「……有吾さんのお子さんか。有吾さんが亡くなった事は非常に残念だが、本当に有吾さんのお子さんであるならば今は彼との出会いを喜ぶべきだな」
三雲、迅、ライの3人の報告は情報量が多く、上層部の面々——特に忍田、林藤、城戸といったボーダー最初期から活動していたメンバーに多大な衝撃を与えていた。
忍田は空閑の父であるという空閑有吾の死を聞き悲しみに暮れるも、その遺児の出現に頬の力を緩める。
空閑の語っていた通り、彼の父の名を挙げた事でボーダー組織の空閑に対する認識は大きく変わった。空閑有吾は旧ボーダー時代から活躍した男。城戸の同期に当たり、林藤や忍田にとっては先輩にあたる存在であるため無視できない大きな人材だ。
その空閑有吾が彼らの前から姿を消してから長い年月がたった。今になって彼の息子を騙るとは考えにくく、しかも知り合いであるという最上宗一もライの想定通りの存在であったため、彼らは空閑という人物を空閑有吾の息子とみて間違いないと受け取っている。
「たしかにな。もしも空閑が今も健在であったならば、喜ぶべきだったのだろう」
「——おや。城戸司令にとっては遊真の存在はそんなに嬉しいものではなかったんですか?」
一方、城戸は忍田の発言に一部共感を示しつつも、そう言葉を濁すにとどまった。その発言に裏を感じ取った迅はここで道を間違わぬように目ざとく問いかける。
「手放しに喜ぶ事は難しいという事だ。もしも空閑が共に来ていたならば話も早かっただろう。だが、今こうして敵対関係となり、相手の目的もここでは果たせないと判明した。加えて彼はこちらの世界やボーダーに対して無頓着であると聞く。話をまとめるのは困難だろう」
「……確かに。父親もその知人もすでにこの世を去っているとなれば、彼の動向は読めなくなりますね。相手はこちらを警戒しているようですし」
城戸の言葉に唐沢も追従した。
元ボーダー組織に所属していた人物の息子と言ってもそう簡単に受け入れる事は難しい。
そもそも城戸たちが息子がいるという事実を把握していなかった事からも空閑遊真という人物とこちらの世界に関する接点は非常に薄いという事は明白だった。もしも彼が何らかの願いがあるならばそれを切欠に交渉を始める事も出来ただろうが、それも叶わない。それどころかライの『もしも最上宗一と出会えなければどうするのか』という質問に否定的な発言をしていたという事実も城戸にとってはマイナスに映る。
「ならば彼を一度ボーダーへ誘ってみてはどうでしょうか? 本部の事は警戒していますが、うちならば俺がすでに何度か会話もして警戒心は薄いです。少なくとも話は聞いてくれるでしょう」
「何っ!?」
「近界民をボーダーに入れるというのかね!?」
しかし迅はまだ手はあると空閑の玉狛支部への勧誘を提案した。
迅の言う通り、彼は空閑から信頼も得ており、彼からの誘いとなれば話のテーブルには応じるだろう。
とはいえ元ボーダー隊員の息子とはいえ、空閑はあくまでも近界民。鬼怒田や根付からは反対の声があがった。
「ええ。黒トリガーがボーダーに入れば大きな戦力だ。余計な消耗を生まずに済みます」
「私も賛成だ。可能性があるならばぜひとも試しておくべきだろう」
「じゃ、私も賛成で」
黒トリガーほどの力となれば取り込めるに越した事はない。迅がそういえば忍田も真っ先に同調し、林藤も流れに乗って手を挙げた。
「一理はあるものの……」
「果たして敵対した近界民が味方になるのかどうか……」
「ふむ。現状を鑑みるに、下手な争いは避けるべきだと思いますが」
その理屈はわかるからこそ、鬼怒田や根付は強く反論できない。
ここまで静観を決め込んでいた唐沢もそう語るに留まり、明言を避けた。
「……良いだろう。黒トリガーの件は今は置いておくとして、空閑遊真に勧誘を進めるとしよう。迅、そして三雲隊員。信頼を得ている君たち二人から、話を進めてくれ」
「城戸司令!?」
「——了解」
「はい!」
賛否両論の雰囲気が流れる中、トップである城戸の口から勧誘を許可する命令が下された。
鬼怒田は声を荒げ反対の意を示すものの、迅や三雲の返答によってかき消される。
「では二人は早速向かってくれ。会議はここで解散とする。何か進展があれば報告するように。それと——紅月隊長。君は少し残ってくれ」
「……わかりました」
こうしてこの日の会議は終了を迎えた。
この決定に三雲や迅は気をよくして会議室を後にし、さらに林藤や忍田も席を立つ。
続々と人が減っていき、そして部屋には城戸と鬼怒田、根付、唐沢と言った城戸一派、そして待機を命じられたライの5人が残された。
他の面々が退出された事を確認し、城戸が再び話を展開する。
「紅月隊長、実際に目にし、話をした君に聞きたい。君の目からみて空閑遊真という人物は信じるに値する相手か? 彼は今後どうすると読む?」
城戸は単刀直入にライへ本筋を問う。突如話を振られたライはわずかに目を細め、慎重に言葉を選んだ。
「城戸司令。僕は——いえ、私はあくまでも彼とは今日出会ったばかりであり、話をした時間もごくわずかです。それゆえに情報は非常に限定されたものとなりますが」
「それで構わない。三輪隊長からも話を聞いているが、中立な立場に立てるであろう君から第三者としての意見を聞いておきたい」
「……わかりました」
重ねて頼まれてしまえば話を流す事も難しい。
ライは小さく息を吐いて一つ間を置くと、城戸の期待に応えるべく空閑遊真という人物について語り始めた。
「戦闘力に関してはおそらく三輪隊長も語った通りで間違いないはずですので、人間性について語らせてもらいます。彼は三雲隊員と同年齢という事もあって年相応の表情を見せるときもありますが、敵対していた相手と向き合っても動じないほどの胆力があります。おそらく近界で多くの国を渡ってきたのでしょう。強い敵対心は見られず、あちらから仕掛けてくる可能性は極めて低いとみられます。現時点ではこちらから何か手を出さなければ無害と考えてよいかと」
「……ふむう。では、君も彼を信じても良いと?」
戦闘力はもちろん、決して物怖じしない態度はライにとって非常に好感的に見えるものだ。相手から積極的に仕掛けるそぶりを見せないという点も荒立てるつもりはないという意思表示と考えられた。
空閑を擁護する言葉が並び、『君も迅達と同じ意見なのか』と根付は冷や汗を浮かべてライへと問いを重ねる。
「——それはまた別の話です」
すると、意外にもライからは否定の意見が飛び出した。
「何故だ? 紅月、お前は空閑遊真という人物を評価しているように聞こえたが」
「彼には『自分』がないと捉えました。こちらの世界に来た理由も目的も全て父親からの言葉です。しかもその目的は果たせない。となれば——」
『——もう、生きる意味がない』
「——彼がこちらの世界を去るという可能性は捨てきれない」
鬼怒田の発した疑問に、ライは苦々しい記憶を呼び起こしながら答える。
彼もかつて生きるべき理由を、場所を失って失意の中消えようとした過去があった。
だからこそ空閑も同じ道をたどる可能性はあるだろうと考える。その意見は確かにありえる話だった。唐沢が彼の話に続く。
「なるほど。迅隊員の誘いに応じず近界に戻るという事か。確かにそれも十分考えられますね」
「はい。応じるならば何か別の目標を作ることでしょうが、果たしてそう簡単にできるかどうか。そして仮に応じたとしてもそのまま玉狛支部に残るでしょうね。となれば、また別の問題が浮上するという事は、城戸司令はよくご存じでしょう」
さらに先の展開を読んでライがそう話を締めくくった。
「なるほど。よくわかった」
別の問題、それが派閥問題を指しているという事は語るまでもなく城戸も理解している。
ボーダーの三つの派閥がある中、今でこそ城戸派が一番大きな勢力となっているが、もしも空閑が玉狛支部に加わればその勢力図がひっくり返るだろう。それほど黒トリガーとは大きな戦力だ。たとえ空閑がボーダーに加わったとしても、迅と合わせて黒トリガーが玉狛支部に二つもあるという展開は許容しがたい。
「君の言う通りだ。空閑の息子がボーダーに加わろうと、この世界を去る事になろうとも。黒トリガーは何としても我々が手に入れる」
たとえ相手が親しかった知人の息子であろうとも関係がなかった。
険しい表情を浮かべたまま、城戸が確固たる方針を示す。揺るぎようのない意志が示され、鬼怒田や根付は安心して肩の力を抜いた。
「ご苦労だった、紅月隊長。本来担うべきでない任務にも忠実に励んでもらい、感謝する」
「いえ。お役に立てたのならば幸いです」
「うむ。ただ、空閑遊真の問題は解決していないがここまでで十分だ」
「——と言いますと?」
予想していなかった城戸の言葉にライの眉がピクリと反応する。まだ問題が未解決である以上、ライは今後もこの事件に関与するつもりだったのだが。
「君に頼んでいたのはあくまでも正体不明であったトリガー使いの調査だ。その役目はすでに果たされた。これ以上は約束を反故する事になるだろう」
「僕は別に構いませんが……」
「加えてつい先日、隊員を総動員して任務に当たった事により防衛任務にも滞りが出来ているのが現状だ。本部に滞在していた君をこれ以上こちらの任務に当てる事は得策ではない。君にはまた本部で有事の際に備えて欲しい」
続行の意思を示すライに城戸が正論をぶつけた。
城戸の言う通りそもそものライの役目は人物判明までの調査であり、今日の戦闘で明らかとなっている。さらにラッドをC級隊員まで駆り立てて捜索した直後とあり、普段様々な場・環境で防衛任務に当たっていたライの不在が防衛任務に大きな影響を与えていた。
防衛隊員の本来の仕事がおろそかになっては本末転倒である。こう説明をされてはライも強く反論は出来ず、ただ頷くしかなかった。
「……わかりました。では僕はここで調査からは外れ、防衛任務に戻ります。三輪隊長たちにも話をしておきましょう」
「話が早くて助かる。今回の報酬は追って沙汰しよう」
「はい。それではこれにて失礼します」
それ以上意見する事はなく、ライは素直に一礼して会議室を後にする。
こうして防衛隊員が全員去った後、真っ先に口を開いたのは鬼怒田だった。
「……よろしかったのですか、城戸司令? 紅月は単独であっても相当な戦力になるでしょう。防衛任務とてイレギュラー門が解決した今ならさほど問題にはならないはず。引き続き任務に当てなければ、三輪隊だけでは黒トリガーの回収は難しいのでは……」
すでにボーダーの悩みの種であったイレギュラー門が生じる事はない。
ならば三輪隊が敗れた今、ライ抜きでは黒トリガーを手にする事は難しいだろうと意見した。
「構わん。それよりも忍田君も賛同に回った今、本来彼の指揮下にある彼をこちらに置いておくことは得策ではない。それこそ派閥争いが本格化する恐れがある」
城戸がライを解任した理由は派閥争いが激化するのを恐れての事。そもそも彼を任務に引き入れることが出来たのは敵が正体不明の相手であったからこそ。ライも空閑がボーダーに入るとなればこれ以上城戸側につくとは言い切れず、元々の上司にあたる忍田が空閑遊真を支援する側に回った事でライもそちらに回る可能性も考えられた。強引にライを留めておくことで忍田派が完全に玉狛派側につく大義名分とされても問題である。
「戦力としても、問題はない。まもなくこちらの戦力が揃う」
「揃う? どういう意味ですか?」
「もうすぐ帰ってくるんですよ、根付さん」
戦力低下に関しても城戸は承知の上だった。余裕さえ感じられる言葉ぶりに根付が聞き返すと、唐沢が彼の疑問に答える。
「あと数日で、遠征中のA級トップ3部隊が帰還する予定です」
「なるほど!」
「おお!」
その報告に鬼怒田も根付も表情を明るくした。
長くボーダーから離れていた城戸直属の部隊、トップ部隊の帰還。これほど頼もしい存在はない。確かに彼らがいれば黒トリガーといえど恐れる必要はなかった。
「その通りだ。遠征組に三輪隊を合流させ、A級4部隊合同で黒トリガーを確保する」
城戸がそう言って話を締めくくり、今度こそ会議は本当の終わりを迎える。
A級4部隊が揃えば確実に事は成功すると皆信じて疑わなかった。
————
「よかった。また会えましたね、お兄様」
「……お久しぶりです。この度はご心配をおかけしました」
自分を笑顔で出迎えた瑠花王女にライは深々と頭を下げた。
ライが調査に当たっている間は当然本部で備えることが出来ないため、瑠花王女にも断りを入れていたのだ。その役目が終わったと報告すると、彼女から顔を見たいというメッセージをもらい飛んできたのである。
(お兄様と呼ばれただけで少し気持ちが軽くなるのだから、僕も相当だな)
特別な愛称で呼ばれて心臓が柔らかく脈を打つ感覚を覚えた。どこか温かい気持ちになった自分の事を単純だと思いつつ、ライはうっすらと笑う。
「話は忍田からも聞いています。……まだ波乱が起きそうですね」
「大丈夫です。何があろうともあなたの事は僕が守ります。改めて今一度約束しましょう」
「——ええ。信じていますよ」
再び黒トリガーを担う人物が現れ、それをめぐって対立が起きかねないという事は瑠花も耳にしていた。
同盟国の組織で内部対立が起こるとなれば不安に思って当然の事。彼女の感情に理解を示しつつ、ライは再びこの場で彼女を守る事を誓ったのだった。
「ただ、しばらくの間は不便を感じさせてしまうかもしれません。明日以降はこちら側も向こう側も何か動きが出る可能性があります。外出も制限が出るかもしれません」
「明日以降? 今日は大丈夫という事ですか?」
「はい。僕から黒トリガーへ今日一日は手を出さないと約束しています。玉狛支部から勧誘の話をするという事になっていますので、今日一日は事態が動くことはまずないでしょう」
「そうだったのですね」
瑠花王女の存在はボーダーにとって非常に重要なものだ。
彼女の身に何かあれば組織の存続にも影響しかねない。そのため空閑の動向が読めない間は彼女の行動に制約が生まれてしまうのは当然と言えた。
「ですので、もしもどこか出かける用事があるならば今日済ませておいた方が良いと思います」
「ライ、あなたはこの事態がいつまで続くと読んでいますか?」
「……どうでしょう。城戸司令はどうあっても黒トリガーを確保したいようですので。黒トリガーの、玉狛支部の出方次第ではあるでしょうが、一週間近く続くという可能性も十分あるとは考えます」
「まあ!」
ライの予測に瑠花王女は目を丸くする。大事であるとはいえ、一週間も長引くとは彼女も考えていなかった。ただでさえ立場の為にあまり自由に動き回れない中、それほどの期間の行動制限が出るとなれば不満もたまる。
「残念です。年末なので品ぞろえも増えますし、先日桐絵からも色々と情報をもらったのでまたお洋服など買いに行きたかったのですが」
「服ですか。となるとやはり沢村さんと一緒の方がよろしいですね」
「そうですね。ただ、響子が頷くかどうか」
不服そうに瑠花王女がため息をついた。
桐絵とは玉狛支部の小南桐絵の事だろう。瑠花王女の弟である陽太郎が玉狛支部に預けられており、さらに瑠花王女とは年齢が同じという共通点もある。彼女とこういう話をしていてもおかしくはなかった。
他の買い物ならばライ一人で十分だろうが、衣類となれば同姓からの声を聞きたいと思うのは当然だ。しかし沢村も仕事があるため当日にいきなり付き添いを頼んでも難しいはず。
「……僕からの観点でよろしければ、彼女の分もお供しますがどうでしょう?」
普段は洋服などの買い物時はライは外で待機するようにしていた。
さすがに女性物の服屋に異性である自分がいるのは居心地がよくないからだ。
しかし今回に至っては仕方がないと割り切り、ライは自ら意見を述べる。
「よろしいのですか?」
「ええ。僕でよろしければ」
「……本当に?」
「二言はありませんよ」
「では、ランジェリーショップでもお兄様の意見をお願いしますね?」
「全力で沢村さんを説得します」
揶揄うような笑みを浮かべて誘う瑠花王女を前に、ライは初めて彼女に掌を返したのだった。さすがに下着を一緒に選ぶのは耐えられなかった。
————
その後、結局ライは忍田を通じて沢村を説得した。
しかし彼女の仕事が終わるのを待ったために、出かけたのは話から二時間ほどが経過してからだった。
「響子、今日はありがとう。よろしくお願いします」
「任せて、瑠花ちゃん!」
遅くなったものの、瑠花王女と沢村に疲れや不満は見られない。沢村もついでに自分の買い物をするようで、意気揚々とモール内を歩いて行った。
護衛件付き添いのライは被りの深い帽子とサングラスを着け、二人の少し後ろを歩く。
(……よかった。本当に沢村さんが来てくれてよかった)
もしも沢村が話に応じてくれなかったならばライは自分の浅慮を責める事になっただろう。心の内で彼女に多大な感謝を告げるのだった。
「では、僕はここでお待ちしています」
「できるだけすぐに戻ってくるね」
「……それとも、男性からの意見を教えてもらえますか?」
「ここでお待ちしています」
手を振る沢村、重ねて誘う瑠花王女を見送り、ライは少し離れた場所に移動すると携帯端末を取り出す。
何か緊急の用事はないか一通り目を通した後は時間を潰すべくニュースアプリを起動して——
「なんだ。またこんなところで会うなんて奇遇だね、紅月君」
ふと、背後から聞きなじんだ声に呼びかけられた。
「……なるほど。小南の方からの誘いというのも、あなたの思惑が混じっていましたか」
「なんの事?」
「本部で会おうとすれば城戸司令やその派閥に入っている者の目に止まる。だから僕が外に出るしかない環境を見たんじゃないんですか? ——迅さん?」
振り返れば、会議室で別れたばかりの迅の姿が見えた。
呆けた声を続ける迅に、ライは視線を鋭くして問いかける。
「疑い深いなあ。——ま、ヒマならば少し話をしようよ。君に提案がある」
そんなライの緊張をほぐすように、迅はそのままの声の調子で話をはじめたのだった。