どうして、どうしてこうなったのだ。
自身の血鬼術である黒い木の根が次々に刈られ、迫る炎を幻視する鬼———六条は焦りと怯えという久しく感じることのなかった感情の渦中にいた。
この山を拠点にしてだいぶ人を喰らった。血鬼術も使えるようになって更に喰らった。今日もいつも通りに人間を喰らってやるつもりだったのに、私の悲鳴で男が釣れるのはいつも通りだったから血鬼術を仕込んだ木立に同化して何人かの男を捕らえるつもりだった。
一人目を捕らえたところで鬼狩りの小娘二人がやってきたのだ、そうだ、ここからおかしくなり始めたのだ。この前来た鬼狩りはこの深い暗闇に慣れる前に食ってやれたのに、どうして捕まらないのだ。同化したままでは威力が落ちるからわざわざ姿を見せてまで叩き潰しに行ったのに、どうして私があんな子娘どもに追い詰められているのだ。
「この、蠅が!」
蠅のくせに、鬼に敵わない矮小な人間のくせに!悔しい。
下唇を思いきり噛むとすぐに血の味が口内に広がった。悔しい、悔しい!頭が沸騰しそうだ。ああ、けれど
「———このまま終わりたくない」
ひどく懐かしい感情に思考が揺さぶられた。
あの時も・・・あの時?・・・あの時はどうしたのだっけ、そう、あの時。ああ・・・そうだった、相討ち同然でもちゃあんとあの人の腹の中身をぶちまけてやったんだった。
反射的に収束させてしまった血鬼術が鬼狩りの炎に飛散されるなか、千切れた木の根を修復することもなく六条はとっさに地中に残した一本の木の根を全力で伸ばした。炎を背負う鬼狩りの足元に向かって。
六条と鬼狩りを隔てる木の根がことごとく吹き飛ばされ二人の視線が交わった瞬間、六条の血鬼術は鬼狩りの背後から姿を現した。
本当は真下から串刺しにしてやりたかったのだけれど、それでもまあいいわ。それにしても、いいわねえ・・・その顔、あの人もそんな顔したわ、その青褪めた間抜け面。
鬼が嗤う顔を見た時にはもう遅かった。
ずぼっと背後から音がして、気づいた時には先の鋭い真っ黒な木の根が自身のの心臓を捉えていることが千晴には分かった。けれど千晴の態勢は鬼の血鬼術を打ち払ったまま、刀を持つ腕は下がり姿勢は前傾、完全に崩れている。
終わりという文字が脳裏でチカチカとはじけた。
けれどまだ、まだ「死にたくない」その思いがどっと千晴の胸中であふれた。死にたくない、痛いのも嫌だ。本当は怖いのも嫌だ。でも刀をとるしか、自分の力でしか自分を守れないから。
「動けっ」身体。
踏み込んだまま重心の乗っていた足を宙に蹴り上げて一気に体を反転させる。傷を負うのは確実だがこれで一旦終幕からは遠ざかる。
しかし瞬時に切り替わった視界が捉えたのは迫りくる脅威ではなかった。
艶やかな髪に留まる青紫の蝶——胡蝶の背中だった。細い刀で木の根を打ち払ってはいたものの、肩口がざっくりと斬られているのが目に入った。
「なんで」という言葉すら出てこない、有り得ざる光景に千晴はただ口をぽかんと開けて呆けていることしかできなかった。しかし、
「何してるんですか、ぼさっとしない!」
瞬時にこちらを振り向いたしのぶの大喝に千晴の弛緩した体は跳ね起き、思考は背後の鬼に集中する。
「鬼の首は」
「いける!今度こそしくじらない」
極度の緊張状態は千晴の察知能力を引き上げたのか、見えていないはずの背後の状況が手に取るように分かった。
血鬼術は修復されて鬼の足元から再び木の根が溢れ出た。濁流のように押し寄せるそれは、しかし千晴に届かない。
「二度も同じ手なんぞ……喰らうか馬鹿ァ!」
振り向きざまに跳びだして一閃。赤き刀身は猛獣となって違うことなく鬼の首に牙をむく。
「伍ノ型 炎虎ォ!」
振り向く体の回転も乗せた全力の一撃はその字のごとく虎となって血鬼術ごと鬼を屠った。喰いちぎられた鬼の首はとさりと地面を転がって、木の根はすべからく霧散した。すでにボロボロの体もはらはらと儚く崩れ始めていた。
終わりの幕が垂れたのは六条だった。
伍ノ型を放った際に切り倒してしまった数本の木も鬼と同様に地面に伏し、暗闇を作り出す深い木々の中ぽっかりと開いた隙間から一筋の青白い月光が優しく千晴たちを照らしていた。
寂しさを感じさせるほどに美しい月光の中で鬼はボロボロと形をなくし、ついには消えてしまった。豪奢な着物の切れ端だけが風にさらわれるのを見届けて千晴は手に握った刀を腰の鞘に戻した。
キンッと鳴る鯉口の音で千晴はいつも戦いの終わりを実感する。張り詰めた緊張がふっとほどけて手足の先までじんわりと血が通うのが今はひたすら心地よかった。
しかし彼女は忘れていた、鬼殺が終わって弛緩した思考は自身の失態ともう一人の少女を忘れていた。
突然首の後ろと両肩がガッと下方に引かれた。完全に緩み切っていた千晴は「おわっ」と素っ頓狂な声を上げて現状の把握に努めると、いつの間にか正面に回っていたしのぶが千晴の襟ぐりを掴んでいるのだった。
しのぶの顔は俯いていて見えないが、額に浮かぶ青筋が怒りを明確に伝えていた。さらに視線を下げると肩口の傷は軽くないようで白い羽織を赤が染めているのが見えた。瞬時に自分の失態を思い出した千晴はこれからされるであろう糾弾を前に身を固くした。
そんな様子に目もくれずしのぶはゆっくりと口を開いた。
「あなたは、そんなに私が信用ならなかったんですか?」
「・・・・・・・ん?」
ぽつりとこぼされたしのぶの言葉は千晴の予想と大きく異なるものであり、戸惑う千晴を置き去りにしてしのぶは続ける。
「最初に会ったときだってがっかりしたような顔をしていましたし、任務が始まってからも索敵が得意なことをを伝えられてない、血鬼術に囲まれたときだってずっと私が討ち漏らさないかを気にしてましたよね」
段々と強くなる語調を一度切り、しのぶは俯いていた顔を上げて半ば呆けた千晴をキッと睨み上げた。
「挙句の果てには独断専行!本当に何なんですか、私の体が小さくて頼りないからですか!」
最後は叫ぶようにして言い切ったしのぶは千晴の襟ぐりから手を離すと悔しそうに眉根を寄せて下唇をかんだ。そうしないと涙が出てしまいそうだった。
鬼狩りになって長くないしのぶは合同任務の度に悔しさを押し殺してきた。
剣の腕も申し分なく、毒という新たな手段で確実に鬼を討ち取るしのぶを、しかし周囲は未だ認めなかった。首を切れない非力さ、ただその一点がしのぶを苛んでいた。
認められたくて鬼殺隊に入ったわけではないが、「お前なんぞ」と向けられる視線は姉に追いつきたい彼女を焦らせ、苛立たせた。そんな積み重ねが今回爆発してしまったのだが、しのぶの内心を知らぬ千晴はただただ呆けるしかなかった。
目の前の少女——まあ、同年なのだけど、彼女は自分よりも小さく華奢で、多分純粋で正直なのだと思った。
きっと誰かに助けてもらえた人だと、千晴はそう思った。
「別に、胡蝶殿の腕が信用ならないと思ったわけではありません。実際あなたの方が手練れでしょうし」
自分よりも感情を高める相手を前にして逆に落ち着いた千晴は口調も丁寧に言葉を返した。
しかし思わぬ返答にしのぶは眉間のしわを緩め、かわりに怪訝そうな顔でこちらを見上げた。訳が分からないと訴える紫の瞳を見て千晴は確信した、しのぶはきれいな人なのだと。きっとまだ人の恐ろしさを知らぬのだろう。
鬼殺隊にはしのぶのような——千晴に言わせれば馬鹿みたいに真っ直ぐな人間が多かった、それでも居心地が悪いだけでなにもなくやっていけた。しかし何故だかしのぶは癪に障った。
自分と同じ年齢だったからなのか、同じ女だったからなのか、はたまた真っ直ぐに感情をぶつけられたからなのか、軋轢を嫌う千晴がいつもなら絶対に言わないことがしのぶを前にすらすらとこぼれていった。
「ええ、私は別にあなただから信用しなかったのではありません。誰であっても信用しないだけです」
先程とは一転しのぶが呆けるのにも構わず千晴はつづけた。
「大体、他人に背中を預けるなんて冗談じゃない。何が背中は任せろですか、他人に任せる命なんてありませんよ。自分の命があればいいじゃないですか」
千晴はいったん言葉を区切りしのぶに向けていた顔をそらしてぼそぼそと続けた。
「ただ、そうは言っても庇っていただいたことは感謝しています」
そらした顔は戻さずに視線だけしのぶに戻す。
「ですが今後このようなことは控えた方がいいと思います。そうやって他人を助けるのも自分が傷つかない範囲でやらないと」
千晴がこともなげにそう言うのをしのぶは信じがたい気持ちで聞いた。しのぶが鬼殺隊に入ったのは最愛の姉と共に鬼による悲しみの連鎖を止めるためであったし、生来の善良さと亡き両親の教えで困っている人には手を差し伸べることが当たり前だった彼女にとって千晴は異質だった。
理解はできるが納得できる考えではなかった。
しかし今の言葉と千晴の今夜の行動がスッとつながってしのぶは一つの結論を導き出した———喪上千晴は人を全く信じていないのだと。
千晴への戸惑いや一般人の安全を優先しないことへの怒り、信じないと公言されたことへの苛立ち、様々な感情がしのぶの胸中で渦巻く中ひときわ大きく感じたのは疑問だった。
「では何故、何故あなたは鬼殺隊に入ったんですか」
「・・・生きるためです」
一拍置いて示された答えにしのぶの疑問さらに深まった。さらに質問を重ねようとしたしのぶだったが、
「あのぉ」と控えめにかけられた男の声で思考の海から一気に現実に引き戻された。
それは千晴も同じだったらしく目を開いて固まっていた。
それに引き換え暗い山の中でおとぎ話のような化け物に捕まり常人ではありえない戦いを目にした挙句自分を救ってくれた少女たちが言い争いを始めてしまいなんともいたたまれない時間を過ごした男は自身の存在を思い出してくれた少女たちにほっと息をつくのだった。
―――――――
助けた男を村まで送り返した後、二人は互いに何とも言えぬ気持ちを抱いたままそれぞれの帰路に就いた。
南に輝く満月は夜の静寂をより強く感じさせる。その冷たくも決して突き放すことのない静寂が千晴は好きだった。
その中を歩きながら考える、蝶の字を持ちながらもその実まっすぐでたくましい——蝶らしからぬ彼女のことを。けれどいくら考えても千晴が彼女に言いようもない苛立ちを感じた理由はわからなかった。
ただ、あんなふうに身を挺してまで守られたのは初めてだった・・・ただそれだけだ。
いずれにしてももう会うことはないかもしれないし・・・まとまらない考えを打ち消すように頭を振って、千晴は直近の藤の家紋の家を目指す。今はもう布団にくるまって眠ってしまいたかった。
青白い満月が世界を薄く照らす中、足早に去る刀を下げた子供を見送るものは誰も居ない。
どうしてこうなった。
原作始まってないのに、どうしてこんなに戦闘シーン入った!?
今回すごくしんどかったのでもう当分こんな長い戦闘はない。書かない!と思います。