耳鳴りがしていた。コンクリートの天井が見える。揺れている。しかし、なんだ。音が聞こえない。身体を起こそうとして、何か大きな衝撃が空間を襲い、私は横になっていたストレッチャーの上から弾き飛ばされた。
あたりが粉塵に包まれている。床を這うように、部屋の端まで移動し、壁に手をつき立ち上がった。徐々に視界が晴れてくる。同時に、音も戻ってきた。何処からか破裂音や、爆発音、プロペラ機の音が聞こえてくる。そして発砲音と、男達の雄々しい叫び声、女子供の泣き叫ぶ悲鳴……混沌の音がする。
「早くいかなくては」
今にも崩れ壊れてしまいそうなその場所から、私は壁を伝い、明かりの入ってきている方へと向かった。既にいたる箇所の壁、天井が崩れ壊れている。出口も、ああ、半壊している。しかしなんとか抜け出せそうだ。瓦礫をかき分けるように、私は外へと出た。
「撤退! 撤退! 死者を回収しろ! 奴等に渡すな! 回収車回せ!」
街、いや、ここはもう、ただの瓦礫の山だ。瓦礫の合間を、戦闘服を着込んだ男達や非戦闘民の人々が走り逃げている。その反対方向では戦闘機が地上の何かへ向けて、銃撃を行なっていた。
「スノウそこにいたか」
声に視線を向けると、戦闘服を着た仲間が私に近づいてきていた。
「すまない。気を失っていたらしい」
男が私にサブマシンガンを差し出し、私はそれを受け取る。
「とりあえず一旦は凌いだ。が、第二波だ。こちらに向かって来ている。回収車の護衛を頼めるか?」
「ああ」
「頼んだぜ」
彼はそして、また部隊の方へと戻っていく。これは最早、戦争だ。人類と、奴等との。これ以上奴等を増やすわけにはいかない。
瓦礫の山を下ると、間もなくキャタピラ音と共に装甲回収車がやってきた。防護服に身を包んだ男達が遺体袋を担いで集まってくる。
「死亡確認医は?」
開かれた荷台に遺体を積み込む男に尋ねる。男は遺体を投げ込むと、私を厄介そうに見やりながら、溜め息をついた。
「大丈夫っすよ。ちゃんと死んでます」
「全員外傷は重火器によるものだな?」
「俺は俺が詰めた奴しか知りませんよ」
「死亡確認医は何処にいる」
「荷台の中に」
「……やられたか」
「ええ」
「仕方ない。続けてくれ」
助手席へ乗り込む。強化ガラス越しに荷台部分を振り返り見ると、いや、ほとんど何も見えなかった。天井部まで遺体が積みあげられ、いったい何体の遺体が積載されているのか、数えられる状態ではない。
「スノウさん、あなたが回収車の護衛に?」
運転席へ防護服を着こんだ女が乗り込んできた。
「ああ」
「そうですか。助かります。宜しくお願いします」
ゴーグルとマスクの奥で、彼女の表情は今この世界を包み込む分厚い灰の雲のように、深く沈み込んでいるように見える。確か、恋人がいたはず……聞かずにおこう。
「出します」
「ああ」
彼女がエンジンをかけ、回収車は動きだす。瓦礫をキャタピラが踏み砕く、その振動が伝わってくる。
「救えたのはほんの数人だけです」
「そうか」
一人でも救えたならそれは成果だ、初めはそう言えていた。しかし、仲間を失う内、そんなことは口に出せなくなってくる。それでも自分には、心の中では、そう言い聞かせていた。でなければ、全て意味がなくなってしまう。
「新しい秩序を」
彼女の呟き。見れば道の先、崩れかけた壁に、赤いスプレーでその言葉が綴られていた。降伏派の連中の仕業だ。
「それは人類の秩序ではない。我々は人類だ」
「はい」
荷台からゴトッ、と音がする。続いて、ゴトトッ、ゴトトッ、と……っ!
「車を止めろ!」
「はい!」
急停止すると同時に車から飛び降り、後部へ駆けて荷台を開いた。
「へくちっ、へくちっ、へくちっ」
「くそ!!」
遺体袋の間で子豚人間がくしゃみをしている。
「車から降りろ!」
私は叫び、サブマシンガンを撃ち鳴らした。撃たれ跳ねる子豚人間を、確実に始末する。間に合っていてくれ!
「あぁ、う」
子豚人間が倒れ込む。
「手榴弾行くぞ!」
騒ぎを聞きつけた戦闘員が荷台に手榴弾を投げ込む。私達は走り逃げ、地に伏した。爆発音と共に回収車が内側から吹き飛び、炎上する。
「やったか?」
「ぎゃあ!」
運転手の声。見ると子豚人間にのしかかられ、肩を食い千切られていた。
「野郎おお!」
戦闘員の男が制圧に向かう。
「おなかがすいた」
「おなかがすいたよう」
炎の中に少女の輪郭が浮かぶ。一つ、二つ、三つ。豚の耳を生やした、増殖する、同じ顔の子供達。奴等のくしゃみを浴びたなら、生者も死者も豚になる。世界の終末に現れた、人を食らい、人に成り代わる、感染生物。無限の子豚。
「食べ物だぁ」
「食べ物たくさん」
「うれしいなぁ」
子豚達が四散する。銃声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。戦闘員達が次々と、倒れていく。
私は立ち上がり、厚い灰の雲を見上げた。いつの間にやら、赤褐色の剣を手にしている。飛び掛かりくる子豚を、真っ二つに。ああ、私は何をしているのだろう。
気付けば頭から足の先まで、血塗れになり、私は無数の子豚達に囲まれていた。
「私達はただ食べているだけなのに」
「おなかがすいただけなのに」
「食べるのは悪いこと?」
「でも食べなきゃ生きていけない」
「どうしてあなたは私達を」
「殺すの?」
ぽつり、ぽつりと、灰の雲から雨が降る。感情も、思考も、泥の城のように、崩れていく。
「人を食べてはいけない」
「人は豚を食べるよ?」
「病気を撒き散らしてはいけない」
「好きでしてるわけじゃないもん」
「人を不幸にしてはいけない」
「私達と一緒になれば、みんな幸せ。毎日楽しいの。あなたさえいなければ」
「そうだな」
剣を振る。血を浴びる。灰の雨の中、決して流れ落ちることのない赤い滴りが、私を虐殺の剣と同じ色へ、染めていく。
「ああ…………ああああああああああああああああああああ」
七人の小人:スニージー(くしゃみ)。子豚人間に敵意はない。奴等はただそういう存在なんだ。感染を広め、仲間を増やし、人を食う。そういう生き物だ。しかしだからといって、人類は種の保存の為、彼等を野放しにするわけにはいかない。我々が人類である限り、奴等は罪そのものだ。そうだろう?
スノウホワイトは目覚め、すると今度は戦場の真っ只中にいます。ピノキオや赤ずきんを殺したのは夢の中での出来事だったのか、最早考えることすらありません。
世界は、人類は、子豚人間、子豚ウイルスの脅威に晒されていました。子豚ウイルスに感染すると、人は直ちに子豚人間へと変化してしまいます。子豚人間はそして、人類を襲い、時には銃器さえ使いこなし、人類を捕食し、それと同時に噛み付いた相手、くしゃみを浴びせた相手を更なる子豚人間へと変化させていきます。その感染力は死体にも及ぶもので、子豚ウイルスに感染した死体は子豚人間として蘇るのでした。だからこそ、人々は死体を置き去りにせず、回収し、後から完全に燃やすのです。
いったいこのウイルスはどこから来たのか。そう、このウイルスは不死薬の紛い物、その成れの果てです。それ故に死体まで蘇ってしまう。そういうものでした。
政府は遠に失われ、人類は各地を巡り、生き残りを集めています。しかし人類の中には、子豚人間とは戦わず降伏するべきという、降伏派と呼ばれる人々もいました。彼等の思想としては、子豚人間こそが人類よりもより完璧で幸福な種であり、皆子豚人間になるべきというものです。最後まで生き残る、その能力に長けた三匹の子豚が辿り着いたのは、ウイルスとして無数の人間を宿主とする在り方、「人間の家」だったのです。