覚醒は新たなモノガタリの始まり。私達にとってそれは最早、確認するまでもない日常だった。この断片化された存在を、今日もあの気味の悪い二体の人形に、好きなように弄ばれる。
「今度は、何」
目覚めた私は椅子に、縄で縛り付けられていた。手も腰の後ろで拘束されている。そして、騒がしい。四角いテーブルを囲むようにして、右側では巨大な帽子を被った男が奇声を上げながらジャムをスプーンで飛ばし、左側では義眼の兎が重ね合わせた皿を咥えて唸りを上げていた。テーブルの上にはチーズケーキとティーポット、多過ぎるティーカップに、多過ぎる皿、その下に散らばった無数のフォークやスプーンやナイフ……食器が多過ぎる。
「アリス! 起きるんだアリス! いつまでも寝てるんじゃあない!」
私は帽子男の方を一瞬見て、しかし彼は相変わらず奇声を上げているだけと気付いて義眼の兎の方を見た。
「こら! 早く起きないか!」
「……起きてるわ」
兎が言葉を話すことに関しては、この世界では取り立てて言うことではない。
「どこが!? 証拠はあるんだろうね!?」
「え、なにこれ」
手首を捻り、拘束を解こうとしてみる。けれど、私の両手を束縛する縄は、まるで外れそうにない。
「ダメだダメだダメだ! 足をテーブルの上に出しなさい! マナー違反だろうに!」
「足じゃなくて手でしょ? それに、手が縛られてて」
「失恋はぁ、マーブル模様のロケットキャンデー」
帽子男が意味不明の言葉と共にジャムを飛ばし、壁の的に命中させた。そして私に顔を寄せ、歪んだ笑顔をこれでもかと、見せつけてくる。
「ロケットキャンデー、ロケットキャンデーどこ?」
正面の席に小さな手が現れ、姿を現したのは小さなヤマネ。どうやら目が見えていないらしい。手探りで食器の山の上を、こちらへ近づいてくる。
「なるほど興味深い!」
義眼の兎がヤマネの尻尾を掴み、ティーポットの中に閉じ込めた。
「お茶はいかが?」
帽子男がヤマネの入ったティーポットを手に勧めてくる。
「結構です」
「まぁまぁ、そう言わずに」
手近にあったティーカップに紅茶が注がれ、いや、注ぎ過ぎ、カップの外へ紅茶が漏れていく。
「あぁ~、庭園に隠れ咲く小さな薔薇よ。あなたにも一目見て欲しかったぁ~」
「それでそれで!?」
「箱に詰めたのさ。一枚ずつ、一枚ずつ」
「おお~なるほど!」
「熱っ!」
太ももに紅茶が垂れ、思わず椅子を引いた。
「ああ失礼!」
帽子男がフォークを私の顔目掛け突き出す。私は床を蹴り、避けたが、そのまま後方へ椅子ごと倒れてしまった。
「いっ」
背中を痛みが突く。その時ふと目の端に映る、見慣れた影。見ると、低い鉢植えの中、半ば植物に埋もれ、半ば土に埋もれ、不気味な人形、ゴシック調の服を着た少年型のマリオネット、アンキの姿がそこにあった。けれど……何かおかしい。まるで本当にただの人形であるかのように、動かない。
「アリスが消えた! アリスが消えた!」
「なんと! すぐに芝刈り機を持ってこよう!」
「そうだそれだ!」
帽子男が走り離れていく。まずい。この一人と一匹は、この狂った世界の中でも特に、狂っている。
「だから言ったんだ。誕生日でない日を祝うならともかく、誕生できなかった日を祝うなんて」
なんとかして拘束を解かないと。机の上のナイフを……机に視線を動かしたところで、私はそれに気が付いた。天井に、巨大な人形、ロリータファッションの少女型マリオネット、ギシンが縛り付けられている。でもなんであんな大きさに?
「パーティをするときに一番大切なのは、誰を招待するかさ」
アンキ同様、動かないギシン。でもそんなことはどうでもいい。実際どうでもいいし。
「来ない人を招待してもしょうがないもんね」
くぐもったヤマネの声が聞こえる。私は脚を振り、テーブルを下から思いっきり蹴りつけた。
「ああう!? 何をするんだアリス!」
「見えてるんじゃない」
「見えてる!? まさか! でもこんなマナーの悪いことをするのはアリス、きみだけだ!」
「うるさい」
再び思いっきり、机を蹴る。するとバラバラと、ナイフやフォークや、皿まで落ちてきた。脚にナイフが、フォークが、突き刺さる。
「うっ」
痛い。でも、唇を噛み、痛みを堪え、脚を動かし、ナイフとフォークを振るい抜く。
「さあオソウジの時間だ!」
帽子男の声。そして芝刈り機の音が聴こえてくる。
「芝刈りなのか掃除なのか、はっきりして」
椅子ごと身体を動かし、後ろで結ばれた手を、可能な限り、伸ばす。
「もちろん死ばかりさ!」
机の下に義眼の兎が顔を出す。届いた! ナイフを手に、縄に刃を、当て擦る。
「マナー! きみは本当にアリスがなってないよ!」
「逆でしょ」
兎の顔を蹴り付け、切れた! 立ち上がり、ナイフを構える。義眼の兎が顔を抑え、帽子男が芝刈り機を手に近づいてくる。
「兎の穴でも通れるようにぃ、細切れにしてあげるよぉ~う?」
「誰もそんな場所通りたいなんて言ってない」
ナイフが光を帯びる。何か、繋がった感覚がした……わかる。ライブラリと、繋がった。ナイフが剣へ変化し、魔力を帯びていく。
「なんて自分勝手な!」
帽子男が芝刈り機をテーブルの上に乗せ、食器の破片にナイフにフォーク、あれやこれやを弾き飛ばしてくる。私はしゃがみ避け、噛みつこうとしてきた義眼の兎の喉にナイフを突き刺した。
「ひぎぇああああ!!」
「喉刺されて悲鳴上げるのおかしいでしょ」
「悲鳴が上がらない相手なら殺しても心は痛まないって?」
帽子男が芝刈り機を振り上げる。今。帽子男の懐に飛び込み、その腹を、横一直線に切り裂いた。
「はぁ~、酷い娘だ」
帽子男の裂けた腹から、薔薇の花弁が溢れ出す。なら義眼の兎は? 見れば、喉から義眼がゴロゴロと、転がり出ては床へ散らばっていく。帽子男と義眼の兎は、見る見るうちに縮んでいった。
「キシャー!」
飛びかかってきたヤマネを真っ二つに。中からキャンディが溢れ、後には皮だけが残された。
「っハ! ここはドコ!? 私はギシン!」
「ッは、こコワっ、わワッ、口の中ニ土がっ」
天井のギシンと鉢植えのアンキが目を覚ました。周囲の壁が崩れ、本に囲まれた、見慣れたライブラリ世界が浮かび上がっていく。
「なんだったの?」
「それハこっちガ聞きたいデス! アリスの世界ハ狂いスギ」
「我々ノ想定を上マワる狂気に、逆ニ支配されてシマったのデショう」
「デスがナイトメアは倒セタみたい。めでたシめでたシ!」
最後にテーブルが消えると、後には数枚のバラの花弁と、兎の義眼が一つ、キャンディ一つだけが残された。本当に……狂い過ぎ。
「めでたシめでたシ!」
「めでたシめでたシ!」
不思議の国のアリス。ある日アリスは兎を追い、深い穴へと落ちてしまう。大きくなって小さくなって、涙の海で溺れかけ、狂った住人達と意味のない問答を繰り返し、詩の朗読を強制され、まるでフェアーでないゲームに、初めから判決の決まった裁判。アリスは激怒し、気付けば川辺の木陰で横になっていた。
物語の作者、ルイス・キャロルはオックスフォード大学で数学教師をしていました。アリスは同大学学寮長ヘンリー・ジョージ・リデルの娘です。嘘か真か、二人の間には密接な関りが。しかしある時を境に、彼とリデル家は完全に接触を断ってしまいました。
シノアリスの登場人物アリスは現実編で高校に通い、教師と恋愛関係・不倫関係にあります。いえそれどころか子供まで身籠ってしまい、しかし教師には別れ話を持ち掛けられ、おなかの子諸共に自らの命を絶つことを考えるのです。
いばら姫の夢を通して崩れ出した存在と非存在の境界、現実と非現実の境界は、現実世界とライブラリ世界の境界の崩壊として、また現実世界の精神とライブラリ世界の精神の境界の崩壊として現れだします。現実世界のアリスが身籠った子を小さな薔薇と例え、中絶手術について話す悪趣味な帽子屋と三月兎。このパーティは生まれてこれなかったおなかの子の誕生を祝うパーティであると、どうしてこんなに残酷で最悪なことを思いつくんでしょう。
ともかくギシンとアンキもその活動に支障をきたす程の歪みが世界に溢れ出しています。アリスは原因究明の為、二体の人形と共に動き出すのでした。