本当は残酷すぎるシノアリス童話   作:司薫

10 / 27
いばら姫【夢は天使の輪を漕ぐ空の枝】

 怖い夢。それはきっと怖い夢。だからもうひと眠り。それでいつも、元通り。

.

 ふわぁ~。誰かが言い争ってて、起きちゃった。微かに目を開けて、見えたのはパパと、あれは確か、担当の先生。私の眠り病について、何か話してる……パパの、怒鳴り声。いつもは優しいパパなのに。私の為に怒ってるのはわかるけど、その先生は悪くない。悪いのは私だよ? でも、眠くて眠くて……きっと次に目を覚ましたら、またやさしいパパに戻ってる。そうだよね?

 心地良い日差しと、涼しい病室。魂が眠りに落ちていく。

.

 喉の渇きに瞼を開く。砂漠を歩いてた。うん、夢の中で……人々の悲しい目を憶えてる。

 日差しの中で、白い、看護師さんが点滴を変えていた。本当に真っ白、なんてわけじゃなかったけど、雰囲気というか、持っている空気が、白い静けさを持っていたの。

 看護師さんが私の覚醒に気付き、側に、身を屈める。私は視線だけ、看護師さんに向けて……あぁ、眠い。

「まだ眠らないで。私の質問に答えて欲しい」

 とても静かな声で、私のまどろみの中に溶け込むような、けれど、私のまどろみの奥で響くような、何か強い意志のこもった、声で。私の瞼はまた少し、開きなおした。

「ありがとう。でも時間は限られている。だから……率直に、聞く。私があなたを殺すことを、あなたは望むか?」

 何を、言っているの? 始め、そう思った。けれど、彼女の悲しげな瞳が、言葉以上に多くを物語っている。私は、パパとママを、悲しませてる。悲しみの茨の中に、閉じ込めてる。それはいけないこと、だけど、考えても仕方ないから、ずっと考えないでいた。でも……看護師さんはそのことを言ってる。そんな選択肢、急に言われても。それに、私はどうせ死ぬ。なのにわざわざ、どうして? そんなに辛そうな眼をしているのに。

「わからない」

 意識が溶けていく。私は逃げてしまったんだと思う。彼女の悲しみに対する疑問を、質問の答えに替えて。怠惰の腕が泥のように、私を眠りの沼へと引き摺り込む。待ってくれと、遠く聴こえた……。

.

 冷たい風が私を起こす。夜だった。カーテンがはためいてる。窓が全開に……違う。窓は大きく、割れている。明かりがない。窓の外も、見える範囲だと、月明かりしかない。何? 何か普通じゃないことが、起こってる。誰か……。

 そのとき、外から女の人の悲鳴が聴こえた。次いで聴いたことのない唸り声と、何かが街を駆ける音。何? 考えたくない。きっとこれは怖い夢。そうに決まってる。

 沈む意識の中、廊下を疾駆し近づいてくる何かの音が耳に届く。それは決して人ではない、何か恐ろしいもの。最後に見えたのは病室の入口にかけられた、大きな黒い、尖った手だった。

.

 金色に輝く粉が舞っている。重い門の開く音が聴こえた気がして、瞼を開いた、私、を、金色の粉が包み込んでいた。黄昏色に染まった病室を、金色の粉が舞っている。病室の壁は罅割れ、ベッドの囲いは破れ落ちている。

 ゴゴオオオオォギギィギギギギィギィギギ。巨大な門が開くような音。窓の外を見ると、空が、鈍く赤い雲に覆われていた。世界がその色に染まっている。そして遠く、蠢くものがある。巨大な、人の形をした、何か。それが一体、二体、三体。街を踏みつぶしている。世界を終わらせている。

「怖い、夢……」

 まどろみに、身を任せて。目覚めれば全て元通り。

.

 目を覚ました時、いつも初めに視界に入るものが、なくて。あれ? 天井がなくなってる。代わりに灰色の空が見える。病室は、もう部屋とは言えない惨状。何もかもが崩れ落ちて、窓、のあった方を見ると、街は瓦礫の原。ところどころ、巨大な不発弾が突き刺さってる。きっと、あの巨人か何かを、倒そうとしたんだね。それで全部壊れちゃった。私だけを除いて。

 ゴォオオオっと、地響き。何か、大きなものが私の上を通過していく。でもそれは目には見えない。存在しない、存在。だから形のない概念も、踏み砕かれていく。あーあ。

 でも、これはこれで、もう何も心配しなくていいんだ。死ぬまで眠っていられる。ふわぁ~。お外で寝るのも悪くない、ね。最後の破壊を聴きながら、私は夢の中。ふわふわと、舞い落ちる。

.

 変な感じ。浮かんでいく。おふとん、おふとんだけは、ちゃんと掴んでおかないと。この際ベッドは、諦める。ああ、本当に、浮かんでいくみたい。空はもう何処かへ飛んでいっちゃった。

 暗い、宇宙へ、みんな吸い込まれて、ゆっくり浮かんでいく。あれは、ママがくれたクマの人形。ふわふわ、星に向かって浮いていく。あっちは一度だけ使った車椅子。ふわふわ。もう車輪は必要ない。救急車や、病院の中庭、みんなふわふわ浮いていく。

 割れた大地の大船団。だけど何処へも行きつかない。だってここが終点だから。

 きらきらお星さまを眺めながら、ふぁ~、ちょっと手を伸ばしてみる。掴めそう。ふふ。ふぁ~。静かな暗闇と、遠い星達が、私の意識を吸い込んでいく。吸い込んで、その先の夢へ。いいよ。私は目を閉じて、全てを無限の空間に委ねた。

.

 どうなっちゃったの? 気付くと生まれる前の赤ちゃんみたいに、身体を丸めてて、あぁ、全然動けないや。オーロラみたいな、無限の色と光の中を流れてる。それか、流れているのは私以外、その全て。悲しくて涙が溢れだす。よくやったね。全ての子達にそう伝えたい。長くて短かった。醜くて愛おしかった。かつて必死に生命を燃やしてきた無数のそれらが時間の先で無限の中で線になって映し出されてここに収束する果て無き点。そう、未来の終わりで過去の全てが収束していく。全ては今起きていた。時間を失ったこの一瞬にも満たない虚空の中で。唐突にオーロラは消え去る。

.

 炸裂する。爆発する。空間の広がりと共に外縁に引きずられていく。一瞬を認識する手前で闇へ、放り出される。到底起こり得るはずのない衝突が無数に繰り広げられていく。音のない世界で、覚醒の騒音が、生まれたばかりの空間を埋め尽くしていく。やめて。やめてやめてやめてやめてやめて!!

 音が生まれた。夢の大樹に突き落とされる。

.

 夢の大樹が芽を付ける。ッハ! 意識が、意識が芽吹いた。ずっと見ていた。微生物以前から始まるその歩みを。それを認識した。でもわからない。理解はできない。まだ私は存在の内側へと至っていないから。瞬きの中に荒れ狂う灼熱の海を見た。瞬きの中に原初の歩みと無慈悲な滅亡を見た。そして今、私は赤い岩肌を眺めてる。どこでもない、ここから。

 お猿さん達が輪になっていた。その中心に、眼鏡をかけた女の人がいる。女の人は木の枝を片手に、何か、話し、地に書いていた。お猿さんの内の一匹がそれに手を伸ばそうとして、ぴしゃりと手を叩かれて、頭を枝で小突かれる。ふふ。

 視界がぐらっと揺れ、回転していく。回転の中で火を囲み、お猿さん達が躍っていた。無数の風車が回り、電気を帯びていく。沼の泥がパイプ管を通って、そして、巨大な竈に火が灯る。瞳の中へ、瞳の中へ、瞳の中へ。世界が闇に包まれる。

.

「ううん、これではないわ。だって、このお面は、私よりも必要としている人がいるから」

 声がしていた。静かで、とても優しい声。眠りへ誘うような。でも、誰?

「他にお面はございませんか? 少女はそう言って、狐のお面を返しました。お面屋は」

 瞼を開き、視線を、声の方へ。白い女の人がベッドの傍らで、絵本を読んでいる。看護師さん?

「それなら、こっちのお面はいかが? きっとみんなも喜ぶよ。旅のお面屋はそう言って、セイウチのお面を取り出しました。少女はセイウチのお面を手に取ると」

「なんていうお話?」

 看護師さんが私を見て、悲しく微笑む。

「やっと起きたな」

 悲しい、でもとても優しい、微笑みだった。けど……看護師さんの顔は、とても人とは言えない、類人猿の顔をしていた。




 茨姫。とある国の王と王妃の間に王女が生まれ、盛大なパーティーが開かれた。しかし一人の魔女が招待されなかったことに怒り、王女に15歳になったら糸車の針に刺さって死ぬという呪いをかける。良い魔女はこの呪いを打ち消そうと願いを掛けるが、死ぬ代わりに100年の眠りにつくと、呪いを弱めることしかできなかった。そうして王女は15歳になったある日、糸車の針を指に刺して永い眠りについてしまう。呪いは黒い茨となって城全体を覆い、そこにいた全ての者も眠りに落としてしまった。100年後呪いは解け、ちょうどそこへ隣国の王子が通りかかる。王子が王女にキスをすると、王女と城の者達は目を覚まし、王子と王女は結婚して幸せに暮らした。
 不死という非存在、その綻びは暴走をした非存在の証明装置、かぐや姫の解放により確固たるものとなりました。世界の原則は崩れ、存在と非存在の境界は夢という現実と非現実の境界を通して崩壊していきます。ライブラリ世界のいばら姫と精神的連続性を持つ現実世界の園田糸織(15)は反復性過眠症(クライン・レビン症候群)を患っており、ほとんどの時間を夢の中で過ごしていました。誰よりも夢という非現実に近い存在。それ故に、世界の非現実・非存在は彼女の夢を通して現実世界へと流れ込み、現実・存在を侵食していきます。
 また睡眠は、ある種の時間加速機構であるでしょう。ほんの一時の夢を見る間に夜は過ぎまた朝が訪れています。100年の時も呪いを受けたいばら姫にすればほんの一瞬の時間。そうした主観的な時間間隔すら、現実と非現実の境界の崩壊は主観性と客観性の境界の崩壊として現出していきます。誰も何もわからないままに、世界は終わり、そしてまた始まりを迎え、また終わりへと疾駆していくのでした。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。