不撓不屈の英雄を跪かせるには【完結】   作:につけ丸

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第1話

 英雄、と一口に言っても様々な形がある。

 世界に散らばる英雄譚の数々……神話や民話、寓話のなかで輝きつづける英雄たちの物語は、どこか似通った部分はあれど民族、環境、宗教、時代によって左右されひとつひとつどこか違った輝きを放つ。

 英雄譚は人間がいれば必ずと言っていいほど存在し、世界を天蓋とするかのように燦めいて、人々を魅了してきた。

 それは幼い俺の心を掻っ攫って、いまだに戻って来ていないほど強烈な光だった。

 

 少し掬って見るだけでも英雄は十人十色だ。

 まずはギリシャの英雄ペルセウス。これは分かりやすい英雄だ。生け贄を求める怪物を颯爽と現れた英雄が討ち果たす……ペルセウス=アンドロメダ型とすら呼ばれるほど典型的な英雄で、だからこそその勇名は今なお世界に轟いている。

 おつぎは日本が誇る大英雄ヤマトタケル。彼も高貴な身分でありながら諸国を流浪し艱難辛苦を乗り越えて偉業をなした。まさに英雄のお手本というべき存在……けれども彼は絡め手だまし討ち上等な煮ても焼いても食えない奴で、前述のペルセウスからしたら少し腹黒い。

 今挙げた例はまさに英雄と手放しで呼べるものたちで、他にもバドラズやオデュッセウス、桃太郎……この類の英雄こそ真の英雄であり最大手だろう。

 

 けれど力こそパワー! や、勝ったやつが正義だ! みたいな武の英雄もいれば正攻法から外れた英雄だって存在する。

 ロキやヘルメスといった狂言回しや人間に火を与えたプロメテウスのような文化英雄だって英雄の一側面だろうし、ルシファーのようなアンチヒーローと呼ばれる者たちもいる。

 

 だけど虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 これらの英雄にはみな、苦境と大敵がともにあり、須らくなにかしらの偉業を成し遂げた実績があった。それを以って彼らは英雄へと迎え入れられたのだ。

 

 そんな英雄譚を読みときページをめくるたびに、俺の胸の高鳴りは収まりきれず、現実のことさえ忘れて読みふけって、しばしば夢想の世界に降り立っては共に冒険の旅へ繰りだした。

 敵をばっさばっさと薙ぎ倒し、讃えられる。誰もが一度は憧れる夢。

 そしてそれを夢想だけで終わらせたくなかった。

 現実でもスタミナを付けるために走り込みはもちろん、道場に忍び込んで弓を引いたり、台風で氾濫する河川に飛び込んだり……物心ついたすぐだから四歳のころから始めたんだったか、気付けばそんなバカな事を十年も続けていた。

 振り返ってみれば失笑しそうなほどバカな行いだったけど、楽しかった。

 初志貫徹は座右の銘で、一度決めたことはやり通す主義なのもあるが、なによりも楽しかった。でなければこんな長い時間、いっそ無駄といえる事に費やしちゃいない。

 

 俺はいつか偉業を成し遂げ、英雄になってやる。山のてっぺんで叫んでは曇りのない空に謳いあげるほど、心に迷いはなかった。

 そしてそんな生活を続けていた十四歳になって迎えた二月の初めのことだった。

 見ず知らずの世界に迷い込んだのは───。

 

 


 

 

「タカシ今日の狩り、怪我はなかった?」

「イオ」

 

 雨の匂いが鼻孔をくすぐり晴れた日の水たまりを思わせる声にふり向けば、そこにはひとりの少女がいた。

 清水がさらさらと流れるような青い髪。

 瞳は春の野をいろどる菫のそれ。

 そして髪の隙間からのぞく彼女の耳はツンッと尖っていた……。

 ただの少女では決してない。決してコスプレなんかじゃない純正の……日本人どころか世界中をさらいだしてもあり得ない髪と耳を持った少女。

 ……水を掬して命を与えれば彼女になるじゃないか? そんな思いすら抱かせるほど清らかな少女だった。

 

 彼女はイオ。イオ・リビュエー。

 いま現在居候させてもらっている家のたったひとりの同居人である。

 

 これで何度目か、彼女の容姿に見惚れそうになっていた心を糺して問われていたことへの返答をする。

 怪我なんてないと否定するように軽く首を振って、今度は背中に吊っていたキツネを見せた。

 するとイオは破顔して我が事のように喜んだ。

 

「よかったぁ……タカシがはじめて一人で行く狩りだったから心配だったんだ。だってこの森は熊やグリフォンみたいな危険な動物たちがたくさんいるでしょ? 私だってここにずっと住んでたけど危ない目に何度もあったし、タカシがそうならない保証なんてどこにもないもの。……でも怪我もないみたいだしそれどころかこんな立派なキツネまで獲ってくるなんて……ホントにすごいよ」

「そうか」

 

 狩り一つでここまで褒められてしまうとは思わなくてそっぽを向いてしまった。

 そもそも俺はまだ偉業を打ち立ててはいないが英雄なのだ、これくらいできて当たり前なんだ、と心のなかでなにかに弁明さえしてしまった。

 けれど褒められるのは嫌ではないので静かに頷いた。

 

「私の調子がもうちょっと良かったらタカシと一緒に行けたのに。ごめんね」

 

 そんな事をいうイオに俺はバカをいうな、と強く首を振った。

 彼女の言うようにイオと生活しはじめて二、三日たったころから彼女は体調を崩すようになった。

 最初はそうだったわけではなくて、出会って数日はイオも一緒に狩りにでたり、外を駆けまわって弓の手ほどきを受けたり、一般的な健常者以上に活発だったのだ。

 でもいまは家から少し歩いただけで限界だった。

 

「情けないなぁ……ホントならタカシとそれにどっちが狩りが上手いとか色々競争してみたかったのに」

 

 切り株の上で大人しく座るのとは裏腹に彼女の表情は忙しなく百面相をしていた。

 

「気にするな」

 

 俺が付いている、そう言いたかったがなかなか不便な舌は思うように動いてくれなかった。

 どうも気障っぽい台詞は口が受け入れてくれないらしい。もともと寡黙で口下手なやつが気の利いたことを言おうとするから拒否反応を起こしているらしい。

 要修行だな。

 一英雄として気の利いた台詞くらい言えなくてどうする。英雄色好むの諺があるように女性の扱いに関して巧みでなくてはいけないのだ。

 

「戻ろう。手を」

「うん。ありがとう」

 

 口がダメなら身体で動くしかない。イオの背中と膝裏に手を回し……お姫様抱っこの恰好で持ち上げ、ゆっくりと歩きだした。

 

 イオ・リュビエー。この腕の中に抱く少女こそ、いま現在居候させてもらっている家の同居人であり、この世界で出会った唯一の人間だ。

 

 


 

 

 俺がこの世界に来た理由は分からない……意識が断裂し、気付けばここにいた。

 

 目覚めた場所はイオの家で、その時はまだ元気のあった彼女が俺を引っ張って家まで運んだらしい。

 元の世界は真冬だったはずで……けれど目が覚め外に出てみれば花々が咲き誇っていて、すぐに元の世界じゃないと察した。

 

 異界の法則は季節のズレだけでなく、さっき狩りにも出た、家からすぐ近くの森にも巣食っていた。

 森の異常はわかり易いもので、驚くことにどれだけ進もうと森を抜けることが出来ない踏破不可能な森だということ。

 この目に見える”異常”に困惑と恐怖を覚えはしたが、結局それ以外に害はなく、イオ自身も疑問に当然のことのように笑っていたから、なんとか受け入れることが出来た。

 他にも枯れることのないすみれが咲く丘に、元の世界には存在しえないグリフォンをはじめとした怪物。そしてイオもまた()()()()という異能を持っていた。

 

 正直、心踊った。

 なんせこれほどの非日常、英雄志望の俺にとって力を試す絶好のチャンスだと思えた。ここで何かを為すために遣わされたのだと本気で思いやした。

 

 ああ、いまにして思えばなんて自意識過剰。そんなの幻想だった。

 現実は迫りくる試練も強敵もなく、ただ日に日に弱っていく少女を手も足も出せず、見守る事しかできないのだから。

 

 

 さく、さく、と小気味よい音をたてながら緑一色の原野を歩きすすむ。羽根のように軽いイオをせおって向かう場所は、彼女のお気に入りの場所だ。 

 柔らかな風に不枯のすみれの花吹雪が舞い、丘の頂上でひっそりと佇む大岩があるだけの殺風景な場所。

 日本でも田舎を少し探せばどこにでもありそうな場所で、だからこそ立ち止まり惚けたように見入ってしまえそうな……そんなノスタルジックな場所だった。

 そこが彼女のお気に入りの場所だという。

 

 良い所だ。

 何度か来ているはずなのに見た瞬間、そんな稚拙な言葉が零れてしまう。

 

「やっぱり良い場所だよね、ここ」

 

 背の少女の声にゆっくりとうなずく。

 持ち前の健脚でなだらかな丘を登りきると、しめ縄をまとえばすぐにでも御神体として奉られそうな大岩が現れる。この大岩もなにかの力を秘めていそうだが真偽のほどは分からない。

 大岩のちかくで腰を下ろし、火を起こす。火を起こすのも手慣れて、ここに来たすぐはずいぶん手間取ったものだ。

 温めた白湯をさしだして、一息つく。

 そうすると自然の生みだすざわめきで世界は満ち、かつていた世界の喧噪は皆無なことに気付いてしまう。ふと、寂しさが去来してしまうほどに。

 

「ねぇ、タカシの元いた世界ってたくさんの人がいたんだよね……それも数え切れないくらい。夜だって暗くならないくらい灯りが満ちた世界だったんでしょ?」

「まあ、な」

「いいなぁ賑やかそうで。タカシが来るまで私はずっと一人だったから羨ましい」

 

 大岩に背をあずけ、となりに座るイオはつぶやくような声量で声を落とした。いつもは好奇心旺盛に輝く菫色の目は、いまは揺らめく橙の影であった。

 

「此処だってね、いまは私以外誰もいないけど数十年前までなら私の一族……リュビエーの一族はもっとたくさんの人が居たらしいんだよ。でもしきたりで皆あの山の向こうに行っちゃたんだって」

 

 それは何度か聞いた話だった。以前は数百人はいたらしいイオの一族はしきたりによって年々数を減らしていき、いまはイオしかいなくなったという。そのしきたりとは……

 

「……10年に一度、どこかへ移住するんだったか」

「うん。理由は知らないけど10年間に一度、1人……多くても2人ずつ。此処を離れて山の向こう側へ行っちゃうしきたりがあるの」

 

 イオはそう言って、ここから数十キロ先にあるまるでアルプスにありそうな山嶺を指差した。この丘以外はなだらかな原野がひろがるばかりだから、門のごとくそびえ立つ高峰はよく見えた。

 まるで神々の住まう場所、といわれても違和感のないほどの威容を放つ山はその先に本当に人が住める場所があるのか疑問が浮かぶほど峻険であった。

 

「それで少しずつ少しずつ、人が減っていっちゃって今はもう私だけが残っちゃった。そしてそれは私も例外なくやらなきゃいけない事」

「イオも、か」

「うん。私が十四になったらちょうどその時になるの……だからここに居られるもあと一週間くらいかな」

「そうか」

「あ、でもそっか。そうしたらタカシが一人になっちゃうね……ここにいた方が元の世界にもどる手がかりも見つかるも知れないないけど、誰も居なくなっちゃう……どうしよう」

「その時は、付いていくさ。戻る手がかりも探してはみたが、ここらには有用そうな物はなかったからな。そのしきたり二人までなら行っていいんだろう?」

「ホント? よかったぁ……ちょっとだけ不安だったの、ずっと準備はしてたけど此処を離れてあの山を登れるのかなって。でも、タカシが居てくれればなんとかなりそう」

 

 少しだけ、安心した。最近ではすっかり見せなくなった心からの笑顔をイオが浮かべていたから。

 俺なんかが旅についていくことで、彼女が安心を得れるのなら元の世界にもどるなんて二の次だった。

 それに元の世界にもどる手がかりも、山の向こうか行く途中に見つかるかも知れない。見つからなければ彼女を送ったあとで戻ってきてもいい。今の俺は根無し草の風来坊、どこでも行ける。

 

「そしたらタカシも向こうでお母さんにも会えるね。二人で会おうね。……ふふ、楽しみだなぁ」

 

 そう言ってイオはおもむろに古びた本を取り出した。彼女の母が残し、彼女がこれまで生きてこれた知識や常識が詰まってる、彼女の母のよすがたる宝物だ。

 

「イオはお母さんっ子だったな」

「うん。私を産んですぐに山の向こうに行っちゃったらしいから、もう10年は会ってないんだけどね? お母さんといた時は幼くてあんまり記憶はないんだけど、でもあの抱きしめてくれた熱はまだ忘れてないよ」

「そうか」

 

 イオの母の愛情は深いのだろうと、他人の俺だって察していた。

 手記の中には羊の管理の仕方、裁縫のやり方、狩りのやり方が事細かに書いてあり、それだけで一財産となった。他にも狩りができない幼いイオが食うに困らないよう潤沢な食糧や薪などの品々だって用意してあったのだ……並大抵の苦労ではないだろう。

 手記の中には知識だけではなく諦めずに生きなさい。手を取り合える友達を作りなさい。最後の一つは……「ふふっ、なーいしょ!」そう笑って教えてくれなかったが、一番守らなきゃいけない三つの約束事があり、それを守ればいつか母に会えるとイオは信じていた。

 手記は異世界よろしく未知の言語で書いてあり、当然のように読めなかった。喋るのはできるというのに文字が読めないとは、送り込んだものがいればアフターケア適当すぎではないかと文句を言いたかった。

 

 母を思い出し、嬉しそうに笑うイオにこちらもついつい口元が綻んでしまう。

 けれどイオの一族のしきたりの意味は計り知れないほど重そうだった。

 これほど子供想いの母が、子供を置いてでまでやらなきゃいけないしきたりなのだ……相当重要な意味があるのだろう。

 イオたちは俺のような極一般的な人間にはない特徴がある。それは尖った耳や青い髪のような身体的特徴だけではなくて、彼女たちの内包する()()という未知の力をつかい、願えば好きなときに小規模な雨を降らせることすら出来るのだ。

 明らかに人外の域であるそれをどうにかする為にしきたりと言う形で残ったのかも知れない。現実でもそういう類の話は枚挙にいとまがない。

 

「それにしても10年に2人ずつ、か……。一度に移動すれば、イオも一人にならずに済んだはずだが……なにか理由があったのか?」

「それはわかんないよ。お母さんの残した手記にはしきたりのこと自体書いてなかったし……詳しい事はぜーんぜん」

 

 ん? と、そこで疑問をおぼえた。

 

「手記に書いてないならどうやってしきたりのことを知ったんだ?」

「え? えっと、たまにね頭の中に言葉が降ってくるの……たぶんお母さんの声。しきたりの事もそれで教えてくれたんだ。私が幼いころもどうすれば分からない時に導いてくれて、なになにしなさいーとか具体的なことも、清い心を持ちなさいーとか抽象的なことも色々教えてくれるの。あ、もしかしてこういうのもタカシたちにはない事?」

「……ああそうだな。イオのやっているテレパシーか? は概念はあるが俺たちにはできないものだな」

「そうなんだ……タカシと出来るかなと思ってたからちょっと残念」

 

 やはり異世界よろしく、俺たち人間には不可能なことをやってのけるから恐れ入る。でも、驚きはしたが倦厭する気持ちは湧いてこなかった。

 元々異世界だと分かっていたし、イオが普通でないことは雨を呼んだ時点で十分に思い知っていた。

 ちなみにさっき試してみたが電気が走ったような頭痛がしただけだったから俺に出来ないのは変わらなかった。

 イオは視線を山の稜線に向けた。いつの間にか空の紅玉が稜線の先へ落ちようとしていた。

 

「ちょうどタカシが来てからかなぁ最近は降ってくる言葉の頻度増えたんだよ? きっともうすぐ会えるって事なんだと思う」

「あと一週間、そう言ってたな」

「うん。最近はちょっと体調崩しがちだけど、タカシが居てくれれば山の向こうにだって行けちゃいそう」

「ああ、俺に任せておけば問題はない」

 

 胸を叩いて言い切るとふふっとイオは安堵と愉快さの入りまじった笑いで答えた。夜のとばりが降り、彼女の瞳の橙が濃くなっていた。なぜかそれが不安を掻き立てて仕方がなかった。

 

「しきたりは、絶対なのか? 時期をずらすとか、いっそのこと辞めたりはできないのか」

 

 思わず突いてでた言葉はそんなものだった。

 

「うぅんダメだよ、それじゃあお母さんに会えなくなっちゃう。お母さんの声はね、私が言いつけを守れるいい子でいれば必ず会えるって言ってたから……だから私はいい子で居ようって決めたの。だから、守らなくちゃ」

「だが幼いイオを置いて行ったんだろう。恨んでは、いないのか」

「恨んでなんか……ないよ。小さい頃は大変だったけど……今だって声も聞こえる、この手記だってある、あの時抱きしめてくれたぬくもりも嘘じゃない。だから見捨てたなんて絶対にない。あるのは会いたいって気持ちだけだよ」

 

 そう言ってイオは遠くに聳える山嶺を眺めては目を細めた。

 

「私はいい子でいれば絶対お母さんに会えるって信じてるからいい子でいれるよう頑張るの」

 

 身体が弱りはじめているというのにそう力強く言い切る彼女は、美しくて、危うくて、そしてとても尊いものを持っているように思えた。

 俺にはそれがひどく羨ましくて仕方がなかった。

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