青み掛かった髪をワックスで固め、後方に撫で上げている少年が嘆息する。
(どうしてこうなった……なんて嘆く余地はありませんか)
一切の表情を排した、素のままの顔つきからは冷たい性根が透けて見えて、名前の通り蛇のようだと異姓の父から揶揄された事がある。
母親似である為か、父は息子に対して含む物があるらしい。しかし少年の感性からすると、蛇は嫌いではなかった。生き物としての性質はともかく、自らより大きな獲物を丸呑みにする様は気に入っていたのだ。そうした蛇への好悪が、自らが蛇に喩えられる事への忌避感を薄くさせているのかもしれない。
少年の名は蛇島桐人。とある事を『因』として、自らを上回る狡猾さを持つ少年にしてやられた『果』の下、彼は自らの
弱みを握られているというのもある、命綱として身を守る存在になっているというのもある、だが何よりも自らの願望を叶えられる唯一の頼りなのだ。飼い主からの命令を拒否するわけにはいかなかった。
飼い主は悪辣だった。長く付き合えば付き合うほど、その庇護下から離れられなくなるのだから。今後、蛇島が飼い主の下で名を上げていけばいくほど、市山田達の嫉妬と逆恨みは濃度を増して、軽率な衝動の赴くままに襲撃される危険性は付き纏うのである。そして蛇島がそれをどうにかしたいと思っても、
とはいえ
呼び出された場所は飼い主の通う中学。その体育館。そして時計の針は8時を指していた。外はとっくに暗くなり、防寒をきっちりしていなければ夜の冷たさに震えてしまうだろう。
そこで会ったのは、本音を言うと顔も見たくない飼い主。飼い主は制服姿で蛇島を迎え、雑な労いの言葉を掛けて来るなり台本を渡してきたのだ。
「よ、ヘビ先輩。次は高校で会おうって言ったのに、それを撤回する事になっちまって悪いな」
「別に構いませんよ」
心にもない事をと内心毒づきつつ、渡された台本に胡乱な目を向けた蛇島に飼い主は言った。
「で、早速だけど概要だけ見て覚えてくれ。今すぐ。後は流れに任せてくれたらいい。場の空気に乗るのは得意だろ? アンタはさ」
「――冗談ですか、これは。だとしたら笑えませんね……」
「ははは、冗談じゃないんだな、これが。任せたぜ、ヘビ先輩」
親しげに肩を叩かれ、台本に目を通した蛇島は顔を引き攣らせる。
何をさせられるのかと思ったら、まさかこんな茶番に付き合わされるとは夢にも思わなかった。しかも蛇島の役回りはメインキャストである。途中降板は半永久的に不可能な役回りでもあった。
この悪魔はとことんまで自分をこき使う気なのだと改めて悟り、悪魔め、と罵りたい気持ちが噴出しかける。それをグッと堪えるのに少なくない気力を要した。元はと言えば自分がこの悪魔の本性に気づかなかったのが悪いのだ。色々な風評はあるが、一言で纏めてしまうと好青年と評価されているこの少年は、蛇島を優に上回る悪人だったのである。
現に――蛇島はこの少年に対して、言い様のない引力を感じていた。まるで従うのが当然であるといった気分にさせられる――無理矢理言葉にするなら、カリスマめいたものを感じていたのだ。……蛇島はこれを、自分という手駒にまで隠す必要がないからと、本性を現して接しているのだと解釈した。
明確な言語化がなされない、深層の意識下で思う。これは怪物であると。選手としても、そして人間としてもだ。勝ち負けなど競うだけ無駄だ。そもそも争ってはならない、手を出してはならない禁忌の存在だった。不運にもこの怪物に関わってしまったのが運の尽きという奴だろう。
蛇島は飼い主に連れられて、体育館の中に入っていく。
「……いいんですか? こんな夜中に体育館を使って」
「問題ねえよ。先生方から許可は取ってある。
「そう……ですか……」
飼い主――パワプロは、言葉通りの意味で言った。普通に事情を説明して許可を求め、特例として夜間の体育館の使用を許してもらったのだ。
だが蛇島の解釈は異なる。そんな事情を知らないというのもあるが、蛇島の主観ではパワプロは悪人……それも得体の知れない暴力のプロを複数人、蛇島の護衛と監視に割ける謎の人物でもあった。
パワプロの台詞を意味深なものとして受け取って、蛇島は頬へ冷たい汗を浮かばせる。さらりと言ったが、そんな許可は普通は降りない。ということは、普通ではない『話をした』という事だ。やはり、恐ろしい人だ……。
体育館に入った蛇島は、パワプロの後を付いて行き壇上に上がる。そして睥睨するのは、体育館内に集まった100人近い少女たち――パワプロと同じ制服の者から、他校の者、蛇島と同じ中学の制服を纏っている者もいる。
その視線がパワプロに注ぎ込まれ、その傍らに立つ蛇島に対しても視線が集まった。それにたじろぎそうになるのを堪え、パワプロが口火を切るのを待っていると、彼女達は蛇島の存在に気づき微かにざわめく。「アイツってパワプロくんが前いたシニアの……」「うちの先輩じゃん」「なんでアイツがパワプロくんの隣にいるの?」「パワプロくんに酷いことしたクズじゃん。潰す?」などと物騒な声が聞こえてきた。蛇島は乾いた笑みを浮かべるしかない。
それに、パワプロが声を張り上げる。
「皆、聞いてくれ」
発散されているオーラのような何か。目に見えているわけではない。だが確かにパワプロから無視できない――強制力のある不可視の力を感じた。
オカルトではない。これは先程も蛇島が感じた、ある種のカリスマ性だ。
一瞬にして少女達が、水を打ったように静まり返った様に蛇島は戦慄する。誰一人として、不自然さを感じていないようなのだ。いや元々そんなものはない。自然だ。だが、かといってこうも整然とパワプロを見れるものなのか。
「まずこんな夜間に集まってくれた事に感謝したい。ありがとう」
彼女達は、パワプロのファンクラブ二桁番号の所有者達だった。パワプロは膨張する事著しく、秩序だった行動が取れずに迷惑を振りまく少女たちを統率するために、以前から狙って特定の少女たちを特別扱いしていた。
といっても名前を覚えたり、不要な連絡をしないという約束の下、連絡先を交換した程度である。その程度でもかなりの特別扱いだと言えるだろう。
数は100人近い。正確な人数は99人だ。彼女達はパワプロからの連絡を前日に個別に受けて、こうして集まってきた。パワプロが言うには凄く気合の入ってるファン達との事だが――単にミーハーなだけとも言える。
ファン。いずれはこの中からも欠員が出ると簡単に予想できる、無責任で気紛れな集団の呼び名。今はパワプロに熱を上げているが、いずれ去っていく者は多いだろう。こうしてここに集まってきたのは、何か楽しそうな事があると思っただけで、何かしらのイベントでも期待しているのが大半だった。
しかし、
(ヤバイですね、『カリスマ』……どんだけの効果があるか試す意味も兼ねてましたが、明らかに目の色が変わってますよ……?)
パワプロはパワプロで、密かに戦慄している事は誰も知らない。
頭を下げながらも上目遣いに少女たちの様子を伺っていたが、こうまで即効性があると慄然とする。流石に誰も彼もをこんなふうにはしないはずだが、こうして一定水準を超えている感情を持つファンの層には効果覿面なようだ。
「今日は皆に、俺の隣にいる蛇島先輩から話があるみたいだから、こうして呼び出させてもらった」
「……どうも、皆さん」
蛇島が軽く会釈をする。薄っぺらいが故に恐ろしい、敵意にも似た視線を宿していた少女達の目は、やがて困惑のそれへと色を変えていった。
話が読めないのだろう。てっきりパワプロ本人から何か言われるものと思っていたのかもしれない。
「先輩が話をする前に、皆の誤解を解いておきたい。この人は俺の古巣で、唯一俺の味方でいてくれた人だ。
再び微かなざわめきが起こる。しかしパワプロが口を閉ざして見詰めると、自然と静寂が戻ってきた。――異様な光景だと、俯瞰する立場にいる蛇島とパワプロは思った。まるで専制君主の演説に耳を傾けている臣民のようだ。
「なのに最近の騒動のせいで、蛇島先輩は高校の推薦を取り消された。風評被害が深刻だと思う。俺としてはここにいる皆にまで蛇島先輩の事を誤解されていたくない。だから話させてもらった。そして俺のせいでもあるのに、蛇島先輩は今の俺が
そう言ってパワプロが頭を下げると、少女たちは慌てて「頭を上げて」と声を上げた。
そして、少女たちの蛇島を見る目が、『仲間』を見るそれに変わっていく。
なんだと思った。
なんなのだこの怪物は。蛇島は畏怖の念を心に焼き付かせた。パワプロのカリスマ性が、恐ろしい魔力の類いにしか見えない。逆らわず徹底して味方にならねばマズイ。その確信が更に深まった瞬間だ。
蛇島は促されるまま、パワプロに代わり前に出る。
「っ……」
喉が引き攣り、声が上手く出ない。らしくなく、極めて緊張してしまっていたからだ。蛇島はすぐに己の異変を悟り、咳払いをして誤魔化すと、なんとかいつも通り善人のフリをして話し出す。
流し読んだ台本にあった通りに動く。細かい指示はなくどんな流れに持っていきたいかだけが書かれていた。これは蛇島に対するテストなのだろう。この程度も上手くやれなければ、手駒として置いておく価値すらなかったと判断されるかもしれなかった。それだけは避けねばならないと蛇島は思う。飼い主に自分は使える駒なのだと証明しなければならない。
「フゥ……。
皆さんはじめまして。たった今、力場くんから紹介に与った蛇島桐人です。今回こうして力場くんに話を通し、貴女方にお集まり頂いたのは、私に協力して頂きたい事があったからです」
一拍の間。少なくとも少女達が想像しているのとは、全く種の異なる緊張に力が入る。乾いた唇を舐めて、全員の目が自分に向いているのを見渡しながら蛇島は言った。
「彼とは短い間でしたがチームメイトでした。先輩として後輩の安否を気に掛けるのは当然の事……私はあらぬ疑いを掛けられ、志望していた高校の内定を取り消されてしまいましたが、それは些末な事でしょう。そんな事よりも、力場くんが今回の件で心身を疲弊させている方が問題です。力場くんを取り巻く今の状況は良いものとは言えない……なのに力場くんは、そんな辛い状況に身を置きながらも、進路を見失った私を気にかけ、同じ高校に進学し一緒に野球をしようと誘ってくれました。彼は私を友人だと言って、困った時はお互い様だと笑い掛けてくれたのです」
――未だ嘗て、ここまで緊張したことはない。
話しながら飼い主を持ち上げる。少女達に共通しているのはパワプロの味方だという事。彼女達の心象を良くするには、そのパワプロを美化して伝えるのがベストだ。何せパワプロのファンは彼に対する醜聞は聞きたくなく、耳心地の良い言葉を求めているのだから。そう分析しながらちらりと飼い主を見ると微かに笑みを浮かべている。この論法がお気に召したらしい。どうやら正解を引いたようだと少しだけ安堵する。
「ほとんど何もできず、彼を護ってやれなかった私ですが、こんな友情を示されて応えないようでは、私は恥ずかしくて力場くんの前に顔を出せなくなってしまう。だから私も、力場くんを助けたいと思いました。その思いはきっと皆さんにも伝わると信じています。何故なら此処にいる皆さんは、彼が信頼できると判断した――
肯定する。とにかく、彼女達を肯定する。
否定しない。刺激しない。するにしても悪い意味に取られてはならない。
これまでの生涯で、最も思考回路が回る。白熱する。今、知恵を絞らずしていつ絞る。
「今、世間には皆さんのような方が少なすぎる。多くの人が彼のプライベートな面に切り込み、プライバシーを侵害しています。言うまでもなくこれは犯罪です。断じて肯定されるべき行為ではありません。そしてそれだけに留まらずに、彼の身の回りにいる人達にも好奇の視線は集中して、時には刃傷沙汰にまで及んだ人が出ているようです。これは――いけない。人として越えてはならない一線を越えているのは明らかでしょう。そこで皆さんに、私と共に力場くんを守る活動をしてもらいたいのです」
斜め後ろから視線を感じる。飼い主からの目線だ。それとは別に、少女達の目も自分に向いていて、蛇島は緊張の余りに頭が真っ白になりそうだった。
だが思考停止に陥るわけにはいかない。頭を働かせ、舌を動かす。
「具体的にはSNSなどで、マスメディアによる力場くんへの行き過ぎた干渉を批判して頂き、モラルのない『自称ファン』に自制を呼び掛けて頂きたい。もちろん私も実行しますが、これはある程度の数がなければ人の目に触れるのに時間が掛かってしまうでしょう。なので私達は一致団結し、批判と自制を求める声を拡散して、身近な人のモラルハザードを正していくべきだと考えます。お願いします、私の友人の為、皆さんの応援しているパワプロくんの為、力を貸して下さい」
早口になってしまわないように気をつけながら言い切り深々と頭を下げる。
それから無言の時間が数秒流れ――パワプロがふと、腕を組んだ。その所作を目にした訳ではないが、次の瞬間に上がった声に蛇島は悟る。
「――そんな簡単な事でいいのか」
「私はやる。『パワプロくん』に迷惑掛けてばっかりの連中に、ファンを名乗る資格なんかない」
「私達は頼られてるのだ。なら、力になろう」
――桜を仕込んでいたのか。
蛇島はその声を判別して、用意周到な飼い主の手回しに苦笑いを浮かべる。
その声は、蛇島も知っているものだったのだ。
霧崎礼里、氷上聡里、六道聖。この三人の声だろう。
真っ先に上がった声に、場の空気は一気にそれへ同調する流れに変わった。少女たちは口々に肯定の台詞を口走り、使命感に駆られたように興奮し出したのだ。自分達がパワプロを守る、自分達が本当の、一番のファンなのだと。
優越感と、周囲に同調した事での連帯感の発露。そして――最も大きいのはパワプロの存在感――
後ろから肩を叩かれ、蛇島は振り返る。するとパワプロが小声で言った。
「助かったよ、ヘビ先輩。後は俺に任せてくれ、コイツらが帰ったらヘビ先輩も帰っていいぞ」
「――そう、ですか……」
ドッと疲れた。
蛇島はこうして事ある毎に便利に使い倒される未来を幻視して、内心げんなりしていたが。とりあえず今回は無事に乗り切れたと判断しても良さそうだと思い、固く重い息を吐き出したのだった。
「――安心してくれよ。ヘビ先輩の身の安全は保障されてる。
「ハ、ハハ……ハ……ええ、そうですねぇ……この友情が有り難くって、涙が出そうですよ……」
パワプロはこの面々を親衛隊のように使うつもりなのだ。恐るべき人心掌握術を駆使して。そして蛇島を親衛隊のトップのような立ち位置につけ、パワプロへの窓口にするつもりなのだと察せられる。
パワプロの公認ファン第一号。その肩書は今後ずっと蛇島について回る事だろう。プロになれたとしても、なれなかったとしても。少女達は蛇島とパワプロの偽の関係を本物と思って、SNSで情報を拡散するのが目に見えていた。
悪魔め……蛇島は今度こそ、小声で毒吐いた。
――当日の夜から、一斉にマスメディアへの批判が飛び交い出す。
100人近い少女たちの声は無視され難い。それぞれがそれぞれの身近な人へ自制を求め、更に知人の知人へとネズミ算式に自重を呼び掛ける様子が広まっていく。
パワプロもまた依然変わりなくマスメディアや有害な『自称ファン』に接するも、次第にパワプロが憔悴する様を見せ、一度カメラの前でパワプロはわざと倒れて気を失ったフリをした。心的負担が限界を迎えた演技だ。
そこまでして、漸くパワプロの周囲は落ち着き出す。やがて、平和な日々が戻ってくる事だろう。その影で、一匹の蛇が泣いてる事も知らずに。
※なお『カリスマ』の効果の検証中での事であります。
面白い、続きが気になると思って頂けたなら感想評価などよろしくお願いします。
次回でクッション回は終わり、かなと思いますです、はい。