「本部長とはまた他人行儀だな。いつものように叔父さんと呼んでくれて構わないが」
「いえ。ここはボーダー本部です。私も隊員となった以上はそのように接するわけにはいきません」
「……そう、だな。その通りだ。君を困らせてしまったかな」
少し寂し気に口ごもる忍田に瑠花は首を横に振った。
既に彼女が入隊するという話は聞いている。当時はもちろん両親の反対の意見もあったが、本人の意志が強く、親が折れる形での入隊。最終的には「血縁のある忍田本部長がいるから大丈夫」という彼の存在が非常に彼女の後押しとなった。皮肉にも結果として守る立場である自分が、危険も伴う組織に姪が加入する要因となったことに戸惑いもある。
(私の予想以上に大人だよ)
瑠花もこの5月の入隊式を経てオペレーターとしてボーダーに加入した。トリガーも与えられた以上は一般隊員だ。どのような関係であろうとも上層部の人間と砕けた話し方では周囲の影響もあるだろうと言う彼女の発言は正しい。
まだ中学生でありながらこのような気配りもできる瑠花が隊員となった事に、忍田は嬉しくも少し寂しい複雑な感情を抱いた。
「今日の所はもう大丈夫なのか?」
「ええ。トリガーを受け取って一通りの説明も受けました。明日からは中央オペレーターの方で経験を積む事になっています」
「うむ。オペレーターは防衛隊員にも劣らないほどやるべき事が多い。十分勉強させてもらうと良い」
「はい。ありがとうございます」
オペレーターは通信の媒介や戦闘の記録に始まり、データ収集や分析、戦闘員の状態確認など仕事量は多岐にわたる。そのためまずは中央オペレーターで基本的な業務処理を行う仕事が与えられ、主な技能を取得するというシステムだ。
説明を受けてその大変さは理解しているはず。それでもまだ少女という事もあってか非常にやる気と意志にあふれていた。忍田の言に大きく頷き、満面の笑みを浮かべる。真面目な性格だが年齢相応のあどけなさがあふれ出ていた。
「それで、もしよければ今日はこちらの方で何か見学やお手伝いをさせていただきたいと思ったのですが」
「ここでか? 私の方は今日はもう事務処理ばかりで見学するには不適な仕事なんだが……」
彼女の提案は非常に好感が持てる。だが忍田の仕事は見学をさせるには退屈、手伝いをさせるには責任が重いという不適正なものだ。どうしたものかとしばし頭を悩ませた。
「そうだ。先ほど出現したトリオン兵を回収し、分析する仕事がある。私の仕事ではないがどうだ? よければ私から手はずを整えておくが」
「ぜひお願いします!」
瑠花は忍田の提案に即座に乗る。少しでも早く知識を吸収したいのだろう、彼女の目は輝いて見えた。
回収作業の詳細な説明を受けると瑠花はもう一度深々と頭を下げ、足早に作戦室を退出する。
彼女の背中を見送って忍田は思った。
どうか彼女が何事もなく成長し、願わくば将来は彼女をしっかり守ってくれる部隊に加わってほしいと。
そして彼女を乗せた回収車が現場へ向かってから約四分後。
——甲高いサイレンがけたたましく轟いた。
それは
————
「回収は後だ! すぐに退避しろ!」
「急いで! 早く!」
回収部隊の必死な叫びが耳を打つ。
出現したトリオン兵は自動車ほどの大きさと堅い装甲を誇るモールモッドと長い胴体が特徴的なバムスターだった。
トリオン兵は近くの生体反応を補足すると容赦なく襲い掛かる。戦闘力の有無などお構いなしに。
回収部隊は皆トリガーを与えられているとはいえ、防衛隊員と違い武器もなく
突然の敵の襲来に瑠花は震える足に鞭打って、隊長の指示に従って駆け出した。
「——ッ!」
必死に走ってはいる。だがそれだけだった。
心臓は今にも爆発しそうで、歯は心の不安を体現するように震えている。トリオン体で肉体が強化されているはずなのにいつもより足が重たく感じた。
早く、逃げなきゃ。
「きゃっ!」
その焦りのせいか、瑠花は足をもつれさせ転倒してしまう。
ただでさえ他の人より走るのが遅かった為に余計に距離が開いてしまった。故に彼らが彼女の転倒に気づくよりも
「……あっ」
早く、立ち上がらなければ。早く、逃げなければ。
わかっているはずなのに体が動かなかった。
モールモッドの無感情な瞳と目があっただけで、瑠花の体は凍り付く。
鋭い鋼鉄のブレードが振り上げられた。あの刃が振るわれただけでトリオン体は崩壊するだろう。生身の肉体に戻って、それで終わりだ。自分に迫る死の未来が瑠花の脳裏に鮮明に浮かび上がった。だが未来が分かったところで、どうしようもない。
「だ、れか……」
助けを求める声は悲鳴と爆発音によってあっという間に掻き消された。
涙があふれ、身体の震えが止まらない。
駄目だった。
別に何か大きな事を成し遂げたいという思いはない。裏方でもなんでも、人々の生活を守れるという仕事に少しでも貢献できれば。叔父の力に少しでもなれたなら。そんな想いはこんなにもあっさりと、何もできないまま終わってしまう。
平凡な中学生だった瑠花に今死ぬ覚悟なんて出来ているわけがなかった。
恐怖という感情を最後まで振り払う事が叶わない。
こうして、瑠花は——
「吹き飛べ」
空気を切り裂く音を耳にした。600メートルは離れているであろう場所から放たれた銃弾がモールモッドの巨体を吹き飛ばす。
「……えっ?」
狙撃は鋼鉄の鎧を吹き飛ばし、砕け散った欠片が宙を舞った。何があったのだろうと驚き、現状を把握しようと努めるも、まだ敵の攻勢は終わっていない。後続のバムスターが瑠花を踏みつぶすようにその巨大な足を振り上げた。
「ひっ!」
再び訪れた恐怖に瑠花は両眼を閉ざす。
だが敵の攻撃が振り下ろされるよりも早く、真横から高速で接近する人影が彼女を掻っ攫った。急な衝撃はトリオン体の機能により緩和される。謎の浮遊感を感じながら、瑠花は瞼を上げて、自分を抱きかかえる銀髪の男性隊員を見上げるのだった。
「ごめん。来るのが遅かった。大丈夫かい?」
右手に弧月を握りしめた隊員・ライはバムスターの右足を切り落とすと、瑠花を安心させるように柔らかい口調で尋ねる。
「……は、い」
瑠花は涙交じりに答えた。まだ脳も覚醒していない。色々と伝える事が不足していただろうが、ライは「それで十分だ」と笑うのだった。
「ちょっと! ライ君速いって!」
「
「えっ。ちょっと、ゾエさんの扱い雑じゃない? ——まあ了解。こっちは引き受けたよ!」
遅れてやってきた北添は不満を述べながらも残存戦力へ突撃銃の先端を向ける。たちまち銃口が火を噴いた。一気にトリオン兵の装甲を削っていく。
「よいしょっ」
「きゃっ!」
「ごめん。少しの辛抱だから我慢してね」
「はっ、はい!」
味方の優位を確認してライは素早くその場を離脱した。瑠花を横抱き、俗にいうお姫様抱っこの形で抱きかかえ、凄まじい速さで地面を蹴る。
ここまでくれば大丈夫、と安堵の息を零すのも束の間。反対側から別個体のモールモッドが行く手を阻む。
「さっきの!」
「ッ。……強行突破する。しっかり掴まってて」
「えっ?」
ライは今一度右手に持つ弧月をしっかり握りしめ、瑠花を近くに抱き寄せた。
言われるがまま瑠花もライの首へと手を回してしがみつくが、彼の発言の真意は読めない。強行突破すると言ってもモールモッドは巨体だ。横から駆け抜けるのは難しいだろう。ならば上か。そう考えた直後、モールモッドのブレードが振りかざされ、真上から弾丸のように突き放たれた。
「行くよ!」
その攻撃を見て、ライは横っ飛びに跳ぶ。壁に足が着くや否やそのまま壁を走り抜けモールモッドの攻撃をかわした。
「きゃああああ!!」
「しゃべらないで! 舌を噛む!」
瑠花の悲鳴を耳にして、ライは一言声をかけると弧月を横に持ち変える。
最後に勢いよく壁を蹴ってモールモッドに急接近すると、そのまま弧月を横一閃に薙ぎ払った。
一瞬でモールモッドの巨体に切れ筋が走り、鈍い音を立てて崩れ落ちる。完全に沈黙しており、戦闘続行は不可能となっていた。
「もう大丈夫だよ。ごめんね」
「————」
あっさりと敵を仕留めたライはここが戦場である事を忘れさせるような穏やかな表情で瑠花を見る。あまりにもかけ離れた彼の言動に、瑠花は言葉を失っていた。
————
「……お礼、言いそびれちゃったな」
その日の夜。
瑠花は沈んだ顔でボーダー本部の廊下を歩いていた。
あの後、無事に回収班のメンバーと合流した瑠花は無事に本部へと送り届けられた。幸いにも皆大きなけがはない。突然の襲撃は予想外だったが、防衛任務に就いていた隊員達によって全て迎撃されたという。
自分も負傷していないのだから文句はない。だが申し訳なく思う事が一つだけあった。
(結局名前を聞けなかった。あの人は誰だったんだろう?)
あの時自分を助けてくれた銀髪の防衛隊員の事。彼は回収班の隊員を本部へ送り届けた後すぐにどこかへと行ってしまった。おそらく同じ防衛隊員の援護に向かったか、再び防衛任務に戻ったのだろう。
戻ってきた直後は安心感から気が抜けてしまい何も考える事が出来なかった。その為お礼を言う事もできなければ、名前を尋ねる事さえできていない。それが気がかりだった。
(特徴的な銀髪だった。きっとここで仕事をしていればいつかは会えるだろうけど……)
おかげでその後の
相手は日本人には珍しい銀髪。きっといつかは会えるはず。ひょっとしたら叔父に聞けば簡単に教えてくれるかもしれない。だからその時にきちんとお礼を述べようと決め、瑠花は意識を切り替えるべく両の頬を軽く叩いた。
(いつまでも気にしては駄目! 明日からはしっかりしなきゃ!)
明日からは一隊員として行動する。これ以上今日の出来事を引きずっては駄目だと自分を叱咤した。
「……よし。とりあえず少し食べてから家に帰ろう」
時刻はもう夜の8時を迎えようとしている。さすがにお腹が空いてくる頃だ。帰宅する前に腹ごしらえをしようと食堂へと向かった。券売機でうどん(小)を購入してカウンターへ向かう。
「お願いします」
「はーい。少々お待ちください」
食券を置いてナンバープレートを受け取ると、瑠花はすぐに移動して視線を食事をしている隊員達へと移した。銀色の髪の男性隊員を探すが、やはりいない。ひょっとしたらここで会えるかもしれないと考えていたが、確率が低い出来事はそう簡単には起こらなかった。わかっていてもやはり残念に思えてならない。
「21番。うどんでお待ちのお客様。出来上がりましたので番号札をもってお越しください」
やがて頼んでいた食事の完成が告げられた。こうなったら早く食事を済ませて帰ろうと瑠花は再びカウンターへと戻る。
「はい。私です」
「お待たせしました。熱いので十分お気を付けください」
「ありがとうござい——」
そしてお礼を告げようと視線を上げて、注文の受け答えを担当していた男性スタッフが、彼女が探していた銀髪の青年であることに気づいた。間違いなくあの時駆け付けてくれた隊員の顔である。もっと低い可能性が現実と化していた。
「……あっ。えっ? あれ? えっ?」
すぐに現実を受け入れられない。髪型や容姿などの特徴は一致していた。だが、先ほど防衛隊員として助けてくれた男性が、今度は食堂の職員として自然と振る舞っている。理解できずに瑠花はその場で呆然とした。
「どうしました? ——ん? あれ、君はひょっとしてさっきの?」
そんな瑠花の様子を心配に思ったのだろう。ライも彼女の表情を窺って、先ほど自分が救助した少女であることに気づく。
「は、はい! 先ほど
「そうか。君が無事だったみたいで何よりだ。そうだな。——すみませーん! 今日、先にあがっても良いですか?」
瑠花は何度も大きく頭を下げる。そんな彼女をライは手で制した。そして瑠花と少し話をしておきたいと考えたのか、ライは一度奥へと下がり、他の職員に何かを耳打ちする。事情を説明しているのだろう。20秒ほど話をしてライは再びカウンターへと戻った。
「ちょっと話をしないかい? 着替えたらすぐに来るよ」
「……はい」
先ほどのように柔らかい笑みをこぼすライ。安堵を覚えた瑠花は自然と肯定の答えを返していた。