早く高校時代にいけという事さ……。
そうであってほしい、と思っていたわけではない。だがそれでも無意識に、この男と再会する場面は劇的なものになると思っていたのだろう。
ホテルでチェックインを済ませた所で、唐突に見知った顔を見つけてしまった時、猪狩守が感じたのは拍子抜けしたような感覚だった。
「お前らこんな所――って言うとホテルの人に失礼だな。とにかく、ここで何してんの?」
出会い頭に人を『いのかり君』などと呼ばわってきた男とは思えないほど、その口調は穏やかで親しげなものだ。あたかも旧知の友人に巡り合ったかのように、ごくごく普通に接して来られて戸惑ってしまう。
違うだろう、という思いはあった。自分達が再会するのに相応しいのは、試合前の球場だろう。もっと闘志をぶつけ合い、お前を倒すのだと気迫を見せつける口上を交わし合う。それこそがライバルというものであるはずだ。
だが、それはちょっと夢見がちだな、と自身が抱えていた空想を自覚して冷静になる。
野球選手も人間だ、生きてる限り何時何処で出会っても不思議じゃない。道端でたまたま遭遇する事だってあるだろう。その偶然が今日という日にやって来ただけの事だ。守は小さく溜息を吐いて、改めて目の前の男を見据える。
男――パワプロの体は、守の知るものよりも一回り大きくなっていた。
リトル時代の寸胴が、大人のそれへ近づいている。守にも言える事だが、成長期に入っているのだと察せられた。
身長は170を超えたばかり。守とほぼ同程度。夏だからか半袖のシャツにジーパンという、ラフな格好をしている。剥き出しの腕には程よく筋肉の筋が浮き、肩幅は広く、指や腕は太く長い。足もスラリと伸びていて、まるでバレエダンサーのようにしなやかな印象があった。
丁寧に整髪された黒髪から覗く、鷹の眼光には黒曜石のような瞳が収まっていて、幼さの残る容貌にも関わらず鋭角的な容姿をしている。ワイルドな男、といった姿へ成長しそうだ。
流石は僕の認めたライバルだ、と守は思う。
守は天才だ。その自負と、自信がある。そして同時に自分が容姿端麗である事の自覚もあった。
故にその実力のみならず、容姿のレベルでも自分に匹敵しているこの男は、やはりこの僕のライバルに相応しいと内心頷いていた。
とはいえ、見た目で勝負するのは一発屋のアイドルだけでいい。守は少しばかり不安になった。
何せこの男ときたら、一応は野球道具を持参しているものの――頭にサングラスを乗せ、浮き輪を担ぎ、海パンやらパラソルやらビーチボールやらを用意しているのだ。あからさまに海へ遊びに来ている。いや、リゾート地なのだから気分転換に遊ぶのはいい。いいが――連れている面子が問題だった。
女だ。
それも一人や二人ではない。全員で九人いるが、パワプロ以外の八人が女である。
これは、無い。ストイックであるべきアスリートのあるべき姿ではない。女遊びでも覚えて溺れているのか、この僕のライバルともあろう男が? もしそうなら喝を入れてやらねばなるまい。そう思って口を開きかけると、後ろから進に小声で制止された。
「兄さん。六道さんと、霧崎さんもいますよ。彼女達がいるという事は、他の方もシニアの選手だと思います」
「んっ――」
言われてみれば、確かに酷く厄介な巧打者の霧崎礼里がいた。進が目標にしているという、世代を代表する捕手の六道聖も。
となると、他六人も野球の関係者なのだろう。昔がどうだったかなど興味はないが、女もプロの世界で戦えるようになっている。女だからと侮るのは旧時代の古い価値観でしかない。
そうだ、この僕のライバルが女遊びなんかに溺れる手合いなわけがない、と守は思い込むことにする。
さておき、守はパワプロからの問い掛けに答えるべく口を開いて――先を越された。同じ高校で共に甲子園を目指そう、と。甲子園でパワプロを倒そうと誘い、仲間にしていた天才打者、友沢亮に。
「オレ達も多分、お前と同じ目的で此処にいる。オレは猪狩に自主合宿に誘われて来た。日頃の疲れを癒やしながら、砂浜で走り込んで足腰の強化をしようと思ってな」
「――へえ? 宗旨替えでもしたらしいな、友沢」
出鼻をくじかれ思わず黙り込んでしまった守の前で、友沢とパワプロが相対する。ジロジロと遠慮のない目で友沢を見渡し、パワプロは揶揄するような笑みを浮かべた。
それはある程度の親密さがなければ、どう足掻いても失礼でしかない態度である。だがそれを、友沢は微かに苦笑いを浮かべ、肩を竦めるだけで受け流していた。聞いていないぞ友沢、パワプロとプライベートでも話した事があるのか――と守は僅かに疎外感を感じて不機嫌になる。
「何年か前は金持ちは敵だ、みたいなツラしてたのにな。俺がジュース奢ってやるって言ったら、施しは受けないとも言ってたっけ?」
「その気持ちが今は無いと言えば嘘になるが――そんな小さな拘りはとっくに捨てている。前にも言ったが、オレはお前を打ち砕く為に野手にコンバートしたんだ。その目標を果たすには最大限の努力をするだけじゃ足りない。猪狩は優れた練習環境を用意してくれる、それを棒に振るようじゃ何時まで経ってもお前に届かないと判断した」
「……いいね。お前のそういうとこ大好きだ。何度だってお前に三振させてやりたくなる。これからも俺の背中を追っかけてこいよ? 永遠に超えられない壁って奴に、心が折れない限りな」
「相変わらずの自信家っぷりだな。オレもお前のそういうところが気に入ってる。打ち砕き甲斐があるってものだ」
涼しげに言う友沢も、平然と宣うパワプロも、激しい競争意識をぶつけ合っていた。まさにライバル同士、といった絵面だが――守は甚だ不快であった。
それは僕とやる所だろうっ! 内心の声を押し込めて、引き下がる。今からしゃしゃり出たのでは三下感が出てしまうだろう。そんなのは御免だ。
「フンッ! 行くぞ友沢。女連れで良い気になってるパワプロに、僕達は構ってやる暇はない」
兄の心情をほぼ正確に掴んでいる進は、密かに思った。
――その台詞もなんか三下っぽいですよ、兄さん……。
賢明なる弟くんは、その心の声を表に出すことはしなかった。
「なんか二番手くんがイキってるけど、私達にはカンケーないしさっさとチェックイン済ませよ?」
と。
守の捨て台詞が癇に障ったのか、苛ついた様子で水色の髪の少女が吐き捨てた。まるで自分達をパワプロの取り巻き扱いしているかのような守に、不快感を覚えてしまったようである。
だが流石のみずきも、初対面相手に喧嘩を売るつもりはないらしく、あくまで小声に抑えての悪態に留めていた。しかし守の鋭い聴覚はそれを聞き拾ってしまった。守は地獄耳なのだ。
二番手。それは守に対する禁句だ。
何をするにしても、個人として見れば守はパワプロに対して劣っている。
同じ左投手で、実力が劣り、打撃の成績でも劣っているのだ。
心ない者に永遠の二番手キャラ呼ばわりされた時、守は人生初の激怒を体験していた。
が、流石にこんな所で激発するほど分別が無いわけではない。自分を『二番手』呼ばわりした橘みずきをジロリと睨みつけ、嫌味を溢すだけで怒りを収めてやろうと思った。
「うん? 箸にも棒にも掛からない凡人が何か言ったような……ああ、気のせいだろうな。自分の実力を度外視しての発言をするとは思いたくないし、気のせいじゃないとしたら野球関係者じゃないんだろう。名前も知られていないようなド・マイナーな奴からしたら、一番も二番も雲の上の事だろうからね」
ふんだんに毒の籠もった言葉を、鼻で笑いながら言い放つ。友沢と進はやれやれとばかりに頭を振った。守は良い奴だが、挑発や悪口への耐性が低いのが欠点だった。そのくせ無自覚に相手を挑発するのだから大した奴である。
そしてパワプロ達もまた、友沢らと同じ気持ちだった。少女達と視線を合わせて、カチンと来たらしいみずきをどう鎮めようかと頭を抱える。気の強さや荒さに関しては、みずきも守とどっこいというレベルなのだ。
「……あっれぇ? もしかしたらみずき、耳がおかしくなっちゃったかもしれないです〜。ね、あおい先輩。みずき、何かおかしな事言いましたぁ〜?」
「ボクに水を向けないでよ……」
「つれないですね。私キャップの事は認めてるけど……別にキャップの取り巻きに成り下がったつもりはないんですけど。それを『女を連れていい気になってる』って……バカにするにも限度ってものがあるでしょ。目にもの見せてやりたくなりません?」
「暴力沙汰は鎮圧するから」
「うげっ。……わかってるわよ。わかってるから睨まないで、氷上。暴力とか無しで、思い知らせてやろうって話」
「――フン。君ごとき凡人が、僕に思い知らせるとは大きく出たものだ。身の丈に合った物言いに留めないと恥を掻くことになると、リーダーは教えてくれなかったみたいだね」
「あぁんッ!? だぁかぁら、人を勝手に取り巻きA扱いすんなっ!」
徐々にヒートアップしていくみずきと守に、手が付けられんと諦めムードを漂わせる友沢と進。
そしてそれは女子陣も同じだ。守の物言いが癪に障り、心情的にみずきに味方したい気分になっている。
故に、パンパンと手を叩いて注意を集めたパワプロが、仲裁するために宣言するしかなかった。
「そこまでにしとけよバカ二人。場所考えろっての」
「バカ? 今、僕の事をバカだと? そう言ったのかな、パワプロ」
「キャップぅ? アンタどっちの味方なのよ」
「みずきちゃんに決まってんだろ、言わせんな恥ずかしい」
「ぅ……」
「それからいのかり……お前ホント変わんねえな。逆に安心したぞ」
「誰がいのかりだッ!」
「
「む……」
二人を鎮めたパワプロは、腰に手を当てて嘆息する。
カウンターのホステスに黙礼し、謝意を示しておいた。
――騒がしくしてすみません。
――いいのよ。青春しててメッチャ眼福だから。
ホステスは鼻血を垂らして恍惚としていた。その目がなんか怖かったのでパワプロは見なかった事にしつつ、一同を見渡して提案する。
「こんなツマンねえ事で禍根残すのもアホらしいし、ここはいっちょ勝負すっか。――ビーチバレーで」
おっ、野球の一打席勝負か? とやる気を示す守とみずきに、パワプロは萎んでいるビーチボールを取り出してヒラヒラさせて見せた。
なんでビーチボール? と呆気に取られる面々に、パワプロは強引に話を纏めに掛かり、そして決定する。
「12人いるから、二人一組にしたらピッタシだな。くじ引きで組み合わせを決めて、手が空いてる奴を審判にする感じでやろう。お前らもどうせ二泊三日かそれ以上は此処にいるんだろ? なら今日ペア決めて、明日を練習期間にする。んで明後日に総当り戦をして誰が優勝するかを決めるぞ。異論は認めん」
「ちょっ、勝手に――」
「異論は! 認めませーん! 特にみずきちゃんと猪狩の異議は聞く気はないからそのつもりで。別にいいだろ、レクリエーションの一環だよ」
なんやかんやと言いつつも、パワプロの話の持って行き方に強い反発は出てこなかった。
パワプロにカリスマめいたものを感じている面々だから、というのもある。あるが、確かにこんな事で禍根を残すのは馬鹿らしいとも思うのだ。
いっそレクリエーションでもして、話を終わらせた方がよっぽど建設的で、健康的だ。みずきは渋々といった様子で納得し、なんだかんだと付き合いのいい守は鼻を鳴らして踵を返した。後で組み合わせを教えるんだぞと言い残して立ち去っていく。
進が代わりに名乗り出た。
「クジは僕と、そちらから誰か一人で作りましょう」
兄に似ず常識人で、人の善さが伝わる申し出に聖が応じた。
「では私がやろう。お前たちは先に部屋に行っていればいいぞ」
この時。能力をOFFにしていた礼里だが、聖が何かを企んでいるのを感じ取るも――流石に赤の他人である進がいるのだから、何も出来ないだろうと高を括ってしまった。
この楽観に、礼里は少し後悔する事になるが……それはまた後の話である。
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アンケート結果は「聖ちゃん」で決定しました。
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キャッチャーは腹黒くなければ務まりませぬ……。
水着回で仲良くなるのはだーれだ!
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礼里ちゃん(何をするだァ!)
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聖ちゃん(逆襲のひじりん)
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聡里ちゃん(弾道、あげよう!)
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青・緑・金・黒の娘のいずれか
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こんなにも辛いのなら、愛など要らぬゥ!