約束
試験の終了を告げるアナウンスが戦場に鳴り響く。
短くも長く感じられた30分の攻防が終わりを迎え、ライは弧月をしまうとゆっくり肩の荷を下ろすのだった。
「終わり、か」
安堵をはじめあらゆる思いがそのつぶやきに篭められる。
迅を相手に対等にわたり合えた事の満足感。同時にもっとうまく立ち回れたのではないかという反省。複雑な感情が入り混じった一言だ。
「お疲れ。紅月君」
「——迅さん。はい、ありがとうございました」
「ああ。試験お疲れ様。まあもう気負う必要はない。後は結果を待つだけだし、これだけ動けたのだから城戸さん達だってそう厳しい判断はしないはずさ」
そう考え込む必要はないと声をかけたのは迅だった。先ほどまで切り結んでいたとは思えない陽気な声でライを諭すように告げる。
「ええ。そうですね」
ライも迅に同意を示すように頷くのだった。確かに彼の言う通り試験が終わってしまった以上、もはや紅月隊に出来る事は何もないのだから。だから後は結果を待つのみ。たとえそれがどのような結果であろうとも。
故にこれ以上試験の内容について言及する事はやめにしようとライも考えた。隊長である自分がいつまでもくよくよとしていては瑠花にも悪影響を及ぼしかねない。隊長として凛とした姿を保たなければと背筋を伸ばすのだった。
「うん。俺も試験官としてやるべき事は終わったし、一息つけるな。君との戦い、中々面白かったよ」
「僕もです。正直、これまでの部隊ランク戦とはまた違った緊張感を味わえました」
「そうかい? ならよかった」
最後に二人は握手を交わして健闘をたたえ合う。因縁こそあれ実力を認めている事は確かなのだ。改めて二人がより仲を深める瞬間であった。
「はい。ですから——」
「ん?」
するとライは手を離すと踵を返し、迅に背中越しに告げる。
「次はこのような試験という形ではなく、
思わず迅の目が見開き、息を飲んだ。その彼の反応を知ってか知らずか、ライはそれ以上何も言葉を発する事無く試験場を後にする。
「……やれやれ。俺が考えている以上に冴えている上に冷静だ」
いっそ末恐ろしく感じる程に。
試験が終わった直後であるにも関わらず、物事の真意を見抜いているようなライの思考に迅は肝を冷やすのだった。
(別に手加減したわけではない。けど)
確かに迅が全力でやったかと言われれば返答に悩む事である。
何故ならライは挑戦者であるのに対し、迅はあくまでも試験官なのだから。ライはこれで勝たなければ終わりという状況だったが、迅は違った。あくまでも力を試す立場であり負けたところでペナルティがあるというわけでもない。
勿論迅自身彼が出来るだけの事をやった事は間違いなかった。だが同時にこの戦いに対する気持ちの強さはライが、紅月隊が圧倒的に勝っている。決して気持ちの強さが勝負を決めるとは断言しないが、少なくともライがこの戦いでランク戦でも見せなかった戦いを披露したという事実は彼らの気迫を物語っていた。
「ま、俺としては君とはあまり戦いたくはないけどな」
できる事ならむしろ味方につけたいくらいだと迅は一人口ずさむ。
紅月隊は戦術的にも戦略的にも秀でた部隊だ。敵に回せば恐ろしいが、味方につけられればどれだけ心強い事か。迅は存ぜぬ事だが、彼も忍田と同等の評価をライに下していた。
(そうだ。一応、
迅は離れていくライの背へと視線を戻す。
改めてこの試験の結果を経て、ライがどのような未来をたどっていくのか、何か未来は変わったのだろうかと確認した。
「————はっ?」
そして、その未来を見て愕然とする。
彼が新たに目にした未来は二つだった。おそらくこの試験の結果により確定した、あるいは可能性が生じた未来なのだろう。
一つは、彼がオペレーターである瑠花と共に忍田本部長の元を訪れている未来。
そしてもう一つは——
————
「では太刀川隊、風間隊の両隊の報告をもって最終判断を下す。明日は生駒隊の昇格試験もある。皆準備しておいてくれ」
最後に連絡事項を下して城戸は観客席を後にした。さらに鬼怒田、根付も後に続く。普段あまりランク戦を観戦していない人々は関心が逸れるのも早かったのか、足早に去っていった。
「まさか迅と互角に戦えるとはねー。一年前は想定もしてなかったな」
「ああ。私もだ。……本当に、頼れる存在だ」
一方、林藤や忍田は試験の余韻に浸り、ライの話題に花を咲かせている。
林藤は玉狛の支部長として、忍田は姪の部隊としてと色々思う所があった。この結果を見て物思いにふけるのは当然の事だろう。
「これからも話題の的だろうな。どうなんだよ、本部長殿? 瑠花ちゃんの部隊がエンブレム持ちになるってわけだ。心境のほどは」
林藤が茶化すように忍田の肩を叩く。
A級の部隊は隊特有のエンブレムを作る事を許されていた。紅月隊も当然隊の象徴になるエンブレムを作成する事になる。それだけ特別な存在になったという事だ。
その事実を噛み締め、忍田の表情から穏やかな笑みがあふれる。
「喜ばしいさ。彼女が部隊の躍進の力になれたのならば誇らしい。少し早すぎるとも思うがな」
「確かに林藤支部長の仰るように話題に上がるでしょうからね。今後何か問題があれば叩かれかねない。その点は注意が必要でしょうが——まあ彼らの人間性ならば大丈夫でしょう」
少し寂し気にそう告げると、同じくその場に残っていた唐沢も続いた。
確かに紅月隊の躍進はあまりにも短い期間に起こっている。もしも今後彼らが何らかの問題に巻き込まれれば悪い意味で人々の注意を集めかねない危険性をはらんでいた。
そう指摘して、同時に彼らの性格ならばその心配は杞憂だろうと断じる。
「A級、B級にも広く通じているのです。何かあったとしても彼らなら上手く乗り越えていきますよ」
「……ええ。そう信じます」
きっとこれからも紅月隊として上手くやっていけるはずだ。
そう忍田は信じて疑わなかった。彼の表情から不安の色が消えた事を確認し、唐沢は視線を会場から去り行くライへと移す。
(紅月君か。とても17歳の少年とは思えないな)
この戦いを見て、唐沢はライの年齢に似合わぬ戦いぶりに、振る舞いに衝撃を覚えていた。
(正直、末恐ろしいな)
唐沢がライに恐怖のような感情さえ覚えたのは、彼が迅に格闘戦を挑んだ場面だ。
刃を持つ敵を前に、武器を持たずに身を晒す。唐沢はライが示した格闘戦の技術よりも、それを容易に行った精神力に驚きを感じていた。
(まるで本当に命のやり取りをする場所に立っていたようだ)
たとえ命を失う危険性がないトリオン体だとしても、誰もが彼のように突如接近戦を挑もうと考えるとは思えない。
まさかライはこれまでに殺し合いでも体験してきたのではないかと唐沢は錯覚を覚えたのだった。
————
その頃、反対側の観客席。
「やりやがったな、紅月のやつ」
3対3。引き分けという結果だが太刀川には十分満足できる結果だった。強敵との戦いを待ち遠しいと思っているかのように胸を躍らせている。
「迅さんの未来予知を逆手に取りましたね。
「いやー、あれって俺の戦いを模倣された可能性あるな。紅月先輩とは時間ある時とか射撃対決とかよくして、俺がその時にあのフェイクを見せてたからなー。まさか予知を使う迅さん相手に使うとは思ってなかった」
次々と攻め立てる事で敵の動きを誘導し、追い詰めていったライの戦い。攻撃手用トリガーと射撃手用トリガーの切り替えの巧みさに歌川は舌を巻いた。
一方出水はライが見せた技術が自分の見せた物であると察して苦笑を隠せない。決してライを相手に物事を教えた事は一度もなかった。だが、まさかこのような形で彼が自分のものにした瞬間を目にする事になるとは想像できるはずもない。
「いずれにせよ大きな問題はないと言っていい。前半戦は押され気味であった為に心配だったが、後半戦は見事に取り返した。むしろこの展開により紅月隊は地力の強さを証明したと言えるだろう」
風間の総評に皆「確かに」と頷いた。
一度劣勢に立った部隊が立て直す事は容易ではない。だからこそライが一度その立場に晒されながらも自身の強さを見せつけた事は従来の戦いよりも評価できる点だ。逆境下で力を示せる戦力は非常に貴重なもの。それがあらゆる手を持つ隊員となればなおさらだ。
「それにまだあいつが違うタイプの旋空を隠し持っていたってのも面白かったな」
しかも今回の戦いで新たな収穫があった。絶大な威力を誇る旋空の発展型。あれは目を見張るものがあると
「ええ。線ではなく点の攻撃である分範囲が狭いとはいえ、居合の構えと違って敵は自分の方向へと刀を向けられているため攻撃の先が読みにくい。反応できたとしても少し手首を返しただけで刃先を変えられますし」
「紅月の
彼だけではない。歌川や風間もカラクリを見抜いた上で評価していた。
従来の旋空は弧月を大きく振るって直線状にいる敵を一掃する。対して今回ライが見せた旋空は突きである分対象の敵は少ない一方、ギリギリまで攻撃の見極めが難しく、加えて範囲の狭さを数で補っていた。
やはりこれもライの
「俺も今度あれやってみようかな。迅相手に通じるか試してみたいが」
「あー。やめといたほうがいいですよ、太刀川さん」
「ん? なんでだ出水?」
目新しいものを見つければ挑戦してみたくなるのが人の性だ。太刀川は目を輝かせてライの新技に挑戦しようと意気込むが、そこに出水が待ったをかけた。
「だって旋空って先端に行けば行くほど威力が増すんでしょう?」
「そうだぞ?」
「突きって事はその動作によって先端の位置が容易に変化するでしょう? それこそ紅月先輩みたいな
「……あっ」
チームメイトの説明でようやくその困難さを理解し、太刀川の表情は固まる。やはり誰にでも出来る技ではなかったのだ。
「マジか! くっそ。折角良いアイディアだと思ったのに!」
「——全く。お前は相変わらずだな。まあいい。俺は少し迅から話を聞いてくる」
「わかりました」
相変わらず戦闘の事となると熱くなる太刀川を横目に、風間は一応戦った迅から意見を尋ねようと観客席を離れ、迅の下へと歩み寄る。
ライと別れた迅はライが去った後も彼が通っていった扉の方角を眺めていた。
「どうした、迅? まさか疲れたのか?」
そんなわけないだろうと知りつつ風間は迅へと声をかける。
「——ねえ、風間さん。一つ質問してもいいかな?」
「質問? なんだ?」
迅は振り返ることなく風間へと問を投げた。いつもよりも幾分か真面目な口調に風間は身構える。
「たとえばだけどさ。風間さんが三上ちゃんに真剣な感じで頭を下げるとしたらどんな時?」
「三上に?」
迅の口から上がった名前は風間隊のオペレーター・三上だった。
要領を得ない質問に疑問を抱きつつ、迅がこのような事を意味なく尋ねるとは思えない為風間は下顎に手を当てて考え込む。
「そうだな。たとえば、何かの記念日を忘れてしまった事などを謝罪するとか、約束を破ってしまった時等に頭を下げるとは思うが」
「うん。だよね。俺もその辺りは思いつく。じゃあそういう個人の悩みじゃなくて隊長として、隊員としてなら?」
「……どうだかな。何か三上が関わる重要な戦いで負けるか。あるいは」
あまり考えたくない事だが、と前置きをして風間は話を続けた。
「ありえない話だが部隊が解散しなければならない時などがあったら、そうなるだろうな」
勿論そんな事は当分ないだろう。
風間はまだまだ現役で戦える年齢だ。加えてこの先他の誰かと組んで戦うつもりもない。
だからあくまでも仮定の話だと強調した上で風間は迅の質問に答えた。
「一体どうしたんだ? そんな事を聞くとは」
「……いや、何でもない。ありがとう。参考になったよ。やっぱりこういうのは太刀川さんよりも風間さんに聞く方が為になるね」
だろうなと風間は息を吐く。
深くは追及しなかった。聞いたところでこの男は上手く話を逸らすのが得意であると知っているから。むしろ聞く必要がある事なら迅の方から話しているはず。
だから風間がそれ以上この件について迅を問いただすことはなかった。
(……まさか、ね)
その風間の気遣いに感謝しつつ、迅は一抹の不安を浮かべる。
(A級に昇格したことで、紅月隊が解散する未来が浮上するなんて。——ないよな?)
迅が目にした二つ目の未来は、ライが苦痛な表情を浮かべて瑠花へと頭を下げる場面であった。ライだけではない。瑠花自身も表情は寂し気で、事の真剣さを物語っていた。
二人の様子から考えるに約束や記念の日を忘れたという雰囲気ではない。時期的にも戦いが起きる可能性は低く、風間の語る部隊解散の可能性が一番当てはまるようにも思えた。
この予知は今までは見えなかった未来だ。つまり彼らがA級に在籍する事、それによって何かの未来が動いたという事になる。それも、紅月隊に暗雲が立ち込める彼らにとって悪い未来に。
一体この先何が起こるというのか。迅でさえこの時はまだそれ以上の未来を見る事は出来なかった。つまりまだ確定した未来ではないという事。必ずしもそうなるわけではないのだから。
————
そしてそんな予知が見られていたことなど知る由もないライは速足で本部の廊下を歩いていた。
向かう先は当然、彼の自室でもある紅月隊の作戦室である。
「ライ先輩! お疲れ様でした!」
扉を開けるや否や、瑠花が笑顔で出迎えた。彼女も試験のサポートで忙しかったであろうがそれを感じさせないほどの満面の笑みである。
「ああ。お疲れ様。これで本当に僕たちの今シーズンは終了だ」
「はい。後は結果を待つだけですね」
「そうだ。聞くところによると結果は僕達とイコさん達の試験の両方が終わってから出るらしい。だから今日すぐに出るという事はないだろう。だから今日はゆっくりと羽を伸ばしてくれ」
「————はい!」
試験が終わってすぐさま結果が発表されるわけではなかった。昇格の有無が決まっても当事者たちに告げられるのはまた別の事。よって試験が終わった紅月隊は発表の日までは自由気ままにその日を待つだけだ。
やるだけの事はやったためか、ライは勿論瑠花にも不安の色は見られない。彼女自身手ごたえを感じているのだろう。ライの言葉にハキハキと応えるのだった。
「——と、言ったわけだけど。もう夕飯の時間か。こうなると今日はもう解散した方がいいかな?」
「あっ。それならライ先輩、食堂で一緒にご飯を食べませんか? ライ先輩も今日はお疲れでしょうから食堂で済ませてはどうでしょう?」
時計はまもなく7時を指し示そうとしている。試験の説明や移動、戦闘時間などもあって気づけば夜になっていた。
中学生があまり遅くまで外にいるわけにはいかない。ライは今日はここで活動を終えようかと進言すると、瑠花が夕食の誘いを口にした。
「僕は大丈夫だけど、親御さんは?」
「私は試験があるからしばらく遅くなるかもしれないと言ってありますので、一言メールを送っておけば大丈夫です」
「そうかい? ——そうだね。なら、今日は一緒に行こうか」
「ええ。行きましょう」
大切なオペレーターの誘いを蹴るという手などない。確認を済ませるとライはためらうことなく頷くのだった。
二人は軽く片づけを行うと、早速食堂へと向かう。
食堂はさほど混んではいなかった。注文を済ませると、二人は空いている席を見つけて向かい合うように座る。
「フフッ」
「どうした?」
突如瑠花が笑みをこぼした。
何かあったのだろうかとライが問うと、瑠花は「いいえ」と軽く否定して話を続けた。
「少し、初めてライ先輩と出会った時の事を思い出してしまって」
言われてライも思い出す。
一年ほど前、初めて二人が出会って、そしてゆっくりと落ち着いて話を交わしたのも丁度この場所だった。
あの時はまだどこか妹に似た少女というイメージでしかなかったが。
——随分と変わり、そして成長した。
ライも気を良くして穏やかな笑みを浮かべるのだった。
「あの時は、君とここまで来れるとは考えていなかった」
「……そうですね」
「まだ僕たちのA級昇格が認められたかはわからない。だが、たとえどのような結果であったとしても」
ライはそう言うと、水の入ったグラスを前に掲げる。
「この先も僕をサポートして欲しい。ついて来てくれるか?」
「喜んで」
瑠花もグラスを手に取るとライのグラスと合わせ打ち鳴らした。
こうして二人は初めて約束を交わした場所で改めて今後の協力を誓う。
その後も料理を楽しみつつ談笑を交え、穏やかな時間は過ぎていった。
二人とも終始柔らかな笑みを浮かべていて。
お互いの信頼はゆるぎないものだと示しているようだった。
風間「紅月の場合なら、お前のセクハラから守りきれなかったとかじゃないのか?」
迅「どうして俺がそんな事をする前提なの!? あれから紅月君の前では絶対にやらない事にしてるんだけど!?」
前科持ちだからね。仕方ないね。
当時はただ守られるだけの立場だった少女の協力もあって試験で躍動できたと考えると感慨深い。