「だがだからと言って、そう何度もボーダーのルールが破られるような事があっては困る」
被害者である迅にも非があるという事は理解できた。
とはいえライが規定を無視して訓練および任務以外でトリガーを行使したというのはやはり大きな問題だと城戸が指摘する。再び問題の追及がライへと及んだ。
「紅月くん。もし今日と同じような事がまた起きたならば、君はどうするかね?」
城戸は鋭い視線をライへと向ける。
「それは。——目の前で女性が襲われていたならば。やっぱり助けに行くと思います」
ああ。うん。そうだろうな。
この場にいる全員が同じ結論に至った。
実に正論だ。彼の言う事は決して間違っていない。世間体を考えれば対応が激しかったとはいえライの行動は人道に沿っている。
相手もトリオン体であるという事で被害もなかった以上はどちらかというと彼の方に正義があるようにも思えた。そう錯覚してしまうほど彼の発言には誠実な気持ちが篭っている。
むしろ迅の方の処罰を検討しなくてはならないのでは? と一同は頭を悩ませた。
「……迅。お前に聞きたい」
「何でしょう?」
すると城戸は一先ず未来の安心性が確保できるのか知るべく迅へと話を振る。
「紅月君を見てくれ。どうだ? この先、お前と彼が衝突する事はあるのか?」
「そうですねー」
言われて迅はじっくりとライを見つめた。
「どういう事です?」
「迅はなあ、見た相手の未来を見るっていう
「未来を見る?」
「せや。まあいくつか見えたり確実ってわけではないみたいやがなあ」
行動の意図がわからないライへ生駒が解説する。
迅の
「……うん。俺と衝突する未来も見えますね」
案の定、やはり迅は以前と同じような結果を目にした。
つまり迅が今後も同じことをして、そしてライもまた同じような行動をする危険性があるという事だ。
城戸が珍しく頭を抱える。これ程対応に困るのは久しい事だった。
「あの、すみません。僕からも一つ質問をよろしいですか?」
「何かね?」
皆がどうするべきかと考える中、ライも城戸へと疑問を呈する。
「つまり迅さんの言葉が正しいならば、この人はこれからも同じことを瑠花にするという事でしょうか?」
語気を強めてライが言った。
——マズイ。
余計な事を聞いてしまったかもしれないと城戸は先の発言を悔やむ。
「待てやライ! 落ち着け!」
すると怒りを示すライに待ったをかけたのは生駒だった。
彼はライにとっては旋空を教えた師匠であると聞く。なるほど、師ならばあるいは弟子の感情さえも上手くコントロールできるのではないかと鬼怒田たちは期待を込めた視線を向けて——
「迅はなあ、熊谷ちゃんや沢村さんみたいにお尻を触っても訴えられない女の子をその都度選んで触っとるんや。だから次も瑠花ちゃんが触られるとは限らんから安心せえ!」
生駒は怒りの炎が滾る現場へ自信満々にガソリンを投げこんだ。
「——なるほど。つまり『訴えられなければ問題ない』とかふざけた考えを持つ男から瑠花以外の女性を守る為にもここで斬れという事ですね。よくわかりました」
「なんでや!」
お前がなんでだ。なんで今の説得で怒りが収まると思ったのか。諌めるどころか感情が高ぶるばかりである。
「紅月君。ひとまず落ち着いてくれ」
「落ち着いていますよ。僕としてはむしろ、瑠花が迅さんの魔の手に脅かされたのに忍田さんが平然としている方が心配です」
「おーい。紅月君? 誰が魔の手だって?」
「……後ほど迅には私の方からきつく言っておく」
「あの、忍田さん?」
迅の抗議の声が響く中、ひとまず迅の処分は忍田に一任された。
「何だよー。皆して俺が悪い事したみたいにさー」
「私に悪い事しましたよね?」
「そんなにお尻を触りたいならイコさんにでも頼んだらどうですか?」
「おい、弟子。何師匠を売ってんねん」
「やだよ! 生駒っちのお尻とか絶対硬い筋肉じゃん!」
「はっ? おい、迅。さては俺のプリケツ知らんな?」
孤立無援の状態を迅が嘆く。すると案の定次々と話は明後日の方向へと進んでいった。
どうにもならないならいっその事とライが生駒を売ると、それに生駒が反論し、さらに迅も乗っかって生駒も意地を張ってと迷走し始める。
「ですがイコさん。考えてみてください。犯罪者から女性を庇って自己犠牲の精神を見せたならば評価がググっとあがりますよ」
「……ちょい待ち。三日考えさせてや」
「いやだから俺が嫌だって言ってるの!」
しまいにはライが迅の狙いを強引に生駒へ移そうとおかしな方向へと話が進んでいった。
「——とにかく。迅には厳重注意とする。しかし、紅月君。残念ながら君の今回の一件を処分なしとするわけにはいかない」
これ以上話を脱線させるわけにはいかない。
城戸は咳ばらいを一ついれた後、重々しい口を開いた。
事の発端である迅は厳重注意とし、隊務規定違反を犯したライには処分を下す事をその場で決定する。
「君から
「そんな! 待ってください!」
「明確な隊務規定違反だ。いかなる理由があろうと許される事ではない」
被害者である瑠花が訴えるが、城戸の静かかつ強い口調を前に言い返せず唇を噛みしめた。
「以降、もしも同じような事が起こるならば君へさらに重い処分を下さねばならない。気をつけてくれ」
城戸の声がしんとした会議室に響く。
「はい。処分を受け入れます」
この決定にライは潔く罰を受け入れた。
彼としてもこれ以上事を大きくすることは避けたい。
自分が違反を犯した事は確かだ。ならば処罰は避けられないと背筋をただした。
「ただ、僕からも一つよろしいですか?」
「何かね」
「では次に迅さんが同じことをしたのならば、トリガーさえ使わなければ攻撃してもよろしいですか?」
「…………まあ、相手がトリオン体であるならば。だが念のため顔はやめておきたまえ」
「いや城戸さんそこは止めてよ!?」
あんまりな決定に迅の嘆きがその場に木霊する。
こうして一通りの会議がなされてその場は解散となった。
部屋を出ると迅が真っ先に口を開く。
「いやー。こんな初対面になって悪かったね、紅月君」
「ええ。本当に残念ですよ。おかげで第一印象が今まで出会った方の中でも最悪です」
「だから悪かったって」
言葉の端端に棘があるライに迅は今一度頭を下げた。
「——本当にすまなかった、紅月君。迅のせい、そして瑠花の為にこのような処分まで受けてしまった事、私からも謝罪させてもらう」
「えっ。いえ、忍田さん頭を上げてください。本部長には何も落ち度がないのですから」
さらに忍田も部屋から出てくると迅に続く。
当事者である迅はまだしも、上層部である忍田にまで謝罪されたとあっては居心地が悪かった。すぐにライに宥められて忍田は姿勢をただすが、処分まで下されたとあっては彼の性分が許せなかった。
「先も言ったように迅には厳しく言っておこう。その上で改めて君にはまたこの一件について謝罪させてもらう」
「ですからそこまでなさらずとも……」
生真面目な性格だ。曲がった事は許せないのだろう。
どうあっても退く姿勢を見せない忍田にライはどうしたものかと頬をかく。
「……それなら、忍田本部長。一つお願いがあります」
「ん? なにかね?」
「今度時間がある時に見ていただきたいものが、その上でご指導願いたいものがあります。それでこの件を手打ちとしませんか?」
そこでライは一つ忍田に提案をもちかけた。
お互いこの件をいつまでも引きずっていては任務などに支障が出るだろう。ならばライの依頼を引き受け、それを忍田が叶える事で解決しようと提言したのだ。
「——わかった。君が良ければ喜んで」
「ありがとうございます」
忍田も喜んでその言葉を受け入れる。お互いに事が長引く事は望むものではなかった。
こうして二人の間で一応の収束を見せる。
「いやーよかったよかった。無事に話が済んだみたいで」
「……お前自身については解決していないぞ? 迅、本当にわかっているのか?」
「うおっ。わかっていますって。さて、どうだい紅月君? 俺にも何か頼みとかあるかい?」
「迅さんがそう言うと何か示談みたいに感じて嫌なんですが……」
二人のやり取りを外で眺めていた迅はのんきに笑うが、忍田の鋭い視線に当てられて身をすくませた。
これはまずいと迅もどうにか解決策はないだろうかとライに問いかける。
「……迅さん。先に聞きたい事があります。あなたは未来が見える
「ああ。本当だよ。といっても未来はいくつも分岐している。すべてが正解とは限らないが」
「なるほど」
話題を変えるべくライは一つ大きく息を吐くと、間をおいて迅へ能力について質問する。
「ならば今回の一件を水に流す代わりに僕のお願いを聞いてもらえませんか?」
「おう。なんだ?」
真面目な口調でライが鋭い視線を向けた。
迅にとっても関係を修復できるならば早いうちにしておくにこした事はない。ライとは対照的な飄々とした態度で迅はライと向かい合った。
「この先、もしも僕があなたの力を必要にしたならば。その時はあなたの力を貸してほしい。よろしいですか?」
ライが申し出たのは迅の未来予知の力を借りる事。
この先起こり得る出来事を前もって知る事が出来るならばそれに応じて対処も出来るはず。かつて予想外の出来事で全てを失った彼は、これを機に迅の力を借りようと考えたのだ。
「なるほど。俺と協力体制を敷きたいってわけだ」
「ええ」
「——ボーダーや市民に悪影響を及ぼさないものなら喜んで手を貸すよ」
「わかりました。ではよろしくお願いします」
迅にとっても味方のためになる事ならば悪い話ではない。二人は握手を交わして力になる事を約束した。
一悶着こそあったものの、こうしてライと迅は協力関係を結び、その場は別れる事となる。
そして今日の約束が後にライは勿論、ボーダー関係者達に大きな影響を及ぼす事になるのだが。それはまだ確定せぬ未来の事である。
————
「瑠花ちゃんから話を聞きましたよ。どうしてこんな逸った真似をしたんですか」
「処罰対象の名前に紅月先輩の名前があってビックリしましたよ」
その日の夜。話を聞いた那須と熊谷が紅月隊の作戦室を訪れていた。
「でも那須さん、聞いて欲しい」
「言い訳をするなんて紅月先輩らしくありません。確かに瑠花ちゃんは紅月先輩にとっても大切に思っている人なんでしょうけど、だからこそ冷静に」
「あの人は熊谷さんにまで手を出していたんだよ」
「——どうしてその場でしっかりとどめを刺さなかったんですか? 紅月先輩らしくありません」
「玲!?」
最初こそライの早まった行為を咎めていたものの、ライのチクりを耳にして那須の目からハイライトが消える。
「それが、イコさんに止められてしまって」
「そうでしたか。あの人も迅さんと同じ年代ですし怪しいと思っていましたが、なるほど。迅さんを庇うなんて二人も女性の敵がいたんですね」
そして生駒の知らないところで『女性の敵』という理不尽な認識が那須の中で付与された。
「いや、あの。二人とも少し落ち着いて」
「落ち着いてるよ」
「それより本当なの? くまちゃん?」
「まあ今まで何回か触られた事はあったけど」
「くまちゃんに触れるなんて……許せない……!」
「女性の敵だね」
「敵です」
熊谷本人からの確認を得て那須やライの迅に対する株が大暴落する。
「ほら。一応私もその場で制裁してるから」
「甘いよ熊谷さん。実際被害が続出しているんだし」
「くまちゃんだって私が触られている現場を見たら嫌でしょう?」
「まあそれは怒るだろうけど」
多分この二人とはレベルが違うだろうなあと熊谷は思った。
「じゃあ私が触られてる現場を見たら二人はどうする?」
念のため確認しようと熊谷は二人に聞き返す。
「弧月」
「
「なんで!?」
案の定、トリガー起動というおかしな答えが返ってきた。
「いや、そんな武器じゃなくてもっと具体的に、ね?」
「……旋空弧月」
「トマホーク」
迅さん逃げて。悪化した。