不撓不屈の英雄を跪かせるには【完結】   作:につけ丸

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第4話

 例えどれほどの覚悟と意志をもって挑もうと、隔絶した差は覆しようもなかった。

 

 初撃は感知不可の旋風───クロスした両腕が消失した。

 

 二撃目は発生源不明の衝撃波───外壁に叩き潰された。

 

 抵抗どころかまぶたを閉じるも暇もなく、俺は致命傷を受けていた。

『まつろわぬ神』……メルカルトはその間、指一本うごかしてはおらず、俺はその間、指一本うごかすことができなかった。なんの冗談だ、率直な感想だった。

 今の攻撃でメルカルトと俺の間に横たわるあまりにも巨大な溝をはじめて心で理解した。理解してしまった。

 個の武勇でどうにかできる存在ではない……全世界の国々が総力を結集し戦いを挑もうとどうしようもないほどの存在なのだと、うすぼんやりと理解した。

 まるで天災だ。

 巨大隕石や大海嘯と同等のエネルギーと質量に意志を持たせた者こそが『まつろわぬ神』と、そう呼ばれる存在なのだとようやく気付いた。

 

 これが真なる神、真なる猛威、真なる力の具現。『まつろわぬ神』───。

 

 理解とともにまだ生きていたらしい痛覚が絶叫を上げた。足には無数の石が突き刺さり太腿からオカシな方向に折れ曲がり腹は裂けはらわたがまろび出て肋骨が観音開きで心臓が剥き出しとなり両腕はそもそも存在しておらず触覚以外の五感は作動せず脳漿と脊髄が外気に曝されている感覚だけがあった。

 痛い。痛い。痛い。

 ふざけるな。死んだ方がマシだ。なんでこんな事になった、なんでこんな所にいるんだ、なんのためにこんなことをしているんだ。そんな疑問が降って湧いては消えていく。

 過去の自分がたまらなく呪わしい。

 喉が裂けて掠れた声で世を呪った。己の愚かさを糾弾して、神を心の底から畏れた。逃げ出したい。やりなおしたい。今すぐ許しを乞うて死を迎えたかった。

 

 だが死の直前、霞む思考のなかで色褪せず燦然とかがやく青い光があった。

 誰であろう、イオだった。

 

 

 ───()()()()()()()───

 

 

 彼女の笑顔を思い出した瞬間、脳裏をひとつの記憶が駆け巡った。

 あの誓いは嘘だったのか? ささやき挑発するような問いかけが砕けた頭蓋から入り込み、脳幹から脊髄を下って全身へ遍満した。

 

 ───そんなわけがないだろう。

 白い絶望に染め上げられた心が反転し赤熱した赫怒へと色を変わる。

 

 ああ……俺は何をしようとしたのか。彼女を、イオを残して死を受け入れようとしたのか? 

 

 ふざけるなよ木偶が。俺は敗北するために此処に来たのか? ───違うだろう。

 

 勝つために……イオを救うために俺は来た。

 それが天命。そのために生まれたのだ。

 だというのに何を勝手に散ろうとしていたのか。

 

 こんな己では駄目だ。ふと悟る。

 この柔弱な精神をそぎ落とさなければイオは……必ず守ると誓った少女は、無残な最期を遂げることとなるだろうから。───決して退くわけにはいかなかった。

 

 死を迎えた己が、新たな己へ新生する。

 以前ならば千々に砕けていた精神はもう小揺るぎもすることなく────意識は、精神は……一切の揺るぎなく存在していた。

 

 そうだ、思い出した。

 この死もまた策の一つ。

 

 強く靭やかな己を呼び起こすため。

 弱く脆い己を今ここで殺し尽すため。

 神に挑むに相応しい戦士生まれ変わるため、俺はあそこで死んだのだと。

 

 ならば此処に居るのはもう弱い己ではない。さっきまで神を畏れ這いつくばり諦めていた己は、死んだ。

 ……今ここに在るのは不朽不滅の己。

 だからさっき潰れた圧潰した己など己ではない……己が此処に在るのが何よりの証拠。故に───

 

 

「───俺はまだ生きている」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()。ふたたび己の両足は大樹の如く大地を踏みしめた。

 意志の力による黄泉返り、という超常の世界だからこそ為し得た超常の御業。

 

 元の世界では天地がひっくり返っても不可能だった事。俺も頭では出来ると理解していたが、元はそんな眉唾なものからは切り離された世界の住人だったから、いささか不安だったが───もう迷いはなくなった。

 

 死なないと、死ねないとわかったから。

 殺されるたびに訪れる死の恐怖は消え去った。そして俺は殺され続ければいいのだ……あの『まつろわぬ神』が折れるまで。

 

 これが唯一思いついた打倒の策。

 ……結局、弱者である俺の取れる選択肢なんて存在せず、それゆえの苦肉の策だった。だが自我を見失うほど狂気的な自己暗示と自己陶酔はここに実を結んだ。

 

「これでお前の勝機は完全に無くなった。お前が敗北を認めるまで、付き合ってもらうぞ」

「戯けたことを」

 

 やり方は覚えた───さあ、あとは勝利を得るまで無窮に繰り返すだけ。

 

 

 

 

 神威により圧潰した。鎌鼬によって真っ二つになった。吐息で滅びた。イナゴの大群に貪り喰われた。踏み潰された。殴打で塵となった。ヤグルシで吹き飛んだ。アイムールで抉られた。生き埋めになった。脳を握り潰された。剛腕で引き千切られた。手刀で裂かれた。稲妻で撃たれた。蛆の苗床になった。イナゴに変えられた。達磨になった。圧死した。焼死した。窒息死した。溺死した。死。死。死。死。死───。

 

 体感時間は3日を刻んだ頃だろうか。唐突に攻撃が止む。

 見れば『まつろわぬ神』が呆れたようにこちらを見下ろしていた。

 

「ふん、往生際が悪いな小僧。今ので自分が死んだのが何度目か分かるか? 10000だ。貴様、これをいつまで続けるつもりだ?」

 

 馬鹿を言うなまだ10000程度だろう。俺は回数よりもこんな序盤で攻撃の手をゆるめたお前に驚いたぞ。

 挑発するように口角を吊り上げる。

 

「───無論、お前に勝つまで」

「……愚かな」

 

 ふたたび殺戮が始まった。

 

 

 

【15万9530回目】

 

 

 思考がかすむ。

 もう殺された回数なんて数えている訳もなくて、刻まれていた体感時間もとうに狂ってしまった。痛みが、辛さが、疲弊が、恐怖が、今にも精神を破壊しようと手ぐすねを引いてすり寄ってくる。

 よるな、よるな。

 何度殺されようと変わらない、まぶたの裏のイオだけが救いだった。降りそそぐ死の雨に野晒しになりながら、意志を燃やした。

 

 

【31万4419回目】

 

 

 苦しい。蘇生した途端、洪水を呼び起こして水中に沈められた。といってももう慣れたもの、この殺し方で1万回は死んでいる。……けど都合は良かった。精神が摩耗し疲労してしまっていたから、ここの所身動きが全くとれなかったのだ。もう意志や覚悟では誤魔化せないほどに。

 上下左右の平衡感覚すべてを見失いながら、擦り切れ摩耗しながらも、譲れないものためにふたたび意志を燃やした。

 

 

【60万2450回目】

 

 

 確率はどれくらいなのだろうか? うすぼんやりとした思考のなかで益体もないことを考える。

 人間が神を弑する確率が寸毫でもあるとして、それはどのくらいの確率なのだだろうかと。億? 兆? 垓? 那由他の彼方の先に、人が認識できる無量大数の果てで、その勝利を一度でも拾える事は可能なのだろうか。

 もしかすると、そんな事は不可能なのかもしれない。イオの母も考えることすら馬鹿らしいという風だった。

 ならこんなことをしている俺は途方もない愚か者なんだろう。───でも、退けない。

 意志を燃やす。

 

 

【77万2978回目】

 

 

 イオ。イオ。イオ。たった二週間だったけれど途方もなく幸福な記憶。あの日々は夢だったんじゃないか……この無間地獄にいると時たま疑ってしまうほどの、幸せな時間だった。

 また君に逢えるだろうか、逢ってもいいのだろうか。ああ、許されるならば、そよぐ風に靡く髪を梳きながら、そっと掬って君の匂いを感じたい。

 なんて贅沢な願い……一目見れずとも、勝利を得れればもう今生に悔いはないけれど。イオ。イオ。イオ。

 

 そこで思考が断ち切られた。衝撃とともに下半身が泣き別れしていた。

 ああ、すまないメルカルト。お前を前にしているというのに都合のいい妄想に逃げていた。もうよそ見はしないさ。

 

 

【85万6412回目】

 

 

 意志の回復とともに体の感覚が消失した。

 思考が断裂する瞬間、意志が迸った。

 

 

【99万9999回目】

 

 

 意志の回復とともに体の感覚が消失した。

 思考が断裂する瞬間、意志が迸った。

 

 

【120万0704回目】

 

 

 意志の回復とともに体の感覚が消失した。

 思考が断裂する瞬間、意志が迸った。

 

 

【204万2179回目】

 

 

 倒す。奴を。

 

 

【364万6902回目】

 

 

 まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【5108万8700回目】

 

 

 またメルカルトの手が止まった。

 

「もうよかろう……貴様は『神』ならぬ身でありながらよくここまでわしに健闘した……。不撓不屈の竜狩人にして雷光の化身たるメルカルトが喝采と栄誉を贈ろう。いま膝を折り、わしに仕えることを選べば格別の加護をおぬしとあの……」

「───知っているぞバアル=メルカルト」

 

 やめてくれメルカルト、なんとなくその先の言葉の先は分かるよ。でも俺に慈悲を与えようとするな。疑問を抱かせるな。心を折るな。

 そう嘆きながらメルカルトの遮って嘲弄するように笑い、言葉を紡ぐ。

 

「お前は数多の神々を統べる神王でありながらゼウスやアフラ・マズダほどの絶大な強権は振るえなかったらしいな。お前は海や大地を信仰する民を武力で制圧した遊牧民の崇める嵐の天空神、征服神や武神の輝かしい側面もあった……けれどウガリットの神々の頂点はあくまでお前の父イル、神々との会議があってもイルからの意思を伺わねばならず、また海の神である竜ヤム討伐を為す際も苦戦の連続で、勝利を得るにはコシャル・ハシスから武器を貰い受けねばならなかった。そうだな?」

「貴様……」

「極めつけは死の神モートとの神話だ。お前は激昂するモートを怖れ、冥府に来いという要求を唯々諾々と呑みながら身代わりの子供を作って冥府に送った。その上でモートを殺し解決したのはお前でなく、妹にして妻たるアナトだった。故にお前は神々のなかでも武勇ではアナトに譲る形となった。

 ……お前の話を知ったとき俺はな、女には頼りっぱなしの情けない奴だって思ったよ。だから……」

 

 嘲弄の笑みを哄笑に変え、凄惨に笑い飛ばす。

 

「なあメルカルト───そんなお前に褒められても俺はこれっぽちも嬉しくはないぞ」

 

 

 ふたたび殺戮が始まった。

 

 

 

【5億4327万3032回目】

 

 

 …………

 

 

 

【60億1935万2789回目】

 

 

 意志は不思議なほど横溢していた。でも終わりのない泥沼に心はすでに壊れていて。

 

 あと一度でも膝を屈せば、起き上がる事も指を動かす事もできなくなるだろう。

 あと一度でも疑問を抱けば、なにか考える事も叶わず心が砕けてしまうだろう。

 あと一度でも慈悲を投げかけられれば、意志は萎え諦めてしまっただろうから。

 

 だからメルカルト、俺はお前が相手で良かったと思うよ。厳しい武神の放つ無慈悲なヤグルシの一撃を余すところなくその身に受けて、ふたたび意志を燃やした。

 

 

【100億3212万3719回目】

 

 

 ……

 

 

【1855億6821万1004回目】

 

 

 ……

 

 

 

【3兆3109億4026万回目】

 

 

 心を強く持て。

 小揺るぎもさせるな。

 

 

 

 

【】

 

 

 イオ。

 

 

 

 

【】

 

 

 

「────────────────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───いい加減しろォォォ!」

 

 吼えた。俺ではなくメルカルトが。

 

「貴様、いつまで続けるつもりだ! 貴様をあと何度殺せばこの茶番は終わる!? もはや時の流れは星の一生を数えるほどとなったのだぞ! 何故擦り切れん!? 何故諦めん!?」

 

 堪忍袋の緒が切れたように叫ぶ声は、困惑と忌避に満ち、戦い始めた威厳はどこにもなかった。

 そうだろうな、まったく同感だ。俺だってこんなバカげた狂宴、やりたくもなかったしサッサと終わらせたい。でも、後ろにはイオが居るから。退けない理由があるから。勝たねばならないのだ。

 

 メルカルトは不老不死なれどこちらの意志も不朽不滅。メルカルトには妄執じみた野心と思いがあろうと、こちらには不退転の覚悟と想いがあった。

 

「貴様は何度死んだと思っている!? 諦めろ! 人間が神に勝てるものか!!!」

「そうでもないさ」

 

 そう言わないでくれ。勝算はあったんだ。一回目……あの一回目こそ、この戦いの分水嶺だった。

 どれだけ此処が現実とは違う法則が敷かれていようと、己がその一端を感じようと、現実でなら即死不可避の一撃を受けて生き永らえることができるか、正直半信半疑だった。

 一度、甦るまで信じられなかったさ。でも、死なないと証明された。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。あれこそ100%敗北するはずだった状況を覆す、一手だった。俺は虎穴にはいったからこそ、勝機を見出せた。

 メルカルトの失敗はあそこで俺を消せなかった事に尽きる。

 

 痛みにも死ぬことにも慣れて、今なら呼吸するより簡単によみがえる事ができる。すると、別の事にだって意識を回せる余裕が出る。

 たとえば己を守る盾が欲しい。そう願えば───

 

「そら……こちらは精度が上がったぞ」

 

 手中には盾が存在していた。ここは精神の世界、ひどく移ろいやすく曖昧で、何もない世界。だからこそ意志さえあるなら0を1にすることも可能な世界でもあるのだ。

 

「だから、どうしたァァァ!!!」

 

 どこか怖れを含んだ声でメルカルトが叫び、雷光を纏うアイムールを振りかぶって全力で投擲した。もうメルカルト自身も限界が近いようだ。明らかに精彩を欠いている、たとえ『神』であっても幾星霜の年月には摩耗するものらしい。

 だったらここからの勝負は五分、根気の問題だ。いつもと変わらない。淡々と俺は意志を燃やし続ければいい。

 

 こんな風に───! 

 

 掲げた盾が、メルカルトの放ったアイムールの一撃を……初めて『神』の一撃を防いだ。

 盾はもう取っ手しか残っておらず、骨は両腕どころか全身がグチャグチャ、肉もミンチ寸前だが防いだ。生き残った。そう、生き残った。

 

 ───この戦いのなかで初めて為した快挙だった。

 

 それはメルカルトにとってこれ以上ない揺さぶり。

 メルカルトの厳めしい表情が崩れ、寸毫とはいえ()()()()()。それを見逃しはしなかった。

 揶揄うように酷薄に、笑う。

 

「───気圧されたな。ただの人に」

 

「───ッ! ヤグルシよ! 疾く翔け、疾く飛び、疾く薙ぎ払えぇぇえええええ!!!」

 

 虚空から呼び出されたヤグルシ。烈風を纏う魔法の棍棒はメルカルト自慢の武器で、その絶大さは何度もこの身に浴びている。

 今回はここまでか仕方がない、次だ。

 そう破壊を受け入れて……───だが予想に反して衝撃が訪れることは、なかった。

 

 驚いて見やれば、ヤグルシが俺の前で浮遊し「さっさと掴め!」と言わんばかりに柄を差し出していたのだ。思い当たる節がなくてでもまさか、と瞠目しながら訝るように問いかける

 

「お前、力を貸してくれるのか?」

 

 ヤグルシ……「反撥するもの」と言う意味を持つコイツはあの強大なメルカルトですら手に負えないじゃじゃ馬らしい。メルカルトが揺らいだ瞬間、俺に寝返るほどに。たしかにヤグルシは意志持つ魔法の棍棒で、そもそもメルカルトとは違う鍛冶の神が鍛造した武器。絶対の関係ではなかったようだ。

 

「ッ゛う!」

 

 鎌鼬が頬を裂いた。使うのか使わないのか、答えを催促しているのだ。

 

 ああ、すまない。

 ごちゃごちゃ考えるのはよそう。力を貸してくれるのなら……活路が拓けるなら───なんでもいい!!! 

 

 手を伸ばし、柄を握りしめる。

 ヤグルシはじゃじゃ馬だ、それは俺にもいえること。現に寝返ったはずの俺にでさえ器量を見せねば殺してやると言わんばかりに暴れまわりはじめた。今でも手のひらの肉が爛れ、骨さえ見えはじめた。纏う疾風に、神経が裂かれ剥かれていく。

 

 だから、どうした───ッ! 

 

 ヤグルシを意志の力でねじ伏せる。星の一生の年月を貫いた意志にヤグルシは歓喜し、合格だと言わんばかりにいっそう情報量が増す。まったく優しくない。

 だけど、今は言う通りにはしてくれるらしい。

 

「バカな! ヤグルシがわしを裏切っただと!?」

 

 まさかの裏切りにさしものメルカルトも信じられないと目を剥いた。それはこれまでの殺戮劇のなかで空前の出来事。そして、刹那の間隙が生まれた───。

 

「さぁ、終わらせようメルカルト」

 

 意志の力で大跳躍し、十五メートルはある背丈を飛び越してメルカルトの上を取る。

 

 ヤグルシを振り上げ一気にメルカルトの巨体を縦一文字に───引き裂いた。重力と膂力、ヤグルシのアシストを受けた一撃はメルカルトの半身を消し飛ばしたのだ───。

 

 明らかに致命の一撃。

 たとえ『神』であろうと手の出しようもないダメージを受け、メルカルトは地に伏した。

 

 けれど、そこに感動も達成感もなかった。

 俺自身分かっていた。

 この結果は己だけでは為し得なかった、と。

 

 メルカルト自身が死ぬことに協力したからこそ為し得たのだ。例え神の振るう武器であろうと相手は『神』……どれほど凄まじい武器を振るおうと人間が突いただけでは致命傷にはならない。

 では何故か。

 あのとき、メルカルトの攻撃を俺が防いだとき。メルカルトは億を超え兆を超える悠久とさえ評してもいい刻の中で、一瞬とは根負けした。刹那でも敗北を認めたのだ。……それは自死を認めるに等しい事だった。

 

 だからこそ俺はメルカルトを討てた。

 それはなんとなく理解できた……それほどの長い時間、俺たちは殺し殺され、時間を共有しあったのだから。

 

 倒れ伏したメルカルトの眼前に、俺が立ったときメルカルトは……偉大なる神王は微かに笑って。

 

「フ──あの草薙某といい、貴様といい……定命の者がわしを利用し、わしを相手取って、わしを討つか。……ハハハ! 人間とは存外、強かな者たちであったか」

「ああ。今度また出会ったときは別の縁を作ろう」

「クク、それはいい。この縁はもう御免被るわ」

 

 


 

 

 

 

 

 

 ───イオ。イオ。

 

 

 

 どこか暗くてあたたかい場所で微睡みに揺れていたわたしの元にやさしげな声が届いた。イオ。イオ。どこかとおくで聞いた声。けれど思い出せなくて。もどかしくて。かなしくて。

 でも、ああ、そうだ。ふと、思い出すものがあった。わたしはこの揺り籠のなかで十年余も微睡んでいたんだ。

 生まれる前からこの無明のしずかな暗やみに抱かれていた。生まれ落ちても変わらず、わたしをつつんでくれた無形のかいな。

 わたしの一生をみまもり抱きしめてくれていたかいなは、けれども今はとおく離れていて手を伸ばしてもどれだけ歩いても、決してとどかないところにいた。もっとふれあいたくて、もっとつつまれていたかった。だからもっと近づこうとして……

 

 

 ───なりません。こちらへ来てはだめ。

 

 

 やさしく拒まれた。

 どうして? どうしてそんなこというの? どうしてそっちにいってはいけないの? 赤子のように問いかける。

 真にいまのわたしは赤ん坊だった。かいなの加護をなくして、へその緒をきられ、肌にかんじるつめたい風に、おどろいて泣きじゃくるだけのただの赤ん坊。

 問いかけのことばに困ったように微苦笑する気配がつたわってきて、教えさとすような声がふってきた。

 

 

 ───母はもう役目を終えました。あなたはもう十分に育ったの。ほら、よく見てごらんなさい。

 

 

 言われ、見てみれば、そこには赤ん坊の面影もない成熟し溌剌とした()()()が立っていた。なさけなく、顔をゆがめながらも、自分の足で、立っていた。

 

 自分の姿にきづくと無形のかいなは()()のようにあつまって、わたしによく似たすがたを形づくった。

 

 ああ、もう逝くのだ。声を聞かずとも、表情を彩ったやさしげな微笑みだけですべてを悟ってしまう。

 

 待ってお母さん! 

 

 そうすがって引きとめたかったのに、手を伸ばせない。足がうごかせない。声がでない。そのあいだにも淡くほほえんだ母は()()()のごとくとけて天にのぼっていく。

 いや、いや、いや。

 駄々っ子がするように首をふってもどってきてと叫びたくて。できなきくて。また子どものようにうずくまっては泣きそうになった。

 

 

 ───泣いてはなりません……もうその涙を私は拭えませんから。それにほら、あなたはもう一人でも立てるはずですよ。

 

 どうして? どうしてそんなことがいえるの? わたしにはわからないよ。

 

 ───わかりますよ。なにせ、あなたは私の自慢の娘なのですから。だから、必ず立てますとも。

 

 

 こらえていた涙がこぼれ落ちなかったのが不思議なくらいやさしい声だった。

 

 

 ずるい。ずるいよ。そんなこと言われたら、わたしはもう立つしかないじゃない。

 

 ───ふふ。でも大丈夫……母がいなくてもあなたには勇者が、あなたを救ってくれる英雄がいますから。

 

 

 英雄、かみしめるように口の中で反芻し、思い当たる人がいた。

 そうだ。たしかに彼はいた。

 初めて会った誰か。初めて言葉を交わした誰か。初めて心を通わせた誰か。

 

 抱かれていたかいなが去ったあと、すぐに彼はあらわれた。彼とつむいだ時間はひとりでいた時間に比べればほんの一滴でしかないのに、十倍にも百倍にも思える濃密な時間で。

 

「ありがとう」の感謝の言葉を、幾万とかさねてつんでも足りないほどの無謬の光。

 突然あらわれては無知のわたしに億千万の感情を抱かせてくれたかけがえのない貴方。

 数えきれないほどわたしを救いつづけれくれたすこし偏屈で唯一無二不撓不屈の大英雄。

 

 それだけでも返しきれない恩を受けたというのに、彼はまたわたしの知らないところで救ってくれたのだと母は教えてくれた。

 不可能をくつがえして。

 今すぐ会いたかった。不器用な彼の傍に居たかった。帰りたい。帰らなくてはならない。

 

 ───さぁ、かえりなさい……あなたを必ず守ると誓った彼のもとへ───。

 

 うん! うん……っ! 

 さようならお母さん! さようなら! ほんとうにありがとう……! 

 

 

 

 

 

 目を、醒ます。

 

 まず感じたのは嗅ぎなれた部屋のにおい。

 

 生まれてからずっと住みつづけている生家のにおい。

 

 その次は自分のにおいと……そして誰かのにおい。

 

 会いたい。

 

 一呼吸するごとに思いは募った。

 

 ベッドから身体を起こす。

 

 力んだ瞬間身体のそこかしこから絶叫じみた悲鳴があがった。

 

 蝕まれ衰弱していた身体はいまだ不自由の毒が抜けず、まともに動かせるものではない。

 

 かまうものか。

 

 毛布をはぎとって、ベッドから抜け出す。

 

 神経が灼熱にあぶられたような痛みが全身を駆けめぐる。

 

 床に足を付け、力いっぱい立ち上がる。

 

 ゆるゆるとなんとか立ち上がった瞬間に弱りきった身体はくずおれてしまう。

 

 風が撫ぜるだけで痛みが走る身体には地獄の苦しみだった。

 

 かまうものか。

 

 彼に会うまで絶対に諦めない。

 

 きっと彼がそうしていたように。

 

 這ってでも、死んででも、逢いに行く。

 

 零れ落ちそうな涙をこらえて。

 

 


 

 

 

 

 

 ───菫の咲き乱れる花園を歩いていた。

 

 久しぶりに訪れた丘はあたり一面、すみれ色に染まり、空の青ささえおおい隠していた。

 不枯の花びらが散っているのだ……丘全体を染め上げるほどの花吹雪がたえまなく吹いていた。

 その光景はまるで牢獄に囚われていた虜囚が解放された様子さながらで。

 陽光の透けるほどうすい花弁の一枚いちまいが躍っているようだった。

 

 ひときわ大きな風が吹いた。

 たまらず目を瞑ってしまって、また舞い上がったすみれに視界を遮られる。

 でもそれが最後だったみたいだ。紫の花吹雪が止んだ。……するとその先に人影を見つけた。

 誰であろう……会いたい会いたいと焦がれていた人だった。

 

「タカシ!」

「……イオ」

 

 イオ。イオだ。タカシ。タカシだ。また出逢うことができた。何度夢見ただろう。この時を。

 ここが終点だった。永遠のようで一瞬だった旅路が終わったのだな、そう思えば鋼さながらで無感動だった胸中に万感の想いがあふれ出た。

 

「もう大丈夫だ」

 

 短く告げる。

 イオはその言葉にくしゃりと表情をゆがめてはすべてを察しているように頷いてくれた。彼女を見ながら、ああ……報われたな、とまた想いが溢れて、不器用な笑みが浮かんだ。

 ここまで来るまで無茶をしたのだろう。そこかしこが汚れ、傷付いていた。許されるならば、今すぐにでも抱きしめたかった。

 

「うん……! ……お母さんがね、教えてくれたの……タカシがみんなみんな解決してくれたって! わたしを救ってくれたって! ありがとう……ありがとう……!」

 

 そうか、あの人が。もう去ったであろう偉大な母に感謝を送り、黙祷を捧げた。あのひとのおかげで俺は彼女と出逢い救うことができた。感謝してもしきれない。親の顔を見たこともない俺にとって、初めて母というものを示した英雄にも匹敵する偉大な方だった。

 だからこそ喜んでばかりはいられない。つらい現実もイオに告げなければならなかった。

 

「イオ。君の母は……」

「うん、わかってる。もうお母さんはどこにもいない……あの山の向こうにも……」

 

 お母さん……! そうつぶやくと二条の雫がほほをつたった。

 今まで堪えていたのだろう、大粒の涙がたえまなく流れ出て。

 去来した想いはただ一つだった。

 

 ああ、いま分かった気がする……───ここにいる理由が。

 彼女を救うことこそが天命だと思っていた……けれど違った。そうだ俺は───

 

 

 彼女の涙を拭うために俺はここに来た───。

 

 

 そう思い至ったとき。

 俺はイオの前で膝を付いて、彼女の繊手をとっていた。

 懐からひとつの指輪をとり出す。指輪は常春の陽を浴び目に沁みるほど輝いて、この上なく彼女に相応しかった。

 

「君のお母さんがくれたんだ」

 

 俺の言葉におどろいて目を丸くするイオに笑みを向ける。

 いつも引き攣ったようになるけど今度はうまく、笑えただろうか。

 

「それでその……。俺の世界では、指輪を贈った人が受け入れてくれるなら家族になれる風習があるんだけど……」

 

 君が良かったら……。もぞもぞと女々しいほど声は小さくなっていき、らしくもなく顔が火照っているのを自覚する。

 

 ……ここで躊躇うな! 男を見せろ、正木隆! 

 

 自分で自分のケツを蹴り飛ばし、俯いていた顔を上げて何よりも愛おしいイオを見据える。心に湧く感情をバネにやっと言葉を紡いだ。彼女は受け入れてくれるだろうか。

 

 

「───家族に、なろう」

 

 

 

 

 

 かくして不撓不屈の英雄は跪き、朝露にぬれた蕾は満開の大輪を咲かせた。

 億千万の時を経て、ふたつの影は重なり合った。

 

 

 ───しあわせにおなりなさい。

 

 

 そよぐ風が二人を祝福していた。





ガバガバ設定の作品にお付き合い頂きありがとうございました。タカシくんとイオちゃんのお話しは一応の完結です。なんとか書いたので本編を書いていきます。止まるんじゃねぇぞ……。
ほな、また……。

設定置き場&補足(スルーしても大丈夫です)

この作品に出てきたまつろわぬ神は原作に出てきたメルカルトです。
イオたちから見て、およそ三百年前にアイーシャ夫人が開いた穴によって迷い込んできました。迷いこんだメルカルトの神霊は復讐に燃えかつての力を取り戻す決意固めました。その後すぐに滋養となる雨の一族を見つけ、災いを起こし生贄と捧げるよう脅迫しました。

雨の一族はかつてはヘラの一側面でもある女神イーオーの零落した神祖の裔で、彼女たちは一様に慈雨の力がありました。これはバアルまたはメルカルトが持つ慈雨の神性と相性がよくがイオの代でもうあと一歩のところまで快復していました。

生贄を出す期間は十年に一度。と言っても当初はいくつか集落があって数百はいたリュビエーの一族でしたが、その集落ごとに生贄を欲し、期間も短いものでした。
外界との関わりも絶たれ、女性しか生まれないリュビエーの一族はメルカルトが減らしすぎたと気付くまで大幅に数を減らしていきました。
その後は時折外界からメルカルトが男を神隠しし、子供の一人は生贄、もう一人は子を生むため、双子が生まれるよう加護を与えました。
神隠しを起こし交合させる男は性を放った時点で死に、墓だけが残りました。メルカルトの啓示を受け続けていた為かリュビエーの一族は代を経るごとに呪力は豊潤に、先祖帰りをしていきました。

そうやってリュビエーの一族は減っていき、イオは最後の生贄であり、累代の者たちの中でも巫女として最高峰の素養を持ちます。最後の生け贄であるため双子の加護も、ただの加護に変わりました。
イオの母リライアも巫女として優秀ではありましたが魔女としての適性が破格で、一代で神の片鱗に届き得る才能を持っていました。彼女が居なければそのままメルカルトは復活していたでしょう。
リライアは母と妹を送り出した時、メルカルトの目論見に気付き、内部からではどうしようもないと悟り外界からの介入を頼みとしました。
幽世における禁足地の扉は強固で抜け出すことはできないが忍び込ませることはできるほど、彼女は術を極めていたと言えます。
その後リライアは術を行使し肉体は失いましたが精神体としてイオを見守り続け、決別は隆の召喚によって行われました。
肉体より精神が上位にくる世界……これはメルカルト自身が神霊であり肉体のない己のため世界をそう定めたのです。これによって隆も生前と変わらない生活を送れました。
メルカルトとの決戦ですが、精神が何より上位にくる世界で人間相手に倒せないから、面倒だから、そういった思考で環境を変える事は逃げに等しく、もとよりまつろわぬ神はプライドこそが根幹をなし、さらに武人肌であったメルカルトがそんなことをすれば敗北を認めるようなものでした。
もしこれがロキやヘルメスあたりだったら隆は普通に死んでます。

余談。
もともとゼウスの愛人として有名なイーオーとはもとはヘラの別名であり同一神であった。そのためヘラと同一視されたユーノーの祝日である2月14日はリュビエーの一族にとって一番力が高まる日だった。(少し強引かな)
同時にイオの14歳の誕生日でもある。

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