本当は残酷すぎるシノアリス童話   作:司薫

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ターニングタイム04【冒涜の日】

「そろそろ四つ目のターニングタイム付近に到着しますよ」

 タイムホールの渦中を進む、タイムバイクマシーン。そしてドロシーとアリス。アリスは退屈そうに魔人イフリートの入った箱を揺すっている。

「……三つ目じゃなくて?」

「四つ目です。一つ目はほら、アリスさんが私に裁かれてた裁判」

「え、じゃあ一つはドロシー自身のせいってこと?」

「せいっていうのは違いますよ。人聞きが悪いですね」

「……」

「ほら、出口が開きましたよ、ってこれは」

「え、あ、ちょっと」

 タイムホールから銀のバイクが飛び出す、とそのまま夜の荒れ狂う海面へ一直線!

「ドロシー!」

「私の名前は万能の呪文じゃないですよ!」

 海面にタイムホールが出現する。銀のバイクは再びタイムホールに突入した。

「ですが私は万能です!」

「心臓に悪い」

「ちょっと調整しますかね~」

 ドロシーがタイムバイクマシーンの設定を弄る。

「海でしたけど、まぁ海ということは、辿り着いたのは彼女の痕跡でしょうね。そうしまして、彼女が陸に上がる前ということですから、つまり、なるほど」

「相変わらず人に伝わらない独り言」

「船があるはずということですよ。そしてその船が沈まないようにするのが今回のミッションです」

「何をすればいいかはわかった。というか沈むんだ」

「沈まないようにするんですって」

 タイムホールの出口が見えてくる。今度は暖かな灯りに照らされた船の甲板が見えてきた。大勢の人々がシャンパンを片手に談笑し、楽し気な音楽に合わせてダンスをしている。

「船の沈没を防ぐ前に乗客全員轢き殺す予定?」

「物騒ですねアリスさんどいてくださああああい!!!」

 ドロシーが下唇を噛み、タイムホールから飛び出したバイクを必死の形相で操作する。湧き上がる悲鳴。銀のバイクは人々の間を縫うように進み、船内へと続く扉の前でぎりぎり停止した。

「ふーう! どうですかアリスさん私のテクニックは!」

 ドロシーが振り返ると、そこにはシャンパンまみれになったアリスの顔があった。

「わざとやってます?」

「それこっちのセリフ」

 二人、バイクから降り、そして自分達を凝視し囁く乗客たちの方を向いた。

「皆さんご無礼をお許しください。王子様いますー?」

「わ、私だが」

 人だかりがさっと左右に広がり、パーティの主催者、海辺の国の王子が姿を現す。

「あぁそこにいらっしゃいましたか」

 ドロシーはにこっとして言うと、金のボールペンを取り掲げた。

「ちょっ」

 辺りが眩い光に包まれる。光が収まると、王子を含め人々は口をぽかんと開けていた。

「えー皆さん、私達は街の天才科学者とその助手です。王子様、今日はお招きいただきありがとうございます。本日の空模様は嵐の予感。その時が来ましたら皆さん我々の指示に従ってください。その為に招かれた者ですので」

 ドロシーがスパッと説明すると、人々はこくこくと頷いた。

「ドロシー、わたし髪が何だか変な匂いするんだけど」

「さっき付けた香水じゃないですか?」

「……そっか」

 ドロシーが手をパンッパンッと叩く。

「さぁ皆さんパーティを再開しましょう。生きているうちに」

 こくりと、人々は頷く。そして少し戸惑いのある調子で演奏が再開し、すぐに人々も元のパーティに戻った。遠い空ではすでに、黒い雲が渦を巻き始めている。

「キミ達、その機械はいったいなんだい?」

 そう言って近づいてきたのは王子だった。ドロシーは深々とお辞儀をし、シャンパンまみれのアリスもそれに倣う。

「王子様~、流石にお目が高い。これはあらゆる時空を飛び回ることのできるタイムマシーンなのですよ?」

「タイムマシーン? ハハッ、面白そうだ。乗っていいかい?」

「ダメです」

 ドロシーが金のボールペンのボタンを押す。光が周囲を一瞬白く変え、王子は再度直前の記憶を喪失した。

「これは王子様が気にするようなマシーンではありません。気にしないでください。いいですね?」

 王子はこくこくと頷く。

「よろしい。それじゃアリスさん、調査と行きましょうか」

「わたし髪が何だか変な」

「香水です香水」

 その時、トランペットの悲鳴が船上に響き渡った。ドロシーの懐からモーター音が。懐中時計を取り出すと、文字盤の上では無数の針が猛回転していた。雨が一滴二滴、懐中時計を濡らしたかと思うと、途端に土砂降りの雨に変化する。

「竜巻が来るぞおおおお!!」

 男の叫びが響き、同時に強風が船上を襲いだした。何人か海上を指差し、見ればその方向には巨大な竜巻が吹き荒れ、船に向かってきている。竜巻はあるものを巻き込んでいて、そのあるものというのは通常あり得ないことだが、無数の鮫であった。

「シャークネードだ! シャークネードが来るぞ!!」

 ドロシーは片眉を上げ、竜巻を見つめる。

「どうしてこんなところに」

「え?」

 ドロシーが金のボールペンを

「させない」

 アリスはドロシーの手を掴み、金のボールペンのボタンが押されるのを防いだ。

「どうしました?」

「とぼけないで。今、どうしてこんなところにって。あれは何なの?」

「シャークネードですよ。鮫を含んだ竜巻です。知りません?」

「そうじゃなくて。いや知らないけど。まるで逃げた自分のペットを見つけたみたいな言い方」

「……今日は勘がいいですね」

「説明して」

「そこまでおっしゃるのでしたら。ええ、あのシャークネードは私が創ったものです。時空を開く怪物、鍵穴たるシャーク・ジラーの断片でしょう。ハーフナイトメアと化したアリスさんの一撃が鍵となり、鍵穴は時空の扉を開き、同時にシャーク・ジラーはいくつかのシャークネードとなってあらゆる時間へ飛び散ったのです。それがたまたまこの時間に現れたなんて、どうして、と思いまして」

「やっぱりドロシーのせいだった」

「ですからそうではないんですって。人聞きが悪いですよ」

「人の意見なんて気にしたことないでしょ」

「まぁそうです」

 ドロシーはけろっとして言い放ち、銀のバイクの後部座席を上に開く。そして何か十字型のものを取り出し、掲げた。

「テレレレッ♪ ドローン・シー爆弾~」

「……何それ」

「水分、塩分に強いドローン爆弾です」

「え、わたし爆弾の上に座ってたの?」

「まずこの起動スイッチをオンにします」

「聞いてない」

「そうしてあとは目標を設定して……それっ」

 ドロシーがドローンを雨降る天へ投げ上げる。すると十字型のそれは四方にプロペラを展開し、向かい来る竜巻へ向かって一直線に飛び進んでいった。

「あれで竜巻を消せるの?」

「消せるはずです。熱ではなく冷気を生む、超強力な爆弾ですので。普通の爆弾千個分くらいの威力です」

「なんてものの上に乗せてくれてたの」

「今回のターニングタイムはこれにて終了。科学の前に困難はありません」

「聞いてない」

 満足そうに懐中時計を眺める、ドロシー。シャークネードが内側から爆発し、暗雲さえも吹き飛ばす。そして晴れた空からは、鮫の残骸が降り注いだ。

「魚臭い」

「魚ですからねぇ……ぁあら?」

 懐中時計の文字盤の上、無数の針の回転は、しかし多少なりとも静まる気配というのがまるで見られない。ドロシーは顔を上げた。すると進行方向の海上に、青白い稲妻が走る。かと思うとその場所には、先程と同じ竜巻、シャークネードが再発生していた。再び天が暗雲に覆われ、雨が、大粒の雨が降り注ぐ。

「どうなってるの」

「今の発生の仕方からしましても、自然発生にはもちろん見えませんし、偶然また天文学的な確率でこの時間に別の分化シャークネードが飛ばされてきたか、あるいは何か、運命力のようなものがいよいよ働き出したか、つまり決まった未来へ事象が引き寄せられる現象ですが、しかしだとすれば私の見た類人猿への支配種シフトも生じなかったはず、とすれば、答えは一つではないでしょうか」

「つまり?」

「つまり、何者かが、シャークネードを呼んでいるのです。悲劇を望む、何者かが」

「……凄く分かりやすい」

 アリスは荒れる海上に視線を向けた。海面に一瞬、人影が覗く。その人影はその海模様にも関わらず、まるで溺れている素振りはないように見えた。

「人魚姫」

 シャークネードが再び船に迫り来る。

「ドロシー、とりあえずさっきの爆弾を」

「ありませんよ」

「え?」

「一機しかありませんでしたから」

「……どうするの」

「一旦逃げましょう」

 ドロシーはそう言ってタイムバイクマシーンに跨った。

「凄いチート感」

 アリスも人々を横目に銀のバイクに跨る。シャークネードはもうすぐそこに。バイクはエンジンを噴かし、向きを変え、船の先頭へ向かい走り出した。人々が船に掴まる中、鮫が降ってくる。その鮫を弾き飛ばし、そして、宙へ飛び出した! タイムホールが出現し、その中へ飛び込む。閉じるタイムホールの先で、船が風と鮫によって解体されていくのが見えた。

「またしても危機一髪でしたね」

 タイムホールの中、ドロシーはほっと一息をつく。

「犯人は人魚姫なの?」

「人魚、といいますか主にはセイレーンですが、彼女達はその歌声によって嵐を呼ぶと言い伝えられています。時空を超えるシャークネードまで呼び寄せられるとは初耳ですが、時空を超えるシャークネードなど私が初めて創り出したものでしょうから、その情報がないことに関しましては不思議ではありませんね。あり得ないとは言い切れないことが実際に起きたのならば、あり得ることとして捉えた方が効率的でしょう」

「それじゃあ、またあの場所に戻って、今度は竜巻が来る前に人魚姫を始末する?」

「またまた物騒ですね、アリスさん。そうしましょう」

 タイムホールに出口が開く。また、人々は鮫竜巻が来るとも知らず、シャンパンを片手に音楽とダンスを楽しんでいる。

「もし轢いちゃったらまたやり直しましょう」

「ゲーム感覚やめて」

「もしですよ。もし轢いてしまったらで皆さんどいてくださああああああい!!」

 タイムバイクマシーンが船の甲板へ飛び出す。悲鳴が上がる中、銀のバイクは人々の間を縫うように走り、船内へと続く扉ぎりぎりで停止した。

「どうですかアリスさん! 私の操縦テクニック、ますます腕が上がっている気がしますけど!」

 ドロシーが後ろを振り向くと、そこにはローストビーフを頭に乗せたアリスの姿があった。

「同意しかねる」

「あー、シャンパンよりマシでは?」

「……シャンパンってなに?」

「時間がありません、早いところ人魚姫さんを捕らえましょう」

「何か隠してる」

「メンヘラ彼女みたいなこと言わないでください」

「わたしはメンヘラじゃない」

「なんなんだきみ達は」

 気付けば二人は人々に囲われていた。その中から声をかけてきたのは、海辺の国の王子。ドロシーは迷うことなく金のボールペンを取り出した。

「アリスさん目を」

「初めて事前に言ってくれた気がする」

 アリスが目を閉じ、ドロシーは金のボールペンのボタンを押す。眩い光が辺りを包み、人々は口をぽかんと開けた。

「どうも皆さん。私達は伝説の人魚ハンター、ドロシー&アリスです。この度は王子様、お招きいただきありがとうございます。早速ですが近くに人魚の気配がありますので、そうですね、王子様、お手伝いしていただけますか?」

「あ、ああ。人魚か。面白そうだね」

「王子様はなかなか探求心の強い方のようで、素晴らしい。それでは私の指示に従ってください。まずはロープを、あの、どなたかロープ持ってますぅ?」

 そうして、ドロシーによる人魚姫捕獲作戦は始まった。

.

 金のボールペンには直前の記憶を消す効果と、短時間、人の話をもっともだと思わせる効果がある。後者の効果は副次的なもので、脳が失った記憶を補うため情報を欲する故のものだった。ドロシーはその効果を最大限活かし、王子の身体にロープを巻き付けた。乗客にも手伝わせ、今、ロープを巻き付けた王子を夜の海へと降ろしていく。王子で人魚を釣る、人魚釣り作戦だった。

「雑過ぎでしょ」

「試行は回数を重ねる度に洗練されていくもの。初めの試行が大雑把な仕方であるのは自然なことです」

「倫理的配慮が欠如してる」

「邪魔なものは無い方が良いですからね」

「サイコパスだ」

「うあっ! 冷たいぞ!」

 着水した王子が声を上げた。

「冷たいのはわかっていまーす! 人魚に助けを求めてくださーい!」

「わかった! おーい! 助けてくれ人魚よぉ!」

「素直で可愛い王子様ですね」

「どちらかというと可哀想」

 しばらくすると、それまで助けを呼んでいた王子の姿が海に沈んだ。

「今です! 皆さん網を投げて!」

 ドロシーの合図でアリスと乗客達が網を投げる。網が荒波に飛び込むと、海の中から小さく悲鳴が聞こえた。

「かかりました! 引き上げてください!」

 引き上げられる、網。そこには確かな重み、王子のだけでない重みがあった。

「どっこいしょーどっこいしょ!」

「ドロシーも手伝って」

「あと少しですよ口より体動かしてください!」

「そのまま返したい」

 ドスッと船に網が上げられる。網の中には王子と、そして身体半分が魚の人魚姫の姿があった。

「な、なんなんですかこれ」

 人魚姫は怯え、震えている。

「さ、寒い。毛布とココアを持ってきてくれ」

 王子も凍え、震えていた。

「皆さん王子様に労いを。人魚姫さんは私達が処置します」

「処置って!?」

 怯える人魚姫に、ドロシーはニッコリと微笑みかける。

 王子と人魚姫は網から外へ出され、人魚姫は縄で縛られ、口に布を詰め込まれた。

「さぁてこれで、海の怪、人魚姫も嵐を呼ぶことはできません。此度のターニングタイムもサクッと解決。問題解決は天才ドロシーにお任せ。余った時間でディナータイムにでもしましょうか。天才の頭脳には栄養が必要です」

 ドロシーは上機嫌で懐中時計を取り出す。まるで普通の時計で、夕食の時間の訪れを確認するように。しかしドロシーが文字盤を眺めていると、無数の針はその回転速度を増し、振動し始めた。

「あんら~ん?」

 ゴロゴロと、遠く空から音がする。星空が暗雲に覆われていく。風が、船を揺らす。

「ドロシー、私の勘が正しければ、事態は悪化してる」

「悪化の現れか若しくは真の解決の予兆か、その判断は慎重に行わなければなりませんよ、アリスさん」

 その時、凄まじい雷鳴が響き、ドロシーの顔を黄色く照らした。アリスが振り返ると海上にはシャークネードが。そして雨がスコールのように降り始める。

「やっぱり悪化だと思うけど」

「撤退しましょう!」

 ドロシーが銀のバイクに駆けていく。

「はぁ」

「アリスさん! 人魚姫さんも連れてきてください! 何か知っています!」

「人魚姫も?」

 アリスの視線に、人魚姫はフルフルと首を左右に振った。

「何も知らなさそうだけど」

「何かに使えます!」

「……わたしを恨まないでね」

「んー!」

 アリスは人魚姫を抱え、タイムバイクマシーンに向かった。

「シャークネードだ! シャークネードが来るぞ!!」

 船員が叫ぶ。銀のバイクはドロシーとアリス、そしてアリスに抱えられた人魚姫を乗せ、煙を噴かした。人魚姫の口から布が飛び出し、同時にバイクは走り出す。

「なんで! ここ船の上ですけど! 私をどうするつもり!?」

「三枚におろします!」

「ええ!?」

「おろさないから……あんまりピチピチ跳ねないで」

「私を魚扱いしないでください!」

 銀のバイクが船の外へ飛び出す。

「きゃああああああ!!」

「あなたは海に落ちても問題ないでしょ」

「あ、そうでした」

 銀のバイクがタイムホールに突入する。そして……タイムホールの中、辺りには静寂が広がった。

「……え? なんですかここ? なんですかこの……空間」

 アリスの腕の上で、人魚姫は辺りをきょろきょろと見まわし、困惑している。

「時間と空間の狭間ですよ」

「あぁ……え?」

「そんなことより人魚姫さん、あのシャークネードについて、知っていることを話してください」

「……シャークネードって何?」

「ようやく普通の反応に出会えた」

「とぼけても無駄です。ってこれ、一回言ってみたかったんですよね。そうではなくて。あの鮫竜巻について、知っていることを教えてください。あれはあなたの住んでいた海域ではよく発生をするものですか? 若しくは、誰かがあれを呼び寄せているなら、その誰かについて、心当たりを教えてほしいのです」

「竜巻自体は……よくある。そういう海です。だから珍しいことではありません」

「まるで船を狙うように突如として発生しましたけど?」

「そんなこと言われても……そんなこと、私にはできませんし。姉達にだってできません」

「しかしあのシャークネードの発生の仕方は、とても自然なものには見えませんでしたよ。ある種の召喚術、そんな感じです」

「召喚術……それは魔術ということでしょうか」

「何か心あたりが?」

「……さっき、少し香りがしました。どこかで嗅いだ香り、と思って。今、魔術という言葉で思い出しました。あれは遺骸の魔女の香り。宮殿に彼女が現れたとき、ええ、あの時の香り。間違いありません」

「なるほど。人魚姫さん、その匂いでも見た目でもいいですけれど、船の何処にその遺骸の魔女がいるか探し当てられます?」

「たぶん」

「グレートです」

 ドロシーが銀のバイクのエンジンを噴かす。タイムホールの先に、船への出口が開く。

「じゃっ、行ってみましょうか」

「え、向こうに人がたくさん。船の上? だめ、轢いちゃう。ねえ! 加害者にはなりたくない!」

「被害者ならいいみたいな言い方」

「もちろん!」

 船上へ銀のバイクが飛び出す。人々が談笑し、歌い踊る船上へ。

「どいてえええええ!!」

 人魚姫が大声で叫び、人々もまた叫びを上げながら道を空けていった。そして銀のバイクは船内へと続く扉ぎりぎりで停止する。

「一度目の偶然を、二度目、必然に変えます。それが天才です。そして三度目、初めの偶然はもはやオートマチックな工程として、いくらかの注意さえ必要としません。それがこの天才ドロシーですよ」

 ドロシーがドヤ顔で振り返ると、人魚姫の姿はなく、アリスはその頬に赤い尾鰭の跡をつけていた。

「意図せずされたビンタの中で一番痛い」

「たぶん全部意図されてますよ」

 ドロシーは悪気なく言って、そして辺りを見渡した。ディナーテーブルの上に人魚姫が横たわっている。人々は空間の裂け目から突如として現れた銀のバイクと、半分人間半分魚の人魚姫と、どちらに視線を向けるべきか船上で目を泳がせていた。

「あー皆さんごめんあそばせ~? 私達魚料理の宅配に来たんじゃないんでしてね~?」

 ドロシーとアリスは銀のバイクから降り、人々の間を進む。そして人魚姫のすぐ側まで近づくと、ドロシーは金のボールペンを掲げた。

「アリスさん、ピカりますよ」

「了解」

 目を閉じる、アリス。そして辺りは一瞬、忘却の白い光に包まれた。夜の闇と、月の光、火の灯りが戻り、人々はぽかんと口を開けている。ドロシーは手をパンパンと叩き、人々の注意を自分に向けた。

「えー皆さん、私達は魔女ハンターのドロシー&アリスwithダウジング人魚姫です。早速ですがこの船に魔女が紛れ込んでいます。魔女はこの船に竜巻を招き沈没させるつもりなので、捕らえて悪さをするのを食い止めます。皆さんどうぞご協力を」

 人々はドロシーの協力要請に、こくこくと頷く。ただ人魚姫だけは、若干の困惑を浮かべていた。

「あ、あの、私なんで船の上に。人間に姿を見られてはいけないのに」

「人魚姫さん、今、あなたは人々を救うために必要だからここにいます。さぁ、嗅覚を研ぎ澄ませてください。この船に遺骸の魔女がいます」

「え? 遺骸の魔女が? でも……本当だわ。この香り。海の中よりはっきりしてる」

「今この場にいそうですか? それとも船内に?」

「……ここにいる」

 人魚姫が腕を上げる。そして腕を振り、人だかりの方を指差した。身に覚えのない者達はさぁーと左右に避け広がり、そうして、ハープ奏者の女が一人、残された。

「彼女が遺骸の魔女です!」

「……」

 ゆったりとしたドレスのその女は二歩三歩、後退る。

「捕らえてください!」

 ドロシーの指示に乗客達は女に掴みかかり、複数人で両腕を抑え込んだ。ハープが床に転がり、女はそのハープを目で追っていく。

「うーんなるほど。実にわかりやすい反応です」

 ドロシーは言いながら女に歩み寄り、ハープを拾い上げた。

「このハープの音色で竜巻を呼んでいた。そうですね?」

「そんなこと、できるわけありませんわ、ハンターさん」

「そうでしょうか」

 ドロシーは何を思ってか、一瞬しゃがみ込むと女のドレスの裾を掴み、上へ持ち上げた。

「ぎゃー!」

 それはドロシーの野蛮な行為に対する叫びではなく、女のドレスの中に隠されていた決して人間のものではない、触手の形状をした脚部に対して発せられた人々の驚愕の叫びだった。

「アリスさん拘束を!」

「ラジャー」

 アリスがライブラリから蒼い斧を取り出し、その柄を船床に叩きつける。すると遺骸の魔女の周囲に複数本の鎖が伸び上がり、赤いドレスに包まれた身体と、そのぬめつく触手を拘束した。

「束縛は見せしめの火炙り刑に似てる」

「メンヘラポエムいただきました!」

「わたしはメンヘラじゃない」

 鎖に束縛された遺骸の魔女は眉間に皺を寄せ、身体を捩る。しかしそうすることで蒼い鎖は逆に、より複雑に絡み付き、ついに指を動かすことさえも禁じた。

「おや?」

 ドロシーが遺骸の魔女の指から、指輪を抜き取る。月に照らし見ると、そこには小さく文字が刻まれていて、一部文字が欠けているが、何か冒涜的な言葉に続いて「秘密教団」と刻印されていた。

「……ん?」

 そして違和感があった。ドロシーだけではない。その違和感はアリスを始め、そこにいる誰もが抱いていた。まず明らかなこととして、一切の風が消え去っていた。船が移動をする乗り物である以上、必然的に生じるはずの空気の流れすらなく、しかしそれはあまりにも当然の理由によるものだった。船は波に揺られることすらなく、停止していたのだから。

「イア、イア、カトゥルー、ファタガン。イア、イア、カトゥルー、ファタガン」

 遺骸の魔女が呟いている。意味はともかく、その言葉が混沌や破滅といった、言い様のない恐ろしさと結び付いたものであることは、風に代わって辺りを包み込む冷たい空気の揺らぎとして、人々の肌に悍ましいほどの理解をもたらしていた。

「海が消えているぞ!」

 誰かがそう叫び、人々は皆船の縁へと集まった。船の周囲、いや、見渡す限り果てしなく、そこにあったはずの間違いなく海と呼べるものは痕跡すらなく、ただ何処までも続く単調な起伏として、世界には黒い泥の平原が広がっていた。信じられないことだが、船は動かずして座礁していたのである。

「ドロシー、何が起こってるの?」

「海底火山がかつてないほどの活性化をして、一瞬の内に、深海の底で何百年も眠っていた領域が隆起してきたのですよ、と言ったら信じますか? いいえ私は信じません。転移した可能性がありますね。船がではなく、空間自体が」

「いつにも増して理解に苦しむ」

「ええ、そうでしょう。これは私の勘、私ですら勘でしか語れないものですが、そうした理解を超えた現象です。そうして勘で語り始めたものは以降も勘でしか語れないわけですが……何か、来ます」

 ドロシーが泥の平原を遠く指差す。アリスは目を凝らした。空気中には黒い泥の平原より立ち昇る霧があり、目を凝らすうち気付いたことだが、その霧は酷い悪臭を含んでいた。死んだ魚の腐った匂い、あるいは、髄液が滴るままに放置され、死ぬことすら忘れた死体の匂い。やがて、霧の中に巨大な構造物が映し出されていく。霧により形がぼやけていくということが一般的だが、今、それはむしろ逆に働いていた。

「さっき、空間が転移した、そう言いましたが、少々訂正しましょう。今まさに転移しつつあります」

 ドロシーのそんな言葉も、アリスの耳にはほとんど入ってこなかった。巨大な構造物は黒く、薄れゆく月の光を反射して、白く輝いていた。形はと言えば、厚みのない長方形。ただそのように単純な形状であり、それ故に自然な岩の形であるわけはなく、同時に人類が意図して作り上げたものとしては、あまりにも機能性を有さない形状だった。あれは祭壇だ。遥か太古より、人智を超える者を崇める為のモノとして、誰に創造されたわけでもなく、始めから存在したモノ。今そこに存在するかはわからない、存在をしたとして距離的に見えるわけのない、崇拝者達の姿が、見える。崇拝の声が聞こえる。アリスは気付けば瞳の奥で、構造物を下から見上げていた。

「イア……イア……」

 呟くアリス、の頬をドロシーのビンタが襲う。

「痛……」

「アリスさん、あれはモノリスです。ただのモノリスです。あの程度で精神削られるとかメンヘラ過ぎでは?」

「わたしはメンヘラじゃない。今恐怖感よりもイラつきが勝った」

「それでよし!」

 ドロシーの懐から懐中時計のけたたましいモーター音が響く。

「あああああああああああああ!!」

 船の反対側で乗客の叫び声が聞こえた。アリスとドロシーは振り返り、そして、見上げた。

「ああ、あ」

「あああああああああ!」

 人々は皆、叫びを上げるか、あるいは声を失うか、もしくは人としての言葉を失っていた。あまりにも巨大な躰が船の脇に、船の縁に水掻きのある巨大な手を添え、見返しただけで気の遠くなるような瞳で、人々を見下ろしていた。船と同サイズの巨人であり、神話に語られるような魚人である。その常闇のような視線はあたかも時間を距離で捉えているようであり、そしてその感覚を強制する中で、遥か遠くから人々を傍観し、そうであるにも拘らず、すぐ背後で大口を開け、餌が自ら大いなる生命の輪の中に殉じ還ろうとするのを岩のようにじっと静観するような、無慈悲で無感情な、しかし敵意もない、原初の神にも似た様相を呈していた。

「アリスさん、あれを始末しますよ」

「正気?」

「正気だからこそでは。先行します」

 ドロシーがライブラリより、黒く輝く槍を取り出す。柄を握る腕は若干震え、しかしその表情には、好奇心に満ちた笑みが浮かび上がっていた。

「解体の時間です!」

 ドロシーが巨大な魚人へと立ち向かっていく。

「平時が狂気、なら恐怖感も探求心にすり替わって、警戒心すら感じない。やっぱり狂ってる」

 アリスはつぶやき、そしてライブラリより、刃の内に翡翠色の光の線を宿す槍を取り出した。

「ふぅ……」

 一息つき、天高く跳び上がる。巨大な腕を駆け上がるドロシーを眼下にちらりと映し、アリスは魚人の頭部を真正面から狙った。魚人は今、ドロシーの姿を目で追っている。チャンスだと、慢心していた。腕に力を入れた瞬間、魚人の片目だけがぎょろりとアリスを向いた。無数の牙が並ぶ口腔から舌が跳び出し、アリスはこれを槍でいなし避けるが、巻き戻りの際に脚を絡め取られてしまう。舌を槍で突くも、舌の表面には硬い棘がびっしりと並び、刃を受け付けなかった。口腔が迫る。アリスは狙いをつけ、槍を投げ放った。槍は魚人の片目を穿ち、アリスを掴む舌が緩む。アリスは落下し、間一髪船の外ではなく船のへりにぶち当たった。魚人の手が船のへりを引き、掴み上げ、揺らす。人々は船の上で壊れたピンボールのように転げ回り、ぶつかり合い、アリスもまた甲板を転げ回っていく。

「アリスさん遊んでないで手伝ってくれません!?」

 ドロシーは一人魚人と交戦し、ただ攻撃はほとんど通らず、巨大な水掻きのある手を、刃の付いた鞭のような舌を避けていた。

「遊んでない」

「イア、イア、カトゥルー、ファタガン」

 アリスが床にしがみつきつつ顔を上げると、そこにはピアノの上に腰掛ける人魚姫の姿があった。

「ねぇ、もしかしてあの怪物の方を応援してる?」

「え? いえ、だって、あの方は私達の海の守護者だし」

「どういうこと?」

「私も今全て理解したんです。船がやって来るたび嵐が多いとは思っていたけど、意味があった。遺骸の魔女の役割も。私は何も知らなかった。海の守護者、ダゴン様には生贄が必要だもの。遺骸の魔女は汚れ役を一人背負いこんでいて、それなのに私達は何も知らず、遺骸の魔女を忌み嫌ってきた。あぁ、可愛そうな遺骸の魔女。本当の悲劇のヒロインは彼女だったのね」

 人魚姫はそして、ぽろぽろと涙を流す。

「あなたの気になる王子様もこのままじゃ生贄の一人だけど?」

「愛した人は皆沈む。なんて悲しいのかしら」

「……ちょっとそのメンタル見習うべきかも」

「アリスさんガールズトークしてないで助けてくださーい!」

 ドロシーがダゴンの口の中、槍の上下を突き立ててなんとか食い止まっている。

「面白いからしばらく見ててもいい?」

「アズスーンアズポッセボー!」

「わたし数学の授業はきちんと聞いてたけど、英語の授業はあんまり」

「早く助けてください!」

「……仕方ない」

 アリスはライブラリより新たに鴉の頭蓋を模した槍を取り出し、船床に突き立て立ち上がると、ピアノに掴まった。

「人魚姫」

「なんでしょう」

「海の守護者がいなくなったら、あなたの世界はどうなるの?」

「……平穏が失われます。恵みが失われます。皆の顔から微笑みは失われ、争いと飢餓が私や私の家族、友人達を襲うでしょう……それってとっても」

「悲劇的」

 アリスの一言に、人魚姫はハッとした。

「人魚姫、あの魚人、ダゴンを倒すのを手伝って」

「どうして私がそんなこと」

「例えば、そこにハープが落ちてる。あなたが守護者様を応援するためにそれを弾いたなら、でも返ってそれは、わたし達に魔力として流れ込むかもしれない。その危険はあるとして、けどただ黙って守護者様を傍観するっていうのは、良くないんじゃない?」

「……そう、ですね。ダゴン様を応援しないと」

 アリスがハープを拾い差し出すと、人魚姫はハープを受け取り、そして細指を弦に絡ませた。ハープから、その種の楽器には似つかわしくない重々しい音色が奏でられる。音色は魔力となり、そしてアリスに流れ込む。

「あなたが仲間じゃなくて本当に良かった」

 アリスの身体が、闇鴉の槍が、紅く禍々しい呪いの色を帯びていく。

「アリスさあーん!!」

 ダゴンの口の中、槍を握るドロシーの腕は震え始めていた。

「ドロシー、それでいい……その位置がいい」

 アリスは槍を構え、しかしその構え方というのは敵を迎え討つ構えというよりは、投擲の構えであった。

「たーすーけぇてぇえくぁだあああ」

「あなたも魚人も……その位置がものすごくいい!!」

 アリスの手から槍が、呪いの一撃が放たれる。呪詛を纏った槍は真っ直ぐにダゴンの口へ。ダゴンの口の中のドロシーへ。

「なあああななななな!?」

 貫く。槍はドロシーの脇を擦り抜け、ダゴンの頭部に大穴を開けた。

「ひあああああ!」

 ドロシーがダゴンの口から飛び出し船上に戻る。ダゴンは後方へ倒れ行き、そして黒い泥の中へ、沈んでいった。

「あアリスさん! 殺されるかと思いましたよ!」

「まさか。殺意はあってもあなたを殺しはしない」

「殺意はあったんですね!?」

「ちょっとね」

 一陣の風が吹く。そして風が過ぎると、風音に変わって波音が帆を揺らした。空には星空が広がる。海の中では暗い深海の悲劇が、静かに幕を開けた。

「ドロシー、ここのターニングタイムはクリア?」

「そうですねぇ」

 ドロシーが懐中時計を取り出すと、文字盤の上、無数の針は若干の落ち着きを取り戻していた。

「針は荒ぶっています。ですが、ここは処置完了といったところでしょう。しかし時間も迫っています。時間をかけ過ぎたかもしれません」

 ガシャアアッ! と、何か、巨大なステンドグラスが打ち破られるような音がした。ただ星空が広がっているだけのはずの夜空から。そして巨大なガラス片が甲板に降り注ぐ。人々が逃げ惑う中アリスとドロシーが上空を見上げると、星空の一部が崩れ、その欠けた異様な空間の先に黒く輝く太陽が見えた。そしてあろうことか、その太陽には顔がある。顔といってもそれは、ただ何もない黒い窪みであり、しかし疑いようのないほどに、人間の頭蓋、髑髏の形状をしていた。

「アリスさん、バイクへ。長居は好ましくなさそうです」

「賛成」

 アリスとドロシーはバイクへと駆け寄る。夜天の髑髏の眼孔より、どろりとした、黒い液状の何かが、溢れ海に注がれる。そして波音と風音はいつしか、無数の悲鳴にすげ変わっていた。

「誰かが叫んでる!」

「ええ! しかもここには存在しない人間の叫びです! だからいけませんっ!」

 ドロシーとアリスは飛び乗るように銀のバイクに跨った。タイムバイクマシーンがエンジンを噴かし、前輪を上げる。

「離脱します!」

 そして走り出した。青ざめた顔で茫然と立ち尽くす人々の間を抜け、宙へ。そして現れたタイムホールの中へと飛び込んだ。




 ダゴン。ドイツ軍の捕虜となっていたその男は、脱走し、小舟で大洋を漂流していた。気付くと船は泥の大陸の上にあり、その果てしなく続く泥の平原は悪臭を放ち、得体のしれないものの死骸をそこかしこに突き出していた。男は救援の可能性を求め、歩き出す。やがて巨大な丘に、その頂上から続く峡谷にたどり着く。峡谷を下る中、白く輝くモノリスを発見し、そこに太古の文明を見た。そしてそれに出くわす。その鱗の生えた巨人は男に狂気をもたらし、人類の終焉を見せた。
 クトゥルフ神話においてダゴンは、地球の旧支配者たるクトゥルフを崇拝する神性であり、魚人として描かれる深き者共の統率者でもあります。『ダゴン』の後に描かれた『インスマスを覆う影』では深き者共の創設したダゴン秘密教団によってクトゥルフと共に崇拝される存在として描かれ、また漁村インスマスの人々に恵みをもたらす存在として描かれました。人々は恵みを得る代わり、やがて魚人へと変貌する宿命を負い、しかしその宿命は永遠の命を得ることでもあったので、教団の力は絶対的なものとなったのです。
 人魚の正体、ルーツについて、艦これの方の二次創作ではまた別のものでしたが、こちらでは深き者共が正に、そのルーツなのです。人魚達もかつては人間でしたが、ダゴンの恵みを得続けたことによって魚人となり、そして海底に棲むようになった、そういうわけです。ただダゴンは生贄を欲しますので、人魚の魔女は定期的に船舶を海に沈め、人々をダゴンへ捧げていたのです。その習わしを知る者は最早魔女の他、人魚の王のみ。人魚の王が地上の人間との接触を禁じていたのは、人魚達がやがて生贄となるかもしれない人間と親しくなってしまうのを防ぐためなのでした。
 ちなみに「イア、イア、カトゥルー、ファタガン」のセリフは映画の『DAGON』より。ダゴンとクトゥルフが混同されたような映画ですが、私は好きです。「くとぅるふ、ふたぐん」と言うより「カトゥルー、ファタガン」と言いたい派なのでした。
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