書くのはとても楽しかった。
放課後、クラスメイトが全員帰って僕一人が取り残された教室。既に日は傾いていて、窓からオレンジの夕陽が教室内に差し込み、窓際の花瓶に刺さる名前も分からない花を赤く照らしていた。
声を出す人はいない。ただ静まり返るなかで静寂に耳を傾けていると、コツ、コツ、と廊下の方から僕の居る教室に向かって歩いてくる足音が聞こえてきた。
聞きなれた歩調の足音は妙に耳触りがよくて心地いい。そんな音に安らぎを覚えていると、彼女は扉の前に現れた。
「……」
「……」
「…ダメだった」
「…うん」
僕じゃなきゃ気づけないくらい小さく目元を歪ませた夏蓮が僕の方へ歩いてきて、ぽすっ、と僕の胸にその顔を埋める。僕はその頭に手を伸ばした。
……すべての始まりはただの噂話だった。
ちょっと離れたクラスにロボット系特撮オタがいる。特に戦隊ものの赤いロボに目がないらしい。しかもVRロボゲーに手を出そうとしている。そんなような話を僕たちは聞きつけた。『似たような人もいるもんだね』なんて話しながら流した。別に本人に話しかけて仲良くなるわけでもない。それでも、僕以外で夏蓮が共感を示せる相手は珍しかった。最近ハマったロボアニメ。最近手を出したロボゲー。そんな他愛のない彼に関する話を聞きながら表情を変えないながらも瞳の奥を輝かせた夏蓮は、次第に恋する乙女へと変わっていった。
そんな夏蓮が今日、告白をすると言った。放課後、校舎裏に彼を呼び出して。
その結果が、今流れている夏蓮の涙だ。
「……『俺らそんな仲よかったっけ』って言われた」
「…そっか」
元々感情の発露が少ない夏蓮。そんな夏蓮の初めての恋。当然積極的なアプローチなんてできるはずもなかった。夏蓮が彼と話したことあるのもほんの数回程度。確かにそれじゃあまり仲いいなんて言えないかもしれない。
「私のことよく知らないって」
「…そっか」
彼はクラス外でも割と人気者だったから他のクラスにまで話が流れてきた。だから僕たちは彼のことをそこそこ知ることができた。でも、結局それはこっちが一方的に知っているだけで、夏蓮が一方的に共感を示しているだけで。夏蓮が一方的に彼を慕ってしまっただけなんだ。
夏蓮は決して顔を上げようとしない。夏蓮の涙に濡れたシャツが胸元に張り付いてひやりとした。
「……葉」
「なに?」
「つらい」
「うん」
そのまま夏蓮の頭を撫で続ける。声を押し殺した様に泣く夏蓮は傍から見れば泣いているようには見えず、それこそ僕に体重を預けて眠っているようにすら見えるかもしれない。でも、僕のシャツを握りこんで時たま体を震わせる夏蓮の様子は、僕にだけダイレクトに伝わってくる。
「ねぇ、夏蓮」
「……」
夏蓮からの反応はない。
「夏蓮はさ、頑張ったじゃん」
「……」
「勇気出してさ、告白してさ、これで少なくとも気持ちは知ってもらえたんだからさ、これからじゃないの?」
「……」
「ほら、顔上げて」
夏蓮の顔に手を添えてそっと持ち上げる。
夏蓮の顔は既に涙でぐしゃぐしゃ。普段表情を崩さない夏蓮のここまでの泣き顔を見たのはいつぶりだろうか。その目尻に名溜まった涙をそっと親指で拭って微笑みかける。
「大丈夫。夏蓮はかわいいんだから」
「…うるさい」
もう一度夏蓮が僕の胸に顔を埋めた。僕も再び夏蓮の頭に手を乗せる。
「…夏蓮」
「ん」
愛しさが、溢れ出してくる。
僕は今まで、夏蓮の泣き顔なんて見たくないとずっと思ってきたけれど、こうして夏蓮が僕の胸の中で泣いていることが、意中の彼にすら隠した泣き顔をこうして僕に見せてくれていることが、たまらなく嬉しかった。
今まで、こんな感情は感じたことがなかった。いつも僕にとって頼れる姉のような夏蓮が一人の恋する乙女としてはあまりにも無力だった。普段僕の手を引っ張ってくれる夏蓮がこんなにも弱々しく泣いている。それだけの状況で、どうしても心が躍る。
「……一時間だけ時が戻ればいいのに」
そう一言呟いた夏蓮の言葉が静かに教室内に響く。その声色からうかがえるのは、大きな後悔。浮かれた恋心に身を任せて勇気と蛮勇を履き違えた事への後悔。そんなどうしようもない感情がひたすらにこもっていた。
「……そうだね」
もし、もしもだ。
もしこの結果を知ったまま本当に一時間時が戻ったとして、果たして僕はどうするのだろうか。これから起こることも知らずに浮かれ切った夏蓮に僕はなんと声をかけるのだろうか。
夏蓮、少し落ち着いた方がいいんじゃない?
まだ焦っちゃだめだよ。
夏蓮、彼よりも、僕じゃ………
ーーー頑張ってね、夏蓮。
うん。やっぱり、僕は夏蓮の背中を押してしまうんだろうな。
たとえそれで夏蓮が再びこうして涙で顔を濡らすことになっても。それで夏蓮が再びこのような後悔にさいなまれるのだとしても。きっと僕は夏蓮を笑顔で送り出してしまうだろう。
もう一度夏蓮がフラれて、こうして僕の胸の中で泣き出すことを期待しながら。
『僕は本当のところ夏蓮のことをどう思っているのだろうか』なんて野暮なことは考えない。そんなことは考えるまでもない。
たとえ君が僕を恋愛感情の籠った目で見ることがないということが分かってしまっていても、たとえ僕が座りたいと願った
僕はわかっている。
それでも夏蓮はちゃんと僕の傍に居てくれる。
今もこうやって僕だけの傍でその
だから僕は、君が本気なのであれば何度でもその恋を応援しよう。
それだけ僕は君のことが――その泣き顔さえも――大好きなんだ。
夏蓮は泣き止まない。
僕は夏蓮の頭を撫でる。
未だに沈まない夕陽は僕たち二人を朱く照らしていた。
多分近すぎて、ちょっとズレちゃっただけ。
そんな二人の関係に何かの可能性を見出した同士は一言感想を残してくれたら私がとても喜びます。