BLEACH ~break Face~ 作:Take2
――尸魂界。
山風は冴えざえとした気流に水分を孕み、谷という谷、沢という沢に濃密な霧がかかっている。頭上を仰ぐと、年経た大木がお互いに支え合って立っている中で、
獣の鳴き声か山にこだまするような声が聞こえる。
目覚め始めた山々の動きは、ただ静かに吹き渡る山風の中で蠕動をはじめていた。
そのとある場所の地主神が祀られている祠で、護廷十三隊、二番隊隊長の砕蜂は長い睫毛を揺らし目を開いた。
何故、居眠りをしていたのだろうか。
目を閉じて、記憶をめぐらせる。
“霊圧ノ特異点観測アリ。至急、調査ニ向カワレタシ”。
書官から密書が届いたのは、三日ほど前の事案だった。
それからキノコを食べ、虫を食べ、野宿をしながら指定された地点に向かった。
毛布代わりにしていた麻布をずり下げ、上半身を乗り出し手をのばして荷物袋をさぐってみた。
取り揃えておいた身のはりものがそこにある。
寝床の上に起きあがると肩をすぼめ、首を垂れ、両手を胸のあたりで組むようにして座り唸る。
「じゅっ、じゅぅまんっはっせんっにかいっ!」
瞼を持ち上げ、寝床を見た。
「じゅっ、じゅぅまんっはっせんんっ!」
「私を重りにして腕立て伏せをしていたのか。希千代」
「二十万回終えるまで休むなって隊長(アンタ)が言ったんじゃないんスかっ!?」
忘れられていたと目を丸くした表情を浮かべているのは同隊・副長の大前田希千代。つまり、砕蜂の直属の部下である。
「あぁ、合点がいった」
現場に到着してしばらく様子を見た結果は、なんの変哲のない森だった。
そこで、鍛錬を行っていた不出来な部下の背の上で居眠りをしていたようだ。
視線を空に向けると、どんよりとした濃い雲の隙間から、陽の光が注ぎ始めている。
肺一杯に新鮮な空気を吸い込んだ。畑が近くにあるからなのか、焼けた土を湿らせた特有の臭いと湿気が鼻につく。雨の名残が、微かに動いた空気につられてほのかに匂ってきていた。
「さて、戻るか」
「……え? いいんスか?」
「長居は無用だ。グズグズするな」
「あ、そう……隊長がそう言うんなら……って、待った! もう!? 休憩は!? オレ寝てないんスけどっ!?」
空腹を感じた砕蜂は、髪を二、三回指でとかして、ゴソゴソと身支度にとりかかる。
「仮眠している間に終わらせなかったのが悪いだろうが」
「そっ、そんなぁ……」
がっくりと肩を落としている希千代を尻目に何食わぬ顔で身支度を終えた砕蜂は湿った大地に一歩足を踏みしめた。
切り株を乗り越え、シダを踏みしめて泥が占める獣道の中央を歩いていき、草陰の中へと身体を沈めると動物の
左右の沼に足を足を滑らしそうになるほど、道は細くなってきている。
「隊長おおおおおおぉっ! あれ、あれ! アレッッ!!」
なにもないと思っていた草木の陰を希千代は指差している。沼から這い上がったであろう足跡が小道にの奥へと続いていた。凝視してみれば、ゆうに五メートルはあるイノシシが丸太に寄りかかるようにして休んでいた。
「おおおぉぉぉっ!? これぞまさに地獄に仏! 閻魔より恐ろしい隊長に……いや、なんでも」
幾日かぶりににまともな肉にありつける、と思った希千代は、喜びのあまり失言しかけたが、ゆらりと漂う怒気をいちはやく察知して事なきを得た。
こんな幸運が次もあるという根拠は、ない。
ぐぎゅるるる〜〜。
希千代の腹の虫が大音量で鳴いていた。
「う、うぅ……」
恥ずかしいところを見つかったかのように、うつむいて頬を染める希千代。
「仕方ない。抜刀は無しだ」と、砕鉢からの許可を得るやいなや、はやる気持ちを抑え、でっぷりと太った体躯を地に這うほど姿勢低くして、得物の動きを観察しだした。
――歩法。
でっぷりと肥えている希千代が一挙手一投足で洗練された動きができるのは、この所作が必須条件のひとつだからだ。
二番隊の役割は、すばしこい機動力を長所とした隠密機動にあり、所属隊員は気配を消すことを得意としていた。
野生動物を相手に、鍛錬する。
砕蜂はこの光景とよく似た思い出があった。
背丈が今の半分にも満たない幼い頃の話だ。
夕食を終え、洗い場に食器を持っていこうとして廊下を歩いていると音と気配の一切を察知できず、背後をとられたことがあった。
「どうだ? 見事じゃろう」
懐かしい声がよみがえる。
記憶の片隅から続きの映像が浮かびあがってきた。
「はい……。すごく」
思わず呟いたのはお世辞ではなかった。
「何を惚けておる。ほれ」
「えっ?」
「お主の番じゃ」
「……へ? え?」
仕草に、表情に見とれていた砕蜂にげんこつが振り下ろされた。
「……いたい」
「習うより慣れだといつも言っておろうが。まったく、何度注意しても」
少し涙目になりながら頭を押さえる砕蜂に、女性はぶつぶつと独りごちた。
「見て覚えろなんて、簡単に言わないでください」
「よいか。お前には優れた素質がある。見て覚え、そして――」
回想にふけっていた思考を再び呼び戻し、自身の手の平を見つめる。
「――……隊長……なぜ……」
静かな呟きには激情と呼ばれるものの全てが詰まっていた。
幼き自分が心の拠り所、もっと言えば生きる理由としていた人は、突然、行方知らずとなった。
死んだとは思っていない。簡単に死ぬような人ではない。
では、予見があったのか。それとも、なかったのか。
トクン――。
心臓の鼓動がはっきりと脈打った。
憤怒の荒波が猛々しく思考をうずめてゆく。
受け入れがたい現実を前にアドレナリンが誘発され、得体の知れない衝動が左慈の中で蠢いていた。内に湧く感情はマグマのようにグツグツと煮えたぎり、今にも噴火させそうだ。
「なぜ、私を置いて行った」
冷静な声色とは裏腹に、心の中で雄叫びを上げていた。
砕蜂が物思いにふける一方で、希千代は獲物に気配をさとられぬように、深く、深く、肺に空気を取り込み、すこしの間を置いて吐き出す。
一点に集中力を高めるにつれて五感は研ぎ澄まされていき、周囲の自然と殺気は調和してゆく。
土に膝をつけたまま石を掌に含み、静かに、そのまま徐々に足に力をこめる。
ほんの一瞬。
奇妙な感覚に囚われた。
希千代が行動に移ろうとしたその時だった。
森がざわめき、身震いをしてしまうかのようなゾワっとした悪寒が走る――。
異様な気配を感じ取り、砕蜂と希千代は金縛りにかかった。
身動きがとれなくなった。
額や胸、背中から汗が吹き出す。見る間にぐっしょりと濡れそぼった掌を服にこすりつけながら、砕蜂は喘ぐように後ずさった。
――リン。
――リン。リン。
リン。リン。リン。
と、耳が、というより脳がキーンと痺れるほどの鈴に似た音がしている。身体にフツフツと鳥肌がたちだした。
砕蜂は、混乱する思考のさなか、その気配の異常さを正確に捉える。
気配は秒刻みで、確実に迫ってきていた。
「くるぞ――ッ!!」
絶望的な未来を直感してしまうほどのただならぬ雰囲気のする方角へ、構えていた。
そして、豪炎が、世界を揺るがした。
そこからは、スローモーションを見ている感覚だった。
音速を超える衝撃波とその速度を産むための圧縮空気が砕蜂と希千代を襲ったのだ。
踏ん張ることすら間に合わず、身体は宙に投げ出され、視線は虚空を見つめている。もがくように反射的に木の幹を掴もうとするが、どうにかなるものではなかった。
「くそっ! 希千――」
散らばった木片を巻き込み大木に叩きつけられる格好でようやく勢いは止まる。
「――がはっ!」
肺に停滞していた二酸化炭素が吐き出され、それと同時に、電流でも流されたかのような衝撃が五臓六腑を駆け巡る。すなわち、数秒の絶息が襲ってきていた。
「お、ぇ、おぇぇ……っ!」
砕蜂は搾り出すように嗚咽の言葉を吐いた。
吐き気を催し、よだれが糸をひく。軽い脳震盪でぼやけた視界の中、這いつくばった不自然な姿勢のまま痛みに呻いた。なにをしているのか意識することもできず、信じがたい景色を目の当たりにしていた。
ドォン! と、火山が噴火するような爆発音と共に、視界いっぱいに天を貫かんとばかりの巨大な火柱が、前方の数メートル先に現れていたのだ。
よろよろと立ち上がり息を呑んだ。砕蜂を取り巻くように荒れ狂った光景は、辺りの草木を紅蓮の炎で焼き尽くし、周囲を真っ赤に染め上げてゆく。
これは、なんだ?
これが、調査目標? いいや、ありえない。
こんなモノは、ありえてはならない。
まさに、驚天動地。
まるで、神々の怒りか、はたまたこの世の終末を彷彿とさせる荒々しさだ。圧倒的な光景を唖然として見つめることしかできなかった。
思い通りに握り拳を作ることができるほどには回復しだしているが、足腰に力は入らず、機敏な動きをするには時間を要するのがわかる。
できるのは、なす術もなく数時間にも感じられる時が過ぎるのを待つのみである。
「大虚級か? 尸魂界に……?」
炎が徐々に収束し、小さな塊を作ってゆく。
「……ゥ、ヴォオ」
炎の塊が唸った。
ナニカの形を淵作る異形に、さらに目を疑う。
「いや、違う……。コレは……? 大虚、じゃない……!?」
砕蜂の揺れる瞳がさらに警鈴を鳴らす。
「そんな、お前は――ッ!?」
言葉を紡ぎ終えるより先に再び空に舞っていた。
なにが起こったのか思考が追いついてこないままに。
糸が切れた人形のように背中がどすんと地面を捕まえる音がし、白雲の残像が線から点へと姿を変える。
――重い、重い沈黙。砕蜂の身体から力という力が抜けてゆく。
二番隊隊長の消息が途絶える。
発端は、風雲急の嵐を告げ、動きだそうとしていた。