ドルフロ大学パロ時空   作:たぬき0401

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謎の先輩G

 私は大変に貧乏なので、食べ物を粗末にすることが苦手だった。

 茶碗に盛られた米は一粒残さず食べる。カステラの紙についてるのもきれいに食べる。ヨーグルトの蓋の裏もすくう。お残しは許されない。きちっと食べるべし。

 

 昼休みには中庭に行く。これが私のルーティーンなのだ、といっても始めたのは最近だが。入学以来三年間連んでいた友人が留学してしまい、暇なのだ。

 今月は金欠なため今日の昼食は袋入りのマーガリンパン。ベンチに腰掛けてもそもそ食べていると、

「ねえ」

 話しかけられたが相手が見当たらない。

「こっちこっち」

 少し下に視線をやると、背の低い眠たそうな顔の女性がこちらを見上げていた。見上げているせいで被っている大きめの帽子がずり落ちそうだ。

「そのパンいっこくれない?」

「なぜだ?」

「私のは鴨にあげちゃってさ」

 中庭にぽつんとある池では鴨の母子がすいすい泳いでいる。5羽の雛はまだぱやぱやとした羽毛玉のようで、ひよひよ高いかわいらしい音で鳴いていた。

「ね、いいでしょ?」

「はあまあ、構わんが」

 一瞬警戒したものの鴨に毒気を抜かれてしまい、パンを分け与えることにした。

「ありがとう助かったよ」

 彼女は私に感謝の握手をすると、両手でパンをつかみ齧歯類のように食べ始めた。

 

 研究室で中庭での出来事を話すと、弊研究室唯一のドクターは真っ黒いコーヒーを片手にカレンダーを見た。

「もうそんな時期か」

「時期とは?」

「冬眠から目覚めたんだ」

 首を傾げる私に彼女は告げた。

「彼女は多留だ」

 聡明な読者諸君等は学部8年システムをご存知だろうか。大学というところは魔境である。夢を抱いて門をくぐった結果、勉学、友人、教授、サークル、金銭、バイト、実家、そして恋愛といった様々な局面で壁にぶつかり、挫折と共に消息を絶つ。その数は100人いる学年に30人とそれなりに高い割合であり、大学が対策を講じねばと頭を悩ませた結果制定されたのが学部8年システムだ。

 本来なら学部は4年までしかないが8年まで延長させられるのがこのシステムである。このシステムのおかげでなんとか這い上がって来れる連中もいたりいなかったりする。このシステムの甲斐あって悲しい失踪は一割まで抑えられた。

 その一割に属するのが、中庭にいたような多留生である。何も成さずに日々を潰しに潰し続けついに8年目が見えてきた学生。行き着く先は奈楽だとか餓鬼道だとかいや輪廻から外れるんだとか言われている。

「彼女はなぜそのようなことに?」

「噂によると怠惰が過ぎるようだよ。前期は来るけど後期は来れない。だから冬眠。有名な話だけど」

 そんな話はちっとも聞いたことがなかった。心当たりなく眉間にしわを寄せる私をドクターは笑った。

「気をつけな。握手すると留年するって話だよ」

「そんな、馬鹿馬鹿しい」

 鼻で笑うと学生室に教授が入ってきた。

「おやペルシカさん、何用ですか?」

「ああ君、よかったよまだ残ってて。悪いけどあの論文はやり直しだ」

「え」

「今日発表された論文誌に酷似したものが出ていてね。たまたまなんだけれどこういうのは後から出した者が負けるから」

「な、な」

 私はわなわな震えながら右手を見た。

「ほら、馬鹿にできない」

 冷や汗がどばあと背中に溢れた。

 

 翌日、教授と徹夜で論文の方向性を修正し、幽鬼のような顔で再び中庭を訪れた。

「ねえ」

 再びの声に右下の方に視線をやった。

「なんですか、パンなら差し上げませぬぞ」

「どうして敬語なの?」

「あなたが年上だとお聞きしました」

「はぁ……そんな理由で態度変えるの?」

 つまんないなぁ、と先輩は俯いた。帽子が大きいのも相まって余計に小さく見える。

 なんとなく申し訳ない心持ちになり、私はパンを差し出した。

「お許しください。年上は敬うべきだと信じておるのです」

「君ねぇ、全ての年上が敬うべき存在だと思ってると後悔するよ?」

「幸い私はまだその日に巡り会っていませぬ」

「ふーん。まあいいけどさ」

 彼女はパンを受け取ってまた齧歯類の如く食べた。

「先輩、学部学科はどこです」

「覚えてない」

「研究室は」

「覚えてない」

「今何年目です」

「覚えてない。ぼんやりしてて忘れちゃった」

 この人は何を考え何のためにここにいるのだ? この様子では講義は出ていないのだろう。彼女の視線の先には鴨の母子が水面をつつくばかりだ。

 いけない、きっとこのままではこの人はどうにもならない。

「先輩、名前は?」

「G11」

 私は若さ故の正義感で、この人を改心させるのだと決心した。明日もパンを持って行こう。

 

 通い始めて1ヶ月、我々はパンを分け合う間柄となった。私が一方的に与えているとも言う。

 この行動を始めてよかったことがいくつかある。一つは学友なき後の暇と悲しみを紛らわせたこと。一つは先輩が多少は打ち解けてきてくれたこと。

「君さぁ、暇なの?」

「暇ではありませぬ。72時間進捗叩けますかのキャッチフレーズで日夜研究に励んでおります故」

「うわ……でも毎日来るじゃん」

「研究室の外に出ることで健全に」

「サボってるの?」

「有り体に言うとそうです」

 G11先輩はふぅんと小さく漏らした。

「ずーっとサボってたいって思わない?」

「思うこともあります。週末はずっと布団にいたくなります」

「けど君は昼休みが終わると研究室に戻るよね」

「やらねばならぬことがあるので」

「それは」

 先輩がつぶやく言葉に私は思い悩むことになる。

「本当に君がやらないといけないことなの?」

「え?」

「そんな辛い思いをしながらなんでがんばるの?

その研究って君がやらなくても他にやってくれる人がいるんじゃない?」

 ぐうの音も出ない。事実私は類似研究があったために研究をやり直している。私がやらなくても誰かが同じような研究を進めているなら、私が苦しむ必要はない。

「いいじゃんそんなにやらなくても。自分の上位互換はたくさんいるんだし、一人くらいサボっててもさ」

「G11さんは、それで冬眠されるのですか?」

 私の問いかけに彼女は口をつぐんだ。わかっている。この人がこうして後ろ暗い部分を見せてくれるのも私に打ち解けてくれている証拠なんだって。けれど少し噛みつきたくなってしまったのも事実だ。

「あーごめん、忘れて」

 小さい先輩は立ち上がると池の方に向かっていった。私も少し後ろからその様子を眺める。

「知ってる? この子等大抵5羽生まれて3羽くらいしか巣立たないんだ」

「それは、知りませんでした」

「巣立てなかった2羽はなんのために生まれてきたんだろうね」

 私は答える術を知らない。

 

 その日、人生で初めて研究室に戻らなかった。今まで一度も講義を休まず、代返もせず、雨の日も風の日も、風邪をひこうが足を折ろうがただ真面目だけが取り柄とばかりに大学に通いつめた私が、初めて行くべき場所に行かず自室で布団にくるまった。

「ペルシカさんはお冠になられるだろうか」

 ぽつりと言ってみたが答える者はどこにもいない。時折私が落ち込む度にマッ缶をよこしてきた学友を恋しく思う。

「貴君ならなんと言ったのだろう」

 記憶の中の学友は『わぁみじめ』とけたけた笑いながら私を馬鹿にしたのだ。今回もそうであろう。彼女は私を無意味に慰めたりなどしない。

「ううぅ……おのれ……海外などに現を抜かしおって……許さんぞぉ……」

 呪詛を吐いても一人。天井の高いロフト付きの部屋に声は響きもしない。空しい反面、先輩に言われたこともまた事実であり、どうも己を奮い立たせられない。なぜ私はがんばらねばならんのか。こんな毎日苦しみに耐えて来るかもわからぬ栄光を夢見て。

 優しい人は皆口をそろえて『あなたの代わりなどいない』と言う。それは確かなのだろうが、私の上位互換は確実にいる。ならば全てそいつにやってもらえばいいではないか。

 心地よい無気力で手足が溶けていくようだ。このまま私も布団になってしまいたい。ああせめて道具や機械に生まれれば、なんのためになぞ無駄なことを考えずに過ごせたのに。

 

 こうして寝ては起き起きては寝て過ごすこと一週間、ついに私は研究室のメンバーに引きずって連れて行かれた。後ほどサークルの後輩に聞いたのだが、まるで御輿のようであったそうだ。

 私は教授室に運び込まれ、目の前には湯気を立てるコーヒーを置かれた。

「やあ」

「ペルシカさん……お怒りですか?」

「いや、私にも身に覚えがあるからね。でも指導教員として放っておくわけにもいけないから」

 ずずずとコーヒーを飲む教授は笑顔だった。

「何に迷ってしまったの?」

「私が、私のやることは、無駄ではないかと」

「ははあ余程論文を通せなかったことが堪えたね」

 ふむふむと彼女は頷いた。彼女は研究者である故、通せなかった論文がいくつかあるのではと想像に易い。私のような青二才の悩みなどかわいらしいものだろう。

「君は、高等学校では優秀だったそうね」

「はい」

「ではここで初めて挫折したわけか。感想は?」

「ひどく、惨めです。励む気力が沸きません。自分がちっぽけで何も成せないと見せつけられました」

「それでも君はがんばらねばならないよ」

 あまりに無慈悲な言葉についカッとなった。

「なぜです! 私は失敗したのです! もう解放してください!」

「君は自分のやったことは無駄だと思っているね? 無駄にするのは君自身だ。君がもがき続ける限り全てに意味がある。無駄でないものにしたいと願う限り走り続けなさい」

「そんなの、まるで奴隷ではありませんか」

「その通り」

 先生は満足そうに言った。

「我々学問を志す物は皆、己の好奇心の奴隷だよ。君を突き動かすのは常に君だ。ただ発生した成功や失敗だけが他人の糧になれる」

「失敗もですか?」

「君が失敗したから私は新しいアプローチを考えられたよ。さあそれを飲んでまた励むんだ」

「……」

 私よりすごい奴がいること、私が失敗したことは何も解決できていない。しかしながら、やり続けなければ全てが無駄になると言われて立ち止まるわけにもいかぬ。

 目の前のコーヒーをぐいっと飲み、盛大にむせた。

「げほっうえっなんだこれはシップくさい!」

「わーっはっはっは! M16たちが仕掛けたホットルートビアは大成功だよ! 君もこのお仕置きに懲りたらあまり友人に心配をかけるんじゃないよ」

 腹を抱えながら笑う教授を涙目で睨みながら、勝手に孤独になるのはよそうと心に決めた。

 

 一週間ぶりの中庭には相も変わらずG11先輩がいた。

「G11さん」

「君、もう来ないのかと」

「寂しかったですか?」

「いや、ただ、捕食者にやられた鴨のことばかり考えてた」

 私はパンを先輩に渡した。彼女は受け取るのを躊躇った。

「どうして私に構うの?」

「孤独に見えたとか救いたかったとか色々優しいことはいえますが、本音は面白そうだと思ったからです」

「ずいぶんな理由だね」

「とどのつまり私は好奇心の奴隷です。では先輩はなぜ何もなさらぬのに毎日中庭にいらっしゃるのですか?」

 先輩は考え込んだ。よく見ればかわいらしく整った顔をうんうんしかめて考えて、ため息とともに答えを吐いた。

「私もだ。ただ家にいても退屈で、何か変わっていく物が見たくて、こうして中庭で鴨を……おかしいなぁ十代の頃は優秀だったんだけどなぁ。ずいぶん無駄なことを続けたよ」

 彼女もまた角を折られた麒麟児であったのだ。

「もがき続ける限り無駄なことはありません。先輩も無駄な存在ではありません。ですから」

「うん、うんわかったよ、ちょっと遅くなったけどこれからがんばるからさ」

「その意気です」

 たとえそれが中間試験後の『今日から勉強がんばる』という結局やらない決心であったとしても、私は完全に無気力であった先輩を一瞬でも立ち上がらせられたことに満足した。

「珍しくその気にさせられた。君には責任を取ってもらわないと」

「セキニン……」

 いけない、そんな、こんな理由で婚姻関係を結ぶなど……ご両親にはなんて挨拶すれば……

「とりあえず毎日パンちょうだいよ」

「あ、はいそれなら」

 金欠なため全くよくないが、私の妄想に比べたら何てことはない。

「とりあえず明日から本気出すかぁ」

「今日ではないのですか」

「いきなりやる気出したら死んじゃうよ」

「なんですかそれは。あなたはマンボウか何か」

「ふふ」

 彼女は珍しく声を出して笑った。

 

 翌日の昼休み、学内掲示板の前に人だかりができていた。掻き分け掻き分け掲示物を見ると、そこには

『以下の者は教授会議に来るように。

 Gr G11

 学長代理 ヘリアントス』

 私は中庭へ走った。

「じ、G11さん、あれは」

「あぁ君か。うん、つまりそういうことだよ。遅すぎたみたい。私8年目だったんだね」

「まだ間に合います。中退勧告なんぞそんなもの」

 私は悔しかった。自分が遅すぎたこともそうだし、何より先輩が穏やかであることが悔しかった。

「掛け合いましょう。分かってもらえます」

「いいんだよ。そんな無駄なことは」

「無駄なんてあるものですか! せっかくここまできたというのに!」

「私の無駄じゃないよ。君の無駄だよ。これ以上迷惑かけられない」

「かけてください。あなたのおかげで私は挫折を受け入れられたのです。その恩に報いさせてください」

 彼女に無意識に抱いていた無気力を指摘されなければ私は立ち上がる機会を得られなかった。無責任に励ますことは誰にでもできる。しかし谷底へ落とすことは、同じ谷底を知っている者にしかできない。

「君は本当に、暑苦しくていい奴だね」

「でしたら先輩はいい人です。か弱い鴨の母子をずっと気にかけていた善人です」

「うん。最後に無事に全員巣立っていくのが見れてよかったよ」

 鴨の母親は自分と同じ大きさになった若鳥を、5羽引き連れて池を泳ぐ。まもなく飛び立っていくだろう。

「今までパンをありがとう。実に、いいモラトリアムだった」

 去っていく背中が小さく遠く、届かなくなっていった。

 

 まさか本当にいなくなることがあるまい、と信じて翌日も中庭に行ったが、先輩の姿はなかった。

「退学したらしいよ」

「某国に亡命したとか」

「いや溢れ出す怠惰エネルギーに目を付けられて研究所に捕まったんだ」

「……なんてこと言われてますよ」

「ばかばかしい」

 私は来る日も来る日も中庭に通いつめた。いつでも先輩が戻ってきてもいいようにいつものベンチに座り、パンを用意して、時には実家から送られてきたみかんを片手に寒くなってからも中庭に訪れた。

 それでも先輩は現れず、冬にもなれば根も葉もない噂が流れ始めた。

「サークル代表会で鴨の保護について発言してくれたそうだな」

「はい。野鳥研究会が散歩ルートを確認、それからそこに猫避けを設置することになりました」

「手間をかけた。ありがとう」

「いえ、完璧に手配するのが私の役目ですから。その代わりまた映画よろしくお願いしますね」

「心得た」

 鴨の母子は秋口にさしかかった頃に飛び立っていき、私はこれを見送った。

「ところでそろそろ先輩は就活では?」

「うぐ」

「ここでぼんやりしていていいのですか?」

「うぐ」

「先輩?」

「うぐ」

「就職せずに進学しましょう、ね?」

「いやしかし……」

 やりたいことは何も見つかっておらず、どこかしら教授のコネで入れてくれないかなとも考えたが、ペルシカさんにコネなんて望めそうになかった。

 別に院に進学するのもやぶさかではないが、それはそれで実家に負担をかけることになる。私はまだ悩んでいた。

「はー働きたくない。高等遊民になりたい」

 ぶつぶつぼやきながら研究室に戻る途中、不注意にも何者かとぶつかってしまった。

「失礼」

「いてて……あれ? 君か」

 目を疑った。そこにいる真新しいスーツに着られている小さい影は、

「G11さん! どうして」

「いやー、学校いられなくなっちゃったから働くかなって思ってさ、受けたところで一発芸見せたら入れてくれちゃって」

「な、なん、だと……」

 あの先輩が社会人……

「君のおかげだよ。堕落し続けないでがんばらないと君に合わせる顔がないじゃない」

「そんなの」

 私はただこのいい人が健在でいてくれさえすればそれでよかった。それがこんな立派に……いやこれは親の気持ちだ。先輩に抱くものではない。

「君そろそろ就活じゃない? もしよかったらうちにおいでよ。今日リクルーターなんだ」

「だからそんな格好なのですか」

「そう。似合わないでしょ?」

「イカしていますぞ」

 先輩は肩をすくめて笑って、名刺をくれた。

「じゃあまたね」

「はい」

 去っていく背中をしっかり見つめて見送る。先輩が見えなくなってからもらった名刺を見るが、見覚えのない会社だ。

「それさぁ」

「うおっ」

 突然学友に声をかけられ危うく飛び上がるところだった。留学から約半年ぶりに戻ってきた学友は変わらず突然現れてはいらんことをする。留学に行ったのも突然であり戻ってきたのも突然だった。

「兵器作ってる会社だけど」

「…………あの人何の一発芸したんだ」

「しかし隅に置けないね、私のいない間に年上引っかけてたんだ?」

「ちがわい!」

「口外してほしくなければ、今日はマッ缶奢りね」

「くそう……」

 我々はいつも通り体育館裏の自販機へ向かうのであった。

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