かつて美舩村に越してきたイタリア出身の艦娘たちが開店した、本格的なイタリアンリストランテ。店長はV.Veneto級二番艦、戦艦Romaで、店員には妹の戦艦Italia、空母Aquila、重巡Zara、軽巡Abruzziなどが、腕によりをかけてパスタやピッツァを提供している。また、重巡Polaによって厳選されたワインが数多く並んでおり、昼夜を問わず店内は賑わいを見せている。
砲声が未だ聞こえてくるリストランテに、浜岡が戻って来た。店内はあの時のままで、灯りが点けっぱなしだった。テーブルの上に食器が放置されている。
「良かった、無事だった」
ガレージに留めてあるタクシーに駆け寄る。砲弾や銃弾を受けた跡もない。浜岡はホッと胸をなでおろした。
(何れ戦火は此処までやって来るだろう。商売道具だけでも避難させた方がいい。それに、人を見つけたら拾っていけばいいし、こいつならギリギリ奴等から逃げきれるだろう)
ふと、執拗に追いかけてきたライダーズを思い出す。乗り物で追いかけられたらどうしようもない気がしたが、とりあえずドアノブに手を伸ばす。
『ガシャ、ガシャ…』
近くから軍靴の音が聞こえてくる。それは徐々に大きくなっていた。
(クソッ、もう少し早ければ逃げられたのにッ)
伸ばした手を引っ込めて、定番と言わぬばかりに車の下に滑り込んだ。
軍靴の音がピタリと止む。
「そこにいるのは分かっているわ。出て来なさい」
ギクリとして、恐る恐る這いずり出ると、敵意はないと示す為に得物を足元に卸して両手を挙げる。声の主は、灰色と黒の重厚な軍服に身を包んだブロンドヘアの女性だった。見るからに西洋人だ。
「私はドイツが誇るBismarck級超弩級戦艦のネームシップ、Bismarckよ。それと手は下ろしてくれて良くってよ」
両手を下したが、緊張は保ったままだった。
「俺は浜岡だ。ひょんなことでこの事件に巻き込まれた」
「あら、巻き込まれたというより、自分から首を突っ込んだじゃないの?ほら、そのカタナは何かしら?」
刀を指して二度見すると、驚いた声を上げる。
「あなた、何故この刀を持っているの⁉これ、日向のじゃない」
「ああ、これか?さっき日向に遭ってな。護身用に持っておけって」
ビスマルクは駆け寄ってそれを拾い上げると、興味津々であちこちを眺める。
「これが、匠の技術…美しいわね」
あまりにも近すぎて、浜岡はほんのりと桃の甘い香りを感じた。だが、彼女の堅牢な艤装が、今にも触れてしまいそうな距離でギラついている。気圧されて、一歩後ろに引いてしまった。
「何よ、私はアイツらとは違うわよ?艦娘よ艦娘。このビスマルクを疑うの?」
得物を返して、不機嫌そうに帽子をとって見せる。確かに、角は生えていない。
「それで、君はここで何をやっているんだ?弾切れか?」
「ええ、そうよ。でも奴らを巨万と蹴散らしたわ。この程度、朝飯前よ。私は強者だから」
鼻につくような言い様だが、超弩級戦艦が言うと真実のように感じる。
「これ、あなたの車なんでしょう?近くまで載せていきなさいよ」
指でこつんとミラーをつつく。浜岡は少しムスッとした。彼女はドアを開けようとしたが、何か思い出したらしく、コートのポケットをまさぐる。そしてスマートフォンを取り出してニッコリすると、いきなり浜岡の肩に手を回した。
「自撮りさせなさい」
「はぁ?」
「ほら、画面に入りなさい」
スマートフォンは既にカメラモードになっていた。太い腕でガッチリと浜岡を抑えている。
「はぁ…悠長な艦娘だなぁ」
「余裕を持ってこその強者よ?」
画面の中の彼女は無表情だった。普通は笑うところだろうと思ったが、突っ込んでも面倒そうなので、浜岡も真顔で写った。別にビスマルクも文句を言わず、閑散としたリストランテをバックに二人で写真に収まった。案の定、イイネなんて100%貰えなさそうな写真が出来上がった。しかし満足そうにそれをしまうと、勢いよく車のドアを全開にした。
「そのデカい主砲で傷を付けないでくれよ?」
「それくらい分かってるわよ」
「ああ、それと、途中で人を見つけたら拾っていくから―」
「はいはい」
言い終わる前に、勝手にドアを開けて乗り込んでしまった。両サイドに出っ張らせ、真ん中に大股開きで座っている。
(途中で人を見つけても、譲る気ないだろうなぁこりゃ…)
やれやれと言いながら浜岡も乗り込む。
「それで、どこまで行けばいいんですか?お客さん」
「村の弾薬庫までお願いできるかしら。山側に沿ってまっすぐ進んで行けば、奴等に遭わずに辿り着けるはずよ」
「本当なんだろうな」
「このビスマルクの言う事は絶対よ?」
浜岡は何も言わずに車を発進させた。
村で一番山側にある通りにどん突いて、ハンドルをきる。ここでビスマルクが身を乗り出した。
「あなた、携帯もってる?」
「いきなり何だ?」
「SNS―ライン演習作戦よ!」
「…………」
「何よ!笑いなさいよ!」
「いま運転中…まあいい」
よく分からないまま怒られつつ、アドレスを交換する。登録し終わって画面から目を上げると、視界に悠々と喫煙するビスマルクが写った。禁煙車だ、注意しようとしたが、面倒になって止めた。
「それで、なぜに初対面の俺と―?」
「人脈は広いに越したことはないでしょう?」
すぅっと煙草の先を朱色に灯す。ふぅっと白い煙が上っていく。
「あなた、人間なのにどうして立ち向かったのかしら?」
「えっ?」
「ズボンに付いた血、それ艦娘のでしょう?臭いで分かるわ」
ちらりと下を見ると、太腿から膝にかけて赤黒く染まっていた。キヨシモから『角』を抜いた時に付いたものだ。
「自分から戦ったのでしょう?私にはお見通しよ?でも、理由が分からないわ」
ひと呼吸して、浜岡は微笑む。
「昔、艦娘から教えられたんだ。『艦娘は深海棲艦と戦うための存在じゃあない。人々を守るために生まれてきたのだ』と。今、それが壊されようとしている。俺はなんとかして、これを止めたいんだ」
「Die Tat wirkt mächtiger als das Wort(行動は言葉より強力に働く)…」
いきなりのドイツ語に首を傾げる。しかしビスマルクは納得したように頷いたまま続けた。
「あなたなら、必ずやこの事件に終止符を打てるわ。このビスマルクが言うの、信じなさい」
半信半疑ながら、彼女の言葉に感謝した。
「それで―」
ビスマルクは足を組む。浜岡は彼女を一瞥した。
「あなたはこの戦火をどう視ている?」
凝視するその両目から、今にも砲撃しそうな圧力を感じる。超弩級戦艦の眼光はバックミラーに跳ね返って、浜岡に伝わった。
「そうだな…今のところ、『美舩村の一部の艦娘が突然凶暴になった』としか…」
「そう…」
それ以上何も言わなかった。
信号が赤に変わった。車も歩行者もいないが、律儀に車を止める。すると、ビスマルクは組んでいた足を戻した。
「このへんでいいわ、Danke」
浜岡は後部座席のドアを開けた。彼女はのっそりと降りると、顔だけ覗かせた。
「村役場には寄ったのかしら?あそこなら生存者がいるかも知れないわ」
「村役場?」
「そう、来た道を戻りなさい。大きなパラボラアンテナのある建物が、山側にあるわ」
「分かった。ありがとう」
礼を言って、ドアを閉める。車はUターンして、そのまま一直線に進んで行った。
「Wer nicht wagt, der nicht gewinnt.(虎穴に入らずんば、虎子を得ず)」
そう呟くと、超弩級戦艦は、軍靴の音を響かせて闇の中へと消えていった。
※
タクシーのボンネットを、街頭の灯りが規則正しく通過する。浜岡は左右を確認しながら、目印のパラボラアンテナを探していた。
「ッ⁉」
道路脇から赤白の人が飛び出した。慌ててブレーキを踏む。それも慌てて得物を向ける。
(奴等かッ⁉)
咄嗟で窓越しにハンドガンを構えた。空気が凍り付く。
「…あれ?」
それは白の上衣と赤い袴、プレートアーマーのような胸当てに「ス」の文字―
「瑞鶴か?」
翔鶴型二番艦、空母瑞鶴―五航戦の妹の方だ。浜岡は一安心して銃を下すと、一度車を降りた。
「すまない。彼奴等だと思ってしまって―」
「私こそごめんなさい。ビックリしちゃった」
瑞鶴は会釈しながら駆け寄る。浜岡は不安そうな顔をして、言う。
「君がここに来ているということは、もう近くに―」
「ううん、違うわ」
長いツインテールを揺らして首を振る。
「まだここは安全だから、アウトレンジを仕掛けてたの。あ、私は―」
「正規空母瑞鶴だろ?それも『改二甲』の」
「良く知ってるわね。あなた提督さん?」
「『元』な」
ハッキリと発音された『元』に首を傾げるも、目の前の車がタクシーだと気付いて尋ねた。
「ねぇ、白髪でロングヘア―で、鹿の角と紅白の菊の髪飾りを着けた艦娘、見なかった?私の姉なんだけど…」
「翔鶴か?いいや、見てないが、探しているのか?」
「うん。翔鶴姉と商店街で骨董市を開いてたんだけど、私が観艦式を見に行く途中に騒ぎが起きちゃって…急いで戻って来たんだけれどいなかったの。無事ならいいんだけど」
それを聞いた浜岡は顔を曇らせる。
「商店街には人間もいたのか?または…その」
「いいえ、いなかったわ。私が戻って来た時には、あっちこっちが燃えてはいたけれど、もぬけの殻だったわ」
「そうか、ならいいんだ」
とりあえず、被害者が出ていないことに安堵した。
「それにしても、骨董市かぁ。皆、案外好きなことをやって楽しんでいるんだな」
「まあね、だってここは艦娘の楽園―」
そこまできて言葉を詰まらせる。そして、思い出したように空へ指を指した。
「あ、ほら!あれが私の艦載機!」
甲高い音が聞こる―噴式機の橘花と景雲の小隊だ。視界の端から端へ、一瞬で翔け抜けて行った。
視線を下すと、瑞鶴がドヤ顔をしていた。
「それで、敵、というか何というか。奴等はどれくらいいるんだ?」
「え。ああ、うん。ざっと数百くらいいたけど、今は大分減ったわ…でも、何が何だか…」
それは浜岡も同じであった。せっかくの鍵となるはずだった、『角』の付いたカチューシャは、黒ずくめの大鳳に盗まれてしまった。そもそも大鳳がそれを盗んだ理由も皆目分からない。
(そう、今明らかな事は、美舩村の艦娘の何割かが突如凶暴化して、共通点が『角』を―)
寸前の言葉を思い出して、浜岡の顔から血の気が引く。
「おい、瑞鶴、さっき『髪飾り』って―」
しかし、瑞鶴は浜岡のことを見ていない。無言で、空の一点を見つめている。鶴よりも白い顔になって、信じられない、という顔で震えている。浜岡も同じ方を見る。
「何だ、あれ」
深淵の空に、天使が浮かんでいる。純白の四枚羽を広げて、礼拝堂の石膏像のように静止している。聖母のような穏やかな顔つき、だが冷たすぎる碧い眼差しの天使が。
「翔鶴…姉?」
「何ィ⁉」
純白のそれは応えるように、こちらへ急降下する。
「「うわぁ⁉」」
轟音と衝撃波が襲う。それは二人の頭上を越えて、乱暴に滑走しながら着陸した。
頭の左側に鹿の角と紅白の菊の飾り。予感が的中したことに浜岡は舌打ちをする。瑞鶴は腰を抜かしてへたり込んでいた。それは目が痛くなるような翼を広げ、冷たい声で囁きかける。
「瑞鶴、迎えに来たわよ。一緒に行きましょう?」
「どうしちゃったの翔鶴姉?何かおかしいよ!」
瑞鶴が悲鳴混じりに叫ぶ。
(此奴が何を考えているか分からないが、強烈な邪悪の臭いがするッ)
後ずさりしながら、浜岡は抜刀して構えた。
「それ以上近付くんじゃあない!」
すると、天使はギラリと浜岡を睨みつけた。アガパンサスのような青の瞳が冷たさを強調する。
「出会っていきなり刃を向けるなんて…『今晩は』くらい言えないのですか?一般人。私は第五航空戦隊旗艦、ショウカクです。あなたの名前は?」
「君なんかに名乗ってやる名などない、と答えたいが…俺の名は浜岡櫂だ」
「あら、何処かで聞いたことがあるような。それでは浜岡さん、知的な私には、好き好んであなたがた一般人を殺す趣味はありません。だから、そんなオモチャは片付けてとっとと消えて?」
浜岡の中で何かが切れた。煽られたからではない、仮にショウカクが艦娘であったとしても、命を軽んじるその言葉、気概が許せなかったのだ。
「この瑞鶴を、黙って君に差し出せば、本当に、俺を、見逃してくれるのか?」
「そうよ、何度も言わせないで下さい」
三人の間に、緊張が走る。寸刻の静寂の後、浜岡は深く息を吸った。
「だが断る」
「「えっ…」」
暫くの間、沈黙が続いた。
『キィィィイイイイイ‼‼』
橘花が静寂を破り突入する。素早く刀をしまうと、後ろ手に車の扉に手を掛けた。
「行くぞ瑞鶴‼」
「えっ⁉」
瑞鶴を後部座席に押し込み、自らも運転席に乗り込む。瞬間、音速に近い800キロ爆弾が降り注ぐ。
「ハッ、雑魚が」
天使は白い翼で身体を包み込んでガードする。
(あんなバケモノに敵うはずがないッ‼)
アクセルを力任せに蹴って、車を跳ばす。瑞鶴は茫然とショウカクを目で追い続けた。
「なんで逃げるの?翔鶴姉を助けなきゃ!」
「『帰ろう、帰ればまた来れるから』―まだ駆け出しの提督だった頃に、阿武隈からよく聞かされた言葉だ。第一水雷戦隊のとある少将が残した言葉らしい。『一か八か』ではなく、『作戦完遂』を目指す。その為なら、撤退も厭わないという精神だ」
そう言って瑞鶴の顔を見る。
「だから瑞鶴、俺は諦めちゃあいないんだ。必ず翔鶴を救い出す。約束だッ!」
「……………ええ、分かったわ」
浜岡は頷くと、前を向いてアクセルを更に踏んだ。
(それだけじゃあないさ。あいつらの信念を、彼奴に踏みにじらせはしないッ‼)
ハンドルを握る手に、力が入った。
碧い眼が、小さくなっていくテールランプを睨み続ける。周囲には航空機だったものが破片になって散らばって燃えていた。
「こちら智天使ショウカク。空母瑞鶴の追跡を続行します」
無機質な声で言うと、ギシギシと音を立てて翼を広げる。それは力を蓄えるように輝きを増していく。翼を広げ切ると、クラウチングスタートの姿勢をとる。
「絶対に。逃がしませんよ♪」
純白の天使は悪魔の笑みを浮かべ、弾丸の如く飛翔した。