「なあライ」
「何ですか?」
「どうしてレポートって溜まっていくんだろうな」
「いつまでも手を付けないからです」
「マジかー」
ライはパソコンに視線を向けたまま、太刀川の疑問を切り捨てた。
5月のある日の資料室。ライはボーダー本部でバイト後の休憩をしていたところにやってきた太刀川の助力を求める声に応じ、彼のレポートの仕上げを行っている最中である。後回しを続けた結果、積み重なってしまったらしい。
彼曰く既に忍田には『自業自得だ』と見放され、風間は『自分でやれ』の一点張り。ついに普段からお世話になっている年上の人全てに断られ、ボーダートップランカーは年下の隊員に助けを求めたのだった。
「だがな、俺だって一応ボーダーの仕事をやっているんだぞ! 少しくらいそういう事情をくみ取ってもらっても良いと思わないか!?」
「大学側はバイトくらいの感覚に考えているんじゃないですか? あくまでも向こうの本業は学業なんですから」
「俺達の防衛任務がバイト扱いだと……?」
これでも市民の安全を守っているのにと太刀川が天を仰ぐ。
「ふざけている暇があったら手を動かしてください。また本部長や風間さんに言いつけますよ?」
「それだけはやめてくれ!」
改めて厳しい二人の名前を挙げると太刀川は涙さえ浮かべてライに訴えた。よほど厳しい扱いを受けたのだろう。あなた方の指導は完璧です、とライはこの場にはいない二人の指導ぶりを讃えるのだった。
「だったら頑張ってください。さっきから僕の方がこなしている量が多いんですよ? 何か思う事はないんですか?」
「お前ってやっぱり事務処理とかにも向いてそうだよなと思う」
違う。そうじゃない。
優れている人って思考が少しずれているのかな、とライは遠くを眺めて思考にふける。
「——あら。いた。こんなところにいたのね」
「えっ?」
すると突然個室の扉が開かれ、女性の高く澄んだ声が室内に響いた。
明るい金髪と艶ぼくろが特徴的な、ミステリアスな空気と女性っぽい色っぽさを纏う大人びた女性が入室する。
「おっ? 加古じゃないか! 珍しい所で会うな!」
「ええ。久しぶりね、太刀川君」
「休日に本部へ来るなんて珍しい。
太刀川はその女性——加古に気づくや否や歓迎の声を上げた。
彼女の名前は加古望。太刀川と同じくA級部隊の隊長を担っている女性である。
A級加古隊隊長
「いいえ。今日はその子に会いに来たのよ」
すると加古は太刀川ではなく、奥に座るライへと視線を向けた。
「はじめまして、紅月君。私は加古望。彼と同じA級の隊員よ」
「はじめまして、加古さん。A級の隊長自ら会いに来ていただけるとは恐縮です」
左手を差し出されると、ライも立ち上がりその握手に応じる。名乗る前から既に隊長であるという事を悟るライに加古の瞳がわずかに見開いた。
「あら? 私の事はもう知っていたのかしら?」
「A級とB級の隊員の事は頭に入れるようにしているので」
「そうなの? 勤勉なのね」
虚言ではない。事実、ライは人との交流の上で差し支えがないようにと正規隊員の名前と顔、基本的な情報は知識として蓄えていた。
「ますます興味が湧いたわ」
そんな彼の能力を聞き、加古の目がキラリと輝く。
「さっきも言ったように今日はあなたに会いに来たの。結論からで悪いのだけれど。――あなた、私の部隊に入らない?」
「おっ!?」
突然の勧誘に隣で聞いていた太刀川が驚き半分、面白半分の反応を示した。
「お断りします」
「なに!?」
だが、ライはその誘いをキッパリと断る。
「そう言うと思ったわ」
「なぜ!?」
一方提案した加古も返答を予測していたのか、気落ちする事無くむしろ俄然彼に興味を示した。まるで事前に打ち合わせをしていたかのような流れの速さに太刀川は理解が追いつかない。
「ただ、私もそう簡単には引き下がれないの。あなたはうちの部隊にはまさに適任の逸材だったから」
「と言いますと?」
強い関心を持っていると語る加古に、ライも彼女の話を聞く事にした。それを興味がある反応だと受け取った加古は促されるまま説明を続ける。
「加古隊の隊員は全員
すなわち名前がか行のいずれかから始まっている名前の人物で統一しているという事だった。ライも苗字が紅月、「こ」から始まる名前の為適性を認められている。
「だから『K』で才能ある子を見つけると声をかけずにはいられないのよね」
「なるほど。エンブレムの蝶に書いてあったKはそれを意味していたんですか」
「そこまで見ていたの? マメな性格ね」
自身の隊が持つエンブレムにも知識を持っている彼に加古は感心した。
一度でもA級へ昇格した隊は隊専用のエンブレムをつける事が許される。加古隊のモチーフは蝶で右羽にはKの文字が刻まれていた。これは隊長である加古の指針が籠められている。
「お前そんな事まで知ってるとかすごいけど、さすがに入れ込みすぎると脳がパンクしないか?」
「太刀川さんはせめてもう少し知識を詰めてください。しぼんでしまいますよ」
「ぐっ!」
茶々を入れる太刀川は正論で一刀両断された。
「ですが、加古隊は女性隊員で構成されるガールズチームであると聞きました。そこに僕が入っては問題でしょう。それより、今期C級隊員に入った木虎隊員はどうです? 彼女の才能は突出しているものがあると思います」
さらにライは加古に対しても当たり障りのない受け答えを示す。
彼の言う通り現在加古隊はオペレーターを含む3人の隊員が全員女性であった。そこに男性隊員が一人加入すれば男女の双方から批判が出る可能性もある。そう言った事を避けるためにもライは木虎の名前を出し、後輩の抜擢も狙った。
「彼女にも声をかけたのだけれど、断られちゃったのよね」
「木虎がですか?」
こくりと加古が頷く。
木虎が向上心のある隊員であると知っているライにとって意外な事実だった。上からの誘いとなれば誘いに乗ると思っていたのだが、ひょっとしたら他の精鋭部隊からも声がかかっているのかもしれない。
「他の隊員の事なら気にすることはないわ。別に私は気にしていないし、男性であろうとも気になる存在がいれば声をかけているの」
さらに加古は逃げ道を塞ぐ。事実、現状で加古の誘いに応じたのが女性隊員だけであったというだけで、男性がいないのは結果的にそうなっただけだったのだ。今後も男性であろうとも才能があれば声をかけると語る加古に対し。
「——それでも、お断りします」
やはりライは拒絶の意志を示した。
「残念。理由を聞いても良いかしら?」
「ハッハッハ。聞いても無駄だぞ加古。こいつは誰に対しても同じ答えを返しててだな」
「一緒に部隊を組むと約束した女の子がいるんです」
「……何っ!?」
何故か得意げに教えようとした太刀川だが、彼も加古もライが部隊を作るという話を聞いて驚愕する。
「それは初耳だぞ! お前、いつの間に!?」
「私も知らなかったわ。申請の届は出ていないと聞いていたのだけど」
「決めたのはつい先日です。申請の届を出していないのも当然です。そのオペレーターの子が部隊発足できるほどの経験を積んでからと決めているので」
「相手は一体誰だ? 中央オペレーターの隊員って事だろう?」
「はい。5月の入隊式の日に入隊した子です。名前は一応伏せておきます」
「あら。入隊したばかりの女の子なのね」
「その通りです」
今まで誰の誘いにも応じなかった彼が、入ったばかりの隊員と部隊を組むと知って二人の興味はさらに増した。
「でもそれならまだ部隊結成は決まったわけではないのでしょう? 少し考えてみてはくれないかしら?」
「確かに加古さんの言う通りです」
部隊結成の話はオペレーターの隊員次第であるという話。ならばこの誘いは一考に値するものだろうと加古は言う。確かにライもそれについては同意を示した。
「ですが、もう決めた事なので」
だが最後まで意志を曲げることはしない。断固たる決意を二人に見せた。
「――そう。それなら仕方ないわね。じゃあ最後に、もう少しだけ付き合ってもらえないかしら?」
彼の気持ちを汲み取り、加古はそれ以上ライを勧誘はしない。代わりに、ある場所へと連れていくのだった。
――――
「——どうだったかしら?」
ライと太刀川を連れて加古が向かったのは加古隊の作戦室だ。
大型
「今のがタイマー、そして韋駄天よ。他にもいろいろと試しているトリガーがあるわ」
「こういう風にA級は特典で開発室に依頼すればトリガーを改造できるんだ」
「それによってより自由な戦闘が可能になる。あなたの能力を考慮すれば、より強くなれるはずよ」
「……なるほど」
加古と太刀川の説明を受けてライは満足げに頷く。
おそらく能力とは
「あなたがうちに入ればきっと満足できる武器を手に入れられると思うわ。だから、そうね。
それこそが加古の狙い。強化されたトリガーを見せ、ライにメリットを提示する。あくまでも『部隊の新設がかなわなければ』という譲歩も見せて改めてライに声をかけるのだった。
「ありがとうございます。では、僕は自分の部隊でA級に上がれるように頑張ります」
彼女の誘いに、ライはその特典は自分たちの力で手に入れて見せると、遠回しに拒絶の意を示す。
「あら残念」
「ハッハッ。やっぱり意志が固いなあ」
加古は左手を頬に当てて上品に微笑んだ。一方太刀川はこうなると読んでいたのか高笑いを上げている。
「それなら見届けさせてもらうわね。これからあなたがどんな部隊を作るのか」
「……はい。少なくとも人を見る目は間違いではなかったと言ってもらえるように頑張ります」
最後にそう言って二人は穏やかにこの勧誘の話を終えるのだった。
「もうこんな時間ね。——そうだわ。長々と二人を引き留めてしまったのだからご飯くらい食べて行って」
「いいんですか? ありがとうございます」
ふと加古が時計を見上げると、いつの間にか12時を回ろうとしている。お腹もすいた頃合いだ。折角の機会だ、ご相伴にあずかろうとライはお礼を告げて頭を下げた。
「おい。ちょっと待ってくれ、加古!」
だがなぜか太刀川は冷や汗を浮かべて、台所に向かおうとした加古を呼び止める。
「何かしら?」
「あらかじめ聞いておきたいんだが、そのメニューは何だ?」
「作ってからのお楽しみよ。最初に言ってしまっては面白くないでしょう?」
必死な呼びかけをサラッと受け流す。セレブを彷彿させる受け答えと仕草に太刀川は「面白さは料理にはいらないんだが」と掻き消えそうな言葉を口にするのだった。
「——お待たせ。出来たわよ」
待つこと10分ほど。加古が二人分の料理を机へと運ぶ。
「黒蜜タピオカ炒飯よ」
突如現した料理を目の前に、ライは自らの耳を疑い、次に目を疑い、最後に常識を疑った。
「タピ……タピ? ……炒飯?」
ライは炒飯(と呼ばれたもの)を凝視する。皿のすぐ上にあるものは一般的に炒飯と指定されているものだった。だが、その炒飯の上に黒いタピオカの粒と黒蜜がかかっている光景が異様に映る。
一度視線を上げ、加古の表情を見上げた。変わらぬ笑顔である事を確認し、もう一度炒飯を見る。念を押して加古の顔を再び見つめた。やはり笑顔のままだった。
「……なるほど」
この一連の流れを経て、ライは全てを理解する。
(これが日本の縦社会か!)
違う。
(年上の者に逆らった者はたちまちいじめを受けるという、あの!)
だから違う。
「二割の方が来ちゃったか―」
ライの横では太刀川が天を仰いでいた。
決して加古は料理が下手というわけでも味覚がおかしいというわけでもない。むしろ彼女は炒飯作りが得意であり、8割ほどの確率で絶品の極旨炒飯を幾度も完成させてきた。
問題は残りの2割である。これらは外れと呼ばれており、ゲテモノ揃いとなっていた。
好奇心がこのような創作料理を作り出すのだろう。運悪く今回二人はこの二割を引き当ててしまう。
「どうぞめしあがれ」
「…………いただきます」
「えっ。行くのか?」
そんな事など知る由もないライは、加古の笑顔の圧に押され、恐る恐る炒飯へとスプーンを伸ばした。年上の女性の誘いを断ってしまったという罪悪感から逃れる事はできない。
太刀川の心配そうな視線が向けられる中、ライは加古の手料理を口にした。
「————」
一瞬、時が制止する。
「どうかしら?」
文字通りワクワクしているような加古の表情を目にしたライは強引に咀嚼を続け、そして一気に飲み干した。
「…………懐かしい味でした」
「なにっ!?」
「あら。本当?」
考える事数秒。女性を傷つけるような発言はできない。感想を求められたライは熟考の結果、短くそう答えた。
彼の脳裏には、かつて友の誘いを受けて訪れた施設で口にした、甘味にあふれたお寿司が浮かんでいる。
「なんだ。見た目だけなのか。じゃあいただきます」
何も知らない太刀川はライの発言を高評価であると受けとり、安心して炒飯を食べ始めた。
「――――」
『戦闘体活動限界。
「太刀川さん!?」
そしてその味にトリオン体が耐え切れずに緊急脱出する。
結局その後太刀川が戻ってくることはなく、ライは残った炒飯を全て平らげる事を余儀なくされ、太刀川は一人でレポートを進める事になった。
――――
翌日。
「おう、三輪か。ちょっと良いか?」
「太刀川さん? 何ですか?」
「紅月の事で話があるんだ。あいつおかしいんじゃないか?」
「どういう意味です?」
「加古が作る外れの方、2割の料理を食べて『懐かしい味』と言ってたんだよ」
「ハッ!!!!????」
(馬鹿な! そんなはずが!)
「ひょっとして味覚とか記憶とか俺達が考えている以上に色々弄られてるんじゃないか?」
太刀川から話を聞くや否や、三輪はすぐに駆け出し、開発室へと向かった。
「鬼怒田室長。至急、紅月のより精密な検査をお願いします」
「三輪隊長? 一体どういう事だ?」
「太刀川さんの話によると、加古さんの外れを食べて『懐かしい味』だと語ったそうです。味覚や記憶に障害が出ている可能性があります」
「何!? それはいかん! 重症である可能性が高いぞ!」
この後ライは開発室に呼び出される。何時間もかけて精密検査が実施された。何も異常は出てこなかった。