ドルフロ大学パロ時空   作:たぬき0401

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45のためなら走れる(前編)

 私は大変に貧乏なので、無数の可能性を並べられることが苦手だった。

 貧乏であれば掴み取れる可能性は限られてくる。取れると思ったものが実は、なんてことはザラにある。だから掴み取った可能性を十二分に自分の物とし、思う存分に活用しなければならない。決して手放さぬように用心すべし。

 

 聡明なる読者諸君等はマッ缶をご存知だろうか。マッ缶は黄色に茶色で文字の描かれたなんとも愛らしい見た目をした缶コーヒーである。『人生は苦いが、コーヒーくらいは甘くていい』のキャッチコピーで売られているマッ缶は色男の口説き文句より甘く、ガツンと眠気に効く味だ。

 それもそのはず、このコーヒー飲料の主成分は練乳だ。コーヒー練乳ではなく、練乳コーヒーになる程練乳の分量が多い。

 このあまりの甘さ故に人を選ぶ飲料であるが私は幼い頃からマッ缶を愛飲しており、遠く郷里を離れ進学した今、この大学にマッ缶を売る自販機があることが何よりの幸福であった。

「はぁ……マッ缶……またお前に会えてよかった……」

 19歳の5月、大学に少し慣れたところでホームシックになった私はひんやりとした缶をぎうと握りしめていた。マッ缶を飲めば思い出されるであろう思い出達。今こそ私の寂しさを、いざ癒やさん!

「そこどいてくんない?」

「あ、あぁ、すまない」

 後ろから声をかけられて冷水をぶっかけられた心地だ。しゅんと小さくなりすごすご退散、しようとしたところで声の主が自販機から購入しようとした物が目に入った。マッ缶である。

「それはマッ缶ではないか」

「そうだけどってあんた同じ学科の人じゃん」

 確かにその女学生は同じ学科同じ学年の者だった。えぇっと名前は確か……

「あー、えっと」

「うっわ名前覚えてないんだ」

「許してくれ」

「そうだなぁ……マッ缶奢ってくれたら許すよ」

 これが私とUMP45のファーストコンタクトであった。

 

 私と45は最初自販機の前でマッ缶を飲む仲であったが、いつの間にか毎日講義と昼食を共にし、課題のレポートがわんさか出れば共にファミレスで徹夜する仲となった。

「お前ら付き合ってんの?」

 と同じ学科の連中によく聞かれたが、我々は揃って否定した。

「こいつには欲情しない」

「ひどいなー。まあでも私もこいつ相手に雌になれないわ」

「言葉の選び方が最低すぎる」

「でも私が女の子になるとこ見たくないでしょ?」

 寒気がするほど見たくなかった。

 私にとって45はそういう対象ではなく、もだもだする感覚なしに共にあり、一緒に歩いてて手をつながなくてはと焦る必要もなければ、先にドアを開けてやろうと気を揉む必要もないし、椅子を引いてやらねばとやきもきする必要もなかった。つまり気を遣う必要がない。これは心地よい。

 我々は熱くなく冷たくもないちょうどよくぬるい足湯にいつまでも両足を突っ込むような心地よい関係に身を置き、それに満足していた。これ以上もこれ以下も望む必要があるだろうか、いや、ない。

 

 1月、真冬の寒さがつま先に厳しいある日、

「あびゃあ!?」

 私はシャワーを浴びて素っ頓狂な声を上げた。冷水であったのだ。すぐさま大家に連絡をしたがどうも給湯器が壊れたらしく、少なくとも今日は湯を浴びれぬということだった。

 このまま身体を拭いて布団に入ってもよかったが、私の身体はお湯を求めていた。仕方なしに準備を整え生まれて初めての銭湯へ向かう途中のことである。

「あれ、何してんの?」

「おう45か。部屋の給湯器が壊れてな、銭湯に行こうかと」

「ふーん」

 友人は私の抱えた荷物をじっと見た。

「お金かかるし、うちでシャワー浴びてけば?」

「なるほど」

 本当に金がなかった。銭湯と言えども下町情緒あふれるアレではなくスーパー銭湯しかこの街にはなかったため、行けば野口英世の一人や二人簡単にいなくなってしまうのだ。ありがたくお言葉に甘えよう。

「しかし45もこんな時間にどうした?」

「今日バイトだったんだよね」

「あぁあの、居酒屋のバイトか」

 45は駅の反対側にある居酒屋でアルバイトに励んでいた。本人曰く、3月には辞めるそうだ。

「辞める話したら妙に人恋しくなっちゃってさ」

「それで私か。いいのか私で」

「いいんじゃん、誰でも」

「それもそうか」

 私は女心に対する理解のなさには自信があったが、この言葉は本当に誰でもいいんだろうと思えた。誰かでなければならないなら、私に声などかけない。

 そして45のアパートに上がり込み、ありがたくシャワーを頂戴した。

「あああぁ……お湯だ、お湯だぁ」

 歓喜の声にドアの向こうから45が話しかけてくる。

「そんなに?」

「ありがたい。手足の末端から温まる」

「あんた冷え症?」

「そういうのではないが……しまった、シャンプーを忘れた」

「私の使いなよ」

「どれだ? 似たようなボトルが並んでいてわからん」

「右がシャンプーで左が」

「わからん……」

 がちゃん、とドアの開いた音が聞こえ、ぎょっとしてそちらを振り向いた。

「だからぁ」

「おい開けるな」

「え? あ、ごめん」

 私は慌てたが、ここで焦ると意識しているようで癪なので、平静を装い紳士的に局部が見えないように体勢を変えた。さながらイタリアの美術館に陳列される彫刻のようであった。

「こっちがシャンプー」

「わかった。早く出て行け」

「何その反応、女の子みたいで笑える」

「笑うてる場合か!」

 私はゲラゲラ笑う45を押し出し、頭を洗い始めた。

「うへぇ甘ったるいにおいだ」

 香りは気に入らなかった。私の貴重なラッキースケベを返してほしかった。失われた尊厳を返してほしかった。

 さて、翌日である。我々はいつも通り講義に出席し、昼休みを共にしたがそこを同級生にわいのわいの囲まれた。曰く、

「お前ら同じにおいするって女子が」

「あーまあ夕べシャワー貸したし」

「ああ、借りた」

 こう言うと連中は色めき立ってしまう。やれついに合併したのかやら、やれやっと収まるところに収まったかやら。だが我々の答えが以前と変わらないとわかると途端に苛立ちだした。

「今更隠し立てとは往生際が悪いぞ!」

「そう言われても何もない」

「そうそう。ただシャワー貸しただけ」

「年頃の学生が一つ屋根の下でシャワーの貸し借りなんて信じられるか! いい加減にしろ!」

「あぁ、私は一方的に身体を見られたぞ」

「私がついバスルームのドア開けちゃってさ」

 ははは、と笑う我々に相手方は諦めたような顔をした。

「わかったよ……だが一つだけお前に聞かせてくれ。女の子の部屋のシャワーってのはその、どうだった?」

 私は夕べのことを思い返した。小綺麗に整えられたボトル、洗面台に並ぶ歯ブラシと化粧水などのスキンケア用品、私が普段使う物とは異なる甘い香りの空間。

「甘ったるくてやってらんないな」

 以後私は「期待するだけ無駄」「ED」「前世で一生分盛ってしまった」「一周回ってむしろ変態」と呼ばれるなど散々であったが、それでも45はゲラゲラ笑いながら私と共にあり、一緒に温かいマッ缶を飲んだ。

 

 2年の後期が始まった頃、私はのっぴきならない事情で入り用となり、アルバイトを探した。求人情報を当たるのも悪くはないが、学生課を当たった方が確実だ。

「それで学生課に?」

「ここなら学生向けの労働の斡旋がある」

 ぺらぺらファイルの中身をめくっていく私の手元を45は覗き込む。尋常ならざる近さであるが、最近諦められたのかもう誰も距離感に言及しなくなった。

「あ、これは? 工場でパンの検品」

「いやだ」

「あっそう。こっちは? 電波測定」

「とおい」

「注文多いね。あーこれはやめときな」

「ん? 家庭教師?」

「オススメしない」

 45は渋い顔で首を振った。何か思い当たることがあるのかもしれない。しかし、である。

「いやいや近いし、収入が多いじゃないか」

「そうだけどさ……まあがんばれば?」

 こうして軽い気持ちで始めた家庭教師のアルバイトだったが、教え子が不登校、全科目教えないといけない、と思いきや何も教えることがない、という予想外の連続だった。

「だから言ったじゃん」

「うぐぐ……こんなことになるとは」

「これでわかったでしょ。塾や予備校に行かせずにわざわざ素人の家庭教師雇おうとするとこなんてなんかあるんだって」

「肝に銘じる」

 私はアルバイトがあった翌日の昼休みはこうやって45にぐちぐち文句を垂れていた。

「これは、明らかに更正させることを期待されているよな?」

「まあそうでしょ」

「荷が重い」

「やめちゃえば?」

 それもそうだ、と思ったところでふと気づいた。45もアルバイトをしているが、毎回3ヶ月程で辞めている。

「貴君は次々アルバイトを辞めるな。どうしてだ?」

「え? うーん、練習?」

「なんのだ……」

「なーいしょ。まああんたと同じで私も入り用なのよ」

「そんな慢性的に入り用なのか?」

「まーね」

「わからん」

 何の練習なのか、なぜ慢性的に入り用なのかさっぱりわからぬ。45とは毎日一緒にいて距離感も尋常ならざる近さだが、何もかもを理解している訳ではない。それを自覚すると妙にもやっとする。

 さて、私のアルバイトだが、紆余曲折あったものの無事に教え子である9は高校に戻り、私はお役御免となった。そして不思議なことに9は45にえらく懐き、親しく連絡を取り合っているそうで。

「どうだ、懐いてくれる女子高生は」

「悪い気はしないよ。ごめんねかわいい子取っちゃって」

「別に構わんよ」

 45は少し訝しむような顔をした。

「本当に?」

「ここで意地を張ってどうする」

「ならいいんだけどさ」

 45はマッ缶を開けると、綺麗な形をした唇をつけて飲み始めた。

「9、結構あんたのこと好きみたいだよ」

「それはよかった」

「わあ嬉しい! とかないわけ?」

「9にも言ったが、素敵な大人は未成年にわあ嬉しい! とはならないものだ」

 私もマッ缶を開けた。甘い匂いが立ち上る。寒くなってきて缶も温かくされているため余計に匂いが強い。

「私にはあんたがたまにわからないわ」

「奇遇だな。私もお前がたまにわからん」

 我々は心地よさを共有するが、一抹の不安も共有するようだ。

 

 冬も見えてきて北風が冷たくなり始めた頃、弊大学は学祭を行う。私の所属する図書館倶楽部は小麦粉で作った生地を丸く焼き、中にあんこを挟む食品を『これなんて呼びます?』と名付けて販売した。なかなか盛況である。ちなみに私は甘太郎と呼ぶ。

 しかし学祭の昼は仮の姿。真の姿は夜にあり。

 この3日間だけは、と教授連中も目をつむり、歯止めの効かなくなった大学生共はまさに阿呆の極みである。あちらでは本当に服を脱ぐ野球拳が始まり、こちらでは一升瓶の飲み比べが始まり、向こうでは私の先輩が見知らぬ老人と踊っていた。

「M16、何をしている」

「お! よう!」

 彼女は私のサークルの先輩にして最近使い走りにされている研究室の先輩だ。今までは敬語で接していたが、研究室の教授にちょっかいをかけられるようになってからは気易い関係になり、普通に話している。

「いやーこのじいさん面白くてさ」

「楽しかったぞ! またの!」

「おう! 長生きしてくれ!」

 M16は研究室唯一のドクターである。他のメンバーは私と同じくペルシカ教授の使い走りをやらされているM4とAR-15だ。彼女らは同級生であり、成績と顔が大変によろしい。特にM4はM16と同郷だそうで、妹分扱いされてかわいがられている。

「さっきあの子が探してたぞ」

「あの子?」

「ほら、いつも一緒にいる」

「あぁ45か」

 M16は馴れ馴れしく肩を組んでぐいと体重をかけてきた。女性にこういうことを思うのは失礼だと重々承知しているが、重たい。彼女は筋肉質なのだ。

「いいよな~学祭で彼女からお呼びがかかってるなんてさ~」

 そう言って右手の人差し指と親指で輪っかを作ると左手の人差し指をそこに突っ込んで見せた。下品な奴め。

「彼女ではない」

「え? 真面目で大人しそうな顔してセフ」

「わーっ!」

 私な慌てて最後の一文字を遮った。

「そんなんでもない! ただの学友だ!」

「嘘でしょ?」

「信じるかどうかは任せるが、嘘ではない」

 M16はうげぇと顔をしかめた。

「病気だびょーき」

「やかましい」

 私は45の向かった先を聞き、M16と別れた。彼女はいい先輩なのだが、下品が過ぎるのだ。

 M16から聞いたとおり、45は講義棟の前にいた。

「待たせた」

「本当に来たんだ」

「私に用があったんだろう?」

 45はワインボトルを見せてきた。

「これもらっちゃって」

「奇遇だな」

 私も一升瓶を取り出した。図書館倶楽部からくすねてきたものだった。栓は開いているがまだ半分程残っている。

 我々は講義棟の屋上に侵入した。侵入したといっても難しいことは何もない。ただ鍵のかけられたフェンスに足をかけて乗り越えればいいだけだ。

 屋上にいるのは我々だけで、下を覗けば有象無象の阿呆学生共が乱痴気騒ぎに身を投じていた。

「愉快痛快」

「みんなよくやるねー」

 我々は透明なプラスチックカップで音のしない乾杯をし、宴を始めた。カップの向こう側に星が瞬く。今日はいい天気だ。

「なるほど、これはなかなか」

「へぇこの日本酒美味しいじゃん」

「どこからこのワインを持ってきた?」

「行きたい研究室の先生が来てたからさ、顔出してたらそこで」

「ほぉ、お前も行きたい研究室があったのか」

「そりゃね。それ目当てでここに来てるし」

「それは知らなんだ」

 45に研究室の希望があるとは知らなかった。私は特に希望はなかったが、今厄介になっているペルシカ研には興味があるし、雰囲気も嫌いではないためこのまま置いてもらうのも悪くないなと思っている。私の成績であれば問題なく研究室には入れるだろう。

「あんたはペルシカ研?」

「まあそのつもりだ。あそこは悪くない」

「ふーんそっか」

「それより目的を持ってここに来ているのは初耳だ」

「あんたも目的くらいあんでしょ? なんかやたら勉強するし」

「ああ、それはな、奨学金の返済を免除してもらうためだ」

「借りてんだ」

「満額な」

「結構借りたね」

 私は空になったカップに再びワインを注いだ。思ったより飲みやすく、すっと口に入ってしまう。

「私の実家は喫茶店をやっていてな」

「へー、そうなんだ」

「まあそれなりに繁盛しているが学費となるとなかなかどうして」

「そういうことか。お店継ぐの?」

「どうだろうな、今はその気はない。母の愛嬌と父の人当たりでやっているところもあるから、私ではダメな気もする」

「ふーん」

 45も空になったカップにワインを注いだ。

「あんたはさ、地元好き?」

「好きでも嫌いでもないが、時折恋しくなる」

「そっか。私はさ、あんま好きじゃなくて。遠くに行きたいんだよね」

「いいではないか」

「そう? もっと広い世界を知りたい」

「お前ならできるさ」

「本当に?」

「ああ。45ならできる」

 入学式でこんなことを言われた。

『大学はこの中にいるたった1%の天才のための場所である』

 私はあの時自分がそうなのではと思ったが、いつしかそれは45のことなんじゃないかと思い始めた。彼女には他の連中や私とは違う何かを感じる。狭い場所で燻っていていい器ではないと確信している。

「おぉっと」

 突然45に寄りかかられて危うく飛び上がるところだった。完全に気を抜いていた。

「あーいい気分」

「はっはっは、結構飲んだな」

 ワインボトルは空に、一升瓶も残すところ四分の一だ。

「これ絶対また二人で降りてきたらなんやかんや言われるね」

「そうだなぁ。もう慣れた」

「どうする? 誰も見てないし私ら酔ってるし若気の至りってことにして胸でも揉んどく?」

「ぶはっ」

 飲んでいたアルコールを吹き出した。こいつ、かなり酔ってるな?

「いーじゃん減るもんでもなしー」

「いらん。揉めるほどないだろ」

「あったら揉んでた?」

「あったら友人ではいられなかった」

 45は私を見上げ、ぱちくりと瞬きをした。それから、ふっと顔の力を抜くように微笑んだ。

「そっか。じゃあ感謝しとこ」

 初めて見る顔に少し面食らい、それを認めるのがあまりに癪だったためカップの中身をあおった。どうしてこいつはこんなことを言ったのだ。飲みすぎだ、そうに違いない。

 私の知っているUMP45という女は皮肉屋で、切れ者で、人を食ったようなことを言うが、無類のマッ缶好きで、時折徹夜レポートの執筆中に寝落ちそうになり、火の通ってない玉ねぎは全部私の皿に移し、学内に住む野良猫に懐かれないことに少し傷つき、やたらとくしゃみがかわいらしい、そんな奴なのだ。こんなつまらん睦言を垂れ流す奴ではない。

 45はくてんと力を抜いて私にしなだれかかる。飲み過ぎで暑くなってきたのか、緩められた首元が妙に気になった。そこに引っかかるように垂れ下がる髪が、屋上の明かりのせいか艶やかに見える。形のいい唇から紡がれる声はいつもより少しふやけているように聞こえ、呼気はアルコールを含んで甘く、湿っぽく温かい。

 先ほど変なことを言われたせいか、腕に当たる胸が柔らかいのを意識してしまって私は脚を組み替えた。いかん、尊厳を失う。もっとアルコールを飲まねば。

「あんたさ」

「お、おぉ」

「悪酔いすると記憶飛ぶ方だよね?」

「そうだな……」

「じゃあこれも」

 彼女は私の頬に手を伸ばして身を乗り出し、親指で唇をなぞると、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ!」

「あんまり突然起きあがらない方がいいよ」

 気付けば夜明けである。私の頭は45の太ももに乗っていた。

「なぜ膝枕を、うがぁいててて」

「飲み過ぎたんだって」

「何も覚えていない……」

「どこまで覚えてる?」

「ここに来たところで途切れた」

「だいぶ飛んだね」

 ゆっくり頭を持ち上げた。がんがん痛む。ペットボトルの水を飲んだ。

「悪かったな、膝を借りて。重かったろ」

「まあね。でもいい思いさせてもらったし?」

「なんのことだ?」

「覚えてないんでしょ。なーいしょ」

 妙に楽しげな様子に首を傾げた。また頭が痛んだ。

「フェンス登れる?」

「悪いが手を貸してもらえるか?」

「いいよ。マッ缶奢りね」

「助かる」

 私は45の手を借りてなんとかフェンスを乗り越えた。これから講義棟の階段を下りると思うと気が重たい。

「惜しいことをしたなぁ」

「……なにが?」

「酒の味を覚えていない」

 45は無言で私の尻を蹴った。

「いてっ何をする!」

「これくらいされて当然だよ」

 どうして不機嫌なのかさっぱりわからなかった。

 

 さて、学年が上がっていよいよ私も3年生である。この大学では3年生から研究室に所属し、卒業研究の前段階に着手する。私は案の定ペルシカ研に所属し、忙しくドタバタ走り回っていた。

「すみません、先生からまたレポートの取り立ての依頼が」

「またか……ペルシカさんも人が悪い。M4を伝言係にすれば私が断らないとわかったばかりに」

「私が断ればいいんでしょうか……」

「いや、いい。M4はそのまま自分の道を突き進め」

「そもそもM4は悪くないでしょ。はいこれ、追加の取り立て」

「AR-15、いたのか」

 M4がいればAR-15もいるくらいに考えた方がよい。彼女らはニコイチというやつだ。

「あなた取り立ては得意でしょう? 元図書館倶楽部だもの」

「その通りだがな……」

 私が図書館倶楽部を辞めさせられたのはつい二週間前のことだ。延滞図書取り立て担当だった私は確かにレポートの取り立てについてもノウハウはある。

 学食で我々三人が話しているとよく知った人物が近寄ってきた。

「先輩、何かお困りですか?」

「おぉ416。いやな、教授からレポートの取り立てを頼まれて」

「それでしたらお手伝いしますよ。私も取り立ては得意ですから」

 416は私が所属していたサークルの後輩である。彼女は私が図書館倶楽部をあらぬ噂で除籍されても後輩でいつづけてくれている。まあ、除籍された理由は私が416を泣かせたからなのだが。

「そうだな、手伝ってもらうか」

「お任せください。完璧に取り立てますから」

「穏便にな」

 いい後輩なのだが、いささか恐ろしいところもあるのが玉に瑕だ。もったいない。美人なのに。いやこれがいいと思う者もいるのか。

「ようお前ら」

「ぐえ」

 突然肩に重みが加わった。こんなことをするのはM16を置いて他にはいるまい。

「なんだー? 美人侍らせていいな。私も混ぜろ」

「侍る側になりたいのか侍らせる側になりたいのか。後者ならレポートの取り立て役と共に譲るぞ」

「遠慮しとく。お、416じゃん」

「M16! あんたよくも」

「どうどう」

 416はM16によって図書館倶楽部に引き入れられたため多少の恩義はあるものの今は嫌悪している。なぜなら私が図書館倶楽部で失脚する噂の出所はM16だったからだ。

『あいつ416と毎週映画観に行ってるからひょっとするとひょっとするんじゃない?』

 そんな話が男子学生共に火をつけ無事に私は炙られた。なので416からすれば私の居場所を奪った元凶である。しかし私からすれば、どうでもいいことなのだ。

「416、私はM16を恨んではいないと何度も言っている。M16に君と映画を観に行っている話をしたときにこうなる予想はしていた」

「先輩はよくても私はよくないんです」

 私は物理的にM16と416の間に入り、一髪触発の事態だけは避けようと試みた。ともあれこの二人が大喧嘩するのも時間の問題だろう。常に私が仲裁できるわけでもない。当のM16は肩をすくめている。のんきなものだ。

 M16はげんこつで私を小突いた。

「そもそもお前が身を固めてればこういう話にはならなかったんだって」

「私のせいか!?」

「だっていっつも一緒にいる子とも付き合ってないんだろ?」

「45な。あいつはそういうんでない」

「そういう態度が周りをやきもきさせるんだって」

「そう言ってもな」

「手頃な恋人作りなって。416もこいつのこと嫌いじゃないんだろ?」

「なっ」

 突然話を振られた416は小さく飛び上がった。実に器用だ。

「こら、後輩を困らせる奴があるか。彼女は理解者であってそういうのではない」

「そうです」

「なんだぁ。あ、M4はだめだからな」

「ね、姉さん、私に振らないでください、困ります……」

 M4はこの手の話が苦手らしく、すっかり顔を赤くして頬に両手を当てて俯いた。かわいい。いい子だ。守りたい。

 ただ守りたい人には大抵良い人がいるものだ。私はAR-15からの刺すような視線が痛くてたまらなかった。早く否定しないと穴があく。

「安心してくれ。M4は友人だ。もちろん勤勉さにおいて尊敬はしているが、友人だ」

「そうそうそれでいいんだ」

 M4はほっと胸をなで下ろし、AR-15も私から視線を切った。それでいい。君達は自分の道を突き進め。愛に国境も人種も信仰も種族も性別も関係ないのだ。

「M4に変な虫がついたら困るからな」

 そう息巻くM16だがAR-15のことには気づいていない。この面倒くさい先輩を嫌いになれない理由が脇の甘さであった。

 こんな感じでレポートの取り立てをしてはからかわれ、またレポートの取り立てをしては教授に論文を書かされ、充実しているが忙しくて目が回っていた。

「あー……しんど」

 自販機の前でマッ缶を購入して休憩。ベンチに腰掛けてコーヒーブレイクだ。

「お疲れ」

「おや45。いつの間に」

「たまたま見かけてさ」

 45は珍しくマッ缶も買わずに隣に座った。

「最近忙しそうじゃん」

「あぁ、うん。研究室の活動が始まってな。まあレポートの取り立てばかりやっているが」

「ふーん。でも楽しそうじゃん。さっきも学食でなんかやってたでしょ」

「見てたのか。助けてくれてもよかったものを」

「やだよ、巻き込まれたくない」

 私はマッ缶を買いに行こうとしない45が気になり、飲みかけのマッ缶を渡した。

「いるか?」

「……ありがと」

 45はさも当たり前のようにマッ缶を飲み始めた。私はポケットに入れてあったスマホが振動するのを感じ、画面を見てみた。教授から論文の確認が終わったから時間を作って研究室に来るようにとメールがきていた。はてさて、この後行こうかそれとも明日にするべきか。

「研究室どう?」

「悪くない」

「一気に知り合い増えたじゃん」

「まあな」

「後輩もできたし」

「あぁ」

「あんたの教え子もうちに入るつもりらしいよ」

「ほう」

「それだけたくさん仲間に囲まれてさ、あんたもう私と連んでても楽しくないでしょ?」

「そうかもな」

 45は立ち上がった。片手に私と45が飲んだ空き缶が握られている。

「そっか。これ捨てとくね」

「すまん」

「いいよ。バイバイ」

 スマホを見ながら予定を立てる私の耳に、空き缶を捨てる音は聞こえなかった。

 

 私の論文の出来はそれなりにいいらしい。楽しそうに学会に向けて準備をするペルシカさんを見ているとなんだか私も楽しくなる。

 そういえばしばらく学食で昼食を取っていない。45とも顔を合わせていない。論文に熱中しすぎていたようだ。やはり新しいことは楽しい。

 久々に学食へ赴いたが45の姿が見えない。ここまできて45と顔を合わせていないどころか姿を見ていないことに気づいた。風邪でもひいたのだろうか? スマホでメッセージを送っても返信はない。

 学食の一画に学科の連中を見つけて近寄った。彼らも私に気づいて手を振る。

「よう」

「久々だな」

「45知らないか?」

「ん? あれ? 聞いてないのか?」

「何をだ?」

「てっきり」

「何の話だ?」

「あいつ留学したぞ?」

「え?」

 私の学友はいつの間にか姿を消していた。

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