私は大変に貧乏なので、金と単位にならないことは苦手だった。
無益なことに身を投じる暇があったら勉学に励むべきだ。学生の本分は勉学である。それが恥ずかしげもなくやれコンパやらやれ彼氏彼女やら現を抜かしおって。恥を知れ。しかるのち死ね。
春ほどくそったれな季節はない。暖かくなり皆浮かれ気分でふわふわし、花見や新歓で羽目を外して急性アルコール中毒になる。だから私は新歓なんてものには行かない。
「さすがに今年来なかったら除籍だってさ」
「おのれ……去年は逃げおおせたのに」
「三年だからでしょ? 私のこと伝言係にしないで」
「対価は出してるじゃないか」
「はいはいマッ缶ごちそうさま」
私の所属しているサークル、図書館倶楽部は本年も新入部員を募っている。私は新歓嫌いであるために昨年はなんとか逃げ切ったが、サークルを仕切っていく立場となる今年は逃がしてもらえないようだ。
「そもそもなんでそんなに嫌なのにサークル入ってるのよ」
「図書館倶楽部に所属していれば自分の延滞図書は見逃されるんだ」
「うわ最低」
「私が考えたのではない。サークルの先輩がそう言っている」
「あぁ例の」
「そう例の」
飲みきったマッ缶をくずかごに放り込み歩き出した。いざゆかん浮かれ気分ほわほわの世界。
聡明な読者諸君等はサーオリをご存知だろうか。サークルオリエンテーション、略してサーオリ。各サークルが新入生に己の活動をアピールし「ここに入れば君の学生生活は薔薇色」と騙くらかす悪しき行事である。オリエンテーション自体は講義棟で行われ、正門から講義棟に至る道にはずらりと各サークルが並んでほやほやの新入生にチラシを押しつけている。
私もノルマとして与えられたチラシを配って回っているが、受け取る新入生達は情報処理能力を凌駕した紙を両手に右往左往している。
「お、いたいた」
「おやM16先輩」
彼女が例の先輩である。
「悪いんだけどこの新入生部室に連れてってあげてくれない? 今から研究室行かなきゃいけなくてさ」
「はあ分かりました」
「そういうわけだからこいつについてってよ」
先輩は無責任にも新入生を置き去りに走り去った。いなくなった先輩と私とを不安げに交互に見る新入生がいたたまれない。
「君、名前は?」
「HK416です」
「よろしい。ついて来たまえ」
私は紳士的かつエレガントに彼女をエスコートした。何がエレガントなのかは知らないが。
我々図書館倶楽部は学内図書館の円滑な利用を促進すべく活動している文化的かつ有意義なサークルであり、主な活動内容は図書館で開催されるイベントの発案と管理、そして延滞図書の取り立てである。しかし新入生相手に延滞図書の取り立てについては伏せられている。
図書館倶楽部は一部の学生からは認識されず、一部の学生からは学内図書館を活発に利用するための窓口として重宝され、一部の学生からは暴力団と恐れられている。何故なら延滞図書の取り立てにおいては手段を選ばないからだ。正しく図書館を利用する者には親身に、蔑ろにする者には天罰を。それが我々だ。
連れてきた新入生はなかなかに整った顔立ちをしていたため、部室でうだうだしていた男子学生共は途端に色めき立った。
「416さんはM16さんからなんと?」
「ここのサークルはあらゆる講義の過去問過去レポを参照できるとお聞きしました」
「あるある。新規の講義でなければなんでもあるよ」
「ですので、そのためにも所属するのは有益かと」
「いいね! とりあえず今日の飲み会おいでよ。新入生は奢りだから」
おうおう盛り上がりおって。遠巻きに様子を眺めた私は、新入生を一人連れてきたのならお役御免だろう、とそろりそろり部室から抜け出した。私の心は既に明日、土曜日の方へ引っ張られているのである。
土曜日、大学は休みなので私は市立図書館に赴いた。いつもは一人だが今日は後輩も一緒である。
「君は本当に来てしまってよかったのか?」
「はい」
彼女が来た理由を説明するには昨日の夜まで時間を巻き戻さねばならない。
昨夜執り行われた新入生歓迎コンパで416は大いにちやほやされていた。私はその様子を眺めながら焼き鳥をむしむし食べ、飲み放題のアルコールを流し込み、必死に元を取ろうともがいていた。
貧乏学生にこの時期の飲み会代は痛く、教科書代に加えて4月は奨学金の振り込み日が他の月より遅いことから、この時期に実家に金の無心をすることもあったりする。私は意地でもしないが。
「416さんは一人暮らし?」
「はい。寮の抽選から漏れたので近くにアパートを借りました」
「へーそうなんだ。何か趣味はある?」
「映画を観るのが好きです」
昼間から引き続き男子学生共は彼女に釘付けである。なんとも情けない奴らだ、と鼻で笑おうとしたが不覚にもワサビを吸い込んでしまいむせた。
「ゲホッうぐっ」
「先輩、あの、大丈夫ですか?」
「おい幽霊部員、新入生に心配をかけるな」
「やかましい。げほ」
「水です。どうぞ」
「悪いね……」
顔のいい新入生は心まで綺麗なようだ。阿呆部員達も見習ってほしい。私は彼女から水を受け取りぐいぐい飲んだ。
「そういえば映画好きなんだって?」
「はい」
「私もなんだ。明日観に行く」
「でしたらご一緒してもよろしいですか?」
そういうわけで彼女はここにいる。
市立図書館の二階には定員40名程の小さなシアターがあり、毎週末何かしらの映画を上映している。
「禁じられた遊び、か。観たことはあるかい?」
「いいえ、タイトルだけは知っています」
「そうか。あまり気持ちのいい映画ではないかもしれないが」
「問題ありませんよ」
我々はただ黙って映画を鑑賞し、スタッフロールが全て流れきるまで座り続け、シアターが明るくなってから退出した。
「モノクロの映画なんて初めて観ました」
「ここで上映される物は大抵古い物なんだ。さて、もう一カ所行くけれどついて来る?」
「はい」
私は彼女を市立図書館から2つ通りを抜けたところにある公民館に連れて行った。ここにも小さいシアターがある。先客は背筋がしゃんとした老人だった。
「おや学生さん。今回も来てくれたんだね」
「今日は後輩を連れてきました。手伝いますよ」
416には座っていてもらって私はスクリーンを下ろし、老人は上映の支度を始めた。そうこうしているとぽつりぽつりと人が訪れる。年寄りばかりだ。
「先輩、これは?」
「あのおじいさんは映画館で働いてた人でね。毎週末ここで上映会をしている」
「へぇ……」
上映されたのは荒野の用心棒だった。これまた古い。私と416はまた黙って映画を鑑賞し、スタッフロールが流れきるまで座り続け、シアターが明るくなってから退出した。
我々が最後に訪れたのは喫茶店だった。店内の片隅に下げられたスクリーンに映画が映されている。
「まあこういう感じなのだけど」
「映画漬けですね」
「金は一切かからないが充実した気分になる」
「先輩は映画がお好きなのですか?」
「うーん」
私はコーヒーにミルクを落としてくるりくるりかき混ぜた。
「シアターで映画を観ることが好きなんだ。蘊蓄も何も言わず黙々と映画を観てふわふわ余韻を味わいながら帰る。この幸福たるや」
「なるほど……私も映画の余韻が好きです。シアターで観なければ味わえない感覚ですし」
「その通りだ。だから家ではなく外で映画が観たい。でも金がないからこうして無料で観られる場所をありがたく利用させてもらっている」
「素晴らしいです。よろしければまたご一緒しても?」
「いいとも」
「よかった……」
後輩は両手でマグカップを持ってカフェオレを口にし、
「あちっ」
慌てて離れてから吹いて冷ました。
新入生歓迎期間は定期的に飲み会が開催され、その後反省会と称して部室で二次会が開かれることもままある。4月も終わりにさしかかり、奨学金が振り込まれて安心感があるときは私もそれに参加する。
「結局416ちゃんは入るわけ?」
「らしいっすよ」
「やったな。M16先輩様々だ。あの人入ってくれる新入生探すの上手いよ」
M16は私と同じ学科に所属する女性の先輩だ。私も彼女にここへ連れてこられた者なので多少の恩義はある。取り締まる側に回れば好きなだけ本が借りられると教えてくれたのはこの先輩である。
「それがさ、416ちゃんが入る理由がこいつがいるからなんだってよ」
「ん? 私?」
寝耳に水である。
「趣味同じなんだろ? だからってさ」
「へぇ……」
まあ悪い気はしない。実際私も同じ趣味の仲間ができて嬉しい。
「あの子さぁ、エロいよな」
「あーうんわかる」
「エロい」
酒の入った大学生なんてみんなこんなものだ。話を振られると面倒なので適当な缶ビールとさきイカをくすねて帰ってしまおう。
「お前もそう思うだろ?」
そうは問屋が卸さなかった。ここで否定するとそれはそれで厄介になりそうだ。
「ええまあ、魅力的な子ですね」
嘘はつかなかった。
翌日、延滞者から取り立てた図書を片手に図書館へ向かうと数人の二年生に引き止められた。この子等も図書館倶楽部のメンバーである。
「先輩、あの」
「ん?」
「夕べ部室で飲んでたじゃないですか」
「ああそうだね」
「ああいう話やめた方がいいと思うんですよ」
「どういう?」
「どの新入生がその……性的だとかっていう」
この女子学生は我々の中でも潔癖な部類で、度々このような話題を出される。ここは穏便に済ませよう。
「少し悪ふざけが過ぎたよ。今度似たような話題になったら注意するからさ」
「先輩も混じったらダメですからね」
「わかったわかった」
「416さんが性的だとかそういう話、肯定してたらしいじゃないですか」
「悪かったよ」
「先輩、それは、本当ですか?」
聞き慣れた後輩の声に振り向いた。少し離れたところに416が立っている。
「416、お前……」
私は、この短期間に毎週末彼女と映画を観に行っていたため、多少は彼女の表情を見てきたつもりだ。映画を眺める横顔、市立図書館で来週の上映内容を確認する楽しそうな顔、公民館で知らない老人達に孫のように扱われ緊張気味の顔、喫茶店でカフェオレを冷ます真剣な顔、帰り道の余韻に浸った少し恍惚とした顔。そのどれとも合致しない絶望を、今まさに見ている。なんて顔をするんだ、お前は。
「本当ですか?」
「話を振られて、肯定したのは事実だ」
「……あなたは、そんな人ではないと思っていたのに」
「すまない。だが」
「信じてたのに。たった一人の理解者だって思ってたのに。あなたも他の人と同じなんですね」
「416落ち着いて」
尋常ならざる様子に手を差し伸べた。しかしそれは空中で叩き落とされた。
起こったことに頭が追いつく前に彼女は駆け出してしまった。これはいかん、追わねば。
「この本を返却しておいてくれ!」
私は二年生に本を押し付けると416を追って走り出し、走り、はし……
「いや、あいつ、足、速いぞ?」
すぐに見失った。必死に走ったつもりだったが、ろくに距離をいかない内にへとへとだった。
「なにしてんの?」
「あぁ君か……新入生と追いかけっこをな……」
「無理しない方がいいよーインドア派」
「おのれ……ふぅ……あんなに走れるとは……うぇ」
「かわいそ。飲む?」
「この状態でマッ缶が飲めるかっ」
「だよねー。まあ参考までに何があったか教えてよ」
たまたま会った学友にことの顛末を語って聞かせた。彼女はふんふんとそれを聞き、一言でまとめた。
「要は懐いてくれた後輩をあんたのホモソーシャル的ないい加減で傷つけたと」
「返す言葉もない」
「ていうかたった一人の理解者って重いねその子」
「否定はせん。だが何か理由はあるだろう。意味もなくそんな表現をする子ではない」
「へーその子のことよくわかってんじゃん。妬けるね。そんなにかわいいの?」
「お前よりはな」
「ひっどーい。それより自分の進退気にした方がいいんじゃない?」
「なぜだ?」
「一番ヤバいとこ誰に見られてたか覚えてないわけ?」
「あ」
学友の指摘通り、私は図書館倶楽部を除籍になった。幽霊部員が期待の新入生を泣かせたことは許されざる大罪だったのだ。
私は映画が好きだが本も好きであり、図書館のヘビーユーザーでもある。ヘビーユーザーにとって図書館倶楽部は味方であれば心強く、敵に回ると恐ろしい。なぜなら私も延滞図書を抱える者であるからだ。
「頼む匿ってくれ」
「ばっかだなぁ。どうしてうまく立ち回らなかったのよ」
「私にそんな処世術があると思うたか」
「ないね、ないない」
こうして図書館倶楽部の連中から逃げ回る日々が始まった。延滞図書の回収に手段を選ばない奴らは恐ろしく、また新入生を泣かせたヘイトも恐ろしかった。
「逃げるため毎回私んちに来るのやめてよね」
「ここは安全なんだ。私の住居は割れている」
「かわいそーに。何返してないの?」
「HPラヴクラフト全集」
「ホラー苦手じゃなかったっけ」
「癖になる」
「あほくさ」
「ところで、例の件は調べてくれたか?」
「もちろん。対価よろしくね」
「約束通り前期の間は私がマッ缶を奢る」
私は彼女に現在の図書館倶楽部の動向を探ってもらっていた。新入生を泣かせたヘイトといえどもここまで私だけが集中的に狙われ続けるのもおかしいのだ。聞くところによると私を追うことにかまけて他の図書回収が滞っているそうだ。
「まーあんたの評判は最低だね。あることないこと尾鰭と背鰭がついて泳いでる」
「そ、そんなにか」
「とりあえず毎週末呼び出して手込めにしようとしてたことになってる」
「事実無根甚だしい」
「でも毎週末会ってたんでしょ?」
「それはな。そうか、それか」
「そういうこと。あんたに向けられたヘイトは泣かせたことじゃなくて、図書館倶楽部のエロ学生達が大好きな416ちゃんと毎週末よろしくしてたことなんだよ」
言い方がひどいが、おそらく彼女なりに多少は憤っているのだろう。しかし理由が分かったところで最早図書館倶楽部への未練はなくなった。あんなコミュニティ燃え落ちてしまえ。
「これで未練はもうない?」
「ない。ないが……うーん416」
「なに? 仲直りしたいわけ?」
「うーむ」
416は利発で聡明な実に希有な後輩だ。思慮深くて穏やかで、押し付けがましくなく気も利いて、生涯の伴侶とするならかくあってほしいを体現したような子であり、確かに顔も良ければスタイルもいいし声もかわいい。だが私にとってそんなことはどうでもよいのだ。
私が彼女を思い返すとき真っ先に浮かべるのは公民館から喫茶店へ向かう道だ。416は立て続けに2つ映画を観た余韻に浸り、ふわりふわりと夢見心地で歩く。ラブロマンスを観た日には幸せなため息をついて、ミュージカルを観た日には歩きながらくるりと回り、サスペンスを観た日には眉間に皺をよせて唸り、ホラーを観た日には少し背後を気にして。
映画の世界に半分身を置きながら歩く道の幸福を隠さない様子があまりにもかわいらしくて。その後喫茶店で浮かれ気分を取り繕うとして妙に真剣な顔をするのだ。
「大変結構な時間を過ごせました」
なんて言って。あれがまた面白いが、余韻で心が躍るのも、気恥ずかしくなって取り繕うのも、何もかも理解できるのだ。
「確かに私は彼女の理解者かもしれん」
「はぁ?」
「同時に彼女も私の理解者だ。416と話がしたい」
「どうするつもりよ」
「うむむ」
私は何も思いつかずにうんうん唸った。
一年生の講義が終わる時間に合わせて、私は416を講義棟の前で出待ちした。
「416」
「先輩……」
一瞬目が合った彼女はすぐにそれを逸らし、そそくさと立ち去ろうとする。
「待って、話を」
「話すことなんてありません」
「誤解なんだ」
「あんな、あんな話をしていてよくもそんな」
「あっ待ってくれ!」
とりつく島もなく彼女はまた駆け出していく。私も追いすがるがやっぱりあいつは足が速い。ぐんぐん離されていく。畜生なんだって私がこんな、くそっあぁ、もう! 肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「416!! 私はピグマリオンコンプレックスだから人間である君は眼中にない!!」
眼中にない! にない……ない……な……
辺りの音が静まり返り、自分の声が反射しているのに気づいて初めて、とんでもなく大声を出してしまったことを知った。
「ぷ、は、あはははは」
次に聞こえたのは416の笑い声だった。
「それで、どうなったのよ」
「うん、まあ、許してもらえた。彼女も引っ込みがつかなくなっていたらしくて」
私はあの後自分の浅慮な発言を詫びて、彼女も頑なに逃げ回ったことを詫びた。
「ごめんなさい。先輩がそういう人でないと信じきれなくて」
「何を言うか。先に裏切ったのは私だ」
「本当にそういう目で見たことはないんですよね?」
「ない。ついでに勢いで口走ったが別にピグマリオンコンプレックスでもない」
しかしながら球体関節は至高である。舐めたい。これは黙っておく。
「あれは最低ですが謝り方としては完璧でしたよ」
「うぐぐ」
「でも、よかった……私はどういうわけか親しくする人に性的に見られることが多くて、だから先輩のように何もなく趣味だけで一緒にいられる人がほしかったのです」
思ったより根が深かった。私はとんでもなく深く彼女を傷つけていたようだ。
「今まで他人と映画を観たことは何度かありましたが、スタッフロールの途中に立ち上がる人や観終わってからあれこれ話す人ばかりで。先輩が初めて余韻にじっくり浸らせてくれた人なんです」
「そうだったのか……だから唯一の理解者か」
「はい。ですので、また映画ご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんだとも。あの後一人で行ったけれど物足りなくてな」
416は安堵のため息をついて柔らかく微笑んだ。そんなに映画が楽しいのなら、誘った甲斐があったものだ。
「ところで先輩の延滞図書ですが」
「あっまだ読み終わってないから許してくれ!」
「大丈夫です。先輩の取り立ての担当は私になりました。ありもしない噂を広めて先輩を侮辱したことを責め立てたら担当にさせていただけました」
「お、おぉ」
この新入生、なかなかやるぞ?
「それから必要な過去問と過去レポも先輩に代わって私がご用意します」
「それは助かる。あれは図書館倶楽部でなければ参照できないからな」
「ご要望とあれば院試の過去問もご用意できますよ」
院試の過去問、おかしい、あれは唯一持ち出しが禁止されている物だ。それを図書館倶楽部が所持しているとなると何者かがカンニングに近いことを行った疑惑がある。大変なスキャンダルであるしある種の禁書にあたるが、しかしそれをなぜ彼女が……
「416、君は一体何を」
「ただ先輩を侮辱した人全員を締め上げて回っただけです」
「は?」
「冗談ですよ、冗談。ふふふ……」
やだこの後輩怖い。
「先輩は今年三年生ですよね? 是非とも大学院まで進学してください。私もできるだけ長く先輩の後輩でいたいです。あぁでも万一留年なさって私より後輩になってしまわれても構いません。それはそれでかわいいですから」
「お、おう、そうか。しかし君に負担をかけるわけにも」
「いいえ、負担だなんて。先輩は万事私にお任せください。全て完璧に取り計らいますから」
「だってよ」
「こわ。厄介な後輩に懐かれたね」
「もし私が突然大学に来なくなったら彼女に監禁されていることを疑ってくれ」
「冗談にしても達悪いよそれ。笑えない」
「すまん」
私は自販機からマッ缶を取り出して彼女に渡した。今日の支払いである。黄色に茶色で文字と模様の描かれたなんとも愛らしい缶が彼女の手に移る。
私はサークルからの離脱で416と先輩後輩関係でなくなることを恐れたが、416から関係の続行を望まれたのでその悩みはなくなった。ただサークルで地位を失って殺され、さらに往来で異常性癖を暴露して二度殺されたが。
「でも実際どうなの?」
「なんのことだ」
「本当に清い目で見てんの?」
私は自販機脇のベンチに腰掛け、両膝に肘をつき、組んだ手に額を当てて俯いた。
「チョットクラットキタコトアル」
押しつぶすように伝えた懺悔は片言で外国語じみていた。
がしゃこん、と自販機から何かが排出される音がして、頭に堅い物が押し当てられた。
「奢り」
「ありがとう……」
私はマッ缶のプルタブに指をかけた。世の中このコーヒーのように甘くは、ない。