異世界転生したら、三国志だから、アレッと思って、美少女だっけ、性転換しちゃって、もうゴールインさ 作:にゃあたいぷ。
冒頭.
涼州軍と言っても常備している軍勢の数はいうほど多くはない。
軍の中核を正規兵で構成して、残りを民衆から数合わせで徴兵すると云うのが今ある戦争の形だ。尤も数合わせといっても実際に兵を集めるのは豪族や名家といった者達であり、今の賊多き御時世では義勇軍も存在している為、下手な正規軍よりも徴兵された兵達の方が強いということが稀に起こる。特に異民族と接していない中央の正規軍には多い話だった。そんな腑抜けた正規軍が多い中、涼州軍は極めて精強だ。総数三千の騎馬隊は大陸屈指と云っても良く、略奪を行うだけで占領するつもりのない異民族を追い払うには涼州騎馬隊だけでも十分に事足りる。
そして、この精鋭を創立当初から運用しているのが涼州の三傑が一人、馬騰だ。
戦場における馬騰は質実剛健の将だ。家庭においては、ちと生活力や配慮に欠ける面もあるようだが、将としては非の打ち所がない。当代の官軍では随一の将として名高い皇甫嵩と比べても決して見劣りすることはないと私は思っている。
そんな彼女のことを初めて、見たのは匈奴族との戦の時だ。
あの時はまだ涼州の三傑と呼ばれる董卓と賈駆もおり、迫る匈奴族の騎馬隊を丁寧に受け止めていたのを覚えている。良く云えば、繊細で事細やか、悪く云えば、神経質で細か過ぎる。そのような指揮を成立させるには軍全体を精鋭化させなくてはならなかったのだが、前述したように軍というのは基本的に徴兵された兵で成り立っている。その上で連携のことまで考えるのであれば、逆に分断されて各個撃破されてしまったり、そもそも上手く連携できず、一丸になって突撃してきた敵軍に圧倒されることも珍しくなかった。それならば、下手なことをせずに最初から正面衝突をさせておいた方が被害が少ない場合もある。実際、それが基本的な戦い方だ。万に近い戦争では、出来るだけ簡略化させることが基本になる。だから、将が先陣切って突撃するのだ。「何も考えずに俺について来い!」というのは最も単純で分かりやすく、それでいて臨機応変に素早く軍を動かせる手段である為だ。つまるところ万を超える匈奴軍を相手にした戦争で「超絶技巧ではあるが、これができたら被害は最小限で勝てる」という理想を追求した作戦を実行したのが当時の涼州軍だった。そして、その浪漫の塊とも呼べる戦術を成立させたのが馬騰という女である。
ある程度、腕に覚えのある将の例外に漏れず、馬騰もまた部隊の先頭に立って敵軍に突撃する将であった。しかし馬騰が優れていた点は戦場に居ながら戦場全体を俯瞰できる将であった点だ。無論、まるで大きな蛇のように騎馬隊を動かして戦場を駆け巡る用兵術も常識から逸脱していると云える。だが素晴らしいのは的確に相手の急所を穿ち、味方の危機にはいち早く駆け付けて救援する事だ。それは直感だとか、嗅覚だとか、そういう感覚的な話ではない。周囲の両軍の動きと本陣から飛ばされる賈駆の指揮だけで、全軍の状況を頭の中に思い描くことができた。その為、彼女は本陣から指揮が飛ぶ前に動くことができ、必然、本陣からの指揮も彼女を援護する形で動かすことになる。馬騰の存在があればこそ涼州軍は無謀とも呼べる理想的な戦術を取り、被害も少なく常勝無敗の戦績を築き上げてきたのだ。
この非常識な連携を前に匈奴族は敗退し、涼州の三傑に恐れを抱くことになる。
匈奴族が軍勢を立て直している間、小競り合いはあっても涼州は平和だった。
涼州軍の対匈奴戦における大勝は他民族に伝わっていたようであり、涼州の三傑に恐れて手出しを控えていたのだ。
しかし、涼州が平和で困るのは異民族ではなく、漢王朝であった。
少し話を変える。
漢陽郡隴県の城都、その政庁。
此処は涼州全体を司る政治の中枢になっており、涼州刺史の耿鄙もまた此処で政務を行なっている。
さて、この耿鄙という人物。端的に云ってしまえば、無能であった。耿家と云えば、それなりに有名な一族ではあるが、都から派遣された彼女は世間知らずも良いところの箱入り娘だったのだ。政治の「せ」の字も分からぬ愚か者であり、軍務は馬騰に一任し、政務の大半は部下に押し付けて、自分は渡された書類を読みもせず、判子を押すだけの仕事に励んでいた。唯一の美点は、彼女本人が自らの無能を自覚していた事だ。評定を開いた際には、開催の挨拶をした後はほとんど何も喋らず、良きに計らえ、と最後に偉そうに告げるだけだ。それでいて少なくない金額の贅沢をするものだから配下としては溜まったものではなかった。
それでも彼女が涼州出身で親の七光りという話であったなら周りで支えてやろうという気も出たかも知れない。しかし残念ながら彼女は洛陽から派遣された人物だ。尤も州刺史に就く人間は余所者と慣例で決まっているが、それでも納得できないものは仕方ない。そもそもだ、涼州は漢王朝に使い潰されている。最西端に突出する形で治められた涼州という土地は山岳地帯に囲まれている為、農業には向かない土地であった。その為、他州と比べて開発できる土地が少ない。つまり金もなければ、物もない。州の運営は常に火の車で、周辺に棲息する異民族の相手もしなくてはいけないのだからやってられない。異民族に対抗する為、常備兵は多く確保しておかなくてはならず、人すらも足りていないのだから経済が痩せ細るのは致し方ない話であった。それこそ中央の支援を受けなくては壁としての役割すらも果たせない程にだ。
嘗て、涼州には董卓という英傑が居た。
これはよく勘違いされていることなのだが、彼女が真に凄いのは、涼州軍を率いて何万と超える異民族を返り討ちにした武勇ではない。彼女は異民族と友好関係を結ぶと千を超える家畜を受け取り、それで得た労働力を余すことなく使い切る為に借金に次ぐ借金をして、涼州の借金王の名を欲しいままにした後で、荘園運営を見事に黒字転換させて、見事に全ての借金を返済しきった決断力と行動力にある。
その董卓が残した荘園は今でも涼州の命綱になっている。
董卓の活躍は漢王朝にとって目障りなものであった。
涼州は漢王朝から離れた土地にあるせいか、その文化形式は漢民族と呼ぶには似て異なるものだ。実際、民草も漢王朝の一員としての自覚はあっても、司隷に住む人間と自分達が同じ人種であるという自覚を持っている者は少ない。それはつまるところ、なんとなしに漢王朝の決定に従っているが、心から忠誠を誓っている民草は少ないということだ。生まれた時からそう決まっていたから従っているだけに過ぎない。それだけの話である。
私自身、涼州が漢王朝の庇護下にあるとは考えていない。むしろ守ってやっている立場だと思っているし、漢王朝も心から涼州のことを信用している訳ではない。危険視されているからこそ、董卓といった英傑を涼州から奪い取り、必要以上に力を付けないように手を尽くす。そして適度に異民族と戦って疲弊して貰わなければならなかった。叛乱の芽を潰す為に、叛逆の華を咲かせないように、涼州の地を枯らし続けるのが漢王朝の方針であった。ああ、そうだ。確かに涼州は漢王朝から援助を受けている。だが決して涼州は無償で支援を受けている訳ではない。異民族の侵略から司隷の安全を守る対価としてもらっているに過ぎない。二束三文の資金と物資を得る為に涼州の民草は今日も今日とて血を流して戦い続けている。それは決して対等とは思えない、涼州は使い潰されている。生かして殺さず、最低限度、涼州を維持し、異民族を打ち破れるだけの力を残す。
涼州の民草の価値は、司隷で生きる者達よりも低かった。
もう良いだろう、充分だ。私達は充分に漢王朝の為に尽くしてきたはずだ。
元より涼州は涼州の人間で治めるべきだったのだ。涼州の誇りを、価値を、その存在を守る為、今こそ涼州は立ち上がらなくてはならない。決して涼州を漢王朝の食い物にしてはならない。
だから私、韓遂。