「マジで迅さんじゃん! おいおい、本当にやる気かよ」
予想通りの迅との接触。「嫌になるぜ」と当真が息を漏らした。
「よう当真。久しぶり。冬島さんはどうしたんだ?」
「うちの隊長なら船酔いで今頃——」
「余計な事を敵にしゃべらなくて良い、当真」
「っと。そうだった。りょーかい」
彼の声に、姿が見えない冬島隊隊長・冬島の行方が気になったのか迅が当真に話しかける。
当真は何気なくその疑問に答えようとしたが、風間が少しでも情報を隠すべく彼の言葉を遮るのだった。
「俺たちを待ち構えているということは、こちらの目的もわかっているという事か?」
「うちのかわいい新入りに手を出しにきたんだろ? これから伸びる若い芽が育つのを邪魔しないでほしいんだけどな」
「無理だ、と言ったらどうする?」
「ならば俺は実力派エリートとして、彼らを守る事になる」
好戦的な笑みを浮かべる太刀川の発言に、迅も腰に備えた風刃に手を添えて答えた。そちらの返答次第では、黒トリガーを抜く事さえいとわない。そう言外に語っていた。
まだ刀を抜いていない。
しかし迅のこの宣言に三輪をはじめ、急襲部隊全員が身構えた。
「余裕だな。お前ならば知っているだろう? 遠征部隊に選ばれるという事はすなわち、『黒トリガーに対抗できる』と上層部が判断した部隊という事だ。俺達の部隊を相手にお前ひとりで勝てるというつもりか?」
風間が迅を睨みつけるが、相手は笑顔を崩さない。
迅とてそれくらいの事は知っていた。
だからこそ、ここまで準備してきたのだから。
「まさか。遠征部隊に三輪隊が加わったとなれば、俺の黒トリガーでもよくて五分五分と言ったところだろう。——『おれ一人だったら』ね」
その言葉の直後、迅と遠征部隊の中間地点に建つ家屋の屋上に、三つの影が降り立った。
赤を基調とした隊服に、盾と五つ星のエンブレムを胸に宿す部隊。
「嵐山隊、現着した。忍田本部長の命により、これより玉狛支部に加勢する!」
忍田派の筆頭である嵐山隊が参戦する。嵐山がそう宣言すると迅を支援するように彼の後ろに着地し、さらに木虎と時枝も続いた。
「嵐山隊だと!」
「なるほど。忍田本部長派と手を組んだか」
予想外の敵の援軍。
三輪が苦々しく表情を歪め、太刀川は冷静に戦況の変化を察してつぶやいた。
嵐山は『忍田本部長の命』と言っていた。つまり城戸派・忍田派・玉狛派とボーダーに属する三つの派閥の内、二つの派閥が敵に回ったという事になる。
これで黒トリガー二つと本部隊員の1/3が敵側となった。もはや一刻の猶予もない。
「ああ。嵐山たちがいれば、こっちが勝つよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる。——さて、どうする太刀川さん? ここで退く事をお勧めするけどね」
敵の機微に乗じ、露骨に煽る迅。
笑みを深くしてそうつぶやく相手に、しかし太刀川はつられるように口角をあげるのだった。
「珍しく本気だな、迅。おもしろい。——おまえの予知を覆したくなった」
それが開戦の合図となった。
太刀川が懐の弧月を引き抜き、構える。
同時に奈良坂や当真をはじめとした狙撃手たちが潜伏すべく移動を開始し。
三輪や風間たちが前に出て、嵐山たちも応戦すべくアサルトライフルを握りしめた。
「太刀川さんなら、そう言うと思ったよ」
迅も対抗すべく風刃を引き抜いた。
暗闇の中、刃が緑色の輝きを纏い周囲を照らす。
ライも『一手で戦局をひっくり返す』と危険視していた迅の力が、真価を発揮しようとしていた。
————
「嵐山隊だと……!?」
「ど、どういう事ですか!」
嵐山隊の参戦。
この情報は前線で戦う戦闘員だけでなく、事の顛末を見守るボーダー上層部をも驚かせるには十分すぎる衝撃であった。
ボーダーの顔と呼ばれ、忍田派の中でも最有力部隊と言っても過言ではない。それが嵐山隊だ。彼らが敵に回ったという事実に鬼怒田は声を荒げ、根付は信じられず視線を右往左往する。
「迅隊員がここまで本気であったとはな」
城戸もさすがにこればかりは考えていなかったのか、そう呟いた。
迅だけならば何も問題はないと考えていた為に敵の援軍は寝耳に水である。苦戦は必至だろう。
「……どうしますか、城戸司令。何か手を打ちますか?」
戦況の変化に対応するならば早い方が良い。唐沢が城戸に促すと、しばし考えに耽った城戸が重々しく口を開いた。
「とりあえずこの行動の真意を問うべく、忍田くんをここに召喚しよう。さらなる敵の援軍を防ぐ事にもつながる」
「それだけで良いのですか? 迅隊員が出たという事は、おそらく勝機が
あまりにも積極性に欠けた手だ。
遠征部隊の力を信じていると思われるが、過信して万が一彼らが敗れるようなことがあっては後手に回る事になる。追撃をしようにも相手が立て直してしまっては機会を損ねる事となるだろう。新たに部隊を編成するとなれば時間がかかるのだから。
唐沢は最悪の可能性を想定し、さらに進言を重ねるのだが。
「構わん。すでに、いざという時に備えた手は打っている」
問題が生じたときの備えならすでにある。城戸は唐沢の言葉を切り捨てた。
この決定の直後、すぐに忍田が召喚に応じ会議室に来室。
城戸が彼から話を聞いている間に菊地原が撃破されたという報告が上がる。さらに程なくして歌川が落とされ、風間と太刀川も緊急脱出寸前という最悪の知らせが伝わった。
もはや形勢は玉狛・忍田派に、迅側に傾きかけたと思われたその時。城戸がついにある人物に命令を下したのだった。
————
迅・嵐山隊とA級合同部隊の戦いは二手に分かれ、二方面で行われていた。
一方は迅と太刀川および風間隊、そして当真を除いた狙撃手による戦い。こちらは迅の副作用と風刃という相乗効果によって迅が優位に立っている。
もう一方の嵐山隊と三輪・米屋・出水・当真の戦いは合同部隊が優勢を保っていた。
米屋が木虎のワイヤートラップに引っかかり、撃墜されたものの米屋はただでおわらず置き土産に彼女を屋外に突き出し、射撃の的とする。出水の攻撃は時枝が間一髪でフォローに回り防いだものの、当真の狙撃が彼の頭と木虎の足を撃ち抜いた。
すでに嵐山の体にも鉛弾が撃ち込まれており、嵐山隊は機動力を大きく失っている。
このまままともに正面からぶつかっては勝ち目がない。嵐山はそう判断し、カウンターを狙って自陣に相手を引きずりこむ手を考案したが、相手が乗ってこなかった。三輪と出水が迅の方へと進行を開始。嵐山を無視して敵を挟撃しようとする動きを見せた。
これが本当に迅を狙うのではなく、あくまでも嵐山たちを引きずりだすことが狙いだと嵐山や木虎は読んでいた。しかし三輪達の相手を任された以上はこれを見逃すというわけにもいかず、追撃を選択する。
(急がなきゃ。嵐山さんが狙われる前に、速攻で落とす!)
バッグワームを展開し、レーダーから姿を消した木虎が闇夜を賭けた。
現在、嵐山と木虎は別行動である。出水と三輪、レーダーで位置が判明している二人を嵐山が後方から追い、その間に木虎が潜伏中の当真を探索していた。
嵐山が敵対している合同部隊のうち、残っているのは三輪・出水・当真の三名だ。そのうち三輪と出水だけは常にレーダーに映っているために所在が判明しているのだが、狙撃手である当真だけはバッグワームを常時展開しているため、今はどこにいるのかさえ分からない。
そしてこの当真こそが最も危険な相手であると嵐山と木虎は考えていた。
並み居る狙撃手を差し置いて狙撃手一位に降臨する天才。先ほども時枝を打ち抜き、木虎の足を奪ったその腕は誰もが認めるもの。そんな脅威が姿を消し、今もこちらを狙っている圧は相当なものだ。故に真っ先に排除し、後顧の憂いを断つことが最善策。
(今ならば当真先輩たちも油断しているはず。そのうちに!)
木虎は自身の左足へと視線を落とす。
先ほど当真に吹き飛ばされた左足には、スケート状に形を変えたスコーピオンが展開されていた。スコーピオンの自在に形を変えられる性質を応用し疑似的な義足としたのである。
常と比べれば当然速度は劣るものの、それでも普通に移動する分には支障はない。おかげで木虎は次々と狙撃ポイントをしらみつぶしに駆け巡ることができた。
敵は潜伏する敵を探すだけの木虎の足がないと考え、嵐山が今も交戦している三輪・出水のどちらかを狙っていると考えているはず。敵が誤認している今が好機だ。
近くの公園から騒々しい爆撃音が木霊する中、木虎は戦場を一望できるマンションの階段を駆けあがる。
(——いた!)
そして木虎はついに標的を視界にとらえた。
当真のシンボルマークであるリーゼントがベランダから飛び出している。彼が構えるイーグレットは眼下の公園へと向けられており、やはり奇襲に対しては無警戒のようであった。おそらくは機動力を奪われた相手が自分に来るとは思ってもいないのだろう。
(ここで落とす!)
木虎は当真が侵入した経路と思われる空きっ放しのドアから部屋の中へと侵入する。
当真と同様に木虎もバッグワームを展開している今ならば接近に気づかれる事はない。音を立てないように慎重に、かつ迅速に当真へと近づいていった。
そしてついに当真のがら空きの背中が眼前に迫る。
このまま義足となったスコーピオンを振り払えばおしまいだ。木虎は助走をつけ、ベランダへと一目散にかけていく。
(獲った!)
当真の頭部だけを見て、勢いよく駆ける木虎。
左足を振り上げ、切れ味のよいスコーピオンが当真の頭を真っ二つにする。
「ッ!?」
——そのはずだった。
軸足である右足が何かに引っかかり、バランスを失った木虎はその場で転倒してしまった。
「なっ!?」
衝撃に思わず声を漏らす木虎。
一体何が、と木虎は自分の動きを阻害したものへと視線をむける。
そこには良く目を凝らさないと見えない鋼線が仕掛けられていた。
「ワイヤー……?」
「ああ。
「——ッ!」
それは先に木虎が米屋撃破の為に使ったものと全く同じトリガー・スパイダーだった。
意趣返しと言うような当真の口調に、木虎は奇襲の失敗を、こちらの狙いが悟られていた事を察する。
しかし接近戦ではあくまでも万能手である木虎が有利なのだ。
木虎は急いで足に力を籠め、ベランダでイーグレットの銃口を向ける当真に接近する。
今度こそスコーピオンで切り裂こうと左足を振るい——その刃が届く直前、当真の姿は跡形もなく消え去ってしまった。
「消えた!? どこに——!?」
「終わりだ」
木虎が突如姿を消した当真の位置を探すよりも早く。
反対側のビルに転移した当真が放った弾丸が、彼女の頭を撃ち抜いた。
『戦闘体活動限界、
この彼女の脱出は、戦況が一挙に変わる事となる発端となる。
そんな事も知らずにまた一人敵を撃破した当真は得意げにある人物へと通信をつなぐのだった。
「いやー、助かった。まさか本当に木虎がこっちに来るとは思わなかったぜ。お前の言う通りに備えておいて正解だ。隊長まで連れてきてくれたんだからな、マジで助かった」
『お礼ならうちの隊長に言ってあげて。あたしはただ彼の指示に従っただけだからさ』
「——本当、あいつがいると退屈しねえな」
敵の接近に備え、ワイヤートラップを仕掛け当真を守った彼女は、自分を卑下して誇ろうとはしない。
彼女の言葉に当真はその隊長の姿を思い出し、うっすらと笑うのだった。
————
「……これは!」
出水の炸裂弾から身を守るためにシールドを集中展開していた嵐山は、背後から自分を貫いた射撃の弾道に目を見開いた。
決して気づけなかったわけではない。だからこそ嵐山は回避行動に移ったのだが、弾はその逃げた先が分かっていたかのように突如向きを変え、嵐山の体を撃ち抜いた。
誘導弾ではない。相手の動きを読み、その軌道を操縦者が設定できる変化弾だ。
しかし今のようにリアルタイムで設定できる隊員などそう多くはいない。那須か、目の前で対峙している出水か、あるいはもう一人だけ。
——まさか。
嵐山が新たな敵を理解したが、もう遅い。トリオン体はあっという間に崩壊し、木虎の後を追うように戦線を離脱するのだった。
「嵐山さん!」
隊長の脱落に佐鳥が声を荒げる。
理解しがたい出来事の連続であった。
木虎が奇襲に失敗し、撃ち落とされ。嵐山も背後からの変化弾に貫かれ脱出した。
あの変化弾は出水のものではない。佐鳥が常に出水の攻撃を警戒していたし、オペレーターである綾辻の分析もある。つまり第三者の攻撃によるものだ。次々と味方が脱出し、一気に嵐山隊が危機に追いつめられる。
「こうなったら、二人だけでも!」
しかし嵐山の脱落で三輪と出水の警戒も緩んだのか、二人は無防備な状態をさらしていた。
味方が自分を残して全滅してしまった今、このタイミングで決めるしかない。
佐鳥はバッグワームを解除し、両方の手でイーグレットを構える、彼お得意のツイン狙撃を試みた。
二丁のイーグレットが敵に照準を定め、瞬時に銃口が火を噴く。
同時に放たれた二射は不意を衝ければどんな相手であろうと関係なく脅威と化すだろう。
「——エスクード」
そして狙撃が三輪と出水を撃ち抜こうとしたその瞬間、二人を守る様に突如二枚の大きなバリケードが地面からせり上がった。
弾はその盾にあっけなく阻まれ、音を立てて消滅する。
「ええええ!? 嘘でしょ!?」
「そこか」
自慢の必殺技が難なく阻止され、佐鳥が慌てふためいた。
そんな佐鳥を、バッグワームを解除して無防備となった敵を彼が見逃すはずがない。
佐鳥同様にバッグワームを解除してエスクードを展開していた彼は、建物の陰から勢いよく飛び出し、標的へと迫った。
「やばっ!」
暗闇から突出した影に佐鳥も即座に気づく。
負けじとイーグレットを構えなおし、照準を謎の影に向けて引き金を引く——
「ッ!?」
引く事が、出来なかった。
イーグレットを握る右手に衝撃が走る。
何処からか放たれた狙撃が佐鳥のイーグレットを正確に撃ち抜き、破壊してしまったのだ。
「
「させないよ、佐鳥。彼の邪魔は許さない」
動揺する佐鳥に、少女がスコープ越しに告げる。
こんな芸当ができる隊員などボーダーでもただ一人しかいない。佐鳥の頬に冷や汗が伝った。
そしてこの間にも彼女の隊長である敵が接近。勢いよく地を蹴り、佐鳥に肉薄した。
「このっ!」
最後の意地で佐鳥は残ったもう一丁のイーグレットを敵に向ける。
このような至近距離で当たるとは思っていない。それでもせめて軽傷でも残せれば御の字だ。今度こそ佐鳥の指が引き金を引いた。
『ほらよ、使え』
「っ!?」
しかし、宙に浮いた敵の姿が一瞬で消える。佐鳥が放った弾は敵を貫く事無く、闇夜に消えていった。
「ありがとうございます」
「あっ……」
「——冬島さん」
そう言って佐鳥の背中に回った彼は弧月を佐鳥に突き刺し、ワープの支援を施した冬島へと礼を告げる。
佐鳥のトリオン体はゆっくりと崩壊し、一筋の光を残してボーダー本部へと飛び去っていったのだった。
『なーに。お前が持ってきてくれた物のおかげでだいぶ酔いが収まったからな。これくらいお手の物だ』
「無事に乗り物酔いから回復できたようで何よりですよ。遅くなったけど、終わる前に来れてよかった」
最後の敵が消えた事を確認し、少年は冬島に穏やかな声で通信をつなぐ。
受け答えする冬島の声も非常に落ち着いたものだった。帰還直後は乗り物酔いがひどく、この作戦への参加は厳しいものだったのだが、今は戦闘に参加しても問題ないくらいに回復している。
「——さて、と」
冬島の無事に安堵の息を吐き、少年は三輪と出水の元へと降り立った。さらに彼の後ろに隊員である狙撃手の少女も続く。
二人の出現に出水が、三輪が目を見開いた。
「あらら。なんだ、結局来たんすか」
「——紅月!」
すでに彼は任を解かれ、防衛任務に戻っているという話だったのに。
「遅くなってすまない。一応形式的に言っておこうか。——紅月隊、現着した。城戸司令の命により、これよりA級合同部隊に加勢する」
頼もしい援軍——ライ、そして鳩原が冬島と共に遅れて参戦するのだった。
「まだ戦えるか? 出水、三輪。余力があるならば行こう。戦いは終わっていない」
こうして黒トリガー争奪戦は新たな展開を迎える事となる。
ライは出水と三輪に奮起を促すと、太刀川たちが戦っている方角へ鋭い視線を向けた。
当真正存。
嵐山隊全滅。
鳩原参戦。
ライ参戦。
冬島参戦。
出水、三輪の被弾なし。
未来が滅茶苦茶変わった。