橋姫は橋を守護する存在。でもだからと言って橋から離れたら死んでしまうというわけでもない。結構自由な存在だといえる。
「・・・少し、お腹が減ったわね」
妖怪といえどもお腹は空くし、空腹では力も出し切れない。
旧都の歓楽街も食事所はいっぱいある。
「さて・・・今の時分なら、勇儀たちが何か騒ぎを起こしてる頃だし。歓楽街には近づかない方が身の為かしら」
時刻は亥の刻、そろそろどんちゃん騒ぎか喧嘩騒ぎが起きる頃合いである。そうなったら、おちおち晩酌もしていられなくなる。
ならば行くべきところは、歓楽街でなく寂れかけた旧都のはずれ辺りがちょうどいいだろう。
この腹の空き具合を鑑みれば、結構な量食べれるだろう。
食べたい物も特にないし、適当に郊外の飲食店に立ち寄るか。
そうパルスィは、行き先を大まかに決めて歩き出す。
歩き出したとたんに、ビュウと吹いた風に、身を震わせた後ぽつりと一言パルスィはこぼした。
「・・・冷えてきたし、暖かいものでも食べましょう」
問題を起こす奴はあらかた繁華街にいるだろうが、一応のために分身に留守役をまかせ、パルスィは今度は行く先を一つに絞って歩き始めた。
歓楽街をいくらか離れた通りに、その店はある。
『消麺虫』と書かれた小振りな赤提灯を軒先に吊したその店は、知る人はよく知る麺類専門店だ。
拉麺にうどんに蕎麦、洋食ならパスタなんかもある。まぁ、それ以外のメニューは飲み物かご飯ぐらいしか存在していないが、それもまたこの店の個性と言える。
大陸の方に消麺虫という妖怪がいるらしいが、この店の店主は別にその妖怪というわけでなく、無類の麺好きというその妖怪にあやかって付けたらしい。
良く言って隠れ家的、悪く言えば手狭な店は、よく清掃されていて埃一つない。席も客が不快に感じない距離感を保っているが、その分少し席数は少なく感じる。
「いらっしゃいませ橋姫様」
入店すれば、必ず丁寧な言葉掛け。これは、この店を気に入った要因の一つである。
早く料理を食べたい私は、カウンター席にさっさと座る。
注文は短い方が客にも店にも良い、客はすぐにお腹が膨れるし、店としては回転率がよい。まさにWin-Winという奴だ。
「いつものお願い」
あいよーと陽気に笑って、店主の妖はすぐさま麺を湯に浸ける。
ここは顔を覚えてもらえるほど何回も行った行きつけであり、私の頼む物も大体同じなため、店主にはいつものというだけで通じてしまう。
店主の手際は数十年の修行が物語る洗練された動きで、麺を湯がく間にさっとスープを器に注ぎ、具の用意をしている。
スープは、ここらではどうやっても嗅げないはずの魚介出汁を使用している。本当にいったいどうなっているのか気になるが、店主は企業秘密だとしか言わない。
そんな風に考えていると、麺が茹で上がり、惚れ惚れするような見事な湯切りの後、スープに麺を入れ、具を並べてしまう。
「お待ちどおさまでした」
店主はそう言って注文した料理を差し出す。
容赦なく吹き上がる湯気は、その料理が熱々なことを物語る。
濃い茶色をしたスープは湯気と共に濃厚な魚介出汁の薫りを、鼻腔に届ける。具は、分厚く切られた叉焼が贅沢にも三枚並べられ、その隣には昆布がひとかたまりあり、その隣にある麺麻も六本と少し数が多いように感じる。
叉焼、昆布、麺麻が器の上半分側の縁をなぞるように置かれ、そしてその具たちに包まれるように、葱と鳴門が置かれている。
さて、見て楽しむのはこのくらいにして、そろそろいただこう。
いただきますと手を合わせたら、まずはスープの堪能だ。
置かれたレンゲを手にとって、スープを掬う。
舌を火傷するのは嫌なので、ほんのちょっぴり口に含んで慣らした後、レンゲに残ったスープを口に含む。匂いからも伝わってきた濃厚な魚介の風味が、直接舌にも伝わる。豚骨などにある脂のギトギト感はなく、さらさらとしたさわやかな舌触りが、幻想郷に珍しい魚介のおいしさをさらに高めている。
「うん・・・おいしい」
寒さに晒され冷え切った体に、スープの暖かさが染み込む。
さて、スープを味わったら次は具だ。
割箸を割って、分厚い叉焼を掴む。厚さはおおよそ一分五厘、スープによって柔らかくなった叉焼は、口の中で程良くとろける。
店主特性のタレが染み込んだ特性叉焼は私が気に入る一品だ。
麺麻も同じようにタレが染み込み、おいしさが溢れる。
具も堪能したら次はメインディッシュとも言える麺を味わう時間だ。
この店の麺はちじれ麺ではなくストレートな麺、チュルチュルと口に吸い込まれる。
やはり、寒い日は拉麺が一番ね。と心の内で呟いて、次の麺を口に運ぶ。
もう一口、もう一口と数口食べてると気づかぬ内に髪が数房垂れる。暖かい空気によって汗ばんできた肌に張り付き、少し不愉快に感じる。
スッと指を垂れた髪に通して耳にかける。
世に言う色艶やかな姿という物だが、この場では特に見せる相手はいない。いや、見せたい相手なんていないのだけれど・・・
しばらくの間、麺はチュルチュルと喉に吸い込まれ、箸は止まらずに、レンゲによってスープが喉に流れ込む。
最後の一麺を喉奥に流し込むと、ほぅ、と暖かい空気がこぼれる。
拉麺を食べ終わった幸福感が、ポカポカした感覚としてお腹を中心に全身へ巡る。
スープは全部飲み干すのも拉麺を味わった結果の一つではあるのだけれど・・・少しお腹周りのことを考えて、全部飲むのはやめておく。あの馬鹿に摘まれたら癪だし。
食後の余韻を堪能した後に席を立つ。
お値段も手頃に払える額でお腹と同じで懐も暖かい。
ありがとうございましたという心のこもった声を背に店を出る。
「さて、幸せな内に帰って寝ましょ、寝ましょ・・・」
ピュウと吹いた風に、若干の涼しさを感じながら、私は家路についた。