飲み物を手にしてラウンジの一角に腰かけると、ライは那須と向き合った。
「それで、話というのは何だい?」
「今日のランク戦の紅月先輩の事です。正直に答えてください」
那須の声色は静かだが有無を言わさぬ説得力が感じられる。下手な嘘は許さないという那須の意志が伝わってきた。
「どうして私たちの戦いで、手を抜いたんですか?」
那須はいきなり本題へと切り込む。彼女もライの違和感を察していたのだ。
明らかにランク戦におけるライの振る舞いにはいつものキレが見られない。諏訪隊に対するものと比べて明らかに圧力がなかったと。
「どうしてそう思う?」
「いくつもおかしいと思う点はありました。諏訪さんを落とした時やくまちゃんを攻撃した時に私たちを落とせていたはず。それに茜ちゃんを狙撃した時だって紅月先輩なら当てられたんじゃないですか?」
「……なるほど。僕が君たちに対してわざと攻撃の手を緩めたと感じたわけか」
「はい」
意見を要約すると、ライの言葉に即座に頷く。
困ったなとライは頬をかいた。
確かに戦闘中の狙いが露骨であったかもしれないが、こうも強く問い詰められては言い逃れる事は難しいだろう。
(すぐに否定しないって事は、やっぱり)
彼の様子を見て那須は確信に至った。そもそも彼女がすぐに気づけたのは前から噂が流れていたからである。
例えば狙撃訓練。ライは対人訓練において女性をほとんど狙わないという話が日浦から出ていた。
例えば弟子との訓練。ライには弧月を教えている黒江という弟子がいる。彼女との戦闘訓練では傷つけないようにと決着がついた段階で刃を止めるという話も浮上している。一度誤ってかすり傷を与えてしまった日、加古隊の作戦室で彼女と共に昼食を食べているとその事を思い出してしまったのか体調を崩して寝込んでしまったという噂さえ立った。
——つまり、ライは女性を傷つけないようにと配慮しており、その意識をランク戦にまで引きずっているのではないかと結論に至る。
(ここでハッキリさせないと)
女性を攻撃できないというのは確かに美徳だろう。だがそれは力がないものに対してという話だ。少なくとも戦闘隊員は誰もが戦力を有し、ランク戦においては彼の敵にすぎない。師としてこの一件を有耶無耶にするわけにはいかなかった。
まして那須にはエースとしてのプライドがある。女性だからと侮られたくないという気持ちもあった。
「……正直に言って良いかい?」
「勿論です」
観念したのだろうかライがゆっくりと口を開く。
「半分正解。半分不正解だ」
「半分?」
どういう意味だと那須が聞き返すとライはため息を一つつき、説明を続けた。
「確かに諏訪隊と那須隊では方針が変わったのは事実だ。もしも転送位置が一番近かったのが笹森隊員じゃなくて那須隊の誰かだったならば標的も変えていただろうし」
「やっぱりですか」
「ただ、手を抜いたというのは少し違う。僕だって那須隊を全員落としての勝利を狙っていたよ」
「仕留められる機会を逃して、どうやって?」
明らかに話が矛盾している。ライは那須隊を落とす事を考えていたというが、彼は攻撃の機会をあえて見逃していた。敵を倒そうとせずにどうやって勝利しようとしたのかと那須は疑問を呈する。
「別に難しい話じゃないよ。——トリオン切れだ。消耗戦に持ち込む事を考えていたんだ」
答えは簡単なものだった。那須隊のトリオン切れによる撤退。これがライが第二戦で勝利を狙っていた考えである。
「撃破ではなく、ですか」
「うん。僕の方が那須さんよりトリオン量が多いのは知っていたからね。日浦さんはずっとバッグワームを展開する事は予測できたし、熊谷さんも道中で削る事には成功していた。まあ諏訪隊のダメージが大きかったのは少し予定が外れたけど」
射撃戦となればトリオンの消費も大きなもの。前提としてライの方が那須よりトリオン量が多いため最初から余裕があったのだ。他の隊員も日浦のバッグワームは常にトリオンを消費し続けるし、熊谷は
可能な限り相手を傷つけず、その上で勝利をもぎ取りたい。それがライの方針だった。
「……なるほど。一応、紅月先輩が最初から勝つ気がなかったわけではないという事は理解しました」
「そう? ありがとう」
「ですが、そもそもそんな手を取った理由は何ですか?」
彼の考えに一定の理解を示しつつ、那須はライに本心を問う。
「理由?」
「ええ。そんな事をしなくても——いいえ。しない方が簡単な上に、諏訪隊に点を取られるような事はなかったはずです。どうしてですか?」
逃げる事は許さないと、那須の視線がライを射貫いた。
「……出来るだけ傷つけたくなかった。という理由じゃ納得できないか?」
「私たちが女だからですか?」
「まあ——結論から言えば、そうだね」
観念してライが頷く。
——やっぱり。
返事を聞いた那須はわずかに語気を強めて彼に語り掛けた。
「紅月先輩。言っておきますけど戦いの場で女扱いは不要です。私達にだって意地があります。そのように一々気を使われるのは気分が悪いです」
彼女たちだって他の隊に負けないようにと挑んでいる。その中で余計な気遣いはされたくなかった。優しさではなく、それは慢心であると那須は断じる。
「待ってくれ那須さん」
「何ですか?」
だがライもただ黙っているわけではなかった。最後まで彼女の意見を聞き終えると、言葉を正すように反論を始める。
「那須さんが女性であることと女扱いする事は別の話だ」
「……何を言っているんですか? 言葉遊びですか?」
伝えようとしている事が理解できず、那須が首を傾げた。
「そうじゃなくて。僕自身上手く言葉にしづらいけど。でもどのような状況であれ、大切な女性を傷つける行為を認めては男がすたる!」
咄嗟に思い付いた発言だったのだろう。所々言葉に詰まりながらなんとかライは自分の思いを最後まで告げる。
「…………はい?」
そして発言を聞いた那須は呆然とし、言葉を失った。
「ごめん。自分自身でも何を言っているのかと思うけど。ただ、確かに那須さん達には不快な思いをさせてしまったかもしれない。でも那須さん達を傷つけたくなかったんだ。やっぱり綺麗な女性の前で格好つけたいのが男の性というか」
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
未だに思考の整理がつかない中、ライが必死に弁明を続ける。そんな彼の説明に恥ずかしくなったのか一度那須は待ったをかけ、大きく咳払いをした。
「紅月先輩。一つ確認をしたいのですけど」
「なに?」
「女の子が相手なら誰にでもそういう事を言うんですか?」
「まさか! こんな事を言ったの那須さんが初めてだよ」
「……そうですか」
納得したのだろうか、確認を済ませた那須は視線をそらし、気を紛らわすように自分の髪の毛を触りはじめる。
「えっ、と」
突然様子が変わった那須に困惑しライは言葉に詰まった。
「その、那須さん。嫌な気持ちになったら申し訳ない。ただね?」
「いえ。わかりました」
「あの——」
「大丈夫です。紅月先輩の意見には納得しましたから」
「本当に?」
「ええ。そうですよね。大切なら……ええ。仕方ないですよね」
よかったとライの頬が緩む。一方那須は頬を赤らめ、心なしかしりすぼみで声が小さくなっていった。
「ならよかった。ありがとう」
「——ですが」
ライが胸をなでおろす。とはいえまだ話が完全に終わったわけではなかった。真っ直ぐに指差し、那須は一拍間をおいて話を続ける。
「今回だけです。紅月先輩だって得点が欲しいのでしょう? なら誰が相手であろうと平等に戦ってください。次にまた同じような事があったら許しませんから」
「那須さん達が相手でも?」
「当たり前です。トリオン体なんですから関係ありません」
恐る恐る確認したライに那須がハッキリと告げた。
「私はトリオン体でようやく自由になれたんです。だから平等に接してください」
ライの目が見開く。
今まで那須は病弱な体故に満足に運動をする事さえ難しい生活を余儀なくされてきた。せっかく手に入れた自由自在に動き回れる肉体、皆と変わらぬ生活を送りたい。那須は不自由である為の思いも抱いていたのだ。
「……那須さん」
「はい」
「ごめん」
その場で立ち上がると、ライは深々と頭を下げる。知らず知らずのうちに、彼女に余計な傷を与えてしまった。申し訳なかったと心を込めてそう口にする。
「……はい。今回は許します」
彼の心からの謝罪を那須は受け入れた。
————
「はあ……」
「大丈夫ですか?」
「うん。——今回は瑠花にも悪かったね」
「いいえ。ライ先輩の性格の事は把握しているつもりですから」
そう言って瑠花はお茶の入ったコップをライの目の前に置いた。「ありがとう」と口にしてお茶を口に含む。ようやく一息をつけた。
「さすがに次からは今日みたいな事はやめだ」
「大丈夫ですか? やはり抵抗がありそうですけど」
「まあ、ね」
那須と約束したとはいえ、すぐに意識を切り替える事は難しい。
仮の肉体・トリオン体であるという事はライも当然わかっていた。しかしそうだとしても目の前に全く同じ姿形の異性がいるとなると、ライは簡単に割り切る事ができない。
(一度当たったから那須隊とはしばらく当たらないだろう。女性戦闘員はそう多いわけではないし、当たらない事を祈るか。そもそも余程強いエースでもなければ戦う前に僕ではない誰かが落としてしまうかもしれない)
ランク戦の組み合わせはこれまでの対戦回数のバランスを考慮して割り振られる仕組みだ。一度那須隊と戦ったので、今期から参入した紅月隊と戦う事はしばらくはないだろう。
女性隊員の数は男性隊員と比較すると少ない。エース級の実力者となれば猶更だ。こうなったら戦わないように願おうかとライはひとまずこの問題を先送りする事とした。
「んっ? あっ、ライ先輩。夜の部が終わりました。組み合わせも発表されたようです」
「終わったか。次の僕たちの対戦相手はどこだい?」
パソコンを操作していた瑠花が通知に気づいてライへ呼びかける。
今日のランク戦が全て終了した。次戦の対戦相手がすぐに発表される。
さて、どこと当たるのかとライは興味を抱いて瑠花の近くへと歩み寄った。
「あの——ライ先輩」
「ん?」
瑠花が名前だけ呼んで静止する。どうしたのだろうとライが画面をのぞき込んだ。
そして彼女の反応の意味を悟り、苦笑する。
「次の相手は12位の荒船隊、11位の柿崎隊。そして——東隊と入れ替わりで中位に落ちた9位の香取隊です」
咄嗟にライは頭を抱えた。どうやら問題を先送りにする事は許されないらしい。
香取隊は女性の隊長である香取がエースを兼任しており得点力が高かった。上位グループの戦闘も経験している実力者である。
つまり、次のランク戦ではライと戦う可能性が高いという事だった。
「ん?」
ふとポケットの中にしまっていた携帯端末が振動している事に気づく。ライが正規隊員に昇格した際にボーダーより手渡されたものだ。
見ると誰かから連絡が来たことを知らせるランプが点灯していた。画面をつけたところ、メッセージアプリに通知が来ていたようである。確認してみると、その相手は今日あったばかりの那須からであった。
『次の対戦相手が決まりましたね』
『紅月隊は香取隊とも当たるという事を知ってびっくりしました』
『紅月先輩なら今日話していた事をきちんと守ってくれると信じています。頑張ってください』
すべてのメッセージを見届けてライは天を仰ぐ。彼には頑張ってくださいという応援のメッセージが圧力に感じられた。
「————逃げ場はないな」
とりあえず何とかしよう。具体的な解決策は思い浮かばぬ中、ライはせめて那須の機嫌を損なうような事にはならないように頑張ろうと前を向くのだった。