年が明けた一月。
ボーダーでは新年初となる入隊式も終え、各隊員達が普段通りの任務につき落ち着きを取り戻した頃、ライは再び加古に呼び出され加古隊の作戦室を訪れていた。
「こんにちは」
「いらっしゃい紅月君。待っていたわ」
「加古さん。お久しぶりです。今年もよろしくお願いします」
「あらご丁寧にありがとう。こちらもよろしくお願いするわ」
ライが深々と頭を下げると加古も軽く会釈する。通信で既に挨拶を済ませていたとはいえ、やはり直接新年の挨拶を済ませておきたかったのだろう。
「初日の出を見るためにドライブへ行ったと聞いていますがどうでしたか? 見る事は出来ましたか?」
「ええ勿論。とても綺麗だったわ。ドライブも楽しめたし、最高よ。あなたも機会があれば免許を取ってみたらどう?」
「まあ僕の場合は色々事情もありますので……」
「そう? ストレスのはけ口にもなるから良いのだけど」
加古も彼の事を知っている為強くは勧められず残念そうに呟いた。勿論彼自身はある意味車以上に操作が困難である機械の操縦歴があるので免許を取る事自体に支障はないのだが、遠出が容易になる自動車免許を取得して上層部の警戒を持たれる必要はないとライは考えている。
「それで、今日は僕に用事があるとの事でしたが」
「ええ。あなたに紹介したい子がいるの。——双葉!」
「はい」
早速ライが用件を尋ねると、加古は作戦室の奥に控えていた一人の隊員の名前を呼んだ。彼女の声に応じて一人の少女が二人の前に姿を現す。鋭い目つきと二つ結びの髪型が特徴的な、小柄な女の子だった。
「……どうも」
「紹介するわ。この子は今月入隊した黒江双葉よ」
「では入隊したばかり? ——初めまして、紅月ライだ」
C級
黒江はライを観察するようにじっと見つめる。彼女の様子に気づきながらもライは好意的な笑顔を浮かべて右手を差し出した。黒江もその手に応じて握手を交わすが、すぐに右手を引っ込めてしまう。
「この子は今度市内の中学校に進学するのだけど、それを契機にボーダーにも入るという事になったのよ」
「えっ? じゃあ4月から中学生という事ですか?」
小柄な体格から年少である事は想定していたが、まだ小学生であるという加古の話を聞いてライは目を見開いた。若くてもボーダーに所属する隊員はいるにはいるものの小学生となれば話は別だ。前例を探しても該当者は片手で数えて足りる程であろう。
時代を考えれば戦いを考える事さえないはずの、ライにとっては彼の妹と同じくらいの年頃の女の子。そんな彼女が防衛隊員として入隊したというのは簡単には信じられない事だった。
「見かけで判断しては駄目よ。双葉は入隊の戦闘訓練を11秒でクリアした逸材なんだから」
「11秒! それはすごい。その腕を見込んで、彼女が正隊員へ昇格したら加古隊に加えるという事ですか」
「そうなのよ」
話が早いわねと加古がクスリと笑う。
加古が黒江を誘うのも当然の事だった。11秒という記録は凄まじい。ライがクリアしたタイムの19秒、村上の15秒と比較するとその優秀さは明瞭だ。しかも彼女は彼らよりも年下でありながら記録を更新した。
これ程の逸材でしかも『黒江』とKから始まる才能は加古の求める人材にピッタリ一致している。
「ただ、やっぱり入ったばかりで経験も浅いから誰か双葉に指導をしてほしいと思ったの。双葉は弧月を使うのだけど、加古隊には弧月使いはいないし」
「では今日僕を呼んだ理由は?」
「ええ。よければ双葉に弧月を含むトリガーの戦い方を仕込んでもらえないかしら?」
それでも若い彼女にはやはり師が必要であろうと判断した加古はライに双葉を鍛えてほしいと頼み込んだ。
「僕で良いのですか? 僕はA級隊員でない上に今まで弟子を取った事もありませんよ?」
ライには決して拒む理由はないものの、何故自分に白羽の矢が立ったのか疑問は残る。彼はフリーのB級隊員である上に誰か優秀な弟子を輩出したという経験もなかった。故に一応確認の意を込めてライはそう語るが、加古はそんな事関係ないと言うように微笑む。
「あなたの実力は知っているもの。それに米屋君たちに勉学とかを教えているのでしょう? ならきっと特訓とかも上手くいくと思ったのよ」
「はあ。しかし太刀川さんや三輪など加古さんの身近に剣の腕に長けた隊員もいると思いますが」
勉学の指導をしていた事は事実であるため受け入れるものの自分以上の適任がいるのではないかとライは指摘した。加古はA級部隊の隊長の為に顔が広い。弧月を使って個人ポイントを荒稼ぎしている太刀川、ライも弧月を教わった三輪などA級の隊長達もいるのではないかと口にする。だが彼らの名前を挙げると加古は少し表情をゆがめた。
「太刀川君は……強さは問題ないのだけど、女子の指導者としては少し心配になるし……」
「ああ、なるほど」
加古なりに気を配った発言にライは彼女の言わんとする事を悟り何度も頷く。
確かに太刀川は強さという一点に関して言えば何も不満はなかった。しかし彼は私生活にだらしない面もあり、ランク戦に興じて自身の課題を忘れて多忙を極める事もある。またあまり見た目を気にしないのか顎髭が目立ち年齢以上の歳にみられる事もしばしばあった。その彼が小学生である双葉に一対一で教えるとなると確かに抵抗を感じる事も理解できる。
「三輪君は真面目だけど厳しくしすぎないかって思っちゃうのよ」
「確かに三輪は訓練に関して人一倍力を入れてますからね」
対して三輪に関してはそういった不安はないが、かえって指導に熱が入るのではないのかという疑問があった。かつて同じ部隊で戦った加古も彼から教えを受けたライも彼の性格をよく知っている。堅物ともとれる気難しい性格の彼は歳離れた相手に柔軟な対応が出来るかと考えるのも当然だった。
「そういう意味でもあなたが良いと思ったの。勿論時間がある時にで構わないわ」
「わかりました。そういう事ならば引き受けます」
「本当に? ありがとう!」
事情を理解しライが提案を了承すると、加古は彼の両手を掴んで喜びを露にする。
「——待ってください」
すると突如待ったの声がかかった。
声の主はここまで静観を決め込んでいた当事者の双葉である。
「何、双葉?」
「確かに師匠をつけるという話は私も不満ではありません。ですが……」
そこで黒江は言葉を区切ると加古からライへと視線を移し、にらみつけるような鋭い眼光を彼へと向けた。
「私は私より弱い人に習うつもりはありません」
恐れるものがない、自信にあふれた発言。さすがにライの表情から笑みが消える。
「……確かに君の言いたい事はわかる。指導を受けるならば自分より優れている人に教えを受けるのが当然だ」
「その通りです」
「だけど相手の力量を計らずに物事を考えるのは良くないよ」
落ち着いた声で相手を宥めるような声色でライは続けた。
「どうだろう。僕も加古さんから頼まれた以上ここで引き下がるのは気が引ける。君が僕の力を疑問に感じるならば、先に少し模擬戦をして僕の腕を見るというのは?」
相手の意見に同意を示しつつ、彼は双葉を納得させるために勝負を提案する。
「勿論、その結果として僕の力不足であると感じたならば他の人を探すよ」
「——わかりました」
隊長の前で我儘を貫き通すのは黒江にとっても不本意な事だった。色々思う所はあったものの、彼女もこの誘いに乗る事となる。こうして急遽ライと黒江の模擬戦が決定されるのだった。
————
『それじゃあ準備が出来たら始めるわよ』
「いつでも大丈夫です」
「僕も同じく」
加古の声がトレーニングステージに響き渡る。ライと双葉の二人はお互いに弧月を手にして対峙した。
『紅月君、先に言っておくけれど双葉は訓練用に私達A級のトリガーを貸し出しているわ。その点も考慮して油断しないようにね』
「勿論です」
開始直前に告げられても困る内容の話だが、ライは平然として加古の注意を受け取る。
A級用のトリガーとなれば8種類の武器が可能となり、おまけに改造したトリガー等多数の武装の展開が予想された。初見の相手という事情も相まって苦戦が予想されるはずなのだが、ライはそういった様子を一切感じさせない。
『それじゃあ始めるわ。——模擬戦、スタート!』
一つ間をおいて模擬戦の開始が宣言された。
始まるや否や、双葉は先手を取るべく積極的に仕掛けていく。
「韋駄天——!」
一歩踏み込んだ後、双葉はオプショントリガーの『韋駄天』を起動した。
瞬時の高速移動を可能とするこのトリガーは近接戦闘用のトリガーと組み合わさる事で真の威力を発揮する。
動く方向、切り込むタイミングを掴ませないようジグザグに進みながらライへ接近、すれ違う瞬間双葉は弧月を横一閃に振るった。
「速いな。今月入ったばかりとは思えない」
「ッ!?」
模擬戦開始直後の不意を突いた必殺の一撃を、ライは弧月で弾く。姿を捉える事さえ困難であるはずの初撃がいとも簡単に止められた事に黒江は驚き目を見開いた。
(完璧なタイミングで——? いや、まだ!)
まだだ。まだ一度だけならまぐれの可能性もある。
「……韋駄天!」
負けん気が強い黒江はもう一度韋駄天を展開した。今度は先ほどよりも距離が近い。今度こそ必ず決まるはず——。
「ッ!」
瞬間、ライは弧月を下から上へと切り上げた。
二本の刀が勢いよく衝突する。直後、勢いに勝るライの弧月が黒江の弧月を天高く跳ねあげた。
「なっ!」
手元から刀の感覚が消える。
——信じられない。
呆然としながらも黒江はすぐに弧月を放棄した。再び展開しようともう一度弧月のトリガーを起動する。体勢を立て直すと素早く振り返り、
「詰みだ」
ライの弧月の切っ先が双葉に当てられた。
『はい。双葉、まず一本よ』
勝敗を決したと加古が告げる。
斬られてはいないが、間違いなく勝負は決した。黒江とてそれくらいは理解できる。
「……もう一本、お願いします」
衝撃の余韻がまだ残る中、黒江は声を振り絞った。
今の一本で彼女はライの力が優れていると理解している。だが、やりきれない気持ちが彼女を再び突き動かした。
————
「どう双葉? 満足したかしら?」
「……はい」
加古の声に黒江はしぶしぶ頷く。
二人は結局10本の勝負を行ったものの、黒江は一度もライに傷を負わせる事が出来なかった。全てライに受け流されそして彼の刀が突きつけられる。一度たりともその斬撃が身を襲う事はなかったものの、それが余計に彼の技量を黒江に示していた。
「紅月先輩」
「うん?」
「先ほどは失礼しました。どうかこれから私によろしくご指導ください」
先ほどまでの反抗的な態度は身を潜めている。黒江はライの方へ向き直ると頭を下げてそう口にした。
「そんな畏まらなくていいよ。僕の方こそよろしく。初めて人に教えるからもし不都合があればいつでも言ってくれ」
「ありがとうございます」
敵意こそなくなったものの、やはり先ほどの言動と出会ったばかりという事もあって黒江の態度は少し固い。やはりまだ小学生なのだからもう少し年相応の反応を見せてほしいとライは思うものの、少しずつ慣れて行けばいいかと息を零した。
「ごめんなさいね紅月君。弟子の事だけでも突然の事で戸惑ったでしょうに、模擬戦までお願いしちゃって」
「構いませんよ」
「そうは言っても時間だってもうお昼になっちゃったし。——そうだわ!」
名案が思い浮かんだと言うように加古が両手を叩く。それを見て突如ライの頬を冷や汗が伝った。
「折角だからお昼ご飯食べていきなさい! 丁度炒飯の材料が余っていたのよ」
——終わった。
ライが天を仰ぐ。それは彼にとっては死の宣告であった。
「炒飯ですか。五日ぶりですね」
「……ん!? えっ、黒江、ちょっと良いかい?」
「何ですか?」
ぽつりと黒江が呟くと、ライが彼女の肩を掴んで真剣に問いかける。
「まさか君は、加古さんの炒飯を食べた事があるのか?」
「ええありますよ。変わった具材で驚きました。都会ではこのような味つけをするんですね」
黒江は表情一つ変えずにそう答えた。その言葉にライは衝撃を覚える。彼女の言葉が確かならば、黒江は加古の外れとされる炒飯を食して何事もなかったという事であった。
ライが知る由もない事だが、黒江は山奥育ちである。幼いころから魚やキノコを採取して食べてきた。こういった経歴から加古の炒飯を食べても無事でいられる体質を手に入れていたのである。
(……しかし!)
だからと言って彼女にこれが普通であると思われたくなかった。加えて自分が死にたくないという思いもある。
「加古さん!」
「ん? どうしたの?」
ライは力強い叫びで加古を呼び止めた。
「ならば僕に作らせてもらえませんか? クリスマスパーティでも加古さんに作っていただいたというのに何度も料理を振る舞ってもらうのは男がすたります」
「そんなの気にしなくていいわよ。あなたは客人なんだから、双葉と一緒に楽しんでもらえれば私が嬉しいの」
「————だからこそです! 新しく弟子になる彼女に料理を振る舞い、より一層の絆を深めたいんです!」
加古の善意に胸が痛むが、ライは止まらない。必死に頭を回転させ、彼女を何とかキッチンから遠ざけようと聞こえの良い言葉を並べた。
「……まあそこまで言うならいいけれど」
「ありがとうございます!」
「それじゃあ材料とか調味料とか教えるわね」
必死な叫びに加古も折れ、ライにその座を譲る。
ライは心中で『勝った!』と力強いガッツポーズを掲げた。後は料理に取っかかろうと加古の案内を受けて準備を始めていく。
(……本当に炒飯作るのが好きなんだな)
説明を受けたライが食材を手に取っていると、加古の炒飯作りが頻繁に行われる理由に納得した。というのも作戦室に備わっている食材や調味料で炒飯づくりの材料が整っているのである。中華鍋をはじめとした器具は勿論、ごはんやねぎ、卵といった基本的な食材、さらに鶏がらスープの素なども保管されていた。
ただしその炒飯以外にも使えそうな、使えなさそうな食材まで一緒に置かれているのが彼を震わせる。
(加古さんも炒飯って言っていたしやっぱり炒飯を作った方がいいよな。でも黒江がいるからちゃんと栄養を取らせたい。ふむ……)
まずはどんな炒飯を作るか考え始めた。
シンプルな炒飯でも良いが、成長期である黒江を考慮してなんとか栄養素があり、かつ美味しい炒飯を食べさせたい。
ライは必死にメニューを考案する。彼がここまで彼女を重んじる理由は単純、彼が大切に思う妹と近しい世代の女の子だから。ただそれだけの理由でライの中で庇護の対象となっていた。
「とりあえず中華スープもつけるとして。具材の方は……うん。よし、これにしよう。あとデザートも何か用意しておくか」
とはいえいつまでも加古達を待たせるわけにはいかない。作る料理を決めるや、ライは食材を手に厨房へと立つのだった。
これで主人公を除く主要隊員が全員入隊を果たしました。