ドルフロ大学パロ時空   作:たぬき0401

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45のためなら走れる(後編)

「あんたさ」

「お、おぉ」

「悪酔いすると記憶飛ぶ方だよね?」

「そうだな……」

「じゃあこれも」

 彼女は私の頬に手を伸ばして身を乗り出し、親指で唇をなぞると、すっと目を閉じた。私も阿呆ではないので次に起こることは予測したが、それを拒まなかった。やぶさかではない、そうとも今までずっとああ言っていたが私も本心は、素直になれなかっただけで。

 45の唇が私のと触れ合う。何かを確かめるように弱く、次第に強く、深く、私も彼女の腰に手を回して抱き寄せると、辛抱たまらなかったとばかりに服に手を、

「はっ! 夢か……」

 夢だ。悪夢だ。なんて夢を見るんだ。恐る恐る布団をめくると申し訳無さそうに自己嫌悪がちょこなんと鎮座していた。

「なんてことだ、なんてことを、相手は45だぞ」

 まだ夜明けまではかなり時間がある。額は脂汗でびっしょりで、背中も冷や汗で気持ち悪い。着替えねば。

 45が姿を消して数週間、私は辛く眠れぬ夜を過ごしている。そしてこんなことになってからどうしても昨年の学祭で記憶が飛んだ期間のことが気になってならない。

 気になっていることは毎夜毎夜少しずつ形を変え夢に現れ、私を苦しめて飛び起きさせる。研究室のことでいっぱいいっぱいであるというのに寝不足で拍車がかかる。さっさと思い出せば楽になれるのか。

「思い出したくない……」

 私は全てが明るみに出る日を想像してぶるりと身震いした。

 

 一緒に昼食を取る友を失ってから私は毎日中庭のベンチで昼食を取っていた。

「そのパン半分ちょうだいよ」

「どうぞ」

 この毎日パンをたかってくるのはG11さんという、何年この大学にいるのか分からない先輩だ。無気力に怠惰を混ぜて虚無を足したような先輩は毎日自分の昼食を鴨に与えてしまい、自分の分は私からもらうという度し難い生活をしている。

 しかし私はそれを許している。なんとかこの先輩を立ち直らせようと躍起になっているようで、実は居場所を失った虚しさを埋めようとしているだけなのかもしれない。

「しかし君も飽きないね、毎日毎日私にパン分けて」

「全部寄越せと言わずに半分要求してくるG11さんの奥ゆかしさに好感を覚えているので」

「へー、そう」

 今日もG11さんは齧歯類のように両手でパンを掴んで食べる。45であったら遠慮せずにむしむしちぎって食べたのだろう。

「君は友達いないの?」

「なぜそのようなことを?」

「普通の学生は学食でお昼食べるでしょ」

「友人はおります。おりました」

「なんで過去形なのさ……」

「留学中でして」

「ふーん」

 パンを食べ終えた彼女はぱたぱた手をはたいた。要所要所の動作が子供じみていてますますこの人の年齢をわからなくさせる。

「喧嘩でもした?」

「どうしてそれを」

「いやー、妙にしょげてるから」

「喧嘩ではありませぬが、一緒にいてもつまらないか、と聞かれ、生返事ではあったものの肯定してしまいました」

「気にしてるんだ」

「ええ、まあ、はい」

「いい友達だね」

 私は目を細めて中庭に設置された時計を見た。まだ昼休みは半分ばかりある。

「G11さんに友人はおりますか?」

「残酷なこと聞くね。いたかどうか、いるのかどうかもわからないよ」

「左様でございますか」

「強いて言うなら君と、あと最近女の子が来るよ」

「女の子?」

「借りてる本を返せって」

「げぇ、図書館倶楽部」

 私の古巣であった。まさかここまで手を伸ばしているとか。池にたたき落とされる前に逃げるべきか?

「一年生の胸が大きい子がさ。いやー最初に来たときちょうどベンチで寝ててさ、のぞき込まれたから胸でアイマスクされるかと思った」

「ああ、416ですか」

 知り合いであった。これなら安心である。

「知ってる子?」

「後輩であります。私も先月まで図書館倶楽部にいたのです。除籍されましたが」

「そうだったんだ」

「ちかみに、何を借りておいでです?」

「海底二万里」

「名作ですね」

「読んでると旅に出たくなる」

 そういえば45も愛読していたなと思い出す。彼女はよほどその本が大切だったと見え、読み返し読み返しを重ねて表紙はボロボロだった。ブックカバーの一つでも買ってやればよかった。

 そうだ、思い出した。あの夜、講義棟の屋上で私は45から『遠くに行きたい』と聞いたのだ。そんなに遠くに行きたかったのだろうか。私を置いてまでも遠くに行きたかったのだろうか。

 

 夢だ。我々は学祭の夜、講義棟の屋上で星見酒を楽しんでいた。二人一緒である。いつものことだ。

「これ絶対また二人で降りてきたらなんやかんや言われるね」

「そうだなぁ。もう慣れた」

「どうする? 誰も見てないし私ら酔ってるし若気の至りってことにして胸でも揉んどく?」

「ぶはっ」

 飲んでいたアルコールを吹き出した。こいつ、かなり酔ってるな?

「いーじゃん減るもんでもなしー」

「いらん。揉めるほどないだろ」

「あったら揉んでた?」

「あったら友人ではいられなかった」

 45は私を見上げ、ぱちくりと瞬きをした。それから、ふっと顔の力を抜くように微笑んだ。

「そっか。じゃあ感謝しとこ」

 なんでそんな顔をするのか私にはわからぬ。45のことは色々わかったつもりでいた。何が得意なのか、何が苦手なのか、何が好きなのか、何が嫌いなのか、何をしたいのか、何をしたくないのか。けれどすべてがわかったつもりなだけで、何もわかっていやしなかった。

 私はどうするべきだったのか。胸の一つでも揉んでやればよかったのだろうか。そうすればあいつはどこへも行かなかったのだろうか。

 目覚めるとまた汗だくであった。着替えながら見下ろすと、自己嫌悪が必死に何かを訴えて身を起こしていた。

「何がこいつでは欲情しない、だ。しているではないか」

 何か大切な物を失った心地がした。

 

 夏休みである。本来なら大学三年生は最後のバカンスとばかりに遊び呆けるのだが、私には遊び相手がおらず、サークルも除籍され、行き着く先は研究室だった。

「まだ卒研も始まらないのに熱心なことで」

 M16は体よく私をパシりにするが心配してなのか時折こんなことを言ってくる。

「現在うちの学科の成績上位はM4とAR-15の二人でな。奨学金の返済免除枠を狙うとするならこの二人に勝たねばならんのだ」

「へーそうなのか」

「二人はペルシカさんから課題をもらって研究に励んでいる。ならば私も続かねば」

「熱心だな」

「貧乏人だからな」

「でもたまには息抜きするんだぞ」

 M16がデスクにルートビアを置いたが、私は押し返した。

「私と信仰の対象が異なる故、これはいらない」

「マッ缶派め」

 大学生には奇妙な派閥がある。我々は主食にしている飲料で時折争う。王道と慢心するコカ・コーラ派、敗北を認められないペプシコーラ派、選民思考のドクターペッパー派、ゲテモノ好きの変態ルートビア派、そして我らが清く正しいマッ缶派。

「マッ缶派なんてお前くらいしかいない」

「マッ缶のよさがわからぬとは」

「ただ甘いだけじゃん。あー違ったわ、お前とお前の友達だけだな、マッ缶派は」

「…………」

「あ、ごめん」

 45は未だ帰ってこず、また連絡もなかった。メールを送ろうと試みたが、学内アドレスは使われておらず、携帯も不通だった。

「M16に友人はいたのか?」

「あぁいるよ。みーんな社会人だけど。ドクターやってるの私だけなんだ」

「そうか」

「お前の友達、早く帰ってくるといいな」

 帰ってきた方がいいのだろうか。45は外の世界に憧れていた。憧れの世界に踏み出した今、45は帰ってきたいと思うのだろうか。その地に骨を埋めたいと思うのではなかろうか。

「そもそもどこにいったんだ、あいつは」

 私はそれすらも知らない。

 

 また夢だ。私と45は星見酒を楽しむ。最近は夢だと分かるようになってきたため、この夢から必死にヒントを得ようとしている。

 日に日に夢は夢らしくなっていき、我々のいる講義棟の屋上以外の場所はなく、外壁は朧気でほとんど見えなく、星空だけがやたらと綺麗だ。土星は輪まで見えて流れ星は宙返りする始末。

 45も私も相当に酔っているようで、下らん話をしながら寄り添っていた。いつものこと。そういつものことである。

 45はくてんと力を抜いて私にしなだれかかる。飲み過ぎで暑くなってきたのか、緩められた首元が妙に気になった。そこに引っかかるように垂れ下がる髪が、屋上の明かりのせいか艶やかに見える。形のいい唇から紡がれる声はいつもより少しふやけているように聞こえ、呼気はアルコールを含んで甘く、湿っぽく温かい。

「いいよ」

 脳が痺れるほど扇情的であった。こいつはこんなにかわいかったのか、と今まで気付かずにいた己を恥じた。どうしてこんなに無防備に私に身を委ねるのか。もしや45も私に劣情を抱いているのではないか。

 私は紳士故に合併は双方の合意がなければ許されないと信じている。つまり私がその気で向こうもその気なら問題はないのだ。

 それならいいじゃないか。今までずっと言い訳して我慢してきたんだ。こいつもその気ならもう我慢する必要もない。いいんだいいんだもう自分のヤル気元気根気その気に目をつぶらなくて。どうせ誰も見ていやしないし。据え膳食わねば武士の、

「恥を知れ! しかる後死ね!」

 勢いよく起き上がった。そのままの勢いでバスルームへ向かい、服も脱がずに冷水を浴びた。夢だ。夢だった。今のは夢だ。

「いいわけがない。いいわけがあるか」

 私は自分に言い訳なぞしていない。本当に45はそういうのではない。あってはならない。なんのための三年間だったのだ。そのようなことのために積み上げた年月ではない。なかったはずだ。

 でも本当はどうだったんだ? あの時私はどうしたのだ? 己の欲に負けて取り返しのつかないことをしたのか? だから45は行ってしまったのか?

「わからぬ……どうだったのだ……」

 そして45は私に何を望んだのか。何もわからない。わからないことがこんなに恐ろしいとは。

 

 サークルに属さない者にとって学祭は無味である。なんせやることがない。酒や昆虫食に関わる研究室は面白い屋台を出しているらしいが、私の所属する研究室は人工知能がテーマ故何もしていない。

「何かやったら何も理解しない人の相手することになるじゃない。嫌よそんなの」

 教授の意見ももっともだった。かといって全く何もしないのもつまらないので、ふらふら学祭を回っている。

 ふと中庭を通りかかった。夏休みを前に中退勧告を受け消息を絶ったG11さんであったが、休みを明けても姿を表さなかった。早めの冬眠かはたまた消えてしまったか、憶測は飛び交うが真相は不明だ。

 私はせっかくできた昼休みの話し相手を再び失い、今は一人寂しく昼食をとっている。G11さんの帰還を信じて場所は中庭のベンチと決めており、時折416がそこへやってくる。

 G11さんの喪失は衝撃ではあったが、それでも45の喪失に比べると大したことはなかった。私は己の薄情さに失望した。

 学祭には近隣住民や保護者、またこの大学への入学を希望する高校生などが足を運び、大変に賑わっている。私は軽音部が輝くステージとジャグリングサークルがたむろする事務室のある中央棟脇を通り抜け、体育館裏の自販機へ向かった。マッ缶のある場所だ。

 サークル棟の角を曲がったとき、探し求めていた背格好の人間を視界にとらえ、つい肩を掴んでしまった。

「45!」

「いたたっちがいま……あれ? せんせ?」

「あ? ん? ナイン?」

 とんだ人違いであり、とんだ教え子との再会だった。

 私は驚かせた詫びとして9を自販機の前まで連れて行き、好きな飲み物を奢った。

「悪かった。すまん」

「んーん、いいよー。45姉と間違えたなんて面白いね。まあ確かに私達背格好似てるかも」

「そんな風に呼んでたのか」

「うん! 先輩じゃないし友達って感じとまた違ったから」

 二人がこんな風に親しくしていたとは知らなかった。こんなところにも私の知らないことがあった。

「9はどうしてここに?」

「この学校受けようと思って!」

「そうか。9なら間違いなく合格できるさ」

「ホント? えへへへ」

 イチゴオレを飲む9は嬉しそうににこにこ笑った。彼女が楽しそうにしていて心底安心した。この様子だと学校に戻ってからもうまくやっているようだ。

「45姉、留学してるんだってね」

「あぁ。聞いてたのか?」

「うん。行っちゃう前に」

 そうか、9は聞いていたのか。私は聞いていなかったのに。

「忙しいらしくってね、週に一回くらいメールでやりとりしてるんだー」

「連絡が、取れるのか」

「取れるよ」

 なぜだ? なぜ9は連絡が取れて私は取れないんだ? そんなに腹を据えかねているのか? それとも実は友人だと思っていたのは私だけで45は違っていたのか? 目の前が歪んで見える。どうしてだ45、お前のことが何一つわからなくなっていくぞ。

「45は何か言っていたか?」

 深呼吸をして落ち着こうとした。感情を9にぶつけてはならない。冷静に、紳士的に。

「うーんとね、せんせのことは大丈夫って」

「大丈夫」

「そう。大丈夫だよって」

「そうか。教えてくれてありがとう」

 私はマッ缶が飲めなかった。とてもそんな気分ではなかった。

 

 学祭の夜が再びやってきた。私は去年と同じように酒を片手に講義棟の屋上へ忍び込んだ。奇しくも45との思い出の場所となってしまった、毎夜夢に見て苦しむこの場所へ。

 夢と異なりここから見上げる星空はそんなに鮮やかではない。外で明かりが焚かれ、乱痴気騒ぎが聞こえるここはそんなによい場所ではない。

 私はあてもなく屋上をうろうろ歩いた。どこかに45がいやしないか。ひょっこり現れやしないか。何か痕跡はないか。探したけれども何も見つからなかった。当然だ、こんなところに何かあるわけもない。

 去年と同じ場所に腰掛けた。45は隣にいない。なぜ隣にいてくれたのだ。いてくれたときはそれが当たり前だったし、いてほしいとも思わなかった。今こんなにいてほしいのに45はいない。

 プラスチックのカップに持ってきたアルコールを注いで飲んだ。ペルシカさんがいらないからと押しつけてきたワインだった。

「……去年と同じ銘柄だ」

 妙に懐かしくて一気にあおった。去年と同じ味だ。

 記憶は大分明らかになってきた。私は去年ここで45と酒を飲み、45が行きたい研究室があること、どこか遠くに行ってみたいことを聞いたのだ。けれどその先を思い出せない。何があった、何もなかったのか。

 もしかしたら45のことは忘れて日々の暮らしに励んだ方がいいのかもしれない。転校していった同級生を忘れるように、45のことも忘れよう。そうすれば苦しまずにすむ。

 そんなことを思った時もあった。しかし忘れようとしたとて学内のあちらこちらに45を探してしまう。私の思い出には必ず45がいる。忘れることなぞできようものか。

 辛い、苦しい、寂しい、会いたい。失望されててもいい。友人などと思ってくれていなくてもいい。嫌悪されていたってかまいやしない。せめて一目会わせてくれ。

「よんごぉ……お前がいなくて大丈夫なわけがあるかぁ……」

 どうしようもなく泣けてきて顔を覆った。

 

「先輩、最近ちゃんと食事してますか?」

「ええ、ああ、うん」

「根を詰めすぎです」

 私は現在国際学会に向けての準備でいっぱいいっぱいになっている。

 学祭が終わった日のことである。私は教授室へ向かってある嘆願をした。

「留学させてください」

「いいけど、お金は?」

「ありませぬ」

「じゃあ返済不要で100万くらいもらえる奨学金の応募枠持ってるから出す?」

「出します」

「それなら実績を作らないとね」

「何でもやります」

「よろしい。ところで、どうして留学したいの?」

「や、やりたいことが」

「もう少し嘘のつき方を勉強した方がいいわね」

 私は45を追って海を渡ろうとしている。45の留学先は9から聞いた。あいつ英国なんぞに行きおって。さぞかし不味い飯を食い続けているのだろう。

 ペルシカさんは応募に足る実績として国際学会での発表を提示した。曰わく、私の研究内容ならうまくすれば入賞できるやもしれんとのことだった。奨学金獲得を盤石にするために私には入賞が必要だ。

「それにしても国際学会なんて、先輩も思い切りましたね。学部三年でやることではありませんよ?」

 発表の準備に打ち込みすぎている私を後輩の416は常に心配してくれている。ありがたい限りだ。今日も中庭のベンチで話し相手になってくれている。

「そこまでして45を追いたいんですか?」

「……なぜそういう話になる」

「あなたの目的なんてみんな知ってますよ」

「そうか……」

「先輩は、45がお好きなのですか?」

「わからん」

 私はぶんぶん首を振った。

「どう思ってるのかどうありたいのか何もわからんのだ」

「はぁ……まったく、先輩をここまで振り回せる45が恨めしいです」

「416と映画鑑賞している間は穏やかでいられるんだがな」

 映画が終わって現実に戻るとこのざまである。

「先輩は45と交際されたいのですか?」

「いや、そうでは、うーむそうなのだろうか」

「はっきりしてください」

「それもわからん」

「つかぬことをお聞きしますが、先輩はどなたかと交際したいと思ったことがありますか?」

「高校の頃はあった。しかし当時の友人に横からかっさらわれた」

「大学ではどうです?」

 はてさてどうであろう、と考えて驚いた。身の回りが女性ばかりなのである。ひょっとすると私はとんでもない桃色モテ男なのやもしれぬ。しかしながら私にこれを乗りこなす自信はなかった。

 我が父という人は、学生時代引く手あまたな桃色遊技名人でありハーレムちんちん無双の名をほしいままにしたが、それを母にこってり絞られ、絞られ尽くしたところで誕生したのが私だ。桃色遊技名人ハーレムちんちん無双の遺伝子はとうに絶えている。

「……416、学生の本分は勉学だ。色恋に現を抜かすなど」

「どの口がそれをおっしゃいますか」

「ぐぬぬ……いや、違うのだ。そんなはずはない。そうでなければ我々が積み重ねてきた期間はなんだったのだ」

「鈍感二人が並んでいたのでは?」

「厳しいことを言う。G11さんなら何かそれらしいことをおっしゃったかな」

「またいない人の話を。随分とあの怠惰な人を買ってますね」

「あの人は怠惰だが的を射ている。人生の先輩だ」

「私はなんなのですか?」

「416は理解者だな」

 私に45の情報を横流ししてくれる9はよき仲間だし、そう伝えると9は喜ぶ。彼女曰わく、45姉大好きの会だそうな。

「そうやってはっきり言い切るところが先輩のいいところなんですよ。はやく答えを出してください」

「うぅむ」

「ちゃんとどう思ってるのか45に口に出して伝えてください」

 そういえば私は今の今まで45をどんな関係だと思っているのか本人に伝えたことがなかった。今となってはもう、遅いのだろう。

 

 国際学会が一週間後に迫った冬の日、私は久々の飲み会を終え足を引きずるように研究室へ向かった。昨夜私の下宿先で闇鍋に興じていたM4とAR-15は仲良くロフトで就寝中。後輩のSOPⅡとROは二日酔いで起き上がれず、M16は衝撃的なものを見て魂が抜けていた。

「あら、休みなのに来たの?」

「ペルシカさんも、今日は休みでは?」

 教授は昨日学会に出席しており、旧友のアンジェさんと会うため今日は来ないと聞いていたのだが。

「連れてきたのよ。あぁアンジェ、この子が例の」

「あーあなたが女の子追っかけて留学したいっていう」

 アンジェさんはペルシカさんの旧友である国立研究所の職員だ。こうして二人で並んでいると顔がいい大人の女性がぎゅっと視界におさまって目が痛い。

「なっなんて紹介をしたのですか!」

「事実でしょ?」

「ぐぬぬ」

 私は45会いたさで留学を希望したことをペルシカさんに見抜かれ散々からかわれている。

「あなたその子のこと好きなの?」

「アンジェさんまで……違います」

「ふーん。なんかペルシカとリコも似たような感じだったわね」

「リコ?」

「ペルシカ、話してないの?」

 私とアンジェさんの視線がペルシカさんに向かった。ペルシカさんは居心地悪そうにマグカップを手の中で弄んだ。

「話してないわよ……」

「言ってやんなさいよ。参考までに」

「はぁ……」

 ペルシカさんは肩をすくめた。

「私ね、結婚してたことがあるのよ」

「ペルシカさんが!? ヘリアン学長代理よりも結婚の二文字が似合わないペルシカさんが!?」

「後で課題追加」

「おっと」

「まあ、その相手っていうのがあなたとお友達みたいに学生時代ずーっと友達やってた奴でね。友達だったんだから結婚してもうまくいくと思ってたんだけど」

「はぁ……」

「そういうわけだから、関係性の選択は慎重にね」

「なぜそのような話を?」

「言ったでしょ。成功や失敗だけが他人の糧になれるの」

 ぽかんと口を半開きにした私を見て、ペルシカさんとアンジェさんは笑った。

「そういえば、あなたの出る国際学会にうちで預かってる学生達も出るからよろしくね」

「え、えぇ……お手柔らかに……」

 あまり強敵を出されても困る。なんせ私は入賞を狙っているのだから。

 

 運命の日、国際学会当日。国際学会と言えども会場はうちの大学である。講堂にはそうそうたる学者陣、別室のポスター発表もその道を志す者達がひしめき合っているようだが私には関係ない。やるべきことをやって賞をもらうだけだ。

「死ぬほど緊張してるだろ」

 顔面蒼白でカタカタ震える私にM16が語りかける。彼女は闇鍋会の夜にM4とAR-15による夜の組体操を見てから再起するまで実に三日かかった。

「なんてことはない。みんなかぼちゃだ……」

「はは、とんだハロウィンだな」

 いつも通り馴れ馴れしく肩を組んでくるが、今日は払いのける余裕がない。

「お久しぶり。調子はいかが?」

 声に顔を上げると目の前にいたのはアンジェさんだった。見知った顔がやってきて少し落ち着いた。彼女は四人の女性を連れている。

「あ、あぁ、アンジェさん、どうも。そちらの方々は?」

「うちの研究所で預かってる学生達よ」

 ペルシカさんから聞くに、アンジェさんは研究所での仕事の傍ら講師もやっており、多忙を極めているそうだ。頭のいい人は大変だ。

 学生達は名乗らなかったので、私は端から順に、糸目のヤバそうな奴、糸目にへばりついてる奴、ゴリラみたいにゴツい奴、関わったら人生を駄目にしてきそうな奴、と名付けた。特に関わったら人生を駄目にしてきそうな奴はどことなく母に似ていたので、冷水をかけられたように寒くなった。

「そ、そちらのどなたが今日発表されるので?」

「あら? ペルシカから聞いてなかった? 発表する子は」

 そこまで言ったアンジェさんの袖を糸目のヤバそうな奴が引いた。振り返ったアンジェさんに彼女は首を横に振る。

「……そうね。今いないのよ。発表前に一人になりたいって」

「左様ですか」

「今日はがんばってね。楽しみにしてるわ」

「はい、ありがとうございます」

 去り際に糸目のヤバそうな奴は私の方を振り向き、ひらひらと手を振った。私はわけもわからず手を振り返したが、すぐにM16に小突かれた。

「色男め」

「ちがわい」

 私は小突き返した。間もなく発表だ。気を引き締めねば。

 

 発表が終わるな否や、私は逃げるように講堂から離れた。失敗した、失敗した、失敗した、失敗した。

 途中まではうまくいった。ところが大切なスライドを一枚誤って飛ばしてしまったのだ。しかも終わりにさしかかるまでそれに気付かず、質問されてやっと気付く始末。場数を踏んでいれば挽回したであろうが、もう頭が真っ白でどうにもできなかった。

「ああ、うわあ、だめだ……」

 これではどうにもならん。何が留学だ、何が45を追うだ、そのスタートラインにすら立てなかったではないか。

 この半年間私は一体何をしていた。45がいなくなった寂しさにかまけてもだもだ無為に過ごしただけではないか。ここは失敗してはならなかった場所なのに、なんてことを。

 失敗の衝撃で頭がくらくらする。後悔の念で足元が崩れそうだ。こんなとき45ならなんて言うだろう。小馬鹿にしつつ共にいてくれるだろうか。

 45に会いたい。あの三年間を共に過ごした学友に会いたい。そうとも45は友人なのだ。私の唯一無二の、かけがえのない、お互いに切磋琢磨して時に馬鹿にし時に励まし、余計なことは言わずにただなんとなく傍にいる、そういう友達なのだ。そんな友達のことを、親友と呼ぶのだろう。

 私は45のためなら邪知暴虐の王の元へ走れる。銀河の果てまで列車で行こうと言われれば共に行く。虎になったとて45に呼びかけられれば応える。やっとわかったというのに、どうして伝えるべき相手がいないのだ。

「45……45……よんごぉ……」

 体育館裏のマッ缶がある自販機にたどり着き、ベンチに腰掛けて私はべそべそ泣いた。21にもなった男が情けなくべそべそ泣いたのだ。惨め極まりない。

「うわぁ惨め」

 そう、45ならきっとそうやって、

「ほら」

 頬に何か硬い物を押し当てられてびくっと顔を上げた。

「今日は奢り」

「よ、よんごー……」

 目に映る者が信じられなかった。これは幻覚なのか。

「久しぶりじゃん」

 幻覚ではない。目の前に45がいる。探し求めた友が。

「よんごおおおおおっ」

「うわっちょっと」

 感極まった私は抱きついておいおい泣いた。21にもなった男が女の子にしがみついておいおい泣いたのだ。阿呆らしくてどうしようもない。

「お前っどこに行っておった、私を置いて、どうして何も言わなかった、馬鹿者ぉ」

「うん、うん、それは本当にごめん。出るときちょっと拗ねててさ」

「どうして連絡をよこさなかった、どうして9ばかりに、私がどれだけ」

「それは、ほら、引っ込みつかなくてさ。ごめんって」

「私がな、お前といて退屈なわけなかろう! お前は、私の、唯一無二の親友なのだぞ!」

 45はぱちくり瞬きをして私の顔を見ると、顔の力を抜いて笑った。

「うん。私にとってもあんたは親友だよ」

 私はずびずび鼻をすすった。それから手でぐいぐい涙を拭うと、くしゃくしゃに下手くそな顔で笑ってやった。

 それから我々は熱い抱擁を交わした。純度100%の、親友同士の抱擁だった。

 

 さて、そのあとのことだが、当然ながら私は学会での入賞を逃した。代わりに入賞したのは45だった。アンジェさんのところにいた虎の子が45だったのだ。

 45は国際学会を期に帰国し、アンジェさんの研究所で面倒をみてもらっている。アンジェさんは4月から我々の大学に研究室を設ける運びとなっているため、また私と45は一緒に過ごせることになる。

 我々の関係性について、ペルシカさんとアンジェさんは概ねそんなもんでしょと頷いたが、M16と416は頭が痛そうであった。曰く、『そこまできて付き合わんのかい!』らしいが、付き合わないもんは付き合わないもんなのでどうしようもない。

 私は就職にするか進学にするか散々悩んだ末に、ペルシカさんに提示されていた奨学金の枠に申し込み、大学院の学費を工面することにした。入賞こそできなかったが国際学会の発表経験が評価され、私は無事に奨学金を獲得。進学することができた。

 大学院で過ごした二年間にも様々な事件があった。M16が我々の大学とはライバル関係にある鉄血大学に引き抜かれていったり、M4とAR-15がアンジェさん経由で45と同じように留学したり、ROが階段から落ちて頭をぶつけて救急車で運ばれたり、SOPⅡが研究室で犬を飼おうとしたり。

 私は事件一つ一つに振り回されたが、その度に45は私を小馬鹿にしながら傍で笑っていた。私はそれだけで百人力だったし、45も同じようにそうであった。

 そうして3月、大学院の卒業を目前にして我々に二度目の別れが迫っていた。

「お前は就職か」

「そっちはドクターいくんだってね。大学に居残りじゃん」

「ついに袂を分かつ日がきたか」

 ずずずとマッ缶を飲んだ。3月のマッ缶はまだあたたかい。

「今度は大丈夫?」

「大丈夫だ。いつでも連絡は取れる。離れていても我々はやっていける」

「ま、今回は喧嘩別れじゃないし?」

「おい、私は喧嘩をしたつもりなどないぞ」

「どーだか」

 45もマッ缶を傾けた。あの綺麗な唇にコーヒーが流れていくのを見られるのもあと数えるほどか。

 そういえば、私はまだ学部二年の学祭で何があったのか知らない。心残りをなくすために聞いてみるか、と45の方を見ると不意に視線が噛み合ってしまった。おや、以前にもこんなことが……

 45は私の顔に手を伸ばしてきた。思わず固まってしまう。なんだ、何をするつも

「いってえ!」

「鼻毛出てた」

「抜くな!」

「前にも鼻毛出てるから身だしなみ気をつけなって言ったじゃん。あれ覚えてないんだっけ?」

「……ひょっとして学祭の時に言わなかったか?」

「あーそうそう。あのとき滅茶苦茶酔ってたから言っても無駄かと思ったんだけどさ、やっぱり無駄だったね」

「はぁ……まったく」

 そんなことで延々と悪夢をみていたとは。これは45に言わないでおこう。沽券に関わる。

「卒業式終わったら引っ越しするから手伝ってよ」

「いいぞ。私の引っ越しと被らなければな」

「あれ? あんなに学校から近いのに引っ越すの?」

「うむ。春から同棲することになってな」

「は?」

 45らマッ缶を取り落とした。そして信じられないものを見る顔でこちらを見た。

「彼女?」

「まあな」

「いつの間に?」

「さてな」

「誰?」

「はてさて」

 はぐらかす私に45はつかみかかった。

「言いなよ、何もったいぶってんの」

「はっはっは、お前が黙って海外に行った仕返しだ」

「根に持ってたんだ? そんな昔のこといいから早く言いなってば!」

 こいつが声を荒げるなんて珍しい。はてさてどうしてやろうか。私が感じた疎外感を味わいやがれ。しかしあまりもったいぶると喧嘩になるので、このマッ缶が飲み終わったら教えてやろう。

 成就した恋ほど語るに値しないものはないが、親友には特別だ。


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