本当は残酷すぎるシノアリス童話   作:司薫

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ハーメルン【コレクターの最大限の妥協】

 葉を運ぶ、小川のせせらぎ。丘の上から、男はそれに耳を澄ましていた。しかし……騒々しく、川の流れの方向さえわからない。

 男の視界にはいつからか雨が降っていた。昨日今日の話ではない。もう随分昔、彼が当たり前の真実に気付いたその日から。雨は、世界を覆う膜、そこに無数に走る亀裂から、滲み出し、溢れ、ノイズとなって降り注いでいた。

「シミが出来てしまう」

 男は皺一つないタキシードにポケットチーフを充てがう……。

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 人の趣味をとやかく言うものではないが、その男の趣味はやはり、常軌を逸していた。悪趣味という訳ではない。むしろその逆。趣味が良すぎていて、それが問題だった。

 レースカーテンの隙間からこぼれる朝日の中で、男は目を閉じ、紅茶に口を付けている。近くのベッドの上には一人の女性が。女性は青いドレスを纏い、永遠の眠りの中にいた。

 男は考える。自分の趣味を完璧なものにするためには、どう、世界の法則を捻じ曲げればよいのかを。コレクター、収集家にとって、重要なことというのは三つあった。まずは当然、見つけ出し集めることである。そしてやはり、物の価値がわかる者にいかに感動的に物品を披露するか、それも重要であった……うん。男にとって、この二つはさして難しいことではない。うまくやっていた。

 問題は三つ目だ。つまり……収集物の保管と保全。特に保全が難しく、これは古代エジプトより試行錯誤されてきたが、今だ完全な保全というのは現実のものとはなっていない。特に旅人である男にとっては、巨大なピラミッドを建て一所に留まるというわけにもいかず、またミイラを温度と湿度により保全するための電力の常時確保も難しかった。それに……そもそもミイラは美しくない。男はそうとも考えていた。

 では液体窒素による冷凍保存はどうか。それなら電力も必要ない。継ぎ足し用の液体窒素さえあればよいのだ。しかもミイラとするより肌の状態維持もしやすく……いいやダメだ。根本的なところで、それでは男の願う美しさの保全は叶わない。つまり……生きている必要があった。生きているにも関わらず、老いず、変わることのない美しさ。かつてよりそれを求めていたが、今、それが早急に必要だった。

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 男はその日、笛吹奏者として城の舞踏会に招かれていた。

 舞踏会も終盤に差し掛かった頃だ。遅れて到着した一人の来賓があった。彼女が会場へ足を踏み入れると、舞踏会に来ていた誰もがダンスを止め、彼女のその美貌に息を飲んだ。従者も連れず、しかし堂々と会場を進むその美女に、王子の目も釘付けに。美しいモノを探すため笛吹奏者として舞踏会に参加していた男の目も当然。美女はそして、さも当たり前といった様子で真っ直ぐに王子の元へと進み、来賓者達も自然と道を開けた。王子はあまりの美貌に言葉も出ないまま、美女に手を差し出す。美女は美しくも何処か不敵な笑みを浮かべ、それに応じた。

 王子は少しでも多くの人間にその美女を見せようと、王子専用の階段上の舞踏台へと美女を導く。二人はそこでこの世のものとは思えない美しいダンスを交わし、人々はただ、それを眺めていた。笛を奏でるその男一人を除いて。

 やがて、十二時の訪れを知らせる鐘が鳴る。どういう訳か、それまで永遠にも思える美しい時間の中でダンスを踊っていた美女は突如として王子の手を離し、階段を降り始めた。人々は騒めき、しかしその騒めきを再び静寂へと戻す、悲劇が起こってしまう。

 階段を慌て駆け降りる美女。その足が、ドレスの裾を踏んでしまった。つまずき、跳ね、美女は一瞬、宙を舞う蝶のように見えた。そして……グシャリ。最悪な音が、舞踏会を締めくくった。

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 旅人である笛吹き男がその街へ来たのには訳があった。ある、噂を聞いたのだ。それまで男を動かす噂と言えば美しいもの(者)の噂がほとんどだったが、今回は違っていた。行商人から聞いた話だ。その街の近くには他のいくつかの街との間を隔てる、深い森があった。そしてその噂というのは、その森の何処かに存在するという、お菓子の家の話。お菓子で出来た家。しかもきちんと食べられるという……どういうことだ。いかにして品質を保っているのだ。男はそれが気になり、この街へとやってきていた。

 しかしながら、実際街へ着いてみるとお菓子の家の噂など一つも聞くことが出来ずにいた。代わりに聞くことが出来た噂といえば、魔女の噂くらいなもの。なんでもこの街ではかつて魔女狩りが行われ、多くの魔女が処刑されたという。ただ後になって分かったことだが、処刑された魔女のほとんどはただ疑惑を掛けられただけの者で、実際には魔女ではなかったらしい。ただ一人、確実に魔女であった者を除いて。そしてその魔女に関してだが……火炙りの最中、何故か首がもげ、その首は未だに見つかっていないらしい。

 紅茶を飲む、男の手の甲に蝿が止まる。男は瞬きするよりも早くハエを指で潰し、ポケットチーフにスッと香水を吹きかけ、手の甲を拭いた。

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 処刑ヶ丘に陽が沈む。男は尚もそこにいた。座ることも、背を曲げることもせず。赤く落ち沈んだ世界に男の影が長く長く伸びていく。夜が来る前の、最後の風の一吹きが、過ぎる。

「ご相談があります」

 男は半ば呟くように口を開いた。男の背後に影が集まり、形を成していく。歪な躰を黒衣で包み、闇に浮かぶ、首。頭部を覆う鷲の翼が広がり、赤い二つの瞳が開く。

「ああ、なんて悍ましい」

 そう発したのは男でなく、異形の者の方だった。男は振り返り、氷のような目で魔女を刺す。男の周囲には魔女の持つ影とは違う、死の暗がりが広がっていた。旅をする、死の表象。彼は今、永遠の命を与える力を求めていた。

「考えを変えたのです。いえ、あるいはこの妥協の仕方は、私にはもう耐えられない。最も美しい状態で、全てを終わらすなど。劣化を見るよりマシ、それだけです。やはり美しさは永遠でなければ。あなたにはそれができるのでは?」

「……終わりがあるから美しい。そうは思わないかい?」

「思わない」

「そうかい……いいだろう。しかし見ての通り、今の私は小さな灯火だ。夜が来なけりゃこうして姿を現すこともできやしない。まずは私に薪をくべてくれるかね?」

「契約しましょう」

「ああ、いいよ」

 魔女の翼から一枚の羽根が飛ぶ。男は羽根を掴み取り、懐から紙を出すと、それに一筆走らせ、羽根に突き刺して魔女へと投げ返した。羽根は魔女の影へ吸い込まれ、契約は結ばれる。

「子供が必要だ。その笛でここへ連れて来な。多ければ多いほどいい。永遠の薬の材料にもなる」

「いいでしょう。ですがまずは一人です。狼を一匹、それも連れて来ます。その狼にまず、永遠の命を。あなたの力の状態も考慮し、試薬品で構いません」

「ふむ……いいよ。それで手を打とうじゃないか。魔女なんて基本信用ないしね」

「ご理解いただきありがとうございます。では後ほど」

 男の姿が夜闇に消える。

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 その日、一人の子供が消えた。更に三日後、街中の子供が姿を消す。子供達が消えるまで、人々が気付いたものはただ何処からか漂い聴こえる笛の音だけだった。




 ハーメルンの笛吹き男。ハーメルンの街の人々と契約し、依頼を受け、男は笛を吹き、その音色で鼠達を街の外へ連れ出し、川で溺れ死にさせた。しかし報酬は渡されず、契約は破られる。男はその報復に街の子供達130人を連れ去り、子供達が街へ戻ることは決してなかった。
 1284年6月26日に実際に起きたとされるその出来事で、男の名は不明であるどころか、何者であったのかすらわかりません。あるいは130人の死という事実のみが真実であるという説も。戦死説やペスト説、異教徒殺傷説と様々な説がある中で、130人の子供達が消えたのは処刑場のあたりであったとも言い伝えられています。
 男はあるいは人に争いをさせ、死へ導く者でした。男はあるいは疫病を撒き散らし、人を死に追いやる者でした。男はあるいは不道徳を説き、人に死を望ませる者でした。男は死、そのものだったのです。
今回ハーメルンが契約を交わすのは町人でなく魔女です。ハーメルンはとある舞踏会である美女の死に遭遇し、その美女の死体を持ち帰ってコレクションしようとしたのです。しかし死んでいてはやはり本来の美しさからはかけ離れてしまう。美女の生前の美しさはハーメルンをそのことに気付かせました。かくしてハーメルンは蘇りと不死の力を持つお菓子の家の魔女の元を訪れます。しかし魔女はグレーテルにより深手を負い、力を失った状態でした。魔女は力を取り戻すため、大勢の子供達を引き渡すことを条件に、蘇りと不死の薬を提供する契約を持ちかけます。ハーメルンは了承し、また魔女も人間とは違い、契約を守るのでした。
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