フロント脇の扉から、浜岡とニコライ、タシュケント、ヴェールヌイ、秋津洲が現れた。ロビーはがらんとしていて、古びた柱時計の振り子の音だけが聞こえた。
中央のシャンデリアの下に来たところで、ふいにタシュケントとヴェールヌイの足が止まる。ニコライも足を止め、浜岡の肩に手を置いた。何だろう、と顔を見つめると、ニコライは視線を動かすことなく、低く、呟いた。
「伏せろ」
浜岡は強引に肩を下に引かれる。困惑してしゃがんだ直後、駆逐艦の二人が左右に展開し、砲撃を始めた。突然の砲声に浜岡は耳を塞ぐ間も無く、鼓膜が破れそうになる。
「ふぇ⁉何かも⁉」
秋津洲は未だにあたふたしている。
「君も手伝え!」
言いながら、ヴェールヌイは売店に向かってミサイルを矢継ぎ早に放つ。商品棚が吹き飛び、煙に包まれていく。タシュケントはかがんで次弾装填していた。一方の秋津洲は、困惑して辺りを見回していると、視界の端のソファーから駆逐艦の連装砲が狙いを定めていた。
「ひえッ⁉」
咄嗟にグラップルを射出する。隠れていた何者かごとソファーを貫き飛ばした。直後、机の下やカーテンの隙間から弾幕が襲い掛かる。これをバク転で回避すると、空かさずクレーンを巻き戻し、進行方向斜めに射出しながら薙ぎ払う。リールが触手のようにしなって、重厚グラップルが弧を描いて加速する。あらゆるものを粉砕しながら、確実に彼等を叩き飛ばした。壁に打ち付けられる者もいれば、ボーリングの如く、カーテンに隠れていた者に衝突して、仲良く窓を割って飛んで行く者もいた。寸刻しかその姿を見ることしかできなかったが、全員鮮やかな浴衣を着ていて、手には小口径主砲、腰辺りに四連装魚雷を確認した。彼女等の頭には『角』が生えていた。
「хорошо!! 君のクレーンは最強だね。こっちも負けるもんかッ‼」
空色の主砲が再び火を噴いた。光線が柱や装飾品を貫き、爆ぜる。
この時、浜岡はニコライとしゃがみ歩きで玄関へ向かっていた。
「「ッ⁉」」
あと十歩のところで、目の前に何かが降って来た。着地したそれは、勝色と紅唐を基調とした忍装束の艦娘―頭巾はなく、代わりに黒い湾曲した『角』が生えていた。左腰に主砲、右腰に魚雷、両手にそれぞれ長さの違う短刀、とアンシンメトリーな出で立ちをしている。
「あれを使えッ!」
ニコライが叫ぶ。だが、浜岡は前に発射した。緋色の目が合う。
「お―⁉」
叫ぼうとして、止まる。ニコライは妙な光景を目の当たりにしたからだ。
異様な速度で懐に入り、寸秒の隙も無く両手の刀を叩き落とす、少女は次に砲撃しようとするが、右脚でそれを蹴ってキャンセルする、バランスが崩れ頭が下がったところで、両角を掴み、ズイと引き抜く、追い打ちをかけるように、左脚で胸部に蹴りを入れた。少女はくの字に折れてドアを破り、一直線に正面の建物にハリツケにされた。
それが三秒の内に行われた。ニコライは口を開けたまま茫然とした。背後でも敵が片付いたようで、砲声が止んだ。
「同志、終わったよ…って、どうしたの?」
「いや…なんでも」
心配するタシュケントの声に生返事する。一呼吸した浜岡が振り返った。
「すまない、無意識だったんだ。でも良かった、怪我はないか?」
ニコライは身震いして、無言で立ち上がった。
「みんな、見てくれ」
ヴェールヌイに呼ばれ、浜岡たちが駆け寄る。そして、彼女が指さしたものを見た。
「こいつは、雪風?」
「見て見て、あっちは浦風かも!」
インテリアの破片に塗れて、陽炎型駆逐艦の浜風と浦風が伸びていた。
「浜岡、奴等は『角』を抜かれると、元の姿に戻るんだぜ」
「知っている。翔鶴や清霜の時もそうだった」
「そうだったな」
その声に疑いの念はなかった。部屋で詰問された時とまるで様子が違うので、浜岡は少し訝しんだ。
『角』を回収し、気絶した彼女たちをロビーのカーペットに並べた。制服を着ていないので分かりづらいが、浜岡とヴェールヌイ、秋津洲には全員区別がついた。
「黒潮、雪風、浜風、浦風、磯風―」
「野分、谷風…この娘は…誰かも?」
「親潮だと思うよ」
「成程、全員陽炎型か」
ヴェールヌイは浜風と浦風を暫く凝視して、目を逸らした。
「同志Ташкент」
「なんだい?」
「大きいのは、いいことだな」
「?」
理解の追い付かないタシュケントを他所に、ヴェールヌイは深く頷いていた。
倒れているうちの一人、黒潮がむくりと起き上がった。浜岡を見つけると、睨んで叫ぶ。
「おう、そこのアンタ。さっきはようウチのこと吹っ飛ばしてくれたなァ!」
いきなり怒鳴られて、浜岡はたじろいだ。秋津洲も驚いて思わずグラップルを構えた。
「も、申し訳ない…。ん、なぜ覚えているんだ?」
「ああ、うん。意識はあってん。でも、操り人形にされてしもてて…抗えんかったんや。堪忍な」
そこへニコライが来て、彼女が着けていた漆黒い角を見せる。
「此奴を誰に貰ったか、覚えてねェか?あと、誰がお前を操っていたのかとか。何でも構わない、情報を出してくれ」
「それ、村長にもろたんや。カッコエエし付けてたんやけど、演習してたら急に頭痛くなってな。気ィ付いたらそのまんま操られてた。『角無シノ艦娘ヲ撃沈セヨ』とか『観客席ノ人間ヲ始末シロ』だとか命令が入って来て、身体が勝手に動いてしまうんや…。妖精も知らん間におらんくなってて、殺りとうないものを殺って、見とうないものを目に焼き付けさせられて―でも何でかしら、どんどんそれが正しい事のように思えてきて―」
「もういい、それ以上は言うな」
ヴェールヌイが強く制した。浜岡の顔は険しくなっていた。
黒潮は操られていた姉妹たちを眺めた。何かに感付いて、顔が強張り、みるみる青ざめる。浜岡に向き直って絶叫する。
「あかん‼はよ逃g―」
『バシュッ!』
ビクンッと痙攣し、白目をむいて動かなくなった。額のど真ん中から、つうと煙が上がっている。
「オイ!黒潮‼」
「クソッ!一体どうなって…」
その時、ふと正面の鏡を見た浜岡は、絶句した。
鏡の中、ニコライの背後に、白い角が生えたおかっぱ少女が立っていた。彼は黒潮たちを葬った犯人を捜して辺りを見回しているが、気付いていない。それどころか、明らかにそれが見えるところにいる秋津洲やタシュケントも、気付く素振りさえ見せない。浜岡はそれを伝えようと視線を移す。
(―いない⁉)
もう一度鏡を見る。やはり少女がいる。再びニコライに視線を移す―誰もいない。
(まさかアイツが黒潮を⁉)
またまた鏡を見る―少女が、ゆっくりと、彼の顳顬に砲門を付ける。
(艦娘が、人を、殺そうと、している―⁉)
咄嗟にポケットのM49を出して、振り返ろうとする―
『ドンッ』
それを構える寸前、音がした。間に合わなかった、と思った。しかし、何も起きていなかった。
「うわっ⁉」
秋津洲が脈絡なく跳び退いた。目の前に、喪服のような黒の着物を着たおかっぱの艦娘が倒れていた。それは鏡の中にいた少女だった。
「どうしたんだい秋津洲?」
「瞬きしたらそこにいたかも!」
「そんな馬鹿な…。でも確かに、こんなのいなかったよね」
すると、少女の目が開いた。角が刺さったままなので、タシュケントたちは警戒して武双を構える。彼女はムンクの叫びのような表情で。ガタガタ震えながら浜岡を指さす。
「こん…ご…う…」
それだけ言い残して、気を失ってしまった。ヴェールヌイが顎に手を当てて、浜岡の顔をじろじろ見る。
「これのどこが金剛なんだろうか」
「そうだね、せめてアークロイヤルだよね」
そう言って二人はクスクスと笑った。
「鬼の方の金剛かも?」
「絶対あり得ねェ、なあ、浜岡……浜岡?」
―真剣な顔で彼女を凝視していた。
「この艦娘は、ニコライ、さっきまで君のことを狙っていた。黒潮をやったのも、多分―」
「なんだって?」
「鏡にしか写らなかったんだ、コイツ」
「ハッ、そんな馬鹿な」
「それで、俺は何とかしようと、君がくれた得物を出そうとしたんだが…その前にやられていた………………………………誰がやったんだ?」
その疑問に、皆首を傾げた―ニコライを除いて。
「まさか、いや、もしかすると―」
「同志?」
「いや、気にするな」
手で払うと、訝しげな顔のまま立ち上がった。
「よし、こんな村、さっさとおさらばしようぜ!」
誰の返事も待たずに、先に外へ出て行ってしまったので、浜岡たちも急いで後を追った。
※
海底のような漆黒が広がる空の下、村の出口を目指して、碁盤の目を一台のタクシーは駆けて行く。
後部座席にはヴェールヌイと秋津洲、タシュケントは車体の上に乗っている。秋津洲は二人に挟まれ、先程から二式大艇からの報告を聞いて、浜岡に敵艦隊の位置を逐次伝えている。タシュケントは艤装を展開し、臨戦態勢に入っていた。錨の鎖が窓を通して座席に巻き付けているので、急カーブを切っても振り落とされないようになっている。そしてニコライ司令官は、助手席でバックミラーを凝視していた。
「それにしても厄介だな」
「やっぱ陸上はやりにくいね」
タシュケントもヴェールヌイも電探を装備している。しかし、アパートなどの遮蔽物のせいで、二人の電探は碌に機能していなかった。今はただ、二式大艇の航空偵察に頼る他ない。
車内を沈黙が支配していた。浜岡は、静かに秋津洲の伝言に耳を構えながらハンドルを握っている。敵はまだ美舩村に多く残っているらしく、二式大艇からの情報で右へ左へと迂回しながら行かなければならなかった。浜岡は彼等が村の外へ―市街地へ出て人々を襲撃していないことを願ったが、それは絶望的だった。山に近い方の道でさえも、建物や砲撃や爆撃で崩壊し、瓦礫が車道にまで散乱していた。更に、村の艦娘、逃げ遅れた人の車が炎上して道路を塞いだり、電柱が根元から折られて倒れていたりしていたので、浜岡はせわしなくハンドルを回していた。
「敵発見‼」
それは突然だった。タシュケントの電探に反応があったのだ。視界に何かが飛び込む。バックミラーに写りこんだそれは、浜岡もよく知っている艦娘だった。
「―島風?」
白いウサ耳少女が、彼女の象徴―連装砲ちゃんに跨って迫ってくる。だが、目の色が違った。
(コイツ、島風じゃあないッ!)
連装砲ちゃんは狂犬のような目つきで、下からロケットのように業火を射出していた。
「オイオイなんだよアレ⁉」
ニコライが絶叫する。車は時速80キロを超えていた。それでも付いて来る、距離を縮めて。
「敵か……やるしかないね。攻撃用意!行くよ!」
空色の艤装が狙いを定める。シマカゼの主砲は一向に上を向かない。
(なるほど、奴の狙いは『脚』だね…じっくり狙ってる暇はなさそうだッ!)
緋色の瞳がギラリと光った。130mm Б-13連装砲と12.7mm機銃をぶっ放す。真朱の弾幕が降り注ぐ。シマカゼは被弾しながらも右に交わす。連装砲ちゃんが頭を回転させる。
「させるかッ‼」
その凶悪な二つの顔面に銃弾を叩き込む―視界が奪われ、照準が合わせられない。
艦娘は妖精によって艤装を操作している。つまり、妖精は艦娘の『目』なのだ。それがない彼等はどのように照準を合わせるのか―人間的な部分、すなわち本体の目である。
弾幕を振り払おうと暴れまくる。タシュケントも揺れる車の上で必至に注ぎ込む。それでも光と光の僅かな隙間を頼りに、シマカゼは背後につこうとする。その度に砲撃で牽制した。
ウサ耳ロケットに追撃され続けて五分が過ぎようとしている。タクシーは未だに振り切れず、障害物を避けながら逃走していた。シマカゼと車の間隔は十メートル程度で、付かず離れずの攻防戦が続いていた。ニコライたちは、固唾を飲んでバックミラーを見つめている。浜岡には一瞥する余裕さえなかった。
「ッ⁉」
車が急カーブした。重心が崩れ弾道が逸れる。
(しまったッ⁉)
ウサ耳がコーナーを体を傾けて曲がる。目が合う―嗤っていた。それは運転席を狙っていた。タシュケントの時が止まる。
(一か八か―‼)
魚雷を投げた。それはほぼ本能的な動作だった。シマカゼはギョっとしてギリギリかわす。放たれた砲弾は黒いロシア帽を掠め、アパートの壁を貫いた。ウサ耳が舌打ちする。
“同志、機銃が残り少ない。早く決着を‼”
「ああ、分かってるさッ」
妖精の忠告に、タシュケントの額から汗が流れる。それでも追撃は止まらないので、機銃の豪雨を降らせる。主砲も命中させる。
(なぜだ、なぜまだくたばらないッ!)
数千発の銃弾と数百発砲弾を喰らわせた。ウサ耳少女と連装砲ちゃんは、身体じゅう穴と凹みだらけである。しかし、数千発の銃弾と数百発砲弾を喰らおうと、止まらない。離れない。
「これが…大和魂⁉」
血まみれの顔には、尚も殺気が燃え滾っていた。シマカゼが血にまみれた顔で、歯をギラつかせながら睨んだ。笑っている―タシュケントは恐怖を感じた。その時―
“機銃が尽きたぜ!同志!”
戦慄が走る。シマカゼは確実に狙うために、車の真後ろに付く。
「Урааа!」
砲弾を撃ち込む―避ける。魚雷を射出する―避ける。正に、兎の如く、であった。魚雷も撃ち尽くし、主砲も後一発のところで、攻撃を止めた。
「もう終わりかねッ?」
シマカゼが初めて口を開く。タシュケントは無言だった。連装砲に跨って、ゆっくりと、近づく。余裕の表情で、嗤う。
「では―」
『ッドン‼』
それは砲弾の音ではなかった。タシュケントが自らの艤装を、ありったけの力で叩いた音だった。空色の船体が砕ける。
『ゴパァッ‼』
水っぽい音を立てて、濡羽色の重油が噴き出す。それは風力によって飛ばされ、シマカゼたちに覆いかぶさった。ウサ耳は慌てて顔を拭う。だがその程度で拭いきれる量ではなかった。
「ロシア産の重油、しっかり味わいなッ!」
最後の一発が、発射された。シマカゼが業焔に包まれるのは、一瞬のことだった。
「ウゴワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼‼‼‼‼‼‼‼」
咆哮のような悲鳴を轟かせて、火達磨左右にはのたうち暴れる。直後、車は瓦礫を避ける為に角を曲がったが、シマカゼたちは前が見えなかったので、そのまま突っ込んで爆発した。
「ふう、危なかった」
安堵の溜息をついて、タシュケントはその場でへたり込む。
「お疲れ」
車内のヴェールヌイが無線で話しかける。
「спасибо. 敵もなかなかの奴だったよ」
「見張り、変わろうか?」
「いや、大丈夫だ」
浜岡が前方を指さした。美舩村と外をつなぐトンネルが口を開いている。
「おっと」
タシュケントは慌てて伏せる。頭があったところを、コンクリートが掻き消す。
タクシーは速度を落とさず、闇を突き進んで行った。
夜はまだ、明けない。