魔女というのは面倒な生き物だ。ただ食べ物を食べれば満たされる、というものではない。魔女によるが、私は人間の子供を食べなければ満たされない、そういう呪縛を身に宿してしまった。ただ幸運なことに、この国は今、私にとって大変都合が良い。貧困故に、子供が次々と森に捨てられていた。そして今日も、この森に子供の気配が。夜を待ち、使いの鳥を放った。もうすぐやってくるはずだ。この……お菓子の家に。
「兄様、この壁、チョコレートで出来ていますよ」
ほらほら、やってきた。子供の声だ。しかもどうやら兄妹か。今日はなんともツいてるね。
「この飾りはグミです……こっちはキャンディ。扉はビスケットでしょうか」
ふふ、せいぜいはしゃいでいるがいい。子供の考えることは単純だ。どれ、家の中に夕食を招くとしよう。私は家の扉を開け、声のする方へ笑顔を向けた。一人の子供がスポンジケーキの柱を指で抉り、その指を舐め、しゃぶっている。よほど腹が減っていたんだろう。私にも気付かず、夢中なようだ。
「お嬢ちゃん、私のおうちは美味しいかい?」
私の問い掛けに、しかし、その子供はまるで反応を示さない。こちらを向くことさえも。けっけっけっ。本当に空腹だったんだね。これは楽に、食事にありつけそうだ。
「お嬢ちゃん、そんなものより家の中に、もっといいものがあるよ。こんがり焼けた肉に、暖かいスープ。ふわふわのパンだってもちろん。さあ、そこじゃ寒いだろう。家の中へお入り」
子供が壁を指でほじるのをやめ、ようやく、私の方を見た。指を舐め……なんだいこの子。なんて虚ろな目だ。ずいぶん長いこと森を彷徨っていたんだろうねぇ。
「お嬢ちゃん、私の言葉がわかるかい?」
「兄様、誰かいます……ええ。そうですね……わかりません……はい」
ん? そういえば一人しか見えないね。兄さんの方がちっこくて、この子の後ろに隠れてる? けど……いや、一人だね、この子。他に人の気配なんて、ありゃしない。
「お嬢ちゃん、とりあえず家の中へおいで。寒さと空腹をなんとかしてから、他のことは考えればいいさ」
「……はい」
こちらへ寄ってくる。良かった、警戒はされてないみたいだね。私は厨房へ。最後の晩餐を用意してやろう。
「まずはスープで暖まりな」
扉が閉まる音に、振り返り言う。ん? 何か持ってるね。鳥籠だ。中のあれは……鳥じゃない。あれは……え? なんだいそれは。子供の頭。生首じゃないか。
「な、なんでそんなものを持ってるんだい?」
「兄様、いい場所を見つけましたね。今日はここに泊まりましょう。はぁ……疲れた」
そう言って、壁際に座り込んでしまう。なんだいあの子。どうにもあれは、精神的に病んじゃってるね。兄さんを殺されたってところか。ああ、長いこと生きてると色々あるもんだ。あの子はこのまま生きてても辛いだけだろう。私が終わらせてあげよう。
「お嬢ちゃん、そこがいいのかい? こっちのテーブルに座ってもいいんだよ? ほら、兄さんも一緒に」
「……」
「そこがいいんだね」
私はスープを皿によそると、お嬢ちゃんの方へ持っていった。
「さあ、お飲み」
お嬢ちゃんの前の床に置くと、お嬢ちゃんの視線はスープへ。しかしすぐに、生首の兄さんへと移ってしまった。
「ビーツは嫌いかい?」
「兄様、スープが一皿しかありません。私は後からいただきます。先に飲んでいいですよ」
「ああ、ごめんよごめん、もう一皿持ってくるからね」
全く可哀想な子だ。さぞ兄さんのことが好きだったんだろう。
「ほら、兄さんの分も持ってきたよ。二人で仲良くお飲み」
「あぁ……」
ようやくお嬢ちゃんの手が、スープに伸びる。あ、しまった。眠り薬を入れるのを忘れてたよ。まぁでも、こんなに弱りきった子、眠らせる必要もないね。
「どれ、鹿の肉焼きを持ってくるからね。火傷しないようにゆっくりお飲み」
あらかじめ肉を焼いていたかまどを開け、焼き加減を見る。うん、いい具合だ。ハーブの香りも効いている。かまどから肉を出し……皿へ盛っていく。ふむ……しかしあの幽鬼のような目。あれは素質ある者の目だ。兄さんを殺した人間への憎しみも相当だろう。あるいは魔女見習いとして、一先ず召使にしてやるのもいいかもしれないね。ちょっと試してみて、それでもしダメでも、食っちまえばいい。うん……いいかもしれない。
「さあ、肉焼きも兄さんと二人分、用意してやったからね。たーんとお食……」
皿を手にお嬢ちゃんの方を見る、と……いない。お嬢ちゃんの姿がすっかりと消えてしまっていた。スープはそのまま。何処へ行った?
「うっ」
胸に鋭い痛みが走る。見れば、私の胸の辺りから槍の先が顔を出していた。背後に気配を感じる。妖気とは違う、狂気。それは魔力でなく、感情が生み出す魔性。
「兄様、仕留めましたよ。わたし達の新しい家に、わたし達二人だけの……ええ、きっとそうだと思います。泥棒です。物騒な、世の中ですね」
槍が引き抜かれる。黒い血が溢れだし、私は膝をつき、手を胸へ。魔力で傷の修復を。
「ああ、いい香り」
髪が捕まれ、ひょいと持ち上げられる。なんて怪力だよ。いや……違う。ああなんてことだね。頭と体を切断されちまった!
「こうですか? 確かにこれで、醜い顔を見なくていいです。流石兄様」
私の頭が投げ捨てられ、部屋の隅に転がる。そして私は後悔することに。なんで魔女なんかになっちまったのか。なんで今日この娘を家に招いちまったのか。
「兄様、焦らないでください。ふふふ、ぺこぺこですか? あぁ兄様、本当に可愛らしい人」
お嬢ちゃんが私の身体だったものの腹に手を差し込み、臓物を引っ張り出す。魔女でなけりゃとっくに死んで、こんなものは見なくて済んだってのに。私の臓物を舐め、しゃぶり、噛り付いている。なんてことだ。人食い魔女が、人の子に食われるなんて。冗談じゃない。しかも生で食うなんて。私の作った折角の料理が冷めていく。
「お嬢ちゃん、私だって人の子を食べるときは調理くらいするよ? 獣じゃないんだからさ」
首の下に、よしこれだ、蜘蛛の脚を生やした。椅子の上へ、台所の上へ、跳び移る。
「まさかお嬢ちゃん、兄さんまで食っちまったんじゃないだろうねぇ?」
槍が飛んできて、危うく串刺しにされそうになった。
「この槍、もしかして人形共の差し金かい? 全く趣味が悪いね。そもそもお嬢ちゃんを酷い目に合わせたのも、あの人形共なんじゃないのかい?」
お嬢ちゃんの目が私を見ている。静かな目だ。しかしあらゆる感情が渦巻いている。そしてその内にある一つの感情でさえ、お嬢ちゃんには誰のものかすらわからない。あぁそうか。そうなんだね。本当に可哀想な子だ。
「はい、すぐに潰します。それからゆっくり食事を」
頭に鷲の翼を生やす。しょうがないね。しばらくこの家は貸してあげよう。可哀想な……二人に。迫ってきたお嬢ちゃんの手を避け、宙へ飛び出す。
「お嬢ちゃん、また会おう。次ぎ会う時は人形共の呪縛から解き放たれてるといいけど。いや、もう手遅れだろうね。ともかく今日のところはさよならだ。私が戻るまでこの家は大事に使っておくれよ。じゃあね」
飴細工の窓を破り、外へ。私は夜の闇へと飛び去った。
ヘンゼルとグレーテル。食い扶持減らしの為に森に捨てられた双子の兄と妹が、空腹の中でお菓子の家を見つけ、そこで魔女に遭遇する童話。捨てられることを知っていたヘンゼルはパンの切れ端を帰り道の目印に落としていったが、両親が木を切ってくると言って姿を消したとき、すでにパンの切れ端は森の動物達に食べられてしまっていた。
魔女に捕らわれたヘンゼルは檻に閉じ込められ、グレーテルは魔女の召使に。常軌を逸した生活の中で、グレーテルはヘンゼルを監禁し飼育することに心の安らぎを感じ始め、同時にゆがんだ愛情を抱き始めます。
魔女を倒した二人にはしかし、帰る家はないでしょう。グレーテルはヘンゼルを檻から解放するでしょうか。解放した後、何をするでしょうか。すでにグレーテルも魔女になっていたのならば、彼女もまた魔女がしようとしたのと同じことをするかもしれません。ヘンゼルは抵抗するでしょう。抵抗の末にグレーテルを殺してしまうかもしれません。心の弱いヘンゼルはその現実には耐えられないでしょう。ヘンゼルは何があってもグレーテルを生かします。例え彼女を殺してしまっても。そうしてヘンゼルはグレーテルに成り代わります。自身の犯した真実から目を背け、自身の心さえ、欺くのです。
本来的に二人は狂っていました。ですので例えば、お菓子の家を見つけるのがもう少し遅ければ、空腹は二人に同じことをさせたかもしれません。