「どうだ。頼まれてくれるかね?」
城戸がいつも通りの強張った表情を浮かべ、今や個人最強と名高い太刀川へと問いかける。
何の前触れもなく突然上層部に呼ばれた太刀川に告げられた話の内容は、新たに太刀川隊へ新人を加入させてほしいという依頼であった。
城戸司令言わく、その人物はボーダーを支援するスポンサーの息子であり、本人の強い要望でA級入りを強く打診したのだという。ちょうど太刀川隊は長く部隊を支えていた烏丸が玉狛支部への異動が行われようとしていた時期。変革期という事で新たに隊員を迎え、世話をしてほしいという事だった。
「うーん。そうですね」
どうしたものかと太刀川が後頭部をかきながら相槌を打つ。
彼自身別に不満があるというわけではなかった。確かに素人が加わる事で任務や戦闘で足を引っ張る事もあるが、烏丸がいなくなっても太刀川、出水、国近という秀でた3人がいれば何の問題もないという自負がある。今更一人お荷物が増えたところで部隊の強さには支障は出ないだろう。それを補って余りある戦力が揃っている。
ゆえにここで二つ返事で頷いても良いのだが。
「——いいですけど。一つ、条件が」
「何だ慶?」
太刀川の言葉に彼の師匠である忍田がいち早く反応した。
面倒ごとを嫌い、基本的に上からの命令にはすぐに応じる太刀川が交換条件を提示した事に疑問を感じたのか、あるいは単純に弟子が望むものが気になったのか。その真意は不明だが、師匠から視線を向けられた太刀川は「無理ならいいですけど」と前置きを置き、そしてにやりと大きな笑みを浮かべる。
「今B級でフリーとなっている紅月。あいつをうちの部隊に入れさせてください」
「——ッ!」
「ほう」
「紅月を?」
太刀川が挙げた隊員の名前に、上層部の面々は驚愕、興味、疑心と様々な表情を浮かべる。
紅月という姓の正隊員は一人しかいない。すなわち紅月ライ。数か月前に突如ボーダーに現れ、瞬く間に頭角を現した新入隊員、という事になっている人物だ。
その彼の経歴については上層部はもちろん太刀川もよく知っている。
「城戸司令達にとっても問題はないでしょう? 少なくとも俺の隊にいれば注目度も増して期待に背くような動きはできないはずですし。あなた方がそう言えば紅月も応じるようになるでしょ。一足先に紅月を加入させ、その後で新人も追加させれば太刀川隊の部隊降格の心配もありませんし」
「……なるほど」
太刀川の言わんとする事を理解し、城戸が重々しく口を開いた。
『期待に背く』。それは普通の隊員として、というだけではなく、もっと深い意味を指し示しているのだと理解できる。
いまだに城戸はライに対して疑惑を抱いていた。実力を持ちながらも部隊に属さずにいる状態も、何かの企みの一部ではないのかという疑惑が生まれてしまうほどに。
(万が一の場合でも、彼ならば問題はないだろう)
そんな彼が下手な動きをしないように監視する。確かに精鋭と名高い太刀川隊に加入させることで不審な動きを防げるだろう。
ライとしても上層部からの指示となれば無視はできないはずだ。城戸側の視点としても監視の目がつく事、戦力として安定した運用ができるとメリットが多い。
城戸の決断は早かった。
一つ間を置き、城戸は答えを待つ太刀川に向け了承を唱えるべく口を開いた。
————
太刀川隊加入IF
太刀川隊。ボーダーに数多くある部隊の中でもトップの座・A級一位に君臨する部隊である。
最強の攻撃手・太刀川が率いるこの部隊は長く部隊を支えていた烏丸を欠いたとはいえ、天才射手・出水、機器操作などに長けたオペレーター・国近と優秀な隊員が健在だ。
二人の隊員が新たに加わった後でも彼らの地位が揺らぐことはなく。むしろさらにバランスの取れた、活発な部隊へと変貌させていた。
「もう! 無理です! 紅月先輩!」
訓練室に太刀川隊銃手・唯我の情けない声が木霊する。
背後から縦横無尽に迫る射撃の嵐から逃れようと涙を流しながらあちこちを駆け巡るが、一向に助けは来ない。
「弱音を吐く余裕があるならばしっかり弾の軌道を見極めるんだ。ただ闇雲に逃げるようではいずれつかまるぞ。今は反撃とまでいかなくても回避なり防御なり、危機を脱する術を探るんだ」
「いやこの前もそう言って結局シールドを——ああああやっぱりいいいい!」
言われるがままに展開した頼みの綱のシールドもあっという間に破壊され、唯我の体は一瞬で蜂の巣と化した。
トリオン体が崩壊し、そして瞬時に元通りのトリオン体へと修復される。
訓練モードであるためにすぐに万全な状態へと戻るのだが、心はそうもいかない。唯我は瞬殺されたという事実に打ちひしがれて地面に両手をついたまま動けずにいた。
「何をしているんだ唯我。反省は後だ。今はとにかく反復練習を行う。すぐに構えてくれ」
「いや、もう少し手を抜いてくださいよ! 何でそんなにやる気になっているんですか!」
一切の容赦が感じられない相手——太刀川隊の万能手・ライに唯我が涙交じりに訴えた。
ライは唯我より一シーズン早く太刀川隊に加入した隊員だ。
元々はフリーのB級隊員であり、唯我が太刀川隊に加入する少し前に人員補充という形でA級一位の部隊に加わっていた。
その為殆ど同じ新入りの立場になる唯我が「これも何かの縁。よろしくお願いしますよ」と初対面の際には特に考えずにそう声をかけたのだが。
蓋を開けてみれば『いやなんでこの人B級だったんですか!?』と考えたくなるほど腕の違いを見せつけられる日々。
しまいには毎日のように訓練という名目で痛い目に遭っている。泣きたい。
ライは基本的にも誰にでも優しく、弱い者いじめが趣味とは到底思えない。だからこそ何故、と聞きたくなるのは当然の事だった。
「何故って決まっているだろう。最強の部隊に入ったんだ。君にも成長してもらわないと困る」
「いや、僕はそこまで望んでは」
「それにね」
理屈はわかるが、個人の希望があるだろう。そう反論しようとした唯我の言葉を遮って、ライがさらに続けた。
「国近から君のお世話係に任命されたからね。お世話係という役職を託されたからには、一切の手は抜けないよ」
「なぜそんな役割にそこまでの意識を!?」
国近の『じゃあ折角だし、紅月君には唯我君のお世話係をしてもらおっかー』という何気ない発言が蘇る。
明らかに冗談半分であり、唯我もその感覚で受け取っていたというのに目の前の先輩はむしろ彼女のこの言葉に駆られて本気になっていると語る。
ただただ不満をぶつけ続ける唯我には、なぜライがここまで躍起になれるのか、理解できるはずもなかった。
「おー。二人ともおかえりー。今日の訓練は終わったのかね?」
訓練室から出てきた二人に気づいた国近が声をかける。
疲労困憊の唯我は息を荒げながら、余裕のあるライは笑みを浮かべて答えた。
「もう、無理です……」
「ありがとう国近。今日のところはね。唯我、今日の訓練の反省点をまとめておいた。回復次第読んでおくように。明日の訓練でチェックするよ」
「休む暇すらない!」
厳しい指導員から新たな課題が提示され、唯我はその場から崩れ落ちた。
勘弁してくれと天に願うものの、この厳しさが緩和する事は後にも先にもなかった。
「あっはっは。まーた唯我をいじめてたのか紅月。やりすぎるなよ?」
「いじめなんてしませんよ。彼の力をつけようと指導していただけです」
「いや、あれはもういじめでしょう!? 違うと言うのならば一体何がいじめなのか!? 今すぐ助けてください!」
ソファで休んでいた太刀川もいつもの様子の彼らを軽快に笑い飛ばす。
隊長の言葉にライは短く反論し、唯我は必死に助けを求めるのだが。
「いやいや。俺も『唯我に強くなって欲しい』という紅月の意見には同意だからな。紅月、どんどん仕込んでやれ」
「そうですよね。俺らの負担も減るだろうし。だから唯我、諦めろ」
「わかりました」
「誰も味方がいない! 労働環境の改善を要請する! 誰か、弁護士を呼んでくれ!」
太刀川はおろか、彼の隣に腰かけていた出水までもが追従し、ライの指導を後押しした。
本当にこの指導がこの先も続くというのだろうか。
唯我は部隊加入から早々に目の前が真っ暗になっていた。
「まあまあ。唯我君も将来後輩が出来る時に強さを見せつけたいでしょー? だから頑張ろーよー」
「国近先輩の言葉はもう信用できません! どうせ僕の個人の強さを期待する後輩なんてできませんよ!」
みかねた国近が仲裁に入るものの、元々は彼女の些細な言葉が発端だったのだ。
唯我は彼女の言葉を右から左へと聞き流し、場所も選ばずに泣きわめく。しかしこの後、国近の言葉通り唯我と真っ向から一対一の勝負を繰り広げ続ける事となる後輩ができるのだが、彼が知る由もない。
「そんなことよりだ。紅月」
「そんなことより!?」
「訓練は一区切りついたんだろ? なら一戦やろうぜ」
隊員の平和が脅かされているのに! 唯我の喚き声を無視して、太刀川が好戦的な笑みを浮かべてライを誘う。
個人最強と呼ばれる太刀川は戦いに飢えている。
チームに個人戦を全力で行える相手が加わった事は彼に退屈な時間を味わわせる時間を減らす事となった。だから今日も楽しませてくれと、ライを煽ったのだが。
「勘弁してくださいよ。今週はもうすでにポイントを2000も太刀川さんに取られてるんですよ? これ以上は減らせません」
「なんだよ。別にポイント外でもいいぜ?」
「それに、太刀川さんは今週末までのレポートが溜まっているのでしょう? 二宮さんが愚痴をこぼしていましたよ」
続けざまに正論を告げられ、さすがの太刀川も黙り込んだ。
太刀川慶。戦闘においては敵なしと呼ばれる存在だが、私生活においては皆が声を揃えて『ダメ』と称するほどだらしない性格であった。
「いや、その為にも気分転換にだな?」
「そう言って前も時間を延長して忍田さんに怒られたのをもう忘れてしまいましたか?」
「……はい。忘れてません」
「ならばすぐに取り掛かってください。僕も夜食を作ったら手伝いますから」
「紅月!」
現実を見せつけられてしょんぼりとうなだれる太刀川だが、助けの手を差し出されるとあっさり掌を返す。
飴と鞭を使いこなす。
隊長と新人、扱いに困る二人を的確にコントロールする人材が加入し、太刀川はこの先も安定した活躍を残し続けるのだった。
――――
風間隊加入IF
市街地の一角。
ビルと小さな商店の間に長く伸びる道路の真ん中にライが立っていた。
彼の右手には弧月が握りしめられており、何かに備えているのだろうか、何度も感覚を確かめている。
物音一つ立たない静寂な時間が流れていく、そんな中で。
突如として一つの影が音も立てずに空中に出現した。
(とる!)
風景に完全に溶け込んでいたその男は瞬時に両手へスコーピオンを展開し、ライ目掛けて振り下ろす。
影の正体は歌川だった。風間隊を代表する万能手、隊長からの信頼も厚い精鋭の一人。
彼が操る二振りのスコーピオンはその軽さを活かした連撃とカメレオンからの奇襲によって、並大抵の相手では防戦一方の展開を強いられる事だろう。
「甘い」
「っ!」
しかし。
上空という死角からの強襲に、ライは弧月を振り上げて受けきった。さらに勢いそのままに刀を振り切り、歌川を側面に弾き飛ばす。
「くっ」
初手の攻撃を完璧に止められた事に悔しさを抱きつつも、歌川はすぐに立て直した。
地面を蹴り、後方に跳ぶことで相手との距離を保ちつつ体制を立て直し、
「そうはいかない」
「うっ!」
否、立て直す暇は、訪れなかった。
歌川の眼前にライが迫る。相手を逃がすまいと追撃をかけたライの弧月が歌川を襲った。
とてもかわしきれるタイミングではなく、歌川は一点集中のフルガードで対応する。シールドにヒビが入ったものの、なんとか生身に衝撃が走ることを防いだ歌川。
「ぐぅっ!?」
そんな彼の胸元に強烈な衝撃が走る。
刀が防がれたとみるや、ライが歌川の鳩尾に蹴りを放ったのだ。突然の衝撃に肺から息が漏れ、大きく後ずさってしまう。
「旋空――」
さらに休む間もなく攻撃の手が続いた。
歌川の耳に響く、必殺の掛け声。
間違いない。これから繰り出されるは、ライが完璧万能手と呼ばれる原動力となった、防御不可能の切り札だ。
(マズイ!)
決め手を避けるべく、歌川が選んだ選択肢は潜伏。
再びカメレオンを起動すると同時に攻撃から逃れようと斜め上空へと跳躍した。
歌川が一息に地面を蹴った、その瞬間。
「――弧月!」
三つの光が、空を切った。
ライが持つ弧月が瞬時に拡張し、三度振るわれた刃が獲物を求めて突き進む。
一筋、二筋。手応えのない感覚が二度続いたが。
「つぅっ!」
最後の一手が歌川の両足を両断していた。
「移動用のトリガーを使わずにこの距離で逃げられるほど、この技は甘くないよ」
「マズイ!」
地に落ちた足から歌川の場所を察知したライは、続いて変化弾を生成し、息つく間もなく分割、射出した。
緩やかな起動を描きながら、最後は一点に集まる集中砲火。歌川は今一度カメレオンを解除し、前面にフルガードを展開する。
「外れだ、歌川」
するとシールドに命中する直前、一点に集まった弾が各々進路を変えて分散し、標的を多角的に襲いかかる。
一点集中と思わせての鳥籠。ライの師匠が得意とする技の一つであった。
「……ありがとう、ございました。次、お願いします」
「ああ。喜んで」
無防備のトリオン体が耐えられるはずもなく、体が崩壊し、そしてすぐに無傷の状態へと変換された。
仮想戦闘モード下での戦闘訓練。
同じ部隊に加わった、同じ万能手の先輩に今日こそはと挑んだものの、やはり相手も歴戦の勇士とあってその壁は高い。
たがまだ諦めまいと続投を願う歌川に、ライも喜んで応えたのだった。
――――
「今日もやっているのか」
「あっ、風間さん」
「お疲れ様です。はい、先ほど始まったばかりですね」
風間隊の作戦室にやってきた風間が、訓練室の様子を見守る菊地原、三上の二人に問う。
彼らの視線の先ではチームメイトであるライと歌川の二人が一対一の訓練に励んでいた。
「調子は――相変わらずのようだな」
「まあ実力はありますからね」
風間も画面へ視線を送ると、ライが優位に戦闘を進めている証である白星が目に入る。風間の呟きに普段は批判しがちな菊地原でさえ同意を示した。
これまでは部隊では唯一の中距離戦を戦える立場の歌川であったが、同じ万能手であるライが加入したことにより、歌川が機会を見つけては力を磨くべく模擬戦を挑むようになっていたのだ。頼れる後輩に更なる飛躍の機会が訪れたのは隊長としては嬉しい誤算である。
「おかげで歌川には良い刺激となった。うちには射撃を担う隊員があいつ一人だったが、紅月の加入によってより実戦的に経験値を積ませられる。実戦でもあいつを囮に俺達が奇襲をかける手段や、その逆に俺達の連携に敵が困惑している間に紅月の狙撃や射撃を狙うなど戦略の幅が増えた。現状では言うことなしだな」
「そうですね。狙撃に関してはまずない選択肢でしたし、紅月先輩の副作用はうちのカメレオン戦術のシビアな連携にも対応しやすいから私もサポートしやすいです」
隊員間のより充実したコミュニケーションの獲得。そして実戦面でのメリットは風間隊を更なる躍進へと導くこととなった。
今までは考えられなかった戦法の発掘は皆が好意的な姿勢を示しており、オペレーターとしても大助かりだと三上が続ける。
「……まあ、だからといって僕はまだ全面的には信じてませんけどね。だからこそ、あれだってあるんだろうし」
しかし、全てが順風満帆と言うわけでもない。
菊地原がチラッとライに振り当てられた彼の部屋へと視線を向けて呟いた。ライの部屋のコンセントの一つには小型の三つ穴式のコンセント、に扮した盗聴器が差し込まれていた。
電気、そして内蔵されたトリオンで動くようになっており、引き抜かれても暫くの間は作動する開発局が開発した機材である。
万が一、ライがボーダーに害をなす行動に備えての措置であった。風間隊への入隊も、いざというときに適切な措置を取れる者達を近くに置き、ライの油断を誘うという上層部の発案というのが真実である。
ライの出自を伝えられた者達の中には未だに警戒を抱く者がいるというのも事実。菊地原も多少の警戒を抱いている事を知りつつ、風間は緊張を和らげようと彼の愚痴に答えた。
「まあ、そう言うな。あれとて問題がなければこの先もデータが残ることはない」
それに、と風間は一つ間をおいて話を続ける。
「少なくとも俺には、あいつの素振りが俺達を騙そうとする輩の演技には到底思えん」
「……はい。私もそう思います」
日頃からの勤勉で他人に献身的な姿勢、どこか天然とも取れる彼の気質が、風間には真実に映ったのだ。
それは三上も同じこと。口には出さないものの菊地原も否定はしない。作戦室にいる歌川も同じ思いだろう。
不思議と周囲に人を集める彼のカリスマとも呼べる彼の素質に風間たちも感心を抱いていたのである。
だから余計な心配だと談じ、上層部にこれ以上の詮索は不要だと報告してみようかと、風間は一人口ずさんだのだった。