黒幕の隠れ蓑にされています。助けてください 作:休業したい
『簡単な話さ。私に頭を垂れて願いを叶えるか、何も果たせぬまま私に殺されるか。さぁ、選択の時だよ?世界か、願いか?———どっちを取る?』
瓦礫と死体の山の中で静かにたたずむその黒幕は、俺に天使のような笑みを浮かべ悪魔のような条件を突き付けた。圧倒的な喪失感と怒りに縛られる俺に選択肢など存在していなかった。
『俺は————』
「お久しぶりです、博士」
とあるビルの最上階。俺は目の前でマグカップに際限なく角砂糖を入れる老人に呼び出されていた。っていうかどんだけ入れるんだよ。もう液体よりも角砂糖の方が多いんじゃないか?
「突然呼び出して悪かったね…帰ってきたばかりだろうに」
博士はかき混ぜる手を止めてようやく俺の方に視線を向けた。
「いえ、博士には大分お世話になっていますし別にやることもないので。博士の方が忙しいでしょう」
日本の対終末獣兵器開発のパイオニアともいえる彼は引退を考える年であるにもかかわらず、かなり忙しい日々を送っている。ひとえに優秀過ぎるが故に。
「今の時期はそう忙しくないさ。優秀な新人も入ってきたことだしね。して、イギリスはどうだったかね?」
「日本以上に防衛態勢は整っていました。ハンターの教育にもだいぶ力を入れているようでしたし、首都以外の物資も豊富でした。食事の不味さだけを除けば、過ごしやすかったですよ」
「ハハハッ、飯の不味さは変わってないか。それは50年前と同じだね」
「50年前…『終末獣』がいない世界ですか。想像ができないですね。教科書で読んだことはありますけど」
2019年に突如地球に隕石が飛来し各国に落下した。同時多発的に起こった隕石の落下に世間は騒いだが、この出来事は序章でしかなかった。隕石落下の約一か月後。ある生物が現れるようになった。後に『終末獣』と呼ばれるその化物はあっという間に都市を蹂躙し、国を粉砕し、その数を増やし、人類の半数以上を駆逐した。
これが教科書に載っているここ数十年の歴史だ。
「僕が若いころにはたくさんの国があったんだけどね。今では、まともに国家として体をなしている国は日本とイギリス、あとはアメリカぐらいなものだ。まったく嘆かわしいことだよ」
「僕としては生まれた時から人類は追い詰められてたんで、逆によくここまで盛り返したなという感じなんですけどね」
俺が生まれた時はちょうど日本が防衛態勢を整え、安全地帯を確保したあたりで激動の時代がちょうど終わったあたりだった。まあ、今でも戦いは続いているので激動の時代と言えば激動の時代だけど。
「そういえなくもないがね……さて昔話に花を咲かせるのも悪くはないが、今夜はもう遅い。単刀直入に話そうか」
「はい」
博士はマグカップを置き姿勢を正す。雑談は終わりということなんだろう。
「日本では、真白君がイギリスに身を隠している間にやはりというか必然というか、君の捜索が秘密裏に行われていた。今でこそ沈静化したが、政府もハンター協会も君の身柄を欲しがっていたというわけだ」
1年前の京都奪還作戦。参加したハンターは…いや、ハンターだけではない。軍の人間も民間の医者も等しくあの戦場で死んでいった。生き残ったのは、念のためにと撤退をしていた数十人とただ、ただ見っとも無く生き残ってしまった俺だけだった。しかし、政府やハンター協会にとっては、そうは見えなかったらしい。
「…人気者はつらいですね」
「茶化さないで聞きなさい、真白君」
「…はい」
「彼らはあの戦いを生き残った君の技量を高く買っていた。それは間違いない。だけどね、彼らがもっとも欲しているのはあの戦場で君が知った『終末獣』に関する情報だ。次点で、日本最強と言われていたランクSS『終末獣』の死骸だろうね」
「でしょうね」
『終末獣』の死骸は対終末獣兵器の材料になる。ランクが高ければ高いほど、高性能の武器が作れる。どの組織も欲しがるのは道理だろう。
「安心してくれ、彼女の遺体と終末獣の死骸は僕が責任をもって隠してある」
ハンターたちは『人威』と呼ばれる超常的な力を使用できる。火を出したり、水を凍らせたり、電気を発したり、光を曲げたり、昔風に言えばいわゆる超能力のような力。未だ解明されきっていないその力を解明するためにハンターの死体は高値で取引される。解剖され、切り刻まれ、力の解明のために研究される。ドナーのように自身の死後、死体を有効に活用してくれることを歓迎するハンターは確かに存在する。だが、もちろん了承しないものだっている。家族が拒否する人だっているし、政府やハンター協会を信用してない人もいる。
ただ、大規模な戦いの後は大抵了承も関係なく死体は回収される。もちろん秘密裏にだが。それを見越して俺は博士に頼み込んでいた。政府に回収される前に隠してくれと。
だがそれは、非常にリスクの大きい話だ。博士の所属はハンター協会だが、そのハンター協会すら欺いているのだ。バレれば、政府とハンター協会二つの組織に狙われる危険性がある。
「申し訳ないです…ありがとうございます」
「よしてくれ。君や彼女、あの場で戦ったすべての人間がいなければ今の日本は存在していない。戦い抜いたものの死体をもてあそぶなどあってはならないことだ。君に手を貸すのは当然の選択だ」
「博士に会うまでは研究者にはろくでなししかいないものだと思ってましたよ」
「ハハッ…あながち間違ってはいないよ。僕だって似たようなものさ…」
自嘲気味に笑う博士を見てこの話題は地雷だと感じた。何か他の話題を考えないと…。
「結局、僕は普通に生活して大丈夫なんですかね?」
いい感じの話題を思いつかないので、強引に話を進めることにした。
「君の詳細を知る人間はごく一部だ。普通に生活するぶんには問題はないだろうね。ただ、ハンターとして仕事をする気なら顔は隠した方が良いと思うよ。少なくともハンター協会は君を諦めてない。仕事をするなら僕が手紙に同封した偽造ライセンスを使用することを勧めるよ」
「…わかりました。肝に銘じておきます」
「大至急伝える必要があったのは以上かな…」
「わかりました。ありがとうございました」
「真白君」
博士は立ち上がろうとした俺を呼び止める。ふと、博士の顔を見るとブラックコーヒーを飲んだ時のような苦々しい表情をしていた。
「…ソフィア君のことは—「大丈夫ですよ」ッ…」
思わず、口をはさんでしまった。気が付いた時には博士は申し訳なさそうに目を泳がせている。おかしな人だ。ソフィーが死んだのは博士のせいではないというのに。俺は全部、俺が———。
「あいつのことは自分の中で決着をつけてるんで」
そう決着はつけた。だからこそ、俺はあの女の手を取ったのだから。
「…そうか」
「では博士。良い夜を」
俺は振り向くこともなく、博士の屋敷を後にした。とげのようないら立ちを残したまま。
家に帰って、ダイニングの扉を開けるとそこにはソファーに寝そべりくつろいでいる黒幕の姿があった。
「おい、リコリス。なんでここにいる?」
黒髪に黒目。黒を基調としたゴシックロリータ風の服を着た少女。外見年齢は10代半ばを過ぎた程度だが、話を聞く限り外見年齢と中身の年齢は釣り合わないだろう。
「嫌だなぁ~私がこの家にいては変かい?私たちは一心同体だと言っても過言じゃないのにさ」
「ぞっとするようなことを言うな」
「あはっ、生意気だなぁ~。出会った時はもっと従順だったのになぁ…みたいなぁ、君のあの捨てられた子犬みたいな顔!」
リコリス…意味を失ったあの戦場で俺に悪魔の契約を持ちかけた女。そして、ソフィーが5年間も追っていた女だ。
「俺はお前の隠れ蓑であり、共犯者でもある。だが、それだけだ。慣れ合う気はないと言ったはずだが?」
「アハハハハ!いいねいいね!ソフィアの隣にいただけの子がこんな風になるなんて思わなかったよ!完ッ全に想定外だ!でもだからこそ楽しいよね!愉快だよね!」
狂ったようになおかつ妖艶に嗤うこの化物はどうやら俺を隠れ蓑にして世界を巻き込んだ何かをするらしい。
「そうそう、今日はね1か月後の仕込みをしてきたんだ!」
「何をするつもりだ?」
「東京に『終末獣』を招き入れる」
「ッ………!?」
そんなことをしたらどれほどの被害が———。
「まあ、安心しなよ。こんなのはただの序章なんだから!大した被害は出ないさ!———今回はね」
「てめぇ———」
「何善人ぶってるのさ?らしくないよ?」
ソファーに座っていたはずのリコリスは一瞬にして俺の前に現れ、俺を組みしいて床に叩きつけた。頭を掴まれ強制的に目線を合わせられる。
「ッ…………」
リコリスのその狂気的な闇を孕んだ瞳が俺を捉えて離さない。まるで鎖に縛られたかのように体が動かなくなる。その眼がお前はもう逃げられないのだと雄弁に語りかけてくる。
「そもそも私の手を取った時点で君はこっち側なんだよ。世界と
「……」
「ああ!いい!いいよその表情!!!!負の感情が混ざり合ったその表情!あの女に見せてあげたいなぁ~」
過去の俺は今の姿を見たらなんというだろうか?不幸な目に遭ったなと同情するだろうか?まあ、確かに不幸な目に遭ったと言えば遭ったと言えるだろう。
では俺の不幸とはなんだ?
俺の不幸は、あの日ソフィーを目の前で守れなかったことか?
違う———
俺の不幸はリコリスに出会ってしまったことか?
違う———
俺の不幸は、この選択を