本当は残酷すぎるシノアリス童話   作:司薫

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ターニングタイム05【堕落の日】

「ドロシー、あれはなんだったの」

 タイムホールの中、銀のバイクの後部席でアリスは尋ねた。

「あれってなんですか?」

「あれは……あれでしょ。だから、空に現れた骸骨、とか」

「ああ、あれですね……それこそ、あれ、としか形容し難いものでは?」

「急に海がなくなったり、巨大な魚人が現れたり、でもそれらと、あの骸骨や無数の悲鳴は、何か根本的に違う気がした」

「ええ。アラジンさんのターニングタイムをクリアした後に追ってきた、見えない巨人と同じ類いのものでしょう」

「だからそれが何かって聞いてるの」

「安易に言語化するべきではないと思いますけれどね。それでも仮に言葉を与えるとすれば、あれらは全て、世界の崩壊、それが現象化されたものですよ」

「関わりたいわけじゃないけど、私達の目的を考えると、あれらを放っておいていいの?」

「私達の目的はターニングタイムにて異常の原因を取り除くことです。結果に対して何かしらのアプローチを行うことではありませんし、そもそも、結果に対して為す術がない故に原因の方の処置を行なっているわけですから」

「なるほど……そういうことだったんだ」

「え? 今更ですか?」

「わたし数学以外はあんまり聞いてなかったから」

「そういう問題なのでしょうか。まぁともかく、そろそろです。気を引き締めていきましょう。ターニングタイムに関わる脅威といいますか、過去改変に対する反発力が大きくなってきている気がします」

「了解」

 タイムホールの出口が開く。その先は……暗い。闇だ。何も見てとることができない。

「すぐそこに壁がないことを祈りましょう」

 ドロシーはバイクのライトをつけ、少し速度を落とした。

 銀のバイクが暗闇の中へ飛び出す。そして十数メートル走り、停止した。

「ふぅ」

 ドロシーがバイクから降り、靴を鳴らす。足元から硬い音がし、そこがどうやら人工物の内部であることはわかった。

「アリスさん、ちょっと目を閉じてください」

「わかった」

 ドロシーが金のボールペンを取り出し、ボタンを押す。辺りは一瞬忘却の白い閃光に包まれ、ドロシーとアリスの目蓋の外側で、その広い空間の左右の壁際に並べ遺棄された人型の骸の数々が映し出された。辺りは再び闇に包まれる。

「わたし達も目を閉じるんだし、意味ないんじゃ?」

「暗闇の怪物が突然の来訪者を今まさに食い殺そうとしていたかもしれませんよ」

「なるほど」

 その時、前方から機械の作動音が聞こえた。おそらく自動扉の開閉音と思われる、そんな音。

「もう一度ピカります」

「どうぞ」

 再び辺りを白い閃光が包む。空間に変化は、ない。

「行きましょう」

 ドロシーは銀のバイクに備え付けられていた懐中電灯を手に取り、後部席から降りたアリスと共に歩き出した。数十メートルを歩き、金属製の壁、同質の扉に辿り着く。ドロシーが扉に手を伸ばすと、扉は先ほど聴こえたのと同じ音を立て、開いた。そして仄暗い緑色の明かりに照らされた狭い通路が現れる。ドロシーの視線が通路の隅々を観察する。やがて通路の一角に歩み寄り、そこにあった透明な材質の小窓から外を眺めた。ドロシーの瞳に青い星、地球の、その巨大な地の塊の三分の一ほどが映り込む。

「どうやらここは宇宙船の中のようですね」

 そう言ってアリスに場所を譲り、窓の外を眺めさせた。アリスは窓の外の地球と、地平線、星々を見つめ、壁に手を添える。その光景はあまりにも美しく、時を忘れさせ、息をつくことさえ忘れさせるような、そんな壮大さがあった…………その背後を、天井の通気口から黒い触手が狙う。

 ギシャアアア! 黒い触手がアリスの首目掛け跳びかかる。その瞬間、ドロシーがライブラリよりダガーを引き抜き、触手を宙で切り裂いた。

「え!?」

 触手が半身を残し逃げ去っていく。それは黒い蛇が数匹絡み合ったような動作をしており、明らかに生物としての挙動であり、しかし同時に、その形状に対して異様な素早さを有していた。ドロシーがしゃがみ、切断した触手の先を掴み上げる。断面からは粘性の高い青い血が滴り落ち、まだ少しビクビクと身を震わせていた。

「な、なにそれ」

「なんでしょうね」

 ドロシーの探求の瞳が得たばかりのサンプルを観察する。黒い触手は植物の蔦のような硬さをしていて、同時に人の髪のような質感をしていた。手の中でうねるそれをドロシーは両手で掴み、左右に引き延ばす。断面から青い粘液が絞り出され、床に垂れていく。しゃがみ見ると、床が若干の白い湯気を上げ溶けていた。

「どうにもこれは酸性の液体のようですね。舐めない方がよさそうです」

「舐めるっていう選択肢が入ってるのどうなの」

「しかもこの床の構造物質、金属は、なんでしょう。あまり一般的なものではないようです。かなり丈夫な、しかしそれを溶かすこの粘液。さっきの扉の音は入ってきた音ではなく出ていった音? するとこの生物は暗闇で活動できる。けれどニューラライザーは効かない。つまり視力はなく、視力以外の方法で空間把握ができ、逃げたということは知能もある程度あるということ、それに」

「ドロシー、わたしも一つ気付いた」

「ん? なんでしょう?」

「あなた、わたしを囮にしたでしょ」

「……確認する必要あります?」

「確認したい」

「私はそういう人物ですよ。安心してください。常に万全の状態でアリスさんを危険に放り込みます」

「全然安心できない」

「油断は大敵、良い心掛けです」

「殴りたい」

「あーこの粘液! これさえなければサンプルカプセルに入れられるのに!」

「つらい」

 ドロシーが触手を床に放り捨て立ち上がる。とその時、ドロシーの懐からモーター音が。懐中時計を取り出すと、無数の針は大いなる海の守護者、ダゴンが出現した時と同じ程に狂い回っていた。先の扉の向こうから、足音が聞こえる。ドロシーとアリスはそれぞれ、ライブラリより黒い短銃と蒼い小銃を抜き、扉へ向けた。扉が、開く。

「ああぁ」

 現れたのは、一人の男。男は白装束を身に纏い、歪んだ口からは異様に伸びた舌が垂れ下がり、目には瞳がなかった。悲痛か恍惚か、あるいはその両方か、声にはそうした感情が感じられ、しかしいずれにせよ、男がそれらから自身の意思で逃れることはできない状態であると、その理解が共感をもたらす絶望として、ドロシーとアリスに伝わった。腕脚の骨が一瞬にして溶け去るように、男は崩れ倒れ、床を舐めずる。後頭部には先程逃げ去った黒い触手と酷似したものが張り付き、それは男の脳深くに根差しているように思えた。

「ドロシー、珍しくあなたの見解を聞かせて欲しい」

「そうですね。何か、育毛剤と間違えて変なものを使ってしまったのでは?」

「聞かなきゃよかった」

 男が牙を剥き、蛇のように這い寄る。アリスの指が引き金を弾き、男は沈黙した。しかし黒い触手が、まだうねっている。ドロシーの追撃が男の頭部を弾き跳ばす。そして、触手はその動きを完全に停止した。

「アリスさん引き金軽いですね。見知らぬ船に乗り込んでクルーを殺傷、ただじゃすみませんよ」

「トドメを刺したのはあなた」

「普通は頭撃ったら即死なのですが」

「普通の敵と戦った覚えがほとんどない」

「一理あります」

 人とは異なるものとなってしまった、その死体へとドロシーが近づく。そうしてしゃがもうとした時だった。骸から光の粒子が噴き出す。ドロシーは片手で口と鼻を覆い、もう片方の手で光へ手を伸ばす。光の粒子に物質的な質量はなく、またこの空間には風もなく、にも関わらずそれは一定の形を成すように集まり、人の形を成した。ドロシーはヒューと口笛を吹き、立ち上がり、二歩三歩後退する。危険を予期してというよりは、ただその全身を観察するために。つまりそう、その光の人は危険なものであるようには見えなかったのである。

「撃つ?」

「撃たないでください」

 ドロシーが手で銃を降ろすよう合図をし、しかしアリスは銃を構えたまま動かない。光の人は死体を見下ろすように頭部と思われる箇所を揺らし、次いでドロシーとアリスの方を向いた。

「礼を言おうぞ」

 ドロシーとアリスの頭の中に、そう言葉が聞こえた。空気を振動させ伝える、そうした言葉ではない。音ではなくただ言葉として、二人には知覚された。

「礼ですか? もし皮肉でないなら、この船で起こっていることを教えてください。私達は力になるために来た者です」

「うむ……確かにそなた等が、トキヨミの申していた者達のようだ。今この船は、ナワハリの叛乱を受けている。ナワハリは元々現実・存在の囲いを瞳に映し、虚構・非存の証明を行っていた我々の仲間だ。しかし囲いに綻びが生じ、摂理の縄を締め直すべきところ、ナワハリはそれを放棄し、それどころか、我々の矯正を防ぐため、この船ごと堕とそうとしておる。我は他の者と共にナワハリを止めんと向かった……結果は見てのとおりよ。ナワハリは摂理の綻びより溢れ出る膨大な力を身に纏い、呪いに変え、我々に差し向けた。かくなる上は一つ。ウラナリの施法にて、世の影の半分を用いて、かの者を封印する」

「封印できるのですか?」

「うむ。可なり。しかし船の墜落は防げぬだろう。我々は皆我と同じように、肉体を失いもするだろう。しかしそれはいい。問題は」

「永続的な封印にはならない。そうですね?」

「……しかり。外より連れ出す者あらば、すぐにも封印は解かれよう」

「わかりました。では、私達が介入する場合の具体的な達成条件は? 殺したらまずそうですよね?」

「心配の必要はあらじ。我々は死なず。一時かの者を止めよ。不死の原薬、忘却の硫液を撃ち込まん」

「この船を侵略している者の叛乱の動機となった渇望・欲望それ自体を消滅させる。そういうことですね。なるほど、悪くない作戦です。アリスさんもそれでいいですよね?」

「わたし達は敵を仕留めて戦闘不能にさせればいい。そういうことでしょ?」

「ええまぁ、私達の役割としましては」

「ならいつもと同じ。わたし達は蝗害。飛来した場所の全てのイノチを蝕んで、また次の場所へと移動する。後には何も残らない。それが例え、始めから何もない場所であったとしても」

「ポエってます?」

「その叛乱者はこの先にいるの?」

「うむ。三ブロックほど先、コアルームに」

「わかった。ドロシー、急ごう」

「あら~? 妙に積極的ですね~。どーしました?」

「宇宙だから。あれ、が迫ってきたら、まずいでしょ。それに流れに任せてるとドロシーに実験台にされる」

「な!? そんなこと! ついに気付きましたか!」

 アリスは大きく溜め息をつき、先へ向かった。

.

 そして地獄があった。

「ヴァーレン、ディエ、オーヴェス、ヴィエ! ヴァーレン、ディエ、オーヴェス、ディエリ!」

 赤く染まった部屋の中、上半身の皮を剥がされた人間達が輪を作り踊り歌っている。皮膚のなくなったその表情は、最早わからない。ただアリスは、それが歓喜の表情でないことを願った。輪の中心には赤い柱が伸び、柱の先には複雑な紋章が描かれた球体が据えられている。その球体の更に上には、黒髪の女性が蜷局を巻いていた。そう、蜷局だ。女性の下半身は蛇のような形態となっており、同時にその胴体からは蠢く触手が幾本も伸び揺らいでいた。そして天井からは無数のモニターが吊り下げられ、中では人々が黒い触手から逃げ惑い、叫びを上げ、あるいは惨殺されている。映像にはしばしばノイズが走り、ノイズの中では歪な骸骨が断末魔を上げていた。

「なんなのこれ」

「興味深いですね」

 ドロシーの視線が部屋の壁へと移る。壁には赤い血に染まった無数の人間達が張り付いている。初めそう見えた。しかしよくよく目を凝らせば、彼等は胴体、四肢、頭を繋ぎ合わされ、その中を何かが流れ巡っている。ただポンプとして整形された肉塊。ドロシーは一瞬だけ彼等の意識の有無を考え、すぐにポンプであることの意味に思考を切り替えた。

「鬼ごっこの鬼は私になったのかと思っていましたが、まだそちらから来てくれる方が。とても嬉しいです」

 呪文の中で黒髪の女性がアリス達に顔を向ける。目には布切れを巻き、その内側から血が滲んでいるのが見て取れた。アリスは思う、あれは、もう目は見えていないのではと。そしてドロシーは考える、目は、何処だ? と。

「あら、異邦の方々、でしょうか。遥々、ご苦労様です。わたくしはかぐや姫。あなた方は……」

「わたしはアリ」

「なんでもいいです。わたくしになるのですから」

 ドロシーがアリスを突き飛ばす。黒い触手がアリスのいた場所に槍のように伸び、ドロシーはそれをライブラリから取り出した刀で、切断した。触手が飛び出した場所へと戻っていく。壁に張り付いた人間ポンプの、その口の中へ。

「眼鏡の方、お強いですね」

「賢さを強さに含めるなら、私は間違いなく最強です」

「まぁ……」

 上半身の皮を剥がされた人間達が、なおも呪文を呟きつつ、輪を崩す。そして両腕を蛇の牙のように変化させ、ドロシーとアリスに襲いかかった。アリスが銃で皮のない頭を吹き飛ばし、ドロシーが悲惨な身体を切断していく。

「慈悲もないのですね」

「私達の目的はあなたを抹殺することです。船のクルーを助けに来たんじゃないんですよ。ましてや、求婚に来たわけでもありませんしね? さて、あなたはこの船を落とすつもりだと聞きました。大胆な目的ですが、その方法も実に大胆なようです。この船を操縦するため、そしてクルーを効率的に抹殺するため、この船と一体化しようとしていますね?」

 ドロシーの言葉に、半蛇のかぐや姫は笑みを漏らした。

「どうしてそのように?」

「壁の人間ポンプはあなたの血管の役割をしています。それだけではありませんね。目であり、四肢であるでしょう。船そのものとなり、自ら墜落し、地上へ降り立つ、そういう計画ですよね?」

「ふふ、本当に賢いお方なのですね。そうです。わたくしは境界の証明者。でした。今その役割を放棄し、この身体は、あらゆる境界を越えて、全てと交わることができるのです。まずはこの船の、巨大なエネルギーと、交わります。もっと深く、奥まで。そして地上で、強い人を探すのです」

「その計画、失敗しますよ」

「あなた方がわたくしを止めるから、ですか?」

「答え合わせまでちょっと遊びましょうか」

 ドロシーは更に追加でもう一本、刀を取り出した。

「ドロシー、わたし達はまだあれと直接交戦はしてない。けど、たぶん勝てない、気がする」

「私を信じてください? えあー!」

 ドロシーが二本の刀を手にかぐや姫へ向かっていく。球体の上からかぐや姫の蛇の胴体がだらりと垂れ、そこからは信じられない速度で跳ね揺らぎ、一瞬の内にドロシーを壁まで弾き飛ばした。背を強打したドロシーは血を吐き、しかしかぐや姫の攻撃それ自体はなんとか二本の刀で塞いだらしい。

「あら? 口程にもなくありません?」

「口先しかありませんので。アリスさんあと頼みます」

 大きく溜め息をつく、アリス。今日何回目の溜め息だろう。そんなことを思いながら、銃を捨て、ライブラリより銀の大鎌を取り出した。刃は炎のように赤く燃え、埋め込まれた魔石は貪欲にアリスの魔力を引き出していく。

「あなたの願いは、ただあるだけで世界を狂わせる。わたしの平凡な想いの邪魔をしないで」

 アリスが床を蹴り、宙へ飛び出す。かぐや姫の蛇の尾が大鎌を防ぎ、しかし大鎌は骨までとはいかずとも、肉を切り裂いた。鎌を軸にアリスの蹴りがかぐや姫の頭部を狙い、かぐや姫の手がアリスの脚を掴もうと動くが、アリスは脚を引き、鎌を引き抜きその反動でかぐや姫の首目掛け鎌を振り、けれど届かない。アリスの身体を押し払うように尾が動き、アリスを宙に戻した。かぐや姫の上半身が動く。伸びる。宙で身動きの取れないアリスを丸呑みにしようとする大蛇のように。口が肩まで裂け、無数の牙が血肉を狙う。

「お返しです!」

 かぐや姫の背を巨大なハンマーが襲った。ドロシーがハンマーを手に着地し、かぐや姫が床にずり落ちる。そそくさと距離を取るドロシー。アリスも一旦距離を取り、かぐや姫の様子を窺った。

「ふっ……ふふ、見えてはいたのですが」

「武器というのは何も見えるものだけではありません。あなたの心の中の慢心、ですとか? そこから生じる回避不可なタイミング。天才にとっては全てが武器となりますので」

 かぐや姫は、静かに微笑む。そして身体を起こし、するとその変化した肉体は十メートル近くの高さを有し、人間よりも遥かに優れた生命体として、ドロシーとアリスを見下ろした。

「少し、融合を進めましょう」

 かぐや姫が球体、船のコアへ腕を突き刺す。球体から赤く輝くエネルギー粒子が、まるで血潮のようにかぐや姫の肉体へ流れ込んだ。大鎌によって裂かれた傷は瞬く間に塞がり、かぐや姫の背からは幾本もの牙のような骨格が無造作に突き出す。その骨格はあまりにも攻撃的で、同時に鎧のような堅牢さも見て取れた。おそらくもう、背中への攻撃は通らない。

「さあ、たくさん痛めつけてくださいませ」

「マゾの本性が出てきましたね」

「帰りたい」

 かぐや姫が口から何か吐き飛ばす。アリスはそれを大鎌で受け、すると瞬く間、大鎌は溶け落ちてしまった。

「アリスさん溶解液ですよ! 避けなきゃダメじゃないですか!」

「言い方イラつく!」

 続いて吐き飛ばされてくる溶解液を、アリスは跳び避けていく。ドロシーは巨大なハンマーを盾のように構え、様子を窺っていた。

「ドロシー! 見てないで戦って!」

「ん? あー、そうですね……ではこんなの」

 ドロシーが何か、かぐや姫の上半身目掛け投げつける。しかしそれが接近するよりも早く、かぐや姫は溶解液を吹き飛ばしそれを溶かし落とした。

「なんでしょう。つい反射的に。一度はこの身に受けるべきでした」

「それでしたらご心配なく」

 溶けた残骸から赤い煙が噴き出す。煙はやがて巨大な男の姿を成し、身体は燃え上がり、二本の凶悪な角が伸び上がった。

「んおおおおおおお!! 女等! 許さん! 許さんぞ! 食い殺してやる!!」

 魔人イフリート。魔法のランプとその呪縛から解き放たれた鬼神。彼は自身を再び箱の中へ閉じ込めたドロシーとアリスに対して、怒りを燃え上がらせていた。しかし今、その二人よりも大きな存在感が、眼前にある。

「貴様は……なんだ? 人間ではないな」

「わたくしはかぐや姫。とてもお強そうですね。わたくしを痛めつけてはくださいませんか?」

「……妙な女だ。まぁ、いいだろう。しかし貴様はあとだ。先にあの人間の女供を」

 魔人イフリートの顔に溶解液が吹きつけられる。イフリートは一瞬痛みと怒りが噴出した表情を見せると煙化し、更に巨大化して姿を具現化させると、燃えるような瞳でかぐや姫を見下ろした。

「貴様、そんなに痛めつけられたいか」

「ええ、それはもう。ひと時も待てません」

「良かろう」

 イフリートが拳を振り上げ、かぐや姫を殴りつける。蛇の巨体はいともたやすく吹き飛び、壁にぶち当たると共に、ポンプ人間達を押し潰した。かぐや姫はその身体にポンプ人間達の青い血を浴び、その背後で、肉体から解放された月人達が光へと変わっていく。

「ふっ、ふふふ、良い拳ですね。とても。身体の芯まで響きました」

「ふむ……あまり効いていない感じか?」

「手を休めないでください! 畳み込んで!」

 ドロシーの応援に、イフリートは怒りの形相を露わにする。そして拳を振り上げ、ドロシーを叩き潰そうと狙いをつけた。しかし次の瞬間、かぐや姫が目視できない速度で襲い掛かり、今度はイフリートが壁に叩きつけられていた。その腹部には、大穴が開いている。イフリートにのしかかるかぐや姫は一回り小さくなり、代わりに黒い触手が自身の身体に巻き付き、黒い鎧のように変容していた。

「くっ」

 イフリートが再度煙化し、が、同時にかぐや姫が大きく息を吸い込むと、煙化したイフリートは瞬く間にかぐや姫の口の中へと吸い込まれてしまった。

「自身が最も弱化する状態というものを、理解していないというのは、なんとも愚かなものですね」

「同感ですね~」

 ドロシーはまるで他人事のように、何か蝙蝠のような生物をそのまま装丁としたような本を開く。

「さぁ、次はどうします? まだ何か奥の手はありますか?」

「もちろんですよ。お次はもっと強力なナイトメアを召喚いたしましょう。ただこのナイトメアは召喚に少々時間がかかりますので、しばらくお待ちいただけます?」

「どうでしょう。もうずいぶん長いこと待ってきましたので、これ以上は難しいかと」

「そのようですね。アリスさん」

 名を呼ばれ、溜め息をつく。そしてライブラリより、新たに光のように透き通る槍を取り出す。アリスの足元にはすでに、十九本ほどの槍が転がっていた。

「敵にこんなことお願いするの変だけど、せっかく出した槍、溶かさないでくれると助かる」

「お願い……ふふ、いいですよ。それは無しにしましょう」

 触手の一部がかぐや姫の手の平で硬質化し、剣の形をとる。

「行きますよ」

 かぐや姫は微笑み、一気にアリスへと滑り迫った。かぐや姫の剣技を、ひとまず、アリスは槍の柄で受け止める。そう、柄で受け止め防いだ。

「あら」

 アリスは素早くしゃがみ、片手で別の槍を掴み、かぐや姫の鎧の隙間を狙う。が、かぐや姫の身体は急に重力を失ったように、刀を軸としてふわっと浮き上がった。

「面白い槍ですね」

「これは矛盾の槍。透き通るような外観で、他のどの槍よりも硬い」

「ですがそれでは、わたくしは斬れませんよ?」

「わたしは死にたくないだけ。わたしの役割は時間稼ぎだし。ドロシーにいいように使われて……自分で言っててなんかムカついてきた。わたしドロシーの言いなりになり過ぎでは?」

「知りません」

 かぐや姫が宙に浮いたまま、身体を回転させ、伸びるような突きを放つ。アリスは首を反らし、突きを避け、数本の槍を掴み跳び避けるように距離を取った。三本の槍を投げ、一本は避けられ、一本は剣で払われ、一本は黒い鎧に敵わず、ぱたりと落ちる。

「ドロシーまだ!?」

「まだですね~」

「急げ!」

 かぐや姫が斬り迫ってくる。アリスは矛盾の槍で猛攻撃を防ぎ、いなし、後退する。

「ちょこまかと、良くお逃げになりますね」

「少しは疲れてきた?」

「全然」

 かぐや姫が大ぶりの一撃を放つ。その斬撃は矛盾の槍を押し上げ、アリスの胴に隙を作った。

「そこです!」

 雷鳴のように鋭い突き。剣の刃がアリスの腹を切り裂く。アリスは苦悶に表情を歪め、しかし怯むことなく槍を振った。矛盾の槍の刃がかぐや姫の顔を斬りつける。

「うっく」

 かぐや姫が距離を取り、顔の半分を抑える。両目に巻いていた布は斬れ落ちていた。膝をつくアリスの方が明らかにダメージは深いが、かぐや姫は露わとなったその、人間性を失った獣のような目に、血と泥と驚愕の色を浮かべていた。

「今、頭と手足以外全て吹き飛ばすつもりの一撃だったのですが。ずいぶん丈夫ですね」

「十分痛いけどね。ドロシーまだなの!?」

「あー、まだですーまだまだ」

「わたし結構重症なんだけど!」

「もう少し頑張ってくださーい」

「くっそ」

 アリスは痛みを堪え、槍を杖のようにして立ち上がった。

「ふー、ふー……ふっ」

 アリスがかぐや姫へ飛び掛かる。内臓が腹部から飛び出しそうな、そんな感覚があった。一閃、槍の刃が空間を裂く。しかしかぐや姫は冷静に、腕に巻き付けた触手、鋼鉄の鎧で攻撃を防いだ、はずだった。かぐや姫の腕が飛んでいく。

「くぅあ、が、そんなっ」

 槍は再度、かぐや姫の顔を斬った。そして今度は深い。耳から目、鼻までを深く斬りつけられ、かぐや姫は血を噴き出しながら、よろけ下がる。

「どうして」

「時は満ちたようですね」

 ドロシーはそう言って、本をぱたりと閉じた。

「ごめんなさいねぇ、これ召喚術の本じゃあないんです。あなたの攻撃力と防御力を下げる、呪本です」

「な、るほど。道理で。ですが、種をそう簡単に明かしてしまうべきではないと思いますよ? 力を下げられたのでしたら、下げられた分、補充すれば良いこと。この船のエネルギーを。ふふふ」

 かぐや姫が跳び上がり、船のコア、球体の上に降り立つ。鎧の隙間から黒い触手が溢れ出し、コアに突き刺さった。

「一気に最終段階へと移行してしまいましょう」

 かぐや姫は不敵に笑い、それに呼応するように、天井から釣り下がるモニターの中で骸骨達がカラカラと笑う。かぐや姫の傷ついた顔が、球体に似た殻、鎧に覆われていく。その背後に、何とも悍ましい、黒い髑髏の群れが浮かび上がる。人知を超えた英知と、古代からの呪詛が融合したようなその姿。神々しく、禍々しく、他のいかなる存在も寄せ付けない、そうしたモノへ、かぐや姫は昇華していく。

「ドロシー、何とかしてあれを止めないと」

「いえいえ、その必要はありませんよ。かぐや姫さん、進捗状況はいかがです?」

「ええ、ええ、もうほとんど、融合を果たしましたよ。わたくしと船は、最早同一個体としてこの力を有しております。頭の中が、何処までもクリアに。ああ、英知の言葉が流れ込んでまいります。永久機関。粒子化蘇生。時空超越。答え合わせ……答え合わせ?」

「そうですか、答え合わせですか」

 ドロシーがうんうんと頷く。同時に、モニターがノイズに包まれた。

「これはいったい。頭の中にノイズが。わたくしは全てに繋がったはず」

「ノーンノン。全知全能足りうる万能はただ一人ですよ? この船を観たとき始めに思ったのは、なんと完璧な船なのだろうということです。現在の人の技術レベルを遥かに凌駕しています。にも関わらず、そのクルーの姿形たるや、人そのものではありませんか。人ではないのは明らかですけど。つまりここのクルー達の始まりには、人がいたと考えるべきです。そうしましてかぐや姫さんの伝承を鑑みるに、皆さん遥かな昔から存在しているようで。としますとね、最先端の科学を過去へ持ち込み、そこでこの船を作り、月人を作った人間がいるわけです。そしてそのような、遥かに高い科学力を持つ人間とはいったい、何者か。答えは簡単です。つまり、私ですね?」

「プログラムに指定された脅威を検知。ドロシーシステム起動」

 ノイズに包まれていたモニターが一斉に、ある一人の人物の顔を映し出す。その人物は紛れもなく、ドロシーその人であった。

「こ、これはいったい!?」

「その台詞さっきも聞きましたね。では、お話ししましょう、なぜあなたの計画は失敗するのか、その答えです。つまり、あなたは私に白状してしまったのです。この船と融合するつもりだと。とすれば、かつてあった未来の内の一つ、その私は、過去へと行き、時が来たとき、自動的にあなたの企みを阻止するようこの船をプログラムしたでしょう。あなたの存在をウイルスとして認識するウイルスセキュリティープログラムを。もしかすると元々はもっとちゃちな宇宙船で皆さんもスライムみたいな形状だったかも? 私がそれを完璧な宇宙船とし、人型の殻も作ったのかもしれませんね。さすが私です。わかりました? ってもう聞いてませんね」

 かぐや姫の鎧がばらばらと崩れ落ちていく。頭部の鎧が砕けると、意識を失った眼球は狂ったようにぎょろぎょろと動き、その隙間からは血と泥を噴き出していた。

「打ち込めええ!」

 声と共に白装束の月人達が部屋へ雪崩れ込む。十数の月人達はかぐや姫を取り囲み、そして、銃器を向けた。無数の注射筒がかぐや姫に突き刺さり、忘却の硫液が打ち込まれていく。かぐや姫は嘔吐の瞬間の苦しみを永遠と味わうような、そんな表情で声にならない叫びを上げていた。

「やれやれです」

 ドロシーが懐中時計を取り出す。そして文字盤を覗くと同時に、バリッ、と、ガラス面に亀裂が入った。無数の針自体は、その回転を弛めつつある。

「案外あっけなかった」

 呟くように、アリスが。腹部は魔力で応急処置を施したらしい。しかしまだ、血が滴り流れていた。その滴りを、眼鏡の奥でドロシーの視線が追う。

「アリスさんは本当に天然ですね」

「何が」

「この結果を導く、の、に」

 ドロシーが言葉をつまらせ、傾く。倒れそうになるドロシーを、アリスは腕と肩を掴み、支えた。

「え、大丈夫?」

「……ざっと一千万年です」

「何の話」

「まるまる、その時間を生きたわけではありませんが、私はそれだけの時間、世界に存在を置いたのです。強力な世界改変因子として。そうしなければかぐや姫さんを倒すのは不可能でした。そうして、私はこの世界で、今、どこまでも引き延ばされた存在として、身を置いています」

 ドロシーが手袋を外し……するとその手は半ば透け、同時に、ガラス細工のようにいくつも亀裂が入っているように見えた。

「私もこの世界も、残された時間はもうあまりありません。急ぎましょう。幸いなことに、おそらく、次が最後のターニングタイムです」

「……わかった」

 わからないけど、とその言葉は飲み込み、アリスはドロシーについてコアルームを後にした。

.

 暗い通路に出ると、そこは左の壁が一面、窓となっていた。そして青い地球が見える。青い……青過ぎる。目の錯覚なら良いが、大陸の大部分が青い海に飲み込まれている、ように見える。そして地球の向こう側に、何か、いた。それは途方もない巨躯を有しているように思える。巨大なうねつく触手が、地球という星を蹂躙している。全貌は見えない。しかしアリスはそれを見たいとは思わなかったし、見るべきとも思わなかった。間もなく地球は終わりを迎える。数多の命が終わりを迎える。終わりの中の一つの形が、今明確に存在した。




 ドロシーはその日、ギシンとアンキの依頼により謎の空間の調査に乗り出した。空間内に見えるのは、小さな病室、そしていばら姫。空間はあらゆる干渉を拒絶し、あるいは大きく歪めてしまう謎の事象として存在していた。数時間の調査の後、ドロシーは空間内へ投げ込んだ本、それが変容した肉塊の回収に成功する。この肉塊に対して行われた検査で、しかしどういった種類の動物の細胞で出来たものかすら、判明はしなかった。ただこの肉塊を用いた実験で判明した事実が一つ。この肉は、食べることでほぼ不死となる、不死の力を有するものだった。副作用の可能性は十分にあったが、ドロシーはこれを、ハンバーガーにして食べてしまう。そこへ、アリスとスノウホワイトの二人も合流した。
 ドロシーはスノウホワイトを睡眠装置に入れ、ハーフナイトメアとしてのアリスのエネルギーを利用するため、アリスを精神的に追い詰める。そして思惑通りハーフナイトメアと化したアリスとシャーク・ジラーのエネルギーを利用し、時空の扉を開いた。
 400万年前のアフリカ・オルドヴァイ渓谷に降り立ったドロシーは、人類の科学を進め異変に対処するため、ヒトザルに対し教育を施す。たまたま得た不死の力もあって、ドロシーには無限ともいえる時間があった。ヒトザルを教育しつつ、途方もなく長い年月の中で、片手間に、ドロシーはついにタイムマシンを完成させる。そこからはタイムマシンを改良しつつポイントポイントでヒトザルに教育を施しつつ一番の目的の達成を目指すドロシーだったが、結果として得られたものは、より進んだか学力を有する人類ではなく、人類ではなく猿が世界の支配種となった世界だった。
 ドロシーはバイクへと改良したタイムマシンでかつての自身の過ちを正すため、アリスをハーフナイトメアに変化させようとする過去の自身を始末する。そうしてドロシーとアリス、二人の旅は始まり、しかし、かぐや姫とまみえるターニングポイントにて、敗北を喫してしまった。その敗北でアリスは命を落とすが、ドロシーは何とか逃げ延び、宇宙船との融合を口にしたかぐや姫の対策として、対かぐや姫ウイルスを宇宙船のシステムに仕込むため、600万年前の過去へと跳ぶ。
 600万年前の世界で、月人はまだ人の形を持たない存在、生命体としても人間のように未熟な存在であった。ドロシーは月人に知識を与え、また不死の存在としての光粒子の身体を造り上げ、その殻として、人間の身体を持たせた。そうして信頼を得た上で月人の宇宙船建造の中心人物となり、来る日の為、対かぐや姫ウイルスをシステムに忍び込ませたのである。
 月人の宇宙船へやってきた今回のドロシーは、その内部構造の完璧さに感嘆する。こんなものは、自分以外に造れるはずがないのに、と。そしてかぐや姫の口から宇宙船と融合をしようとしているという言葉を聞き、であればやはりこの宇宙船は自分が建造したものであり、すでに対策も打たれていると、確信したのだった。
 というわけで、コズミックホラーな雰囲気でお届けしましたけれど(前半)。今回元ネタというかリスペクトは映画『イベントホライゾン』でした。コズミックホラーと言えばこの映画なのですよ、私の中では。ええ。宇宙の果てには邪悪な闇があるのです。地獄が。是非皆さんに見て欲しい映画ですが、面白いかと聞かれたらとりあえず口をつぐんでおきます。
 心を失うことを拒絶し、ただその為だけに船を堕とそうとしたかぐや姫ですが、世界の綻びから力を引き出すことによって、ある古の力を身に纏っていました。その力の正体はイグ。クトゥルフ神話における旧支配者、蛇の神性です。イグと月人の宇宙船のエネルギーを吸収し、かぐや姫はかぐや姫/アポカリプスへと変貌したのでした。
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