「おっ? なんか紅月のやつ、雰囲気が変わったか?」
遠目ではありながら太刀川はライが醸し出す空気の違いを察知し、身を乗り出した。
ここまでまだライは迅に大きな傷を与えることができていない。形勢逆転するには何かしら手を打つ必要があった。
まさにその何かをやろうとしているのではないか。一体どうするつもりなのだろうかと太刀川は子供のように心弾ませる。
「どうするつもりですかね? 正直な話、スコーピオンと迅さんの
「足を止めて強力な一発を当てられれば大きいが、予知の前では難しいだろうな」
勿論簡単な話ではなかった。同じ回避を得意とする隊員だが武器の重さと数の面で迅が有利である。同じ事を繰り返しても逆転できる可能性は低かった。
歌川も風間もそうありふれた手では予知を覆す事は難しいだろうと考えている。期待半分興味半分という感覚でライを見つめた。
「なら単純な話じゃないっすか?」
そんな中、ただ一人出水はライの考えに見当がついているのか淡々とした口調でそう告げた。
「弧月の戦いでは厳しい。その上で迅さんの動きを止める為に予知を超えたい。なら、紅月先輩にはそれに向いている戦いがあるじゃないっすか」
ライのポジションは
この状況からでも立て直せるだけの力が、武器が彼にはあった。出水の知るライならば予知を超える事も出来るはずだと軽快に笑う。
そして彼らの注目が一層高まる中で、先に動いたのはライの方だった。
「——うん?」
ライがトリガーを起動しようとした寸前、迅の
そして次に放たれる射撃の弾道が、8段階ものタイミングで異なる軌道を描いて進む事を知り、迅の表情が驚愕の色に染まる。
「ッ!」
たまらず迅は一歩後ろへと大きく下がった。
——対処しきれない。
未来予知を持ってしても完全には見極めは難しかった。少しでも相手の出方を見極めるため距離を空けようとの判断である。
『ライ先輩! 完了です!』
《ああ。行こう》
「
するとライも迅が後退した距離だけ前進し、
トリオンキューブは瞬時に分割するとまずそのうちの8個の弾が射出され、迅を左右から挟み込むように弧を描いて進む。続いて同じく8個の弾が上下に分かれると直進、迅に迫るや急激に角度を変えるように設定され。わずかに遅れて放たれたのは弾道の変化がない直進する弾、そしてその弾に続く形で放たれ、迅の直前で分散し八方から迫る弾、一度迅の上空を素通りした後急転換して背後から襲う弾などなど。
次々と全く異なる弾道、速度、角度、タイミングの弾が放たれるや迅へと注がれた。
(一回の攻撃で、8個の設定を同時に行ったのか!?)
思わず迅は左のスコーピオンをしまう。すかさず自分の周囲全体を盾で覆う固定式の態勢で防御を試みた。射撃トリガーは威力が低いためシールドで防げば問題はないが、この攻撃は従来のものでは防ぐ事が難しい。たとえ攻撃の威力が低くてもトリオン体の耐久力は一定だ。一発でもまともに受ければ大きなダメージとなるため妥当な判断である。
「——おいおい。なんだよ、それ!?」
こんなの聞いたこともないと迅にこの試合で初めて焦りが浮かんだ。
いくら
一言に
衝撃が止まらない中、盾にいくつかの弾が衝突して掻き消える。
一つ一つの威力が少ない分この攻撃だけならば防ぐことも可能だろう。
「旋空」
だが、その間にライは次の一手を講じていた。
今度は弧月を展開し居合の構えを取る。
未来視を使う必要などなかった。
この構えは間違いなく、彼がこのB級ランク戦を勝ち上がる原動力にもなった、彼の必殺技そのものなのだから。
「まいったな」
迅の口から弱音がこぼれる。
固定モードは自分の周囲の空間を守れる分、移動が制限されるという欠点があった。
つまり今の迅は格好の的という事。
かといって今解除すればまだ続く
「——弧月!」
「エスクード」
考える時間も与えない。
ライの旋空が放たれる中、迅は固定シールドを解除、斬撃をかわすために足元からエスクードを真下に展開すると斜め横に跳躍して旋空をかわした。
当然これにより迅は
右腕を失い、左右の脇腹を複数撃ちぬかれるという重傷を負ったものの、即脱落という最悪の事態は免れた。
「これは、効いたな」
迅の顔に小さな亀裂が走る。あまり猶予は残されていなかった。緊急脱出を防ぐ為とはいえダメージは予想以上に大きなものである。
「まだ倒れないんですか」
「ごめんね。ま、これじゃあ長くは戦えなさそうだから、行かせてもらうよ!」
強がりの笑みを浮かべると、迅は壁を蹴ってライへ接近した。
言葉通りこのままでは迅がトリオン漏出による
ならば速攻で一撃を当てて先にライを落とすしかなかった。
腕が落とされた為にいつものスコーピオンを握る戦いは出来ないものの、腕の先に生やして戦う事は十分可能だ。
再び両手に刃を手にしてライへと迫った。
「むッ!?」
そして接近の直前、迅は自分に迫る何かを見て足を止める。すると予知通り、ライは手にしていた弧月を迅の顔面目掛けて投擲した。
「うおっ!?」
「
ギリギリのタイミングで迅は体を倒し弧月をかわす。
するとライは間を置かずに弧月を放棄するとトリオンキューブを自分の体の後ろへと展開した。
(射撃戦を——違う)
観客席で見ている者は皆ライが中距離戦に移るのだろうと考えた事だろう。
しかしその答えは違った。迅の予知した未来通りライは素手の状態で迅へと突撃する。
すぐに迅は迎撃を選択。スコーピオンを振り下ろすも、左腕はライの突き出した拳が手首に衝突して防がれ、右腕はライが蹴り上げた左足にはね上げられ失敗に終わる。
「っ」
——マズイ。
思わず迅は息を飲んだ。
一度体勢を立て直そうと迅は後退するが、ライが見逃すはずもなかった。
ライは一歩で距離を詰めるとがら空きとなった迅の腹部へと拳を叩きこむ。
「うっ!」
衝撃によって体から酸素が強制的に吐き出され、迅の姿勢が崩れた。さらに休む間もなくライの攻撃が続く。バランスを失ってしまった迅が防戦に転じさせられてしまった。接近戦で刃を握っているにも関わらず、迅は呆気なく追い込まれていく。
『俺の方が先輩ではありますが、正直な話参考にしてますね。それくらい技量が高いというか器用で、しかもヤバいです。知ってます? あいつトリオン体じゃない時でも壁走りとかやってるんですよ』
「……あー。そう言えば確かにそんな事を聞いてたっけ」
かつて荒船から聞いた冗談のような話を思い出して迅は苦笑した。
トリオン体での戦闘において生身の筋力は関係しない。換装の時点で大幅に強化されるためだ。だが、そのトリオン体を操作する肉体は生身の感覚が元となっていた。生身で動ける感覚を掴んでいる事でトリオン体ではその何倍でも動けるようになる。
——ならば、生身の時点で常人以上に動ける人間は?
その答えこそが今のライであった。非凡な運動能力に副作用と指定された伝達速度。たとえトリガーがなくても渡り合える。
信じられない出来事の連続に迅は笑顔を取り繕って——放たれた
『戦闘体活動限界。
あっという間に迅のトリオン体が崩壊し、試験初の緊急脱出を迎える。
迅が飛び去っていった軌道を見上げながらライは一人口ずさんだ。
「確かにその
『……ああ。なるほど、ここだったのか。読み逃したな』
『迅はなあ、見た相手の未来を見るっていう
「それも万能な力ではないというならば。いくらでも対応のしようはある」
ライはかつての迅や生駒との会話を経て彼の
ならばこそ諦めるわけにはいかなかった。
この程度の劣勢なら覆して見せようと、今一度決意を新たにする。
————
「取り返したか」
「アッハッハ。迅のやつ、弱点を見抜かれちまったか?」
ようやくライが一本取った。
風間は小さく息を零し、太刀川は豪快に笑い飛ばす。
「未来を読むのに夢中になって現在が疎かになっている。いつものあいつの負けパターンだ。紅月がこれを続けられるなら、まだここから挽回できるぞ」
よく迅と戦っていたからだろう。太刀川は迅があっという間に有利不利を逆転された理由を悟り、まだ勝負はわからないとニヤリと笑う。
迅の未来予知は便利ではあるが決してすべてが見えるわけではなかった。
特に力を行使しようとして目の前の戦いの対処が追いつかなくなるとその力の脅威は半減される。今回のようにライが相手に息つく間も与えない連続攻撃をこれからも仕掛けていけば本当に逆転もありえない話ではなかった。
「賞賛すべきはそれをこの短時間で見抜き、実行に移すだけの適応力。そしてオペレーターの支援能力か」
風間もライの、紅月隊の対応を称賛する。彼らは理解していた。今の一連の流れがライ一人の力ではなかったという事に。
「やはり最初の
「十中八九オペレーターの支援があっただろうな。おそらく弾道の設定とかを一任してただろ。普段は自分で即興で設定しているルートをオペレーターに分析、設定してもらってその情報を入力して打ち出したんだ。じゃねえと紅月先輩でも情報量が多すぎる」
歌川の言葉を引き継いで出水が最初の
彼の言う通り瑠花はこれまでのライの訓練、ランク戦のデータから
「加えて、未来予知とスコーピオンの速さに重さのある弧月ではついていく事が難しいと判断するやいなや、あっさりと弧月を放棄して格闘戦に移行するとはな。確かにやつの
「確かにあれは驚きですね。紅月先輩がまるで喧嘩慣れしているような動きで迅さんに
その通りだなと風間も歌川の意見に頷く。
重量のある弧月では先を読んで二刀のスコーピオンを振るう迅には追いつけなかった。ならばと思考を切り替え、素手で迅の刃を振るわせないようにスコーピオンではなく迅の体を狙うという発想は面白い。強化された肉体を持つ彼だからこそできる芸当だろう。
「速さで互角の戦いになるならば、たとえ予知されていても紅月の
今一度風間はライと迅の戦いへと意識を傾けた。
二人の戦いはすでに再開され、先ほど同様ライは素手でスコーピオンを両手に持つ迅と渡り合っている。
————
「おいおい。正気か紅月君? 刀を持っている相手に素手で接近戦とは。一回でも判断を間違えれば即死だぞ?」
「当たり前でしょう。難しいことではない。単純な話だ」
皮肉まじりに迅はライへと告げる。一瞬でも意識を逸らせれば儲けものだが、ライは表情一つ変えずに返答した。
「一回も、間違えなければ良いだけの事です」
「——大したものだよ」
一切の迷いを浮かべずにそう即答する精神力。冗談ではなく本心で迅はライを褒め称える。これだけ身構えている隊員はボーダーにもそうそういないはずだ。ましてやそれが、本来は高校に通っているはずの年齢となれば猶更であった。
再びライの体の後ろに
さすがにライの格闘技を受けながら射撃は凌ぎきれなかった。迅は大きく後退するとライの足元へとスコーピオンを投げる。
「エスクード」
これでライの追い打ちを一瞬止めるとその間にエスクードを起動。
巨大な盾がせり上がり、前方からの弾を封殺するとその間に迅は左右から迫る弾をシールドで防いだ。
先ほどのように固定シールドを使えば足が止まる隙をついて旋空を放たれる可能性がある。反省を生かした防御だった。
「おっ」
とはいえ安心はできない。
再び迅の
ライがエスクードに止められない角度である横へと飛んで左手にトリオンキューブを展開する未来が映る。サブトリガーという事は
ならば先ほどと同様にその先に刃を撃てばいい。迅はエスクードを解除して視界を確保すると、スコーピオンをライが飛んだ先へと投擲した。
「ッ!」
「やっぱりか」
ライの表情が引き締まる。彼の左手には読み通りトリオンキューブが浮かんでいた。
予知通りである。
「かかったな」
命中する直前でキューブが消え、スコーピオンはシールドに止められてしまった。
(シールド! フェイクか!?)
(出水の手を借りさせてもらった。あなたなら気づいてくれると信じていましたよ)
攻撃と見せかけて防御する。この試験を見守っている出水が得意としている技術だ。幾度となく彼と射撃対決を繰り返しているライは彼の技術をものにしていた。
「これで決める」
そしてそこからの切り替えが早いのはやはりライの方である。
迅がスコーピオンを再生成するより早く
「——あっ。やべっ」
詰んだと、迅が己の末路を察し冷や汗を流す。
ライは弧月を手に取った右腕を引いた。
それは、かつて彼が生駒との個人戦で見せた技。先の部隊ランク戦で見せた同じ技が対集団戦のものだとするならば、こちらは対個人戦。建造物を破壊したくない場合、防御・回避能力にも特化した相手にも通じるようにと磨いていた技である。
「旋空、弧月!」
旋空の5段突きが解き放たれた。
一発は迅のトリオン体の中央を捉え、残る4発は彼の周囲に放った4隅のメテオラを貫き、次々と誘爆していく。
「すごいな。まだこんな面白いものを隠してたのか」
『戦闘体活動限界。
迅のトリオン体は風穴が空き、四肢が爆散し、一瞬で崩壊した。
防御は勿論逃げ道さえ与えない。
従来の旋空よりも構えが異なる為斬撃の範囲こそ面から点と変わって狭いものの、旋空の放つ先が読みにくく、反応されたとしても少し手首を返すだけで調整が容易であるという応用の効く技。居合切りよりもためが短く動作も小さい突きという事でさらに連撃が増している彼の新技は見ている者たちに多大な衝撃を与えるのだった。
————
「——認めるとしよう」
「城戸司令!」
「それでは!」
戦いが始まってからは常に静観を決め込んでいた城戸が言葉を発した。
その意味を理解して根付や鬼怒田は席を立ち、その真意を問うと城戸は小さく頷く。
「元々この戦いは、紅月隊長が迅隊員という未知の相手に勝たずとも善戦出来ればよしというものだった。それがこれ程の戦いぶりを見せられては、何も文句はない」
「——ええ。そうですね」
「私も賛成です」
「じゃあ、俺も賛成で」
城戸だけではなかった。唐沢に忍田、林藤も司令の意見に同意を示す。ライと迅の戦いを目にして専門外である鬼怒田や根付もさすがに反対の意見はなく、ここに上層部の意見は固まった。
「ならば決まりだな。この後同じく観戦、評価している太刀川隊・風間隊と合流し彼らから反対意見が上がらなければ——紅月隊をA級認定とする」
おそらく何も反対意見はないだろうと考えながら、城戸は最後の攻防を見届けた。
最後までライは
『
残りの
| 紅月 | ××〇〇×〇 |
| 迅 | 〇〇××〇× |
迅と互角の死闘を演じ、紅月隊がその実力をボーダー幹部やA級隊員達へ改めて示す。彼らの戦いぶりは精鋭部隊と比較しても勝るとも劣らないものだった。
城戸「確かに迅隊員がトリオン体ならば殴っても良いとは言ったが、まさか我々の目の前で殴るとは思ってもいなかった」