『報復の時来たれり』
「敵襲か、爆弾とは卑劣な……!」
「陛下、私の後ろへ」
「……うむ」
爆発によって騒然とする広場。
賊の襲撃を許したことに歯嚙みする大臣を他所に、アルカナは皇帝を庇うように立って周囲を見渡した。
敵の狙いは皇帝を暗殺し、宮廷の混乱に乗じて政治を乗っ取ること。
アルカナはそう予測を立て、できる限りの人数を動員して防衛を固めた。
ジェスターが自分に向けてくる対抗心ならば、間違いなく自分たちの兵隊を揃えて制圧にかかると踏んでいたからこその徹底抗戦の姿勢。
専用の訓練を受けていない雇われ衛兵がほとんどではあったものの、そこはこちら側の指示でカバーする。
「爆弾を仕掛けた犯人は近くにいます! 決して死角を作らないように警戒してください!」
メニャーニャの指示に従い、傭兵たちは負傷者の手当と下手人の捜索を行っている。
先生、と目配せする視線に頷きだけで返す。
相手の狙いは警備の目と手を引いた上で一気に入り込む作戦か。
アルカナは精神を研ぎ澄まし、最大まで広げた魔力感知を展開する。
大規模なマナの制御を行うアルカナの探知術は、どこでだれが魔法を行使したか把握し、最大まで広げれば帝都の半分以上の範囲を把握することができる。転移魔法を行使しても、即座に感知可能だ。
だがその警戒とは裏腹に、主犯格はあっさりと姿を現した。
「過去は無かったことにはできない。まったくもってその通りだ。……だが、お前たちは本当にそう言えるのか?」
「なっ……いつの間に!?」
いつの間にか警備をすり抜けて広場の中へと侵入を果たしていたアプリコの姿にメニャーニャは驚愕する。
軍師として多くの戦場を見てきた彼からしても、彼女の構築した防衛体制は感心する出来栄えだった。
どう動けば隙を突けるか。陣形を動かせるか。人の流れを生み出せるのか。ある程度出来上がった防御陣地を崩すことは、彼からすればチェス問題を解くようなものだった。
アプリコはその物静かな言葉とは裏腹に漂う剣呑な雰囲気を漂わせ、檀上目指して毅然たる足取りで向かってくる。
「な、なんだお前は!」
「陛下の御前だぞ、今すぐ引け!」
「退いてもらうのはそちらの方だとも」
止まらずに進むアプリコを力ずくで排除しようとして、背後で再び起こった爆発に気を取られる。
「なにっ!?」
「失礼」
「あがっ……!?」
「このっ、うぐっ……」
自分から注意が逸れた隙を狙い、短剣を鎧の隙間から通して突き刺す。
刃に仕込まれた毒は瞬く間に全身に回り、騎士たちは崩れ落ちる。
邪魔者がいなくなったことで、アプリコは再び歩みを進める。
「させるか――」
勿論、アルカナは皇帝の前まで彼を通すつもりはない。
体内魔力を循環増幅させ、彼をこの場から叩き落とすべく魔法を撃とうとした。
「ぐわあああああッ!」
「……エステル?」
大事な教え子の悲鳴に、そちらに意識を裂くべきかと思考が生まれる。
そのわずかな逡巡が、彼に最後の一歩を踏ませることに成功させた。
「御機嫌ようユーグレア三世皇帝陛下。そして帝都の皆様方」
帝国とは異なるデザインの軍服に身を包んだ犬型の老獣人。
壇上に進み出た彼は拡声器を手に持ち、この場にいる全員……否、帝都全体に聞こえるように告げた。
「我々は召喚人解放戦線。そして私は総指揮官アプリコ。この国の在り様に異議を唱えるため、ここに参上した」
ここ最近で急激に名を広げた革命組織の登場にどよめく市民。
拡声器の効果か、その声は帝都の外壁にまで響いている。
「過去を無かったことにはできない、先ほど皇帝陛下はそう仰られた。その通りだ。問答無用でこの世界に連れてこられた挙句、ハグレと呼んで社会の端に追いやられた我々の怒りは決して消えていない」
「そいつをつまみ出せ!」
アーサー大臣が慌てて指示を出す。騎士団員が剣を抜いてこの不埒者に斬りかかろうとする。
「邪魔をするな大臣」
騎士が火だるまに変わる。多少の火炎魔法なら防ぐ鉄鎧が飴細工のように赤く歪み、焦げ肉と混ざった物体となる。
東の方角から燃え盛る道からハグレを引き連れてザナルが現れる。その左手には火傷を負い、意識を失ったエステルが引きずられていた。
彼らの背後では多くの冒険者や傭兵が倒れ、正面からシェルフレアを受けたニワカマッスルは体にまとわりつく炎を振りほどこうともがいていた。
「エステルッ!」
「先輩……!?」
「露払いご苦労、同志ザナル。そのまま邪魔を入れさせないように」
「うむ。そのまま動かないでもらおうかスターゲイザー。大事な弟子の命が惜しかろう」
亜人を引き連れたザナルは冒険者たちの前に立ちはだかり、檀上への侵入を妨害する。下手に動けば、ザナルはエステルを躊躇なく害するだろう。アルカナはエステル諸共にザナルを排除する選択肢を脳裏によぎらせ、しかしそれは時期尚早だと無意識にその選択を否定する。こちらに駆け付けようとするブーンに「来るな」と視線だけで伝える。
「……ッ、わかったお」
「ブーンさん!?」
持ち場に戻るブーンにメニャーニャの抗議の視線が突き刺さる。
「ここは冷静にいくんだおメニャーニャちゃん。人質なら簡単には殺されないお。壇を占拠するってことはアプリコには何か目的がある。彼の行動を見てから動いたほうがいいお」
「……そうですね。すみません、焦りました。皆さんはこのまま待機。増援に警戒しつつ、機を見て突入の合図を出します」
ハグレ王国の仲間たちも、エステルがなすすべなく囚われたことで身動きを制限されてしまう。
邪魔立てが無くなったことでアプリコは演説を再開する。
「はじめに申し上げておこう。我々は帝都市民の諸君に危害を加えるつもりはない。繰り返す形になるが、我々は帝国政府の悪政を糾弾するためにここにいる」
混乱の最中にいる群衆はその声に思わず耳を傾ける。
爆発の犯人である彼らが目の前にいて、その気になればすぐに自分たちに同じ炎が降りかかる現状。市民たちは助かりたいという一心でアプリコの言葉を聞き入れるしかない。
「そもそもとして、この国は召喚人に何をした? 決まっている。奪ったのだ。記憶を、居場所を、誇りを。我らが人として生きるためのすべてを召喚術によって奪い去った! そして都合が悪くなれば蛮族として迫害し、最後に残った人としての尊厳すらもはく奪した。この慰霊碑に誰の名前が書かれているかお前たちは知っているだろう。家族、友、隣人。かつての戦争で犠牲となった者たちを忘れぬように石碑に刻んだのだろう……我々以外の名前を。自分たちが手にかけた者の名前を記すこともなく、ただ自分たちの痛みだけを覚えてその原因を忘れ去る。これを愚行と呼ばずしてなんと言おうか」
「アプリコさん……」
クウェウリが悲痛な表情でアプリコを見上げる。他のケモフサ村の住民たちも押し黙るほかなかった。
彼の言葉は真実だ。
帝国は召喚術で異世界から人を呼びすぎた。
召喚される側の事情を一切考えることなく、ただ自分たちの私利私欲で異世界の人々を拉致してきた。
彼らの不満が爆発して戦争にまで発展しても、待遇の改善などせずにハグレと呼び蔑んでいるのだ。
「もちろん、被害者は我々だけではない。この国の実態を見てきた君たちならば、我々の言葉が真っ当な訴えであることが理解できているはずだ。召喚という外法が君たちにとっても大事なものを奪っていった。今目の前にいる彼もそうだ。この国に貢献するため魔導局で研究を続けていた。だが召喚術の台頭によってその研究のすべてが時代遅れとして扱われた。このような悲劇はただの一例でしかない。帝国はただ他所から持ってくるだけの技術を持て囃し、伝統や歴史ある技術を何の躊躇いもなく捨てたのだ!」
ザナルの外套がはためき、色あせた魔導局の制服。その中で唯一、襟章が日光を照り返して輝いた。
「自分たちの世界のものですら大事にできないほどにこの国は腐り果てている。この十年で、諸君はこの国がどうなったかを知っているはずだ。君たちの生活がよくなったことがあったか? ないだろう! それどころか一部の貴族だけが私服を肥やし、搾取に励む様子を目の当たりにしてきたはずだ。我々はそのような根本的な問題解決に取り組むためにここにいる。もはや屈辱に耐え忍び、辛酸を舐める日々は終わりだ。我々は自由を勝ち取るためにここに来た。今こそこの国の支配構造を変える時、革命の時だ!」
犬歯を剥き出しにしたアプリコの怒声が雷鳴のように響き渡る。
その声は離れた住居区の一角、いわゆる貧民区でその演説を聞いていた市民たちにも届いていた。
「マジか?」
「できるわけねえって……」
「でもよぉ。こいつら式典に乗り込んでるんだろ? だったら……」
「俺の父ちゃんだって召喚でもっといい道具作れるからってクビになったぜ。もしかしたらマジでできるんじゃねえか?」
ひっそりと暮らしていたハグレや貧民が顔を見合わせた。
あるいは、という疑惑が彼らを反権力の渦に押し流し始める。
知らず知らずに積み重なった鬱憤の火薬庫の導火線。それが今、革命という大義名分の下に着火しようとしている。
それは間近で聞いている市民も同様。
現政権に不満を持つ者はどこにでもいる。それが召喚人問題に依るものでなくとも関係ない。最初の火花さえあれば、後は勢いに任せて燃え上がるだけだ。
広場の空気が焦げ付いていくのをメニャーニャは肌で感じていた。
このままだとまずい。何人かが確実に爆発する。加えて正門方面からも非常事態の連絡があった。解放戦線が待機しているのなら、この演説が終わった時が間違いなく戦いの口火となる。
(何か手はないのか……?)
思考するメニャーニャ。
そこでふと、彼女は小さな影が動くのを視界の端に捉えた。
◇
「なんだあいつは!」
「この式典であんな狼藉を許すとは、帝国の守りも地に落ちたな」
「どうします? このままでは政治基盤がひっくり帰るやもしれませんよ」
アプリコが演説する様子を見ながら、他人ごとのように大使たちはひそひそと話し合っている。
他国からもわかるぐらいには帝国の国力は急落していた。革命も危ぶまれるこの状況、帝国と国交を持っているいくつかの国は既に新政権が樹立することも視野に入れているようだ。
「動くな!」
「抵抗しなければ手荒な真似はしない」
剣を手にした解放戦線の戦士が国賓席に乗り込んでくる。
「ひぃ!?」
「なんだなんだ、我々は帝国の人間ではないぞ!」
他国の大使たちは凶器を手にして現れた亜人の姿に慌てふためく。
護衛の騎士が武器を構えるが、力の差は歴然である。
「余計な真似はするなよ? 一応、俺たちの敵は帝国だ。他国の人間に手を出すつもりはないが、暴れられたら命の保証はできないぜ」
他国の使者を確保することで革命後の外交関係を円滑にするつもりなのだろう。
解放戦士たちがその手に持った武器で威圧していると、どこからから飛んできた蝶がぴとりとその手に止まった。
「ん、なんだこれ……」
「やれやれ、騒がしいですね」
「あぎゃっ」
亜人の全身に冷気が走り、その体を凍らせる。
揚羽蝶の夢。プリシラが放った氷妖精としての力だ。
「出ていきなさい」
そしてそこにブンナグール!
リリィによって作り出された土のゴーレムが動きの止まった亜人を追い出した。
テロリストを瞬殺した二人に大使たちの畏怖の視線が二人に注がれるが、本人たちは意に介すこともなく、マーロウやローズマリーを集めて作戦会議を始める。
「しかし、この状況どうしましょうか」
「どう見ても帝都の威厳はガタ落ちね。それに市民にまで煽動を受けているし、あっちこっちで暴動が起こってもおかしくないわね」
「アプリコの事だ、解放戦線の兵士を帝都に潜ませている可能性が高い。破壊工作が行われることも考慮しなくてはなりません。エステル殿もどうにか奪還しなくてはいけませんね」
「このままだと奴らが完全に主導権を握ってしまいます。市民たちが暴動に走る前に、まずはこっちから打って出ないと。デーリッチ、まずはみんなと合流を……デーリッチ?」
ローズマリーは自分たちの王に呼びかけようとして、その姿がいつの間にか消えていることに気がついた。
「あの子ならさっき外に出て行ったけど?」
「えっ」
「ヅッチーもついていきましたよ」
「えっ……え!?」
何事もないように言われたその言葉に、ローズマリーは慌てて壇へと視線を向ける。
アプリコの演説は佳境を迎えようとしており、誰もかれもが彼の言葉にくぎ付けとなっていた。
「賽を投げるのは我々だ。市民諸君らがひと欠片でもその罪を悔やむというのなら、今ここで立ちあがってみせろ! 同志たちよ立ち上がれ! 民衆よ過去を取り戻せ! そこの欲に塗れた王族たちの血によって、すべての罪を雪ぐと「でえぇぇぇぇい!」ぐはぁ!?」
「……え?」
ほとんどの者たちは何が起こったのかわからなかっただろう。
横合いから飛び出した闖入者が、牙を剥いたアプリコの横っ面を叩き飛ばした。
文章に表せばただそれだけのこと。
だが、それを成したのが幼さの抜けきらない少女であるということ事実が、皆の理解を置いてけぼりにした。最高潮に達しようとしていたボルテージが突如として停止したのだ。
場の勢いに呑まれかけていた市民たちがはっと冷静さを取り戻し、遠巻きに聞いていた者たちも突然の雄叫びに何事かと逆に耳を澄ましていた。
「デーリッチ!?」
アプリコを吹き飛ばした下手人の姿に、ローズマリーは驚きの声をあげた。
その下手人とは他ならぬ自分達の国王であるデーリッチである。彼女は檀上を駆け上るや否や、キーオブパンドラによるフルスイングで獣人参謀をかっ飛ばしたのだ!
不意打ちを受けながらも獣人の優れた身体能力によって膝立て着地をするアプリコ。右手で左肩を抑えながら、彼は目の前に立ちはだかった少女を見る。
「小さな王よ、そこからどきなさい」
「断る」
要求に対する返答は極めて短かった。
これまで耳にしてきた無邪気な声とは全く異なる、怒気に満ちた言葉だった。
「さっきから黙って聞いていたが、これ以上は聞き捨てならん!」
「なんだと?」
「アプリコさん、言ったでちよね。犠牲になった自分の息子が忘れ去られたままなのが許せないって。デーリッチ達は最初はそれがアプリコさんの戦う動機だと思った。でも今の話を聞いてわかったでち。それはただの言い訳だ。結局のところ、アプリコさんは戦う動機として息子さんを使っているだけでち」
「流石に、それは聞き逃せないぞ」
ともすれば逆鱗に触れる言葉に、アプリコは犬歯を剥きだしにして威嚇する。
だがデーリッチは一歩も引かず、彼の主張に反論する。
「その証拠に、アプリコさんの主張には一切未来の話が無かった。何を取り戻すのか。何を壊すのか。そんなことばかり言って、どういう世界を作るのかなんて話は一つも出てこなかった。これって、死んだ人を弔うのにはおかしな話でちよね?」
――息子の死を忘れ去られることが許せない。
アプリコと決裂した時、確かに彼は慟哭と共に言った。
それは親として最もな主張で、誰も否定してはならない切実な願いだ。
だが、その願いを取り繕うような言葉と手段は別だ。
おそらくだが、彼の中には別の欲望がある。ルークや薙彦が語った彼の印象がその疑惑を裏付けた。
終わった戦争の繰り返し。圧倒的な力による敗北を認めることができずに、戦いを挑むように各地で襲撃を行ってきた。
虚飾と妄執で自らを覆い隠し、切実だったはずの願いを穢している。
そんな彼の醜い姿は、デーリッチにとって到底見過ごせるものではなかった。
「ハグレの自由を取り戻してこの国を変えると言ってたけど、結局のところお前が見ているのは失った過去だけ。これまでに失ってきたものの埋め合わせだけを考えているやつが、世界を変えられるわけがない! 仮にお前のやり方で帝都を変えたところで、息子さんの死は忘れ去られたまま。ハグレ達が敗北の歴史ごと無かったことにして好き勝手なことを言い出すだけだ。大体、過去だの未来だの言う前に、もっと一番最初に見なければいけないものがあるじゃないんでちか? 現状から身を背けてあーだこーだ言っても、失った過去は戻ってこん! それは平和に暮らしている人々を傷つけてでもやるべきことなのでちか?」
ビシッと指を突き付けてアプリコの主張に矛盾を指摘するデーリッチ。
デーリッチはこの三日間、帝都の人々を見てきた。
街の警備や観光を通じて、その心とふれあってきた。
ハグレ王国の特産品を手にして笑っていた。
料理に舌鼓を打てば喜んでくれた。
迷子を案内して感謝された。
それは既にハグレ王国にいくらかの名声があったからかもしれない。
見ず知らずのハグレが帝都に訪れても、同じように接してもらえるとは限らない。
だがそれでも、自分たちという
マッスルや大明神に遠慮なくおんぶをせがむ子供がいた。
純粋な尊敬の目で見てくる少年がいた。
冤罪でハグレを責め立てたことを悔やむ女性がいた。
君たちの商品は素晴らしいと目を輝かせる青年がいた。
必要なのは手を取ること。相手と分かり合おうとする意志であり、過去を焼き増しするような手段では未来はずっと暗いままだ。
「罪を忘れてのうのうと生きていることを平和というのならそうなのだろう。だが、傷の精算なくして被害者と加害者が手を取り合える道理はない」
「ハグレを元の世界に帰す技術なら既に出来上がっているでち。シノブちゃんが作って、アルカナちゃんがデーリッチ達にお願いしてできた相互ゲートがある! みんなを故郷に帰せるようにすることが、この世界のやるべき償いじゃないんでちか!?」
「な、あの子何言ってんだこの場で!?」
ローズマリーはいきなりの暴露に目を剥く。これまでの一連の活動は帰還計画を帝都上層部に知られて、妨害されないようにするための根回しだったのに、それがすべてパーになった瞬間だった。
一部からじろりとアルカナに視線が向く。だがアルカナは気にした素振りもなく、ただ微笑みを浮かべていた。
「はは。しょうがないなあ、あの子は」
彼女の興味は今、目の前で大望を世界に突きつける小さな王の後ろ姿だけに注がれている。
それはアプリコも同じ。
自分の膝ほどしかない、同じハグレであっても容易く縊り殺せそうな子供に自分の言い分を台無しにされてなお、彼はその言葉を聞き入れるしかなかった。すぐにでも黙らせなければならないという思考が、内側から湧き上がる何かに阻まれている。
忘却の彼方に消えたはずの記憶が呼び起こされる。
かつて元の世界で軍に属し、国の王に忠誠を誓った。
士官として功績を上げ、謁見した時の記憶が蘇ってくる。
わからない。自分がどうして過去の記憶を思い出せているのか、深い知性と経験を持ってしてもアプリコには何一つわからなかった。
「未来へ生きるためには、まずすべての過去を清算しなくてはならんのだ……!! 君のそれは夢を見ているだけだ。虐げられることなく、この世界の住人に受け入れられて施されるだけの小娘に何がわかる」
「要するに舐め腐っているんでちね。デーリッチ達の活躍を見てきたのにわからないとは、とんだおとぼけさんもいたもんだ」
正体不明の感情を押し殺してアプリコは必死に反論する。
それをデーリッチは一蹴する。
はじめは自分たちの安らげる居場所が欲しかったから国を作った。
その過程で世間の悪意に晒されることは少なからず理解していたが、どうやら自分たちの前には世界そのものへの悪意まで立ちはだかったらしい。
――どうか。この街を、この国の人々を守ってほしい。
星を見上げる人の願いが脳裏に蘇る。彼女はずっと、この悪意に真っ向から立ち向かい続けていた。なんと壮大で、無謀で、切実な願いだろう。
いいだろう。それならとことんやってやる。
何しろこちらは王様だぞ? どんな夢だろうと、でかすぎるなんてことはない!
「ならば宣言してやるでち。
私たちハグレ王国はこの帝国よりも大きく、強く、楽しい国となる!! どこにも居場所がないなら私たちが居場所になる。共に一緒に楽しい国を作ろう。笑いあえる日々を過ごそう。
――ハグレ王国に来い! 私たちは、誰であっても受け入れる!!」
キーオブパンドラを強く大地に突き、声高らかに不退転の覚悟を口にする。確固たる信念と決意の下で告げられた宣言は、世界の隅々にまで行き渡るように響いた。
「その通りだぜ相棒! 妖精王国も続いてやるぜ! よう、お前たちはそれでいいのか!? 世の中の理不尽に俯いたまんま、顔もよく知らないやつの言うことを真に受けて暴れまわって、それで本当に自由を勝ち取れるのかって言ってんだ。本当に自由を勝ち取りたいならまず自分を表現できなきゃ意味がねえ! その点、うちらは自由だぜ? 牛男もハーピーも神様も妖精も悪魔も! みんな好き勝手にやりたいことをやって生きてる! まさか、ヅッチー達の活躍を知らねえ奴なんてこの場にはいねえよな!?」
ヅッチーが電撃的に檀上に踊り出し、参戦の意を口にする。挑戦的な檄文は、春雷のように帝都の空へと轟いた。
「本当、アンタら見てると飽きないわね……貴女が見た星の輝き、ちょっとわかった気がするわ。いいわ。乗ってやろうじゃない。
――聞きなさい! 帝都のハグレたち! 私はエルフ王国の女王リリィよ。私たちエルフはハグレ王国を全面的に支持させてもらうわ! だから迷っている暇があるならハグレ王国に行きなさい! エルフ女王の名に誓いましょう、あなた達が故郷に帰る道はそこにある!」
感心したように壇上に登ってきたリリィも宣言を口にする。風の精霊の助けを受けた玲瓏な調べは、荒んだ空気を押し流すように帝都の外へと吹き抜けた。
◇
「……聞こえたよな、今の」
「元の世界に、帰れるって?」
「導師はそんなこと言ってたか?」
「帰りてえよ。故郷の村に帰りてえよ」
しゅんと静まりかえる正門のハグレ達。
占拠を果たした祝報でもなければ、突撃を命じる号令でもない。
自分たちが聞いたことのない、けれど安心感すら感じさせる宣言が、彼らの荒んだ心に波紋を広げていた。
敵意が霧散したことを確かめたブリギットは、ため息をついて浮遊椅子に深くもたれかかった。
「どうやら、杞憂だったみてえだな」
「一時はどうなるかと思いましたけどね。ヅッチーも、いつの間にか立派になって……」
「まったく、俺の知らねえうちに背伸びしやがって。これだからガキの面倒なんて見てられねえんだ。目を離せばすぐにデカくなっちまうからな」
子供たちの成長に、彼女たちは感慨深く笑いあった。
◇
三人の王が与えた衝撃は大きく、広場のほとんどが宣言の内容を受け止めきれずに放心している。
彼らが衝撃から冷める前に、ヅッチーが間髪入れずに追撃を叩き込んだ。
「まずはそこのお前! お前は一体どっちなんだ!?」
「え、私!?」
「そうだ! 解放戦線とハグレ王国。どっちを応援するって聞いてるんだ!」
真正面にいた市民を指さして、この状況を打破する最後の一撃を投げかける。
「……は、ハグレ王国、私はハグレ王国を応援します!」
意を決して放たれた言葉に、堰を切ったように次々と市民たちがその気持ちを告げる。
「俺もだ! あの子たちを見てると元気が湧いてくるんだ」
「この国を変えてくれるなら、ハグレ王国がいいわ! むしろハグレ王国に移住させて!!」
「そうだそうだ、テロリストなんか認められるか! とっとと帝都から出ていけ!!」
「「「ハグレ王国! ハグレ王国! ハグレ王国!」」」
ハグレ王国一色コール。
さっきまでとは真逆の熱気に押されて、解放戦線の兵士たちがその熱意に思わず後ずさる。
「ほら、帝都のみんなはデーリッチ達のほうが好きらしいでち。きっとこの話を聞いているハグレも同じ気持ちでち。……あなたはどうしたいんでちか、アプリコさん?」
「――――」
デーリッチが視線を戻すと、アプリコは目を閉じて何かを考えこんでいた。
壇上に向かって、しびれを切らしたザナルが叫んだ。
「威勢はよいが、諸君は忘れていないか? 吾輩の手の中には大事な仲間がいるということを……」
そう言って手の中のピンク色の髪を掲げようとするザナル。エステルはそれよりも早く顔を上げ、彼を真っ向から睨みつけた。
「いつまで乙女の髪引っ張ってるのよ、このスケベジジイ!」
「なにっ、ぐぉ……っ!?」
ザナルの小指を的確に踏み抜き、続いてがら空きの胴に肘を叩き込んだエステルは、そのまま身をはがして彼らから距離を取る。
「貴様……ッ、いつの間に……」
「まあ好き勝手やってくれたじゃない? 悪いけどここからは、私たちの逆転劇ってことでやらせてもらうわよ!! サンキュー、デーリッチ! アンタの燃えるような宣言、私の魂に火が付いたわ!!」
「人質の解放を確認! 皆さん、今が好機です! 突入してください!」
エステルの復帰したことでメニャーニャが号令を下す。
解放戦線を取り押さえようと一気に最前列までやってくる傭兵たち。
じりじりと包囲網が狭まっていくのを見て、ザナルがさらに声を張り上げた。
「同志アプリコ、プランBだ! こうなれば当初の目的だけでも果たそうではないか!」
「……うむ。すまない同志ザナル。では、何度行ってきたかもわからない撤退戦の始まりだ」
アプリコは懐から試験管を取り出した。
内部に仕切りが存在し、片方には一粒の種が、もう片方には緑色の液体が入っていた。
「異界に存在する食肉魔植物の種だ。この成長促進剤と共に使えば一瞬で開花まで至る」
「え……!?」
「祖国が分かれ、この世界に流れ着いた。息子を失い、星を見る者に敗走した。そして今、私は再起してここにいる。感謝するハグレの王よ」
空虚な瞳で、獰猛に牙を剥きだした笑みを浮かべ、青空オレンジは試験管を地面に叩きつけた。
割れた試験管の種子に薬剤が染み入る。瞬く間に発芽し、言葉通りに人間の胴体並みの幹が育ち始め、牙をはやした花弁が消化液を巻きちらし始めた。
「ザナル殿、退路を拓くぞ。できる限り荒らしてもらいたい」
「ふうむ、ふうむ。その通りよ、吾輩の獄炎無くてはどの道窮地も切り抜けまいて!!」
火炎が舐めるように広場を横断する。
あわや市民に襲い掛かろうとしたその炎は、その手前で別の炎に遮られた。
「やらせるかっての!」
「流石は王冠の弟子。良い炎だ。だが、真の火炎魔法とはこういうものだ!!」
己のフレイムを相殺したエステルに、ザナルは手の中で育った炎の弾を放つ。
粘性の火炎弾は先ほどファイアウォールを突破したものと同じ。普通に受ければ爆発が周囲を巻き込む悪質な
「
一度で突破されるなら何度でも防げばいい。
六つの火炎球が順繰りにぶつかる。一つ一つは押し負けるが、徐々にシェルフレアは小さくなり、最後の一発がザナルの火球を粉砕して逆に彼の元へと飛来した。
「これは、まさか私の火炎を破るとは……!」
「その混沌の魔力、ジェスターのものでしょ。デカい魔力の塊に火を付けて放ってる。だから普通に防ぐと燃えた魔力が爆発するし、体に纏わりついて燃え続ける。それがアンタの魔法の仕組みね」
「たった一度の合一でそこまで見抜くとは流石! その通り、我が火炎魔法は導師ジェスターの薫陶によって真理に至れり! 召喚魔法を称えた帝都などこの力で焼き払ってくれるわ!!」
「人から貰った力でよくもまあそこまでイキがれるわね。それって結局アンタ自身は何の進歩もしてないんじゃなくって?」
「その他力本願の極致たる召喚士がよく吠える!」
そうして彼女らは再び火炎をぶつけ合う。
メニャーニャがその光景を見ながら傭兵たちに市民の避難と魔物の撃退の指示を下していると、彼女の近くにいた協会長ウォレッシュが口を開いた。
「むむ……まさかあいつは……」
「協会長、彼をご存じで?」
「魔導局にいた頃に見た覚えがあったわ。あいつはザナル・グラバードという炎魔法の研究家じゃ。奴の言っていた通り、召喚術が流行してからは強い炎を呼び寄せたほうが手軽だとかで見向きもされなくなった哀れな男じゃ。いつの間にか姿を消しておったが、サバト・クラブに合流していたのか……」
「なるほど。自分を冷遇した帝都と我々召喚士への復讐のために解放戦線に協力していると、とにかくエステル先輩が引き付けている間に、私たちは魔物を片付けましょう」
壇上を見ればアルカナは王族と共に姿を消していた。どうやら一足早く安全を確保できたらしい。
一番の憂いは消えた。ハグレ王国の仲間たちも続々と合流し、アンノウンプラントに立ち向かっていく。
帝都を舞台とした最後の戦いが、幕を開けた。
○デーリッチ
この子の台詞が結構悩んだ。
やはり王様に締めてもらいませんとね。
○アルカナ
冷酷のようで身内にだだ甘。
○アプリコ
色々言っておりますが、要は戦争で勝ちたかった。
原作でマーロウが言っていたことと似ているけど余計性質が悪い。
これにはデーリッチもげきおこ。
○ザナル
元帝都魔導局所属の炎魔法使い。召喚術の台頭で窓際に、そのまま退職して落ちぶれた。一応ウォレッシュとは同僚だったらしい。
『シェルフレア』
炎魔法。炎耐性を無視する。やけど付与。
シェルは
混沌由来のマナを媒介として発動するファイアボールの亜種。
要するに高密度なマナ塊に火を付けて放っている。なので単純な炎に勝てるし、マナが体に纏わりつくと炎上し続ける。
○アンノウンプラントくん
ズブーブ大湿原に用が無くなるのでここで出番オファー。都市のど真ん中でデカい魔物との戦いって、一種のお約束ですよね。
○召喚人解放軍
王族の拘束と宮廷の占拠が本作戦の目的。
帝都を攻めようとすればアルカナに殲滅させられるのが目に見えているので、内側から崩す予定だった。サハギン軍が健在なら原作通りの包囲作戦が展開できたらしい。