無いもの貸し升!損料屋   作:紫 李鳥

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 ――太助がお沙希を家まで送ってる場面だ。二人は月を見上げながら、少し間隔を置いて歩いている。

 

「……実は、お嬢さんのこと、前から知ってました」

 

「えっ!どこで?」

 

「隅田川の花火見物に行った時、両国橋から川を見下ろすと、涼み舟に乗ったお嬢さんが、花火を見上げてました」

 

「ヤだぁ。だったんですか?恥ずかしい……」

 

「鍵屋~っ!なんて、声を上げて」

 

「うわ~、めっちゃ恥ずかしい。どうしよう」

 

 お沙希は恥ずかしそうに顔を覆うと、背を向けた。

 

「……カワイ……かったですよ」

 

「えっ?ほんとに?」

 

 急いで太助に振り向いた。

 

「ええ」

 

「……うれしい」

 

 恥ずかしそうに俯いた。

 

「……お嬢さん」

 

「え?」

 

「……俺と付き合ってくれませんか?」

 

「ぇ。……エッ?今なんて?」

 

 聞き違いかと思い、聞き直した。

 

「……お嬢さんとおいらじゃ、月とすっぽんかもしれねぇが、お嬢さんに好かれるように頑張りますから……」

 

(えっ!うっそー!マジで?やりーっ!)

 

「……今のままの太助さんで、十分ステキです」

 

「……ありがとうございます。けど――」

 

「それと、……お・さ・き、って呼んでほしい」

 

 何が、お・さ・き、って呼んでだ。チキショー、腹立つなぁ。男は太助だけじゃねぇぜ。ここにも独身のいい男がいるぜ。……聞いてねぇか。

 

「……お・さ・き……ちゃん」

 

「は~い」

 

 何が、は~いでぃ。チキショー、ヤけるな。チッ!見つめ合ってら。早く、場面が変わんねぇかなぁ。

 

 

 ――翌日の昼四ツ(午前10時)頃。……あー、よかった。場面が変わって。

 

 暇潰しに、お沙希が嘉右衛門の屋敷を見張ってるってぇと、やって来た水売りが門の前で、足踏みを始めた。誰かが出てくるのを待ってるってぇ素振りだ。

 

(……お梗でも待ってんのか?)

 

 

 ところが、出てきたのは、例の女中だった。水でも買うのかと思いきや、なんだか様子がおかしかった。喋々喃々(ちょうちょうなんなん)と言った雰囲気で、何やら(ささや)き合っていた。

 

(女中の“色”か?無器量でも、女は女か?……だが、この二人、臭いな。――待てよ。勝手口から入ったのがお梗の男とは限らない。それに、中に居る女中なら心張り棒を外すこともできる。もしかして……)

 

 

 兵治に情報提供するってぇと帰宅した。

 

「お嬢さん、おかえりなさいませ」

 

「あ~、腹減った。めしは?」

 

「お亀がご用意を――」

 

「おう、新蔵。勘定のほうは合ってんだろな?合わなきゃ、めし抜きだぜ」

 

「へ」

 

 お沙希はいつもの決まり文句を口にすると、外股で引っ込んだ。――

 

 

 

「お亀、本当のことを教えて」

 

「えっ?何をですか?」

 

「私のホントのお父っつぁんのこと」

 

「!……本当のって?」

 

「新蔵だってぇのはホントか?」

 

「……」

 

「ホントなんだな?」

 

「……どうして、そんなことを?」

 

「めんこい頃に、そういう噂を聞いたからよ」

 

「……」

 

「正直に言ってくれ。じゃなきゃ、故郷(いなか)に帰すぞ」

 

「……はい。新蔵さんが、お嬢様の本当の――」

 

「やっぱりか。……汚ねぇ」

 

「けど、お二人は愛し合ってたん――」

 

「そんなのは言い訳じゃねぇか。死んだ旦那さんを裏切ったことには違いねぇ。チッ」

 

 お沙希は箸を置くと、立ち上がった。

 

「お、お嬢様、どちらへ」

 

「こんな汚れた家におれっかー!」

 

 吐き捨てると、背を向けた。

 

「お、お嬢様っ!」

 

 

 お沙希は涙を溜めた目で、帳場格子で算盤を弾いてる新蔵を睨み付けると、急いで出ていった。

 

「お、お嬢さんっ!」

 

 理由が分からない新蔵は、不可解な顔をして、お沙希の背中を目で追った。

 

 

 ――お沙希は、絶望の中で身を震わせながら、木戸の前で太助が帰ってくるのを待っていた。間もなく、

 

「……お嬢さんじゃないですか」

 

 太助の声がした。お沙希は振り返ると駆け寄り、その泣き顔を太助の胸に埋めた。

 

「……お嬢さん、どうしたんですか」

 

 太助は優しく訊くと、お沙希のか細い背中に手を置いた。

 

 

 ――太助は煮売屋(にうりや)に誘うと、チロリ(酒を温める道具)の(かん)を呑みながら、涙の訳をお沙希から聞いた。

 

「……そうだったんですか」

 

「……ぇ」

 

「……おいらのお父っつぁんは、おいらが十八の時に、……突然倒れて」

 

「……」

 

「お父っつぁんの跡を継いで左官になったはいいが、全く、素質が無くて」

 

「……もしかして、太助さんの天職は、他にあるのかも」

 

「……かな?」

 

「……たぶん」

 

 

 太助とのたわいない会話で、お沙希の気持ちは、澄み切った青空のように晴れやかになっていた。

 

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

 

「え」

 

 お沙希はまた、まっかっかの顔になっちまって、まるで、金時の火事見舞いみてぇだ。呑むと顔に出る(たち)なんだろうが、ま、今回は少し控え目にしたせいか、酔ってはないようだ。

 

「おやじ、勘定を」

 

「あいよ」

 

 おやじが算盤を弾いた。

 

「えーと、六十六文ですな」

 

「え?六十六文?」

 

 太助が納得いかない顔をした。

 

「あ、私が――」

 

 太助の懐具合を心配したお沙希が巾着を出した。

 

「いや、お嬢さん、そうじゃないんです。払えるぐらいの銭は持ってます。ただ、勘定が合わないんですよ。酒が四十文。煮豆、煮魚、煮しめが二十四文。合わせて六十四文のはずだぜ。もういっぺん、勘定をしてくれないか」

 

 太助はスパッと言い切った。

 

(カッコい~)

 

 お沙希は胸元で指を絡ませると、太助の横顔を(とろ)けそうな目で見つめた。

 

 何が、カッコい~だ。こちとら、お沙希の気持ちまで読めちゃうんだぞ。チェッ、悔しいけど、確かにカッコい~やなぁ。メソメソ……(語りのすすり泣き)

 

「――へ。確かに六十四文です。申し訳ありません」

 

 算盤から指を離したおやじは、頭を下げた。太助はボロっちい財布を出すと、勘定を済ませた。――

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 太助に寄り添うお沙希が礼を言った。

 

「あんなもんしか、ごちそうできなくて、お嬢さんに申し訳ねぇ」

 

「そんな。おいしかったです」

 

「家まで送ります。今夜はおんぶはいいですか?」

 

「も。意地悪ぅ」

 

「ハハハ……」

 

 太助は月夜に笑うと、送り狼になったのだった。……てな訳ねぇか。チキショー、手、繋いでやがるよ。ジェラシーに身を焦がして、こちとら大火傷(おおやけど)でぃ。太助さん、助けて~!チッ、聞いてねぇや。


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