スオミさんはお困りです   作:Tico Ruzel

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あの困った指揮官が逃亡した!?
グリフィン本部から訪れる上級代行官、ヘリアン。
彼女の口から語られる物資横流しの嫌疑。

「あの人がわたし達を裏切るようなことをするはずがありません」

……指揮官の無実を信じるスオミたち〔指輪の乙女〕は、
懸命に彼女の行方を探すが――? 


ep.4 スオミさんは逃亡キメた指揮官にお困りです

 象が足を踏み鳴らしたような、重い音と振動。

 分厚い隔壁の向こうで、グリフィン本部御用達の重装甲ヘリが着地したのです。

 それを耳にして、わたしは感情パラメータがネガティブな方向に波打つのを感じました。

 人間で言うなら、そう、不安や緊張でしょうか……

 わたしたち戦術人形にとっては思考パルスを乱すノイズです。

 もちろん、仲良くしたいたぐいのものではありません。

 軽く肩をつつかれて、横に顔を向けると……私の横に立つFALが、

「ほら、表情かたいよ。もっとリラックス。ね、スオミ?」

 そんなおせっかいを言ってきました。

 思わず苦笑いが浮かんでしまいます。

 当のFALだって、顔がこわばっているくせに。

 有事には城門の役目を果たす装甲隔壁。その内部からガコンガコンと金属同士が打ち合わせる音が聞こえてきました――隔壁の多重ロックを解除しているのです。

 こちらからの開錠ではなく、敢えて外から開けているという事実。

 それは、ここに訪れてきた者とわたし達との力関係を、否が応でも知らしめようとするかのようでした。

 ……ああ、それにしても。

 わたしは思わず大きくため息をつきました。

 たしかに、副官を務めるわたしが出張るべきです。

 〔こういう状況下〕であるならば。

 でも、これが想定されているケースは、よほどの非常時です。

 この不安と緊張を一手に引き受けるべき人は、別にいます。

 なのに、あの人と来たら――――!

 わたしが不満と不平で感情パラメータを不安定にさせて見守る中、隔壁からひときわ大きな音がしたかと思うと……パズルが解かれるように隔壁が展開していきます。

 洗浄用の空気シャワーの風をまといながら――本部からの訪問者が姿を現しました。

 隙なく着込んだ臙脂と黒のグリフィン制式コート。

 鈍色と呼んだ方がいい、シンプルにまとめたブルネットの長い髪。

 鋭いまなざしに、瀟洒な片眼鏡。

 その瞳は――まさに鋼の色でした。硬く、重く、そして鋭い。

 通信では何度か見たことがありますし、お話もしたことはあります。

 ですが、じかにお会いするのはこれが初めてでした。

 そして、わたしは――その人間の女性を前にして、思わず圧倒されていました。威厳というべきか、威風というべきか。護衛と思しきライフル型の戦術人形を二人従えたその姿は、まさにクイーンと呼ぶにふさわしいかもしれません。

 上級代行官のヘリアンさん。指揮官の上司であり、監督役。

 民間軍事会社グリフィン、その社長の懐刀で知られる才媛。

 わたしとFALが敬礼してみせると、彼女は軽く返礼して――

 案の定、鋼の眼光も鋭く、じろりとにらんできました。

「……お前たちの指揮官、L211基地の主はどうした?」

 そうです。そうなんです。

 こんな方を出迎えるのは、本来は指揮官の役目なんです。

 戦術人形でしかないわたしよりも、あの人が立っているべきなんです。

 なのに。なのに、あの人ときたら――!

「……あ、ええっとですね、指揮官は、その……」

 口を開いてなんとか答えようとしたFALを、わたしは手で制しました。

 この人を前にしては、生半可なごまかしが通用するとは思えません。

 わたしは、精いっぱい、声を張って答えました。

「あの人は、目下、逃亡中です」

「…………なに?」

「ですから、逃げ出しました。ヘリアンさんの到着前に」

 わたしが言うと、上級代行官どのは片眉をつりあげました。

 ますます目つきが険しくなり、こちらを視線で刺すかのようです。

 あああ……なんでわたしがこんな目に遭うのでしょう。

 わたしは指揮官を思考回路の中で呪いながら、あの人が逃亡する間際に見せた――やんちゃとイタズラ好きが星のように煌めく紫の瞳を思い出していました。

 

 

 

 スオミの提出した記憶メモリによれば、状況はこうであった。

 鉄血の襲撃警報もなく、巡回任務も滞りなく、戦術人形も訓練に精を出しているとあっては、指揮官と副官の仕事はいきおいデスクワークとなる。「鉄血よりも書類のほうがよほど手強い」とこぼす指揮官は多い。

 さて、グリフィン麾下のここL211基地での指揮官室は一風変わっている。

 通常、指揮官のデスクと、副官を務める戦術人形のデスクは近いものだ。

 理由はいわずもがな、仕事を進める上で効率的だからだ。

 だが――ここの指揮官室に限っては、部屋の端と端に思い切り離して、それぞれのデスクが置かれていた。それだけではない。部屋の真ん中にはテープで赤い線が引かれ、そばに赤いインキを使って「BORDER!!」と大書されていた。

 しかも、「指揮官近寄るべからず」「礼儀は絶対のルールです」「理性をたもって仕事をしてください」「身体が火照るなら冷水でシャワーを浴びてきなさい」などなどの注意書きが、誰かの自筆で指揮官から見えるようにあちこちに貼り付けられていた。

 きわめつけは、デスクどうしを結ぶ最短距離の直線上の中間に、これみよがしに置かれた対人地雷であった。倉庫から卸したてのそれは、その剣呑な質感からおもちゃのたぐいにはちょっと見えない。

 ここまでしてなお――スオミが副官として執務をするときは、索敵センサーをオンにして職務に当たらねばならないのである。よそ見をした瞬間にいつの間にかデスクのそばまで忍び寄ってきては、少女に迫って来るのが、ここの指揮官の常であった。

 スオミは、じと、と遠く向かいに座する彼女――そう、ここの主はまだ年若い女性なのだ――を見た。行儀のわるいことに片膝をたてて椅子に座り、マグカップに淹れた紅茶を楽しみながら、時折クツクツと笑ったり、かと思えば感嘆の声、次いで不満げな呻き声などなど。せわしないことこのうえない。遠目にうかがう限りではおよそ仕事をしている人間の様子ではなかった。ディスプレイ画面にネットのフォーラムか、はたまたゲームのたぐいがうつっていても不思議ではない。

 にも関わらず。

 スオミの端末には続々と処理済みの電子ファイルが送られてくるのは不思議を通り越して奇怪でさえあった。まめにコメントをつけたり、事細かな指示を回してきたり、かと思えばレポートに誤字があれば添削までする細かさからして、単なるザルな決裁ですませていないのは明らかだ。チェックするのに数日かかるだろうとみていた本部からの戦略参考資料など、今朝届いたはずなのに――昼前のこの時間にして、もう指揮官なりの分析と作戦行動プランと戦術展開指針がざらっと出てきているのはどういうことなのか。

 スオミは眉根にしわを寄せつつ、ディスプレイからそっと目を離し。

 遠く、向かいに座る指揮官の様子を窺ってみた。

「だっはっはっは!」

 何かがツボったらしく、机をたたきながら大笑いしている姿が視界に入る。

 スオミの目線が険しくなった矢先、少女の端末でチャイム音がなった。指揮官から処理済みのファイルが届いたアラートだ。スオミは無言を通して、そっとディスプレイに視線を戻した。戦術人形といえども、覗いてはいけない深淵には気づくのである。世の中、あまり深く知らない方がいいことだってある、たぶん。

 ――と、ここまでは、いつもの仕事風景だったのだが。

「ンンン!?」

 指揮官が急に大きな声をあげた。椅子に座りなおすと、機関銃の射撃のような打鍵音をさせながら端末を操作している。しばしの間、ディスプレイにかじりついていたかと思いきや、色素の薄い白っぽい癖毛をわしゃわしゃとかきながら、言った。

「ようやく本部が動いた。いつイクかと思ってたアイツ、ついにイッたかァ」

 やおらそう言ったかと思うと、途端に端末を落として、デスクのキャビネットを開き、何かを取り出した――スオミはそれを視界に認めて思わず目を丸くした。

 たっぷり一週間はしのげるであろうサバイバルパック。

「よっ……と!」

 あれよあれよと、指揮官はパックを担いでいた。

 事務用チェアをがらがらと引っ張りながら、通風孔のある壁へと近づく。

「ちょ……ちょっと指揮官!?」

 スオミが立ち上がってようやく声をあげた時には、彼女はすでに椅子を踏み台代わりにして立ち、通風孔のカバーをいともたやすく外したところだった。

「どこへいくんですか、指揮官!?」

「ンン、ちょっとラナウェイしてくる」

 通風孔に手をかけるや、指揮官は目だけをちらっと少女に向けて言った。

「身の危険がアブナイので、機が来るまで身を隠すよ。あ、七十パーセントの確率で本部から誰か来るかもだから、その時はきみ達に対応まかせたネ」

「はあっ!? し、指揮官どういうことですか?」

「緊急時訓練第三七号の応用編だ、がんばってくれたまえ――あァ、スオミちゃん、私がいないからって浮気なんてしちゃダメだゾ? では、あすたらびすた、べいべー!」

 とりわけ明るい声で彼女はそう言うと、まるで猿のような素早さで通風孔に潜り込むや姿を消してしまった。

 スオミは呆然としていたが――

「――あぁぁーっ! し、しきかぁぁぁん!?」

 叫び声をあげても何がどう間に合うこともなく。

 それは、紛れもなく職場放棄と無断脱走そのものであった。

 

 

 

「……お前たちのところの指揮官はいつもこうなのか……」

 スオミが視覚素子で記録していた一部始終を見て、ヘリアンが呻いた。

 軽くこめかみを押さえて、渋面を隠そうともしない。人間には従うように指示がすりこまれている人形でさえ、時として思考回路に負荷をおぼえる指揮官だ。監督役の彼女にしてみれば、ここまで部下が放埓で天真爛漫ではまさしく頭痛ものだろう。

「あの……はい。まあ。そうです」

 スオミが力ない声で認めると、そばで一斉に四人分のため息がつかれた。第一部隊の面々がそろって、ヘリアンの尋問に答えることになったのだ。

 皆、それなりにかしこまっているが、顔の一枚下では、それはもう指揮官への恨み節が思考パルスとなって回路をぐるぐるしていることだろう。指揮官とは〔誓約〕を結び、それぞれに愛着と信頼もあれば、理解もある。それだけに自分たちの何の相談もなく、遁走を決めた〔あの人〕への落胆は小さくなかった。

 ヘリアンが、ふうとため息をつくと、トントンと指でデスクを叩いた。

「とりあえず最優先は、お前たちの指揮官の身柄確保だ。逃走の件もあるが、それ以外にやつに詳しく問いただしたいことがある。わたしがきたのは、そもそもそちらの用件があったからだ――あれがいなくなったのは二日前だな?」

「はい。基地内の捜索と、外も巡回してみたのですけれど、見つからなくて……」

「やつは研究者畑だ。軍でのサバイバル経験はない。そして、ろくな装備なしに屋外をうろつくほど間抜けでもない。施設内のどこかに潜んでいるはずだ。探し出せ。見つけ次第、直ちに身柄を確保しろ。絶対に生きたままでだ。死なれてはかなわん」

「はい」

 スオミが表情も硬く、応える。ヘリアンはうなずくと、続けた。

「それと、ここの物資の出入りや人形への配給状況を調べる必要がある。ここの兵站担当は……ああ、カリーナか。あれなら話が早い。呼び出して連れてこい」

「わかりました」

 応じながらも、少女は、横目でちらっと仲間の顔を窺った。

 FALをはじめ、皆がかすかにうなずく。

 ならば。意を決して聞くしかないだろう。

「あの……指揮官は、何かされたのですか?」

 恐る恐る発せられた問いに、ヘリアンはさらりと答えた。

「横流しだよ。人形に配給されるべき物資の不法な取引に加担した疑いがある」

「――そんなはずはございません」

 ぴしゃりと断言したのは、G36だった。

 その碧眼に強い意志の光を秘めて、鋼色の瞳をぴたりと見据える。

「人形たちの装備や配給に不足や滞りがあればすぐに気づいております。ご主人様はことのほか兵站を大事にされる方でございます。『銃弾なし人形は戦えない、バッテリーが空では人形は行軍できない』とは、あの方の口癖でございました。宿舎を見回っている時もなにか備品が欠けていれば、すぐに補充してくださいました……お疑いの件については、断じて事実無根であると申し上げさせていただきます」

 よどみなく主張するG36に、スオミもうなずいてみせた。

 言われたヘリアンはといえば、薄っすらと笑んで、つぶやいた。

「なるほど、慕われているな――あいつらしい。だから、だ」

 コツ、とヘリアンがまたデスクを指で叩いた。

「あいつのやり方だからこそ、お前たちが気づかなった配給品がある――お前たちの中でグリフィン支給の〔スイーツ〕を食べた者はいるか?」

「……〔スイーツ〕?」

 ヴィーフリが困惑気味の声でつぶやく。

 あ、と軽く声をあげて応えたのはコンテンダーである。

「そういえば……わたしは他の基地からここに転属してきましたが、慰労用のケーキやアイスクリームなどの甘味の支給が、ここではなかったですね」

「――そんなはずないわよ!」

 コンテンダーの指摘に、反論したのはFALである。

「指揮官の甘いもの好きは有名じゃないの。街で買い込んできたケーキだのクッキーだの景気よくばらまいたり――あれ? ちょっと待って、それなら」

「そうだ。お前たちがもらったのは、やつが私財を投じて買ってきた人間用の甘味だ」

「あの。それ、話がおかしくないですか?」

 スオミはたまらず声をあげた。

「じゃあ、指揮官は会社支給の甘味を横流しして、それで得たお金を使って街で甘味を買いなおして配っていたんですか? あの人は、確かに変人ですが……そこまで間の抜けた人じゃありません!」

 気色ばんで主張する少女に、ヘリアンは肩をすくめた。

「やつが対価に得たものが、金銭のたぐいではないかもしれんがな」

 そういって、鋼の瞳の才媛は、きりと表情を改め、言った。

「とにかくカリーナを呼べ。あいつなら物資の流れは把握しているはずだ」

 

 

 

「どうしましょう……」

 うなだれながら廊下の壁にもたれるスオミに、

「どうするもこうするも、このままにできないじゃないの」

 その肩にぽんと手を置いて言ったのはFALである。

 ヘリアンに指示されて、ぞろぞろと応接室を出たものの、善後策は検討する必要がある。

 基地の他の人形に見られないように、目につきにくい廊下で臨時のミーティングとなった。

「なんとかしないと、指揮官、もしかしたらクビよ、クビ」

「そんなあ……やだよ、そんなの」

 不満の声をあげたのはヴィーフリ。

 うなずいてみせたのはG36である。

「上級代行官が出てきたということは、グリフィン本部がご主人様を重要参考人としてみなしている証拠です。たしかに、この流れですとご主人様はクビをまぬがれても、指揮権限は剥奪されるかもしれません。それはわたし達にも困ったことになります」

 冷静な指摘に、コンテンダーがつぶやくように言った。

「『神のものは神に。カエサルのものはカエサルに』――指揮官とわたしたちの〔誓約〕が無効とみなされて、強制的に解除されることになるかもしれませんね。指揮官のパートナーから、会社の備品に逆戻りです」

 不吉な事実に、スオミは背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 感情パラメータが大きく振れ、予測演算が暗雲の未来をはじき出す。

「それって……記憶領域も整理されるんでしょうか」

「おそらく。わたしは他の基地からの転籍ですが、前の指揮官に関する記録は消去されて思い出せません。記憶といっても、わたしたちのそれは、相応の措置を取られれば簡単に失せてしまうものですから」

「……あの人のことを……忘れてしまう?」

 スオミは膝が震えるのを感じ取っていた。

 感情パラメータが不安定に波打って、思考パルスを千々に乱れさせていた。

 鬱陶しいと思ったことは数知れず。

 だが、愛おしいと思ったことはそれよりも多いのだ。

 変人で変態で困りもので予測不能な指揮官ではあるが――

 それでも、スオミたちにとって離れがたい想い人なのは確かである。

 重苦しい空気がその場に満ちたように思えた、その時。

 ポン、と手を叩く音がよどんだ空気を晴らした。

 コンテンダーが端正な顔に静かな決意をたたえて口を開く。

「指揮官の無実を信じて、最善の行動をとりましょう。『努力は、人があきらめるという選択肢を捨て去ったときにのみ、その報酬を完全な形で現す』です――カリーナさんを呼びに行くのはFAL、G36とヴィーフリが指揮官の端末を調べて情報収集、わたしと隊長で基地内の再探索。どうでしょう?」

 よどみなく提案するコンテンダーに、スオミは目を丸くしたが……ややあって、こくりとうなずいた。しゃきっと背を伸ばし、部隊の仲間たちを見渡して、言った。

「あの人がわたし達を裏切るようなことをするはずがありません。それなら、あの人を信じて、できることをやりましょう――なぜならわたし達は、あの人と誓いを交わした〔指輪の乙女〕」

 少女の言葉にコンテンダーが続ける。

「このL211基地において最精鋭の戦術人形、ですね。だから――」

 続く言葉、五人の乙女がそろって唱和した。

「――その名に恥じることなし! その誓いにもとることなし!」

 危地にあってなお諦めない、想う力があげさせた号令だった。

 

 

 

「はい。たしかに指揮官のご指示で、グリフィン本部から支給の〔スイーツ〕は一切基地の人形たちには配布されていません。入庫するとすぐに厳重に封印されて、必要があるまで保管されているのが常でしたわ」

 明るい栗毛にくりくりした目の後方幕僚はあっさりと答えた。

 まだ年若く、アカデミーの学生だと言っても違和感がない。ヘリアンと同じくグリフィンの制服を着ていたが、多少崩してラフな印象にしているのは、年頃なりのおしゃれ心の発露か。ただ、このうら若い女性が〔算盤ごと〕については恐ろしく才に長けたスタッフであることは、グリフィンの社内で知らない者はいなかった。

「じゃあ、わたし達、もらえるはずの配給をもらえなかったっていうの?」

 驚き半分不平半分の声をあげるFALに、カリーナはうなずいてみせた。

「グリフィン支給の〔スイーツ〕は通常の配給とは異なります。慰労目的で指揮官がボーナス的に与えるもので、支給判断は指揮官に一任されているもので……まあ、わたしも少し不思議でしたけど。ただ、ここの指揮官は宿舎など住環境の整備や人員とのコミュニケーションを密にする方を重視されていましたから……」

 カリーナはFALを見て、目をぱちくりさせながら続けた。

「それに、誰も不満には思わなかったはずですよ? 甘いもの自体は指揮官手ずから選んできたお菓子を分け隔てなく、基地のスタッフにくださいましたから――そうそう、あの日、残業していた時にいただいた深夜のモンブランは格別でしたねえ」

 その時の甘い美味を思い出したのか、カリーナがにっこりと笑みを浮かべる。

 咳払いをひとつしてヘリアンが問いただした。

「それで? あいつはその〔スイーツ〕をいったいどうしたのだ?」

 発せられた問いに、カリーナが携帯端末を手早く操作してみせる。

 ディスプレイに変じたデスクの表面に、リストがずらりと並んだ。

 ヘリアンとFAL、二対の視線がリストに注がれる中、カリーナは明快に言った。

「〔スイーツ〕の入庫と出庫の記録と、指揮官からの指示書を並べてみたものです――ご覧の通り、他の基地からの支援要請に応じて都度出庫して送り出しています。基地の指揮官はその権限において、必要に応じて近隣の基地に必要な資材や人形の応援を要請することができますもの。正式な友軍指揮官の求めがあって、それが正当な規定にのっとっている限りは、指揮官の〔スイーツ〕の扱いに不自然なところはありません」

 よどみないカリーナの説明。

 FALは大きく息をつくと、目を軽く潤ませながら言った。

「さすがカリーナさんだわ……そうよ。そうよね? あの人が横流しなんてするわけないもの。ああ、よかった。うちの基地の兵站担当があなたで」

「あははは、ありがとうございます……ただ、ですね……その、ですね」

 照れ笑いを浮かべながら、カリーナが途端にそわそわしだした。

 ヘリアンがナイフのように鋭い視線を彼女に向けて、

「言いづらそうなら、当ててみせようか」

 そうして、上級代行官は冷ややかな声で言った。

「支援要請を送ってきたのは、すべてEH11基地ではないか?」

「はい……まさにその通りでして」

 いささかばつの悪そうな顔で、カリーナが携帯端末に指を走らせる。指揮官からの指示書、その根拠となっている友軍基地からの支援要請。基地のコードをピックアップ表示させると「EH11」がずらりと並んでいた。

 明らかな作為に、FALが目を見開き、ヘリアンが薄く笑んだ。

「カリーナ。お前はあいつに問いたださなかったのか?」

「何度か、聞くだけは聞きましたよ? EH11基地はお隣さんといえるほど近いところではありません。そんなところがこう何度もなぜ、と。そしたら――」

 そこまで言って、カリーナはなぜか、ちらとFALの顔を窺い、

「――『そうだね、私はシンドラーを気取っているのかな』と、指揮官が」

 それを聞いたヘリアンが、ふんと息をついた。

「人助けならぬ、人形助けか。まったく……」

「あの、『シンドラー』って、何ですか?」

 FALの問いに、ヘリアンが答えた。

「オスカー・シンドラー。昔に生きていた人間さ。気になるならライブラリを検索してみるといい。いまはもう知っている人は少ないが……歴史に名は残した、あるお人よしの名前だよ――概ね察しはついたが、敢えて確認する」

 ヘリアンは顔の前で指を組み合わせて、問いを発した。

「カリーナ。〔スイーツ〕と引き換えに、EH11基地から送られてきたのは戦術人形だな?」

 問われた後方幕僚が無言でうなずき、端末を操作した。

 物資のリストから、在籍している戦術人形のリストが表示される。

 ここL211基地在籍の戦術人形。

 その八割は、メーカーであるIOPから送られてきた「新品」の人形。

 残り二割が、EH11基地から移籍してきた戦術人形だった。

「なに……これ、どういうことなの……?」

 予想もしない事実に、FALは思わず頭を手で押さえた。

 思考回路のパルスが乱れて、軽くめまいをおぼえるようだ。

 そして、ヘリアンは人形たちのリストをじっとにらみつけていた。

 

 

 

「ちょっと……意外でした」

 スオミとコンテンダーは、基地の一画を足早に歩いていた。

 少女が少し見上げながら、隣の麗人にそう訊ねると、

「何がですか? 隊長どの」

 コンテンダーがふっと微笑みながら応えた。

「いえ。コンテンダーさんはいつもは控えめというか――すみません、悪い意味じゃなくてですね――ああいう場面だと、FALとかG36が真っ先に提案して、あなたは後から意見を言うのがいつもでしたから……」

「……たしかに、今回はちょっと積極的になっているかもしれません」

 麗人はそう言うと、おとがいに手を当てながら、言った。

「自分のことながら不思議です。なんとしても指揮官を見つけねば、という方向に思考パルスが傾いています。『真の恋の兆候は、男においては臆病さに、女は大胆さにある』――とすれば、指揮官への想いがわたしを突き動かしたのかもしれません」

 涼し気な顔でさらっと言ってみせた麗人の声はわずかに弾んで聞こえた。

 スオミはといえば、あっさりと想いの丈を言われてしまい、

「なななな……」

 瞬く間に頬を赤くした。感情パラメータが不安定に波打ち、熱を帯びてしまった表皮の疑似生体を冷却するために循環液が発散される……赤面した少女から、かすかな湯気が立ちのぼった。その様子に、麗人がすっと目を細める。

「ふふっ、隊長どのは、あの人を本当に大切に思っているのですね」

「そんなんじゃないです! 目を離すと余計なことばかりするから、フォローに追われるんですよっ。今回だって、そもそも逃げなければ、こんなことには――」

「でも結局、骨を折りつつフォローしてしまうんですね」

「それは……」

「おやおや、『行動は雄弁である』ですよ。隊長どの?」

「ううっ……お見通しですか」

 スオミは顔をひきつらせながら笑んだ。

 照れ笑いと苦笑いがないまぜになった、なんとも困った笑みである。

 指揮官がいると常に感情パラメータが跳ねまわり、まるで落ち着かない。だが、こうしていなくなってしまうと、どうしてもフラットに落ち着いてしまう思考回路に、なにか物足りなさを感じてしまう。あるいはこれが本来のスオミ自身のパーソナリティなのかもしれないが、だとすると元々の自分の、なんと味気ないことだろう。

「そうですね……かく言うわたしも、隊長どのに影響されているのかな」

 不意に、コンテンダーがどこか遠い声で言った。

 スオミが彼女の表情を窺ってみると、麗人は少しぼやけた表情でいった。

「最初は指揮官の気遣いが理解できなくて……でも、あなた達と行動を共にするうちに、会話に出てくるあの人の姿が少しずつ理解できていって……そうして、予習してみると、その優しさが少しずつ信じられるようになって――ちょっとずつ、白いハンカチにワインが沁み込んでいくように、記憶領域にしっとりと、あの人とのメモリーが蓄積されていって……いつのまにか、そう……今度は失いたくない、そう思うように――」

 ぼうっとしたままつぶやくように言うコンテンダー。

 スオミは首をかしげながら、声をかけた。

「今度は? ……あの、どういうことですか?」

 その途端、曖昧な表情だった麗人は、はっと我に返ったように目を見開き、

「あ、いえ、なんでもないです――自分の行動を解析してみようと思ったら、なぜか記憶領域のサーチを始めてしまったようで。失礼しました」

 そう言ったコンテンダーは、もういつもの涼やかな顔であった。

「いけません、『恋をしながら賢くなんてなれやしない』ですね。思考回路が上手く働いていなかったようです。隊長どのみたいになるところでした」

 そう言って麗人はウィンクしてみせる。

 からかわれたスオミは口をぱくぱくさせたが、何も言えず。

 かわりにまた頭から湯気を立ち昇らせた。

 またまた頬が赤いのは言うまでもない。

 少女はもじもじしながらも、言葉を紡いだ。

「あの、ですね。お互いにあの人と〔誓約〕している以上、指揮官を好きになるのは構いませんし、わたしにだって気持ちが分からなくもないですけれど。でも」

「でも?」

「あの人に毒されて、人をからかっちゃダメですっ」

 スオミがぷうと頬をふくらませる。

 コンテンダーはそれに答えず、くすくすと笑ってみせるだけだった。

 不満げな顔でスオミはなにやら口をもごもごさせたが――

 とある通路の途中、その壁の前で立ち止まった。

 よくよく見ると、壁の色合いが両隣と微妙に異なっている。

「ここ、です……たぶんこの壁で閉鎖された通路の先」

「指揮官の場所をご存じなのですか?」

 コンテンダーが訊ねると、スオミは軽くかぶりを振った。

「知っていたというか……失踪当日の捜索の時は全然思いもよらなかったんですけど」

 言いながら、スオミは納得しがたい、という表情だった。

「指揮官って、私が記憶領域をデフラグしている隙になにか仕込んでいくことがあって――ああ、困ってるんですよ、これ――ひょっとしたら、何か残してないかと」

「つまり、記憶領域をサーチしたら、手掛かりがあったと?」

「ええ。閉鎖された通路は、いまは使われていない光学観測ドームにつながっています。ただ、あの人のコメントだと『ウン! 乙女のデートにぴったりだネ!』としか付いていないので、いるかどうかはすっごく怪しいんですが」

 言いながら段々自信なさげに声が小さくなるスオミ。

 そんな彼女の肩に、コンテンダーは優しく手を置き、言った。

「身を隠しても狭いところはまっぴら、ですか。実にあの人らしいじゃないですか」

 コンテンダーが静かにうなずく。

 スオミはうなずき返すと、まなじりを決して、壁に手を当てた。

 

 

 

「流れで応じてしまいましたが――」

 指揮官のデスクで端末を操作しながら、G36はやや憮然とした口ぶりで言った。

「――こういう調べ物の相方があなたというのは実に不向きです」

「えーっ、なんでよっ。わたしの性能に不満でもあるの?」

 ヴィーフリが不満の声をあげる。

 指揮官室のソファに寝転がってごろごろとしながら、ではあるが。

「才能ではありません。パーソナリティの不向きです。あなたは戦闘においてはスオミよりも勇敢なのは知っていますし、隊の雰囲気を明るくするうえで欠くことのできないメンバーです。その点、ご主人さまの采配は実にお見事です」

 そこまで言って、G36がじろりと、ソファでくつろぐヴィーフリをにらむ。

「ですが、勤勉さが問われる事務方面では壊滅的です」

「なによ、得意そうだからアンタにまかせているんじゃない」

「一流のメイドは何事もそつなく優雅にこなすものですから」

 そう言って、G36はコンソールでカタカタと指を踊らせた。

「はあ……やはりパスコードはこれでしたか」

 ため息まじりに言うメイドに、ヴィーフリがぴょんと身体を起こして、

「えっ、ロック解除できたの?」

「『Your Blood smells Good』――たぶん毎日、副官デスクのスオミの顔を見ながら打ち込んでいたんでしょうね。深読みしなくてよかったですが、なんとも微妙な気分です」

「……そのパスコード、ホント?」

「いかにもあの人らしいです――きみの循環液はいい匂いがする、ですか」

 つぶやきながら、G36がコンソールを忙しく操作し始める。ヴィーフリはと言うと、そんなメイドを見ながら、ふと記憶領域から認識領域に上がってきた記録をロードしながら独りごとのように言った。

「指揮官のその言葉さ、アタシも言われたけど。スオミがあんなに身をよじったりするほど、いやな感じでもなかったんだけどなあ」

「わたしも言われたことがあります。もう少し穏やかな優しい口調ですね」

 キーボードをたたく音を止めないまま、G36は言葉を続けた。

「何かを思い出しているような、懐かしんでいるような。そんな感じです。まあスオミに対しては、素が出てしまうのか獣性がむき出しになるのか、かなり変態的で猟奇的な声色になってしまうようですが」

「……G36、割と指揮官には辛口だよね」

「尊敬できる淑女であること。それと変態であることは両立しますから」

「み、認めちゃうんだ、それ……」

「ありのままのご主人様を認めないと、真にお仕えすることはできませんから――出ましたよ。ご主人様が遁走前に見ていた画面です」

「さっすが、お仕事速いわね!」

 ヴィーフリがソファから跳ね起きて、小走りにデスクへ駆け寄り、覗き込む。

 ディスプレイは様々なウィンドウがごっちゃと溢れていて、

「……えーと?」

 目をぱちくりさせながらヴィーフリが首をかしげる。

 G36がふうと息をついて、しなやかな指で画面の一画を指した。

「指揮官が見ていたのは、おそらくグリフィンの役職者用のフォーラムですね。おそらく見ていたのはここ。EH11基地に本部の査察が入り、横領容疑でEH11の指揮官が手配されています」

「えっ、この基地じゃなくて、EH11? なんで?」

「もしかすると、私たちの基地とご主人様は、単なる関係先かもしれません。まあ、ご主人様が違法でないにしてもかなりスレスレのことはしていた気はしますが」

 そう言い、G36がまた別の一画を指す。

「これは――戦術人形の思考パルスのモニタリングでしょうか。ただ、これを全部チェックしたとは思えません。端末から情報を得て逃走に移るまでが、迅速にすぎます」

 おとがいに手を当てながら、G36はつぶやいた。

「……アラートが来るようになっていた? だとするとあの方は最初からこれを予想して準備を――」

 アクアマリンの瞳に思考の光を瞬かせながらG36がひとりごちた、その時。

 唐突にチャイム音が鳴った。音声通話のリクエスト要求。

 この基地の外、屋外のいずこからだった。

 G36はためらうことになく、回線をオンにする。

 

『……チクショウ、はめやがったな! この女狐め! どんな手を使ったか知らないが、本部に密告しやがったのはお前だろう。おい、取引だ。お前の安全を保証してほしいなら、お前の子飼いの部隊を護衛によこせ。そうしたら、俺もお前に手出しはしない。どうだ、おい、どうなんだ――クソッ、返事しろよ、クソッ』

 

 そこまで通信を聞いて、G36はやおら回線を切った。

 そっと目を閉じると、メイドは静かな声でひとりごちた。

「ご主人様が女狐など。あの方はもっと気高くて、もっと度し難いですよ」

「G36……なんか声怖いよ」

「気のせいです――通信元の座標をヘリアンさんに送りましょう。たぶん上級代行官の方がより有意義に使ってくださるはずです。おそらく、あの方はご主人様を捕縛しに来たのではなく、あるいは……」

 そこまで言って、G36はぴくりと眉をひそめた。

 記憶領域から、スオミが見せてくれた遁走のあらましをロードする。

 認識領域で指揮官の言葉だけをピックアップ。

 電子の速さでワードを並べたG36は、腕組みした。

 思考パルスが回路を駆け巡る。感情パラメータが不穏に波打ち、チリチリと何かを焦がすかのように感じられた。

「待ってください。引っかかるのは二つです。まず、『身の危険がアブナイ』――あなたなら、人間がこれを言うときはどんな事態を想定しますか?」

「ええと……クビじゃなくて?」

「ヘリアンさんの言葉抜きに考えてみてください」

「……命、かなあ。わたしたち人形はバックアップから復元可能だけど……」

 そこまで言って、ヴィーフリがぎょっとして目を見開いた。

「えっ。指揮官、そんなに危ないの?」

「事故死や獄死ではなく、暗殺される危険でしょうね」

「ちょ、ちょっとダメじゃん! あれ? それならどうして一人で……」

「ええ、普通に考えれば、わたしたちに護衛を頼むはずです」

 G36はうなずくと、険のある目つきをさらに鋭くして、言った。

「次に、こうもおっしゃっています――『機が来るまで』と」

「……何かを狙って、身を隠したってこと……?」

「思えば、ご主人様は命の危機ぐらいで身をくらますほど可愛げのある方ではありません。何かが起こるのを予期していて、それを好機と捉えたのかも――」

 そこまで口にして、メイドは大きく目を見開いた。

「――なるほど、そうでしたか」

 たちまちG36は険しい表情になって、通信回線を開いた。

「FAL、聞こえますか?」

『G36!? いいところに! スオミたちと連絡がつかないの!』

「……やはりですか」

『それってどういうこと? 何かわかったの?』

「落ち着いて。何が起こっても、スオミがいます。あの子なら身を挺してなんとかするでしょう。ただ、基地勤務中だったわたしたちは、武装を保管庫に格納したままです。あの子も銃がなければ格闘戦をするしかありません――そして、おそらくですが、彼女の相手はいま銃を所持しています」

『……そんな……まさか、そうなの?』

「ええ。視覚素子の記録を確認してみてください」

 G36は、歯ぎしりするかのごとく、言葉を口にした。

「彼女は、リンケージした拳銃をホルスターに提げていましたよね?」

 

 

 

 スオミは瞠目していた。

 床に穿たれた、まだ煙のあがる弾痕が信じられないというように。

「コンテンダーさん……どうして」

 つぶやく少女の顔は、朱の光で染まっていた。

 光学観測ドームから、西の空に沈む夕日が見える。

 めずらしく雲のない空は、血の色で染めたようであった。

 コンテンダーが、ついとこちらに顔を向けてみせる。

 光の加減で、顔に影が差しており、表情が読めない。

「動かないでください。隊長どの。わたしの射撃の腕はご存じでしょう」

 麗人の声はひどく硬く、平板に聞こえた。

「その気になればあなたの動力コアを撃ち抜くことができます――けれども、わたしは約束で縛られた指示以上の乱暴はしたくないのです」

「約束って……あなたは指揮官と〔誓約〕を交わしたはずでしょう!?」

「ええ、交わしています。ですが、それより古い約束にわたしは縛られています」

 コンテンダーはそう言うと、叫んだ。

「隠れていないで出てきてください! センサーではもう捉えています!」

 叫んだ声がドーム内に響き渡り、それが真と静まったかと思ったとき。

『……ンンン! やはりね。きみはすましているときより、怒ったときにこそ、真の美しさが現れるタイプだと思っていたんだ――例えるなら稲妻の美しさかな? 一瞬で輝き、力を行使して、そして姿を消す。ああ、いや。消えてもらったら困るか。お互い人生はこれからだしネ』

 ドーム内に反響して聞こえる、ふざけた調子の声。

 作戦中の通信で。基地の食堂で。指揮官室で。

 何度も何度も聞いた、明るく、能天気で、大胆不敵そのものの口調。

 スオミは、不意に認識領域に思い描いていた。あの、魂の輝きが煌めくかのような、パープルタイガーアイの双眸。

彼女のまなざしが、どこか思いもよらないところで、自分たちを窺っている。

「こんな時にまで……あなたはふざけているのですか!?」

『ンン? 声が震えているね、コンテンダー。センサーで捉えているなら、なぜ撃たないのかな? きみの銃なら遮蔽物ごと私を撃ち抜くこともできるだろう?』

 獲物とされたはずの指揮官の声は、相変わらず飄々としていた。

 狩人のはずのコンテンダーが、密林を前に立ちすくんでいるかのようだ。

「指揮官! 少し待っていてください――いま、わたしが、彼女を」

 スオミは立ち上がろうとした。

 コンテンダーが、即座に銃口を少女に向ける。

 その顔は――夕日に染められた麗人の顔は、今にも泣きだしそうだった。

 スオミがまなじりを決して、戦術反応回路をオンにしようとした矢先。

『ダメだ、スオミ。万が一に備えてきみは万全でないと困る。わたしは勝算のない賭け事はしない主義だけど、今回は大勝ちできるか心もとない。だからきみを保険に残しておく――何を言いたいか、わかったね?』

 指揮官の声が優しく穏やかで――有無を言わせない気迫に満ちていて。

 だから、少女は。

「……わかりました。指揮官がそう言うのでしたら」

 張り詰めた表情のまま、しかし、うなずいてみせた。

 コンテンダーの顔が――普段は涼やかな麗人の顔が――ゆがむ。

 嫉妬か、怒りか、悲哀か。

 声の主を求めて、檻の中の猛獣のごとく、狩人が歩き回る。

「どうして! どうしてですか! 〔誓約〕をしているのでしょう!? なぜ人形が身を挺して主を守らないのです! 人形の命などいくらでも替えが効くのに!」

 麗人の問いに、穏やかな声がふわりと天から降るかのように答えた。

『替えなんかないよ。バックアップから復元しても、それは死の瞬間まで生きていた、その人形の魂そのものじゃない。少なくとも、私はそう考えている。そして、大切なパートナーなら命を懸けて守りたいし、命を懸けて願いをかなえさせたいと思っている』

「……なにを、ばかな……」

『そして、それはきみもついても同じだよ、コンテンダー。わたしと〔誓約〕したことをわすれたのかい? その右手の指輪に誓って、きみはわたしに何と言ってくれた? わたしはどう答えた?』

 指揮官の声が静かに響き渡る。

 その声から、当初のおどけぶりは消え失せていた。

 真摯に、魂ある者から魂持つ者への、語りかけ。

 コンテンダーの、銃を握る右手が、かすかにふるえていた。

 薬指にはめられた銀の指輪が、夕日を反射してちらちらと不安定に瞬く。

『考えなくていい、コンテンダー。ただ感じるだけでいい。簡単だよ。古い約束と、新しい約束。二つを天秤に載せればいい。そして、天秤に載せたものは――』

 スオミは見た。

 コンテンダーが通り過ぎた、その物陰から――

 いかにしてセンサーを欺いたのか、するりと細身の人影が抜け出すのを。

 指揮官の、色素の薄い白っぽい癖毛がふわりと揺れる。

 怒り、苦しみ、迷う麗人を、指揮官はそっと抱きすくめた。

「――片方しか取っちゃいけないなんてルールはない。両方取ってしまってもいいんだ。さあ、選びなさい、コンテンダー! “MY DEAR PARTNER!”」

 抱きすくめたまま、指揮官が声を張り上げる。

 コンテンダーは涙を流し、そして、歯を食いしばると、

「くぅぁぁぁあぁああ!」

 苦悶の声をあげた。麗人が主の腕から逃れようともがき――

 彼女の右手が軛から解き放たれた。

 銃を握りしめ。その銃口を、誓いを立てたはずの相手に向け。

 だが、人形が誓いを交わした人間は。

 ただ、大きく目を見開いて、麗人の目を見つめていた。

 ――銃声が、鳴った。

 指揮官の肩を貫通して、銃弾が床に突き刺さる。

 コンテンダーが先に身を崩して座り込み、つられるように指揮官もへたりこむ。

「――――ッ!」

 スオミが息を呑んで駆け寄ろうとする。

 だが、彼女の主はそれを鋭く制した。

「まだだ、スオミ! 私の怪我より、彼女の手当てが先だッ」

 主の声で、少女は射すくめれたかのように動きを止めた。

 少女の見守る視線の先。

 がくがくと震えるコンテンダーに、指揮官は寄り添っていた。傷を負っていない方の腕で、指輪の主が、指輪の持ち主をそっと抱きしめる。

「“Calm Down. Calm Down. Calm Down.” 思考パルスを見失わないで。認識領域をちゃんと保持して、私の目を見るんだ――見えるかい、きみがよく知っている目だ」

 涙を幾筋も流しながら、コンテンダーが目を見開く。

 慈愛の煌めきに満ちた、紫の双眸が、穏やかに語りかけていく。

「きみはわたしを撃った。古い約束をまさに果たした。そして、トリガーを引く瞬間にわざと急所をはずした。新しい約束を守った。きみは天秤の両方をとったんだ。どちらの約束も破ってはいない。そして、古い約束を果たしたいま、きみはもう自由だ。思考パルスを自分の記憶領域に向けなさい。何が残っている? 自分に問いかけてごらん?」

 指揮官の言葉に、コンテンダ―はくしゃりと顔をゆがめた。

 うれしそうな。それでいて、不安いっぱいな表情で。

「い、い、いいのですか、指揮官……わたしは、あなたを、あなたを……」

「いいもなにも」

 指揮官がコンテンダーの背をポンと軽くたたく。

「きみはただ、誠実であろうとしただけさ」

 そう言って、人形たちの主は、麗人の首筋をのぞき込んだ。

「うん、〔烙印〕が消えている。もう、大丈夫みたいだね――いやあ、ひどいオトコもいたもんだ。指輪じゃなくて首輪で縛るなんてね。悪趣味にもほどがある。SM趣味は、お互いの同意と愛がなければやっちゃいけないんだヨ?」

 冗談めかして指揮官がウィンクしてみせると、コンテンダーが泣きだした。想い人の身体に顔をうずめ、嗚咽交じりに泣き声をあげる。

「泣きなさい。たっぷりお泣きなさい。いまのきみには必要なことだ」

 泣きすがる麗人にそう言ってから、指揮官はスオミに声をかけた。

「おおい、お待たせ。ゴメン、そこの影にサバイバルパックが転がっているから、医療キットを取ってきてくれない? ご覧の通りで手がふさがっているから、手当してくれるとうれしいんだけどナ」

 すっかり能天気に戻った指揮官の声に、スオミは無言であった。

 無言のまま、医療キットを取りだし。

 無言のまま、指揮官に歩み寄り。

 そして、無言のまま、おもむろに治療を始めた。

 口がへの字に曲がったまま、目には涙をうかべている。

「あたた……沁みる、消毒薬沁みるッ、痛ったぁぁぁい!」

「我慢してください。すぐに冷凍しますから。そうしたら痛覚も消えます」

「ンンン、優しさが足りないよォ。見てたでしょ? 頑張ったでしょ?」

「見てましたけど! 頑張ってましたけど!」

 スオミは気色ばんだ。目元に溜まっていた涙が、一筋、頬を伝って流れる。人形の視覚素子を覆う保護液は厳密には人間の涙と同じではなかったが――想い人を信じ、想い人を案じて流すものであれば。

 それは、やはり乙女の涙であった。

「ほんとに心配したんですからね! ……あれから、ずっと、ずっと……」

 そう言って、少女も泣きだした。

 小さな嗚咽は、やがて盛大な泣き声となった。

 指揮官は天を仰いでつぶやく。薄く、笑みを浮かべながら。

「ンンン……カワイイ子が二人も傍らで泣いてくれるのはなかなかの醍醐味……でも、まいったねェ。ヘリアンさんが早く来てくれないと、私、ヤバいかも――」

 夕日がすっかり地平に落ちて、夜の帳が広がっていく。

 指揮官の視線の先で、星々が静かに瞬き始めていた。

 

 

 

「指揮官は、最初からすべてお見通しだったのですね」

 見舞いに来たスオミに、コンテンダーは薄く笑んで言った。

 自嘲の色がにじんでいるが、一方、どこか軽やかさも感じる笑みだ。

「前に仕えていた主との〔誓約〕が残っていたなんて。記憶も思い出もすべて消し去っておいて、でも〔烙印〕は残したまま、メモリの底に、いざという時の暗殺命令を仕込む――わたしたちは、本当に人形なのですね。人を模して作られ、人のようにふるまうことを求められながら、決して人のようには扱われない。ただの便利な道具……」

 コンテンダーはメンテナンスベッドに横たわっていた。記憶領域の再スキャンと徹底したデフラグ。人間を撃った戦術人形など、本来ならメーカーのIOPに送られて中身をすっかり掃除にされるか、最悪は廃棄処分になりそうだが。

 しかし、彼女たちの主はどんな取引をしたのか、ヘリアンから異例とも言えるほど軽い処分を勝ち取っていた。医務室に運ばれる前に親指を立てながら「心配しなくてイイ!」と言ってみせた約束を、あの人は守ってくれたのだ。

 感情パラメータがたかぶって、涙があふれそうになる。

 そんな自分を必死でこらえて――スオミはコンテンダーの手をそっと握った。

「前の人のこと、まったくおぼえていないのですか?」 

 少女の問いに、麗人はしばし目を閉じ――ふたたび目を開けると、

「……あやふやな霧の向こうに見える断片なら、なくもないですね」

「どんな人だったんですか?」

「それが、どういう方だったか、なぜ〔誓約〕を結んだのかわからないのです」

 麗人はくしゃりと顔をゆがめた。悲しむように、はかなむように。

「鉄血と必死に戦って……ボロボロになりながら戦場から帰ってきて、あの人が何と声をかけてくれたのか、まったく思い出せないのです。ただ……食事にはいつも〔スイーツ〕がついていました。ええ、ケーキやら、アイスクリームやら、キャンディやら。甘味が豊富なのは指揮官のせめてもの恩情だと思っていました。でも――」

 コンテンダーの目から、一筋、涙が流れ落ちた。

「――それを食べると、なんだか感情パラメータが昂って、わからないままに指揮官への思慕が高まっていったように思います。考えてみれば、妙な話です。自分が想いを捧げる人がどんな方なのかわからないのに、いつの間にか何もかもなげうつ気でいた……」

 スオミが握るコンテンダーの手に、ぎゅっと力が込められた。

 少女の手を握る、麗人の手は、かすかに震えていた。

「なぜでしょう、いまはそれが悔しいと感じられます。悔しいと感じられる自分がいます。人形のはずのわたしが、こんな思いを抱くなんて」

 彼女の言葉に、スオミは静かにうなずいて、言った。

「きっと、いまの指揮官のおかげですよ――いえ、むしろ、あの人のせい?」

 少女の言葉に、麗人はくつくつと愉快そうに笑った。

「そうですね、あの人のせい。人形は人形のままに扱えばいいのに。あんな奇特な人は、本当に信じられません」

 涙は、いつのまにか止まっていた。

 麗人の瞳は凪のような穏やかさを取り戻し、いつもの涼やかな顔になっていた。

「いまの指揮官をどうして想っているのかを考えようとすると、記憶領域からメモリが溢れそうになります。迷惑なことやあきれたことも多いのですが……あの紫の瞳がきらきらしながら話しかけてくる時を思い出すと――」

「――感情パラメータが、跳ねるんでしょう?」

「ええ、ええ。本当に。思考パルスが不安定になって困ります」

 麗人の言葉に、少女はにっこりとほほ笑んだ。

「でも。それがイヤなわけではない、そうですよね」

 スオミの言葉に、コンテンダーがふっと笑んでみせた。

「さすが、大先輩の言葉は重みがありますね」

「――いや、あの……な、内緒ですからね! あの人が知ったら、また……」

「ふふっ、のんきなことを言っていると、指揮官の隣を奪ってしまいますよ。夕暮れの観測ドームでわたしを抱きとめた彼女は、最高に恰好よかったですからね――正直に白状すると、惚れ直してしまいました」

 そう語る麗人の頬が、かすかに赤らんでいる。

 少女は、そんな彼女をみながら、もじもじとしていたが……

 きりと、表情を改めると、麗人の手を握りなおした。

 包むように添えるのではなく、握手の形へと。

「じゃあ、今日からは仲間で、ライバルです。指揮官の隣をそう簡単に取れるなんて思わないことです。ご存じでしょう、わたしは頑固でタフな子だというのは」

 スオミは、ふっと笑んだ。にこやかに。それでいて、不敵に。

「手加減はしませんよ、コンテンダー」

 少女が呼んだ名前に、麗人が目をぱちくりとさせ――

 そして、彼女もまた、笑んで応えてみせた。

「もちろんですよ、スオミ」

 二人の乙女は、視線を合わせ、そして。

 どちらからともなく、くすくすと笑い声をあげた。

 

 

 

「お前がとんでもなく悪食な女だということを忘れていた」

「おや、怪我人にその言葉はひどいですネ、ヘリアンさん」

 ベッドで半身を起こして忙しく端末を操作していた指揮官は、紫の瞳に光を躍らせながら愉快そうに言った。

「わたしはただ、正義のNTRを実行したまでですヨ」

「その表現はやめろ――お前と合コンに行った悪夢を思い出す」

「ああ、あの時の……ンン、かわいい娘が多かったナ。まだ熟していない青い林檎ちゃんズ」

「オトコたちから総スカンだったんだぞ、あの後」

 恨めしそうに呻いたあと、ヘリアンは咳ばらいをひとつして、言った。

「で、お前はおとなしく寝ていないで何をやっているんだ」

「ヘリアンさんへのお土産を作っていまして――っと、できました」

 指揮官は端末からデータカードを抜き取ると、ヘリアンに渡した。

「コンテンダーの記憶メモリが最後のパーツでした。本部で解析検討してください。人形たちの残存メモリを継ぎあわせて構築したものです――EH11基地の指揮官が利敵行為を行っていた状況証拠。あと、おまけで〔スイーツ〕を過剰投与された人形のメンタルモデルの回復プログラムの提案書です」

 データカードを受け取ったヘリアンが、片眉を吊り上げる。

「……お前のことを社長が何と呼んでいるか分かるか?」

「ほお、気になりますネ」

「“間違っても洗面所に置きたくない剃刀”だそうだ」

「いやあ、なかなか耳に痛い誉め言葉ですね」

 にんまりとしてみせる指揮官を、ヘリアンはじろりとにらみつけた。

「あまりやりすぎるな。お前はいろいろと危うい。アカデミーの指導教員のアドバイス通り、IOPの研究チームに送り込んだほうがいいかもしれんと何度思わされたか」

「やだなあ、戦果はちゃんとあげているでしょう?」

 渋面のヘリアンに、指揮官はウィンクしてみせた。

「それに、私がやりたいのはフィールドワークですよ」

 ぬけぬけと言ってみせる彼女を、上級代行官は鋭い視線で刺して言った。

「いいか、人形に過剰な思い入れをするな。あれは備品だ。消耗品だ。戦術人形自体がいわば銃弾なんだ。替えが効く存在だし、そうでないと困る。割り切って考えろ。あれに魂などない。〔スイーツ〕はメンタルモデルの消耗を回復させるために必要だ」

「はいはい――それで“ヤク漬け”にした人形が本格的に使えなくなったら、メーカーに送って頭の中をキレイキレイにして――また戦場に送り込んで、ぱくぱく〔スイーツ〕を食わせるわけですか。いやあ、グリフィンって悪の組織じみているなァ」

「それが一番効率的なんだ。わかるだろう」

「理解はしますが、納得はしませんヨ。それに……社長もいまの方法がベストとは思っていないからこそ、私の入社を認めてくださったんですよネ?」

 口調はおどけていたが――紫の瞳には真摯な光が宿っていた。

 ヘリアンは少し黙り込み……言った。

「今回の件、わたしはコンテンダーよりもスオミの方が問題だと考えている。コンテンダーは単なる命令拮抗のトラブルだが、スオミは人形が遵守すべき人命保護の倫理コードに違反している。何か不測の事態が起こったときに。あの人形が為すべきことをなさなかった場合、会社に重大な損害を出すかもしれん」

 上級代行官の声が、医務室に重苦しく響く。

「重大な損害とは、この場合、お前の命だということもあるからな」

「ご忠告いたみいります。ま、ほどほどに自重しますヨ。ネッ?」

 にかっと笑ってみせる指揮官の顔に、ヘリアンは盛大にため息をついた。

「利敵行為と言ったな。EH11基地の指揮官が鉄血と取引していた、と?」

「彼はなかなか戦果をあげていましたからネ。それが出来ゲームの結果だとすると納得のいく点が多々あります。ただ――あの野郎から引き取った人形たちの記憶を継ぎ合わせていくと、どうも妙な点が」

「……どういうことだ?」

「考えてみれば、彼女たち鉄血は人間と取引するようなロジックを持ち合わせていません。それがグリフィンで鉄血に対抗できる理由であり、同時にこの戦いが終わらない原因です。そこから考えると、彼女たちの倫理感にそぐわないでしょう」

 指揮官はそう言うと、また別のデータカードを取り出した。

「こちらの解析もお願いします。前にスオミたちが遭遇した奇妙な敵性に関連しているものです。グリフィン本社ではなく、16LABのペルシカ先輩に送ってください。あの人ならたぶん的確かつ綺麗に解いてくれるでしょう。こちらもまた、鉄血の美意識に似合わない――EH11の野郎は、もっと得体のしれない相手と取引していたのかも」

 真剣に語る指揮官に、上級代行官はうなずいた。

「受け取ろう。お前からだと言えば、ペルシカは嫌がりそうだが」

「ははは。変態は変態を知るゆえに、しばしば近親憎悪するものですヨ」

「……おまえ、あいつと一緒に働きたくないだけだろう」

「ンンン。グリフィンにいる理由のひとつでもありますネ」

「しかし、鉄血に倫理感と美意識、とはな。やはり、お前は変態だ」

「私は彼女たちのパーソナリティも理解したいと思っていますヨ?」

 にっこりと笑む指揮官に、ペルシカは肩をすくめてみせる。

「まあ、怪我をちゃんと治せ――次の指揮官会議で不審に思われても困る」

 ペルシカはすっと立ち上がり、白っぽい癖毛の頭をぽんとたたくと踵を返した。

 律動的な足取りで医務室の出入り口へ行き――ふと、足を留める。

 かすかに振り返り、じろりと指揮官をにらんで言った。

「お前がスオミで何を試しているかは詮索しないでおく。いまのところはあれも丁寧にオーバーチューニングされた戦術人形でしかない。だがな」

 ペルシカが、すっと目を細めた。

「あの少女に過去の思い出を見ているのなら、やめろ」

 鋼のまなざしは、どこか痛ましげだった。

「過去にとらわれる人間は、いずれ追いついてきた過去に食い殺されるのが常だ」

 ペルシカはそのまま医務室を出ていった。

 黒と臙脂の人影が扉の向こうに消えて――

 指揮官は、ひとつ大きくため息をついた。

 

 

 

 翌朝、夜が明けてからのことです。

 わたしが、指揮官のいる医務室へお見舞いに行けたのは。

 もっと早く行きたかったのはもちろんです。

 でも、指揮官が怪我をして動けない事態では、ヘリアンさんが求めるあれやこれやを用意するには、兵站担当のカリーナさんと、副官のわたしで対応するしかありません。

 隙を見つければ、少し覗くだけでも、と思ったんですが……なぜかヘリアンさんに見張られている感じがして、迂闊に動けませんでした。

 装甲ヘリで上級代行官を見送って。その足でようやくお見舞いにこれたんです。

 医務室に足を踏み入れると、橙色の常夜灯に照らされて――指揮官は静かな寝息をたてていました。

 ……考えてみたら、この人の寝顔を見たのはこれが初めてでした。

 きらきらとせわしなく輝く紫の瞳は、薄いまぶたに閉ざされ。

 いつも妄言が垂れ流される唇は閉じられ。

 すやすやと眠る指揮官は、驚くほど、あどけない顔をしていました。

 ――この人は、どんな少女時代を送ったのでしょう。

 ふと、そんな疑問が思考回路を巡ったとき。

「ん……んん……」

 指揮官が身じろぎしました。

 顔がかすかにゆがみ、眉をしかめて。

 何かを呼ぶかのように、唇を開いて。でも声は出ないまま。

 宙に向けて、手を懸命に伸ばそうとしました。

 どんな対応をすべきか――予測演算する暇があったかどうか。

 気が付くと、指揮官の伸ばした手を、わたしは握っていました。

 指揮官の手に軽く力がはいり――私の手をきゅっと握り返しました。

 苦しそうな彼女の顔がふっとやわらぎ、そして。

 やおら、ぱちりと目を開けると、がばと彼女は跳ね起きました。

「――――ッ!? え、あれ……スオミ?」

 わたしの顔を認めて、指揮官がぱちぱちとまばたきをします。

 いつもなら悪だくみで煌めいているような双眸。

 それが、この時はどこか靄がかかっているかのように見えました。

「はい、わたしです……ごめんなさい、お見舞い遅くなって」

「そっかあ、スオミだったか」

 指揮官は、大きくため息をつき、そっとつぶやきました。

「夢の中で握り返してきたから、てっきり――」

「てっきり……なんですか?」

 首をかしげるわたしに、指揮官は軽くかぶりを振ってみせました。

「いや、なんでもない。なんでもないよ」

 そう言うと、彼女はふわっと笑んでみせました。

 魂の輝きが煌めくような、パープルタイガーアイの瞳。

 いつもの指揮官の顔でした。

「ンン? それで夜明けに寝込みを襲いにくるとは――ああ、そっかァ、スオミもとうとう純潔をプレゼントしてくれる決心をしたのか」

「…………帰りますよ?」

 冷ややかな声で言うと、指揮官はにっと笑ってみせました。

 こういうところです! こういうところが嫌いなんです!

 わたしが顔をうつむけて、上目遣いでじとりとにらむと、

「心配かけたね。ごめん」

 意外にも素直な謝罪を口にして、指揮官は微笑んでみせました。

 もう、だからこういうところなんですよ!

 さっきから感情パラメータが跳ねまくって落ち着きません!

 落ち着かないままに、わたしは彼女の手を握りしめて、そっと自分の額へと近づけました――その行為には、何の意味もないけれど。でも、わたしはこの人が無事なのを、確かめたかったのかもしれません。

「もう、あんなことしちゃ、ダメですよ」

 わたしが絞り出すように声に出すと、

「頑張るけど、ごめん。約束できないなァ」

 あっけらかんと否定されて。

 わたしはたちまち自分の目つきが険しくなるのを感じていました。

「こら、おっかない目で見ないで。見舞いにきた子がそんな顔しちゃダメ」

 苦笑いをうかべて、そう言いい――彼女はまたベッドに身を横たえました。

「もう少し眠るよ……でさ、ちょっとスオミにお願いしたいんだけど」

「――添い寝ならしませんよ」

「あ、その手があったか……うーむ、魅惑的だ」

「なんですか? なんですか!」

「いや、はは――寝付くまで、手、握っていてくれないかな」

 指揮官がわたしを見て、少し困ったような顔で言いました。

 まるで、迷子の女の子みたいな、あどけなく心細げな顔。

「変な夢、見ちゃって……誰かそばにいないと寝つけそうにない」

 彼女のささやかな〔お願い〕に、わたしはこくりとうなずきました。

「ありがとう」

 指揮官はそう言うと、静かに目を閉じました。

 しばらくして静かな息をさせ始めた指揮官を見ながら――

 わたしは思わず、つぶやいていました。

「もし、わたしがコンテンダーと同じ立場なら」

 認めざるをえない――かすかな羨望と、たぶん嫉妬。

「あなたは同じようにしてくれたんでしょうか」

 それは、独り言のつもりだったのに。

 目は閉じたまま――彼女はわたしの問いにささやき声で答えました。

「そしたら、わたしはおとなしく撃たれるよ。頑固で、気難しいきみだ。撃つまでにさんざん考えるだろうし、その末に引き金を引くのなら――それを拒んだりしない」

 静かな、でも、きっぱりとした宣言。

 わたしは―――何も言えませんでした。

 やがて、今度こそ本当に寝入ってしまった彼女に、わたしができたのは。

 おそるおそる、指先を伸ばして。

 彼女のすべらかなひたいを、かすかに撫でるぐらいだったのです。

 

 

〔ep.5ヘつづく〕




【次回予告】

スオミさんは困っています。
相も変わらず変態な指揮官に困っています。

そんな中、先の戦いでスオミが失った銃が見つかったとの一報が。
そこには、誓約の証の指輪もあるはずなのです。

危険を承知で、スオミたちは暗闇への足を踏み入れますが、
そこでついに対峙する〔敵〕とは一体――?

ちょっとシリアスになってきた、スオミさんの細腕奮戦記。
次回は来週日曜に公開予定です!
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