「——そうか。君は、忍田本部長の姪だったのか」
着替えを終えたライが席に着くと、ちょうど瑠花もうどんを食べ終えたという事もあり、二人は軽い自己紹介を行った。彼女がかつて彼も出会った事がある忍田の親戚と知り、ライは小さく笑う。確かに改まって対面してみると少し本部長と似た雰囲気や面影を感じない事もなかった。
「はい。今日の入隊式でボーダーに入り、明日から正式にオペレーターとして勉強する予定です」
「なるほどね。以前回収班の方とは何度か会った事はあったけど、見かけない女の子がいたと思ったらそういう事だったのか。同行したのは
「ええ。直に見る機会も少ないと思いましたし、解析作業はオペレーターとしてやっていく以上は必要だと思ったので」
「そうか。僕もオペレーターではないから詳しくは言えないが、確かに敵戦力の分析は重要だ。それが僕達防衛隊員の任務成功にもつながる。その為にはやはり経験を積むことが一番だろう。君の考えは素晴らしい。初日に、自分から積極的に行動できるなんて誰にでもできる事ではないよ」
「……いえ、そんな」
ひたすら褒め称えるライに瑠花は少し気恥ずかしくなって視線を逸らす。本心で語っていると感じられるのがたちが悪かった。先程自身を運んだ方法も思い返し、余計に頬に熱が篭る。
「ただ、大丈夫だったか? 実際に敵を目のあたりにして」
直後にライの口調が真剣なものへ変わった。今までの穏やかな様子は残しつつ、目が鋭さを増す。
おそらく彼は瑠花の恐怖を心配して声をかけたのだろう。
事実、瑠花はあの時に明確な死を実感した。今でも鮮明に覚えている。
「……大丈夫、と言いたいですけど」
ゆっくりと言葉を紡いだ。
あまり弱音を吐きたくはないが、抱え込めるような感情でもない。誰かに聞いて欲しかった。
「やっぱり怖いですね」
ぬぐい切れない不安を吐き出す。ライは口を挟むことはせず、彼女の続きを促した。
「実物を見たのは初めてです。しかもあれ程急な遭遇だなんて思いもよりませんでした」
「うん」
「体がすくんで、動けなくて。私は何も出来ないんだ、戦えないんだって思いばかりが浮かんできて」
実際に襲撃を受けたのは時間にして数分程だ。しかしその数分はまだ幼い瑠花に衝撃を残すには十分な時間だった。
「……私は、この先ボーダーでやっていけるのか不安になりました」
まだ初日であるものの先の記憶を克服できる自信はない。戦えない恐ろしさを味わい、瑠花の心に影を落とす。
「君が恐怖を感じない人でなくて良かった」
そんな彼女に、ここまで相槌を打つにとどまっていたライが口を開いた。
「はい?」
「不安を恥じる必要はない。生死の懸かった場面、それを恐れないのは無謀だ。勿論そういった感情を楽しみに変えたりする事もできる人はいるかもしれない。だが無理に克服しようとする必要はないよ」
その傷に打ち勝つ事は不要だと彼は言う。
「慣れるとまでいかなくてもその恐怖に折り合いをつけていくと良い。恐れと向き合い続ける時間が増える程、心の強さは増すだろう。それは誰もが出来る、何よりも大切な事だ」
「私にも、ですか?」
「そう信じている。戦えなくてもその代わりにできる事が君の価値となる。もしも問題となるのならば
未だに迷いが残る瑠花に、ライはさらに強く訴えた。
恐怖を捨てる事が必ずしも素晴らしい事ではなく、戦闘員だけが全てと言うわけでもない。
自分にできる事をやっていけば良いのだとライは断じた。その為にも自分を含む防衛隊員がいるのだと。
「——はい」
小さな声で瑠花は返答する。
恐怖は消えていなかった。だが、どこか心が軽くなったような感覚がある。自然と表情のこわばりもなくなっていた。
「少し、格好つけすぎたかな?」
「いえ。その、ありがとうございます」
「お礼なんていらないよ。そもそも僕だって4か月前に入隊したばかりなんだ。それほどボーダーに貢献できているわけではないからね」
「えっ? そうなんですか?」
ライが首を縦に振る。その素振りに「意外だ」と瑠花は目を丸くした。
戦い方や物腰、何よりもその言葉からは経験の重さが伝わってくる。まるでもっと長くの間戦っているように感じたのだ。それこそ本当に命のやり取りが行われる生身の戦場にいたかのような。
「あの。えっと――先輩は」
「紅月でもライでも呼びやすい方で構わないよ。皆好きな方で呼んでいるから」
「ではライ先輩と。ライ先輩はどこの部隊に所属しているんですか?」
許可を得て瑠花は質問を続ける。ボーダーに入ったばかりならば出来たばかりのチームに入ったのだろうかと色々と推測して彼の答えを待った。
「ううん。僕の所属はない」
「え?」
「フリーのB級隊員なんだ。さっきも言ったように僕はボーダーに入ったばかりでもっと知りたいと思ったというのが理由の一つ。あと僕は少し事情が特殊でね。親しい人間もいないから様々な人と交流を深めようと思ったんだ」
「特殊?」
気になる説明を耳にしてライの言葉を反芻する。親しい人間がいないとは考えられなかった。今の状況を見ても社交的な性格のようだし、共に行動していた防衛隊員とも普通に接していたように思える。
「……申し訳ないけど僕の口からはこれ以上何も話す事は出来ない」
だがそこでライの話は区切りを迎えた。話さないのではなく『話す事は出来ない』。瑠花は若いものの彼の言葉の意味を汲み取り、何かボーダー本部の上層部が関わっているであろう事を悟り、追及する事はしなかった。
「そうなんですね。わかりました」
深く踏み込んでこない事はライにとってありがたい事である。聡い子なんだなとライは瑠花を見て安堵の息を吐いた。この様子ならば特に強く自分の事について言いふらさないように念を押す必要はないだろう。
「——あの。ライ先輩」
「なんだい?」
今一度瑠花が名前を呼ぶ。何かを決意したのか彼女は姿勢を正した。凛とした真剣な表情に空気も引き締まる。
「もしも、もしもの話ですが。ライ先輩がどこかの部隊に所属するのではなく、新たな部隊を作る事になったなら。誰かオペレーターを引き受ける人がいなかったなら。——私をライ先輩のオペレーターとして加えてもらえませんか?」
思いもよらない提案にライの眉がピクリと動いた。
あくまでも仮定の話ではあるとはいえ、今日入隊したばかりの彼女が、出会ったばかりである自分にこのような誘いをするとは早計すぎる。
「……君はまだボーダーに入ったばかりで部隊や隊員の事を良く知らないだろう。今すぐにチームの事を決める必要はない」
「わかっています。そもそも私がオペレーターとして続けていけるのかどうかも確実ではないんですから。だから一つの案として考えてはもらえませんか?」
瑠花は約束してほしいとは言わなかった。ただ一考してほしいと彼に願う。
一案として頭に入れてほしいというのはうまい言い方だとライも感心した。たしかにこれならば強く否定する事も出来ない。
「一応もう一度言っておくけれど、今日の一件の事は別に君が気にするようなことではない。僕は防衛任務という務めを果たしただけだし、僕がいなくてもきっと他の隊員が守ってくれただろう」
「そうかもしれません」
念を押してライが先の救出を恩に思う必要はないと彼女を諭した。瑠花もその言葉に頷きつつ、己の意思を示す。
「ですがライ先輩が私を助けてくれたという結果に変わりはありません」
真っ直ぐと、迷いのない瞳がライを射貫いた。
『結果は全てにおいて優先される!』
彼の脳裏にかつて上司として付き従った男の言葉がよみがえる。
どれだけ仮定や可能性を語ろうとも動きようのない事実がある以上、それらを考慮する事は無意味なのかもしれない。少なくとも彼女にとっては既に答えが出ているのだ。ならばこれ以上の言葉はかえって彼女を傷つける事になりかねない。
「それに、ライ先輩にとっても良い提案ではないですか?」
「ん? どういう意味だい?」
熟考を重ねるライを見て、瑠花はさらに話を続けた。
「ライ先輩は自身の事を特殊であると仰っていました。だから部隊を組むにあたってもその立場を気にして二の足を踏んでしまうのではないですか?」
「————」
驚きのあまりライは一瞬呼吸を忘れる。
文字通り目を丸くした。
瑠花はライが考えているよりも強く、そして賢い。頭の回転が早かった。
(あの情報量だけでここまで考え至ったというのか?)
信じがたい事だが、彼女の指摘は的を射ている。
現にライは部隊勧誘の話をいくつも受けながら頷くことは一度もなかった。勿論彼が常日頃話していたようにもっと環境を知りたいという考えもある。
だがそれ以上に自身が抱える事情から応える事が出来なかった。
出身は勿論の事、上層部からも注視されているであろう立場から他のB級の部隊に加わる事に抵抗を感じ、そんな自分が何の功績も上げぬままA級の部隊に入るというのも気が引ける。
ライは良くも悪くも優しく真面目な性格だった。その為に周囲の人間の事を気にかけてチームの事をすぐに決める事が出来ずにいる。
「どうでしょうか? 今日私を助けたという恩を、ライ先輩が部隊を新設する時に返させてもらえませんか?」
だから彼女の提案はライにとっても有益かつ効果的なものであった。
「それに私は忍田本部長の姪です。知っているかもしれませんが叔父は優しい性格ですから。何かあったとしても私がいるなら多少甘い目で見てくれるかもしれません」
さらに瑠花は自分を取り入れる事で生じるメリットを付け加える。
自身やライの事だけではなく権力者の名前まで上げるとは、彼女は意外と肝が据わっている性格なのかもしれない。
「なるほど」
思わずライは笑みをこぼした。
一時の感情だけではなく、自分と行動を共にすることのメリットも提示する。交渉と呼ぶには十分なものだった。これ程思考できる隊員ならば大丈夫だろう。
「――近い将来、君がオペレーターとして力をつけたころ。互いの力が必要になり、目指すものが同じだったならば」
ライは覚悟を決めた。いつまでも悩んでいても仕方がない。それに部隊の事とていつまでも決めかねて周囲から難癖をつけられてしまっても困るだろう。
何よりもここまで言ってくれた少女の想いを無碍にしたくなかった。
「その時は僕に力を貸してほしい。良いかな?」
「……よろこんで」
ライが笑顔で問う。瑠花も微笑みを浮かべて彼の誘いを受け入れたのだった。
――――
「——陽介」
「うん? どうした?」
その週の土曜日。ライは米屋の宿題を手伝いつつ、彼も気にしていた話題を切り出した。
「今まで悩んでいたけど、部隊の事を決めたよ」
「おっ!? まじか! 何処の隊だよ? A級か? B級か?」
驚きと喜びを併せ持った表情で米屋が詰め寄せる。
米屋にとってもライがどのような選択を取るのかは興味深いものだった。あらゆる部隊の隊員を想像しながらその答えを待つ。
「いや、既存の部隊には入らない」
「えっ? じゃあ……」
「ああそうだ。僕は新たに自分のチームを立ち上げる」
「マジかよ」
どこかの部隊に加入すると考えていた米屋は唖然とした。彼もライの事情を知っている為、部隊新設にあたって必須となる人員の確保などが難しい事を知っている。ライは知人がいない上に入隊して日が浅い為に弟子も持っていなかった。戦闘員をそろえるのは勿論、オペレーターを探すのも一苦労である。
「で、誰と組むんだ? もう次のシーズンからランク戦にも出るのか?」
「他の戦闘員は現状考えていない。僕とオペレーターの二人だけだ。ランク戦はその子が十分な経験を積んで、僕の誘いに頷いてくれてから、だな」
「……はっ? おい待て。部隊を組むことは確定じゃねえの?」
「どうかな。彼女はこの前入隊式を終えたばかりだから。中央オペレーターとしてしばらく勉強しなきゃいけないし、ひょっとしたらその間に他の部隊に引き抜かれるかも」
「ってことはオペレーターって新入りの隊員かよ。じゃあ本当にまだわからねえのか」
「うん。でも決めたんだ。——少なくとも彼女に断られるまで、僕は他の部隊には入らないし、他の誰とも組まない」
珍しく彼の語気を強めた発言に米屋は息を飲んだ。ここまでライが出会ったばかりの異性に入れ込むとは珍しい。
(これは、そっちか?)
彼の様子から米屋は悪知恵を思い浮かべ、ライをおちょくろうと口角を上げた。
「何だよ何だよ。お前、ひょっとしてその子の事気に入っちゃったのか?」
「――陽介。以前僕に妹がいたと話した事、覚えているか?」
「はっ?」
だが、再び予想外の答えが返ってきて米屋は間の抜けた声をこぼす。
「弱いながらに芯の強い、聡い女の子だった」
昔を懐かしむような声色だった。
ライにとって妹は二人いる。一人は勿論血のつながった妹、そしてもう一人はかつて彼がいた世界で、兄と似ているという事で慕ってくれていた女の子の事だ。
「彼女がどこか似ていると思ったのかもしれない」
見た目の事ではない。むしろ彼女は純日本人であるために外見などは大きく異なっていた。
似ているのは人間性。ライは人間性で彼女たちに通じるものを感じ取っていた。戦えなくても強さと賢さを持つ姿に面影を重ねている。加えて瑠花は中学二年生であると聞いた。ちょうど二人と同年代である。そう言った点からも似通ったイメージを持つのは必然だったのかもしれない。
「だからその気持ちには応えたいと思ったんだ」
もう傷つく姿を見たくなかった。ライは前の世界でも妹のような存在を傷つけてしまった事に責任を感じている。実際に見たわけではないが、きっと記憶を失ったとしても自分がいなくなったことで涙を流したのだろうと確信を持っていた。それほど優しい少女だと知っているから。
「僕は待つよ。君の言う通りまだ決まっていないけれど、僕はその時を待ち続ける」
そう言いながらも彼の言葉には確信が篭っている。
まるでライの脳裏にはオペレーターを務める瑠花の支援の下、戦う自分の姿が浮かび上がっているようだった。
「……ライ。お前、やっぱすげえよ」
「それほどでも。さて、下種な発想をした陽介はしばらく一人でこの宿題を進めておいてもらおうかな」
「なにぃっ!? おい、嘘だろ!?」
そう言ってライは席を立つ。彼は米屋の発言の裏を正しく読み取り、根に持っていた。
颯爽と部屋を後にしようとするライの背中に米屋が必死に手を伸ばす。
友の叫びを聞き流すライの表情はとてもさわやかなものだった。