9月上旬のある平日の午後。学校の授業も終わり、放課後を迎えている時間帯。
ショッピングモール内のある一角に位置するカフェの店内に三人のボーダー隊員の姿があった。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「おー。やっと来たー」
「おいしそう。待った甲斐があったわね」
「そーだねー」
鳩原、国近、今の前に各々が注文したパンケーキが並ぶ。
高さがあり外見だけでケーキの柔らかそうな感触が伝わり、さらにシロップ特融の甘い香りが鼻をくすぐった。
「記念にみんなで写真も撮っておこっかー」
「そうね。ほら、鳩原さんももっとこっちに来て」
「う、うん」
それぞれが匂いや見た目を楽しみつつ、それぞれが皿を写真に収め、さらに3人で来た記念を残そうと国近が二人に話を振る。
今もその提案に応じると、オドオドしている鳩原をよびよせ、3人は国近の端末のカメラに視線を送った。
「じゃー、撮るねー。皆笑ってー。……はい、出来た。後で二人にも送るねー」
いつもの緩い口調で、笑顔を浮かべる国近。変わらぬ様子だが心なしかいつもよりもさらにご機嫌なように見える。
「ありがと。それじゃ早速いただきましょうか」
「うん。そうだね。それじゃ」
『いただきます』
今の言葉を合図に3人はパンケーキへと手を伸ばした。
ケーキの弾力を楽しみ、熱で少しずつ溶け出したバターを3段重ねの厚焼きのパンケーキにしみこませ、ちょうど良い大きさに切り分け、口の中に放り込む。
リコッタチーズの程よい酸味とパンケーキの甘味が口いっぱいに広がった。
『——おいしい』
3人は口をそろえてそう述べると頬が緩み、ぺろりと平らげてしまう。
癖になりそうなおいしさに皆談笑しながらもパンケーキを食べる手が止まる事はなかった。
————
「いやー、おいしかったねー。チームの皆とは別にこういう風に集まって食事を楽しむのも悪くないなー」
「そうね。最近はテストもあって少し忙しかったし、良い気分転換になったわ」
「うん。あたしも」
食事を終え、ショッピングモールで買い物も楽しんだ3人はショッピングモールを後にする。
3人はクラスメイトであるとは言え、様々な行事がある上に防衛任務で授業に参加できない日もあるため中々今日のように全員が集まって外出するという日は少なかった。
普段から行動を共にする事が多いチームメイトとはまた違う。こうして同性の、同じクラスの仲間と他愛ない時間を過ごす事も普段とはまた違った楽しみがあった。
「……ねえ、二人とも」
「うーん。どうしたのー?」
「鳩原さん?」
突如鳩原がその場で足を止め、二人を呼び止める。何かあったのかと二人は鳩原の方へと振り返りつつ、彼女の話を促した。
「その——今日は、ありがとね」
本来ならば、もう二度とこんな時間を過ごす事はない。そう覚悟して鳩原は密航を試みた。
弟の救出以外にはもう何もいらないと。そう決めて、捨てたはずだったのに。
深く何かあったのかを聞かずに、今でもこうして変わらぬ日常を送れている関係を続けてくれる二人に心から感謝した。
「どしたどしたー? いきなりそんな畏まって。今日はお祝いも兼ねていたんだから主役がそんなに身構えなくてもいいんだよー」
「そうよ。折角鳩原さんが正規隊員に復帰できたお祝いだったんだから」
ぎこちなく笑う笑う鳩原に、二人は大した事ないだろうと自然体で答える。
そう。今の言う通り今回の外出には鳩原の祝福の意味も籠っていた。
ランク戦シーズンの真っ只中であったために時間が取れなかったが、昨シーズンで鳩原は正規隊員に復帰し、さらに元居た場所とは異なるとはいえ部隊にも加わっている。
訓練生にまで降格し、一時はどうなるものかと当真でさえ不安視していた。そんな彼女が正規隊員として変わらぬ姿を示している事はボーダー隊員として、クラスメイトとしてこれほどうれしい事はない。
だから気にしないでと、二人は本心から告げるのだった。
「……うん。また、よろしくね」
そう言って鳩原は口角を挙げる。不器用なりに、二人の気遣いに応えられるようにと笑顔を取り繕った。
————
そのころ、紅月隊の作戦室。
「へー。それじゃあ今日鳩原ちゃんは皆で楽しんでる頃か」
「うん、そろそろこっちに戻ってくる頃かな? 次の入隊式の訓練指導の件で用事があるから、一応作戦室にも顔を出すと言っていたよ」
「そういえばもうそんな時期か。二宮さんがいればどんな反応したかなー」
作戦室には瑠花の他に犬飼と辻、二宮隊の隊員が任務終了後の書類をまとめていた。
今日は鳩原が私用のため不在、二宮も大学の講義のために席を外している。
そのため今日の防衛任務はライと瑠花、犬飼と辻という変則部隊で臨んでいた。共に戦った事がないといえ、そこはさすがB級上位グループで幾度も渡り合った二部隊。お互いの事を理解し、巧みなチームワークで防衛に成功していた。
「いずれにせよ、鳩原先輩が元気そうでよかったです」
「それだよねー辻ちゃん。一時はかなり危なかったよね。よくここまで立て直したもんだ」
犬飼のセリフに辻も続く。
辻にとっても貴重なチームメイトだった先輩だ。変わらぬ人間関係を築いている事に心の底から安堵している。
「これも、紅月君が口説き落としてくれたおかげかな?」
「誤解を招きかねない言い方はやめてくれ、犬飼。僕はただ彼女の背中を後押ししただけだよ」
「いやいやー、そんな事はないでしょ。あの件の後、まともに話したのは二宮さんだけで、その二宮さんだって気遣いができる人じゃない。俺達だってあんまり話しかけてなかったんだよ? 多分他の同級生だって同じだろうし。——そのあたりは俺達も感謝しているんだよ」
一瞬笑みが消え、真面目な表情でそう犬飼は語った。
二宮の想定していた通り、結局あの事件の後二宮隊の面々が鳩原へ部隊へ再帰するよう声をかける事はしていない。皆鳩原との距離感を図りかねていたからだ。
心配はしていた。だが単独で密航を果たそうとした彼女へ語り掛ける言葉が見つからない。それは他の隊員だって同じことだった。
——故に、その現状を打破したライに感謝しているのだと。
「……それは仕方がない。僕だって君たちの立場だったならばどうしていたかわからないさ」
しかしライも犬飼達の心境も理解している。だからそう気にする必要はないと彼らに語り掛けた。
「そんなものかなー? 紅月君なら結局何とかしたんじゃないかなって、思うんだよねー。紅月君、イコさんも羨むくらい異性との交流もうまいし」
「それはイコさんが言っているだけだよ。僕は普通に接しているだけだ」
「でも俺も気になります。紅月先輩はどうやってそこまで女性と上手く溶け込んでいるんですか?」
「辻まで。……いや、君の場合はある意味本心か」
茶化す犬飼をあしらうライの会話に、辻も前のめりの姿勢で話に加わる。
そこまで食いつかないでくれと思ったライだが、女性恐怖症でまともに異性と話せない辻の様子を思い返して小さく息を吐くのだった。
「別にそこまで気を張る必要ないと僕は考えるからな。ただ自然体でいればいいとしか……」
「ライ先輩。お茶が入りました。どうぞ」
「ん。ありがとう、瑠花」
当然な意見を述べると、お茶をいれていた瑠花が給湯室より現れ、ライの前へと湯呑みを差し出す。
「犬飼先輩も、どうぞ」
「おっ。ありがとうね」
続いて瑠花は犬飼にもライ同様にお茶をそっと彼の前面に置き。
「辻先輩、どうぞ」
「あっ、あ……がと……」
辻の前にも湯呑みを運ぶのだが、肝心の辻は瑠花から目をそらし、ぎこちなく体の前で手ぶりをして返答の意を示したのだった。
「……辻、そろそろ瑠花に慣れてくれないか?」
「いや、違。これは……」
「彼女は優しいし真面目な性格で、厳しく当たるようなことなんてないよ」
「その、えっと……」
まともに瑠花と目を合わせる事さえ出来ない辻を見てライが苦言を呈する。
二人が会うのは別に初めてのことではなかった。何度か本部で顔を合わせる事もあったのだが、極度に女性が苦手な辻は年下の瑠花でさえまともに話す事は出来ていない。
瑠花は恐れるような人物ではないから安心するようにとライが告げても、辻は良い返事をする事は出来なかった。
「……辻先輩。よろしければ私、席を外しましょうか?」
「辻ちゃん! 中学生の女の子に気を使われてるよ!」
しまいには瑠花本人から部屋を出たほうが良いだろうかと提言され、これはマズいと犬飼が辻の肩をたたく。
さすがに中学生の女の子を部隊の作戦室から追い出すとなれば印象が悪かった。
これはどうにかせねばと話を振るが、辻は未だに赤面しており中々打開策は浮かばない。
「出来ればすぐに慣れて欲しいくらいなんだけどな。辻の為にもなるし、瑠花の為でもある」
「うーん。それは俺も同意見なんだけど、中々うまくいかないんだよねー。ベテランの隊員が相手でも萎縮しちゃうんだよ。少しずつ刺激の弱いものから慣れていってほしいんだけど、写真でもダメなくらいだし」
「写真でも……?」
しまいには本物でなくても難しいのだという犬飼には意見を聞き、ライはどうしたものかと頭を抱えた。さすがにここまで極端な恐怖症を抱えている人を見たのはライも初めてだ。考えても名案は思い浮かばない。
「んー。……なら試しにだけど、紅月君トリオン体を使って女装してみない?」
「何を言っているんだ君は?」
すると犬飼が名案だと言わんばかりに陽気な声でライへと提案を持ち込んだ。
ありえないだろうとライは相手にすらしないが、犬飼はさらに話を続ける。
「だって紅月君って体の線が細いし、顔も中性的だから似合うと思うんだよね。で、女装なら辻ちゃんの練習にもなると思わない?」
犬飼は冗談半分で意見を呈する。
確かにライの容姿は女性と見まがうほどの中性的で体も細い人気者だ。女装しても似合うだろうことは想像でき、元を知っているから辻の練習にはちょうどよいだろうと考えた。
「馬鹿な事を言うな! 誰がそんな事を好き好んでやると思うんだ? 大体トリオン体の準備だってそう簡単には——」
「あっ。そういう事なら私、ライ先輩が加古隊のユニフォームを着た姿のトリオン体をデータで保存してありますよ?」
「……はっ!?」
しかしそんな恥ずかしい思いは出来るわけないとライは当然否定する。
そもそもトリオン体の準備さえ忙しいのだからできるわけがない、そう正論で否定しようとして、予想外の瑠花から犬飼を支援する声が発せられ、ライの表情が驚愕に染まった。
「ちょっ、しかも加古隊? 瑠花、何で!?」
「それが、何処かから話が漏れたのか見られたのか、以前ライ先輩が二宮隊のユニフォーム姿に換装した事を知ったみたいで。それで私にこの前加古隊長から今度機会があればと、データが送られてきました」
「……犬飼、君か? 瑠花には加古さんに言わないようにと念を押してあるし」
「いやいや、そんなことしてないよ。むしろこういう事って女の子同士で同士で広がるものじゃない? オペレーターを通じて黒江ちゃんとかに伝わったんじゃないの?」
「馬鹿にするな。瑠花や双葉はそんな事をする人間ではない。僕の人を見る目が節穴だとでも言うつもりか?」
「うーん。過保護」
経緯を説明すると、ライの疑念は犬飼へと真っ先に向けられる。そんなわけないと否定し、瑠花の方から黒江たちを通じて加古まで伝わったのではないかと弁明するが、真相を知らないライは二人がそんな事をするはずないと断言するのだった。疑念さえ抱かないその姿勢に犬飼も苦笑を隠せない。
「まあまあ。噂がどう広がるかなんて調べようがないですよ」
「確かにそうだが……」
わかりようがない事を議論しても仕方がないと瑠花が意見を述べるとライも渋々と引き下がった。ライが真犯人の追及をやめると瑠花は安心して息を吐く。
「んー、じゃあ折角準備もあるわけだし紅月君やってみる?」
「加古さんも是非機会があれば試してほしいと言ってました」
「……なんで瑠花までノリノリなの?」
そして犬飼がここぞとばかりにグイグイと話を進めると、瑠花も支援するように情報を差し出した。お調子者の犬飼ならまだしもなぜ瑠花まで乗り気なのか。ライはどうこの局面を乗り切ろうか、悩み始めたその時。
「紅月先輩。できれば改善のために、俺からもお願いしたいです」
しまいには辻からも弱点克服に付き合ってほしいと頭を下げられる。
犬飼とは違って真面目に心からのお願いに、ライもどうしたものかと視線を右往左往した。そして、何やら期待が籠った視線を自分に送り続けている瑠花と目が合う。
「……一回だけ。すぐに終わるからね」
結局妹分の期待には勝てなかった。
————
トリオン体のデータがあるためそこからは早かった。
一度ライがトリオンをオフにすると、瑠花が素早くトリオン体のデータを変更して準備は完了。ライが再びトリガーを起動すると、そこには黒字に紫を基調とした女性らしいジャージに身を包んだライの姿があった。しかも変わったのは服装だけではない。胸部も女性らしく膨らみが増し、髪の毛は頭の横で二つ結ぶツインテール姿へと変貌を遂げている。
(なんでここまで完全な女装姿に……!)
ライは思わずかつての世界の文化祭で味わわされた時の嫌な思い出を思い返し、羞恥心で頬を赤らめた。
「あっはっはっは! いやー、やっぱり似合ってるよ、紅月君」
「……後で見てなよ犬飼」
変わり果てたライの姿を目にして犬飼は腹を抱えて笑うと、ライは『後で犬飼は殺そうと』心に誓う。
「わー……」
「瑠花。無言で写真を撮るのはやめてくれ」
一方の瑠花と言えば感嘆とした表情でひたすらライの姿を写真に収めていた。それだけ今のライの姿が違和感のないものだったのだが、本人からすればたまったものではない。
恥ずかしいからと付け加えると、渋々と瑠花も引き下がった。
だが、この時ライは前回のように他人に画像を送らないようにと指示をしなかった事がまたおかしな方向へと話を展開させるのだが、この時の彼はまだ知る由もない。
「とにかく。ほら、辻。さすがに僕だとわかっていれば大丈夫だろう? 君の為にここまでやったんだから、早く慣れて——」
それよりもとライは辻の方へと振り返った。
ここまで体を張ったのだから弱点を克服してもらわなければ困る。
頼むから早く治ってくれと辻に言い聞かせて。
「ちょっ。なん……紅……先……どこ……」
「ねえ。僕、今君の目の前で換装したよね!?」
「あー。レベルが高すぎて逆効果だったかな」
辻は先ほどと同様に、ライから目をそらし言葉に詰まった。
まさかあまりにも似合いすぎて駄目だったのかと、犬飼が複雑な表情を浮かべる中、ここまでやったのにとライは苦言を呈する。まさかここまで駄目だったのか。辻の致命的な弱点に頭を抱えざるをえなかった。
「ただいまー。紅月君、今戻ったよ」
そしてこのタイミングで、作戦室に鳩原が帰還する。
何も知らない彼女は常の調子でライに普段通りの挨拶をする調子で部屋の中へと入ったのだが。
「……あっ」
隊長が加古隊のセクシーな隊服を纏い、コスプレのような姿となっている光景を目にして表情が固まる。
「えっと。お楽しみのところお邪魔しました……」
「待ってくれ、鳩原! 違う!」
作り笑いを顔に張り付けて退出する鳩原をライが必死に呼び止めた。
この後、彼が説得するまでに10分もの時間を要したという。
————
「あっはっは! いやー、それは大変だったな、紅月君」
「笑い事じゃないですよ。こっちは本当に恥ずかしい目にあったんですから」
「まあそりゃそっか。ごめんって」
あの後、無事に鳩原の誤解を解き、資料作成も終えたライは二宮隊の面々と別れ、個人ランク戦を軽く行うとラウンジのブースで休んでいた。
恥ずかしい目にもあった忙しい一日だったが、平穏なまま終わったのは何よりだ。鳩原の息抜きができた事も大きい。後は何か問題があるとしたら——
「……それで? 一体何の用ですか、迅さん。イコさんたちが最近あなたの姿を本部の近くで見る事が多いから気にかけていましたよ」
「へえ。生駒っちたちが。ま、そっちの件はとりあえず大丈夫そうだよ」
休憩中に話しかけてきた、この迅の存在だろう。
まさかこんな他愛ない話をするためにわざわざ玉狛支部から本部まで来たとは思えなかった。何か要件があるのだろうとライは迅へ促す。
「今日はちょっと、君に頼みたい事があってね」
「頼み?」
彼の察しの良さに感謝し、迅は早速本題へと切り込んだ。
この人からの頼みとは珍しいと考えながらライは相槌を打つにとどまる。
また何か厄介な未来でも見えたのだろうかと、迅の話に耳を傾けるのだった。