プロローグ1 英霊召喚:アーチャー
――ピピピピッピピピピッ
「――ん、んん……」
スマートフォンのアラームが、私を眠りの世界から現実へと引き戻す。
「もう、朝かぁ……」
アラームを止めるべく、朧げな意識の中スマホを探すようにベッドをバンバン叩く。
「……そうか、遂に今日か」
スマホのロック画面の1月28日の日付を見た時、私の眠気は一気に吹き飛んだ。
「――いよいよ、十六夜風花の聖杯戦争が始まるのね」
普段より1時間早い通学は、地方都市春月市の普段とは違った一面を見せた。いつも通勤通学で賑わうバス停は、まだ人がまばらにポツリポツリと数えるほどしかおらず、渋滞で車の列が続いている大通りも快速状態だ。
冬の朝の冷たい風にさらされながら、自販機で買った缶コーヒーの蓋を開ける。
「偶には、こういう朝もいいかもしれないわね」
何より、静かなのが最も気持ちいい。人混みが嫌いというわけではないのだが、不必要な音のない空間ほど、心地よいものはないだろう。
そんな風に爽やかな冬の朝を満喫しながら歩いているうちに、もうすぐ通い始めて2年が経とうとする春月北高校に到着する。朝練に来ている運動部の姿はチラホラ見えるが、正門をくぐり校舎に入った後は、足音だけが廊下に響き渡る。
「誰かと思ったら、風花じゃない」
教室へ向かう廊下を歩いていると、私の静寂を打ち破るように、背後から声を掛けられる。
「おはよう、雅」
「珍しいわね、異常に朝に弱い風花が1時間も早く登校するなんて。熱でもあるんじゃないの」
「失礼な、私だって偶には早起きすることくらいあるわよ。そもそも、熱が出てるなら逆でしょ、普通」
――ま、生まれてこの方17年、早起きしたことなど数えるほどしかないけど。
彼女は水谷雅、私の中学以来の数少ない友人の1人だ。成績優秀で活発な彼女はその人柄もあり生徒会長を務めている。今も生徒会室の方から声を掛けてきたことから、生徒会関連の仕事で早朝登校しているのだろう。
「なら、近いうちに天災でも起こるんじゃないの? 怖い怖い」
――強ち間違いでないことに腹が立つが……
「そ、そんな訳ないでしょ。まったく、私を何だと思ってるのよ」
「ごめんごめん、そんなに怒らないで、冗談だって」
雅は申し訳なさそうに手を合わせてくれる。別にそんなに怒っているわけではないが、こんな感じで雅から絡まれるのが、私たちの日常の光景だ。
「――かいちょー、ちょっといいですかー」
雅を呼ぶ声と共に、黒髪の男子生徒が彼女を追いかけるように生徒会室から走ってくる。
「あ、十六夜」
彼は確か、同じクラスの南雲海斗……だったはずだ。
「……珍しいな。お前が朝早いなんて」
「いいでしょ、偶にくらい」
滅多なことがない限り話すことのない者同士がばったり出会ってしまった時にありがちな、なんとなーく気まずい雰囲気が漂ったが、その空気を察したのか雅が南雲に一言二言話すと、彼は「わかりました」と頷き生徒会室へ戻っていった。
「じゃ、私は仕事に戻るから。風花は朝の学校を満喫してなさい」
雅は「ばーい」と手を振りながら、鼻歌まじりに生徒会室へ帰っていった。
「――はぁ、結局、満喫するものなんてなかったわね」
雅に言われた通り、朝の静かな学校を満喫しようとした結果、出た答えは二度寝、だった。ぶっちゃけ朝早く登校したところで特にすることもないし。とそんな感じで無難に優等生として学校を終え、帰路に着く。
「ただいまー」
時刻は日が傾きだした午後5時。誰も迎えてくれることのない無駄に大きい我が家に、こうしてただいまをいうのもこれで何度目だろうか。
「――ま、もう慣れたけどね」
――父は時計塔でも名を知られていた魔術師だった。母が病気で私の幼い頃に亡くなっていたため、父は私を魔術の研究をしながら私を男手一つで育ててくれた。その姿を見ていた私は「大きくなったらパパを超える魔術師になってやる」とよく言っていたのを憶えている。そんな私に父は「本格的な魔術を教えるのは風花が中学生になってから」といつもはぐらかしながら、結局私に魔術を教えてくれることはなかった。5年前、私が小学校を卒業する年に、父は研究中の事故で命を落とした。……私が思うに、父は魔術師でありながら魔術師らしからぬ人だったと思う。私の記憶に残る父は優しくて、かっこよかった。そんな魔術師になりたくて、この5年間父が残した魔導書全てに目を通し、魔術の腕を磨き続けた。そして今日の夜、磨いた腕の実力を示すときが来たのだ。
「……いよいよよ風花。今日だけは、失敗が許されないんだから」
制服を着替え、地下室の魔術工房への階段を降りる。
――聖杯戦争、かつて日本の冬木市で行われた万能の願望器を巡る魔術師たちの戦い。時計塔では極東のマイナーな儀式と評判はイマイチだったが、父は11年前、現在確認されている最後の聖杯戦争である第五次聖杯戦争に参加しようとしていた、という話を一度だけ聞いたことがあった。その時の父は、まるで少年のように目を輝かせていた。しかしその後、聖杯は時計塔のロード、エルメロイⅡ世主導の下解体され、父も他界してしまったため、私がこの儀式に関わることなどないと思っていたのだが……
「……」
1か月前、私の右腕に突然、赤い三画の刻印が現れたのだ。これは聖杯戦争に参加できる資格を手に入れた、ということ。何故解体されたはずの聖杯が再び降臨したのか、真相はわからないがマスターに選ばれた以上やることは一つ。父が残してくれた遺産の鍵を開け、サーヴァントの召喚に必要となる聖遺物を何とか手に入れた。
「やれることはやったわ。遺産も殆ど使い切っちゃったけど、このサーヴァントの召喚に成功すれば絶対勝ち抜けるはず」
あらかじめ用意しておいた召喚陣の埃を祓い、厳重に保管しておいた小さな箱を取り出す。このひと月で十六夜家の魔術師としての人脈をフル活用して入手した最善にして最高の聖遺物。神話に登場するような英霊に比べれば格は一段劣るかもしれないが、戦いの舞台である日本において、彼以上に最高と呼べるサーヴァントは数えるほどしかいないだろう。
「……やるわよ。風花!」
サーヴァントを呼び出す触媒となる聖遺物、割れた器の欠片を置き、魔法陣の中央に立つ。
――素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。
瞳を閉じ、召喚の呪文の詠唱を始める。……なぜだろうか、呪文とともに、父が私に聖杯戦争の話をしてくれた時の光景が脳裏に浮かぶ。
「――風花、もし風花が聖杯戦争に参加するとしたら、どんな英霊と一緒に戦ってみたい?」
「えーとね、風花は強くてカッコイイ英霊と戦ってみたい!」
「はは、風花、英霊っていうのはみんな歴史に名を残すヒーローたちなんだ。どの英霊も強くてカッコイイとパパは思うけどなぁ」
――降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
「じゃあ、アーサー王とかジャンヌ・ダルク!」
「おっと、いきなり有名どころか。王道だな」
「だって、アーサー王ってエクスカリバーっていうすごい剣を持った王様なんでしょ? 強くてイケメンで、風花に何かあっても優しく守ってくれそうだし、命を懸ける戦いでこれほど頼もしい人はいないでしょ?」
――
「……じゃあ、もう一つ質問だ。風花は何でも願いが叶う聖杯を手に入れたら何を願う?」
「ええ~、何でも叶うってのが胡散臭いから聖杯は使わない!」
「……うーん、思ってた答えと違うなぁ」
――繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。
「じゃあ、パパは聖杯に何を願うの? 魔術師はみんな根源っていうのに到達するためにいつも研究してるんでしょ?」
「お、風花は詳しいな。いったいどこでそんな知識を得たんだい?」
「パパの書斎の本から!」
――告げる。
「――こらっ!」
「いたーい! なんで叩くのよ!」
「パパの書斎は危ないものもたくさん置いてるから、絶対に入ったらダメだっていつも言ってるだろ? バツとしてパパの願いは内緒だ」
――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
「えー、けち!」
「けちで結構! ……風花が大きくなって立派な魔術師になったら教えてやる」
「またそれだ! パパ、全然魔術を教えてくれないくせに!」
――聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
「……いいか。パパは風花に一人前の魔術師である前に、一人前の大人として成長してほしいんだ。だから、時が来るまで絶対に魔術は教えなーい」
「……なんかむかつくー。……もういい、じゃあパパはどの英霊と一緒に戦いたいの? それくらい教えてくれてもいいでしょ!」
「ん、パパか? ……そうだなぁ、パパは会ってみたい英霊はいるけれど、どんな英霊でも、召喚に応じてくれただけで嬉しいよ」
――誓いを此処に。
「もう、またはぐらかす! 英霊の名前くらい教えてくれてもいいじゃん!」
「別に、はぐらかしてるわけじゃないぞ」
「だって、パパの命を預けるんだから、どんな英霊でもいいわけないでしょ!」
――我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。
「――それを言われたら返す言葉は出ないけど。 ……風花、呆れられるかもしれないけど、パパの聖杯戦争への素直な思いを言っていいかい?」
「……なに?」
……この後、父の言っていた通りに秒で呆れたのを今でも憶えている。ただ、こうして実際に聖杯戦争に参加することになって、あの時の父の言葉を理解できてしまったような気がするのだから、笑えたものではない。
……命をかけた戦いに参加する以上、常に心の中に不安は残っている。自分の魔術の腕に多少覚えはあるとはいえ、他のマスターたちはきっと時計塔で修練を積んでいる自分より一歩も二歩も上の魔術師たちだろう。ただ、そんな状況の中でも、何故か私の心はわくわくしていたのだった。……これぞ、血は争えないということわざ通りということだ。
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
――英霊たちと肩を並べて戦えるなんて、これ以上に楽しそうなことはないだろ?
――父の叶えられなかった夢、そして私が叶える夢となるための聖遺物は召喚陣と共に眩い光を放ち、暗い地下室を一瞬で白に包む。
「――きゃあっ!?」
そして凄まじい衝撃波が、辺りのあらゆるものを吹き飛ばし、埃を舞い上げる。
「……どう……なったの……」
埃と煙が充満した地下室、召喚されたはずのサーヴァントを探そうと立ち上がろうとした時、カチャリという金属音とともに、煙の奥に人影が見えた。
「……やった! 召喚は成功よ!」
煙が晴れ切っていないためまだ姿ははっきりとは見えないが、黒い南蛮甲冑に靡くマント、そして独特な前立ての着いた兜。間違いなく彼は私が召喚しようとした戦国武将、織田――
「……なんじゃ、この埃っぽい部屋は」
……成功の確信が、召喚されたサーヴァントの一声を聞くとともに違和感により止まる。覇気はある、鎧兜も逸話に非常に近いものだ。ただ、声が明らかに男性のものではない。渋い系じゃなかったとかではなく、どう聞いても女性の声としか思えなかった。そして、よく見れば背丈も恐らく私より低い。当時の平均身長を鑑みても、特段身長が低いという逸話がなかった彼なら、150後半の私よりは確実にあるはずだ。
「サルの城のように金ぴかにしろとは言わんが、いくら何でもここはひどすぎじゃろ。わしを呼ぶのなら、茶の飲めそうなわびさびのある部屋を希望したいんじゃが……」
……二言目を聞いた時、私の違和感は確信へと変わった。召喚されたサーヴァントは“彼”ではない。いや、正確には、歴史の教科書などで何度も見てきたあの“織田信長”ではない。
「お、そなたがわしのマスターか。サーヴァント、アーチャー、召喚に応じて参上じゃ!!」