「困った」
思わず口から出てきた言葉に、自分が思っていた以上に悩んでいた事を魔法剣士は自覚する。しかし言わずにはいられないほど困っているのもまた事実ではあった。
幸いギルドに併設された酒場は常に一定の賑わいを見せており、独り言を聞かれた心配はなさそうだ。別に誰かに聞かれたからといって差しさわりがあるわけではないが、何となく気まずい。
「おう、どうしたよ」
背後からかけられた声に反応して振り返ると、そこには槍使いが―――――珍しく、槍も持たず鎧も着ずに―――――立っていた。立ち上がり挨拶しようとする魔法剣士を制すると、槍使いは対面の椅子に腰をかける。
「うんうん唸ってたが、悩み事か?」
そんな唸り声まで出していたのだろうか。それとも言いそうに見えるぐらい悩んでいたのだろうか。どちらか判断がつかない。
いずれにせよ他者に悩んでいるのが分かる程度に、態度には出ていたのだろう。
「はい」
であるならば元より隠すほどの事でもないので、魔法剣士は素直に頷いた。
「手紙を書こうと思いまして」
「手紙?……ああ、例のあの子にか」
槍使いが俄然面白そうだと興味を惹かれたように、身を乗り出してくる。魔法剣士は首肯し、悩みの種を打ち明ける。
「それで、何を使って何を書こうか悩んでいました」
羊皮紙を何枚も買う余裕はないもので、と魔法剣士は懐事情を正直に話す。羊皮紙の値段は1枚当たり銀貨1枚。郵便にも金がかかる事を考えれば、今の魔法剣士ではせいぜい2,3枚買うのがいいところだ。が、当然それだけとなると書ける量は限られてくる。
時節の挨拶と無音を詫び、簡単な近況報告をするだけならそれでも充分だとは思う。だが婚約者に送る手紙はそれでいいのだろうか、婚約者とはそういうものなのだろうかと魔法剣士は思う。もう少しこう、書くこともあるはずだ。
なら安価なパピルス紙にするか、となるとこれまた問題がある。銀貨2枚も出せば10枚ほど買えるので量は充分となるが、パピルス紙はその安さに相応しく脆い。別に触れたら崩れるとかではないが、ちょっと力を加えたりすればあっさり破れる。
おまけに羊皮紙と比べた場合見た目にも安っぽく、一般人同士ならともかく貴族の令嬢である彼女に送る紙としては相応しくなかろう。彼女は一向に気にしないだろうが、身分に相応しいものというのはある。
少ない枚数で短く纏めるべきか。それとも見目を気にせず、現状を詳しく記して伝える事を優先するか。どちらを選ぶべきか。
「ま、金がねえのは仕方ねえわな」
話を聞いた槍使いが、駆け出しなんてそんなもんだしよ、と実感を込めて呟くのを聞いて、魔法剣士は深く頷いた。
無理に捻出しようと思えば出来なくはないのだが、その結果装備や生活に支障をきたしては意味が無い。冒険者はその辺りを損なえば命に繋がるのだ。
「数はどうしても必要なのか?」
「頭の中で文面を練ったのですが、詳しく伝えようと思ったらある程度はどうしても必要な量の文章となってしまうので……」
「ふうん」
腕を組んで槍使いは考え込む。だがすぐに何か思いついたらしく、腕を解いた。
「折衷案でどうだ?羊皮紙1枚に挨拶だのなんだのを纏めて、細かな事はパピルス紙に書きゃいいだろ」
「ああ。それは……いいですね」
確かにそれならば丁度いい塩梅な気がする。自分は無理なく手紙を送れるし、一応の格好も付く。伝えた方がいいと思う事も全て伝えられる。
「そうする事にします。ありがとうございました」
「おう、気にすんな」
ひらひらと手を振る槍使いに頭を下げると、魔法剣士は酒場を後にする。早速紙を買って手紙を書かねば。思えばこの街に来てから初の手紙だ。着いてからすぐに書くべきではなかったか。
己のあまりに婚約者らしからぬ行動によくよく詫びねばならぬと思いながら、魔法剣士は紙とペンを―――――冒険者になってから、初めて冒険者稼業以外で必要なものを求め街へと繰り出して行った。
―――――――
「近況報告と業務連絡の区別がお出来にならないのですね」
仕方ない人、とクスクス笑いながら彼女―――――ある貴族の令嬢は高価で脆い硝子細工に触れるような手つきで、大事そうに安いパピルス紙を捲る。
婚約者から送られてきた手紙は、丁寧ではあるがあまりにも形式的すぎる挨拶と久しく連絡を寄こさなかった事への謝罪文が羊皮紙に。近況報告という名の業務連絡のような文章がパピルス紙に書かれていた。
ひとかけらも情熱だの情調だのを感じられない手紙だが、だからこそ婚約者らしいと令嬢は思う。恐らくはこれを書くために相当頭を悩ませ、その結果辿り付いてこうなったのだ。
彼が自分の為に時間を割いてくれた。彼が自分の事を考えてくれた。彼が自分へ何かを送ってくれた。
ただそれだけで令嬢の胸は高鳴り、暖かなものが全身に満ちる。思わず手紙を豊かな胸に埋めて抱きしめたくなるが、崩れてしまうかもしれないとギリギリで自制する。
彼が自分を気にかけ、連絡を寄こしてくれた。さらに彼なりに考え彼の事を伝えようとしてくれた。なんと素晴らしいことか!令嬢は今すぐ外に出て街行く人々全てを抱擁し、幸福を分かち合いたい気分になっていた。
「彼から手紙が着いたのかね?」
「あら、お父様」
不意に声をかけられ令嬢は我に戻る。声のした方向を見れば、気品を損なわぬ程度に威厳を、威厳を損なわぬ程度に気品を漂わせている父が部屋のドアを開けて立っていた。
親とはいえ女性の部屋に入るならノックぐらいはしてほしかったが、恐らくノックをしても自分が気付かなかったのだろうと思い直す。
どう考えても彼から手紙を貰い浮かれていた自分が悪い。内心で理不尽な思いを抱いた事を陳謝しつつ、父にもこの幸福な気持ちを分け与えるべく令嬢は微笑みながら頷いた。
「ええ、今朝届きましたわ。相変わらず画一的で面白みなど一片もない、本当にあの方らしいお手紙でしたわ」
「そうか……元気そうかね?」
「一度死にかけたそうですけれど、もうお元気なようですわ。手紙が届くための日数を考えれば、もう冒険を再開しているのではないかしら」
事もなげに婚約者が生死の境を彷徨った事を伝えると、父が絶句した。表面上は何ともないように取り繕っているが、令嬢にはその心中が手に取るように分かる。
「それは大丈夫とは……いや、まあ、冒険者には付きものではあるが……」
流石10年前にかの『死の迷宮』に挑んでいただけの事はある。父は冒険者には危険が付きものだと理解しているらしい。いや、自分などより遥かに理解していてそれは体験が伴っているのだろう。
そんな父が絶句したのは、婚約者が死にかけたというのに平然としている自分の態度に対してだろう。
「私が取り乱さないのが不思議なのですね、お父様」
「うむ。生半な事で驚いたりする女ではないのは承知しているが……」
「あの方が冒険者になった時から……いいえ、ならざるを得なくした時から覚悟の上ですもの。今さら驚きませんわ」
そう。彼が冒険者になるより他無くなるように仕向けたのは他ならぬ令嬢自身だ。冒険者という職業がいかに危険で困難なものであるか父からよく教えられ、その上でそう仕向けた。
そんな自分が彼の生死に対し取り乱していいはずがない。それをするぐらいなら最初からしなければよかったのだから。
「しかし、これで本当によかったのだろうか。やはりお前の口から伝えるだけでも良かったのではないかね?」
「それでは意味がありませんわ。言って伝わったとしても実感が伴わなければ理解ができませんもの。やはりご自分で理解していただかなくては」
首を横に振り、父の言葉を否定する。そう、自分が言っては意味が無いのだ。
決められた役割を果たすしか能の無い、決まった事しか出来ない人間。彼は自分自身の事をそう考えて―――――そう思い込んでいる。だがそれは違う。彼自身が否定したとしても、令嬢はそうでないと声を大にして言う。
彼は人の期待に応え、人の望みを叶え、人の為に動く事を喜びとする人間なのだ。その上で規則や規範を尊び、それを守ろうとする。出会ったときから変わらず、彼はそういう人間だ。
だが彼自身はそれに全く気付いていない。それは彼にとって不幸であり、彼の人生を狭めてしまう。ならその事を伝えるべきか?否、伝えたとしても彼がそれを理解し受け入れられるとは思えない。
やはりこういうことは自分で気付かねば認められないものなのだ。そしてそれに気付く事が出来れば、きっと彼の人生は豊かで幸福な物になるはずだ。
「しかしだな、お前は本当にこのままでいいのか?その、彼が誠実な人間である事は私も承知しているが……冒険者というのは出会いと別れがつきものでな……」
「仰りたい事は分かりますわ。誰かと心通じて私の下へ戻って来る事を止めてしまわないか、という事ですわね?」
「うむ……そうなったらどうするのだ?あの時はお前に押し切られて聞けなかったのだが、聡いお前の事だ。想像していないわけではないのだろう?」
「ええ、勿論!もしあの方が誰か愛しく思う相手が出来て、そちらと添い遂げるのを選ぶのであれば―――――」
そこで一度言葉を切ると、令嬢は満面の笑顔を見せた。
「心から祝福いたしますわ!この上なく素晴らしい事ですもの!」
は?と間の抜けた声を上げる父を他所に、令嬢は言葉を続ける。
「愛や恋といったものが理解できてないあの方がそれを理解して、添い遂げたいと思える相手が出来る!ああ、なんて素晴らしい!あの方は間違いなく幸福になる事でしょう!」
彼が愛を知る。彼が恋をする。彼に伴侶が出来る。彼が幸福になる。なんて、なんて素晴らしい事か!もしそうなったら自分は心から彼を祝福し、彼の伴侶となる相手に心から感謝することだろう!
彼が幸福になるというのならば、自分との婚約などどうでもいいことだ。令嬢は本気でそう思う。大事なのは彼であり、決して自分ではない。
「私はあの方が己自身を知り、多くの事を知り、今以上に素敵な方になっていただくため冒険者になっていただきました。でもそれはあくまで「あの方の幸福」の為であって、私の為ではありませんわ」
そう。令嬢は彼に幸福になってもらいたいのだ。幸福で、豊かで、実りある生涯を送ってもらいたい。そこに自分がいる必要はない。彼が1人だろうが、他の誰かと一緒だろうが、彼が幸福でさえあればいい。
彼女にとって、「愛」とはそういうものだった。この愛の形が
一々形に拘り、世間に合わせないといけない愛などあってたまるものか。
「あの方が幸福になるように、あの方の幸福が続くようにする。私にとって人を、あの方を愛するとはそういうことですのよ、お父様」
再び絶句する父親に構わず、彼からの手紙を武骨で頑丈な金庫にしまい込む。
彼はきっとまた手紙をくれる事だろう。いや、手紙を貰ったのだから自分から返事を出してもいい。彼はそれに対してどんな反応を返すだろうか?
同じように面白みのない返事が来るのだろうか?それとも何か変化が起きるのだろうか?あるいは返事をする暇が無いぐらいに忙しいのだろうか?彼がどう過ごしているかを考えるだけでも令嬢の心は湧き立つ。
心底疲れたように父がため息を吐く。それに対し令嬢は心の底から浮かび上がって来る高揚感によって金剛石のように輝く笑顔を見せた。
「今日もこうしてあの方を想い、愛せる―――――
令嬢
只人 16歳
魔法剣士の婚約者であり、都の伯爵の三女。
彼が幸せな人生を送る事を何より優先しており、彼の幸せこそが彼女にとっての最大の幸せ。彼が幸せなら別に自分の事を忘れてしまっても構わないと思っている。ただし魔法剣士の気が変わった時の為に生涯待ち続けるつもりでいる。
自分が異常である事はよく理解しており、その上で自分を変えようとせずにいる。なお魔法剣士は彼女の性格と性質を理解しており、その上で厭うこともなく婚約者として受け入れている。
魔法剣士を愛するようになった理由はほぼ一目惚れ。「愛に一々理由はいらない」というのが本人の言い分。
冒険者が危険な事は父親から聞いてよく知っており、魔法剣士がもし帰らぬ人となった場合責任を取って即座に自害する決意を固めている。
魔法剣士への愛の重さを除けば自分の狂気的な愛を客観視できる程度には理性的で、自分が世間一般から逸脱している事を理解できる程度に常識を持ち合わせている。特技は人間観察で、特に魔法剣士の内面を本人以上に把握している。
父親や近しいものからは「愛を
伯爵
只人
令嬢の父親。令嬢の口車に乗せられた結果、魔法剣士にとんでもない苦労を背負わせた事を後悔している。
最近はそもそも婚約自体彼にとってよくなかったのではと思い始めている。
10年前に親友でもあった魔法剣士の父親と組んで「死の迷宮」に挑んだ経験がある。なので冒険者の実情は充分承知しており、魔法剣士が冒険者になるのであれば支援するつもりだった……のだがジキヨシャの託宣により魔法剣士は辺境へ赴いたために空振りに終わった。
相手がマトモだと何時から勘違いしていた?
活動報告であげた診断結果の中で、どれが一番読みたいですか?(書くとは限らない)
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魔法剣士【綴られた手紙】
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令嬢【どうか、叶えて】
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女魔術師【君のワガママ】
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魔法剣士と令嬢【忘れてください】
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魔法剣士と女魔術師【貴方の為だけの】
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三人【騙し騙され愛し愛され】