かな交錯。それだけで人形はすべてを把握した。
「ここに来た目的はわかった。あんたら、魔女様を殺しに来たな?」
「ええ。私たちはこの館に潜む魔女を倒しに来ました」
「そうかい。残念だが、魔女様の下には行かせねえよ」
どこにしまっていたのか、人形は両手の指にナイフを再び構える。
「……一つ聞くが、アドベラとかいうクソ女がここに来たって聞いたんだが」
「ああ。魔女様が直々に始末なさったよ。なんだ、お前たちの知り合いだったか?」
「いや、面識もねえよ。関わりたくもないやつだったからな。これで安心できる」
「そうかい。でも安心するのはまだ早いぜ? だってこれから、あんたたちは俺に血を抜かれるんだからな!」
襲い掛かるナイフ。
飛んで躱し、短剣で弾く。
ひとつ避け損ねて、防いだ仮面が落下する。
「ああそうだ。もう一つ聞き忘れてた」
「なんだよ?」
「
「……ミアラージュ様だよ。
言い終わると同時、風の刃を人形は掻い潜る。
反撃に投げたナイフはひとりでにヘルラージュを避けていく。
纏う風のコートは、矢を跳ね返す古神の加護だ。
「ちっ、通じねえかよ」
人形は悪態をつきながらもルークの繰り出す斬撃を回避する。
急所を的確に狙うそれは、人形であっても稼動部分が破壊される危険な一撃。
だが距離を詰めたのはむしろルークの悪手。回避際、至近距離で投げられたナイフが右腿に突き刺さる。
ヘルラージュの特製装束のおかげで浅いが、反射的に動きが止まる。
「ぐっ……!」
「そらよ、動きが止まったぜ?」
脇腹めがけて振るわれたナイフ。
そのまま心臓まで貫くと思われたそれは、ガキンという音に阻まれて折れる。
(――鎖帷子か!)
軽装に見えるが、ちゃんと防具は着込まれている。
鎖帷子は基本に、纏うジャケットも魔物由来の素材で強靭。
見た目以上に強い防御力があるのだ。人形が振るうナイフ程度なら、こうして防ぐこともできる。
「ちゃんと内側に仕込んでるに決まってるだろ」
ルークの左袖から滑り出るは細い鉄筒。
人形は訝しむより前に、直感に従って跳んだ。その一秒後にパン! という破裂音が聞こえた。
さっきまでいたところを見れば、脆い床板が崩れている。
「銃……!」
中々見ない武器だ。しかも異世界由来の拳銃と来た。
矢と同等以上の速度かつ、それ以上の破壊力がある。加えて弦を引き絞るような長い予備動作がない。
続けざま、狙いが定められてバン、バンと二つの火花が散る。
(はっ、銃弾なら避けられないと思ったか?)
人形にとって、矢を躱すのも魔法を躱すのも変わりない。
それは見慣れぬ拳銃であっても同様。
音を追い抜く弾丸がどういう軌道を描くのか、手と銃口の向きから予測できる。
むしろ直線しか描かない以上はよっぽど躱しやすい――。
壁を蹴って射線を潜り抜け、その腕にナイフを突き立てようとした瞬間。
バキン。パリン。と人形の左腕と右足が砕けた。
「――は?」
あり得ない角度。あり得ない方向。
完全な死角から襲い掛かってきた弾丸を防ぐ術を、人形は持ち合わせていなかった。
唖然としながら、後ろを振り向く。
人形の視界には、渦巻く風が解けていく様子がかろうじて写っていた。
「そういう、ことか――!」
主の妹君であるなら一流であるのは当然。風を操る、というのがどれだけの精度で行われるのか。飛び道具を防がれた時点で想定しておくべきだった。
人形が躱したと思った銃弾は風壁によって跳弾し、勢いを殺すどころかさらに速度を増して人形の身体を粉砕したのだ。
がしゃり、と落下する身体。
元より人形。手足の喪失感はあるが、痛みはない。
不格好にも起き上がろうとして、残った手足も踏み砕かれた。
「勝負あり、だな」
「ちくしょう……」
落とした仮面をつけ直しながら、ルークは人形の頭を踏みつける。
相手は死霊術で動く人形、最後まで油断はできない。四肢を落としてもその口が動けば呪いの言葉を吐き出したり、あるいは自爆かもしれない。とにかく、この手の存在は完膚なく砕くのが、冒険者の常套であった。
「やめろ、魔女様を殺すんじゃねえ。そんなことをしなくても、あの人は……だから、俺の、おれたちの、おかあさんを、ころさないで」
だが、人形の口から出てきたのは懇願だった。
泣きじゃくるような命乞い。母を探す迷い子のような弱弱しい声で人形は縋りつこうとする。
けれど。
「悪いな。俺は悪党なんだ」
既に彼は、覚悟を決めている。
人形の頭を踏み砕く。
頭部の残骸から硝子玉の眼球がごろりと零れ落ちる。
それは恨みがましくルークを見つめるように瞳を向けた後、パリンという音を立てて粉々に砕け散った。
「……片付いたぜ」
完全に沈黙したことを確認してから、ルークは口を開いた。
ヘルラージュもまた、その痕跡を目に焼き付けてから、頷く。
「ええ。進みましょう。きっと、姉はこの先に――」
その時。
「ちょっと、キャシー。騒がしいけど、何があったの?」
奥の闇から、ヘルにとって懐かしい声が聞こえた。
「――――。」
鼓動が大きくなる。
息をするのが辛くなる。
ぎし、ぎし。
「返事ぐらいしなさいな。それとも、最近うろついてる冒険者でも来たかしら?」
段々と近づく声。
それは最早はっきりと聞こえるようになって。
その闇から。
齢十前後の幼い少女が、姿を現した。
「ちょっと、一言も返さないとかあなたらしくな……ヘル?」
「――ね、えさん?」
お互いに、言葉に詰まる。
覚悟はしていた。
していたというのに。いざ目の前にすると震えが止まらない。
背を向けて逃げ出したくなる。/その小さな体に抱き着きたくなる。
あなたを殺しに来たと言わなければ。/会いたかったと伝えたい。寂しかったと泣きつきたい。
目の前にいるのは、両親を殺した仇だ。/思い出と何も変わらない、大好きなお姉ちゃんがいる。
動揺が喉を詰まらせる。
出会ったら一番に「お前を殺す」と伝えるつもりが、何を言うべきだったのかすら忘れかけている。
対して、姉――ミアラージュのほうはゆっくりと荒れ果てた部屋を見渡し、地面に転がるガラクタを、信じられないような目で見てから、状況は理解したとばかりにシニカルな笑みを浮かべた。
「へえ、そう。キャサリンを殺したのね、ヘル」
淡々と、事実を確かめるように。
主人のために命を賭した人形にかけるには、その声色はあまりにも冷淡だった。
「こんなにしちゃって、ひどいわね。あの子はもともと、戦争で命を落とした。そして人形になったら今度は滅茶苦茶に砕かれて……。なんてひどいことをしたのかしら、あなた」
「違えな」
言葉が遮られる。
「こいつを殺したのは俺だ。あんたが来る前に、頭を踏み潰してやった」
「……あら、あなた、もしかしてこの子の仲間? ああ、そう。復讐だと息巻いていても、人形が相手でも、自分の手は汚せなかったのね。確かに生贄を殺すのもできなかったあなたらしいわ「黙れよ」――」
ルークが再び言葉を遮る。
今度は、強い怒りがあった。
「姉だか何だか知らねえが、ヘルを馬鹿にするんじゃねえ」
「ふーん。随分と気に入られてるみたいね、ヘル。もしかしてその育った体で誑かしたのかしら?」
ミアラージュはルークを品定めするように見て、妹が纏う煽情的な黒のドレスを揶揄してみせる。
「――ッ、ルーク君は、私の仲間です。ここまで私を支えてくれた人です。そんな、不純な人ではありません!」
半ば嘲るような言葉に、ヘルラージュは反射的に反論する。
妹の剣幕にミアラージュは少しだけ瞠目してから、やれやれと肩をすくめた。
「……まあいいわ。足りない魔力の足しにはなるか。着いてきなさい。こんな狭い場所で殺し合うなんて無粋だもの。あなた達にはもっと、死ぬにふさわしい場所があるわ」
◇
ミアラージュはこの時を待っていた。
ラージュ家は古神交霊術と呼ばれる死霊魔術を代々研究する一族であり、《サバト・クラブ》を始めとする黒魔術師の間では一目置かれる名家であった。
ついこの間館を訪れた魔術師は妹ではなく、しかし因縁のある相手ではあった。
自分をアンデッドとして復活させる術式を求めていたその女は、ラージュ家の秘術をも簒奪しようと目論んでいた。彼女もまた天才とされる術者ではあったが、それでもミアラージュのほうに軍配が上がった。
死者へのリスペクトが欠け、ただその死骸と魂を冒涜するだけの死霊術師は完膚なきまでに敗北し、復活も出来ないよう肉片も残さずに焼き尽くされた。
そうして力を使ってしまったミアラージュは肉体を維持するためにさらなる血液を欲した。
勿論、そんなことを使い魔であり家族でもある彼女たちに命じてはいない。
ただ、力の枯渇を体は誤魔化せず、不調を見かねた人形たちが勝手に血を持ってきた。
その献身を拒むことはできなかった。
いくら無理やり人形の器に押し込めたとはいえ、自分を慕う彼女たちの厚意を無下にすることはできなかった。
そして、彼女たちは先ほど全滅した。
魔女の館に乗り込んできた最愛の妹と、その仲間である男の手によって。
――ちくりと、胸を刺す痛みがあった。
馬鹿ね。と自嘲する。
自己満足で魂を掬いあげ、代償行為のように家族としてふるまっただけ。
だというのに。胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感がある。
茶番に付き合う必要なんてなく、ただ一緒に動かなくなる時を待てばよかったのに。こんなどうしようもない罪人のために戦って死んだ。
全部終わったら、むこうで謝らなければいけないな。
祭儀の間にたどり着く。
かつて儀式を行った部屋を再現した場所。
過ちが始まり、そして終わる。
殺されるなら、これ以上にふさわしい場所はない。
自分は悪として、最愛の妹の憎しみによって死ぬ。
そのためにも、全力で悪を演じよう。
「――姉さん。私はあなたを土に還します。それがパパとママ。そしてあなたにできる唯一の供養です」
ヘルラージュは姉へと啖呵を切る。
まだ恐れはある。けれど、ここで怖気づいては彼に申し訳が立たない。
先ほども、自分が言うべきことを肩代わりされた。
だからせめて。これだけは自分の口で言うべきなのだ。
「そうね。私はあなたの両親を殺したわ。でも、あなたたちはさっき私の大事な下僕を殺したわ」
「だからおあいこだってか?」
「まさか。これでお互い、殺し合う理由ができたってことよ」
ミアラージュは妖艶に目を細め、残忍に口を歪める。
和解は無くなった。
それぞれが進む道は死線で交わり、それ以降は離れるのみ。
お互いが既に戦闘態勢に入る。
いつ口火が切られてもおかしくない緊張の中、おもむろにルークが口を開いた。
「……おい。始める前にひとつ、聞いておくことがある」
「あら、なあに? どうせ死ぬ命だもの、冥途の土産になんでも教えてあげるわ」
「そうかい。じゃあちょうど気になったつーか、ヘルからあれこれ聞いてからずっと思ってたことなんだけどよ。ヘルとお前の両親を殺したのは、お前なんだな?」
「なに、今さらそんなこと? 判り切ったことを聞かれるのは流石に不愉快よ」
「まあ、そうだよな。いやなに、実際のところ、
違和感はあった。
姉を取り戻すため、死者を蘇らせる禁呪にまで手を染めた両親が、はたしてそのあと血を求め続けた姉を止めようとするだろうか。
些細な疑問。だが気づいてしまえば無視はできない。
淡泊だがつながりはあった実父と、義理の親とも呼べるほどの深い関わりを持った師。
この二つの関係を知っていたからこそ、ヘルから語られる人物像と当時の状況が彼の中で噛み合わなかった。
「――――」
姉が目を閉じる。
それはもしかしたら、という淡い期待を込めての問いではあった。
けれど。
「――――だから言ってるじゃない。私が殺したの。全部、全部よ」
その願いは切って捨てられる。
「……そうかよ」
仮面に覆われていない口からぎり、と歯ぎしりの音が聞こえる。
「じゃあ、殺すしかねえな――!」
ルークは顎が床を掠めるほどまで屈み、地を蹴った。
地を這う百足のように、一息でミアラージュの足元まで滑り込む。
「うそ……っ!?」
ミアラージュの若干上を向いていた瞳が一気に下を見る。
斬りこんでくると予想はしていた。だが驚くべきはその速度。
ヘルの風の加護か。自分はともかく、他者に付与するのは難しいというのに、ここまで成長していたとは。それを差し引いても、この男は奇襲に慣れている。
掬いあげる斬撃が魔力防壁を大きく削る。
ミアラージュは間髪入れずに襲い来る振り下ろしを全力で後退して回避する。
そこから反撃の魔法を詠唱しようとしてパパパン。と乾いた音が三つ。
反応する間もなく、ミアラージュのわき腹、右肩、右上腕に小さな穴が開く。
穿孔した箇所から血がにじみ出し、肌がジュウジュウと文字通り焼けている。
「銀……! 聖水まで……!」
ルークの左手には硝煙を吐き出す銃が握られていた。
銃弾は弾頭が聖なる銀で作られた特別製。
鍛冶屋に無理を言って作ってもらい、さらにはゴーストハンターの伝手を頼って対ゴーストの祝福を与えてある。
クイックドロウによる奇襲。
剣と銃を同時に扱う彼だからこそできる芸当。これによって少なくないダメージを与えることができ、さらに浄化による持続ダメージも付与した。
とはいえ、先の人形に2発。今ので3発。装填数は6発のため残り1発。再装填の暇はなく、こんな奇襲はもう使えない。
このまま押し切るため銃を戻し、短剣を逆手に構える。
「この、やってくれたわね……!」
「レイジングウィンド!」
ミアラージュが詠唱を始めた瞬間、後方から風が吹き荒れ、真空の刃が襲い来る。
「ヘル……!」
裂傷を刻む肌を意に介さず、ミアラージュは下手人である妹を見据える。
なるほど。突っ込んできた彼に注意を向けさせ、自分は魔法の発動に専念する。冒険者にとってはセオリーの戦い方だ。単純だが、連携が極まればここまで脅威になる。長い年月を彼と共に過ごしてきたのだろうと確信させる動きだった。
「ブリザード」
冷気の魔法でルークを引きはがす。
ヘルラージュも攻撃の対象に入っていたが、彼女は身にまとう風によって冷気を横へと流し受ける。
ルークが勇んで再び攻め立てる。剣戟は弾かれる。青く燃え盛る巨大な人魂を躱す。そこにミアラージュが追撃を加えようとすれば真空の刃が襲い来る。
ならばと妹に杖を向けた途端に、ひゅんひゅんと炎の円を描いて飛んできた武器を身を反らして回避する。竜の角を加工して作られたナイフが壁に突き立つ。その余波だけでも髪が焦げ付き、肌がチリチリとする。惜しい。魔法を放った瞬間であれば確実に刺さっていただろう。そうしなかったのはヘルをかばったからか。本当に妹を気に入っているらしい。ならばこれはどうだ?
「……惑え惑え、汝の時は止まれり」
「ウィンドヒール!」
ミアラージュは怪異を呼び寄せ、ルークの時間間隔を歪めて足を奪う。だが後方より吹いた癒しの風がその乱れを打ち消した。
ミアラージュが妹の力を理解しているように、ヘルラージュもまた姉の取る手段について研究している。ルークに全面的な攻めを任せ、自分は後手で姉の繰り出す厄介な魔術を打ち消す。自分一人ではできなかった戦い方だ。多少の傷は構わない。回復も支援も、彼にすべてを注ぐ。
勢いを止めぬまま、ナイフが連続で投げ放たれる。
寸分たがわず急所狙い。ミアラージュは風を操ってそれらを打ち落とす。妹にできて姉にできないことはない。
一つ、二つ。三つ目はナイフはではなかった。落ちたそれはパリンと割れ、足元に濡れる何かが飛散した。
「油……?」
その潤滑と匂いに訝み、狙いが何かを理解する。
だが着火したマッチが床の油に落ちるほうが早く、ミアラージュの体から勢いよく炎が迸った。
「あ、ああああぁぁぁぁ!!」
燃える。燃える。
なんという無様。
神童と謳われた少女が、火炎瓶などという小細工の武器で断末魔の悲鳴を上げている。
「こ、の程度……!」
だが禁呪で蘇ったアンデッドを殺すには至らない。
焼けただれる皮膚が次第に内側から再生していく。
ボロボロと燃え盛る表層が剥がれ落ち、完全に振り払うための魔法を繰り出す――。
バキィ!
「あ……」
腐食で弱り、度重なる激闘で荒らされた床板に、燃焼のとどめが刺される。
体勢が完全に崩れる。ここから魔法の狙いを定めることはできない。
最初で、最後の好機。
「《禍神降ろし》……お願い、もう終わらせて」
「――わかったよ」
ヘルラージュが使える最大の強化を受けたルークが再び地を蹴る。
彗星の如き速度でミアラージュに斬りかかる。
"させるものか。"といまだに娘への妄執に囚われた父と母の霊が襲い掛かる。
ヘルラージュであれば、かつて目の前で死した面影に足をすくめていただろうが。
「邪魔、だ――!」
ルークからすれば、どうでもいいこと。
姉がいなくなってもその力しか見ておらず、彼女自身に愛を注がなかった両親に対して思うところはなく、それどころか話を聞いて恨み節の一つ二つは言いたくなった。
それが霊魂となっても彼女を苛むのであれば、問答無用で蹴散らすのみ。
父を斬り捨て、母を薙ぎ払う。二振りで乗り越えれば相手の首はもう目の前。
このまま刃を細い首に滑らせれば、それだけですべてが終わる。
復讐は終わる。彼女を苛んだ過去に決着がつく。
いいのか?
仮にも姉だぞ。
ルークの脳裏に生じる一欠片の迷い。
家族という存在がどれだけ大事なのか、心を許した相手がどれだけ掛け替えのないものなのか。それがもたらす暖かさも、それを失う痛みもよく知っている。
両親を蹴散らして迫る自分に、形だけの抵抗を取るミアラージュの姿に、どこか感じていた手ぬるさが確信に至る。
本当に、いいのか?
まだ、ヘルと彼女が共に生きていられる未来は――。
『わたし、もういや。お姉ちゃんがこれ以上人を殺すところなんて、みたくない』
――否。
そんなものはない。
褥で聞いた弱音が蘇る。
たとえ真実が何であろうと。
たとえ殺したのが誰であろうと。
彼女はもういるだけで周囲に被害を撒く魔物だ。
他人の命を糧としなければ生きていけない存在だ。
だから、ここで、殺す。
刃の一閃が、闇を切り裂くように煌めいた。
古き魔術によって呪詛を重ねた刃は、その
ボールのように丸いものが床に弾む。追って胴体がだらしなく倒れ転がる。
まるで脱輪した馬車のようだ。
小さな胴体は手足をめちゃくちゃに折り曲げ、ひび割れ、壁にぶつかって止まった。
「……なによ、そんな顔しちゃって」
転がった首が口を開く。
アンデッドだからか、首を断たれても意識は残っていた。
「アンタたちは人を襲う魔女を殺した。それでいいじゃない。もっと勝ち誇った顔をしなさいよ」
倒された側だというのに、負け惜しみではなく、勝者を案ずる声が発せられる。
沈痛な顔で自らを見つめる二つの視線。
だがそれもすぐに終わる。
もうじき、その亡骸は灰に還るからだ。
復讐のため、黄泉返りの術を独自に研究して作り上げた、ただそれを否定するだけの術式。文字通り、姉だけを殺すための、妹の最高傑作。
それで胴体と頭部を断つと言う事は、すなわち、それを死体であると再定義するということ。
あの日から止まっていた時間は解き放たれ、急速にその体を朽ち果てさせる。
自らの身体を以ってでそのことを理解したミアラージュは、自分のすべてが妹の糧となったことを喜び。
ヘルラージュは、姉を殺すことにすべてを注がなくてはいけなかったことを嘆いていた。
姉と妹の目が合う。
悪意も殺意もない。互いを見つめる瞳に映るのは笑いあったあの日の姿。
相も変わらず弱気なその瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。
「姉、さん……」
「こんなロクでもない家の事なんか忘れなさい。私たちの家は、呪われた魔術を受け継いできた報いを受けた。わたしは最後の当主として、すべてを地獄に持っていくわ」
――だから、あなたは幸せに生きなさい。ヘル。
笑みはすぐに灰へと変わり、崩れ落ちた。
ヘルラージュは屈み、その手に残骸を掬った。
「……本当に、よかったの?」
知れず、つぶやきが漏れる。
「本当に、ほんとうに。
これで、よかったのですか?
ママ。パパ。……おねえちゃん」
「……ああ、クソッたれだ」
泣き崩れる彼女を見て。
彼の心には達成感でなく、ただただやるせなさだけが広がっていた。
◇
魔女の館。
その軒先で男は屈みこんでいた。
手には葉巻。重く息を吐き出せば、紫煙が空に溶けて消えた。
「……」
背後に気配を感じて、立ち上がる。
振り向けば、そこにはすべてを片付けた少女の姿が。
「ルーク……」
その口からはか細い声で、男の名前が漏れる。
彼はそれに何も答えず、少女を抱きしめる。
「――」
想い草の匂い。
先ほどまで焚かれていたそれは、普段ならば顔を顰めると言うのに、今はなによりも優しく思えた。
だって、それはまるで弔いのようで――。
「ごめんなさい。もうすこしだけ、こうさせて」
返事はない。
その代わり、少女を締め付ける力が少し強くなり、少女も男をさらに強く抱きしめる。
「これから、どうするんだ」
「わかんない。ぜんぶ、このためだけにいきてきたから」
「そうか」
「……でも、そうね。ひとつ、やらなきゃいけないことがありました」
「なんだ?」
「最後に言われたの。幸せに生きてって。だから、私は最後まで生きなきゃいけない。どんなに苦しくても、逃げたくても、私は生きていくしかないの」
それは、呪いだろう。
復讐に憑りつかれた少女は、次は生きるという
「ああ。そうだな」
「……付き合ってくれますか? こんな私に」
男は少女の手を取る。
お生憎様、この身はとっくの前に魔女に魅入られている。
彼女が幸せになるために身を尽くすことなど、当たり前のことだ。
「もちろんだ。で、まずは何をする?」
「そうね。それじゃあ――」
そうして、彼らは魔女の館を後にした。
致命的な過ちを犯して、
得るものは何もなく、
ただ、大事なものを失って、
それでも彼らは生きていく。
なぜなら人生とは、そういうものなのだから。
やあやあ諸君。『もしも』の話に付き合ってくれてありがとう。もしよろしければ、私の語る蛇足に付き合ってほしい。
私? ただの観客だよ。
今回の話はずばり、『ヘルちんとルークがハグレ王国と出会えなかったら』というイフの結末だ。二人は一向に集まらない秘密結社の勧誘を打ち切って次元の塔を抜け、立った二人で活動を始める。たった二人だから出来ることは限られているけど、それでも元々コンビでうまくやれて来ていたから、なんやかんやと上手くいってしまう。ただ、仲間が殆どいないという現実はヘルの精神を蝕んでいくし、たった一人の仲間であるルークに対しての依存がさらに深まってしまう。
デーリッチたちハグレ王国はこの大陸でも稀有なぐらいには優しいコミュニティだ。それがどれだけヘルの心を癒したかは言うまでもないよね。ルークはヘルが幸せならどこでもバッチコイなやつだから、すり減っていくヘルを見て復讐相手への憎悪を知らないうちに燻らせていく。彼も彼で、ハグレ王国の日常で多少は穏やかになっているのさ。
そういうわけで荒み切った二人は魔女の館を突きとめてしまった。
この時点で容赦とか慈悲とかは頭にないから、死者の群れもキャサリンも問答無用で蹴散らしてしまう。皮肉にも、アンデッド系に対する対策だけは万全にできてしまう二人だからこその快進撃だ。
そういうわけで、ミアラージュとの戦いも乾いたものになる。
ルークをアタッカーに仕立て上げて、ヘルちんが支援するいつもの戦い方だけど、そのえげつなさは本編以上だ。何せ絶対に殺すための戦法だから、いくらミアちゃんと言っても防戦一方になってしまう。
最終的な結末は見ての通りだ。
それまでの目的を失った彼女は、ただ生きているだけになってしまう。母の日記を読んだとしても、姉を再び蘇らせようとは考えないだろう。それは手を下させてしまった彼に対する裏切りになってしまうからだ。
なのでこの後はルークと共にだらだらと生きていくことになるんだけど……。
もしかしたら昔の仲間とばったり再会して、もう一度つるんだりするかもしれないし、どこかの片田舎でひっそりと暮らし始めるかもしれないし。
まあ、ある意味幸せなんじゃないかな?
これも一つのエンディングってやつだ。ヘルちんは仇を討って、ルークは彼女とずっと一緒にいる。ただし、本編のように姉と暮らす日々は二度と戻らない。メリーバッドというわけだ。
だがそれもひとつの人間模様だ。すべてが良い方向に向かわずとも、生きててよかったと言える時は来る。たまには、こういう『IF』に目を向けてみるのも悪くはないさ。
……余談だけど、この世界線への分岐は単純だ。『エステルの危機にアルカナが駆けつける』だ。指名手配、あるいはトゲチーク山だね。この時点でアルカナがハグレ王国と関わりをもった時点で物語は相互ゲート設立まで移行する。ジェスターとマクスウェルが結託するのが妖精戦争と同時期だから、その前に帰還計画が始動するともう止まらず、色んなごたごたを彼女の権力と実力で片付けちゃうから、寄り道のイベントがかなりずれるわけだな。
いやはや、我が係累ながら困ったものだネ。