朝。
朝日が窓から差し込み、自身を温かく包む。
それが起床の合図。
リーゼは、この日もいつも通り 規則正しく行動する。
領主の娘として恥ずかしくない様に、完璧である様に。
目を覚ましたら ベッドから身体を起こし、水桶の中にある水で顔を洗い、乱れた髪を整える。
寝巻姿から、朝の訓練着へと着替えると柔軟体操、つまり早朝自主訓練に向けての準備を始める。
直ぐに身体を動かしては怪我の元になる事を重々承知しているからだ。
どんな時でも油断しない様に心掛けている。
部屋から出て、出会う人、すれ違う人達全員に、朝の挨拶を交わす。
1人1人の目を見て、そして 横着する事なく名で呼んで。そう言った心遣いの1つ1つが、今日のリーゼの人気にも通じているのである。
そして、いつも通りの早朝自主訓練終了。
流れている大量の汗が、常に本気である、と言う事をしっかりと示していた。
「リーゼ様。お疲れ様でした。本日の調子はどうでした?」
専属の侍女であるエイラが、タオルを手に リーゼを労う。
リーゼはタオルを受け取ると、ぐいっ、と顔の汗を拭いながら笑顔で答えた。
「うんっ! ばっちり! もともと剣の方がわたしは得意だったし」
リーゼの顔を見て、そっと微笑むエイラ。
「では、そろそろジルコニア様やアイザック様とも対等に戦えそうですか?」
エイラはエイラで、笑顔のまま結構無茶な事を言ってくる。
遠慮抜きにそういうことをストレートに言える相手、言える事が出来る相手がいると言う事は、リーゼにとっても良い事なのだ。
「無茶言わないでよ、エイラ……。アイザックはともかく、お母様になんて手も足も出ないに決まってるでしょ? ―――とはいっても、アイザックも私相手だろうと手抜きや油断は絶対にしないだろうから、厳しいと思うけど。……ん……でもやっぱりお母様は別格かな。……なんかもう、次元が違うっていうか、なんていうか……」
母は強し、とはよく聞く言葉ではあるが、ジルコニアの強さに関しては 散々訓練を重ねているリーゼであっても、その背に届くとは到底思っていない。
寧ろ、上達すればするほど、霞んでいく様にも思えるのだ。
「……やっぱり、実戦経験の差なのかな……」
「うーん……、それはあるかもしれないですね」
そして、明確な差は
戦争を経験しているジルコニア。戦争の経験が無い今の自分。
到底追いつく事が出来ないのも納得だ。
エイラもリーゼの意見に賛成。どんなものであれ、経験ありと経験なしでは明確な差が出てくるものだから。
「―――ジルコニア様と言えば、昨夜 カズラ様、カズキ様とお戻りになられたそうですよ。なんでも何処かから大荷物を運んできたとか」
「へぇ。カズラ様が前に言ってたやつかな」
「! ご存知なのですか?」
侍女の間では、カズラやカズキの絡む話は最高機密。
事細かな詳細まではまだ伝わっていないので、エイラも ふわっ とした答えしか出来ないと言おうと思っていたのだが、リーゼには伝わっている様で少なからず驚いた。
少なくとも対談の際は、リーゼは退出していたし、食事会の時もそれっぽい話はしていなかったから。
「うん。確か、北部と西部の穀倉地帯復興に手を貸してくれるらしいの。多分、その為の荷物じゃないかな。大分多くなるって話も聞いてたし」
「えっ!? 北部と西部って……、日照りで全滅し掛かっているっていう……?」
「そう。ちょっと信じられない話だけどね」
日照り、干ばつ……、所謂天災の類。
人間の手で一体どうすれば、これらを解決に、復興に導けると言うのだろうか、とリーゼとエイラは揃って首を捻る。
「あとは、川から水を引き込む水車? っていう道具を使うって」
「水車……、聞いたことのない道具ですね」
ある程度の学は備わっているが、それでも聞いたことのない言葉。
まだまだ知らぬ未知の技術があり、その技術を使って復興を手助けして頂けるのは、本当にありがたい事ではある……が、どうしても規模が大き過ぎて 本当に出来るのか? と言う懐疑的な考えが過ってしまう。
だが、そこはここの領主ナルソンが指揮を執ってくれているのだ。
自分達程度が考えられる疑問を、ナルソンが思わない訳がない。
内政と外交、外なる戦争への準備と備え、アルカディアの盾とも呼ばれているナルソンの評価は、国の中ではかなり高い位置にある。
そんな彼が全面的に信頼している相手なのだから、疑問には思っても口にはせず、ただやるべき事をやり、成り行きを見守るだけだ。
カズラやカズキの2人にも、何か不思議な感じがするのは解っているから。
疑問が浮かぶのと同時に、何かしてくれるのではないか、と言う期待も持ち合わせているから。
「あっ」
「え? どうしたの?」
「いえ。荷物の事も気になるのですが、他にも驚く事を沢山ききまして……」
「驚く事? なに?」
壊滅した穀倉地帯の復興についても十分驚くべき案件だと思うのだが、エイラは直接的にその単語は使っていない。つまり、それに匹敵する様な事があるのでは? とリーゼは少々気になった。勿論、そこまで期待して外れだったとしても、何か言うつもりは無いが。
―――だが、この話の内容。それは期待外れどころか、リーゼ本人も驚く事になる。
「昨夜の事です。夜勤勤務の侍女から聞いたのですが、夜間訓練として、アイザック様とハベル様が カズキ様と手合わせをした、との事で」
「へぇ……、カズキ様って武術を嗜んでいるんだ……。お金持ちっていう以外は、知的な感じがするから 学者肌っていうか、研究者って感じだと思ったんだけど」
「はい。……その、私も同じです。体躯もアイザック様やハベル様程は無く、その―――薄着の御姿を見ても、鍛えられている様には感じませんでしたから」
「……なーに? よーく見てますってアピール?? 身体の輪郭っていうか、裸体まで見た、っていうんじゃないでしょうね?」
「や、そんな事はっ!! 見てません!! それに ち、違うんです。此処からが驚く所で」
男の人の身体の形をはっきり、しっかり見ている、と言ったエイラにジト目を向けるリーゼ。まさか風呂の世話等でしっかり見ているのではないか? ともジト目……疑いの眼差しを向ける。
カズキにしろカズラにしろ、思う存分ぶつかってぶつかって、全力で自身に好意を持ってもらう、惚れてもらうとエイラには宣言しているので、それを知った上での行動……となれば、少々エイラにきつく当たったって問題ない筈だ。
ひょっとしたら……、色々と理想的な相手なのであれば、将来の伴侶にと考えなかった訳ではないから。
あれ程の
と、それは兎も角。
エイラの慌てようを見てリーゼもとりあえず 表情を戻して改めて聞いた。
「その―――アイザック様とハベル様のお2人とカズキ様は手合わせをしたらしく……」
「へー、カズキ様がアイザック達と? 凄いわね。隊長格と手合わせしようなんて、普通思わないと思うんだけど。それで、どうなったの? 善戦した、とか? お父様の客人である以上、流石のアイザックも手荒な事は出来ないとは思うんだけど」
リーゼの質問、そして考えは全否定される。
「いいえ……。その、アイザック様とハベル様は、2人掛かりでカズキ様に挑む、と言う形になって―――……その……」
「へ? 2人掛かり?? 1対2って事?」
「はい。……えっと、その……、お2人は手も足も出なかった、との事で……」
「え……。えええええええええ!!!」
リーゼの絶叫が朝のナルソン邸に響く。
周囲を歩いていた兵士や侍女たちが何事か、と集まってくるが、どうにかエイラとリーゼの2人は誤解である事を伝えて、大事にならない様に出来た。
……が、心中はまだ混乱を極めている。
「ちょ、ちょっと待って。アイザックとハベルって、相当な腕の持ち主じゃない! お母様と訓練して、ズタボロにされたって話は聞いたけど……、い、いや そんな尺度じゃ図れない。少なくとも軍部で隊長と副長を任されるだけの実力がある2人じゃん。そんな2人が……1対2形式で? まとめて相手にして勝った?? 1対1で勝ち抜きとかじゃなくて?」
「……はい。お2人を介抱した侍女が居たので、間違いないかと……。お2人ともお怪我とかは無かったらしいのですが……。カズキ様も心配なさってたらしく」
「…………」
怪我も無い、だが、手も足も出なかった。
一方的に叩きのめしたのであれば、大なり小なり傷はつきもの。実践的な訓練でも毎回けが人、重症人が続出しているので、それも何ら不思議じゃない。
驚くべき所は、怪我をさせる事なく、手も足も出なくした、と言う事は 考えられるに、アイザックとハベルの攻撃をただ只管捌いただけだと言う事。
攻撃を延々打ち込む事は、当然だが体力が居る。無限に剣を振れる訳がないから。
何度も何度も弾かれては躱されてゆけば、精神的にもキツイだろう事は解るが、少なくとも2人を相手に相手がつぶれるまで躱しきる、捌ききるなんてこと、本当に出来るのだろうか。
「……これは、是非とも聞いてみたい事が増えたわね」
「はい……。私も同感です。嘘を言う様な子じゃないので、信じてない訳ではないのですが……」
「アイザックとハベルの事を知ってれば 耳を疑っても不思議じゃないわよ。うん。カズキ様ってそんなに強かったのね。……あ、カズラ様は訓練には参加してなかったのかしら?」
カズキの名が出てきているのに、カズラの名が出ていないから少し気になってエイラに聞いてみたリーゼ。
エイラは少しだけ考えて、そして、今思い出したかの様に口を開いた。
「カズラ様にも謎が少しあります」
「え? 謎?」
「はい。えっと、カズラ様の部屋の前から変な音が響いていて、様子を見に行ってもアイザック様とハベル様が見張りをしていて誰も近寄らせないのだとか」
「え………。手も足も出ずにやられた後、見張りなんてしてたの?」
「はい……。物凄くお疲れの様子だった筈なのに、少ししたら 体調回復なされていたのか、顔色も良くて」
「なにそれ……。手を抜いてた……って訳無いか。アイザックに限って」
倒れるまで動いた後、直立不動で監視係など、考えたく無い。それも深夜ともなれば翌日に間違いなく響くだろうから尚更だ。
夜勤業務に2人の名は無かった筈だから、率先して手を挙げた事は解るけれど、どこにそんな体力があったのかは甚だ疑問である。
「それも不思議な所なんですが、その後なんです。……カズラ様のお部屋から悲鳴が聞こえただとか」
「!! それこそ なにそれ!?」
「はい……。侍女によっては、カズラ様の部屋の近くにいたから解った、と言っている人もいますが、昨夜 少なくとも2度はカズラ様は悲鳴を上げられたと……」
「賊でも侵入したわけ!? 大丈夫なの!?」
このイステリアに賊の侵入を許しただけでも問題なのに、領主の館にまで侵入されたとなれば、大問題だ。どれ程までの被害が及ぶか想像が出来ない。それに今は復興の大事な時期でもあるのだから。
―――が、そんな心配は杞憂だった。
「あ、いえ……、それが何ともなかったとの事です……。部屋に入ってみると、カズキ様がカズラ様を慰めていた、との事で。カズラ様 ちょっと妙な様子だったらしいんですが、【ちょっとした持病、発作みたいなものです】とカズキ様に説明なされて……」
「じ、持病? それに発作って……。気になるわね…… それも」
「カズラ様はかなりお疲れとの事で、朝食はとらず、昼までお休みだそうですよ」
「ん……。そっか。カズキ様は?」
「カズキ様は……。あ、ひょっとしたら、今も嗜んでおられるかも……」
昨夜のアイザック達との訓練を考えたら、起きて早々また訓練……等とは少々考えにくい事ではあるが、色々と【試したい】や【朝の日が出ている間の方がやりやすい】、と言っていたのを聞いたらしい。
真偽は定かではないが、珍しい関係の噂が回るのが如何に早いか……、まさに今、実感出来る。
「そう。……ん。今日の午後の予定ってどうだっけ?」
「はい。面会がいくつか」
エイラは、脳内にしまってあるスケジュール表を取り出し、記憶を手繰り寄せて、暗記した部分を鮮明に思い浮かべ、指折り数えながらリーゼに説明。
「領地内の豪商 ヴィルヴェル・マイバッハ様が昼過ぎに。その後、フライス領の貴族 アルデルト・トレーガー様。グレゴルン領からは 貴族のギュンター・ブランデン様。豪商のニーベル・フェルディナント様…… と言う順番ですね」
エイラが名を上げていくにつれて、それらが圧力となってリーゼにのしかかってくる。
「……ちょっとカンベンしてよ。幾ら何でも詰め込み過ぎでしょ……」
「そう申されましても……。あと、朝食後にマクレガー様の戦術講義も有ります」
「うぇー。……んじゃ、自由時間は?」
「夕食後になるかと」
「……………。じゃあ、エイラ。詰め込み過ぎなのはこの際 諦めるから、これから一緒に来て」
「はい?」
リーゼは、ちゃちゃっ と出発準備を整える。
勿論、しっかりと身嗜みを整えて――――と言うのが通常ではあるが、今は早朝訓練後である事。そして、会いに行く相手……カズキも恐らく訓練をしているだろう事。
話を聞きつけて、と言うよりは、位置的にも距離が近いので、訓練後にばったり出会った、と言うのを装う事を優先とした。
着こなしていけば、相手の邪魔になるだろうし、動きやすい恰好であれば より親睦を深める事が出来るかもしれないから。
エイラは、何のこと? と首を傾げていたが、リーゼは続けて言う。
「マクレガーとの講義は、朝食後の私の指定した時間だし、まだ時間はあるから、それくらいなら構わないでしょう? 空いた時間の有効活用」
「あ……(カズキ様に)いえ。別に否定をする訳ではありませんが、スケジュール的にも空いた時間は休まれる方がよろしいかと思うのですが……」
「解ってる。でも、穀倉地帯復興の手伝いともなれば、次いつ時間が取れるかなんてわかんないでしょ? 出来る時になるべく交流はしときたいの」
「は、はい。解りました」
午前の空き時間は もう殆ど無いと思うが、それはカズキ側も同じだろう。
確定していない事を考えると、行くだけ無駄かもしれないが、それはそれで休息の時間にはめてしまえば問題ない。
それに、リーゼは カズキとカズラ…… どちらを優先させるか? と頭で考えると……今一番気になるのはカズキだった。
無論、悪くはないが、極めて好みのタイプと言った類ではなく(失礼)、単純にジルコニアのカズキに対しての評価、と言うか人物像が カズラとはまた違った類のモノだったから。
何と言えば良いのだろうか……、心から喜んでいる様にも見えるし、慕っている様にも感じる。自分に勧めてくる勢いも、カズラと比べたらややカズキの方が上だと感じた。
「(とりあえず、朝の挨拶も兼ねて出来る時に交流を……。お2人も忙しい筈だし)」
リーゼは、そう呟く時、腰の木剣を軽く固定し、エイラと共に 噂の出どころへと向かうのだった。