私は大変に貧乏なので、突発的な予定が苦手だった。
突然の飲みの誘い、突然の外出、突然の云々かんぬん、どれも出費の元じゃないか。金がないのだからそういうことに巻き込まれたくない。突然読みたくなった本は買う。それは別だ。
「鍋するぞ」
という鶴の一声で私が住むボロアパートに人が集まることとなった。今日から数日漆黒の闇ブラック研究室ことペルシカ研は教授不在のため夢の休日。
「72時間進捗叩けますかのデスマーチから解放される喜びは、飲まざるを得ない」
と研究室唯一のドクター、M16が主張するため部屋を提供する代わりに酒代は持ってもらうことで了承した。
M16は同じ研究室に所属する私の同期であるM4とAR-15、それから後輩のRO635とSOPⅡに声をかけたようで、計6名の研究室総動員鍋会となった。
私は一足先に自宅へ帰り、廊下と6畳の部屋、それからロフトの掃除をしている。ロフト付き6畳というとなかなか瀟洒な気配がするが、ロフトのせいで天井が高く古びたエアコンがなかなか効かないため夏は死ぬほど暑く冬は死ぬほど寒い。
片付けがちょうど終わったところで玄関がノックされた。客人を迎えるためにもそもそロフトから降り、もぞもぞ手をさすりながら玄関に出た。
「よう、お待たせ」
「買ったな……」
M16はアルコール類がぎっしり入ったスーパーの袋を持っていた。ROとSOPⅡは食材の入った袋を持っている。
「M4とAR-15はちょっと遅れて来るみたいなんだ」
「そうか」
「だからお前も今の内に買い物行ってきなよ」
「買い物?」
首を傾げていると部屋に上がったROが近寄ってきた。
「その間に用意しておきますよ。お鍋この前使ったのと同じの使わせてもらっていいですか?」
「お、おぉ、流しの下にあるぞ」
「ねーねーねー本借りていい?」
今度はいつの間にか6畳間の本棚をいじってるSOPⅡだ。
「構わんがこの前貸した本を返してくれ」
「もーすこし、もーすこしで読み終わるから!」
「はいはい一冊だけな」
毎度毎度うちで飲み会をするせいで勝手知ったる他人の家だ。
「そういうわけだから、買い物」
「だから何買ってくればいいのかはっきりさせてくれ」
「今日闇鍋だから」
「正気か」
聡明な読者諸君等は闇鍋をご存知だろうか。闇鍋とはキラキラ輝くSNS映えするパリピ仲良し大学生のやる鍋パとは一線を画すものであり、その起源は古く平安時代にさかのぼる。
かつては料理を一品ずつ持ち寄る催しだったものが時代を経て狂気と饗宴の色を帯び、明治時代にはついに『闇汁』などとおどろおどろしい名前になり果てた。
宴の内容は暗所にて鍋の中に銘々の持ち寄った具材をぶち込み、未知なる鍋を食らうという悪魔の儀式だ。
かの文豪、正岡子規ら所属するホトトキズのメンバー達が行った闇汁の記録が残っているため、これは非常にインテリジェンスかつクリエイティブで文化的な催しである、と主張することもできないでもないが正直者の私からさせてもらうと、
「阿呆ばかりだ」
結局いらぬ出費を強いられる。最低限の鍋の材料はROが確保してくれていたためとりあえずなんとか食べ物にはありつけそうだ。一度普通に鍋を味わってから二周目に満を持して闇鍋をする魂胆なのだろう。
「おや、M4」
「あらお疲れ様です。買い物ですか?」
「そうだ。M16からの連絡は?」
「きてます。なので何を買おうかなと」
そう、それなのだ。確実にM16は馬鹿げた物を入れるだろうしSOPⅡは壊滅的な物を入れるに違いない。ここで鍵となるのがROだ。真面目な後輩は何かしらそこでバランスを取るための一手を打つに違いない。
「あの、実は相談がありまして」
「んー」
「AR-15とのことなんですけど、この前……」
しかし、しかしである。ROが真面目だからといってバランスを取りに出るのだろうか? M16に正しく間違った闇鍋の作法を吹き込まれて異次元の物を入れやしないか? それにROは真面目と見せかけてかなりあったまりやすくて割と馬鹿である。
これはROの真面目さを信じて私もふざけるべきか、それともROの御しやすさを信じて食い止めに回るべきか、どっちだ、どっちなんだ?
「……って話なんですけど、私はもう少し積極的にいくべきでしょうか?」
いかん聞いてなかった。なんの話だ? 積極的ってことで私に聞いてるんだからゼミの話だろうか、そうだろうな。
「そうだな。もう少しばかりぐいぐいいくのがよろしい。色々ともったいない」
「もったいないですか?」
M4は疑問に思うポイントはなかなか目の付け所がいいのについ気が引けて質問を控えてしまうのがもったいない。もっと声出していっていいのだ。
「うむ。いいところは突いてる」
「えぇっ!? そ、そんな、なんで知っ……」
「M4のことは割と気にかけているからな」
「どうしてそこまで」
「当たり前だ。同期だろう?」
M4は神妙な顔をして、少ししてから頷いた。
「わかりました。がんばってみます」
「うむ。がんばれ」
「ちょっと別行動していいですか? 後で合流するので」
「わかった」
こうして一人でスーパーの中を彷徨っているとまた今日の客人に会った。
「お、AR-15」
「あなたも買い出しですか」
「M16が闇鍋だと言うからな、自分の用意するべき具材を」
「はぁ……どうせろくでもないことになるのに……」
全くの同意だがそれでも参加拒否しないのがAR-15のかわいいとこである。本人には口が裂けても言えないが。
さて、ROの出方がわからないため私はバランスと意外性どちらを取るのか決めあぐねていた。そして散々悩んだ結果ナチョスを買うことにした。
「ねえ、ちょっと意見がほしいのだけど、この前M4が……」
ナチョスなら比較的何にでも合うし、ぱっと見のインパクトもある。バランサーにしてパンチも加えられるこれほど完璧な食材があるだろうか、いやない。
「……って話なんだけど、私はもう少し素直になった方がいいのかしら?」
いかん聞いてなかった。なんの話だ? 素直って私に聞いてるんだからゼミの話だろうか、そうだろうな。
「そうだな。もっと受け手に回ってもいいやもしれぬ」
「そう?」
AR-15は相手の話をよく聞いていて、きちっと質問には答えるが気持ちが先に走りすぎて食い気味に答えてしまうことが多々ある。本人にその気がなくてもなんとなく腹が立っているように見えてしまうのだ。
「君は早いから」
「ちょっとなんで知って」
「同期だからな」
「そ、そう……わかった、がんばってみるわ」
「うむ。がんばれ」
そうこうしている内に買い物は完了し、スーパーの出口でM4と落ち合いパーティー会場に戻った。
帰り道、妙にM4とAR-15が無口だったことが気になった。
こたつにぎゅうぎゅうになりながら入り、カセットコンロを囲み、銘々にプラスチックの使い捨てカップを手にして、
「それでは日々進捗を叩かされている我々のつかの間の休息を祝して乾杯!」
「乾杯!」
「乾杯」
「かんぱーい!」
「か、乾杯っ」
「はいはい乾杯」
M16の音頭で飲み会が始まった。
「先生珍しく出張先で宿泊されますね」
「アンジェさん来る学会だからな、積もる話もあるのだろう」
「アンジェさん?」
「ROは知らなかったか。国立研究所の研究員をやっているペルシカさんの同期だ。仲がいいらしい」
「へぇ……先生に友達いたんですね……」
まあそうなる。先生に我々以外の人間関係があることが既に驚きだ。
「肉いただき!」
「こらSOPⅡそれはM4が大事に育ててた肉だ」
「いいんですよ姉さん」
「M4、私の取りすぎた肉分けてあげるわ」
「あっありがとうAR-15」
向かい側でやんややんややっているのを眺める。対岸の姫だ。M4はあの性格故なんとなくお姫様扱いされている。内気で声が小さくて真面目で勤勉で優しい。おまけにどことなくふにふにしてていい匂いがする。これは守らねば。顔もいいし。
私は突然、なんで歩く平々凡々のような私がこんな顔のいい連中ぞろいの場所にいるんだ、とより所のない不安に襲われたがそれをビールで押し流した。普段は発泡酒だが今日はM16の奢りだからビールだ。
「SOPⅡくん、ちゃんと野菜も食べたまえ」
「えーいらないよう」
「食べなければ賢くなれん」
「もう十分賢いのに」
「先輩の言うことを聞きなさい」
「はぁい」
肉ばかり食らう後輩に野菜を勧めるできる先輩ムーヴもしてみる。いや実際は肉を奪われないように野菜を食わせているだけだ。
「そういえば君、何か浮ついた話はないのかね」
「なんだM16は藪から棒に」
「いや私らはなーんもないからさ」
「私にもあるもんか」
「てっきりこういうのはあるのかと」
M16は右手の親指を立てると人差し指と中指の間をくぐらせこちらに親指の腹を見せた。
「下品な奴め」
「なんですかそれ?」
「ROは知らないままでよい」
私の様子を見てM16は実につまらなそうにため息をついてビールを飲み干した。
「ちぇっ酒の肴にしてやろうと思ったのに」
「後輩の色恋沙汰で飲もうとする先輩がいてたまるか」
「いやいやこれが楽しいんだって」
はた迷惑な。しかしまあなんやかんや理由をつけて一緒に飲んでくれるM16はいい奴なのだ。
空になったM16のカップにビールを注いでやっていると横からAR-15の腕が伸びてきて私の器にしいたけを入れた。
「ほら、あなたまたしいたけ食べてない」
「うげぇやめてくれ……食感がぐにっとしてて苦手なんだ」
「しいたけ農家に謝りなさい。そんなんでこの先やっていけると思ってる?」
「せっかく忘れていたというのに」
間もなく一巡目の鍋が終わり、闇鍋が開催される。
真っ暗な部屋にコンロの炎に照らされた鍋がぼおっと浮かび上がる。百物語でもしそうな光景だがこれから始まるのは闇鍋だ。
「入れるよー! どーん!」
SOPⅡがどぼどぼ鍋に何かを入れていく。何が入っているのかは自分の以外わからない。
「一番意外だったのを持ってきた人が勝ちにしようよ」
彼女はこういう下らぬ勝負事が好きである。しかしそうだと言ってくれればもう少し考えたのに。
「優勝したらロフトで寝かせてください」
ROの申し出に物珍しそうにM16が応えた。
「なんだROから景品の指定とは珍しい」
「だってこの前全員床で寝て狭かったんですもん」
「だってよ。どうする家主?」
「かわいい後輩の提案だ。飲もう」
「かわいいだなんてそんな……」
「勘違いしてるな? 大分飲んだかこいつ」
さて、そろそろ頃合いだろうか。鍋の蓋を開けると何ともいえない匂いがもわっと広がる。
「うわっなんだこれは」
「いや悪くない」
「酸っぱい匂いが」
「なんか甘い匂いしたよ?」
「刺激臭もしますが」
「ねえこれどうするつもりよ」
「決まってるだろ、食べるんだよ。器に入ったものはすべて食べること」
各々取り分けられた物を手にして逡巡。誰が最初に手を着けるか様子を伺っている。このままでは誰も口にしないまま立ち上る臭気に気圧されるだけだ。えぇいままよ!
「やあやあ我こそは一番槍!」
ぽいと何かを口に突っ込む。途端に辛みとやんごとなき食感、さらに乳酸菌発酵臭が襲いかかる。
「ぎゃあ! むにゅっとしてる! むにゅっとしてた!」
私の犠牲を踏み越えて各々箸を付け始めた。
「歯にひっかかりました……なんですかこれ」
「ちょっとこれ堅いわよ」
「これは意外といけるのでは……」
「あはは伸びた!」
「うっぬとっとしてて甘い」
闇鍋の恐ろしいところは食べている物がわからないという点だ。たまに目測を見誤って堅い物に思いっきり食らいついてしまうし何かが舌に当たる度冷や汗が出るし思い切り息を吸い込んでしまってむせるし。
我々はなんだこれなんだこれはと喚きながらほうほうの体で器を空にした。とても顔のいい女性陣と鍋を囲んでいるとは思えない。提案した奴も、乗った奴も、逃げなかった奴も、なんとなくで来た奴も、あの子がいるならと来た奴も、ついでに酒に釣られて場所を提供した私も全員揃って馬鹿ばっかだ。
さて器が空になったためいよいよご開帳である。明かりをつけて、いざ中身を……
「これはひどい」
「うげぇだね」
とにもかくにも誰が何を持ってきたのか改める必要かある。
「まず、この鍋に大量にぶち込まれたキムチは」
「はーいはいはいはーい!」
「SOPⅡはなんでこんなに入れたんだ?」
「好きだからたくさん入れたらおいしいかなーって」
「限度をわきまえよ」
ゴミ袋に空になったキムチのパックが見えた。あれ全部入れたのか。次だ次。
「さきイカ」
「私だ」
「M16だったのか。守りに回ったな」
「だってROの持ってきた物がさぁ」
「何を持ってきた?」
「これです」
豆大福だった。
「戦犯」
「なんでですか! 好きな物入れていいって」
「何作ると思ってたんだ! 鍋だぞ鍋!」
私の予想に反してブレーキの外れたROをM16が抑えに回った形だったのか。RO、なんと恐ろしい子。
「これ案外いけるなって思ったのはピザか」
「それ私です」
「やるなM4。ピザが合うなぞ思いもよらなかった。ということはバナナがAR-15か」
「そうよ」
「これも大変によかった」
「とりあえずバナナは外れないでしょ」
「確かに」
全ての具材が明らかになったところで闇鍋は終了だ。あとはまあ気合いでこれを片付けるだけで、
「ちょっと待て」
「なに自分のことは置いといてみたいにするんですか」
「M16、RO、近いぞ」
「ナチョスはお前かこいつめ」
「堅い物は御法度ですよ口を切りました」
「悪かったって、ほら味はバランサーに」
「問答無用だやっちまえSOPⅡ」
「わーいどーん!」
「ぎゃあうわやめて!」
こうして私が鍋の残りを流し込む運びとなり、飲み込めないものは酒で押し込み、いつの間にか記憶が途切れ……
はっと目を覚ました。目が開いただけで身体は動かない。金縛りかと思って首を必死に動かすと、私の太ももをROが枕にして寝ていた。確認する限りM4とAR-15がいないのは、おそらくこの二人がロフトで寝る権利を得たのだろう。まあ女性二人ならあのロフトでも寝ることくらいでき
「ちょM4、なにして」
「しーっみんなが目を覚ますでしょ」
おいおいおいおい、なんだ?
「私ね、もう少し積極的にいこうと思ったの。だってあなた逃げちゃうじゃない」
「それは、だって」
「そんなに嫌だった?」
「嫌ってわけじゃ……でもそうね、私も少し受け身に回るわ。よくないもの」
「うん、だから静かに」
「はぁ……今度家主にお昼おごってあげましょ……」
おいおいおいおいおいおいおいおい……まあおごってくれるならいいか……よくないが……眠いし……酔ってるし……スーパーでなんか話してたのってこれだったのか……いやわからん……真相は闇の中だ……
首を反対側に向けると無表情で目を開けているM16がいた。そら複雑であろう、妹分のことだし。
私はそんな彼女に向かってサムズアップをすると、そのまま親指を人差し指と中指の間に挟み込んだ。ざまあみろ私を肴にする前にお前の嘆きを肴にしてやる。
ほくそ笑む私の後頭部に寝ぼけたSOPⅡの蹴りが入り再び暗転。私が昼まで目が覚めることはなかった。