『三雲。お前に教えている立場である俺がこう言うのは申し訳ないが。——このままではお前が強くなるにあたって根本的な解決はできないかもしれない』
ふと、三雲の脳内にかつて特訓中に師・村上から指摘されたつぶやきがよぎった。
『入隊直後、C級の時から頭角を現す隊員というのはトリオン量が豊富であったり身体能力や運動神経が高かったり何らかの武術をやっていた者などが多い。だが、お前はトリオンも身体能力もギリギリで武術経験があるというわけでもない』
『……はい』
持っている者との差異、三雲の力量を理解したうえでの冷静な分析は的確なものである。
配慮や甘えなど余分な感情を排した指摘は三雲も痛いほどよくわかっていたことであり、彼の口からも特に反論の言葉はでなかった。
『もちろんそれを覆すための戦術などは存在する。特に攻守の入れ替え、反撃するタイミングを他のトリガーを使って隙を作り、逆転を狙うなんて事は正隊員では日常茶飯事だ。しかし、C級隊員のままではトリガーが一つしか持てないためそれも期待できない』
新たな武器を手に入れようにも己の立場がそれを許さない。
今持っているトリガーだけで戦うにはあまりにも手札が少なく、弱かった。
強くなりたい。その思いは本物だが、思いの強さが必ずしも成長に直結するわけではなかった。
『もちろん今後も基本的な訓練を続け、体になじませる経験を積むという事は将来につながるだろう。ただ、お前が強くなったと自覚できるのはだいぶ先の話になると思う』
『大丈夫です。少なくとも、こうして村上先輩に知識を授かったり訓練の相手をしていただけるだけでも自分にはもったいないくらいですから』
『そうか? そうだと俺も嬉しいな』
今すぐ強くなりたい、強くなっておきたいという思いはある。
ただ、他の隊員のように何かやって来た実績があるわけでもなくトリガー経験も浅い自分がそう簡単に強くなれるなどそんなご都合主義な話があるとは彼も考えていなかった。
だからこそ高望みはしない。
その場は師弟が互いに当たり障りのない受け答えをして、引き続き訓練を行っていた。
——だが。
(……やっぱり、村上先輩や空閑の言う通りだったのか。C級隊員の僕では……!)
今だけは、強くなれなかった自分の過去を悔やむばかりだ。
7件目のイレギュラー門。その発生場所は三雲も所属する三門市立第三中学校の敷地内だった。
門より出現したのは二体のモールモッド。
この学校にはボーダーの正規隊員が所属せず、近くに見回りの防衛隊員もいなかったためこのままではただ犠牲者が出るのみ。そんな状況下で居ても立っても居られなかった三雲はモールモッドを食い止めることを決断した。
『……本当にオサム、死ぬぞ? モールモッド一体殺すためには最低でもオサムが一五人は必要だ。仮に殺せたとしても一二人のオサムはやられてる。俺は大人しく他のボーダーを待っていた方が良いと思うぞ』
すると勇み立つ三雲の姿勢を諫めたのは空閑だ。
昨日も自分たちを助けた空閑を三雲は近界民であっても彼は信用に値すると考え、正体を隠すように何度も警告し、三雲もその正体について他言はしないと決めていた。
その力ある近界民からの忠告。
正体を明かすなと言った以上は彼の力を借りるわけにもいかず、自分が戦いに行くのもおそらく空閑の予想通り勝ち目は薄いのだから、彼の言う通り大人しく避難すべきなのだろう。
「——僕は行く。勝ち目が薄いからって、逃げるわけにはいかない!」
それでも三雲は戦う事を選んだ。
勝機は限りなく低い。加えてC級隊員である自分は本来訓練以外でのトリガー使用を禁じられているのだからたとえこの場を切り抜けたところで先はないだろう。
しかし、だからと言って何も出来ない自分を許す事が出来なかった。
トリオン体に換装した三雲はレイガストを起動し、校内へ侵入したモールモッドを追跡する。
「うおおおおお!」
間一髪、生徒たちに刃が振るわれる寸前で追いついた三雲はレイガストで敵のブレードを切り落した。
攻撃を防いだ次は刃モードから盾モードに切り替え、窓ガラスから侵入したモールモッドを叩き落とす。
「皆、すぐ上へ逃げるんだ!」
巨体が外へ落下した事を確認し、三雲は学生たちへ避難するよう指示を飛ばした。
皆一目散に三雲の横を通って階段を上っていく様子を気配で察しつつ、視線はもう一体のモールモッドへと向け続ける。
直後、鋭い一撃が三雲へ襲い掛かった。
「ッ!」
まるで鞭のようにしなるブレード。
それを盾ではじく。
すかさず反撃へ、と移ろうとする三雲に今度は逆のブレードがや休む間もなく襲い掛かった。
(——速い! 駄目だ、倒そうにも近づく事さえできない!)
左右のブレードが次から次へと迫りくる。
敵の連続攻撃を前に三雲は盾で受けるのが精一杯だった。
もしも三雲が正規隊員だったならばあるいはスラスターなどのオプショントリガーを使ったり、他の攻撃用のトリガーで別な突破口を探していたかもしれない。
だが三雲はC級隊員。レイガストしか使えず、それだけで逆転を狙えるほどの身のこなしも持ち合わせていなかった。
「ッ!」
そして、ただ防ぐだけの展開が長続きするはずもなく。
ついにレイガストの盾が破れ、モールモッドの刃は三雲の体を切り裂いた。
(しまった——!)
トリオン体に亀裂が走り、爆ぜる。C級隊員のトリガーには緊急脱出機能もないため、モールモッドの眼前に無防備の三雲の姿が取り残された。
(だめだ、もう。今度こそ、)
かつて味わった死の恐怖が再び三雲に襲いかかる。
あの時のような誰かが助けてくれるなんて奇跡はもう望めない。
今度こそ、終わりだ。
モールモッドのブレードの刃先が三雲に向けられた。
(死―—)
もはや守る術がない三雲は衝撃に備え、瞳を閉ざす。
「
瞬間、三雲の耳に響いたのは空閑の声だった。
恐る恐る目を開けると、空閑がトリガーを起動してシールドを展開して。
まるで三雲を守るように彼の目の前に立っていた。
「空閑!? お前何をやっているんだ! トリガーを使えば近界民だとばれるから使うなって!」
「ああ。だからオサム、お前のトリガーを少しだけ借りるぜ」
「……えっ?」
これ以上空閑のトリガーを使えば彼が近界民だと判明するのは時間の問題だ。
咎める三雲であるが、空閑もただ無策でこの場に現れたわけではなかった。
彼の左手には、先ほどまで三雲が使用していたボーダーのトリガーが握られていた。
「トリガー、起動」
たちまち空閑の体がトリオン体へと換装される。
三雲の愛武器であるレイガストを握り、対峙するモールモッドを睨みつけた。
「大丈夫だ。オサム。これなら俺がやったってバレない」
「なっ。駄目だ! 空閑! それは、訓練用のトリガーなんだ!」
制止を呼びかける三雲を他所に空閑は駆け出す。
自分の何倍もある巨体を相手に真っ向から突っ込んでいった。
モールモッドのブレードが振り下ろされる中、空閑はすれ違いざまに両の刃を切り落とす。
「こういう狭い場所では、自由に動ける俺の方が有利だ」
相手の武器を破壊すると同時に背後を取ると、刃を壁に突き刺して急ブレーキ。がら空きであるモールモッドの背中からレイガストを振り落として一刀両断した。
「なっ……!」
一瞬の攻防で自分を倒したモールモッドをあっさりと撃退した空閑の姿に三雲は開いた口が塞がらない。
だが、驚いている余裕もなかった。
空閑の横、窓ガラスの方角から先ほど叩き落としたモールモッドが再び壁をよじ登り、空閑を攻撃せんとブレードを振るう光景が目に入る。
「空閑!」
「おっ、そっか。もう一体いたな」
三雲の叫びに呼応するように空閑は盾を起動しこの猛威を防いだ。
そしてすかさずレイガストの矛先をモールモッドへ向けて刃を突き出して。
「ん?」
レイガストが衝突する寸前、大きな衝撃と破裂音が響いた。
強力な一撃により機能を停止し、続けざまにレイガストがモールモッドを貫いた事でモールモッドは完全に崩壊。
音を立てて校舎の外へと落ちていく。
「……なんだ、今の? 俺の他に攻撃が来なかったか? ボーダー隊員か?」
『少なくとも周囲五百メートル以内にトリオン反応は見られない。ボーダーだとするならば狙撃手によるものだろうな』
「ふむ。では急いだ方がよさそうだな。じゃ、オサム。頼んだぞ」
「はっ?」
明らかに第三者による攻撃。おそらくあの一撃だけでもモールモッドが撃破されていただろうと予測できるほどの衝撃がモールモッドの急所に放たれていた。
その攻撃の出どころを疑問に思う空閑だったが、近くにはまだトリオン反応が見られない。
おそらくは狙撃手によるものだろうと宙に浮かぶお目付け役のトリオン兵・レプリカの指摘に空閑も真相を隠すべく次の行動に移るのだった。
————
同時刻、三門市立第三中学校からおよそ700メートルほど離れたマンションの屋上に、ライの姿があった。
「——
『お疲れ様です、紅月先輩』
「ああ。綾辻も突然のサポート、ありがとう。今度何かおいしいお菓子でもごちそうするよ」
『わっ。やった!』
イーグレットでモールモッドを撃ち落としたライは綾辻と通信をつなぎ、彼女の助力に感謝の言葉を述べた。
あの警報の直後、ライはすぐに席を立つとトリガーを起動し、基地の外に出るやエスクードカタパルトで跳躍。
それを二度繰り返し、いくつもの建物の屋上を飛び越えて現場までの射線を通すと、かつてある事件でも実行した空を移動中の狙撃を敢行。モールモッドを撃破していた。
当時は見回りの嵐山隊が遠くにおり、間に合わないかもしれないという綾辻からの報告。それを聞いたライの行動は的確で、彼女のサポートもあって無謀な狙撃も成功させた。嵐山隊の到着より早く攻撃を実行した彼の行動はお手柄だろう。
「それより、綾辻。本当にもう一体の敵性反応も消えたのか? ——うん?」
『ええ。これでイレギュラー門から出現したトリオン反応はどちらも消滅しました。確認できたのはその二体のみです』
「……どういう事だ」
『えっ? どうしました?』
オペレーターをねぎらいつつ、ライは警戒を怠らないように、今度は屋上から落ち着いた状態で照準器をのぞき込む。
綾辻と戦況を確認しつつ撃破したモールモッドの姿を捉えて。
そしてその光景に疑念を抱いた。
「僕は今イーグレットを一発撃っただけだ。それなのに、あのモールモッドには鋭い切創のような大きな跡がみられる」
『本当ですか? では、その近くにもう一体を撃破した隊員がいるはずです。見えますか?』
「……だめだな。ここからは見えない。すでにフロアを移動したのかもしれない。嵐山さんたちは?」
『まもなく現着します』
「そうか」
明らかに狙撃とは別に致命傷となった痕跡だ。
となると先に消滅したもう一体の敵を撃破し、さらにこの攻撃を行った人物がいるはず。
それも駆け付けたライでもなく、防衛任務で向かっている最中の嵐山隊でもない別の誰かが。
「……ならば綾辻。すまないが後は嵐山隊に任せるよ。一度僕はボーダー本部へ戻る」
『わかりました。ご協力感謝します』
とはいえ見つけられない以上は仕方がない。
ここから先は任務に当たっている嵐山隊に引き継ぐべきだろう。
ライは綾辻に以後の仕事を託すと自らは背を返しボーダー本部へと歩き出した。
緊急戦闘以外の場面にまで首を突っ込むのは出過ぎだろう。相手がA級・広報部隊の嵐山隊となればなおさらだ。それよりも本部待機を命じられている自分はまた非常事態に備えなければならない。
「構わないさ。防衛任務は防衛隊員の仕事だからね。何かわかったら教えてくれ。場合によっては、僕も後程あの学校を見に行くよ」
『もちろんです。それでは、また』
ゆえに急いでライはその場を後にした。
綾辻と通信を切ると真っ直ぐボーダー本部へと帰還する。
もちろん、正体不明である謎のトリガー使いについて注意を払いながら。