――ここに来た当初の僕は、無気力だった。何にも興味を持つことができなくて、ただ淡々に日々を消化していくだけ。
僕の時間は変わらず、止まったままだった。どうしてここに来たのか、それすら分からなくなってきていた。
……こんな話、君に言ったところで理解できないだろうが、聞くだけ聞いてくれ。僕も、久しぶりに話したくなったんだ。
あれは幻想郷に来てどれくらい経ったか……詳しいところまでは思い出せない。ただ、あの時のことは鮮明に覚えている。
僕の人生を変えた……そう言っても差支えないぐらいの出来事だった。やることもなく適当に歩いていると出会ったんだ。
僕の初めての友人になる、森近霖之助に。
―――――――――
「おや、君が紫にスカウトされたっていう医者かな?」
「…………」
魔法の森の入り口付近で、ドクと霖之助は出会った。軽い雰囲気で話しかけた霖之助。しかし、ドクの目には映ってはいない。
ドクは霖之助に言葉を返すことなく、そのまま歩いていく。ふらふらと人里のほうへ。
それを見た霖之助は肩を落として、その後を追った。そのまま帰る気はないようであった。
「少し、話でもしないかい? その様子からして、別にやることもないんだろう?」
「……僕に、構わないでくれ」
霖之助が話しかけても、ドクは突き放すようにそう言った。今の二人からは想像もつかないことである。
しかし、霖之助はそう言われても話し続けた。その顔は笑っている。
その程度で離れるわけがない、そういう意思表示なのかもしれない。
「なら、僕が勝手に話す分にはいいかな?」
「…………」
相変わらず、ドクからの反応はない。だが構わず霖之助は口を開いた。
「じゃあまずは自己紹介からにしようか。僕の名前は森近霖之助。知っているかはわからないけど、霧雨さんという人の家でお世話になっているんだ」
「…………」
「趣味は道具蒐集でね。と言うのも、僕は『道具の名前と用途が判る程度の能力』を持っているのが、その趣味に影響しているかな」
「……そうか」
「何か話してくれる気になったのかい?」
ドクは話し続ける霖之助に耐えかねて、ため息を漏らした。それまで、こんなにずっと自分に話し続けるものがいなかったからだ。
話しかけてきた者の大半は、ドクが突き放して終わった。その他も、何も言わないドクに嫌気がさして去って行った。
だからドクにとって、霖之助のように話し続けるのは初めてだった。だから、つい口が滑ったのだろう。
話す気がなかった言葉が、どんどん口から出ていく。ドクは呟くように話し始めた。
まだ、その瞳に霖之助は映っていない。
「…………僕の名はドク……小さな女の子の命すら、救うことができなかった男だ」
そう言っているドクは、苦しそうで、泣き出しそうで……。その手は強く握りしめられて、悔しそうに震えていた。
表情がどんどん暗くなっていく。ドクの頭から、さなのことが離れなかった。
「……僕は、駄目だ。医者なんて、名乗れるだけの力なんてない……ないんだ……」
「……そんなことないさ」
だが、霖之助はあえて明るく言った。
「君は紫に誘われるくらいの技量があった。立派な医者としてのね。それに、過去に救えなかった命があったかもしれない。でもここでは過去なんて関係ないんだ。未来を生きればいいじゃないか。未来に踏み出したいから、紫の誘いに乗ったんだろう?」
「それは……」
「なら躊躇うことなんてないさ。それに、君にも僕と同じように何か能力がある、そうだろう?」
「……」
ドクは静かにうなずいた。そして一度、深く息を吸った。
「『解析し……書き換える程度の能力』」
「ふむ」
「それが僕の能力だ。……少し使ったが、恐らくこれで病気やけがを治すこともできる」
「ちょうどいいじゃないか、君のやりたいことと合っていて。それじゃあ、もう人里には診療所も作ったのかい?」
「ああ。長屋を借りて、簡易的なものを。……誰も来ないがね」
ドクは自嘲するように笑う。それを見た霖之助は、やれやれ、と首を振った。
「それは君がそんな態度だからだろうに……。もっと明るくなったらどうだい?」
「え? ……僕の、態度?」
「そう、君の雰囲気とでも言うべきか。もっと話しやすい感じにしたらいいと思うけどね」
「話しやすく……話しやすく、か」
ドクは立ち止まり、俯いて考え込んでしまった。人里にはもうあと少し、というところまで来ている。
ドクの悩みを吹き飛ばすように、霖之助は笑みをにじませながら気楽に話す。
「そんなに深く考える必要はないさ。ただ、もっと人と話せばいい。それだけだよ」
そう声をかけられたドクが顔を上げると、微かに笑っていた。今までで、初めての笑顔だった。
なんとなく、理解したようであった。
「分かった。ありがとう、霖之助。……これから、頑張ってみようと思う」
「うん、頑張ってくれ、ドク。僕もそろそろ自分の店を持とうと思っていてね。お互いに頑張っていこう」
「なら、その時は呼んでくれ。できる限り力になろう」
「ふふ、頼もしいね。分かった、その時は頼むよ」
ドクと霖之助は固く握手をする。ドクの瞳には霖之助がしっかりと映っていた。
二人が友人同士になった瞬間だった。
―――――――――
語り終えたドクは、すっきりしたような表情をしていた。
「随分変わったようね、ドクは」
ドクは感慨深げに頷いた。ドクにとっては珍しく、綺麗な笑顔をしていた。
それを見た咲夜は、少し驚いていた。そんな顔もできるのか、と。
「僕が変わることができたのは、紫に幻想郷に誘われたのはあるが、多くは霖之助のお蔭だろう」
「なんだか懐かしい話をしているね、二人とも」
そこで、倉庫から霖之助が戻って来た。その口ぶりからして、ドクの話を聞いていたようだった。
それに気づいたドクは、眉間に皺をよせ、霖之助に視線を向けた。
「……聞いていたのか?」
「うん、全部ね。いや~、照れるね。そんなに感謝していたなんて」
霖之助はにやにやしてドクを見る。明らかな挑発であった。
または、気恥ずかしくなってしまったのだろう。この空気をなくしたいようでもあった。
「……感謝しているのは確かだが、その態度は気に食わないね……」
「ま、まあまあ、ドク。落ち着いて」
咲夜が慌ててドクを宥める。だが、意味はない。
「はは、いやいや照れてるだけさ、馬鹿にしてるわけじゃないよ? 君の気にしすぎじゃないかい?」
「……友人らしく、偶にはケンカでもしようか。もちろん、能力なしの肉体勝負だ」
堪えきれず、ドクは立ち上がり霖之助を睨む。それを受けた霖之助も睨み返した。
二人の間には火花が散っている。いや、実際には散っていないが、さもありなん、と思わせる雰囲気があった。
「普通ならお断りするところだけど、相手が君なら別さ。久しぶりにやろうか。昔はよくやったものだよ」
「言っておくが、手加減なしだ」
「当たり前さ」
そのまま二人は店を出て、外に向かった。咲夜は二人の後ろ姿を見て、一人呟いた。
「……ケンカするほど仲が良い……いえ、仲が良いからケンカで済むんだったかしらね」
咲夜はため息をついて、二人を追うように店を出る。ドクの家に向かうのは、いつになるのか。
今日中に行くことができるのか。それが気になる咲夜であった。
――――魔法の森の入り口にある香霖堂。営業日は店主である森近霖之助の気分次第。
今日は臨時休業となったのだった。
また。
これは余談だが、この喧嘩を偶然目撃した鴉天狗がいたとか、いないとか。