―――――こんな、こんな事が許されるはずがない!
転がるように森の中の道を走りながら、その貴族は内心で叫ぶ。こんな無法が、不条理が、理不尽が許されていいはずがない。
貴族は傑物だった。親も兄弟も親族も揃いも揃って節穴だった故に見抜けなかったが、優れた才覚を持っていた。類まれな器量があった。誰よりも気概があった。他の誰一人とてそうは思わなかったが、彼自身はそう信じてやまなかった。
だからあの冒険者崩れの暗愚な王に取って代わり、自分が王となってやろうと思った。それこそが世の為人の為というものであり、他者よりも優れた己に課せられた責務というものだった。
そのために混沌の勢力と手を組んだからと言って、何故非難されねばならないのか。
―――――大義を成すためには犠牲が必要だと分からんのか!
必要とあらば混沌とも手を結び、祈らぬ者達すら活用する。これこそが清濁併せ呑む器量というものであり、王者の資質だ。
そんな自分が王となる事こそ万人にとっての大義であり、その過程で幾らかの死者が出る事は
その際に手駒の1人へと罪を被せはしたが、この国から己が失われるという損失を考えたならば何の問題があろうか?むしろ自ら進んで身代わりとなるべきだろうに。あの手駒も本当に使えない男だった。
かくしてこの辺境の街へと落ち延びざるを得なかった貴族は、氏素性を隠し商人に化けた。財産は宝石に換えて持って来ていたし、こちらの方面にも幾らか伝手はあったのでそう難しい事ではなかった。
あの愚王の治世など長くは持たぬ。いずれ貴族から民草に至るまでが立ち上がり、真に王足り得る人物を求め出す。その時自分が立つのだ。
そんな妄想――――彼の中では予言に等しい未来予想に基づき、商人として雌伏の時を過ごす事に決めた。
―――――それが何故、こんな事になっている!
自分の出した護衛の依頼に対して銀等級の冒険者がやって来た時、やはり自分は特別なのだと再確認した。もっと下位の冒険者が受けるような依頼であるのに在野最高位の銀等級が来るというのは、選ばれた証だと。
しかも1人は見目麗しく魅惑的な肉体の持ち主であった。これはきっとこんな辺境へ不当に追いやられた己へのせめてもの慰めに違いない。彼はそう考えた。白磁の冒険者も付いてきたが、そんな木端など相手にする必要はなかった。
銀等級の男は使えそうならば自分の家臣としてやってもいい。女の方は望むなら妾として寵愛し、いずれ王となった時も侍るのを許してやろう。他者から見れば傲慢を通り越して滑稽な、当人から見れば至極当然な考えに浸りながら村へと向かった。
おかしなことになったのはそこからだ。あの女は自分が誘ってやっているというのに受け流し、槍を持った男はこちらへ媚びるでもなく白磁の冒険者にかかりきり。その白磁はただひたすら話を聞いて、依頼人である自分を気にする様子もない。
よほど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、辛うじて自制した。今の自分は気品と威厳を持った貴族ではなく、ただの商人なのだと己に言い聞かせた。
村に着いた時あの白磁が荷物に手を出そうとしたのを一睨みして追い払った時のように、己の内側にある威風は必要な時だけ発揮するべきなのだ。
そう考え直し寛大にもこの無礼者達を許してやり、後は街へと戻るだけ。それだけのはずだった。
―――――何故ここにいるのだ!
帰り道の森で現れた追剥。その中に見知った顔を見つけた時、彼は心臓が凍りつくような錯覚に陥った。
随分と汚れ凄惨な表情になっていたが、紛れもなく自分が手駒として使っていた騎士がそこにいた。憎悪と殺意に満ちた目を向けながら、間違いなくそこに立っていた。
―――――罪人1人捕まえられんのか、あの愚物め!
騎士1人捕えて処刑出来ぬ無能な王を内心で罵りながら、彼は荷台の中を転がるようにして通り抜け逃げ出した。荷台の後ろに乗っていた女は意外な機敏さで馬車の前へと移動していたため、止める者はいなかった。
財貨は懐の中にある。腕だけは確かだったあの騎士相手では、冒険者ごときでは勝てまい。だが足止めぐらいは出来るはずだ。
偉大な王として名を残す自分の為に死ぬのだ、不服はあるまい。あの冒険者達が戦っている間に村まで逃げれば何とかなるはずだ。何の根拠もないが、彼はそう確信していた。
何故ならそうでなければ自分が困るから。彼にとっては全てがそうだった。他者ならば願望と称するそれは彼にとっては正しい推測であり、彼が願った通りにならないのは理不尽であり不条理であり不当な事だった。
何故なら、根拠がなくとも自分は正しいのだから。
だから彼は生きねばならなかった。王となって理不尽な世の中を変えて正しい世にするために。すなわち、彼の思った通りになる国にするために。
もしならないのだとすればそれは全て周囲のせいであり、自分のせいではない。彼は本気でそう信じていた。
ところがそのために命懸けで足止めを行うべき冒険者が付いて来る。止まれだと?誰に向かって物を言っているのか。コイツにだけは慈悲を与えず後々処刑してやる。そんな風に思った時、走るという行為を長らく怠っていた足が縺れ、彼は顔から地面に倒れ込んだ。
声をかけてきた冒険者が悪い。走りやすくない道が悪い。それはつまり自分が走る道を整備していないあの王が悪い。自分が走るのだからそれを整備していない村民も悪い。
―――――何故手を貸さない、愚図め!
内心で毒づきながら立ち上がる。泥を払いながら役立たずを怒鳴りつけようとして、気付く。前方に何者かが立っている。
「こっちに逃げてくる事はないと踏んでたんだが、万一に備えておいて正解だったぜ」
わざわざ遠い出口に向かってくるとはな、と立っていた男が嗤う。顔に見覚えはないが、手にしている
騎士ほどではないが腕は立つ事も覚えている。この白磁では勝つどころか相手にもなるまい。つまり、自分は―――――
―――――こんな、こんな事が許されるはずが……
覆しようがない現実を―――――生まれて初めて、現実というものを見つめた彼はその重さに堪え切れず膝をついた。そしてそのまま昏倒したが、それを気に留める者は誰もいなかった。
少なくとも、彼に構ってる暇がある者はこの場にいなかったのだから。
(俺では勝てないな)
ならば、やれる事はこれしかない。背負った広刃の剣を引き抜き正面から戦う姿勢を取るのと同時に、盾の持ち手に括りつけていた触媒に触れ意識を集中し真に力のある言葉を一気に紡ぐ。
「《
迸った《
大きく安堵の息を吐きながら、依頼人の様子を確認する。外傷も―――――転んだ時の怪我を除けば見当たらず、傭兵が呪文を使った様子もない。単に卒倒しただけだろう。
とりあえず傭兵から武器を奪い、ロープで縛るか何かして依頼人を連れて戻らねば。あの騎士と妖術師相手に自分が出来る事はないだろうが、周りにいた
強者相手に優位に立った、否既に勝利したという思い込みと安心は油断。幾度となく窮地を脱してきた自身の《粘糸》への信頼は慢心。そして油断と慢心が重なればどうなるか。
「――――――ッラァッ!」
裂帛の気合いと共に一筋の閃光が走る。高い金属音が鳴り響く。何が起きたのか分からず、魔法剣士はたたらを踏んで後退する。
目の上、額の辺りに冷たい何かが触れた。そしてそれが離れたかと思えば焼けた鉄を押し付けられたような熱さを発している。加えて視界が赤く染まり前が見えない。
「チッ……顔面保護がなきゃ一発で終わったのによ」
傭兵の声でようやく理解する。斬られたのだ、自分は。
《粘糸》は万能ではない。捕まったとしても脱出不可能と言うわけではない。そんな当たり前の事を見落としていた。あまりにも遅すぎる後悔が魔法剣士を襲う。
「まあいいさ。それならそれでお楽しみがあるから、な!」
「ぐっ……!」
鎧の上から肩を刺され、痛みと衝撃に思わず剣を取り落とす。探そうにも前が見えずそもそもそんな余裕はない。
「出来れば女がよかったが……まあテメエで我慢してやるよ!」
「がっ!」
盾に強い衝撃。魔法剣士は堪え切れず吹き飛ばされるように地面を転がる。傭兵がわざと防具の上から攻撃して、嬲り者にしている事に気付く。どうやら
その推測を裏付けるように、倒れた魔法剣士に対し傭兵が繰り返し剣先で突いてくるが全て浅い。その気になれば自分など一撃で仕留めれるだろうに、急所を避け浅く傷つけていたぶるのを楽しんでいる。
闇雲に盾を動かして防ごうとは試みるが、一度として上手くいかない。その無駄な努力と苦痛の声を上げる魔法剣士、そして肉を斬る感触に傭兵は上機嫌そのものの笑い声を上げる。
術はもう一度残ってはいるが、血が目に入ってしまい前が見えない。何処に向けて撃てばいいのか分からない術は意味を成さない。
(―――――死ぬ、死ぬのか。こんなところで。待たせたままで)
そんなものかもしれない。自分を冒険に誘ってくれたあの剣士とてあんなところで死ぬとは思っていなかっただろう。どれほど気を付けていても、辺境最強と名高い冒険者と一緒の依頼であっても、死は
死への恐怖より先に諦念が魔法剣士の心を満たし始めた時、不意に脳内に閃くものがあった。その感覚は託宣を受ける時に似ていたから、恐らくこれは天啓というものだろう。
いずれにせよ彼はその発想に従い、腰に残っていた小剣の柄に手を添え言葉を紡ぐ。
「《
本来であれば蜘蛛の糸が迸り、対象を捕える。だが今回は拘束を意味する言葉がない。それはすなわち、ただただ糸が展開されるということだ。
そして対象を見る必要もない。見ずとも何処にあるかは分かる。
自分自身を見失うなど、精神的な話を除けばあるはずがない。
「なあぁっ!?」
糸が魔法剣士を中心に四方八方に飛び散る。それに巻き込まれた傭兵もまた魔法剣士同様地面に転がり、糸によって動きが封じられる。
手足を縛られたりはしないが、粘性の強い糸が全身に付着しそのまま地面に横たわったのだ。結果的に地面へと縫いつけられたような形となる。魔法剣士も傭兵も糸に塗れ、その場に倒れ伏すこととなる。
「こ、の馬鹿が!テメエ!」
傭兵は怒鳴りながらもがき抜け出そうとする。自分自身を対象にして術を放ち双方を動けなくするなど、馬鹿の発想だ。
確かに嬲り殺される未来は遠ざけたと言える。だがあの傷では抜け出すどころかまともに動けまい。そしてこの術は《粘糸》同様長く続く術ではないはずだ。
精々1分か、2分か。それだけ寿命が延びたにすぎない。それを過ぎたなら、剣の柄で顎を砕いてやろう。仮に術が残っていたとしても使えぬようにした上で、じっくり死ぬまで切り刻んでやろう。
「楽には死なせてやらねえからな、覚悟しとけよ!」
そう叫んだ瞬間、傭兵は強烈な衝撃を喉の辺りに感じた。何が起きたか、と思う暇もなく。痛みが伝わる時間もなく。急速に視界が暗くなっていく。抵抗しようとする猶予も与えられず、傭兵の意識は一瞬で闇に沈む。
そしてそのまま二度と戻る事はなかった。
「お前は楽に死ねてよかったな」
離れた位置から槍を投げ、寸分狂わず傭兵の喉を貫いた槍使いが小さく呟く。投槍は自ら槍を捨てるに等しい行為だが、槍を得物とするならば当然心得ておくべき用法の一つだ。
殆ど使う機会はないが、だからといって投槍の技術を軽んじた事はない。少なくとも動かぬ的ならばまず外さぬ程度の技量を、槍使いは身に付け維持し続けていた。
「おい、しっかりしろ!」
魔法剣士に駆け寄り傷の具合を確かめる。意識はおぼろげではあるが確かにある。頭部の傷以外は浅いが、その頭部の傷がマズイ。額を横一文字に裂かれている上に、波打った刃を持つ炎紋剣による傷口は塞がりにくい。
舌打ちをしながらも水袋を取り出し、傷口を水で洗う。水精に病毒の素を流してもらい、それから軟膏を塗り付け包帯で強く縛る。
そして
街へ戻り、神殿に駆け込むまで持つかどうか。《
「気ぃしっかり持てよ!寝るんじゃねえぞ!」
大声で意識の覚醒を促しながら槍使いは依頼人―――――元貴族である商人へと近付く。盗賊騎士から聞いた事情が真実だとすれば、逃がしていい男ではない。
魔法剣士とこの男、そして盗賊騎士に魔女。四人を荷台に乗せ、自分が御者となり馬車を飛ばす。間違いなくそれが最も速い。
自分が関与できない領域は仕方ない。だが、自分が出来る範囲の事はしてやらねばならない。
「ツイてたなお前!俺が馬術も達者でよ!」
ある程度の熟練した冒険者は旅をする上での必要性から、馬に乗り馬車を運転する技能を身に付ける。加えて槍使いは個人的な事情で、習熟していると言える程度には技能を磨いていた。
英雄ともなれば馬を颯爽と駆らねば格好がつかない。美姫を抱いて走らせる事が出来ねば物語にならない。
誰が何と言おうが、そういうものだと槍使いは思っている。それに今まさに役立とうとしているのだから、決して無駄な努力ではなかったのだ。
やはり技能とはどんなものでも身に付けておくものだ。改めてそう思いながら槍使いは魔法剣士と依頼人を肩に担ぐと、魔女の運転によりこちらへと戻って来る馬車へ駆け寄って行った。
「はい、それではこれが新しい認識票となります。昇級おめでとうございます、でも暫くは休んでくださいね?」
有無を言わせぬ圧を込めながら、受付嬢は魔法剣士に黒曜等級の認識票を手渡す。素直に頷く魔法剣士の姿を見て、こちらも満足げに頷き銀貨の入った袋を手渡す。一つは小さく、一つはかなり大きい。
「こちらが護衛依頼の報酬、こちらが賞金首討伐の報奨金となります……ええ、平等に三等分でとの事でしたのでお受け取りください」
驚き遠慮しようとしている魔法剣士に、押し付けるように報酬を渡す。槍使いと魔女が平等で構わないと言った以上、彼には受け取る権利と義務がある。
何もしていない、と魔法剣士は言うが、護衛対象から離れず熟練の傭兵相手に一対一で時間を稼いだのは充分過ぎる働きと言える。槍使いや魔女も言っていたが、駆け出しの白磁では到底相手にもならないぐらいに差がある相手だったのだ。それを思えば素晴らしい活躍だったと言っていい。
「二人ともすっごい褒めてたよ。特に呪文の使い方はよく機転利かせたって!」
監督官が「頑張ったね!」と魔法剣士を称賛する。確かにその辺りの機転の利かせ方は槍使いも魔女も共に褒めていた。
本人は偶然のようなものだと言うが、偶然であっても結果に繋がったのだから評価の対象だ。
(これは、鋼鉄等級に上がるのもすぐかもしれませんね)
今回の依頼人―――――都から逃亡してきた貴族を捕え引き渡したのは槍使いと魔女の活躍あってこそだが、魔法剣士がいなければ恐らく傭兵に殺されていた可能性が高い。そう考えると彼の功績は決して無視できない程度には大きい。
そして混沌の勢力と手を組み国家転覆を目論んだ貴族を捕えた、となれば、功績だけを考慮すれば鋼鉄どころかその上の青玉になっていいぐらいと言える。勿論まだ魔法剣士は技量と経験がまるで足りていないため、そんな事にはならないが。
逆に言えば依頼をこなし相応しいだけの実力を示したならば、問題なく昇級出来るだけの功績を今回稼いだということでもある。これで驕り偉ぶるような性格であったり、今回の事で傲慢になったりすればまた話は変わって来るがその心配はなさそうだ。
そう言えばゴブリンスレイヤーと行動を共にしている女神官も昇級が近かった事を思い出す。彼とずっと一緒だという事に関してはちょっと思う所がないではないが、それ以上に懸命に彼についていこうとする彼女の姿を受付嬢は応援していた。
一ヵ月と少しで1人が黒曜等級になり、もう1人もまもなく上がろうとしている。優秀な新人である、ということ以上に彼らが「冒険から帰ってきている」という事実が受付嬢の頬を緩ませる。
どんな冒険者であれ、無事に帰って来る。それが一番いいことなのだ。勿論怪我もしないでいるのが望ましいが、冒険者の仕事内容を考えればそれは難しい。
たとえゴブリンの血に塗れ、疲労困憊であろうが。たとえ全身に包帯を捲かれ、重傷を負っていようが。生きて帰って来てくれたなら、受付嬢は嬉しいのだ。
「改めて、昇級おめでとうございます。ますますのご活躍をお祈りしています」
だから暫くは休んでくださいね、と。受付嬢は先程より強い圧を込めて魔法剣士に言うのだった。
※追記
活動報告の方で皆様のご意見を伺っております。
活動報告であげた診断結果の中で、どれが一番読みたいですか?(書くとは限らない)
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魔法剣士【綴られた手紙】
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令嬢【どうか、叶えて】
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女魔術師【君のワガママ】
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魔法剣士と令嬢【忘れてください】
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魔法剣士と女魔術師【貴方の為だけの】
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三人【騙し騙され愛し愛され】