箱崎半島を水路によって隔離して造られたこの島は、戦前から燃料弾薬貯蔵庫として利用され、約四〇基のタンクが設置されていた。そして、深海棲艦との戦争が終結すると、吾妻山を切り開いて、自衛隊隊員として残留した艦娘たちの寮が建設された。また、万が一、深海棲艦が復活した時に備え、小さな工廠や入渠ドックが漁に隣接している。当然、危険物が多くある為、現在でも関係者以外立ち入り禁止である。
トンネルを抜けると、美舩村の騒動をまるで知らない景色が広がっていた。車窓に見える木々の間から、ビル街の灯りが遠方に瞬いていた。
(艦娘が戦争に使われるようになれば―)
浜岡は目の前の夜景が戦火に染まる風景を想像していた。
村を抜け市街地に入ったので、偵察を二式大艇に任せ、とタシュケントは後部座席に移動していた。タクシーはあちこちが凹み、煤や飛散した重油のせいでスクラップのような見た目になっていたが、夜の闇がそれを上手く隠していた。
工作艦任務の経験もある秋津洲が、タシュケントの破損した艤装の応急処置を施している。と云っても、実際に作業しているのは艤装に搭乗する妖精たちで、秋津洲はタシュケントとその様子を眺めているだけだった。ニコライは先程から浜岡の隣で、何やらロシア語でせわしなく電話している。ヴェールヌイは頬杖をついて、すれ違う光を目で追っていた。
秋津洲は墨く汚れた艤装から、ふとヴェールヌイに目をやる。
「ヴェールヌイはどう思うかも?」
脈絡もなく投げられた質問に、振り向きながら首を傾げた。
「佐世保事件の話。あの場にいたら、出撃してたっぽい?」
「それは、民衆の為に、自己を犠牲にできるか、ってことか?」
「そうかも」
「勿論、そうするよ。周りの皆が、といワケじゃなくて、ね」
「今でもそうかも?」
「当り前さ。君はどうなんだい?」
そのやり取りを、浜岡は前を向いたまま、聞き耳を立てていた。あの日、彼の艦娘たちは、生きては還れないと分かっていながら、出撃を選択した。それも、一寸の迷いもなく、だ。
「秋津洲には、よく分からないかも」
「え?―」
思わず声を出してしまう。秋津洲は浜岡を一瞥して続ける。
「確かに、浜岡さんの艦娘たちの選択は正しいと思うかも。秋津洲も、あの頃はそう思って戦ってた。でも、今は―」
「違うのかい?」
「うん…ロシアはどうだったか知らないけど…ここでは戦後に、艦娘は人間たちに迫害されてた。秋津洲もそうだった。『バケモノ』扱いされて、いじめられてたかも。だから、美舩村に逃げてきた。だから―」
「だから?」
「人間に、命を捨ててまで護る価値があるかって訊かれると―素直に『はい』って、言えない」
その言葉に、浜岡は裏路地で出会った龍驤を思い出した。そして、純白の翼の空母を思い出した。
(命懸けで守ってきた人に石を投げられて、恨んでいただけなのか?)
髪飾りで操られていたとはいえ、浜岡はショウカクの言葉が、翔鶴の本音だったのでは、と考えてしまう。ヴェールヌイは、「そうか」と言ったきり、黙って窓の外を見ていた。
突然、前の車がブレーキを踏んだ。見上げるが、信号らしきものは見当たらない。
「ストップ」
ニコライが制したので、言われるまま車を止めた。
「オレたちはこのへんで引き上げるぜ」
前にいる車を確認する。黒い車に碧のナンバープレート―
「外ナンバーと⁉」
「迎えが来たようだ」
「トランクを開けてくれるかい?」
確かに、ニコライたちにとっては、美舩村―日本の艦娘の騒動は関係ない。寧ろ、管轄外の日本で、更に無断で艦娘を運用すること自体、あってはならないのだ。浜岡は引き留めることなく、ドアとトランクを開けた。ニコライが先に降りると、タシュケントとヴェールヌイも降りる準備を始める。ロシア語で電話していた内容とは、多分これだったのだろう。
「それじゃあ、浜岡さん。秋津洲もありがとう」
「ああ、気を付けてな」
「またね!」
「では、До свидания…」
ヴェールヌイがドアを閉めると、入れ違いにニコライが窓を叩いた。
「なんだ?」
「お前に貸したM49、そのまま持って行け。返すときはこれで頼む」
そう言って一枚のメモを渡す。そこには電話番号が走り書きされていた。
「絶対に無くすなよ。それと―死ぬんじゃねえぞ」
「そうだな、約束だ」
ニコライは敬礼して車に乗りこんだ。黒塗りの車はハザードを切ると、足早に走り去って行った。
「秋津洲、君は、どうする」
バックミラー越しに、秋津洲に問う。
「俺は付いて来いとは言わないし、願いもしない。横須賀は今頃、地獄絵図になっているだろう。特に、艦娘たちがいるらしい基地周辺は。正直、俺にも黒幕に辿り着いて、どうにかできる自身はない。下手をすれば、そいつに出会う事さえ叶わないかもしれない。それでも、行くのか?」
「もちろん、お供するかも!」
秋津洲は、はっきりと頷いた。彼は逆に不安になった。彼女の瞳が、あの日の艦娘たちと同じ色をしていたからだ。
一呼吸してから、ハンドルを握り直す。
「分かった、ただ、ひとつ条件がある」
「何かも?」
「俺がやられても、助けるな。奴等を倒す事を優先しろ」
「え?」
「これは命令だ、いいな」
「わ…分かった…かも」
返事を聞いて、浜岡はアクセルを踏んだ。
※
艦娘と資源が集中している吾妻島は、砲撃の的にされていた。地は揺れ空は爆ぜ、五色の弾幕があらゆるものを削り取っていた。島は燃え滾る重油と硝煙の臭いに包まれ、業火によって昼間のように明るい。自衛隊所属の艦娘たちは、敵の大群に押されて、後退を余儀なくされていた。
蜂の巣になって倒壊寸前の寮の陰に、ダークグレーの戦闘服に身を包んだ軽巡球磨、軽巡多摩、軽巡木曾が潜んでいた。彼女たちはIFPO(International Fleet-girl Police Organization)から派遣された艦娘である。
「こちらブラボーチーム!島の貯蔵タンクの8割が破壊されているクマ。自衛隊の艦娘も壊滅的、今直ぐ増援を要請するクマ‼」
無線に噛みついているのは球磨だ。暑さと緊張で表情が険しくなっている。
「クソッ、艦娘の反乱って聞いたから二・二六事件程度のモンかと思ってたけどよォ…アイツ等、艦娘の皮を着た深海棲艦じゃあねェかチクショー‼しかも何だよ、速射砲みてェに弾幕張りやがって、どんな装備使ってるってンだ‼…那珂の野郎も途中で逃げやがってッ」
木曾はイラついて壁を叩いた。
「さっきからキソキソ五月蠅いにゃ」
「キソキソ言ってねェよッ!」
「兎に角、奴等の侵入を絶対に阻止するにゃ、にゃあ⁉」
近くのタンクが爆発で地面が揺れた。背後の建物が悲鳴を上げている。多摩は思わず丸くなった。
「ここも長くは持ちそうにねェ。球磨姉、もうここはダメだ、下がろうぜ」
「ダメクマ」
「なんでだよ!」
「これ以上下がってアイツ等の侵入を許せば、確実に民家が巻き込まれるクマ」
「ッ…クソ!」
歯軋りして俯く。木曾本人も既に理解していた、だが、どうしようもない。敵は蟻のような大群で、そこまで来ていた。
「球磨姉、どうするにゃ?」
暫く考え込んで、口を開いた。
「球磨が飛行して囮になるクマ、その間に敵を倒せクマ」
「それでいけるのか?」
「一斉射したら向かいの建物に隠れろクマ。球磨もずっと飛んでたらやられるクマ、球磨も気を引くだけ引いてまた隠れるクマ。その繰り返しだクマ」
「地味な作戦だけど、仕方ないにゃ」
「分かった、やるしかねェな」
木曽は胸ポケットから一枚の写真を取り出して見つめる。それには、木曽と潜水艦まるゆが肩を並べて写っていた。
(アイツの為に、こんなトコでくたばるわけにゃいかねェんだッ)
写真をしまって、艤装の安全装置を解除する。
“こちらチャーリー、偵察機より吾妻島方面の戦線崩壊を確認。増援をそちらに向かわせた。それまで耐えてくれ”
「了解クマ」
無線を切る。三人の顔が真剣になった。
「やるしかないにゃ」
「作戦開始だクマ」
そう言って球磨は少し建物から離れた。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―』
艤装から生えた三本の煙突から火を噴くと、球磨は空高く飛翔した。間髪入れずに緋色の弾雨がレーザービームの如く襲い掛かる。
「行くぜ!」
「にゃあ!」
寮の陰から飛び出す。敵は空飛ぶ獲物に引き付けられている。
「そこにゃ‼」
猫の手を模した艤装から爪弾を射出する。木曾は眼帯型レーダーで敵を捉えた。
「ロックオン完了ッ‼てぇッ‼」
『ウウウウウンッ‼』
近代的な音を轟かせ、ミサイルが敵に命中する。周囲の敵艦諸共吹き飛んだ。
「っしゃ!当たったぜ」
「やったにゃ」
再び建物の陰に滑り込んでガッツポーズする。直ぐに弾幕が流れ込んできて冷静になる。
“生存艦娘を発見したクマ!”
多摩の無線から球磨の歓声が聞こえた。
“美舩村の生き残りクマ。工廠裏に合流するクマ”
「了解にゃ」
反対側まで移動して、陰から様子を確認する。先程の攻撃で、敵艦隊は島に上陸を始めていた。多摩の合図と共に、二人は全力で駆け出した。
「「ッ⁉」」
軌跡を弾幕が塗り潰す。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼‼」
球磨型軽巡―九万馬力というハイパワーを活かし、韋駄天の如く駆け抜ける。砲撃が数発刺さったが、その足を緩めることはない。
工廠が見えた。球磨がこちらに手を振っている。そこには駆逐艦の綾波と敷波、叢雲、そして天龍型の姉妹がいた。
ピタリと弾幕が止む。
(ヨシ!敵も弾が尽きやがったかッ)
安心した、その時―
『ドスッ!』
前を走る多摩が、消えた。
「―え?」
直後、衝撃と共に木曾の視界が暗転した。
「敵だクマ⁉」
球磨が絶叫する。砲撃が止んだのは、弾が尽きたためではなかった。二人が飛んで行った方―
『ガルルルルルル…』
『ギシャアァアア…』
二匹の鬼がいた。片方は赤と黒、もう片方は赤と白の強化外骨格に覆われていて、長い尻尾の先端の鋭利な剣が、業火の赤を反射していた。その見た目は『エイリアン』を彷彿させ、不気味さとスタイリッシュが平衡を保っている。顔だけが骨格に覆われておらず、額から大きな一角が伸びていた。
「また凄いのが来たわね~」
「ヤ…ヤバいって、に、逃げようぜ?」
一匹が、球磨たちに気付いて、振り向く。
「千代田⁉」
「いや、あれは重巡だね。綾波?」
「そうね、敷波」
見ると背中の艤装から生えたアームに20.3サンチ連装砲が装備されている。しかし、その見た目と俊敏性から、得物は恐らくお飾りだろう、と想像した。
「―我々はレッドアジュアの『執行者』よ」
赤黒の鬼が近づいてくる。球磨は天龍達を庇うように前に出る。
「お前たちの目的は何だクマ?」
赤白の鬼がサッっと赤黒の横に出る。
「新世界の創造、です」
淡々と答える。まるで、その行為が歯を磨くのと同等なほど容易い―と言わんばかりに、淡々としている。
「まあ、私のことを信頼してくれた上須賀様の期待に応えたい―それだけだけどね」
それだけ言って、二匹の鬼は構えた。
「ッ‼」
球磨の両脇から、天龍と龍田が同時に跳び出す。鬼も「ダンッ‼」と射出した。
爪と刀がぶつかり合って火花を散らす。赤白は瞬時に跳び退いた。龍田が砲撃するも、避ける。天龍の刀は赤黒の手で弾かれた。鬼はニヤリと笑った。何故―そう思って一拍遅れてしまった。
赤黒がバック転して、ムチのようにしなった尾が襲う。
「くそッ‼」
エビのようにして無理矢理回避する。そのまま後ろに転がって膝をついた。
『カランカラン…』
紐が切れて、眼帯が落ちた。額からつうっと血が流れる。その間に、綾波が一〇〇式短機関銃で二人を牽制していた。球磨も隙を見て飛翔し、空から砲弾を叩きこむ。敷波はフランキスカを持ったまま、敵の接近を待っている。
「大丈夫~?」
「心配すんな。こんなの掠り傷だぜ」
天龍は立ち上がって刀を構えた。だが、様子がおかしい。
「な、なんだ?…足に力が…」
バランスを失って倒れていく。それを見た赤黒は笑った。
「天龍に何をしたクマ⁉」
「ちょいとお酒を入れただけよ?と言っても、鬼が卒倒するレベルの酒だけど」
龍田が青ざめる。天龍を一瞥してしまう―
「隙ありです」
音速を越えるタックルが直撃した。龍田は重力を無くして、彼方の倉庫に激突した。大の字になったまま気を失っている。
「ッ⁉」
赤白は瞬時に伏せる―銀色の光線が通過した。直後に砲弾が貫いた。だが当たっていない。
「ちっ、外したか」
舌打ちして斧を引き上げる―。
「ッ⁉」
敷波は油断していた。攻撃を避けた赤白から、目を離してしまっていた。
「残念でした―」
斧を尻尾で叩き。加速させていた。敷波の横すれすれを、銀色が貫く。『避けた』と思った。
「ああああああああああ⁉」
激痛に絶叫する。左手が―無くなっていた。寸刻も置かず、腹に、拳が食い込む―
『ッドン‼‼』
少女の全身が、ソニックブームに叩き弾かれる。敷波は、空の彼方へ射出された。
「きゃああああああ‼」
綾波の悲鳴が聞こえた。顔を上げた球磨は、絶句した。頭に、刺さっていた。
『ズブシュ…』
尾が引き抜かれる。綾波は顔面蒼白になり、昏倒した。
「く、クマ…ク…クマ…」
ホバリングしたまま、球磨は絶望に震えるしかなかった。四つの目が得物を補足する。
(い、一時撤退ッ)
火力を上げて一気に上昇する。屋上を越える―
「ッ⁉」
弾雨に晒された。爆発が身を打ち、艤装が発火する。
(攻撃が速すぎる⁉)
球磨たちと鬼が戦っている間、敵は大人しく待ってはいなかった。軍隊蟻のような群れの一人と目が合った。エンジンがパワーを失う。球磨は、ただ落下した。地面に叩きつけられ、鈍い音が響く。
赤黒の鬼が、ゆっくりと近づいた。球磨は大破した状態で、老犬のようによろめきながら、何とか立って踏ん張る。
「ッー⁉」
死海に写っていたもの―それはスラリとした脚だった。
(踵落としッ⁉)
球磨の瞳孔が極限まで小さくなる。深紅のヒール(スクリュー)が、球磨の頭を―
「待ちなさい」
静止する。スクリューと脳天の間には、蟻が一匹入る隙間もなかった。鬼たちは振り返った。
闇の奥から声の主が現れる。重厚な軍服に厳めしい船体、透き通った碧い瞳にブロンズのロングヘア―ドイツ海軍の最初で最後の超弩級戦艦。その名は―
「ビス…マルク?」
ビスマルク級戦艦のネームシップが、凛として立っていた。
『ダンッ‼』
赤黒の鬼が跳び出した。ビスマルクはどんと構える。赤黒は地を蹴飛ばし、跳び掛かる。腕を振り上げ、尻尾をその瞳に向ける
「フン、雑魚が」
直後、ロケットのようなアッパーが入る―赤黒は一瞬で空高く打上げられた。
「よ、よくも姉さんをッ‼」
復讐心に燃え滾って、赤白が突撃する。球磨がお飾りだと思っていた主砲が火を噴く。ビスマルクは無言で弾幕を浴びる。
「喰らぇええええええええええッ‼……………ッ?」
赤白は突然に視界が暗黒になり、困惑して動きを止める。
『グシャッ‼』
彼女の意識は途切れた―状況を理解する事も許されず、壁の染みとなったからだ。
「フン」
主砲を重々しく空へ向け、発砲する―赤黒だったものが、球磨とビスマルクの間にバラバラと降った。
「なぜ…黒鉄協会が…ここにいる、クマ?」
首を傾げる球磨に、彼女は微笑み掛ける。
「私は、戦争をする為に改造を受けた艦娘だ。しかし―」
吸い込まれそうな空を見上げる。その済んだ瞳は、黒いスクリーンを通して何かを見つめていた。
「美舩村に来て、思い出すことができた。艦娘は戦争をする道具ではない、とね」
ここで、二人の間に砲弾が爆ぜた。敵がやっと仲間の死に気付いたのだ。
「軽巡球磨、貴女は逃げなさい」
「で、でも」
「生きろ―その手で、人類の笑顔と繁栄を護りなさい!」
彼女の眼は鋭かった。球磨は頷くと、脚を引きずりながら、戦火に背を向け歩き始めた。
ビスマルクは深呼吸すると、一歩、踏み出した。堂々と、敵艦隊の前に姿を晒す。弾雨が超弩級戦艦を飲み込む。閃光と煙がそのシルエットを掻き消した。
「……………」
砲撃が止み、夜風によって硝煙が流される。そこに立つ者は―
『イマイマシイ……ガラクタドモメッ‼』
双頭の艤装を従え、超弩級戦艦ビスマルク―いや、『戦艦水鬼』が敵陣に突撃する。彼女の咆哮が、横須賀の夜空に響き渡った。