――博麗神社。
そこへと続く石階段を上っている一人の青年がいた。
「もっと人里から行きやすければ、苦労しなくて済むんだが……」
呟いて息を吐く。
彼の名はドク。
本名かどうかは分からないが、彼が自分から名乗るときは必ずこう言っている。
そんな彼は、人里の巡回医師だ。
朝、昼、晩と、依頼があれば合計三度、一日に人里を回る。
そして朝の巡回が終わると、いつも決まって、ドクは博麗神社に足を向ける。
「ふう。やっと着いたか」
石階段を上り終えたドクは、そう呟くと、視線を周囲に向ける。
――まだ、霊夢は起きてない、か。
誰もいない境内からそれを察すると、ドクは神社の拝殿に近づき、置いてある賽銭箱に、いつものように賽銭を入れた。
すると、今ドクが入れた硬貨と、元から入っていた硬貨が当たり、ちゃりん、と音が鳴る。
珍しいことに、ドクの前にも賽銭を入れた誰かがいたらしい。
もう帰ってしまったのだろうか。
――いや、違う。
だが、ドクには別の考えが浮かんでいた。
――今の時間なら、もしかすると。
確信に近い勘。
彼はそのまま縁側に歩を進める。
すると。
「……ほんとこっちの事情も考えなさいよね。いつもいつも私が暇だとでも思ってんの?」
「思ってるぜ!」
「ったく……あんたって奴は」
聞き覚えのある声が、聞こえてきた。
――どうやら、境内の掃除中に魔理沙がやってきたようだね。
ドクの頭には、その光景がありありと浮かんだ。
――まあ、二人ともいるならちょうどいいか。
そう考えたドクは、まだこちらに気づかず、仲良く話している二人に近づいて行った。
「やあ、二人とも」
「ん? おお! ドク、お前もどうだ煎餅!」
そういって、白と黒の服を着て、先端が尖っていて黒い帽子をかぶっている魔理沙は、ドクに手で持っている煎餅を突き出してきた。
「あんたのじゃないわよ。ま、ドクもお茶でも飲んでいけば? 今淹れてくるわよ」
言いながら、寒くはないのだろうか? と、少し気になる脇の出た紅白の巫女服を着ている霊夢は、がしっ、と魔理沙の手を掴む。
「じゃあ、お言葉に甘えて。少し休ませてもらおうかな」
――朝の分の診察は済ませたし、特にこれと言ってやることはないし、まあいいだろう。
ドクはそう思って、お茶請けを挟んで魔理沙の隣に座った。
いつもとそう変わりない、巡回医師ドクの幻想郷での一日の始まりだった。
―――――――――
「さて、のんびりさせてもらったし……軽く視ておこうか、二人とも」
「ん」
「分かったぜ」
三人は軽く談笑し終わってから、本殿の近くにある母屋の和室に入った。
そしてドクは霊夢と魔理沙に確認を取り、いつものように診察を始める。
――僕のこれが、診察と言っていいのかは、微妙なところではあるが。
「じゃあ霊夢から。座って目をつぶって楽にしてくれ」
「分かってるわよ」
霊夢が目をつぶってから、ドクは手をかざす。
「――解析開始」
頭、肩、胸、腹、足……いろいろな部分にかざしていく。
そうしているドクの手は紫に光っていて、目の前には様々な文字列が浮かび上がっている。
これは普通の人間が手に入れることができる力ではなかった。
幻想郷に来たからこそのものだ。
この幻想郷にいる多くの人には、『程度の能力』というものが備わっている。
それはドクも例外ではなかった。
――『解析し書き換える程度の能力』。
――それが僕の力。幻想郷に来てから使えるようになった、どれだけ望んでも手に入れることができなかった力。
――もっと……早くあって欲しかったもの。
「やっぱドクのこれは綺麗だぜ。私も使えるようになりてーなー」
魔理沙はドクを見て楽しそうに言った。
魔法使いである魔理沙でも、ドクのこれは理解しがたい力だった。
「なあ、なんかコツとかあるのか? ドク? ……さすがに無視はひどいんだぜ……」
「え? あ、ああ……すまないね。視るのに集中していたから」
――考えるのはやめよう。もう、どうにもならないことだ……。
ドクは終わることのない思考を止め、目先のことに集中した。
少しして。
「…………よし。霊夢、もう目を開けてくれて大丈夫だ」
「ん。で、どこか悪いところあった?」
目を開けながら、霊夢はドクに尋ねた。
「いや、いたって健康だったよ。だがあまり無理はしないように。妖怪退治は危険が付き物だからね。慣れているからって油断は禁物だ」
「つまりはいつも通り頑張れってことでしょ? それに、ほんとにヤバそうだったらほかの人にも手伝ってもらうわよ」
「そうしてくれ。いざっていう時は僕でもいいから、無理して自分だけで全部解決しないように。じゃあ、次は魔理沙。さっきの霊夢みたいにしてくれるかい?」
「了解だぜ」
――さて、思考は切り替えていこう。
ドクは魔理沙に手をかざす。
視えるのは幾つもの文字列。だがその中に、欠けていたり、おかしくなったりしている個所を見つける。
そして、それがどの部分かを突き止めるのだ。
――目に疲労が蓄積されているのか。
ドクはその文字を、瞬時にそこにあるべき文字に書き換える。
漢字なら漢字で、英語なら英語で、数字なら数字で。
あい えおなら、その空いているところに『う』を。
ABC EFなら、その空いているところに『D』を。
一+一が三になっているなら、『三を二』に。
そうやって書き換えるだけ。
彼の治す方法はこれだけだ。
これだけで、ほとんどの病気は治せる。
――例外は、ないわけではないが。
そしてほかの部分も視ていく。
「…………これで、終わりか。もういいよ、魔理沙」
「お、ど、どうだった?」
魔理沙は先ほどの霊夢と同じように、目を開けながら聞いてきた。
自分のどこかが悪くなっていることに、何か心当たりがあるのか、少し、不安そうに。
「目に疲労がたまっていたよ。また夜更かしして本でも読んでいただろう。前にも言ったが、僕が治せるからと言って体に無理をさせるのはいけない」
「うっ……。ご、ごめんなさいだぜ……」
「ん。反省できるのは偉いよ」
――さて、と。これで診察は終わったわけだが……。っと、そうだ。あっちにも行くんだったか。……感謝されることはないだろうし、覚えて言うかどうかも怪しいところではあるが。
「じゃあこれで二人とも終わりだ。また来週視に来るから、覚えててくれ」
ドクは部屋を出ようと立ち上がりながら二人に告げた。
「はーい。じゃあね、ドク」
「また来週だぜ!」
ドクは二人の声を背中に、手を軽く二人に振り母屋を出た。
―――――――――
その後、人里に立ち寄り小休憩してから、ドクは太陽の畑――風見幽香の診察に向かうのだった。
―――――――――
「さて、彼女は居てくれるだろうか」
幽香は本当に気まぐれで、日にちを決めても、気が乗らないだとか、面倒だとか言う理由で、素直に診察させてくれたためしがないのだ。
――どうしたものか……。
そこまで考えてドクは息を吐く。
それから少し歩いて、ドクは目的の場所に着いた。
――太陽の畑。
全面に咲き誇る向日葵。
その迫力に、ドクは思わず圧倒される。
――もう見慣れたものだが……さすがに凄い。……違う。そうじゃない。
ドクが太陽の畑に来たのは、向日葵を見るのが目的ではない。
「……」
周囲を見る。
人のいる気配はない。
――であれば。
ドクの視線が一つの場所で止まる。
花畑の近くにある、簡素なつくりをした小屋である。
ここが風見幽香の家だった。
ドクは息を吐き、その家に近づいて行った。
――と。
「あら、久しぶりね」
突然、ドクは背後から話しかけられた。
そしてそれと同時に背中に強い衝撃。
「な……っ!」
ドクの体は簡単に吹っ飛ばされ、ごろごろと地面を転がりながら、小屋に直撃する寸前になってやっと止まった。
「かっ…………ぐっ……!」
――解析開始。
腕の骨が折れている。足は捻挫。首も打ち付けている。ドクが自分の体を視ると、全身がひどく欠けていた。
ドクはそれを定まらない焦点で、一つ一つ治していく。
少しして、呼吸も落ち着いてきた。
「ふう……」
ドクはややおぼつかない足で立ち上がった。
そして、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきている幽香に声をかける。
「はあ……。今日はどうした幽香。いつもよりダメージが大きいんだが……。何かストレスのたまることでもあったのかい?」
「さあ、どうでしょうね。それで? 私に何か用かしら」
風見は悪びれた様子もなく言葉を返す。
「今の行動はいつものことだからスルーか……。まあいい。診察に来たんだ。小屋の中で視せてくれるか?」
幽香は瞬間考える素振りをし、
「その前に。あなた、花も治せるのかしら」
「……やったことはないが……どれが悪いんだ?」
少し不安を感じながらも、ドクは幽香と一緒に花畑に歩いて行った。
「この花なのだけど」
そう指さされた花は、白い斑点が葉の全面に広がっていた。
「なるほど……。やってみようか」
――解析開始。
すると目の前に文字列が浮かび上がった。
――どうやら僕の能力は、植物にも使えるようだ。
人の治療と同じように、欠けていたり、おかしい部分を書き換える。
――あるべきものを、あるべき場所に。
そして、ドクの手の光が消える
「…………これで、どうだろう。やれるだけみってみたが……」
「あんまり自信はないようね?」
「植物相手にこの力を使ったことはないからね。ただ、人間も植物も、大差ないってことは、分かったよ」
「あら、たまにはいいこと言うじゃない。それに心なしかその花も元気そうだし。いいわ。診察してくれるかしら」
「本当かい? じゃあ気が変わらないうちに済ませてしまおうか」
二人は軽く話しながら小屋に向かって歩き出した。
「お茶でも飲む? いい茶葉があるのだけれど」
小屋に入った二人は、木製の椅子に座り、テーブルを挟んで向かい合った。
「いや。その厚意はありがたいが、もう博麗神社でご馳走になってきたからね」
「あなた、もう博麗神社まで行って視てきたの?」
「ああ、そうだが……何かおかしいかい?」
「……いえ別に。働きものねと思っただけよ」
幽香はどこかうんざりしたような目をドクに向けている。
「……まあいいわ。じゃあ、とっとと視てくれる?」
「ああ、分かった」
そういうとドクは立ち上がり、幽香の正面に立った。
「目をつぶって」
「はいはい」
――解析開始。
瞬間、ドクの目の前に文字列が浮かび上がる。
――もう、慣れたものかな、僕も。
幾つもの文字を読み進め、異常がないかを確認していく。
「…………ふう。終わったよ。異常はなしだ」
「あらそう。前よりも早かったわね」
「僕でも、少しは成長するってことだ」
言いながら、ドクは小屋の出口に向けて歩き始めた。
「もう帰るの?」
「ああ、まだやることが残ってるからね」
「……本当、働きものね」
「褒め言葉として受け取っておくよ。じゃあ、また」
「ええ。気が向いたらね」
幽香の言葉に頷いて、ドクは外に出た。
外の出ると、大分日差しが強くなってきていた。
――もう、昼か。確かこの後の診察の依頼はなかったはずだから、今日視た人たちの情報を纏めて、少し休むとするか。
そうしてドクは、人里に向かって歩き出した。